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全地で宣べ伝えて教える

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全地で宣べ伝えて教える

アフリカ

国や地域 57

人口 8億2,738万7,930人

伝道者 108万6,653人

聖書研究 202万7,124件

コートジボワール

国の東部にあるビーエヌアンという村では,人々が真理に飢え渇いています。畑の仕事に出かける前に聖書について話し合いたいと思って午前6時に奉仕者を起こす人もいれば,会衆の晩の集会のあと聖書研究を司会してほしい,と言う人もいます。ある日,字の読めない女性が兄弟に,「聖書は実際に何を教えていますか」の本をください,と言いました。夫に読んでもらうというのです。兄弟は本を渡し,翌日,その女性の家を訪ねました。女性とその夫は,兄弟が来てくれるのを今か今かと待っていました。その本を一緒に夜通し読んでいたので,夫は畑仕事に出かけませんでした。読んだ事柄について兄弟と話し合いたいと思ったのです。この夫婦との研究が始まりました。

ベニン

都市部から遠く離れた所に住む,ある大家族が研究を始めました。父親は伝統のある教会の聖職者でした。研究を始めてからわずか2週間後に,家族全員が地域大会への招待を受け入れました。ところが土曜日の晩に突然,一番上の娘が病気になって亡くなってしまいました。家族にとって大きなショックでしたが,父親は日曜日の大会に出席しました。そして月曜日に,娘の死についてきっぱりとこう言いました。「これはサタンの仕業だ。わたしたちを落胆させようとしているのだ。だが,わたしの家族はそんなことには負けない」。それから,礼拝用の服,帽子,帯,そそぎ油,牧者の杖など,教会で用いる装具一式を持ち出しました。教会で役員を務めていた妻も同じようにしました。その父親は,「教会との関係はこれで終わりだ」と宣言し,使徒 19章19節の場面さながら,皆の前でそれらすべての物を焼き捨てました。その家族は引き続きよく進歩しています。

マダガスカル

昨年,人口500人ほどのある村で,一人の説教師が別の村のエホバの証人から『聖書の教え』の本を入手しました。それを注意深く読んで,真理だと確信し,自分の知った事柄を教会員にも教えました。やがて,この人とその家族および他の20人が教会から脱退し,各地のエホバの証人と同じように集会を開くようになりました。それらの人を援助するために特別開拓者たちがやって来て,関心ある多くの人との聖書研究を司会し,会衆の書籍研究と「ものみの塔」研究を定期的に開くように取り決めました。10月には5人が,バプテスマを受けていない伝道者となり,現在では公開集会と神権宣教学校も開かれています。集会の出席者数は平均40名で,20件以上の家庭聖書研究が司会されています。

南アフリカ

ヘニーは妻と共に家から家へと宣べ伝えていました。ある家のフェンスのそばを歩いていた時,柵の間から頭を出した猛犬に手をかまれてしまいました。かなり出血したため,二人は急いで家に戻り,傷を消毒して包帯をしました。ヘニーは,後で医師に診てもらうことにしました。そして妻に,たかが犬のために野外奉仕をやめたくはないと言い,1時間ほど後に区域に戻って,あの猛犬のいる家の隣から伝道を再開しました。数軒を訪問した後,ある男性が二人を家に招き入れました。その人は話にじっと耳を傾け,ぜひまた来てほしいと言いました。聖書研究が始まり,集会にも定期的に出席するようになりました。そして,オランダ改革派教会から脱退しようとすると,教会の役員の一人が訪ねて来て,教会の執事にならないかと言いました。しかし,確固として脱退の決意を貫きました。この男性はよく進歩しており,神権宣教学校に入りました。

タンザニア

2005年10月,孤立した区域を奉仕するキャンペーンの期間中に,イリンガ会衆の9人の兄弟たちが,75㌔ほど離れたパワガへ向かいました。その区域には孤立した伝道者の兄弟が住んでいると聞いていたので,多くの人に尋ねて回り,ようやくその兄弟を捜し当てました。兄弟の話によると,そこに20年以上住んでおり,タンザニアでの王国の業はまだ禁令下にあると思っていたそうです。それまでずっと他の人々に証言を行なっており,聖書の音信に深い関心を抱いている人が何人かいるとのことでした。イリンガ会衆から来た兄弟たちは,人々の関心をはぐくむ目的で,自発的にパワガに2週間とどまりました。2006年には正規開拓者が2人,その村に移転して,肥沃な区域を世話するようになりました。孤立した伝道者だった兄弟も霊的な援助を受け,今ではこの村に9人の伝道者から成る群れがあります。現在は木の下で集会を開いていますが,地元の資材を使って小さな集会所を建てる計画が進められています。

ルワンダ

ジェンティーレという名の十代の少女は,サッカーでゴールを決める才能のゆえに有名になりました。人々からはメナイビテゴと呼ばれていました。地元のキニャルワンダ語で「ゴールの神様」という意味です。幾人かのイタリア人がその才能に目を留めて付加的な訓練を施し,イタリアでの試合に参加してはどうかと勧めるようになりました。ヨーロッパに渡って国際的に有名なサッカー選手になるというチャンスは,魅力的に思えました。しかし,その勧めを受け入れるなら家族と離れて暮らさなければならないことは分かっていました。この少女は母親がエホバの証人で,自分も聖書研究をしていたのですが,真剣に学んではいませんでした。サッカーが生活の中心になっていたのです。しかし,母親と話し合い,この件には霊的な危険が伴うということを理解しました。そして,イタリア行きの誘いを断わることにし,生活の中で王国の関心事を第一にしようと決意しました。ジェンティーレは最近の大会でバプテスマを受けました。

南北アメリカ

国や地域 55

人口 8億9,335万7,181人

伝道者 336万7,544人

聖書研究 323万6,692件

クラサオ島

研究生の家を訪れたある兄弟は,研究生の男性から一個の銃弾を手渡されました。その男性は,これが何だか分かりますか,と尋ねてから,その銃弾にまつわる話を始めました。その人は兄弟が初めて訪ねて来た時,すでに仕事と家族を奪われて何か月もずっと自殺を考えていたそうです。復しゅう心に燃えたこの人は,自分をそんな状況に追い込んだと思われる4人の殺害を決意し,四発の銃弾をピストルに込め,自分の命を絶つ必要が生じたときのために,銃弾を一つ別にしておきました。そういう事情でしたが,家を出る前に神に助けを求めることにして,宗教番組を見ようとテレビのスイッチを入れたちょうどその時,二人の証人がやって来ました。その後,聖書を研究するようになったのです。銃弾のうち四発は捨てましたが,五発目のことは忘れていました。ところがそれはポケットに入っていました。研究生は見つかった銃弾を兄弟に見せて事情を話し,聖書研究を始めてから自分の生活がいかに変わったかを説明しました。この男性は,五つの人命が失われずにすんだのはエホバの証人のおかげだ,と言っています。そして今では,会衆の集会に出席しています。

ウルグアイ

二人の証人が,とある女性の家を訪問したところ,中に招じ入れられました。女性は目に涙を溜め,自分は一晩じゅう神に祈り,あなたのご意志を知らせてくださいと懇願していた,と言いました。その話によると,女性が通っている教会の牧師も先ごろ家に来ましたが,その目的は,女性が最近得た比較的多額の収入に対する十分の一税を集めるためにすぎませんでした。女性は幻滅してしまいました。寄付集め以外の目的で来てくれたことは一度もなかったからです。苦しい時に助けを求めても来てくれませんでした。それで1か月以上,教会には行きませんでしたが,思い余って一人の牧師に,この教会の教えには矛盾があり,自分は欺かれていたんだと思う,と話しました。すると牧師は,疑問の答えをはっきり示そうとするどころか,あなたは教会を捨てたので七つの天罰が下ることになる,と言いました。この女性を訪問した兄弟たちが,真の神は真理を求める人々を見いだすためにみ使いたちをお用いになる,と説明すると,女性は多くの質問をしました。その後すぐに,「聖書は実際に何を教えていますか」の本を使った研究が始まりました。後にこの女性の夫も研究に加わり,夫婦で記念式と特別講演に出席しました。そして,王国会館での教えの質の高さに感銘を受け,寄付を集めないことに驚きを感じました。二人とも進歩を続け,会衆の大勢の人たちと友達になっています。

チリ

世界の最南端で行なわれている聖書研究は,人里離れたホーン岬の区域に住むある女性との研究かもしれません。その女性は,この辺鄙な区域の灯台守の奥さんで,以前プンタ・アレナス市で4週間,ある補助開拓者と聖書研究を行ない,その後ホーン岬に引っ越して来たのです。それ以後,研究は電話で行なわれています。この女性はよく進歩しています。

コスタリカ

この国には1万人ほどのグアイミ族のインディオが住んでおり,その大半はパナマ国境に近い小さな町シクザオラに集中しています。それら先住民のうちかなりの人々が聖書研究に純粋な関心を示しています。そうした霊的な必要にこたえるため,一組の若い特別開拓者の夫婦がその区域で奉仕するよう割り当てられました。二人は言語の習得に励み,グアイミ族の兄弟姉妹26人の助けを得て,多くを成し遂げることができました。グアイミ語で初めて行なわれた記念式には264人という,かつてなく大勢の人々が出席しました。それ以来,順調な増加が続いています。例えば,13人の奉仕者が交わる書籍研究の群れは,当初平均20名の出席でしたが,今では40名に増え,その結果,新たに二つの書籍研究の群れが設けられました。

パナマ

ラミロという体育の先生が,2004年にエホバの証人と聖書研究を始めました。そのころ,担当していたのは6クラスだけで,授業時間は毎週12時間に過ぎませんでした。要求されている24時間には足りません。そのため校長はラミロに,時間の不足分を補うためその6クラスに宗教を教えるように命じ,そして,「神とイエスと聖書について話すだけでいい」と言いました。それでラミロは自分が研究している事柄を教えました。その年は「永遠の命に導く知識」の本を教材として,6年生から8年生までの150人の生徒に教えました。翌年,「聖書は実際に何を教えていますか」の本が発表された時には,ラミロはすでに,バプテスマを受けていない伝道者の資格を得ており,今度は『聖書の教え』の本を使って教えました。生徒は160人に増え,六つのグループに分けられました。その後はどうなったでしょうか。ラミロと会衆の他の奉仕者たちは現在,数人の生徒の家庭聖書研究を司会しています。生徒の親の中には,子どもの振る舞いが良くなったことでラミロに感謝する人たちもいます。会衆の集会だけでなく,大会に出席した親たちもいます。ラミロ本人は,2006年11月にバプテスマを受け,引き続きあらゆる機会を活用して,聖書の真理を熱心に教えています。

グアテマラ

グアテマラ市のジェレミーという奉仕者が,研究生の青年の家を訪問しました。その家は裏通りにありました。ジェレミーがドアをノックすると,研究生の姉が出てきて,弟は今いません,と言いました。すると,ドアの前にいたジェレミーに,二人の若い男が近づいてきました。そのうちの一人はピストルを抜いてジェレミーの頭に銃口を突きつけ,「俺は雇われてお前を殺しに来たんだ」と言いました。(後で分かったことですが,この言葉は脅しに過ぎませんでした。)ジェレミーはこう語ります。「家の人はドアを閉めてしまいました。そこで男たちに,『何が欲しいんですか』と尋ねました。一人が,『ここで何をしていたんだ』と聞くので,自分はエホバの証人でエホバの言葉を宣べ伝えていた,と答えました。すると,その男は乱暴な口調で,『じゃあ,俺に話してみろ』と言いました。わたしはドキドキして,どうしたらよいか分かりませんでしたが,鞄を開けて聖書を取り出したところ,銃を持っていたほうの男が泣き出しました。自分のしていることは悪いと分かっていたからです。助けてくれ,と男は言いました。そしてわたしの鞄を調べ,お金の問題を扱った『目ざめよ!』誌を取り出しました。もう一人の男が財布を見つけようとわたしのポケットを探り始めると,『やめろ。この人にかまうんじゃない』と言いました。それからわたしに感謝の言葉を述べ,わたしを抱きしめてから去って行きました。わたしはほっとしました。そして,こうした状況から救ってくださったエホバに感謝しました」。

ドミニカ共和国

矯正歯科医の一姉妹は,インプラントに関する一日のセミナーに出席しました。その際,出席していた250人余りの歯科医たちに,これからヨーロッパで開かれる上級コースに申し込める,という発表がなされました。そのコースの受講料は高く,しかも招かれるのは8人だけです。セミナーの終わりにその姉妹は,上級コースに出席するよう選ばれたこと,それに加え,そのコースの受講料を免除してくれるということを知らされました。姉妹は驚き,こう答えました。「ご配慮,ありがとうございます。でもわたしは申込書を提出していません。寛大な申し出はうれしく思いますが,お受けするわけにはゆきません。わたしはエホバの証人であり,家族の霊的な関心事を何よりも優先したいと思っています。非常に高度なこのコースはすばらしいと思いますが,わたしには注意を集中しなければならない聖書の勉強会が毎週五つあります。わたしが家を留守にしたために,帰ってみたら二人の十代の息子が麻薬に手を出していたとか悪いことをしていた,というのでは,どんな高度な訓練や資格も,うれしいものではなくなると思います」。

アジアと中東

国や地域 47

人口 39億9,368万6,009人

伝道者 60万7,112人

聖書研究 49万6,577件

イスラエル

補助開拓をしていたエラという若者は,一人の年配の女性がゴミ袋にてこずっているのを見かけ,手伝ってあげてから,手短に証言しました。その人が住所を教えてくれたので,何度も訪ねてみましたが,なかなか会えませんでした。しかし,ある時ようやくその女性が戸口に出てきました。耳が悪いので,エラのノックする音が聞こえたのはその時が初めてだったのです。こうして,家庭聖書研究が始まりました。この人は,最初は神の存在を否定していましたが,徐々に神とそのみ言葉に対する感謝を抱くようになりました。そして2年後にはエホバに献身し,最近,92歳でバプテスマを受けました。

モンゴル

テルビシュという年配の女性は,ある書店で長年働いていました。ムンクザヤという18歳の開拓者の姉妹が訪問したところ,テルビシュは,これまでたくさんの本を読んだから,たいがいの本ならどこから読み始めてもすぐに理解できるけれど,聖書だけは別で,どれほど読んでも理解できません,と言いました。教会へ行ってみても分からなかったので,自分で研究し,すべての聖句に注釈を付けていました。テルビシュが特に理解したいと思っていたのは,ヘブライ 11章6節でした。ムンクザヤはその聖句を説明し,聖書研究を勧め,テルビシュを王国会館に誘いました。その場所を聞いて,テルビシュは言いました。「外にきれいな花壇がある,あの建物ですか。前を通るたびに,立ち止まって見とれていたんですよ。あの花壇の手入れをしている人を紹介していただけませんか」。ムンクザヤは喜んでその人を紹介しました。現在,テルビシュは創造者について熱心に学び,集会に出席しています。ムンクザヤはこう述べています。「あの花壇はわたしよりもずっと前からこの女性に証言していたのです」。

日本

78歳になるひろ子は,足の痛みのため,以前ほど奉仕に出られなくなりました。しかし神に導きを祈っていて,人通りの多いあるバス停でなら,座っての奉仕を一度に30分くらいは行なえることに気づきました。心がけたのは,常に笑顔であいさつし,人々に関心を示すことです。近くに病院があるので,薬を持っている人には体の具合を尋ねます。バスの時刻表の見方が分からない人にはその手伝いをし,土地をよく知らない人には観光名所を教えてあげます。相手の話に耳を傾け,それから雑誌を提供します。今では,顔見知りになった人への再訪問も行なえるようになりました。

ミャンマー

ラザルは麻薬の密輸業者でした。薬物や殺人など,ありとあらゆる悪に染まった生活をしていました。しかし,ある開拓者の姉妹が聖書を開いて神のお名前がエホバであることを示した時,ラザルはすぐにそれが真理であることを認め,聖書研究に応じました。長い時間がかかりましたが,着実に霊的進歩を遂げました。難しかったのは,以前の生活を180度変化させることでした。ラザルから,足を洗いたい,と打ち明けられた仲間たちはあわてました。ラザルが麻薬の密輸について知りすぎていたからです。幾度か殺し屋に狙われましたが,ラザルは何とか逃れることができました。やがて別の地域に引っ越し,妻と共にバプテスマを受けました。

台湾

数人の奉仕者たちは,あるコーヒーショップの前で思わず足を止めました。“エズラ記コーヒー店”という珍しい名前だったからです。奉仕者の一人は好奇心にかられて,店のオーナーにエズラという名前を使った理由を尋ねました。すると,真の崇拝に対するエズラの熱意にいつも感心している,という答えが返ってきました。オーナーは長年,教会に通っていましたが,最近になって行くのをやめていました。ベトナム人である妻が説教を理解できないからです。その奉仕者はベトナム語の聖書を持っていくことを約束し,午後にそれを持っていくと,夫婦は喜んで受け取りました。こうして,その家族全員との聖書研究が始まりました。

インド

証言活動に対する厳しい反対がある町で,5人の姉妹たちが伝道したために四日の間,刑務所に入れられました。最初,看守の女性は姉妹たちにぞんざいな態度を取り,刑務所内でキリスト教を宣べ伝えないようにとくぎを刺しました。しかし,姉妹たちの温和さや優しさを観察しているうちに,その態度は和らぎました。姉妹たちは兄弟たちが差し入れてくれた果物などの食べ物を他の受刑者や看守にも分けてあげました。ある夜のこと,看守は姉妹たちが「エホバに近づきなさい」の本を使って討議しているのを耳にし,やって来て監房の入口の椅子に座り,その討議に加わるようになりました。姉妹たちが刑務所から釈放されたのと同じ日に,その看守は親戚の一人を亡くしました。それで,姉妹たちは復活の希望を話して慰めることができました。

釈放される前のこと,もう一人の看守から,どんな罪を犯したのかと尋ねられました。そこで,姉妹たちの一人は,宣べ伝える業が誤解され,不法な改宗行為とみなされていることを説明しました。聞いた事柄に感銘を受けたその看守はこう言いました。「こんな所に入れられているのに,あなたは本当に穏やかな話し方をするのね。わたしは気が短いほうなので,恥ずかしくなるわ。わたしが辛らつなことを言った時は注意してね。どうすればあなたたちのような話し方ができるか,教えてほしいの。こんなにいい人たちがなぜ刑務所に入れられるのか理解できないわ」。この看守は,時間のある時はいつも姉妹たちのところにやって来ては,「聖書についてもっと話してもらえませんか。本当に気持ちが楽になるのです」と言いました。殺人犯として刑に服していた女性たち二人も聖書の音信に感銘を受けました。姉妹たちは用心しながら,その二人や他の受刑者たちに証言しました。姉妹たちはすでに釈放されていますが,刑務所の中で見いだした人たちの関心を高めるにはどうすれば良いかを探っています。

インドネシア

特別開拓者のレスマワティは,ちょうど野外奉仕を終えて家に戻ろうとしていた時に,ある女性から,聖書の話を聞きたいのでうちに来てくれませんか,と言われました。三日後に,レスマワティはその女性を再訪問しました。すると,女性は泣き出し,夫の虐待について話しました。レスマワティはヘブライ 4章12節を読み,聖書を研究すれば,多くの問題が解決されるということを説明しました。そして,「2003 エホバの証人のカレンダー」に載せられているトニーの経験について話しました。女性は関心を示し,そのカレンダーが欲しいと言いました。次の時に,レスマワティはカレンダーを持ってゆき,『聖書の教え』の本を使っての研究が始まりました。その次に訪問した時には,女性の夫が,自分も研究に参加してもいいですか,と聞いてきました。夫はカレンダーに載せられているトニーの経験を読み,深い感銘を受けました。偶然にも,夫の名前もトニーであり,その態度や振る舞いは,真理を学ぶ前のカレンダーのトニーとそっくりでした。夫は,カレンダーの経験を見た時,妻と子どもたちに言いました。「おれの名前じゃないか。あの人はどうしておれの名前を知っていて,こんなことが書けたんだろう」。妻は言いました。「あなたの名前なんて知っているわけないでしょう。知っていたとしても書けるはずがないわ。だってそのカレンダーは2007年のではなくて,2003年のなんですもの」。夫が急に関心を示し始めたので,妻は巧みに,「あなたもカレンダーのトニーみたいになりたいと思わない」と尋ねました。すると驚いたことに,「なってみようかな」という返事が返ってきました。カレンダーのトニーのように,インドネシアのトニーも生活を改め,長い髪を切り,きちんとした身なりをするようになりました。この家族全員が聖書研究を続けています。

マレーシア

ボルネオのある地域の兄弟たちは,インターネットの衛星写真を使って,家々を探しています。次のような報告が寄せられています。「この方法は,熱帯雨林の中の家々を探すのに役立っています。“屋根”がヤギ小屋であることが判明して,ここに行ったら“ヤギ”に証言することになると,大笑いする場合もあります。しかし,それが民家の屋根であることもあります。以前はこの山地の区域を奉仕したことが一度もありませんでした。熱帯雨林はうっそうとしており,道をたどるのが容易ではないので,衛星写真はそうした道を見つけるのに役立ちます」。

ヨーロッパ

国や地域 47

人口 7億3,261万687人

伝道者 153万3,790人

聖書研究 74万9,911件

ハンガリー

12歳の姉妹はこう言っています。「9か月前にバプテスマを受け,この3か月間,補助開拓者として奉仕しています。母がよく助けてくれます。学校に行きながらどうやって補助開拓をしているのかとよく聞かれますが,学校がなければかえって大変だと思います。休み時間に証言しているからです。5人のクラスメートといつも聖書について話し,2人の子と聖書研究をしています。エホバの祝福を感じます。開拓奉仕はわたしにとって重荷ではなくて喜びの源です。母は正規開拓者なので,わたしもそうなりたいです。エホバに全時間お仕えしたいと思っています」。

イギリス

スーザンは2001年に聖書研究を始め,2年ほど続けました。その間,たばこをやめようとして非常に苦労し,何度も試みましたがうまくいきませんでした。そのため研究をやめてしまいましたが,集会には出席し続けました。4年後,霊的に進歩しなければと思い,会衆に助けを求めました。研究を再び始めたスーザンにとって,「エホバに近づきなさい」の本が役立ちました。わたしたちに対するエホバの愛や,わたしたちがどのようにエホバへの愛を示せるかについて詳しく学び,スーザンの生活は大きな影響を受けました。2か月もしないうちに,たばこをすっかりやめたのです。スーザンはこの出版物を研究することによりエホバを信頼できるようになったと感じています。良い進歩を遂げ,エホバに献身し,その象徴として「キリストのあとに従いなさい!」地域大会で水のバプテスマを受けました。

エストニア

離婚した両親と離れて暮らしていたヘルギという17歳の学生は真理に関心を示し,聖書研究を始めました。多くの時間,地元のバンドで歌っていたので,初めは集会にあまり出席していませんでした。しかし,真理に対する認識が高まるにつれ,ライフスタイルを変えるようになりました。集会がある日の夜には活動できない理由を他のメンバーに説明したのです。神権宣教学校に入校し,バプテスマを受けていない伝道者になるまでに進歩しました。ある時,全国規模の歌唱コンテストに出場しました。そのコンテストの最優秀賞受賞者は有名なレコード会社と契約することができます。審査で多くの人が落とされる中で,ヘルギはすぐに審査員に認められ,次の選考に進みました。ところが,それはヘルギが神権宣教学校で初めて割り当てを果たす日に行なわれることになりました。ヘルギはどうするでしょうか。エホバの証人ではない母親は話の割り当てをキャンセルするか,別の日に変えてもらうことを勧めました。ヘルギは,これは単に話をするかどうかという問題ではなくて,人生で何を第一にするか,霊的なことか世俗的なことか,という問題だと言いました。ヘルギは真剣に考えて,コンテストよりも割り当ての話のほうを選びました。ヘルギは割り当てを果たし,母親もその決定を尊重しました。

話は続きます。あるテレビ局のリポーターが大会とバプテスマを取材するため「キリストのあとに従いなさい!」地域大会に来ました。ヘルギがバプテスマのプールに入るところを見て,リポーターはバプテスマの様子を撮影し,インタビューしました。その日の夜,それはニュースに取り上げられました。ニュースではヘルギがコンテストで歌う姿が紹介され,最後にバプテスマの様子とヘルギが輝くような笑顔でこう言うのが放映されました。「人生で最も良い決定ができました」。

ブルガリア

イベリンという男性はベラネ刑務所の受刑者です。エホバの証人の地元の支部事務所にこのような手紙を送りました。「刑務所の中で,偶然『ものみの塔』誌を手に入れ,お聞きしたいことがたくさんあります。わたしは自分の犯した罪を悔いています。霊的にすっかり変わりたいと願っています。ご迷惑かもしれませんし,無理だと思いますが,お願いがあります。手紙をいただけないでしょうか。エホバ神について学びたいのです。お返事をもらえるか分かりませんが,エホバについて知るだけで幸せな気持ちになります。わたし自身のためだけでなく,他の受刑者のためにも,もっと知りたいと思います。返事をいただけなくても,いつか出所した時に連絡しますので,よろしくお願いします」。兄弟たちはすぐにこの関心にこたえて援助を始め,現在この刑務所でイベリンを含む10人の受刑者と研究しています。

ポルトガル

ジャナという特別開拓者の姉妹はこう語っています。「ある日,地下鉄を降りた時,中国人を見かけたので,近づいて良いたよりを伝えようとしました。その男性はわたしが中国語を話すことに驚き,妻がまもなく帝王切開で出産するので病院に行く途中だと言いました。その夫婦はポルトガル語が話せなかったので,病院から通訳を見つけてくるように言われていました。とても困っていた男性はわたしに助けを求めました。翌日,わたしは医師から,手術着に着替えて手術に立ち会うように言われました。手術のあいだ,わたしはずっと女性の手を握り,女性は聖書やわたしたちの活動についていろいろと質問しました。かわいい女の子が生まれました。その母親はわたしの助けに大変感謝し,娘のために名前を付けてほしいと言ったので,わたしは少し考えて,サラという名前を選びました。母親はその名前が気に入り,聖書に出てくるサラとサラが崇拝した神についてもっと知りたがりました。退院後,わたしは家庭聖書研究を定期的に行なうことを勧めました。この夫婦はかつてエホバの証人と話すことを拒んでいましたが,手術に立ち会ったことで,消極的な見方を一転させました。二人はすぐに勧めに応じ,今では集会に出席しています」。

スロバキア

特別開拓者の夫婦がアフガニスタンの若い男性二人に会いました。スロバキアに滞在していた短い間に,二人は聖書に関心を示しました。夫婦は何度か二人に会い,聖書と「聖書は実際に何を教えていますか」の本を渡しました。また,聖書を自分たちで,そしてほかの人とも学べるように,聖書研究を実際に司会して見せました。

オセアニア

国や地域 30

人口 3,682万9,259人

伝道者 9万6,691人

聖書研究 5万1,122件

ニュージーランド

ポールという兄弟はある日の午後,家から家の業で一人の女性に会いました。その人はブロシュアーを受け取り,最近親族から『あなたには真理が必要』と言われたと語りました。まさにその日の午前中,女性はエホバに祈っていました。神の名を用いて祈り,だれかを遣わしてほしいと願っていたのです。「その3時間後,わたしはその家の戸口に立っていました。しかも,それはいつもなら女性が家にいない時間だったのです」とポールは述べています。女性は家庭聖書研究の勧めに喜んで応じ,よく進歩しています。

オーストラリア

オーストラリア支部が管轄している東ティモールに,アルマンドとエルビラという若い夫婦がいます。2006年にこの夫婦の住む地域は,別の民族グループからの執拗な攻撃に遭い,二人は身を守るため逃げざるを得なくなりました。難民キャンプに逃れましたが,持ち出せたのは二つだけ,アルマンドの聖書と「神はわたしたちに何を求めていますか」のブロシュアーでした。二人は兄弟たちと再び連絡が取れるようになると,週に2回研究をし,会衆の集会にも出席するようになりました。アルマンドは,小さな村に住む親族にも証言しました。その村はディリから4時間半のところにあります。その人たちが王国の音信に関心を示したので,アルマンドはバウカウの開拓者に1時間半かけてさらに援助に行ってもらうようお願いしました。開拓者の話を聞くため,20人以上の人が集まりました。アルマンドの父親は皆を代表して語り,自分たちの偶像を処分したいが,それでも邪悪な霊から守られるのか,と尋ねました。開拓者はエホバが必ず助けてくださると言って安心させました。それで,その人たちは偶像を捨てました。現在その村では25人余りが聖書を学んでいます。アルマンドは近々バプテスマを受けたいと思っており,エルビラも良い進歩を遂げています。

グアム

グアム支部の管轄下にあるサイパン島で,ある姉妹は思いがけない喜びを経験しました。姉妹が家のあちこちに置いていた幾つもの出版物を,かつて反対者だった夫がこっそり読んでいたのです。「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌に加え,「年鑑」や「幸せな家庭を築く秘訣」の本も読んでいました。ある日夫は,妻と5人の子どもを呼び集めました。“大事な家族会議”をすると言うのです。それはめったにないことでした。父親の目的は3人の娘たちに結婚に関するアドバイスをすることでした。父親は大きな紙に結婚相手の条件を書き出していました。この未信者の父親は,「ものみの塔」誌,2006年11月1日号に載ったシーラ・ウィンフィールド・ダ・コンセイサンのライフ・ストーリーにいたく感激し,シーラがしたように望ましい結婚相手に求める条件のリストを作ったのです。娘たちにエホバの証人と結婚するように,そしてエホバを愛していて聖書の真理を自分たちより深く知っている人を見つけるように,と言いました。さらに,娘たちが雑誌の記事にあったのと同じような幸せを味わうのが自分の願いだと告げました。娘たちは胸が一杯になり,いつか父親も一緒にエホバに仕えるようになるという期待を抱きました。

サモア

最近,別の支部から一人の兄弟とその妻が,サモアで奉仕するよう割り当てられました。兄弟は宣教で訪問した初めての家で,「聖書は実際に何を教えていますか」の本を提供し,驚いたことに,家に招き入れられました。家の女性は会社を退職した人でした。その人はふとためらい,「今朝は45分しか時間がないんです」と言いました。兄弟にとってこれまで経験したことのない反応です。すぐに研究が始まりました。翌週妻を連れて訪ねると,女性は聖書と『聖書の教え』の本を手にして迎えてくれました。研究が続くよい見込みがあります。

ソロモン諸島

サン・クリストバル島のエミリーは,自分の住む区域でただ一人の証人であり正規開拓者です。20件の聖書研究を司会しており,そのうち姉妹の両親を含む3人はバプテスマを受けていない伝道者になっています。インターナショナル・サーバントのランスとダイアンは休暇を取り,人で混み合う小さな貨物船に14時間乗って,記念式のためにエミリーを援助しにやってきました。ランスはこう伝えています。「到着した時,何よりも眠りたかったのですが,村の長をまず訪ねるのがよいと考えました。そこに来た目的を説明すると,長はこう尋ねました。『まだ招待を受けていない人がたくさんいるが,その人たちも出席していいのかね』。わたしたちはにっこり笑って,ぜひどうぞと言いました。

「記念式の時間が近づいても,二人の女性と何人かの子どもが席に着いているだけでした。しかし,多くの人が遠慮がちに木立の間にいるのに気づき,すぐに近づきました。暗くなると,小型発電機を使って明かりをつけました。記念式の話が始まり,皆が注意深く耳を傾けました」。話を聞いた人は約130人で,その中にはセブンスデー・アドベンティストの聖職者もおり,「新世界訳」の聖書を1冊欲しがりました。自分が使っている聖書よりずっと分かりやすいということです。この特別な集まりで5件の新しい聖書研究が始まりました。

パプアニューギニア

ある地方都市の近くの二つの村ではカトリック教会の影響が強く,そこで宣べ伝えるのは容易ではありません。最近兄弟たちは村の代表者たちを訪ね,わたしたちの活動とわたしたちがすべての人と話したい理由を説明しました。偶然にも一方の村では,どうすれば若い人たちの日ごろの行ないを改善できるかについて話し合いが行なわれたところでした。兄弟たちは聖書の知識が役立つということを代表者たちに話しました。

自由に宣べ伝える許可が与えられ,数人の若者が研究を始めました。村人たちは,それらの若者の振る舞いがエホバの証人との交わりによって大いに改善されたことに気づき,反対をやめました。やがて友人や親たちも研究を始めました。その中には,伝道師の娘もいました。父親である伝道師は以前兄弟たちを脅しつけたことがありましたが,「あの時したことは,ひどい間違いだった。神とエホバの証人がわたしを許してくれるといいのだが」と娘に言いました。現在この二つの村から27人が定期的に集会に出席しています。少なくとも4人がバプテスマを受け,補助開拓奉仕を行なっています。その人たちは正規開拓者になることを目指して頑張っています。

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(正式に組んだものについては出版物を参照)

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ホーン岬の灯台

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(正式に組んだものについては出版物を参照)

サン・クリストバル島

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マダガスカルの村アンタナンダバで「ものみの塔」研究を司会する

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タンザニアのパワガの人々と,『聖書の教え』の本を研究する

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コスタリカのシクザオラで行なわれている会衆の書籍研究

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『聖書の教え』の本を手にしたラミロ

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バス停で証言するひろ子

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神権宣教学校で話をするヘルギ(右)

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ランス,ダイアン,エミリー