過ぐる1年の際立った事柄
過ぐる1年の際立った事柄
過ぐる1年も様々な出来事が生じ,「終わりの日」がかなり進行していることを示す証拠が増し加わりました。神の言葉にあるとおり,終わりの日は「対処しにくい危機の時代」です。(テモ二 3:1)しかし,終わりの日の厳しさが増せば増すほど,世界中の忠実な僕たちに対するエホバの祝福がいっそう明らかになります。エホバの証人は,自然災害,犯罪や暴力,病気,憂うつな気持ち,老化,反対や無関心といった問題にもかかわらず,エホバからの力を得て,『自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走り』続けています。―ヘブ 12:1。
「偽りの宗教の終わりは近い!」
2006年の10月から11月にかけて,エホバの証人は世界中で伝道活動を拡大し,「偽りの宗教の終わりは近い!」と題する「王国
ニュース」第37号を配布しました。この強烈な音信にどんな反応があったでしょうか。「よくぞやってくれた」と,スウェーデンの男性は言いました。偽りの宗教の偽善に心を痛めていたのです。「王国ニュース」がきっかけで,この男性も含め,多くの人が聖書研究を始めました。
ネパール
ディルはカトマンズで,ある男性に「王国ニュース」を配布しました。教会員だが,自分の飲酒の問題のために2か月前に妻が出て行ったという人でした。ディルが夫のブッダとともに再訪問し,「王国ニュース」について話し合うと,その男性は,一部の教会員の行状を快く思っていないことや,エホバの証人から聞く事柄は教会で聞いた事柄とはかなり違うということを話してくれました。ブッダ兄弟は,啓示 18章2-4節を見せて,「大いなるバビロン」から出ることの重要性を強調しました。3度目の訪問で,「求め」のブロシュアーの第13課を用いて研究が始まりました。5度目の訪問の時,家に戻って来ていた奥さんにも会いました。奥さんはエホバの証人について知っており,音信を好意的に受け止めていました。7度目の訪問の時には夫婦一緒にブロシュアーを学び,奥さんは,「うちの人はもうお酒を飲んでいません」と言いました。
ブラジル
「王国ニュース」を受け取ったバイクタクシーの運転手は,それを宣伝するために自分の上着の背中に幾日か張っていました。それで乗客は目的地に着くまでいやでもそれを目にしました。
ブラジルの二人の姉妹は,ある家を訪問しようとして,「入ってもよいが,生きては出られないぞ」という表示を見つけ,ぎょっとしました。怖くなって,二人の兄弟に,どうしたらよいか尋ねました。兄弟たちは,自分たちがその家を訪問することにし,エホバに導き
を祈り求めてから,手をたたいて来訪を告げました。出て来た家の人は警察官で,友好的な態度で「王国ニュース」を受け取りました。家の改修中で裏庭にたくさん建築資材を置いてあるので,泥棒を追い払うためにあの表示を掲げた,ということでした。再訪問がなされ,聖書研究が取り決まりました。モンゴル
ツェツェグマーは,姉への証言を何度か試みていました。姉は集会に数回行ったことがあり,記念式に2年続けて出席しましたが,乗り気にはならず,聖書研究は断わっていました。ところが,ツェツェグマーの家で「王国ニュース」第37号を見て,関心を持ちました。話し合いが2時間続き,姉からの多くの質問にツェツェグマーは聖書を用いて答えました。姉は聞いた事柄に驚き,もっと学びたいと言いました。今では,定期的に聖書研究を行なっています。
グルジア
証人たちがある女性に「王国ニュース」を紹介したところ,宗教に関するものですかと聞かれました。そうですと答えると,その人は「王国ニュース」を手に取って,必ず読みますと言いました。再訪問の時に,その女性は,自分は正教会に欺かれていたのでしょうかと述べました。世界の現状や若者の道徳の低下を気にかけており,子どもたちとの共通の土台を築くことの難しさを感じていました。証人たちはテモテ第二 3章1-5節に注意を引き,『聖書の教え』の本を配布しました。証人たちが帰る時に,その女性はこう言いました。「あなた方の宗教が真の宗教だと確信しています。若い皆さんも,きちんとした服装をし,正直で,高い道徳規準を持っておられて,本当に立派だと思います」。この女性は今では,わたしたちの雑誌を定期的に愛読しています。
バングラデシュ
19歳の姉妹リケルは,まだ伝道されたことのない
区域で「王国ニュース」第37号を配布しました。自分の家からかなり離れた場所でしたが,これは特別なキャンペーンなのだから行かなくてはと思ったのです。2軒目の家で,クリスチャンだと言う二人の女の子に会いました。父親を2か月前に亡くしたばかりで,「わたしたちがこんな目に遭うのをなぜ神様は許されたんですか」と質問してきました。聖書からの答えを聞いた二人は,「王国ニュース」を喜んで受け取り,「神様があなたを遣わしてくださったんだわ」と言いました。リケルがその子たちの霊的な必要を見て取り,聖書研究を勧めると,二人はすぐに応じました。よく学び,たくさん質問をします。リケルはいろいろ調べなければなりませんが,霊的に飢えている人に真理を教えることから生まれる満足を実感しています。アルメニア
正規開拓者のエリーザのところに,以前の研究生のリリトから電話がありました。「お願いだから,明日の予定をとにかくキャンセルして,研究を再開するためにわたしのところに来てちょうだい」と言うのです。何があったのでしょうか。リリトは,以前に聖書の研究を始めた時,夫から「おれかエホバか,どっちかにしろ」と言われ,研究をやめました。2年たって,公園で子どもたちを散歩させている時に,「王国ニュース」第37号を受け取りました。再び関心が呼び起こされ,思い切って夫にこう言いました。「あなたは50年ほど健康に生きて死ぬのでいいかもしれないけれど,わたしはそれじゃ嫌なの」。そして,聖書を研究すれば自分の良くない性格を克服できると夫に請け合ったので,夫も反対をやめました。今では,夫の了解のうえで研究を行なっており,研究の間は夫が子どもの面倒を見てくれています。
カンボジア
この特別なキャンペーン中,宣教者のユーグは,イスラム教徒の男性に会いました。その人は「王国ニュース」を読んで,宗教が戦争にかかわるべきではないことに同意しました。自分の宗教に幻滅しており,過激派のせいで悪評が立ってしまったと嘆いていました。ユーグは,詩編 46編9節を読み,戦争のない世界に関する神の約束を伝えました。翌週,『聖書の教え』の本を紹介しました。その男性は,聖書を高く評価し,定期的に聖書研究を行なっています。
ロシア
二人の姉妹から「王国ニュース」を受け取った正教会の司祭はこう言いました。「あなた方が真理を持っていることは分かっています。あなた方の神エホバが偽りの宗教をすべて滅ぼしてあなた方の宗教だけを残す,ということも」。そして,天的な希望と地上の楽園について自分が知っている事柄も話しました。姉妹たちは,滅ぼされると分かっている宗教にとどまっているのはなぜ
ですかと尋ねました。「わたしの職業だからです。アパートを3部屋,車を4台持っています。それらを手離すことなどできません」と司祭は答えました。記念式を宣伝する特別なキャンペーン
2007年4月2日,月曜日,世界じゅうのエホバの証人が主の晩さんを守り行なうことにより,神の過分のご親切と愛をたたえました。この大切な式に備えて,3月17日から4月2日までの期間,全世界で特別な招待状が配られました。活動の増し加わるこの時期に,多くの聖書研究生や子どもたちが良いたよりの伝道を始めました。
米国
記念式の晩,ニューヨーク市ブルックリンにあるエホバの証人の世界本部で当番をしていた兄弟は,2時間ほどの間,記念式の会場を問い合わせる電話の応対に追われました。招待状を受け取ったので出席したい,という人が大勢いたのです。ある女性はこう言いました。「いま帰宅したところですが,今晩の式の招待状が入っていました。出席したいのですが,何時から始まるのでしょうか」。
16歳の少女ジャクリーンは,記念式の招待状を担任の女の先生に渡して,その式の大切さを説明しました。驚いたことに,先生は来られました。式はエホバの証人の大会ホールで行なわれ
たので,式のあとジャクリーンは先生を施設内のあちこちに案内しました。先生は,何もかも清潔で整然としていること,特に施設全体が自発奉仕者たちによって建設され維持管理されていることに感心されました。そして,記念式の話に感銘を受けたと述べ,「聖書研究ができるって言われていたけど,どうすればいいのかしら」と尋ねました。ジャクリーンは喜びにあふれ,「わたしに言ってくださればいいんです」と言いました。こうして毎週月曜日の放課後,先生と聖書研究を行なうようになりました。南アフリカ
町から遠く離れた所の,9人の奉仕者から成る会衆は,記念式の招待状を500枚依頼したのに1枚しか来なかったので,不思議に思いました。あとで分かったことですが,支部から送られてきた小包の郵送ラベルがはがれていたため,地元の郵便局は届け先を特定できず,郵便局員が受取人か差出人を知るため
に小包を開けました。すると記念式の招待状が入っていたので,これは配らなければならないと思い,私書箱に1枚ずつ入れたのです。こうして,招待状はすべて配られました。兄弟たちは,会衆の私書箱に招待状が小包として届けられず1枚しか入っていないのを見て,そういうことではないかと思いました。9人の奉仕者は,記念式に42人もの人が出席したのを見て心を躍らせました。その多くは,私書箱に入っていた招待状を持ってやって来たのです。イタリア
パトリツィア姉妹は聖書研究生のガブリエラに記念式の招待状を渡して,出席することの大切さを説明しました。ガブリエラの5歳の息子マッティアは,その会話を注意深く聴いていて,招待状を学校の先生にも上げたいので1枚欲しいと言いました。翌日,マッティアは担任の女の先生に招待状を渡して,記念式がどれほど大切かを説明し,ぜひ来てほしいと言いました。数日後,保護者会が開かれた時,先生はガブリエラに,マッティアがあれほど熱心に勧めるのだからわたしも記念式に行ってみようと思う,と言いました。そして,ガブリエラとマッティアに伴って記念式に出席しました。先生は,注意深く話を聴き,どの子も皆とても行儀が良いことに感心しました。そのあとで,記念式がマッティアの言ったとおり大切なものである理由がよく分かった,と言いました。後ほど,マッティアは先生の息子さんのために「わたしの聖書物語の本」を1冊プレゼントし,ガブリエラとパトリツィアは先生とさらに話し合う約束をすることができました。
メキシコ
エホバの証人のある長老が長老派教会の牧師に伝道し,記念式に招待したところ,その牧師は招待状を喜んで受け取りました。さらに,長老にとっては意外なことでしたが,招待状を教区民にも渡したいので,もっともらえないだろうかと言いました。
兄弟たちは記念式の晩に,その牧師が教会員を40人も連れてやって来たので,大変うれしく思いました。それらの人は各自,入口で提示するために招待状を持っていました。牧師によれば,もっと多くの人が来たかったのだが,招待状がなければ出席を許可されないだろうと思った,とのことです。会衆の11人の奉仕者は,記念式に191人も出席したので大喜びしました。オーストラリア
エホバの証人と聖書研究をしている若い男性が,勤め先のスポーツクラブで他の人たちに,自分の聖書研究について話すようになりました。それを聞いたある女性は,記念式の招待に応じました。この人は十代のころに王国会館の近くで歌声を耳にして,両親に自分も出席してもいいかと尋ねたところ,エホバの証人とは一切かかわりを持たないようにと言われました。それでも何度か集会に行ったのですが,家族と共に引っ越したあと,エホバの証人と連絡が取れなくなっていたのです。この女性は,記念式に出席していた時にある姉妹を紹介されて,聖書研究を始めました。会衆の集会にも出席し始め,夫も関心を示すようになりました。一方,スポーツクラブで働いている男性も,伝道者になる資格を身につけ,バプテスマに向けて進歩しています。
カザフスタン
真理に関心を持つある女性は,自分には小さな子どもたちがいるので記念式には行けない,と言いました。ところが,記念式の当日,5歳になる娘が,身支度をして一人で王国会館へ行ってしまったのです。女性は娘がいないことに気づいてすぐに捜し始めましたが,もしかしたら記念式に行ったのではないかと思いました。案の定,娘は王国会館にいました。その女性も,せっかくここまで来たのだからということで,娘の隣に座って話に注意を傾けることにしました。
良いたよりを法的に確立する
フランス
フランス当局は1996年以来,ルビエのベテル家族の成員に与えられる払い戻し金に対して支部が税金を支払うべきである,と主張してきました。しかし,2007年3月28日にパリの行政裁判所は,ベテル家族の成員は給料制で雇われているわけではないゆえに税金を納める必要はない,という判決を下しました。裁判所はこう述べました。「ルビエにあるベテルの正式な成員となっているエホバの証人の教団とのつながりは,本質的に霊的専心の念に基づいている」。この判決はベテル家族の活動が宗教的性質を持つことを裏付けるものであり,ブラジルの高等行政裁判所で下された判決と調和しています。
別の件ですが,リヨン市は,エホバの証人が記念式のために公会堂を借りようとした際,許可しませんでした。しかし2007年3月15日,行政裁判所の裁判官は同市に対し,エホバの証人に公会堂を貸すよう命じました。同市は国務院に上訴しましたが,国務院は行政裁判所の判決を支持し,同市の対応は「基本的自由である集会の自由を侵害する,重大かつ明白な違法行為」であると述べました。国務院はさらに同市に対し,エホバの証人の地元の団体に弁護士費用を支払うよう命じました。
このリヨンでの有利な判決にもかかわらず,フランスのエホバの証人は依然として反対者やメディア,また政府関係者の標的になっています。例えば,2005年の公開インタビューでフランス国民議会の元議員は,エホバの証人のことを「マフィアさながらのピラミッド型の組織」と非難しました。エホバの証人はこの中傷的な発言について裁判で争った結果,ルアンの控訴院は2007年7月,証人たちに有利な判決を下し,元議員の「行き過ぎた発言は誠意を全く欠くもので,言論の自由の域を超えている」と述べまし
た。フランス政府は,エホバの証人協会に対する不当かつ違法な課税を求め続けています。この件は現在,ヨーロッパ人権裁判所で審査中であり,兄弟たちはエホバが支えてくださるという確信を保っています。ウズベキスタン
兄弟姉妹が逮捕されたり,拘置されたり,暴行を受けたりする事件が1,000件以上,報告されています。逮捕の大半は,2005年と2006年の記念式の時に起きました。とはいえ,うれしいことに2007年には記念式に関連して問題は何も生じませんでした。しかし,その平穏な時期もつかの間で,一人の兄弟と一人の姉妹が逮捕され,宗教を教えたとの罪で有罪判決を受けました。妻と二人の子どものいるその兄弟は,2年の実刑を宣告され,すぐに刑務所に入れられました。姉妹は2年間の思想矯正労働を言い渡され,賃金の20%が懲罰として政府により差し引かれることになりました。
グルジア
ヨーロッパ人権裁判所は2007年5月3日,エホバの証人への宗教上の暴力行為を容認したグルジア政府にとって不利な判決を全員一致で下し,被害者に賠償金を支払うよう命じました。1999年10月から2002年11月にかけて,エホバの証人に対する暴行が138件生じました。中には,警察官が居合わせたにもかかわらず,証人たちを保護しなかった事件もありました。同裁判所の裁定によれば,グルジアの前政府は兄弟たちを宗教的過激派から保護しなかったことにより,ヨーロッパ人権条約の義務に違反しただけでなく,兄弟たちの信教の自由を侵害しました。この明快な判決は,信教の自由を踏みにじるべきではないこと,また多数派が反対してもエホバの証人を保護すべきことを強力に示しました。
エリトリア
政府認可の四つの宗教に属さない宗教団体すべてが弾圧されるようになったため,この5年間エホバの証人は激しい反対に直面してきました。兄弟たちは個人の家で崇拝を行なっている時でさえ,逮捕され,拷問を受け,信仰を捨てるよう迫られることがあります。2007年4月現在,24人のエホバの証人が,集会の出席や伝道活動,また良心的兵役拒否を理由に投獄されています。3人は60歳以上であり,10人は極めて劣悪な環境におかれ,3人の兄弟は1994年から拘禁されています。兄弟たちを助けるためのさらなる努力は今のところ功を奏していませんが,わたしたちは兄弟たちが早く解放されるという望みを保つと共に,ご自分の僕を「虐げと暴虐から」請け戻してくださるエホバに頼り続けます。―詩 72:14。
アンドラ
1973年以来申請し続けていた法的な認可が,2006年12月14日,ついに与えられました。アンドラには150人を超える王国伝道者がいます。
韓国
これまで50年にわたり,韓国の兄弟たちは兵役拒否のために刑務所に入れられてきました。投獄の結果亡くなった兄弟も5人います。ユーン兄弟とチョイ兄弟は法的な救済策を得るため国内で手を尽くした後,国連の規約人権委員会に自分たちの受けた判決について訴えました。2006年11月3日,同委員会は韓国政府が兄弟たちの人権を侵害しているとして違反ありとの判定を下し,兄弟たちに賠償金を支払うよう命じました。さらに韓国政府に対し,他の良心的兵役拒否者に自分たちの信念を曲げるか,懲役刑を受けるかの二者択一を強要しないよう,何らかの手段を講じることを勧告しました。毎月70人ほどの兄弟たちが刑務所に送られています。
この問題に直面する兄弟たちはこれまで,1年半の服役を求める
判決にただ従っていました。しかし近年,若い兄弟たちの多くは上訴することにし,結果として何百もの訴訟が控訴審で争われています。そのため韓国政府は,民間の監督の下で一種の代替奉仕を行なわせる意向を発表しました。これが実現するかどうか,またその代替奉仕が良心的に行なえるものかどうかは,将来明らかになるでしょう。アルゼンチン
2007年7月,法務大臣はある決議を承認しました。それはダニエル・ビクトル・グアグリアードが聖書によって訓練された良心に基づき軍役に服すことを拒んだため投獄されたのは不当だったことを認めるものです。今回の決定は,不当に投獄された他の良心的兵役拒否者にも有利に働くかもしれません。
アルメニア
19人の兄弟たちが代替奉仕を拒んだことで刑事訴訟を起こされました。その代替奉仕はクリスチャンの中立の立場を曲げさせるものだったのです。兄弟たちはその後,2006年9月に,刑事訴訟が取り下げられたことを知らせる手紙を検事総長から受け取りました。それでも政府は,クリスチャンにとって受け入れられる代替奉仕をいまだに取り決めていません。そのため2007年の半ばまでに71人の若い兄弟たちが最高3年の刑に服しています。
バハン・バヤティアンは,アルメニアで起訴され投獄された多くの若い兄弟たちの一人です。1年半の刑の宣告後に検事は,兄弟の良心的兵役拒否は「根拠がなく,危険」であるとして,さらに厳しい刑を求めました。上訴裁判所はこれを受け入れ,刑期を1年延ばし,それは最高裁判所によって確定されました。そのためバヤティアン兄弟は,ヨーロッパ人権裁判所に提訴しました。同裁判所はその訴えを受理し,事情を詳細に調査する姿勢を示しました。この件において有利な判決が下され,バヤティアン兄弟や同様
の問題に直面している他の人たちの助けとなることを,わたしたちは期待しています。アゼルバイジャン
この国では,エホバの証人が法的に認可されているとはいえ,兄弟姉妹は依然として多くの困難に直面しています。例えば,2006年12月24日,200人を超える兄弟姉妹や関心を持つ人たちが聖書の講演を聞く平和的な集会をバクーで開いていた時,武装した警察官が集まりをやめさせようとしてテレビの取材陣や地元の役人たちと共に現われました。警察は捜索令状がないにもかかわらず,借りていた施設のドアを壊して入り,出席者を拘束しました。少なくとも二人が殴打されました。警察は大量の聖書文書や寄付箱,法律関係の書類,そして聖書や聖書文書の翻訳のために使われていた幾つかのコンピューターを押収しました。拘束された人々のほとんどはその日のうちに解放されましたが,外国から来ていた6人は,「宗教的宣伝活動に携わった」との理由により国外退去させられました。兄弟たちは兵役を拒否したために投獄されています。文書の輸入も困難になっています。
イスラエル
ハイファ地方裁判所は2007年2月5日,ハイファ会議場(ICC)が施設をエホバの証人の大会のために使用させなかったのは不公平な対応に当たる,という判決を下しました。同裁判所はICCに対し,賠償金として訴訟費用の一部を支払うように命じました。司法長官は,ICCには「すべての顧客を平等に扱う経営上の基本的責務」があり,「この件では責務違反があった」との見解を示しました。イスラエルの兄弟たちは,この有利な判決によって崇拝のためにより大きな集まりを開くことが容易になるでしょう。
タジキスタン
聖書文書の積み荷が2度にわたり税関職員によって没収され,文書や組織に禁令を課すよう文化省に求める動きがありました。こうした敵対的な雰囲気が高まったため,ギレアデでの訓練を受けた二人の宣教者は国外追放になりました。その後,2007年10月11日,当局はエホバの証人の活動を禁止しました。これらの不当な行為すべてに対して訴えがなされています。2007奉仕年度中14%の増加があったこの産出的な畑で伝道を続けられるよう,エホバが道を開いてくださることをわたしたちは祈っています。
ウクライナ
2007年5月12日にリボフ・スタジアムで特別集会が行なわれることになっていましたが,その前日,スタジアムの管理者が反対者たちの圧力を受けて使用許可を取り消しました。エホバの証人が都市の平和を脅かさないことをスタジアムの管理者に対して説得してもらうため,ウクライナとアメリカの政府当局者にすぐに連絡が取られました。特別集会の当日になっても話し合いは続いていました。しかし,その間に大勢のエホバの証人が車やバスや電車でウクライナ各地からリボフへ続々と集まり出しました。スタジアムの閉まったままのゲートの外で静かに集合した兄弟たちは,温かい交友を楽しみながら待ち,王国の歌を歌うこともしました。すると突然,プログラム開始時間のわずか20分前に,納得したスタジアムの関係者によってゲートが開けられ,入場が許可されたのです。2万7,000人を超える兄弟姉妹がスタジアムに入って行き,地帯監督による励みとなる話を楽しみました。
トルクメニスタン
この国では,エホバの証人は法的に認可されていません。比較的平穏な時期もありましたが,当局は再び兄弟たちを迫害し始めています。しかし兄弟姉妹は勇敢かつ思慮深くマタ 10:16)3人の若い兄弟が兵役を良心的に拒否したため拘束され,3人とも有罪判決を受けました。2人は執行猶予付きの刑を宣告されましたが,1人は1年半の実刑判決でした。刑務所の環境が劣悪なため,兄弟の窮状に対して国際的な関心が集まっています。弁護士である国外の兄弟たちは,法廷で兄弟たちを弁護するためビザを申請しましたが却下されました。しかしどんな人間の権威者も,わたしたちが助けを求めて至高者にささげる祈りを妨げることはできません。―テモ一 2:1,2。
集まり合い,近隣の人々に良いたよりを伝えています。(カザフスタン
エホバの証人がまだ認可されていない地域に住む姉妹の家で集会が開かれていた時,検察当局の6人の役人が踏み込んできました。5人の姉妹とその場にいなかった1人の兄弟に多額の罰金が科されました。それらの兄弟姉妹は控訴の手続きをしました。
トルコ
2007年7月31日,トルコ支部は「エホバの証人支援協会」が公式に登録されたということを知り,喜びにあふれました。この登録は2年以上の期間を経て承認されましたが,その間には支部の定款の合法性に関して政府からの異議申し立てもありました。イスタンブールの下級審が定款の適法性を認めると,政府は最高裁判所に上訴しました。しかし最高裁は下級審の判決を支持し,エホバの証人の登録が可能になりました。協会として登録されたことにより,支部は宗教法人として,土地を購入し所有すること,大会会場を借りること,寄付を受け取ること,法廷でエホバの証人を弁護することが可能になりました。
「王国ニュース」第37号を配布していた二人のエホバの証人が,「人々を混乱させた」として訴えられ,罰金を科されました。しかしながら,イスタンブール・シシュリ平和裁判所は罰金を取り消し,
「エホバの証人が出版物を紹介したことは……思想の自由と信仰の自由に沿うものであり」,トルコ国民は「自分の信仰を広める自由を有する」と述べました。それでも,トルコの兄弟たちには中立の問題など別の試みもあります。兵役年齢にある兄弟たちは,投獄されたり罰金が科されたりする恐れがあるのです。これらの報告の幾つかから分かるとおり,エホバの証人は,神を崇拝する権利に関してヨーロッパの国から異議が唱えられた際,しばしばヨーロッパ人権裁判所に訴えてきました。2007年の半ばまでで,中立の問題,法的な認可,迫害などに関して22件の申し立てが行なわれています。ヨーロッパであれ,ほかのどの場所であれ,こうした試みに直面している兄弟姉妹は,わたしたちの祈りによる支えを確かに必要としています。―コリ二 1:10,11。
忠実と忠誠
この「年鑑」にあるロシアのエホバの証人の歴史に関する部分からは,禁令が課されていたソビエト時代に,兄弟たちがどのように忠誠を保ったかを知ることができます。その反対は残忍で過激なものでした。とはいえ活動を自由に行なえる国々でも,サタンとその胤は,より狡猾な方法で執拗にわたしたちの忠誠を砕こうとしています。しかし,エホバの僕は忠実を保ちます。そうする時,エホバはどんなにか歓ばれることでしょう。(箴 27:11)世界中の神の民が日常のいろいろな状況でどのように信仰と忠節を表わしているかを示す経験を幾つかご紹介しましょう。
スウェーデン
私立病院で働くある開拓者の姉妹にとって,同僚からの性的な誘いに抵抗することは常に難しい問題となっています。しかし,姉妹は効果的な方法でそうした誘いを未然に防いで
います。まず,自分がエホバの証人であることを新しい職員に早くから告げ,結婚していることについてよく話すようにしています。夫婦のきずなが強いことを印象づけるために,折に触れて夫との共通の関心事について同僚に話します。ある患者について医師と二人で話をしなければならないときは,ほかの人も周りにいる食堂で話し合うように取り決めています。一人で働いている部屋にだれかが不意に入ってきてドアを閉めたときは,とっさにエホバに祈り,親しみを込めつつも応対を事務レベルにとどめるようにしているということです。ドイツ
マリアンという男性はドイツ北部にある会社に13年間勤めています。シフト制で働いているので,平日の集会の出席が難しくなることがよくありました。こう言っています。「集会を本当に大切だと思っているので,残念でした。すべての集会に出席できるよう助けてくださいとエホバに何度もお願いしました」。マリアンは直属の上司に近づく勇気を祈り求めました。するとその上司は,仕事が終わっていれば,集会がある日は早めに帰宅してもよいと言ってくれました。上司が別の人に変わるまではうまくいっていましたが,新しい上司は早めに退社することを許してくれませんでした。マリアンはどうしたでしょうか。「社長に相談する旨を新しい上司に敬意をこめて伝えました」と述べています。マリアンは社長に立派に証言し,集会に出席したい理由を説明しました。社長は,同じ時間帯に働く従業員の同意を条件に,集会の日に早く帰ることを認めてくれました。それでマリアンは同僚を集めて事情を説明し,良い証言をしました。今では平日のすべての集会に出席することができています。「集会に出席するには大変な努力が必要でした。しかしエホバへの熱烈な祈りによって普通を超えた強さが得られました」とマリアンは語っています。
イギリス
16歳のソフィーにとって,学校の友達から何度もパーティーに誘われることが信仰の試みとなりました。こう語っています。「行ってみたいパーティーもありましたが,結局は害になるような状況になって後悔するのは分かっていました。この前,ある子からパーティーの誘いを受け,ちょっとした“集まり”だからと言われました。少しして,その週末がその子の誕生日と重なるのが分かりました。行かなくてよかったと思います。なぜなら,夜に親が留守にしている間に,同級生の多くがお酒を飲んで酔っ払ったと後から聞いたからです。真理にいる人で,霊的な励みを与えてくれるいろんな年齢の人たちとレクリエーションを楽しむほうが,やっぱりいいと思います。わたしは弟と一緒に,自分たちより年上の人や年下の人を音楽会のために家に招いたり,バーベキューやハイキングに誘ったりします。それで,もしパーティーに誘われたら,エホバとの関係にどう影響するかを考えるようにしています。正しいことを行なって何かを得損なうことは絶対にない,ということが分かるようになりました」。
イタリア
17歳のジョバンニは学校で女の子たちから何度か誘いを受けていましたが,その中に特にあきらめずに迫ってくる子がいました。ジョバンニが少しも関心を示さないのに気づいたその子は,次のような手紙を書いてきました。「わたしたちはきっとうまくいくわ。あなたのことが頭から離れないの。あなたの性格が好き,でもそれだけじゃない。お返事待ってます。愛を込めて」。手紙の終わりにはその子の名前が書かれ,封筒にはキスマークが付いていました。「正直言って,その後の何日かは大変でした。あの子みたいにきれいな子にはもう会えないんじゃないか,と考えました。クラスメートに知られると,付き合うよう勧められました。『こんなチャンスを無駄にするなんてもったいない。断わったらばか
だよ』と言うんです。でも,クリスチャンとしての自覚が薄れかけているのを感じました。エホバに祈り,両親に話しました。僕がこんな状況に直面するとは思ってもみなかった親は,最初驚いていましたが,集中的な聖書研究を一緒に行なってくれました。特に『若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え』の本を用いました。会衆の円熟した兄弟たちにも話しました。おかげで,正しい決定を下し,女の子の誘いを断わることができました。クラスメートは僕の意志の強さを知って一目置いてくれています」。メキシコ
37年前にバプテスマを受けた59歳のアントニオはこう語ります。「19歳の時に,若年性関節リウマチと診断されました。この病気のために35年間,車いすのとても不自由な生活を余儀なくされてきたので,やりきれない気持ちになることがあります。時には落胆することもあります。しかし,体調が許す限りクリスチャンの活動に忙しく参加することによって,強められています」。7年前に,アントニオの状況はさらに困難なものになりました。世話をしてくれていた母親が亡くなったのです。アントニオはどのように乗り越えたのでしょうか。こう述べています。「その時以来わたしは,エホバがご自分の僕を見捨てることなく,いかに必要な助けをお与えになるかを見てきました。会衆は一人の兄弟がわたしの世話をするように取り決めてくださいました。
生活必需品のため金銭的に援助してくださる兄弟たちもいます」。アントニオは王国の約束すべてが成就する時のことを心待ちにしています。「あなたの天幕の場所をもっと広くせよ」
「あなたの天幕の場所をもっと広くせよ。そして,彼らにあなたの壮大な幕屋の天幕布を張り伸ばさせよ」。(イザ 54:2)この預言の言葉の目覚ましい成就として,より多くの崇拝の場所やより大きな支部施設がかつてないほど必要とされています。過去1年間に世界中で様々な建設工事が行なわれましたが,以下に挙げる六つの支部の献堂式はエホバの証人たちに,とりわけ大きな喜びをもたらしました。
プエルトリコ
前回,支部施設が完成してからわずか13年で拡張工事が必要になりました。部門の数が増えたからです。2006年9月16日の土曜日,統治体の成員デービッド・スプレーンによって献堂式の話が行なわれました。
コロンビア
2006年11月11日に30か国から来た兄弟姉妹たちがコロンビア支部に集まり,ボゴタの北西約42㌔に位置するファカタティバにある拡張された施設の献堂式に出席しました。出席者は3,605名でした。30年ないし40年ぶりに再会した人たちも多く,愛の抱擁が交わされました。そして全員が喜びのうちに,統治体の成員ゲリト・レッシュによって行なわれた献堂式の話を聞きました。
フィジー
フィジーの首都スバの中心から歩いてわずか5分の,港を一望できる高台に,美しい支部事務所が建てられました。2006年11月11日の土曜日に,統治体の成員ジェフリー・ジャクソンが410名の聴衆に対して献堂式の話を行ないました。
ブルンジ
2006年11月25日は,アフリカ中央部のこの美しい国に住むエホバの証人たちにとって忘れがたい日となりました。11か国から来た1,141名は,統治体の成員ガイ・ピアースと共に,魅力的な新しい支部施設の献堂式に出席できたことを喜びました。エホバの祝福が注がれていることは明白であり,さらに多くの人がエホバの崇拝に加わることが見込まれています。
ルワンダ
禁令や内戦など,多難な30年間を経験したルワンダの兄弟姉妹は,新しい支部事務所の献堂式にガイ・ピアースを迎えることができて,大喜びしました。この美しい建物は,魅力的な庭園と見事に調和しています。
集団虐殺という悲劇によって少なからぬ兄弟たちが殺されましたが,エホバの業は“千の丘の国”と呼ばれるこの国で引き続き繁栄を見ています。2006年12月2日の土曜日に献堂式が行なわれ,553名がそのプログラムに出席しました。その中には,15か国から来た112名の代表者が含まれていました。
ウガンダ
2007年1月20日の土曜日,首都カンパラの南のはずれに建てられた新しい支部の献堂式が行なわれました。出席者は665名を数え,その中には20ほどの支部から来た170名の代表者と,献堂式の話をした統治体の成員アンソニー・モリスが含まれていました。
『エホバは大いなることを行なわれた』
エホバが過去1年間に行なわれた驚嘆すべき業を考えると,わたしたちは確かに歓ぶことができます。わたしたちは声を合わせて,詩編作者の次の感謝の言葉に和します。「エホバは,わたしたちに対して行なったことにおいて大いなることを行なわれた。わたしたちは喜びに満ちた」。―詩 126:3。
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まさに世界中で
「王国ニュース」が本当に世界中で配布されているのかどうかを疑う人もいました。例えば,ブラジルの男性も疑いを抱き,伝道者たちを待たせて,米国にいる友人に電話し,受け取ったかどうか確かめました。「ああ,10分前に受け取ったよ」という返事でした。感心したその男性は,「王国ニュース」を受け取り,きちんと読むと約束しました。
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会衆の私書箱に招待状が1枚だけ入っていた
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野外宣教に出かけるアントニオ
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支部の献堂式
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