全地で宣べ伝えて教える
全地で宣べ伝えて教える
アフリカ
国や地域 57
人口 8億4,858万2,269人
伝道者 112万2,493人
聖書研究 220万2,217件
ルワンダ
9歳の少女が学校から帰る途中,大金の入った小さな袋を道で見つけました。少女の家族はエホバの証人と聖書を学んでいました。それで,聖書から学んだことを当てはめることにして,落とし主を探し,お金を返しました。その男性は,「正直だったご褒美としてお金をもらったら,何に使うかな?」と少女に聞きました。
「聖書を買います」と少女は答えました。
男性は驚いて,「お嬢ちゃんはずいぶん古い服を着ているから,洋服とか靴を買うのかな,と思ったよ」と言いました。少女が,絶対に聖書のほうがいいと言うので,男性は,なぜ少女の家族がお金を返してくれたのか知りたくなりました。その家族がエホバの証人と聖書を学んでいることを知ると,男性は聖書を2冊買い求めました。1冊は少女のために,もう1冊は自分の家族のためにです。そして,エホバの証人に来てもらい,家族で聖書研究をすることにしました。どちらの家族も霊的によく進歩しています。
中央アフリカ共和国
テオドラは,エホバの助けにより,とても内気な性格を克服することができました。テオドラはクリスチャンの家庭で育ちましたが,恥ずかしがり屋だったので,王国会館での集会にほとんど出席しませんでした。集会に出席するようになっても,独りで座って,だれとも口をきかず,閉会の歌と祈りが終わるとすぐに
帰ってしまいました。しばらくすると,王国会館にとどまるようになりましたが,だれかがあいさつに来ても,手を出して握手することはめったにありませんでした。やがて集会で注解したり,ほかの人たちに自分から近づいてあいさつしたりするようになりました。テオドラはもう一歩大きく踏み出して,野外宣教に参加し始めました。近所の女の子たちにからかわれた時は,伝道をやめたいと思いましたが,エホバに頼って力を祈り求めました。今ではバプテスマを受けた姉妹になっており,補助開拓を行なっていて,集会では立派な注解をしています。そして,聖書研究を4件司会しています。そのうちの1件は,テオドラをよくからかっていた人との研究です。マダガスカル
ある巡回監督とその妻は,田舎の会衆に向かっていた時,斧や槍を持った牛泥棒の一味に出くわしました。姉妹は,無言で勇気を祈り求めてから,その泥棒たちに「平和な新しい世での生活」のパンフレットを差し出しました。そして,こう言いました。「今は,恐れを抱きながら暮らす世の中ですが,神は間もなく邪悪な者を滅ぼして,平和の行き渡る新しい世をもたらしてくださいます」。泥棒の一人がよく耳を傾けて,パンフレットを受け取りました。
1年後のある大会で,一人の男性が姉妹に会いに来て,私を覚えていますかと尋ねました。そして,私はあの田舎道で会った泥棒で,パンフレットを受け取った者ですと言って,次のように説明しました。「一仕事終えて引き揚げる途中で,あなたにお会いしました。あなたの言葉には考えさせられました。『警察や兵士なら,逃げられるから恐くなんかない。だが,神が悪者を滅ぼすとなると,自分は逃げられるだろうか』と思ったんです。それで,もっと調べることにして,家に帰ると,特別開拓者と研究していた近所の人を訪ねました。そしてその開拓者と聖書を勉強することにしました。私はこの大会でバプテスマを受けるんですよ」。
モザンビーク
マダレーナは30歳を過ぎたばかりだった1992年に自動車事故に遭い,下半身不随になってしまいました。以来,めったに家から出なくなりました。3年後のある日,エホバの証人が家の外で,マダレーナの父親に話しかけました。この父親は伝統的な宗教の指導者で,自宅の裏庭で集会を開いている人でした。マダレーナは,兄弟たちが父親と話し,自分について尋ねているのを耳にしたので,兄弟たちに家の中へ入ってもらいました。そして,自分に誠実な関心を払ってくれることに感激しました。聖書研究の勧めに応じ,学んだことに強い関心を示しました。証人たちはマダレーナの熱意を見て,集会へ行くのを助けるなど,いろいろと実際的な方法で援助しました。そのような助けが与えられ,マダレーナは2002年にエホバへの献身を象徴することができました。
マダレーナの両親は,娘に対する証人たちの気遣いに深い感銘を受けました。母親は集会に出席するようになり,夫の宗教をやめ
ました。父親は最初のうち,今の宗教を絶対にやめないと言っていましたが,やがて自分も集会に出席し始めました。信者たちは当然,自分たちの指導者であるこの人に圧力をかけてきました。しかし,父親は自分の立場をはっきりさせて,宗教関係の物品を全部焼き捨てました。そして2007年に妻と一緒にバプテスマを受けました。現在,その家族は全員が霊的に活発なクリスチャンになっています。ジンバブエ
デシベルという9歳の少女はクラスメートや先生方に証言しています。ある日,担任の先生が暗い顔をしていることに気づきました。それで,先生のところに行って,何か悲しいことがあったのですか,と尋ねました。先生は,姉の子どもが死んでしまったの,と言いました。デシベルは,いいものを持ってきます,と先生に約束しました。そして,両親から「愛する家族を亡くしたとき」のブロシュアーをもらい,翌日それを持って行きました。先生はブロシュアーを数節読み,感動して涙を流しました。後日,先生は両親に手紙を書き送り,子どもをよく教えていることを褒め,苦しい時にデシベルから慰められたことを感謝しました。
ガーナ
アビゲイルは,ガーナ南部で長老派教会員の祖父母と一緒に暮らしていて,エホバの証人は偽預言者だと教えられていました。ガーナの別の土地に住む両親が証人と勉強していることを知った時,心配になって,研究をやめるように説得する手紙を送りました。しかし,効果がなかったので,1,000㌔以上離れた所にいる両親に会いに行きました。アビゲイルは,地獄が邪悪な者を責め苦に遭わせる場所ではないことを自分の聖書から知って驚き,聖書を学び始めました。そして,王国会館での集会に両親と一緒に出席するようになりました。やがてバプテスマを受けていない伝道者になり,最近の巡回大会でバプテスマを受けました。
南北アメリカ
国や地域 55
人口 8億9,813万531人
伝道者 344万9,038人
聖書研究 354万8,101件
ドミニカ
この国の女性はふつう,川で洗濯をし,洗った物を岩や石の上に干します。一人の女性は,洗濯をしていた場所の近くの浅瀬に,見覚えのある物が浮かんでいることに気づきました。それは,女性が毎週エホバの証人と勉強しているのと同じ出版物でした。女性は,その本をそばの岩の上に干しておいて,洗濯を続けました。
その日の後刻,乾いた洗濯物を取り込む際,女性は拾った本のことを忘れてしまいました。しかし,海から戻る途中の漁師たちがその黄色の本を見つけ,そのうちの一人が手に取りました。「聖書は実際に何を教えていますか」という題に心を引かれたその人は,それを読み始めました。後に,二人の開拓者の姉妹が村で伝道していた時,その漁師に会いました。漁師は姉妹たちに,14万4,000人だけが天に行くことや,神の王国は1914年に誕生したこと,また,地球は間もなく楽園になることなどを話しました。姉妹たちが,そのようなことをどこで知ったのですかと尋ねると,漁師は本を見つけたいきさつを説明し,それを毎日読んでいると言いました。そして二人に見せたのは,ばりばりに乾いて膨らんだ本でした。
片方の開拓者は,自分の聖書研究生が川から拾った本に違いないと思いました。聖書研究を始めたその漁師は,毎週の討議を楽しみにしており,よく進歩しています。
ボリビア
ボリビアのアマゾン地域での伝道は,苦労も伴いますが報いの多い活動です。開拓者の兄弟姉妹10人が,テントと鍋と幾箱もの聖書文書を小さな船に積み込んで,ルレナバケから約800㌔離れたリベラルタまでベニ川を旅行しました。一行は,70余りの孤立した集落を訪れて,ブロシュアーやパンフレットや800冊を超える書籍を配布し,関心ある人たちに700回にわたって聖書研究のやり方を説明しました。その結果,再訪問の時には200人余りの人と聖書研究を行なうことができました。村を去る時には,「もう少しここにいて,教えてもらえませんか」と言われることがよくありました。ある小さな町では,研究を続けたいと思っている男性が,兄弟たちを何とか引き留めようとしました。その人は,一行が立ち去ることに憤慨して,こう言ったのです。「木を切ったんだから,加工してちゃんと仕上げなさいよ」。
カナダ
ノルマンはモントリオールの精錬所で長年働いています。休憩時間には決まって社員食堂で「日ごとに聖書を調べる」の小冊子を読んでいました。その様子を見ていた職場の同僚の幾人か
がノルマンの誘いに応じて,日々の聖句を一緒に話し合うようになりました。その短い討議の中でノルマンは,資料を家族生活と人間関係に適用するよう特に努力しました。会社幹部の一人もその討議に加わり,後でノルマンを自分の部屋に呼んで,あのような話し合いは従業員の生活にも人間関係にも良い影響があるだろう,と言って褒めました。参加者が30人を超えたので,幹部はノルマンに,工場の数か所に分かれて少人数で集まってはどうかと言いました。ノルマンはこう語っています。「現在,私は毎日三つのグループの司会をしています。同僚たちはその討議を,今日の格言と呼んで,とても楽しんでおり,私が出られないときには,参加者の一人が代わりに司会しています。そして,理解できなかった点があると,次に私が司会する時に質問してくるのです」。ノルマンはこれまで5年間,同僚たちが毎日,聖句を考慮するよう助けてきました。その結果,仕事仲間とその家族のうち,40人以上の人が真理を受け入れました。
バルバドス
89歳になるバーカー姉妹は,聖書研究を取り決めたいと思っていました。姉妹は,健康上の理由で,家から家を訪問することができません。それで,電話証言を試みましたが,成果はありませんでした。集会で祈りに関するプログラムに励まされ,聖書研究を取り決めるのを助けてください,とエホバに祈願するようになりました。それから数日後,聖書と雑誌を用意して,街路伝道をすることに決めました。人通りは少ないものの自宅の前を通りかかるすべての人に証言することにしたのです。一人の仕事帰りの男性に雑誌を受け取ってもらえました。1週間後,家の前で再びその男性に会えました。雑誌を受け取った時に幾らか興味を示した人だったので,姉妹は『聖書の教え』の本を紹介し,聖書研究を勧めました。すると大変うれしいことに,研究に応じてくれたのです。2008
年の3月末に,最初の研究を行ないました。後で分かったことですが,男性は近くに住む人でした。男性は数週間で集会に出席するようになりました。姉妹は,「エホバが祈りを聞き届けてくださることは分かっていましたが,こんなに早いとは思いませんでした」と語っています。チリ
サンティアゴで開拓奉仕をしている姉妹が,区域の中心街でタクシーから降りた時,雑誌を入れたケースをうっかり座席に忘れてしまいました。そのケースには何冊もの雑誌と,自分の名前を記した「王国宣教」が入っていました。タクシーの運転手はそれを手がかりに,付近で伝道中の証人たちの助けを借りて,二日後に姉妹を探し当ててくれました。運転手から返してもらったケースには,「王国宣教」しか入っておらず,雑誌はなくなっていました。運転手が謝りながら説明したところによると,タクシーに乗った客たちは雑誌をぱらぱらと見て,もらえるかどうか尋ねてきたということです。1日ですべての雑誌に羽が生えて飛んでいってしまったのです!
ニカラグア
カリブ海沿岸の小さな町に,軍の特別部隊の指揮官だったエルネストという人が住んでいました。その町で宣べ伝えるために別の土地から来ていた特別開拓者のハイローが,伝道中
にエルネストに会い,家庭聖書研究を勧めました。その元軍人は断わりましたが,ハイローからしきりに勧められたので,結局は研究することにしました。会話の中でハイローは,自分の父親が近くの地域で政府軍と戦った反革命軍の司令官だったことや,父親が内戦中に死亡したことを話しました。エルネストは研究を続け,進歩するようになりましたが,研究司会者にずっと秘密にしていることがありました。しかし,とうとう黙っていることができなくなりました。それで,自分の部隊がハイローの父親を捕虜にしたこと,そしてその死については自分に責任があることを,悲痛な面持ちで打ち明けました。ハイローが大きなショックを受けたことは言うまでもありません。けれども,エルネストが詳しく語る恐ろしい話と,父親の同志たちから以前に聞いていたこととが一致しているので,間違いないと思いました。エルネストのほうは,二人の友情もこれで終わりだ,と思いました。しかしハイローは,研究生に対して憎しみを抱くことなく研究を続けました。エルネストは進歩し,妻と共にバプテスマを受けました。エルネストとハイローは今も仲良くしています。ベネズエラ
この国の西部でのことです。マチケスの町の兄弟たちが,コロンビアとの国境付近のほとんど奉仕されていない先住民の土地で伝道しました。だれもが耳を傾けてくれました。ユクパ族の首長は,その地域で初めての記念式を催す許可を与えてくれました。住民や学校が椅子を貸してくれて,200名を超す人が出席しました。記念式が終わると,首長は共同体を代表して,次のような謝辞を述べました。「エホバの証人の方々にお礼を申し上げたいと思います。今後も皆さんに訪問していただきたいと願っております。皆さんは真理を教えてくださるので,心から歓迎いたします」。現在,50人以上の人が家庭聖書研究を毎週行なっています。
アジアと中東
国や地域 47
人口 40億2,665万6,360人
伝道者 61万8,088人
聖書研究 53万8,957件
台湾
ある姉妹はこう書いています。「異母兄に初めて会えました! 兄家族は交通の不便な遠方に住んでいるので,一度も会ったことがありませんでした。それで,兄が家族と一緒にはるばる会いに来てくれると聞いて,父をはじめ家族全員が大喜びしました。わたしは,兄の家の近くにはエホバの証人が一人もいないので,この機会に良いたよりを伝えたいと思いました。うれしいことに,兄の奥さんと娘が聖書に関心を示しました。でも,辺ぴな所に戻ってからもエホバの目的を学べるよう,どうやって援助したらよいのでしょう。兄の家にはコンピューターがあってインターネットにつながっていることが分かりました。そこで,夫とわたしはウェブカメラを購入し,インターネット経由で聖書研究を続けられるようにしました。この方法は意外なほど有効です。聖書や研究用の本を読んでいるときの反応を見ることができるので,どのように援助したらよいかが分かります。インターネットのおかげで遠く離れた親族に真理を伝えることができ,うれしく思っています」。
ネパール
16歳のプルナマヤは,ネパールの小さな町に住んでいます。叔父さんから証言を受け,研究を始めました。集会に行くにはバスで2時間半かかりますが,毎週1回,欠かさずに出席してい
ます。それはプルナマヤにとって大変なことです。両親が二人ともハンセン病で,家族はとても貧しい暮らしをしています。プルナマヤは炊事・洗濯などの家事をこなし,学校に通っています。そのうえ,朝早くに石を砕いて砂利を作り,家計を助けています。集会に行くためのバス代は大人の1日分の賃金とほぼ同じです。近くの教会に行ったらどうだ,と親から言われることもあります。でもプルナマヤは,エホバのことを学べるのは王国会館だけだと知っているので,できる限りの努力を払って集会に出席しています。最近,そのために腕時計を売りました。おばあさんからもらった時計です。プルナマヤは,集会で活発に注解しており,学んだことを近所の人に伝えています。プルナマヤを知っている人たちは皆,とても励まされています。マレーシア
英国の植民地だったころ,大勢の人がマレーシアに連れて来られ,ゴム農園で働かされました。その人たちが農園内で暮らしていた村が今でもたくさん
残っています。とはいえ,奥地にあって地図に載っていない村が幾つもあります。ある会衆は未割り当ての区域を奉仕し,農園内の一つの村を探し当てました。以前に雑誌を受け取ったことのある十代後半の若者二人が,伝道活動に大いに興味を示しました。そして,兄弟たちに近づいて,ほかの村に案内してあげると言いました。兄弟たちとは違い,土地に詳しいのです。二人はバイクに乗り,兄弟たちの車を先導して農園内のぬかるんだ道や凸凹道を走り,村々に案内してくれました。隣の村まで45分かかることもありましたが,エホバの証人が一度も訪れたことのない農園にも行くことができました。兄弟たちが伝道している間,二人は,雑誌を受け取って必ず読むようにと村人に勧めていました。この親切な若者たちのおかげで,全部で三つの孤立した村を訪問し,良いたよりを一度も聞いたことのない人たちにかなりの証言ができました。その週末,この会衆の50人の伝道者は5,000冊以上の雑誌を配布したのです。ヨーロッパ
国や地域 47
人口 7億3,377万5,190人
伝道者 154万2,507人
聖書研究 78万9,219件
ロシア
タチアナは脳に悪性腫瘍があります。数年前,大手術を受けた後,回復の見込みのほとんどない患者たちの病室に入れられました。死を目前にした患者が罪を告白できるようにと,正教会の司祭がやって来ました。タチアナが見ていると,一人の女性患者が力を振り絞って司祭にお金を渡しました。司祭が帰ってからタチアナが,気分が良くなりましたかと尋ねると,女性はしょんぼりと「いいえ。あの人が何を言ってるのか全然分からなかった」と答えました。そこでタチアナが復活の希望に関する良いたよりを話してあげると,女性は喜び,「おかげで気分が良くなったわ」と言いました。この一件を耳にした病院長は,司祭のその後の訪問を断わり,タチアナを個室に移してほかの患者たちも話を聞けるようにしました。さらに院長は,エホバの証人の集会場所の住所を尋ねました。タチアナは入院前,伝道を続けるための力をエホバに祈り求めていました。その祈りにエホバがこたえてくださったと確信しています。その月に報告した奉仕時間は100時間を超えました。その後,容体が悪化して,今では自宅の外に出ることができませんが,通院の際に証言した人たちが次々と訪ねて来てくれています。
グルジア
一時的な特別開拓者の姉妹二人が,エホバの証人の一人も住んでいない地域で奉仕する割り当てを受けました。新たな
区域を見て回っていた二人は,道に迷ってしまいます。帰る道を探して膝まである雪をかき分けながら歩いているうちに,疲れ果て,体が冷えきってしまいました。ふと見ると,足跡があり,その先に1軒の家があります。大きな声で呼んでみました。すると,カトゥナという若い女性が門から出てきて,ありがたいことに,暖かい家の中に招き入れてくれました。二人が自分たちはエホバの証人だと言うと,カトゥナは,ちょうど姉妹たちが雪の中をさまよっていたころ,真理を教えてくださいと家族みんなで神に祈っていた,と話してくれました。それから間もなく姉妹たちがやって来たのです。カトゥナは,これこそ祈りの答えだと言いました。今では,この家族のうち4人が聖書を学んでおり,カトゥナと姑は伝道者になっています。英国
レストンは,聖書研究を単刀直入に勧める方法を用いたことがありませんでした。試してみようと思い,最初の家のドアをノックする前に,積極的になれるよう助けてくださいとエホバに短く祈りました。そして,単刀直入に勧めたところ,アンディーという家の人はすぐに研究に応じました。レストンは,その日のうちに「聖書は実際に何を教えていますか」の本を渡そうと思いました。アンディーの家に戻るためにバスに乗ると,運転手は,いつもレストンが「ものみの塔」と「目ざめよ!」を届けている人でした。さっきアンディーの所でうまくいったので,バスが終点に着いたらこの人にも聖書研究を勧めよう,と思いました。
車内で年配の女性が,レストンがエホバの証人であることに気づき,病気の友人を訪問して祈ってやってほしい,と頼みました。レストンは,喜んでお訪ねして聖書からの慰めをお伝えしたいと答え,1冊だけ持っていた『聖書の教え』の本を使って聖書研究がいかに有益かを説明しました。すると女性は自分も研究したいと言いました。向かいの席の若い男性が二人の話を聞いていて本の
挿絵に興味を示したので,レストンはその人に本を上げました。そして,バスが終点に着いてから運転手に聖書研究を勧めました。うれしいことにその人は,ぜひお願いしたい,聖書について知りたいことがたくさんある,と言いました。レストンは急いで近くの兄弟の家に行って『聖書の教え』の本をもらい,夜になってようやくアンディーの家に着きました。アンディーは喜んで本を受け取り,聖書研究を始め,学んだ事をすぐに当てはめるようになりました。アンディーもバスの運転手も集会に出席しています。レストンは聖書研究を15件司会しています。どれも単刀直入な方法で始めたものです。レストンは今では,証言には必ず『聖書の教え』の本を数冊持っていくようにしています。フランソワと妻のモニカは,午前中の野外奉仕を終え,子ども二人と一緒に車に戻りました。でも,2歳半の娘シャエは,最後の1枚のパンフレットをどうしてもだれかに渡したいと言って,車に乗りたがり
ません。ちょうど,道の向こう側に車が止まり,女性が二人降りてきました。シャエは「平和な新しい世での生活」のパンフレットをうれしそうに渡し,モニカが内容を説明しました。シエラというその女性は関心を示し,十代の妹二人と研究をしてもらうためにモニカを家に招きました。最初の研究でシエラは,息子二人とも研究してもらえないかと言いました。やがて,シエラの甥も研究するようになりました。シエラはどの研究にも参加して沢山の質問をし,ついには自分も研究することにしました。その後,シエラの夫も,シエラの母も,家族や友人たちも研究を申し込みました。最後の1枚を渡そうというシャエの決意が,11件もの聖書研究につながったのです。研究生のうち4人は定期的に集会に出席しています。イタリア
ジェニファーは,ミラノのロシア語会衆の成員です。バレンチーナというウクライナ人女性と何度か電話で話していましたが,一度も会ったことがありませんでした。そこで,地下鉄の駅で会う約束をしました。バレンチーナは,目印として赤いジャケットを着ていくと言いました。駅に着いたジェニファーは,赤いジャケットを着た女性を見つけました。だれかを探している様子です。近づいて,「こんにちは。バレンチーナさんですか」と声をかけました。女性がはいと答えたので,「わたしがジェニファーです」と続けます。でも,何も反応
がありません。ジェニファーは戸惑いながら尋ねます。「わたしを待っておられるんですよね?」「いいえ」。この女性はウクライナ人で,バレンチーナという名前で,赤いジャケットを着ていましたが,別の人を待っていたのです。ジェニファーは笑ってしまい,事情を説明しました。そして,もう一人のバレンチーナさんに話そうと思って準備してきたことを聖書からお話ししてもいいですか,と尋ねました。バレンチーナは,いいですよと答えて耳を傾け,関心を示しました。そして,詩編 91編の言葉を手書きした紙を見せて,聖書が大好きなんですと言いました。こうして,このバレンチーナとの聖書研究が始まりました。さて,もう一人のバレンチーナはどうなったでしょうか。その後,ジェニファーと会うことができ,彼女も聖書研究を始めました。
ルーマニア
ある兄弟が知人夫婦を訪ね,聖書について話し合いました。夫婦は,夫と妻の関係についての聖書の教えに特に関心を示しましたが,忙しすぎて聖書の話し合いをする時間がほとんどありませんでした。二人は健康的な生活を心がけており,夫は毎日8㌔ほどジョギングしていました。兄弟は,聖書の話し合いを続けようと何度か試みた後,自分も一緒にジョギングしていいかと尋ねてみました。すると夫は,もちろんどうぞと答えました。とはいえ,兄弟はあまり運動していなかったので,ジョギングしながらの証言ですぐに息切れしてしまいました。「スポーツウエアを着て,聖書は持たずに,覚えている聖句を引用して何とか証言しました」。このジョギングを何度かした後,夫婦の関心は高まり,二人と定期的な家庭聖書研究ができるようになりました。今では,夫は伝道者として熱心に野外宣教に参加しており,息子と娘も神権宣教学校に入っています。
オセアニア
国や地域 30
人口 3,754万5,115人
伝道者 9万7,329人
聖書研究 5万5,266件
オーストラリア
ある開拓者の兄弟はこう書いています。「パムという医師から,最新の雑誌を毎号届けてほしいと頼まれました。忙しい女性で,半年に一度しか会えなかったので,いつも雑誌にメモを添えてドアの下に入れておきました。会えないまま7か月が過ぎたころ,雑誌と地域大会の招待ビラをドアの下に入れ,わたしの電話番号も書いておきましたが,何の返事もありませんでした。地域大会の後,11月に訪ねてみると,ドアにメモが貼ってありました。
「メモには,雑誌をとても楽しく読んでいる,同僚に回していて,同僚はさらに病院の患者さんたちに回している,と書いてありました。そして,『集まり』もとても楽しかったとのことでした。パムは招待ビラを見て,3日間の休みを取って大会に出席していたのです。メモによると,招待ビラのコピーを取って職場の人たちの通信棚に置き,行きたい方は連絡してくださいと書き添えておいたそうです。その週の終わりまでに,同僚16人(全員が医師)が出席するために3日間の休みを取っていました。1枚の招待ビラをドアの下に入れたことによって,17人もの人たちが大会に3日間出席したのです。パムは今では,『聖書の教え』の本を使って定期的に
研究しています。さらに,大会に出席した人たち全員にパムが声をかけ,グループでの話し合いが何度か行なわれました」。別の兄弟はこう述べています。「エホバの証人の訪問を拒否している人の家の前を通りかかったとき,テラスで男性と女性が泣き崩れているのに気づきました。助けが必要な様子だったので,見過ごすわけにはいかないと思い,近づいて,何かできることはないかと尋ねました。すると,二人はわたしを家に招き入れ,事情を話してくれました。娘に3年間会っていないが,妻はがんの手術を受けることになっており,助かるかどうか分からない,とのことでした。奥さんは,もう二度と娘に会えないのではないかと不安になっていたのです。数日前に自分たちのカリスマ派教会の牧師に助けを求めたが,真剣に話を聞いてくれず何もしてくれなかった,とも話してくれました。それでわたしは,心の打ち砕かれた人の近くにいてくださるエホバについて,幾つかの点を聖書から話してあげました。
「1時間ほど後,だれかがドアをノックしました。わたしは,教会の牧師かと思いましたが,玄関に立っていたのはきちんとした身なりの若い女性でした。音信不通だった娘さんが帰って来たのです。感動的な再会だったので,わたしは失礼しようとしましたが,驚いたことに,娘さんから,両親に話したいことがあるのでもう少しいてほしいと言われました。娘さんは,酒と麻薬におぼれ,ひどい生活を送っていたそうです。でも,聖書を学んだおかげで,家に帰って両親と仲直りしようと思ったのです。少し前に,バプテスマを受けてエホバの証人になっていました」。
数日後,牧師が訪ねて来ましたが,娘がエホバの証人になったおかげで帰って来たと聞くと,何も言わずに出て行こうとしまし
た。すると夫は牧師を呼び止め,テーブルの上の書類を持って行ってほしいと言いました。教会への脱退届でした。パプアニューギニア
23人の兄弟姉妹のグループが,あまり奉仕されていない区域へ証言に出かけました。山を登ったり川を渡ったりする大変な徒歩旅行でした。ある村で姉妹が会った聖公会の牧師は,ダニエル 2章44節についての説明に喜んで耳を傾け,「ここにいるわたしたちは失われた羊みたいなものなんです」と言いました。そして,雑誌やブロシュアーを受け取り,聖書も欲しいと言いました。
3日後,別の村で二人の姉妹が会った若い女性二人も,王国の音信を聞いて喜びました。そして,その日の午後,畑から帰ってきた父親に,聖書から学んだ事を話しました。すると父親は,その素晴らしい音信を自分も聞きたいと言い,小屋に滞在している兄弟姉妹みんなに会いに行くことにしました。その人は村の長の一人だったので,料理を準備して兄弟たちの所に届けさせました。そして,暗くなってから,ランプを下げて村人たちと一緒にやって来ました。村人たちは,「こんな遠くまでよくおいでになりましたね。この村にエホバの証人が来られたのはこれが初めてなんですよ」と言いました。兄弟たちはマタイ 24章14節を見せて訪問の目的を伝え,王国による祝福を説明し,出版物を渡しました。
旅の5日目,兄弟たちは午後1時ごろに別の村に到着しました。村人たちは,兄弟たちが泊まっていくものと思い,屋根だけの宿泊場所をこしらえ始めました。そこで兄弟たちは,皆さんにお話しして今日中には出発するつもりです,と伝えました。村人全員に良い証言ができ,村長は出版物を受け取って,代わりにココナツとバナナとパパイアをくれました。
フィジー
田舎では開拓者たちが,ほこりっぽい道やぬかるんだ道を歩いて奉仕しています。ナガンマと娘のレシュマ(どちらも正規開拓者)は,ウシュラという盲目の姉妹を誘って,1か月間一緒に開拓奉仕をしました。ウシュラの両側に二人が寄り添って,毎日何キロも歩きました。ある蒸し暑い日,ぬかるんだ道の水たまりをよけながら三人が歩いていると,ある家族が家のポーチに座ってそれを見ていました。ウシュラが水たまりに踏み込んで脚に泥水がはねかかり,姉妹たちは立ち止まって脚をきれいに拭いてあげます。家族の父親は好奇心を抑えきれず,姉妹たちに呼びかけます。「毎日三人で歩いてるけど,どこへ行くんだい?」聖書研究を
司会しに行くところなんですと説明すると,父親は,そんなに遠くまで行って教えるぐらい大事なことなら自分にも聞かせてほしい,と言いました。この家族との研究が始まりました。グアム
リーザというフィリピン人の若い女性は,テニアン島で住み込みのメードとして働いていました。エホバの証人が訪問すると,「ものみの塔」と「目ざめよ!」を受け取っていました。この雑誌が好きなんですと言っていましたが,本当は焚き付けに使っていました。
2007年の春,リーザは解雇されました。行き場所がなかったので,海岸で寝泊まりしていました。ある日,近くの王国会館のそばを通ると,外の日陰に姉妹が二人座っていました。マンゴーを食べませんかと姉妹たちから声をかけられ,一緒におしゃべりを楽しみました。翌日,王国会館のそばを通ると,同じ姉妹たちから話しかけられました。しばらくおしゃべりをした後,リーザは「いつか皆さんの教会に来てみたいです」と言いました。姉妹たちは,リーザを招待していなかったのでちょっと恥ずかしくなりましたが,その晩の集会に誘いました。リーザは,証人たちが仕事を紹介してくれるかもしれないと考えて招待に応じました。
集会でリーザは,兄弟姉妹の誠実さと人々への関心に感銘を受けました。自分はなんて利己的な理由で集会に来てしまったんだろうと思い,涙が出ました。雑誌を全部燃やしていたことも思い出しました。兄弟姉妹の愛に心を動かされたリーザは,その時からすべての集会に出席し,聖書を定期的に研究するようになりました。そして仕事を見つけ,伝道者になり,2008年2月にバプテスマを受けました。
[45ページの図版]
マダレーナ
[48ページの図版]
船の上での「ものみの塔」研究
[50ページの図版]
証言するため,通行人が来るのを辛抱強く待つバーカー姉妹
[53ページの図版]
プルナマヤは砂利を作って家計を助けている
[54ページの図版]
ゴム農園でインド系の女性に証言する
[57ページの図版]
アンディーと研究しているレストン
[58ページの図版]
シャエ
[63ページの図版]
ウシュラに手を貸すナガンマとレシュマ