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全地で宣べ伝えて教える

全地で宣べ伝えて教える

全地で宣べ伝えて教える

1世紀の弟子たちにとって,イエスの言葉は不可解に思えたかもしれません。イエスは,弟子たちがあらゆる国民の憎しみの的となり,殺され患難に渡されると予告しました。しかも,多くの人がつまずいたり裏切られたりします。ところがイエスは続けて,良いたよりは全地で宣べ伝えられると語ったのです。(マタ 24:9-14)世界的な反対の中,全地球的な宣べ伝える活動が成功する見込みはどれほどあるのでしょうか。続くページから,興味を誘うこの問いの答えが得られるでしょう。

2010年の総計

エホバの証人の支部: 116

報告に含まれている国や地域の数: 236

会衆の合計: 107,210

全世界の記念式出席者数: 18,706,895

全世界の記念式で表象物にあずかった人の数: 11,202

王国奉仕に携わった伝道者の最高数: 7,508,050

伝道者数の月平均: 7,224,930

2009年に対する増加率(%): 2.5

バプテスマを受けた人の合計: 294,368

補助開拓者数の月平均: 287,960

開拓者数の月平均: 844,901

野外で費やされた時間の合計: 1,604,764,248

家庭聖書研究の月平均: 8,058,359

エホバの証人は2010奉仕年度に,特別開拓者・宣教者・旅行する監督がその野外奉仕の割り当てを果たせるよう世話するため,1億5,500万㌦(約140億円)余りを費やしました。

■ 世界じゅうにある支部施設で,合計2万62人の叙任された奉仕者が働いています。これらの奉仕者は皆,世界的なエホバの証人の特別全時間奉仕者団の一員です。

アフリカ

国や地域 57

人口 8億8,821万9,101人

伝道者 122万2,352人

聖書研究 259万6,614件

グループで真理を探す。マダガスカルの小さな村で,80人がその国のプロテスタント教会を脱退することにしました。そして自分たちの教会を建てて真の宗教を探し始め,地元の宗教を一つずつ調べてゆきました。彼らは次のような結論に達しました。まず,カトリックは聖書を研究しておらず,ルター派教会は内部で争いが見られました。さらに,ペンテコステ派は真理を教えておらず,セブンスデー・アドベンティストは禁止事項が多すぎる,と感じました。それから村の人たちはエホバの証人の一人に近づき,聖書を教えてもらえないか尋ねました。尋ねられた兄弟はすぐに同意しました。

幾人かの奉仕者が,それら関心を持つ人を訪ねました。兄弟たちが足を運ぶと,グループのうち26人が自分たちで建てた教会に集まり,聖書についての話を聴こうと待ち構えていました。兄弟たちは『聖書の教え』の本の第15章を用い,神に是認される宗教を見いだす方法について説明しました。人々はその説明に納得します。兄弟たちが再び訪れた時には73人が集まっており,3回目の訪問では142人が出席したのです。

間違いメール。エチオピアに住むエホバの証人のメネンは,聖書研究をしている女性を励まそうと,携帯電話にメールで2009年の年句を送りました。ところが,電話番号を間違えたため,メールが別の人のもとに送られてしまいました。受け取った女性は,「『良いたよりについて徹底的に証ししなさい』。―使徒 20:24,新世」という言葉を何度も読みました。信心深い人だったので,そうすべきだと感じながらも,実行するにはどうしたらいいのだろうと思いました。さらに,末尾のなぞの言葉「新世」[「新世界訳」]の意味が分かりませんでした。何週間か過ぎても,そのことがまだ頭から離れなかったので,考えた末にメールの送り主に電話をかけました。姉妹はメールがどうなったかを聞いて驚くとともに,その機会をとらえて女性の誠実な問いに答えました。結果として聖書研究が始まり,それは週2回行なわれています。

お友達と奉仕する小さな開拓者。カメルーンに住むパーシスという少女がバプテスマを受けていない伝道者になったのは6歳の時です。最初の奉仕報告には,家庭聖書研究が10件と記されていました。何かの間違いだろうと思った会衆の書記が尋ねると,実際に10人の人と研究しているという答えが返ってきました。書記はまた,「時計を持っていないのにどうやって時間を数えているの?」と尋ねました。すると,学校の休み時間は1時間なので,ベルが鳴ったら証言を始め,また鳴ったら終わりにするとのことでした。パーシスが大胆に証言することに母親といとこが励まされ,後にその二人もバプテスマを受けていない伝道者になりました。今パーシスは10歳で,すでにバプテスマを受けており,学校に通いながら補助開拓奉仕をしています。友達の8歳の少女アシーも,バプテスマを受けていない伝道者です。この二人について,ある聖書研究生はこう語ります。「集会でこの子たちが皆に,とりわけお年寄りにあいさつしているのを見ると,うれしくなります。その後,親と共に席に着くのです。わたしの教会ではそんな光景を見たことがありません。こういう子どもたちは,明日の社会を担う立派な大人になるのでしょうね」。

南北アメリカ

国や地域 55

人口 9億1,883万4,998人

伝道者 367万3,750人

聖書研究 396万7,184件

ノックはしなかった。ボリビアに住むミリアムは1週間,神に祈りをささげました。祈りの内容は次のようなものでした。「どうかあなたを知ることができるよう助けてください。ですが,エホバの証人の助けは要りません。家のドアをノックしてもらいたくないのです」。

その週に電話がありました。かけたのは特別開拓者のカンディで,雑誌を1時間ほどで家に届けることができるという申し出でした。ミリアムがその勧めに応じると,1時間後にはカンディが戸口の所にやって来ました。ミリアムはいきなりドアを開け,入って座るようカンディに言います。そしていかにも不機嫌そうに,首を横に振りながら部屋の中を行き来します。カンディは,どうしたのですかと尋ねます。するとミリアムはこう言います。「ショックだわ! ここ1週間,神様に導きを求めて祈っていたのよ。ドアをいつもノックするエホバの証人の助けは要らないと,はっきり祈ったのに,あなたはノックはせずに電話をかけてきたじゃない! 1時間前に電話があってから,あなたが来ないようにと神様に祈っていたけど,あなたはやって来たわ。ショックよ! エホバの証人に助けてもらいなさいということなのね」。こうして,その場で研究が始まりました。

死んだと思って放置される。スリナムのパセンシは以前,村のカピテンもしくは長として信望を得ていました。彼はまた,グランマンと呼ばれる,内陸部の河川一帯の首長もしくは王と親交がありました。パセンシは誇りをもって地元の伝統を守っていました。エホバの証人は伝統に逆らう者たちであると考えて,証人たちに反対していました。

やがてある青年が,呪術を行なう村人を見分けられるととなえるようになりました。その青年は大勢の信奉者を引き連れてカヌーで川を巡り,呪術を行なっているという言いがかりをつけては人々を殴打し,持ち物をすべて奪っていました。邪悪な霊に取りつかれたとされた人は,“はらい清めて”もらうために多額の金銭を青年に支払わなければなりませんでした。パセンシも罪のない大勢の被害者の一人となり,殴打され,死んだと思って放置されました。友人のグランマンでさえ力になれませんでした。呪術の疑いをかけられた人を助けたら自分の命や評判も危うくなると心配したのです。他の友人や親族も助けることを禁じられました。しかし,パセンシの義理の息子は勇気を奮い起こし,住人の大部分がエホバの証人である村に彼を連れて行きました。兄弟たちはこの件について話し合い,危険を承知で助けることにしました。パセンシをカヌーで近くの村に連れて行く手はずを整えたのです。その村には,小さな飛行場を管理している兄弟がいて,この元反対者は治療のため飛行機で都市に運ばれました。

けがが治ったパセンシは,自分が反対していた人たちから愛を示されたことに心を打たれました。聖書研究を始め,2009年12月にバプテスマを受けました。今は良いたよりを熱心に宣べ伝え,2010年4月には80歳という年齢で補助開拓奉仕をしました。

聖書のことは分かっていると思っていた。米国で,ひげを生やしたエリックという男性が聖書を携えて会衆の集会にやって来ました。一人の兄弟が声をかけると,エリックはわたしたちの信条について質問し始めました。『聖書の教え』の本は断わり,聖書だけを使いたいとのことでした。この人は聖書を毎日20ページ読んでいて,読み通した回数も覚えていないほどでした。集会後,最初に声をかけた兄弟との話し合いが3時間以上続きました。帰り際にエリックは,「めまいがしそうです」と言いました。兄弟が理由を尋ねると,「聖書についてはよく分かっていると思っていました。でもここに来て,何も分かっていないことを思い知らされたんです」と答えました。そう言って,『聖書の教え』の本を受け取りました。

翌日,二人は1回目の研究を行ないました。前の晩にエリックは遅くまで起きて,『聖書の教え』の本を第10章まで読みました。そして,「真理をついに見つけた!」という結論に至ったのです。二人は週5日,1日3時間から4時間研究しました。エリックはすべての集会に予習をして出席するようになり,家族全員も連れて来ました。最初の週には三つの教会に脱退届を出し,ひげをそり,祝祭日は祝わないことを決意しました。2週目には神権宣教学校に入校し,4週目にはバプテスマを受けていない伝道者になっていました。そして2010年4月にバプテスマを受けました。最初にエホバの証人に会ってからわずか6か月後のことでした。

7歳でバプテスマ。メキシコ西部に住むパオラは,祖父母に育てられています。祖母は,パオラが5歳の時にエホバの証人と聖書研究を始めました。パオラも話をよく聴き,やがてこの少女の心に真理が根づきました。祖母は進歩しませんでしたが,パオラは一人で集会に出席するようになりました。祖父母に着替えを手伝ってもらい,また王国会館に行くために道路を渡るのを助けてもらいました。

読み書きができるようになると,神権宣教学校に入校し,また伝道者になりました。エホバを愛していたので,7歳でバプテスマを受けました。今では10歳です。家族の支えがなくても集会に出席し熱心に伝道するのはなぜかと聞かれ,こう答えました。「集会で話を聞くのがとても好きなのは,聖書の勉強を続けて悪いことをしないように教えてもらえるからです。伝道に行くのは,エホバが将来人々のために行なわれることを知らせたいからです。それに,人々は聖書について知ると今も幸せになります」。

間違い電話を証言の機会に。ドミニカ共和国で,ある姉妹のところに間違い電話がよくかかってくるようになり,そのたびに仕事の手を止めなければなりませんでした。数日たって姉妹は,『この不都合を伝道に生かせるかもしれない』と思いました。どうしたのでしょうか。応対する時に,かけ間違いのようですと述べてから,「ところで,今日聖書をお読みになりましたか」と尋ねるのです。すぐに電話を切る人もいますが,かなりの人がまだ読んでいないと答えました。それで姉妹は,「聖書を読むことがなぜ大切かご存じですか」と尋ねます。そして,詩編 1編1-3節を読んで聖書の答えを示します。政府のある役人は姉妹としばらく話をし,聖書を持っていないと伝えました。この役人に聖書と聖書文書を届けることになりました。2週間後,その人から電話がありました。このたびは,自分に関心を払って文書を届けてくれたことに感謝を伝えるためでした。

別の間違い電話に応対した時,相手の若い女性から「エホバの証人の方ですか」と聞かれました。そうだと言うとその女性は泣き始め,自分が伝道者で不活発になっていることを打ち明けました。姉妹は彼女を励まし,霊的な援助を受けられるよう手配しました。その女性は今では再び活発に奉仕しています。

アジアと中東

国や地域 47

人口 45億8,702万1,833人

伝道者 65万2,251人

聖書研究 60万1,306件

『サマリア人の女性』。ある暑い夏の日,カザフスタンでのことです。開拓者の兄弟と姉妹が伝道していると,女性が井戸の水をくんでいました。兄弟は,水を飲ませてもらえないかと頼み,飲んでいる間に,姉妹がその女性に証言しました。女性は関心を示し,さらに話を聞けるよう二人を家に招きました。しばらく話ができ,聖書文書も配布しました。姉妹は,二日後にまた訪ねると約束しました。

姉妹は約束どおり再訪問します。エホバの証人である母親も一緒です。女性は家の外で待っていて,受け取った文書を手にしていました。それを姉妹に返してこう言いました。「これはエホバの証人の本ではないですか。ロシアの宗教でしょ!」

姉妹の母親はその女性に,帰る前に聖書の言葉を一つだけ読ませてくださいと言い,出エジプト記 3章15節を開きました。聖書から神の名を示そうと思ったのです。次のような聖句です。「あなた方の父祖の神,アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神エホバがわたしをあなた方のもとに遣わされた」。すると驚いたことに,女性は二人を家に招じ入れました。どうして急に気が変わったのでしょうか。実はその女性の父祖にアブラハム,イサク,ヤコブという名前の人たちがいました。自分の先祖の神がエホバであれば,エホバについて証しする人を追い返すわけにはいかないと考えたのです。次の訪問の時に聖書研究が始まりました。女性は真理を学ぶ意欲にあふれていたので,研究は週に2度行なわれました。息子たちに反対されましたが霊的に進歩し,バプテスマを受けていない伝道者になりました。さらに,この人の義理の娘とその母親も聖書を研究し,集会に定期的に出席しています。この女性は,最初に出会った時の状況がヨハネ 4章3-15節の記述と似ているため,会衆内で『サマリア人の女性』として知られています。

「幾つかお尋ねしたいのです」。キプロスの年配の開拓者の姉妹から次の手紙が寄せられました。「ある水曜日の朝,具合があまり良くなかったのですが,家にいるのではなく,街路証言がどうしてもしたいと思いました。それでエホバに祈り,時間のある人が来てベンチのわたしの隣に座るようにしてください,そして聖書研究になりますように,とお願いしました。やがて,ネパール人の青年がやって来ました。わたしは雑誌を見えるように持っていましたが,こちらから話しかける前に,どんな内容の雑誌ですか,と聞かれました。聖書に基づく雑誌であると答えると,その人はこう言いました。『いま時間があるので,隣に座ってもいいですか。聖書について幾つかお尋ねしたいのです』。

「もちろん,いいですよと答えました。エホバに祈り求めていたとおりだったからです。青年は,こう言いました。『まずお尋ねしますが,聖書は実際に何を教えていますか』。驚いて言葉に詰まりました。かばんから『聖書は実際に何を教えていますか』の本を出して見せました。表紙を目にした青年はわたしを見つめ,『わたしがした質問と同じじゃないですか!』と言いました。こうしてその場で,公園のベンチで聖書研究が始まったのです。今では聖書研究も集会の出席も定期的で,神権宣教学校に入校したいとも言っています。この経験から体が疲れた時でもエホバの力と導きに全く頼って宣教奉仕を行なうことの大切さがよく分かりました」。

孫の命を奪った人を教える。数年前,ミゲルという男性の孫が殺害されました。犯人のエスメラルドは捕まりましたが,裁判で犯行を否認しました。しかし,証拠に基づいて刑を宣告され,刑務所に入れられました。

後に一人の長老が,刑務所での証言に同行するようミゲルを誘いました。それは,エスメラルドが収容されていたフィリピンの刑務所です。ミゲルは,そこに孫を殺した人がいることを知っていたのでためらいましたが,一緒に行くことにし,幾人かの受刑者との聖書研究に参加しました。研究中にミゲルが顔を上げると,エスメラルドがこちらに向かって歩いてきます。不必要な衝突を避けるため,ミゲルは穏やかな口調でこう話しかけました。「エスメラルド,わたしがここに来たのは言い争うためではなく,あなたのような人たちに愛を示すためです。今この男性と聖書について討議しているところです。神の言葉を知っていれば,あなたもこんなことにはならなかったでしょう。どうか一緒に聖書を学んでください」。すると意外にも,エスメラルドは最後までその研究に同席しました。そして聞いた事柄に心を動かされ,ミゲルに対し,孫を殺したことを素直に認め,許しを請い求めました。

長老は,そのやりとりを聞いておらず,二人が打ち解けて話をしているように見えたので,ミゲルにエスメラルドと研究をしてはどうかと言いました。ミゲルは最初,恐怖を覚えました。エスメラルドはミゲルの孫だけではなく他の人も殺していたからです。それでも,行なうことに同意しました。エスメラルドにとって,神の規準に合わせるのは長い闘いでしたが,あきらめずに努力したことが報われました。2010年2月1日,エホバへの献身の象徴としてバプテスマを受けることができたのです。ミゲルはエスメラルドにクリスチャンとして許しを差し伸べました。その証拠に,エスメラルドが聖書の真理を広める活動にじゅうぶん参加できるよう,刑期が短縮されるための働きかけをしています。

ヨーロッパ

国や地域 47

人口 7億3,919万3,855人

伝道者 157万5,094人

聖書研究 83万888件

二つの願いがかなう。ブルガリアに住む19歳のネレナには二つの願いがありました。バプテスマを受けることと補助開拓奉仕をすることです。しかしネレナは遺伝性の運動感覚神経障害を患っており,今のところそれは治らない病気とされています。ネレナは人工呼吸器を使っているため,自由に動き回ることができません。一つ目の願いであるバプテスマを受けるうえで問題となったのは,病状ゆえにアパートから外出して大会に出席することができないという点でした。そのため,18歳の時に自宅で聖書からの話を聞き,そのあとバスタブでバプテスマを受けました。

補助開拓奉仕をしたいという願いはどうなりましたか。天候が良い季節には,1時間ほどなら人工呼吸器を外せる時があります。そのような月に補助開拓を申し込み,他の奉仕者に車いすを押してもらい家から家に行くのです。ネレナはまた,インターネットでの音声通話で家庭聖書研究を司会しています。時には会衆の姉妹たちがネレナの家で聖書研究を司会し,参加できるようにしています。こうしてネレナは昨年,補助開拓奉仕を3回できました。彼女はこう言います。「願いが二つともかなって幸せです。それによって愛情深い創造者エホバにもっと引き寄せられました」。

今はネクタイを着けている。アルメニアの一姉妹は,エホバの証人であるということで職場でばかにされました。ある同僚がいつも姉妹のことをあざけって,“ネクタイをしているやつら”に言いくるめられて宗教に入った,と言っていました。その同僚と筋道立てて話そうとしましたが,無駄でした。それで「何の答えもされなかった」イエス・キリストに倣い,言われることを無視しました。(マタ 27:12)やがてその人は,素行が悪く姉妹を悩ませているとして解雇されました。それから月日がたち,一人の男性が姉妹を探しに職場にやって来ました。姉妹にさんざん嫌がらせをしていたあの元同僚でした。その外見は見違えるほどでした。ネクタイをしていると言ってエホバの証人をばかにしていたのに,自分もネクタイを着けて,かばんも持っていたのです。その人は姉妹にこう言いました。「傷つけることをずっと言ってしまい,申し訳ありませんでした。実は真理を見つけたんです」。その男性はエホバの証人と聖書を研究し,家族から反対されたにもかかわらず,バプテスマを受け,正規開拓者になっていたのです。

「ナディアさんをご存じですか」。ナディアはイタリア北部の会衆で奉仕する開拓者です。2009年9月に,インターホンで証言した際,相手の男性はすぐに話をさえぎり,妻を亡くしたばかりなので話したくない,と言いました。次の日曜日,ナディアはお悔やみの言葉と聖書にある復活の希望を伝えようと再び訪れましたが,反応は変わりませんでした。その日の午後に行なわれた「ものみの塔」研究で,愛する家族を亡くした人に手紙を書いた姉妹の経験が紹介されていました。ナディアはインターホンで話した男性のことを考え,慰めとなる手紙を書くことにし,復活の希望についても詳しく伝えようと思いました。二日後,ナディアは手紙を男性の家の郵便受けに入れてきました。

数日後にナディアは街路証言をしていた時,70代の男性に声をかけ,聖句を読みました。男性から,エホバの証人かと聞かれ,そうであると答えました。するとその人は,エホバの証人の訪問を受けて,すばらしい手紙を受け取り,心を打たれたと説明しました。そして,「ナディアさんをご存じですか」と聞きました。それは両者にとって驚きの瞬間でした。ナディアは自己紹介し,夫と共に再び訪問する約束をしました。男性は聖書研究を始めただけでなく,今では集会にも定期的に出席しています。

持ちきれないほどの研究。セルビア南部のブヤノバツという町に,バプテスマを受けた4人のエホバの証人が住んでいます。それらの王国宣明者は,2010年の記念式に460人が出席したことを大喜びしました。近くの会衆の長老たちは,ブヤノバツで会場を借り,定期的に集会を開いています。平均で50人以上が出席し,その大半はロマの人々です。王国の音信に対する反応は目をみはるばかりで,この区域に割り当てられた特別開拓者たちは,関心を示した人全員との聖書研究を司会しきれないほどです。そのため研究は,すべての集会によく予習して出席する人とだけ行なっています。

100歳を超えても。110歳のエリンは,スウェーデンで最高齢の伝道者です。その年齢はヨシュアが生きた年数と同じです。(ヨシュ 24:29)高齢者ホームに入居しており,訪れる人やそこで会う人全員に機会をとらえて証言しています。書籍もよく配布します。ある長老が娘と共にホームの近くで戸別伝道をした際,一人の若い女性に会い,その人はエリンから証言を受けて本を受け取った,と言いました。それがきっかけで良い話し合いができました。 *

教会で見つけた書籍。ベラルーシに住むタチアナのもとにある日,知らない若い女性から電話がかかってきました。その女性は,聖書についての質問の答えを知りたかったのです。有意義な話し合いができました。女性はどのようにしてタチアナの電話番号を知ったのでしょうか。本人の話によると,教会に行った時にベンチの下に『聖書の教え』の本と「新世界訳」があるのを見つけ,そこにタチアナの電話番号が書かれていた,ということでした。なぜその本が教会にあったのでしょうか。タチアナと聖書研究をしていた少女の母親が,教会に本を持っていったのです。その母親は,娘に読ませるべきかどうかを確かめるため本を司祭に見せたいと思ったようです。ところがなぜか,本はベンチの下に残されたままでした。女性はそれを見つけて持ち帰ることにしたのです。この電話がきっかけで,聖書についてさらに話し合いができました。

きっかけは落とし物のコート。特別開拓者の姉妹エレーナは,ベラルーシのミンスクの路上に見栄えのよいコートが落ちているのに気づきました。コートはきれいで,捨てられたようには見えませんでした。拾ってみると,ポケットに現金1,200㌦(約10万円)が入っていました。通行人を見回すと,コートを無くしたと思える人がすぐに分かりました。何かを探して必至に走り回る男性がいたのです。エレーナはその人に追いつくために走らなければなりませんでした。その人はモスクワに住むバングラデシュ出身のビジネスマンで,コートとお金が戻ってきて大喜びしました。そしてエレーナが追いかけることまでしてコートを渡そうとした理由を尋ねました。それで彼女が,自分はエホバの証人であると言うと,その男性は,数日前に二人のエホバの証人と話をしたと言いました。その時30分ほど議論して自分の宗教の教えが正しいことを主張した,とのことでした。その人は,コートのお礼に何ができるかと尋ねました。エレーナは,謝礼は要りませんが,モスクワに戻ってからエホバの証人と聖書を研究していただけるといちばんうれしいです,と言いました。男性は,そうすることに同意しました。

オセアニア

国や地域 30

人口 3,938万4,408人

伝道者 10万1,483人

聖書研究 6万2,367件

言語障害を克服する。オーストラリアに住む23歳の兄弟ハミシュは,重い言語障害を抱えています。話す言葉が理解されなかったり,支離滅裂になったり,言葉自体出てこなかったりするのです。それでも,人前で話すことや野外宣教に対する熱意が冷めることはありません。例を挙げると,王国会館で話をする際には,まず原稿を携帯用の電子機器にキーボードで入力しておきます。その機器は文字を音声に変換します。本番ではその機器を演台に載せ,キーボードを操作しつつ,前もって入力したひとまとまりの語句を再生してゆきます。再生される人工音声はマイクを通して,音響装置で増幅されます。聴衆が参加するプログラムの時も,その機器を使って注解に対する感謝を述べます。野外奉仕においても同じ方法で意思を伝えます。入力しておいた幾つもの文や聖句を用いたり,その場で文を速く打ち込んだりして行なうのです。こうして良い再訪問がたくさんできるようになりました。2007年にハミシュは奉仕の僕に任命され,それ以降は年に数回補助開拓奉仕をしています。

プリンターの不具合。ニューカレドニアでのこと,コンピューター機器の修理を行なうデービッドのもとに,ある女性から電話がありました。プリンターが故障して印刷ができないというのです。デービッドはすぐに修理しましたが,出てきた文書を見て首をかしげました。そこには,「訪問お断わり。うちにはイエス様がいるので,ほかの宗教は要りません」と記されていました。

デービッドは家の人にこう尋ねました。「失礼ですが,修理したプリンターからこんなメッセージが出てきました。なぜこれを作ったのですか」。

女性はこう答えます。「週末になるとエホバの証人がやって来るでしょ。もううんざり。あの人たちをうちに通すつもりはないわ」。

デービッドは,「エホバの証人ならすでにお宅に入れておられますよ」と言いました。

女性は,「そんなはずはない。あり得ないわ」と返します。

デービッドはこう言います。「わたしはエホバの証人なんです。奥さんが通してくださったんですよ」。女性は驚くと共に,少し恥ずかしく思いました。デービッドはエホバの証人が人々の家を訪ねる理由を親切に説明し,その後の話し合いは2時間にも及びました。数日後,デービッドはこの女性とご主人を再び訪ねました。この夫婦は,起きた事柄について考えて,神があなたを遣わしてくださったに違いないと思った,と言いました。そのため,デービッドが再び訪ねてきても断われなかったのです。二人は現在,雑誌を定期的に受け取っています。

パンフレットをフル活用。12歳の少年ネイサンはオーストラリアに住んでいます。通学かばんに聖書のパンフレットを入れ,学校でいつも友達に証言しています。ある日,学校から歩いて帰る途中で,年配の女性が家の庭先に立っているのが見えました。女性がほほえみかけたので,ネイサンもほほえんでパンフレットを1枚手渡しました。すると女性は,3年前に夫を亡くしたことをネイサンに話します。ネイサンはかばんの中から,「亡くなった家族の者にはどんな希望がありますか」のパンフレットを取り出します。将来の復活について,また楽園で再び会えるということを話すと,女性は目に涙を浮かべ,「いつになったらいろいろな苦しみは終わるのかしら?」と言います。それでネイサンが次に取り出したのは,「すべての苦しみはまもなく終わる!」のパンフレットです。すると女性は,ほかにもどんなことを信じているの,と尋ねます。ネイサンは,「エホバの証人はどのようなことを信じていますか」のパンフレットを渡します。こうしてその日は帰りました。数週間後,ネイサンは再びその女性が庭先にいるのを見かけました。女性はネイサンを呼び寄せ,抱き締めてからこう言いました。「ねえ聞いて。あなたにパンフレットをもらってから,エホバの証人の女の人が二人うちに来たの。今ではその人たちと聖書の勉強をしているのよ」。

1枚しかなかった記念式の招待状。マイケルはソロモン諸島ある支部の新しい建物の建設を手伝いました。その後,孤島であるバニカ島に住む人たちに伝道することにしました。それは子どものころに育った所で,兄たちが住む島でした。その島にエホバの証人はいませんでした。島への定期船はなく,郵便もなく,電話は1本しか通じていませんでした。

マイケルは若い開拓者のハンスリーを伴ってバニカ島に行きました。島に着くと,すぐにヤシの葉で小さな王国会館を作り,キリストの死の記念式に人々を招待し始めます。印刷された招待状を1枚しか持っていなかったので,二人はそれを人々に見せて記念式の重要な意味について説明しました。

式の前日,兄弟たちは舟を2時間こいで島の反対側に向かいました。そこに住む家族を招待するためです。ところが,家にいたのは子どもたちだけでした。マイケルは持っていた1枚だけの招待状を置いて来ることにしました。年上の女の子に手渡し,お父さんに渡すよう頼んだのです。

翌日の午後,マイケルとハンスリーが記念式の準備をしていると,その家族がカヌーでやって来るのが見えました。父親は招待状を読み,非常に重要な集いなのだろうと考え,家族全員を連れて来ました。その晩の記念式の出席者は52人でした。マイケルとハンスリーは,出席した人たちに引き続き宣べ伝え,聖書研究を司会しています。

[脚注]

^ 68節 この「年鑑」を仕上げる段階でエリンは亡くなりました。

[40-47ページの図表]

全世界のエホバの証人の2010奉仕年度の報告

(出版物を参照)

[48-50ページの地図]

(出版物を参照)