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過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

エホバが全地のご自分の民によって成し遂げておられる事柄に目を向けると,胸が躍ります。今回の「年鑑」の報告では,手話の区域における進展や,執筆部門が調査を行なう方法が説明されています。国際大会についても伝えられ,新しい歌の本に関する興味深い点が詳しく取り上げられます。世界じゅうの法的な進展の最新情報や,ハイチのニュース,さらには最近の支部の献堂式の様子も伝えられます。お読みになる事柄からきっと益や励みが得られることでしょう。

『神はろう者にもご自分のことを知ってほしいと思っておられる』

手話の区域で起きている事柄について考えてみましょう。米国に住むろう者の男性サルバトールは,妻がエホバの証人です。聖書の真理に接して幾年にもなりますが,霊的に進歩しませんでした。妻は,1年間聖書を毎日読んでみるのはどうかと勧めました。しかし,一生懸命に読んでも内容が理解できず,がっかりしてしまい,「エホバを愛するなんてわたしには分からない」と嘆きました。

折しもサルバトールは「新世界訳聖書」の一部がアメリカ手話のDVDで入手できることを知り,それが転機となりました。手話で神の言葉を深く調べた後,「神はわたしにもご自分のことを知ってほしいと思っておられるんだ」と,興奮ぎみに述べました。こうして聖書研究を始め,バプテスマを受けてエホバの証人になり,今ではエホバに仕える幸福を味わっています。

サルバトールのように,世界じゅうに住むろう者は,手話の聖書や他の出版物によってエホバの温かい愛と深い気遣いを感じています。それらはDVDで,またインターネットでダウンロードして入手できます。手話の出版物はすでに46の言語で手に入り,さらに13の言語で準備が進められています。「ものみの塔」誌は手話の九つの言語で入手でき,「新世界訳」の一部はアメリカ,イタリア,コロンビア,ブラジル,メキシコ,ロシアのそれぞれの手話で出されています。

手話の出版物が新しい人たちの心を動かす様子は,いつも深い感動を与えます。ろう者である日本の奈津枝は,こう述べています。「私は最初の研究を1981年に始めましたが,日本語の出版物を用いて研究をしていたので,意味をつかむことができませんでした。さらに,親族からの反対が始まり,研究を中断してしまいました。

「最初の研究から26年が経過した2007年4月,日本手話の『あなたも神の友になれます ― DVD』を奉仕者に見せていただきました。すぐに研究を再開し,求めていた自分の霊的な必要が満たされていくのを感じました。そして2008年11月にバプテスマを受けることができました」。

現在,ろう者の奉仕者は世界じゅうで1万6,000人を超えています。それらの奉仕者は手話で,手の動きや顔の表情を用いてエホバを賛美しています。言語にもよりますが,手話に翻訳された書籍,ブロシュアー,ビデオ,聖書劇は30種類に上ります。そうした備えは,ろう者の兄弟たちがエホバの愛を確信し,また彼らの行なう忠節な奉仕が高く評価されているという実感を得るための助けになっています。

出版物を手話に翻訳する54の支部には,兄弟姉妹や野外の関心を持つ人たちから感謝の言葉が数多く寄せられています。それらの手紙には,ろう者が手話で深い霊的真理を見いだす時,強い感動を得ることがつづられています。一例として,ろう者の両親を持つ日本の絵美の言葉をご紹介しましょう。

手紙にはこうあります。「両親はわたしがバプテスマを受ける何年も前にバプテスマを受けていましたが,日本語で書かれた出版物を理解するのに苦労していました。分からない時にはわたしに意味を尋ねてきました。今では自信をもって真理を語っています。母は,『聖書の詳しい事柄を理解できるようになったのは手話のDVDが出てから』と言っています。そのため,両親はエホバといっそう親しくなり,家族の関係も前よりもっと良くなりました」。

『すべてのことについて正確にそのあとをたどる』

イエスは,忠実な奴隷が思慮を働かせつつ,その召使いたちに『時に応じて食物を』与えると言われました。こうしてキリストは,「食物」を備える人が信仰の家の者たちに霊的食物を提供する際に良心的であり,慎重で,識別力を働かせることを示しました。―マタ 24:45-47

現代において,キリストの油そそがれた兄弟たちはニューヨークのブルックリンにある執筆部門を用いて,雑誌,ブロシュアー,書籍その他の印刷物や,電子的な手段で霊的情報を提供しています。文字どおりの食物と同じように,霊的食物も提供する際に十分な準備が必要です。聖霊に導かれた聖書筆者たちも,記録する情報が入念に調査され正確であることを確認しました。例えばルカは,多くの目撃証人と話をし,「すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどり」ました。―ルカ 1:1-4

執筆部門は『すべてのことについて正確にそのあとをたどる』という型に倣っています。とはいえ,信頼できる情報はどこから得られるのでしょうか。インターネットは便利で,すぐに大量の情報にアクセスできますが,執筆部門で調査をする人は,ブログや,匿名の人もしくは専門的な資格を持たない人が作った典拠の乏しいウェブサイトは使いません。例えば,インターネット上の百科事典「ウィキペディア」(英語)は,その事典の記事の中にも,「重大な誤りや偏った内容や悪意ある編集がなされている」ものがあると警告し,「利用者はこの点に留意すべきである」としています。そのため,執筆部門は標準的な参考文献や,定評ある専門家による記事,さらには信頼の置ける出版社が発行する書籍を参照するようにしています。

執筆部門の中にも図書室があり,広範な内容を扱った多くの書籍が収蔵されています。さらに,執筆部門で調査をする人は近くの公共図書館や大学図書館を利用します。また,図書館の相互貸し出しによって専門的な資料を入手することもできます。調査をする人が使う,ある大きな大学図書館は,書籍約500万冊,定期刊行物5万8,000種類,マイクロフィルム540万点を保有しています。それに加えて,非常に多くのデータベースに接続できるようにもなっています。執筆部門にはまた,記事の切り抜きや経験や歴史的な情報が大量に収められ,それらは地元や世界じゅうの支部から寄せられる情報に基づいて随時更新されます。

もとより伝道の書 12章12節に述べられているように,『多くの書物を作ることには終わりがありません』。定評ある筋から得られる情報にも誤りが入り込むことがあり得ます。では,執筆部門はどのようにして情報の質や正確さや信頼性を確かめているのでしょうか。

例えば,「生命 ― どこから?」のブロシュアーには,クモの糸を地球上の極めて強い素材とする陳述があります。それは次のようなものです。「牽引糸で出来たクモの巣をサッカー場の大きさに拡大したとすると,糸の太さが約1㌢,糸の間隔が約4㌢になり,飛んでいるジャンボジェット機を止められるほどです」。この陳述は定評ある科学誌から取られたものですが,元の情報はその雑誌以外のところから出ており,しかもその情報にはあいまいな部分がありました。そのため,元の陳述の出どころである研究者と連絡を取り,当人がどのようにしてその結論に達したのかを確かめる必要がありました。執筆部門で調査をする人はさらに,サッカー場の大きさほどのクモの巣がジャンボジェット機にどんな作用をするかを自分たちで計算する方法を調べ,そのために必要な情報を得なければなりませんでした。多くの時間をかけて調査し,緻密な計算をした末,この驚くべき情報が正確であることをようやく確認できたのです。

しかし時には,定評ある筋から来たと思える情報でも,詳細な点の十分な裏づけが得られない場合があります。例を挙げましょう。ガンジーがアーシュラマ(僧院)の中でアーウィン卿に語ったとされる,次の言葉がこれまで引用されてきました。「あなたの国とわたしの国が,この山上の垂訓の中でキリストが述べた教えについて意見の一致を見るならば,わたしたちの二国の問題のみならず全世界の問題をも解決することになるでしょう」。ところが,この陳述について詳しく調査した結果,アーウィン卿がガンジーの僧院を訪ねたという裏づけは得られませんでした。そのため,ガンジーがいつ,どこでこの言葉を語ったのか,またそもそもガンジーの言葉なのかという疑問が生じました。その結果,わたしたちの出版物では,この引用文は用いなくなりました。

アイザック・ニュートン卿と太陽系の模型についての話も,お読みになったことがあるかもしれません。その話によれば,ニュートンのもとを訪れた無神論者は模型を見て「だれが作ったのかね」と尋ねました。ニュートンが,「だれが作ったのでもない」と答えると,無神論者は,「君はきっと,わたしのことをばか者だと考えているのだろう」と言いました。するとニュートンは,この単なる模型は,はるかに壮大な太陽系に設計者や製作者がいたに違いないことの証明になる,とその無神論者に語ったとされています。この記述は心を動かすものではありますが,そのやり取りが実際にあったことを証明する歴史資料はなく,ニュートンについて研究する学者や伝記作家も裏づけとなるものを提示していません。興味深いことに,このやり取りに触れた最も古い資料は1800年代初めのものであり,ニュートンではなく,ドイツの学者アタナシウス・キルヒャーの名を挙げています。そのため,執筆部門はもはやこの記述を出版物では用いていません。

時には,ささいな陳述でも,正確さを確かめるために付加的な調査が必要になります。例えば,ある兄弟がライフ・ストーリーの中で,自分は1915年にチェコスロバキアで生まれた,と述べたとします。しかし,チェコスロバキアが存在するようになったのは1918年になってからのことです。では,この兄弟はどの国で生まれたのでしょうか。この問いの答えを得るために,古い地図や歴史的な記録を確かめなければならないこともあります。

さらに,ある兄弟が経験談の中で,自分はある日付にサンフランシスコでバプテスマを受けた,と述べたとします。しかし,注意深く調べてみると,その都市でその日には大会が開かれていなかったことが判明するかもしれません。こうした食い違いはどのように正せるのでしょうか。個々の人の記憶はあいまいになることがあります。兄弟が,バプテスマを受けた場所を取り違えることはないにしても,その日付を正確には思い出せないということはあり得ます。詳細な点が正確かどうかは,他のいろいろな情報源との照合によってたいてい確認できるものです。

まとめとして,執筆部門はいつも正確で事実に即した資料だけを用いることに努めており,ささいに思える詳細な点も確認しています。その結果,「忠実で思慮深い奴隷」は「真理の神」エホバの誉れとなる霊的食物を継続的に供給できるのです。―詩 31:5

『ずっと見張っている』ための助け

世界の数百万人ものエホバの証人は,2009年に多くの場所で開催された「ずっと見張っていなさい!」地域大会で,時宜にかなった実際的なプログラムから益を受けました。37の国際大会も開かれ,20万人を超える人が代表者として136の国や地域から招かれました。国際大会が開かれたのは,イタリア,オーストリア,ガーナ,韓国,ケニア,コートジボワール,チリ,ドイツ,トリニダード・トバゴ,フランス,米国,ペルー,ポーランド,南アフリカ,ミャンマー,メキシコです。国際大会の出席者最高数は合計149万5,045人で,1万5,730人がバプテスマを受けました。

国際大会はどんな目的で開催されるのでしょうか。統治体はそれらの大会を数年おきに,入念に選んだ都市で計画します。エホバの証人の活動がかつて禁止されていた土地で開催されることもあります。国際大会によって兄弟たちは強められ,大会が開かれる国や地域における宣べ伝える業に弾みがつきます。

それらの大会はまた兄弟たちにとって,国際的な兄弟関係の中における『結合のきずな』をじかに経験する,たぐいのない機会となります。(コロ 3:14)国際大会で愛や平和や一致を目にするのは本当に喜ばしいことです。それらは国籍や文化や言語の違いという障壁をも越えるものです。さまざまな民族の人が休憩時間に自由に交わり,純粋な愛が示されました。共に食事をし,小さなプレゼントや住所を交換し,写真をたくさん撮り,また抱擁を交わして兄弟の愛情を表わしていました。代表者や地元の証人の中には,民族衣装を身に着ける人も少なくありませんでした。

国際大会では4日間毎日,「他の国からの報告」という特別なプログラムが提供されました。イタリアの一人の旅行する監督は,その報告によって出席者全員は,「同じ目的すなわち王国を宣べ伝える業を推し進める,真の国際的な兄弟関係の一員であるという意識を持つことができた」と述べています。割り当てられた外国の土地から帰国した宣教者や他の全時間奉仕者による励みの多い経験を聞くのも,うれしいことでした。その人たちのりっぱな手本は,若い人にも年長の人にも引き続き大きな励みを与えています。

さらに,国際大会で統治体の成員を迎え,時宜にかなった霊的な諭しや愛ある励ましを受けたことも大きな喜びでした。統治体の成員による話や「他の国からの報告」はそれぞれの言語に通訳され,プログラムに耳を傾ける人はみな益を受けました。例として,ハワイのホノルルで開かれた二つ目の国際大会で,統治体のスティーブン・レットは四つの話を英語で行ない,それはイロカノ語,サモア語,中国語,チュウック語,日本語,マーシャル語に通訳されました。

統治体は国際大会を計画するに当たり,利用できる会場の大きさや,地元のエホバの証人や出席する他の国から来る証人の人数,代表者のための宿舎の数などを考慮します。その後,各開催都市の責任ある兄弟たちは地元の当局者から許可を得,大会会場の管理者たちと契約を交わします。

これらの大会には大きなスタジアムが使用されることが多く,会場をエホバの崇拝にふさわしい品位ある場所として整えるために,非常に多くの計画を立て,膨大な仕事をこなさなければなりません。例として,ペルーでは大会の直前にサッカーの試合が計画されていたため,兄弟たちは大会前日の晩にスタジアムに入り,清掃や設営を行なうしかありませんでした。3,000人の自発奉仕者を募る呼びかけに対し,7,000人を超える兄弟姉妹が午後6時にやって来て,夜通し懸命に作業し,準備を整えました。

米国カリフォルニア州ロング・ビーチで開かれた国際大会で,会場のメンテナンスを行なった3人の作業員は,大会が終わるころ次のように述べました。「この会場ではほかのいろいろな宗教の集いも開かれてきましたが,あなたたちのようにはできませんでした。ただただ驚くばかりです」。3人のうちの一人は,エホバの証人が家にやって来ると,以前は「いくらノックしたってドアを開けるものか」と思っていましたが,今では次にエホバの証人がノックしたならドアを開けて話を聞くつもりであると言いました。もう一人の作業員は,「宗教に入ったことはありませんが,入るとすればこの宗教ですね」とまで言いました。

すべての大会都市でまさに大々的な証言が行なわれ,エホバの誉れとなりました。信仰を強めるそれらの大会について,わたしたちはエホバに深く感謝します。その大会は,わたしたちが今後も『ずっと見張っている』ための備えとなりました。―マタ 24:42

エホバに賛美を歌う

エホバへの賛美を歌うことは,わたしたちの崇拝の欠かせない部分です。そのため,2009年の地域大会で神の僕たちは,「エホバに歌う」という新しい歌の本が用意されることを聞いて,喜びに沸き立ちました。ところで,新しい歌の本が必要とされたのはなぜですか。

これまでも,増し加わる霊的な光に合わせて歌の本は改訂されてきました。(箴 4:18)新しい歌の本を準備することは,歌詞に必要な調整を施す機会となります。今回の歌の本では,言葉をよく選び,歌う時に意味がつかみやすいように,また歌詞を覚えやすいようにしました。さらに,記憶しやすくするため,多くの歌は短くされました。ふさわしい場合には,曲の終わりの部分が同じ歌詞で歌われ,主な考えが意味深い仕方で印象づけられるようになっています。そして,一つの音符に一つの音節を充て,音節が二つ以上にならないよう努力が払われました。

以前の歌の本「エホバに向かって賛美を歌う」を注意深く分析した結果,歌いやすくするために一部のメロディーは調整が必要であることが分かりました。そのため,一部の曲はキーを下げて音の高いところでも歌いやすくしてあります。さらに以前は,楽譜どおりには歌われていない歌もありました。それで,場合によってはメロディーそのものがもっと自然になるよう調整され,世界じゅうの兄弟たちが実際に歌っていた旋律に近づけられました。

細かな点,例えば譜面の体裁も注意深く検討されました。長い歌は二ページにして,長くなりやすい言語に翻訳された歌詞も収まるようにし,同時に,歌う時にページをめくる必要がないような配列にもなっています。今はどの曲も長くて3番で終わっています。

新しい歌の本の準備という膨大な仕事はどのように成し遂げられたのでしょうか。2007年8月,作曲や作詞の経験のある人たちが,このプロジェクトにおいて統治体を助けるよう招かれました。それまでの歌の本にある歌はすべて綿密に調べられ,教理面や言葉の強調やメロディーの点で問題がないか分析されました。その中には,メロディーは良くても歌詞は新しくしなければならないものがあることが分かりました。さらに,歌詞は少しの調整で済むものの,メロディーは大きく変えなければならないという歌もありました。次いで,統治体の教育委員会は,集会や大会や献堂式の歌で取り上げたいテーマの一覧を承認しました。

さらに,作曲をする人たちは時間を割いて,兄弟たちが集会で歌う曲のスタイルを再吟味しました。恭しく,しかも親しみやすい歌を作るため,キリスト教世界の教会で用いられる賛美歌のような曲にはならないようにしました。同時に,エホバへの賛美の歌が,カリスマ派の教会で好んで歌われるようなスタイルの曲になることも避けたいと考えました。

プロジェクト全体を通じて,統治体はそれぞれの曲の構成や語句を注意深く見守りました。統治体になじみのない新しい歌の場合,実際に歌ったものが録音され,統治体はそれを聞いて確認しました。それらの歌は承認されるとすぐ,歌詞の翻訳のため,翻訳支部に送られました。それぞれの言語の歌の本を英語と同時に発表できるようにするためです。

そのうえ,2007年に統治体は,会衆の人たちが歌を覚えるためにコーラスの録音がされるよう取り決めました。それまで幾年にもわたり,14の支部の区域から兄弟姉妹がオーケストラの奉仕のためにニューヨーク州パタソンに年2回ほど集まり,エホバの証人の教育プログラムで用いられる音楽を録音してきました。その音楽は,劇,ビデオ,大会の伴奏などに用いられています。それら献身した兄弟姉妹の多くは全時間奉仕者で,時間と旅費を費やして集まり,録音のための演奏をしてきました。それは世界じゅうの兄弟たちの益となっています。集まった人はみな,音楽家としての高い技術を持っています。こうして録音されたオーケストラの音楽は世界じゅうの支部に配信され,大会の際に流される音楽や,さまざまな言語のコーラス版の歌の制作に用いられています。各支部で制作されたコーラス版の歌は,ウェブサイトwww.pr418.comでダウンロードできます。

「エホバに歌う」という新しい歌の本に対し,どんな反応があったでしょうか。ある姉妹から次の手紙が届きました。それは,多く寄せられた感謝の手紙の典型です。「まず,新しい歌の本の新たな美しい曲について感謝を申し上げます。感動し,信仰が強まり,慰められます。エホバからのすばらしい贈り物です」。

「エホバに歌う」の本が世界じゅうの兄弟たちにとって慰めと励ましの源となることをわたしたちは希望しています。独りの時にもエホバを崇拝する仲間と一緒の時にも,この本を十分に用いて天の父エホバへの愛を表現することができますように。

『証しのため総督や王たちの前に引き出される』

イエスは弟子たちが「地方法廷」,また「総督や王たち」の前に引き出されると言われました。とはいえ,それは「彼らと諸国民に対する証しのため」でもあります。(マタ 10:17,18)過ぐる1年,エホバの証人はイエスが予告したとおりの経験をしました。証人たちが受けた不当な扱いは,主人が述べたように,証しを行なうための優れた機会となりました。

アルメニア

エホバの証人のバハン・バヤティアンは,良心的に兵役を拒否したため2年半の刑を宣告されました。アルメニアにおける下級審で敗訴し,上級審でも敗訴が確定した後,2003年にヨーロッパ人権裁判所に対して申し立てを行ないました。結局2009年10月27日,ヨーロッパ人権裁判所は50年余りに及ぶ判例に倣って,国に有利な判決を下しました。しかし,一人の裁判官はこの判決について,「良心的兵役拒否に関する現行のヨーロッパの規準にそぐわない」という反対意見を述べました。

問題の重要性を踏まえ,ヨーロッパ人権裁判所はその件を大法廷に付託することに同意しました。審問は2010年11月24日,フランスのストラスブールで行なわれることになりました。大法廷がどんな判断を下すかは,この「年鑑」が印刷される時点ではまだ分かりません。

アゼルバイジャン

エホバの証人は宗教的な文書を輸入する点で今なお困難を経験しています。当局は一部の宗教文書の輸入を認めてはいるものの,他の出版物については,「エホバの証人の排他的な信条を吹き込み,他のキリスト教諸宗派の人々の感情を損なう内容である」という理由で輸入を認めていません。結果として,兄弟姉妹の中には家宅捜索を受け,聖書関係の個人用の文書を押収された人もいます。

2010年4月25日,カザという都市で,5台の大型バスと1台のミニバンに乗った250人ほどのエホバの証人がグルジアでの大会から戻ってきました。国境警備隊は,聖書33冊を含む兄弟たちの個人用の聖書文書を没収しました。お年寄りや病弱の人も含むエホバの証人の多くは,国境で最長8時間も足止めされ,その後ようやく旅を続けることが許されました。こうした状況が今後生じないように,またアゼルバイジャンの兄弟たちが引き続き霊的食物を受け取れるようにするため,この件は現在ヨーロッパ人権裁判所に提訴されています。

ベラルーシ

2009年11月6日,エホバの証人のドミートリー・スミークは,兵役を拒否したために350万ルーブル(約10万円)の罰金を科されました。スミーク兄弟はこう述べています。「私は生活のあらゆる面で聖書に忠実であるよう努め,聖書の教えを守っています。戦いのための訓練を受けたり戦いに加わったりすることは,聖書の教えに反するものであると信じています」。―イザ 2:1-4

ベラルーシの憲法では代替の市民的奉仕活動を選択する権利が保障されてはいますが,実際には法整備がなされていないため,それを選択することができません。スミーク兄弟はこう説明します。「代替の市民的奉仕活動を行なう権利は書面ではうたわれていますが,現実には行使できないのです」。

この法律上の不備を正すため,2010年2月18日,ベラルーシの大統領は代替の奉仕活動に関する法律の草案を作成する委員会を設けました。それから程なくして,裁判所はスミーク兄弟が無罪であるとし,兄弟に科された高額の罰金を取り消しました。ベラルーシには同じ問題に直面し,戦いを学びたくないと願っているエホバの証人の若者がほかにもいます。そのため,政府が早急に代替の市民的奉仕活動のための規定を設けることが期待されています。

ベルギー

1993年まで,ベルギーのブリュッセルにあるベテルの施設は,国の他のすべての宗教的建造物と同様,税が免除されていました。しかし1993年に,税務当局はそれまでの立場を変え,全額の免除を認めませんでした。その主張によると,ベテルは専ら宗教的な用途に使われているわけではなく,金銭的な利潤を得ることも目的とされ,ベテル奉仕者は宗教的な活動に全時間携わっているわけではないとされています。この件についての審理は2008年になってようやく第一審裁判所で行なわれましたが,裁判官は税務当局に有利な判決を下しました。その件は控訴され,2010年5月4日,控訴裁判所は第一審裁判所とは逆の判決を下しました。判決文の中で3人の裁判官はこう述べています。「ベテルでの生活は,そこに住むエホバの証人にとって,深い宗教的信念に根ざしたものであり,神への奉仕に全く打ち込むことが求められる。……それらの奉仕者はみな,世界的な特別全時間奉仕者団の成員であり,共に生活し,祈りをささげ,歌い,聖書を学ぶ。さらに,地元で組まれている朝の崇拝にも参与している」。

エリトリア

この国のエホバの証人は,今も多くの苦難に耐えながら神に忠実に仕えようと努めています。現在,58人のエホバの証人が投獄されており,その中には女性や幼い子どもも含まれています。政府による規制が極めて厳しく,逮捕の脅威に絶えずさらされているため,投獄されている人についての情報を得ることは困難です。エホバの証人は幾年ものあいだ,神に仕えるエリトリアの仲間の苦しみを和らげるため,外交ルートを通じて働きかけてきました。米国国務省,欧州連合,各国大使館などの役人に陳情を行なってきました。さらに,アフリカの角と呼ばれる地域の大勢の役人,例えばアフリカ連合の代表者たちと会見してきました。さらに最近では,世界の18か国にあるエリトリア大使館に,手紙と,兵役年齢に該当しないのに投獄されている人のリストを送りました。その手紙は,アフェウェルキ大統領に対し,子どもや高齢者を含む,兵役年齢に該当しない人すべての解放を求めるものです。しかし,現時点で政府からは何の回答もありません。

ギリシャ

2010年1月15日,ギリシャ最高位の裁判所である国家評議会は,エホバの証人のエバンゲロス・デリスには予備軍への入隊を拒む権利があるという判断を下しました。エホバの証人になる前に軍に入隊していたデリス兄弟は,予備兵としての訓練のために召集された時,聖書によって訓練された良心に基づいてそれを拒みました。政府は,良心的兵役拒否者として認めてほしいとの兄弟の要請を否定しました。しかし,国家評議会はヨーロッパ人権条約の条文を引き合いに出して,個々の人は軍に入隊した後であっても宗教を変える権利を持ち,新たな宗教信条に基づいて良心的に兵役を拒否できる,と述べました。ギリシャ最高位の裁判所によるこの好ましい判決は,ギリシャだけでなく,アゼルバイジャン,アルメニア,韓国,トルコなど他の国に住む良心的兵役拒否者にも益を及ぼすに違いありません。

ポルトガル

2009年9月25日,司法省は全会一致で,エホバの証人協会が伝統ある宗教団体として承認されたと公表しました。ポルトガルのエホバの証人は今や法律的にも宗教的にも最高位の立場を得ており,それは宣教奉仕を行なう際に助けとなることでしょう。この新たな法的立場は,エホバの民に数々の益をもたらします。権限を与えられた奉仕者は,王国会館で法律にかなった結婚式を執り行なうことができます。また,病院や刑務所を訪問し,霊的援助を求める人を助ける権限を持つことにもなります。

プエルトリコ

プエルトリコの最高裁判所は2010年1月27日,特定の医療処置を拒む成人患者の権利を擁護する画期的な判決を下しました。同裁判所はまた,患者には書面にした事前の指示を用い,意識を失った際に当人の意思を代弁する,医療に関する代理人を立てる権利があることを認めました。エホバの証人の一人ビクトル・エルナンデスは,入院前に事前の指示書を作成していました。ところが第一審裁判所は,エルナンデス兄弟の指示書に記され,医療に関する兄弟の代理人も確認している医療上の決定を尊重することを拒みました。それに対し,最高裁判所は第一審裁判所の判断を覆し,「身体の不可侵性は基本権であり,人の持つ不可譲の権利である」ことを認めました。この勝利は,プエルトリコの2万5,000人を超えるエホバの証人だけでなく,その島で患者の立場にあるすべての人に益をもたらすものです。

ロシア

近年,霊によって導かれるエホバの民の活動は,ソ連の崩壊以来最も深刻な脅威に直面しています。2009年12月8日,ロシアの最高裁判所はロストフの下級裁判所における判決を支持する決定を下しました。その最初の判決により,タガンログのエホバの証人の宗教組織は解散させられ,王国会館は差し押さえられ,わたしたちの出版物34品目が過激主義的であると宣告されました。その中には,「聖書は実際に何を教えていますか」,「わたしの聖書物語の本」,「来て,わたしの追随者になりなさい」など,広く読まれている書籍も含まれています。

その数週間後,ロシア南部のアルタイ共和国の最高裁判所は,ゴルノ・アルタイスク市のエホバの証人の宗教組織について同様の決定を下し,それによってさらに18品目の出版物が過激主義的であると認定されました。それらの判決によって今のところ,当局がリストに挙げた出版物を一切ロシアに輸入することができません。さらに,キリストに敵する者たちはそれらの判決に乗じて,さまざまな都市において,平和を好むキリストの追随者を脅し,攻撃するようになりました。12月8日の判決以来,強制捜査,逮捕,家宅捜索など,崇拝に対する妨害行為は,確認されているだけでも300件を上回っています。

増大するこうした脅威に対抗するため,「また繰り返されるのか ― ロシア国民への問いかけ」(ロシア語)という特別なパンフレットを1,200万部配布することを統治体は承認しました。このパンフレットは,共産主義政権下でエホバの証人が経験した嫌がらせと,彼らが現在直面している問題の類似点を明確に示しています。エホバの証人はこの特別なパンフレットを2010年2月26日から28日にかけてロシアじゅうで配布しました。零下40度という厳寒の中で,多くの会衆はわずか二日間ですべてのパンフレットを配布し終えたのです。

それに対する反撃として,2010年4月26日,連邦通信・情報技術・マスコミュニケーション監督局(ロスコムナドゾル)は,それ以後の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を輸入する許可を取り消しました。

しかし,『エホバの手は救いを施すことができないほど短くなったのではありません』。(イザ 59:1)2010年6月10日,ヨーロッパ人権裁判所は,ロシアの違法性を指摘し王国の関心事を支持する画期的な判決を下しました。「モスクワのエホバの証人 対 ロシア」事件で下された判決は,「モスクワのエホバの証人団体」を解散させ,その活動を禁止することは違法であり,思想,良心,信教の自由という基本的人権の侵害に当たるとしました。モスクワにおける団体解散と活動禁止は2004年3月26日に有効になり,結果として嫌がらせや不当な扱いが増えました。今回の判決は,ロシア政府には「当裁判所が認定した侵害行為を停止させ,またその行為が及ぼした影響を可能な限り正す……法的な義務がある」と明言しています。

今回の包括的な判決の中でヨーロッパ人権裁判所は,エホバの証人が英国,カナダ,スペイン,日本,米国,南アフリカ,ロシアの最高裁判所で得た9件の勝訴判決と,同裁判所そのものが以前に下したエホバの証人に有利な8件の判決について,好意的に述べています。こうして同裁判所は,以前に扱った案件についてもその判断は正しかったという見方を示しました。ヨーロッパ人権条約と以前の判決を引き合いに出しながら,エホバの証人はロシア当局によるどの訴えについても無罪であると判断しました。

同裁判所は次のように述べています。「申し立てを行なったエホバの証人の団体は,1992年から2004年までの12年以上にわたり,モスクワで存在し,合法的に活動してきた。この団体は合法的に存在した全期間を通じて,その長老も個々の成員も,刑法上もしくは行政法上の違反行為や民法上の不法行為を犯していない」。こうした見方のもとに,同裁判所はエホバの証人の権利が侵害されたと裁定し,こう続けています。「被告である国側には,……当裁判所が認定した侵害行為を停止させ,……国内の法体系の中で講じるべき措置……を選択する法的な義務がある」。

2010年9月9日,ロシア政府は本件をヨーロッパ人権裁判所の大法廷に付託することを要請しました。この行動は,判決に従うという責務の履行を遅らせるための策略であるに違いありません。大法廷による審問が行なわれることをエホバがお許しになるかどうかにかかわりなく,引き続き大きな証言がなされることは確信できます。

セルビア

ほぼ4年にわたる法廷闘争の末,セルビア宗教省は「エホバの証人 ― キリスト教宗教団体」をようやく,セルビアの認可された教会および宗教団体のリストに加えました。それ以前に宗教省は,登録のための3件の申請を拒否していました。エホバの証人はかつて国際聖書研究者として知られ,そのグループがこの地域で1920年代初めから存在してきたにもかかわらず,拒否したのです。しかし,セルビアの最高裁判所がエホバの証人に有利な2件の判決を下した後,宗教省は登録のための要請を認めました。

過去において敵対者たちは,マスメディアを利用して,しばしばエホバの証人を危険なセクトとして描いてきました。合法的な宗教団体として登録されたことで,セルビアの誠実な人々は,エホバの証人が善良な市民として法律を尊重し,地域や個人に脅威を与える存在ではないということを理解しやすくなるでしょう。今回の登録は早くも良い結果を生み,集会や伝道に関連して用いられる聖書文書や他の品目を輸入する際に関税その他の税が課されなくなりました。

スロベニア

2009年11月27日,「エホバの証人 ― キリスト教宗教団体」は,スロベニア共和国政府が保持する認可された教会および他の宗教団体のリストに加えられました。政府の宗教団体局の局長は,わたしたちの代表者に対し,スロベニアの40の宗教組織や宗教グループのうち,「エホバの証人 ― キリスト教宗教団体」は新しい「宗教的自由に関する法」のもとで再登録された8番目の団体であることを伝えました。この登録により,全時間奉仕者たちは,宗教活動を全時間行なう人すべてに政府が差し伸べる特定の恩恵にあずかれるようになります。

トルコ

メルシンに住むエホバの証人は,自分たちの王国会館を20年ほど使用してきましたが,2003年8月,土地の用途規制に関する法律に違反しているとして当局によって会館の使用を差し止められました。兄弟たちはこの問題を解決するため裁判所に上訴してきましたが,2009年12月30日,トルコの最高裁判所は訴えを退け,メルシンの市長側に有利な判決を下しました。現在,ヨーロッパ人権裁判所に対して申し立てが行なわれています。

ハイチで兄弟愛が示される

2010年1月12日,強力な地震によりハイチの首都ポルトープランスとその周辺地域は壊滅的な被害を受けました。死者は数十万人に上り,それより多くの人が家を失いました。エホバの証人も数千人が家を失い,154人が死亡しました。重傷を負ったり,危ういところで助かったりした人も大勢います。

アクロクは,地震が起きた時に家にいました。壁が崩れ,ブロックがドミノのこまのように倒れ,アクロクは崩れ落ちた天井と床の間に挟まれて身動きが取れなくなりました。とはいえ,重傷を負ってはおらず,暗闇の中を手探りで周りを確かめました。本人はこう語ります。「バケツに手が届きました。引き寄せることはできなかったのですが,中の水に指を浸し,水滴で口元を湿らすことができました。また,小石が見つかり,それでたたいて音を出し,だれかに気づいてもらえればと思いました」。アクロクは助けを求めて祈り,小石をこつこつたたき続けて救助を待ちました。

アクロクはこう続けます。「時計を持っていなかったので何時か分かりませんでした。最初は泣きながら,助けてくださいとエホバに懇願しました。ですが,時とともに祈りの内容が変わりました。『復活させてくださることは分かっています。でも,わたしはまだ若いので,ここで死ななければあなたにお仕えしてゆけます』と祈りました」。

徐々にアクロクは生気が失われてゆくのを感じ,やがて石でたたく力もなくなりました。それから気を失ってしまいました。

アクロクが意識を取り戻すと,救助に当たるエホバの証人が瓦礫を崩しながら彼を捜していました。本人はこう言います。「突然,足元にコンクリートが落ちてきました。次に衝撃が加われば,わたしのひざにコンクリートが当たるに違いありません。それで,暗闇に差し込む光の方向に手を伸ばし,救助に当たる人の腕をつかみました」。間もなく,アクロクは救出されました。瓦礫の下敷きになって4日後のことでした。

迅速な救援活動

地震発生から24時間以内に,最初のエホバの証人の医師がドミニカ共和国の支部からやって来ました。その後にエホバの証人の医療関係者や救助に当たる人たちが相次いで到着し,寄付された物資も届きました。すぐに支部の敷地内に臨時の病院が設営され,1,000人以上のエホバの証人とそれ以外の人たちが治療を受けました。

治療を受けた人の中に,共に右腕を失った二人の若い女性がいました。支部で奉仕するミレーヌはこう語ります。「この二人も,手や足を失った他の独身の人たちと同じ悩みを持ち,結婚できず子どもを持てないのではないかと心配していました」。それでミレーヌはフランスの知り合いの姉妹と連絡を取りました。その姉妹は子どものころに交通事故で片腕を失っていました。ミレーヌがその姉妹に,二人の若い女性を励ましてほしいと頼むと,フランスの姉妹は自分と夫と二人のかわいい子どもの写真をメールで送ってきました。この家族の写真を見たことは若い二人にとって大きな慰めとなり,今では元気を取り戻しつつあります。

生き延びた人たちは,食料や衣類や医薬品に加え,住まいを緊急に必要としていました。ハイチや外国のエホバの証人の奉仕者たちは,1,700戸を超える仮設住宅を設計・建設し,家を破壊されたエホバの証人の家族が雨露をしのぎ,一定の安全を得られるようにしました。救援チームは6月に仮設の王国会館の建設を始めました。7月には当局は,恒久的な王国会館の建設に取りかかる許可を与えました。

身体面,感情面,霊的な面でのいやし

3月に,心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療を専門とするエホバの証人の医師が,震災に見舞われた115の会衆の長老たちと会合しました。この医師は長老たちに,感情面でのトラウマを抱えた会衆の成員に霊的な援助を与える際の実際的な提案をしました。その後,この医師は専門的な治療を必要とする100人以上の兄弟姉妹を戸別に診察しました。

地震が起きて間もなく,統治体のデービッド・スプレーンはハイチに行き,慰めや励ましを与えました。フランス語を話すスプレーン兄弟は,巡回大会で兄弟たちに話をし,またベテル家族,宣教者,巡回監督と会合しました。すべての人は,兄弟の愛ある気遣いと統治体の優しい世話に深く感謝しました。

山のような障害がある中で,ハイチ・クレオール語の「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」が完成し,印刷され,支部に発送されました。この新しい聖書は,7月の地域大会で発表されましたが,それが届いたのは発表のほんの数時間前のことでした。当初の救援活動から現在に至るまでの2010年中,さまざまな物事が急速に進みました。その期間を通じて関係者すべては,エホバが大小を問わず,常に導きや支えを与えておられるのを見,また感じてきました。これまで幾度となく,必要な物資や輸送手段や人員がすべてちょうどよい時に,単なる偶然とは思えないほど完璧な仕方で備えられました。長年の経験を持つ一人の宣教者が語ったとおりです。「この場にいる人でなければ,エホバのみ手が差し伸べられているのをこれほどはっきり知ることはできないと思います」。

支部の献堂式が神の栄光となる

2010年2月13日は,ソロモン諸島のエホバの証人にとって忘れがたい日でした。統治体の成員スティーブン・レットがこの土地の新しい支部施設を献堂する話をしました。出席した368人の中には,地元で最初にエホバの証人になったクレメント・ファアバスアも含まれていました。その1か月前に,新しい支部の近隣に住む人たちのために建物が公開され,273人が見学しました。訪問者の一人は建築家で,国の有力紙の中で次のように書きました。「[支部]施設全体はすべての点からして文句のつけようがない。この施設は,だれが使うかにかかわりなく,ソロモン諸島の人たちにとって,この土地でもここまでできるということを示す良い例である。設計者や多様な人種・民族から成る作業者や管理者たちは,パラダイスで輝く宝石を造ったと言えるだろう」。

2010年4月3日,土曜日にエストニア支部で記念すべき献堂式が執り行なわれました。出席した438人は,ギリシャ支部のクリスティアン・ムンテアンによる献堂式の話を含むプログラムを十分に楽しみました。支部に隣接する敷地にある2階建ての建物は,地元の水道会社から購入したものです。改装されたその建物には,オーディオ・ビデオのスタジオと,教室,例えば独身の兄弟のための聖書学校などに用いる教室があります。

隣国ラトビアの支部でも,2010年4月10日に献堂式が行なわれました。ラトビアでは1918年に良いたよりが初めて宣べ伝えられた後,わたしたちの活動に幾十年にも及ぶ厳しい反対が加えられました。しかし,今では宣べ伝える業は活発に行なわれています。九つの国から来た248人の代表者は,地元の兄弟姉妹と共に,クリスティアン・ムンテアンによる献堂式の話を聞きました。

2010年5月8日,土曜日,2,200人を超える出席者は,統治体のゲリト・レッシュによるパラグアイ支部の献堂式の話を楽しみました。32部屋から成る宿舎棟と新しい事務棟が建設され,既存の宿舎については修理と改装が行なわれました。さらに,容量4万㍑の貯水タンクが地下に造られました。地元の当局は工事の初めから,外国や地元の奉仕者たちが行なった仕事の質に感心していました。ある役人は,他の宗教の建物にはたくさんの不具合が見られたが,エホバの証人はすべてのことをきちんと行なうという評判を得ている,と述べました。結果として,支部建設の許可を取得するうえで何の問題も生じませんでした。

パプアニューギニア支部では,2010年5月29日,土曜日に,12の国から来た500人近くの兄弟姉妹がオーストラリア支部のウィンストン・ペインによる献堂式の話を聞きました。拡張された支部施設には,寝室,食堂,厨房,洗濯室が入った4階建ての建物と,王国会館が入ったサービス棟,それに翻訳のための広い事務所が含まれています。出席者の中には,六日がかりで険しい山々を越えて歩いてきた証人たちのグループもいました。その人たちはオロカイバ族の民族衣装を身に着け,踊りや歌で他の訪問客を温かく歓迎していました。長く奉仕してきたある姉妹は,涙を浮かべながら,「もう楽園が来たようです」と述べ,多くの人の気持ちを言い表わしていました。

『多くの実を結びつづける』

エホバの証人による一致した努力が今後も神の栄光となることに疑問の余地はありません。イエスはこう語りました。「あなた方が多くの実を結びつづけてわたしの弟子であることを示すこと,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです」。(ヨハ 15:8)エホバの祝福と愛に富む導きによって,証人たちは「あらゆる良い業において実を結び,また神に関する正確な知識を増し加えつつ,神にじゅうぶん喜ばれる者となることを目ざしてエホバにふさわしい仕方で歩む」よう努めてゆきます。そして,「あらゆる力をもって神の栄光ある強大さのほどにまで強力にされ,十分に耐え忍ぶ者,また喜んで辛抱する者となり」ます。―コロ 1:10,11

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奈津枝は聖書研究を再開した

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調査をする人は情報の正確さを注意深く確かめる

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韓国

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メキシコ

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南アフリカ

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ハワイの国際大会で話をするスティーブン・レット

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ドミートリー・スミーク

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エバンゲロス・デリス

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司法省から交付された証書

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地震の後すぐにエホバの証人の医療関係者がやって来た

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ハイチや外国のエホバの証人の奉仕者たちは1,700戸を超える仮設住宅を設計・建設した

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ハイチ・クレオール語の「クリスチャン・ギリシャ語聖書新世界訳」が発表された

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エストニア支部の拡張部分

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パラグアイ支部

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ウィンストン・ペインはパプアニューギニア支部の献堂式の話をした