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全地で宣べ伝えて教える

全地で宣べ伝えて教える

全地で宣べ伝えて教える

遠い昔,使徒ヨハネは預言的な幻の中で,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た」,数えきれないほど大勢の群衆を目にしました。その人々は,「大患難」を生き残って神の新しい世に入る人であることが示されました。(啓 7:9,14)以下のページに挙げられている数字や経験から明らかなのは,大群衆が集められ,しかもますます増大しているという点です。そのことから,エホバの約束の確かさに対する信仰が強まるのではないでしょうか。

アフリカ

国や地域 57

人口 9億4,953万3,064人

伝道者 126万7,314人

聖書研究 281万9,310件

手紙が慰めとなった。南アフリカに住むアイリスは,家族を亡くした人たちにお悔やみの手紙を書いています。手紙には「すべての苦しみはまもなく終わる!」と「亡くなった家族の者にはどんな希望がありますか」のパンフレットを同封します。最近,シドニーという男性から返事がありました。その人は,38年連れ添った妻を亡くしました。こう書いています。「医療関係者から話を聞いて,愛する妻の死を覚悟してはいたのですが,実際そうなってみると苦々しさや戸惑いや不安がぬぐえず,悲嘆に暮れていました。あなたのような方がいることを主に感謝しなければなりません。全く見知らぬ人のために時間を割き,労を執って神の約束について伝えるというのは,非常に気高いことです。あなたが言い表わした信仰は,私の宝となって心に残り,この先つらく感じる時に支えとなることでしょう。お手紙やパンフレットを読ませていただき,穏やかさを取り戻し事実を受け止める兆しが見えてきたような気がします」。

中絶が回避される。ベナンの若い姉妹グロリアが大学生のアルノーに証言していたところ,彼の携帯電話が鳴りました。電話を受けたアルノーは,今から友人を助けに行かなければいけない,と言いました。グロリアは急いでかばんに手を伸ばし,最初に手にした雑誌を渡しました。アルノーは表紙も見ずに受け取り,立ち去りました。

電話はアルノーの友人からで,ガールフレンドが妊娠したので中絶するよう言うつもりでいるという内容でした。友人に会いに行く途中にアルノーは雑誌を見ました。「表紙の“中絶”という言葉を見て,目を疑いました」と後に述べています。グロリアがたまたま渡したのは,「目ざめよ!」2009年6月号の「中絶 ― なぜ重要な問題ですか」という記事だったのです。アルノーの友人はその記事を読んで,中絶させないことにしました。後にそのガールフレンドは,かわいい女の赤ちゃんを産みました。

呪医を恐れない。キングという名の正規開拓者は,ジンバブエの必要の大きな地域に移動しました。姉妹たちと野外奉仕をしていた時,有名な呪医の家のところに来ました。姉妹たちは呪医であるその女性と話すことに乗り気ではありませんでしたが,キングは家庭聖書研究を勧めることにしました。呪医は,近づいてきた伝道者たちが顧客だと思い,要件を尋ねました。キングは「聖書は実際に何を教えていますか」の本を見せて,家庭聖書研究を行なうことを勧めました。呪医は研究に応じました。キングはこう言います。「意外にも,たくさんの疑問を持っている人でした。それで再訪問をし,研究を司会しました」。キングたちが3週間後にその女性を会衆の集会に招待すると,やってきました。その人は心霊術の物品をすべて処分し,霊的に急速に進歩し,数か月後にはバプテスマを受けたのです。

「うちにも来るよう祈っていてよ」。10年前に,パトリックはアンゴラから米国に移住しました。その後もパトリックは母親のフェリシダデと電話で連絡を取り合っていました。最近はインターネットのビデオ通話によって互いの姿を見ながら話せるようになりました。ある日,母親との通話の際に,部屋に別の人がいるのが見えたので,だれなのか尋ねました。すると,エホバの証人である母親のフェリシダデは,「会衆の姉妹で,わたしに会いに来たのよ」と答えました。

パトリックはこう言いました。「どうしてエホバの証人はぼくの所には来ないんだろう。この国に移住して10年になるのに,一度も来たことがない。うちにも来るよう祈っていてよ」。

母親ともう一人の姉妹は,少し驚きましたが,「分かったわ。あなたのために祈るわ」と答えました。

それから三日後,エホバの証人がパトリックの家を訪ねてきました。パトリックはびっくりして,米国のだれかに訪問を依頼したのか母親に尋ねました。母親は依頼してはいませんでした。パトリックは,神が祈りに答えてくださったに違いないと考え,聖書研究の勧めに応じました。また,すべての集会に直ちに出席し始めました。母親と次にビデオ通話をした時には,うれしそうに『聖書の教え』の本の研究している章を見せました。集会に着て行けるスーツを買ったことも伝えました。

 なぞのバプテスマ希望者。2010年にコンゴ共和国のブラザビルで開かれた地域大会の初日,エドバルという若者がバプテスマを受けたいと申し出ました。どこの会衆から来たのかを尋ねられたエドバルは,「モサカです」と答えました。遠く離れたその村には,エホバの証人が一人もいませんでした。そのため,兄弟たちはエドバルがどのようにしてバプテスマを受けたいと願うまでになったのか不思議に思いました。

エドバルが長老たちに説明したところによると,2007年にブラザビルで祖父と「求め」のブロシュアーを研究し,さらに『聖書の教え』の本の14の章を学んだということでした。その後,両親と一緒に生活するためモサカに引っ越しました。そこで奉仕しているエホバの証人はいなかったため,父親に『聖書の教え』の本の残りの章を研究してもらうよう頼みました。父親が質問を読んで,エドバルが答えるという方法で本を研究し終えました。エドバルは学んだ真理について他の人に知らせる必要があると感じました。それで,2009年10月からモサカで「求め」のブロシュアーを用い,一人で伝道を始めました。宣教奉仕に費やした時間を記録して,奉仕報告をブラザビルにいる祖父に定期的に送りましたが,祖父はその報告を会衆に提出しませんでした。

後に,支部はエドバルのことを知らずに一時的な特別開拓者をモサカに3か月間派遣します。特別開拓者の一人であるダニエルは,モサカを去るちょうど二日前にエドバルが「求め」のブロシュアーを使って聖書研究を司会しているのを目にします。それで,ダニエルはエドバルに声をかけました。エドバルは,「伝道しているんです。ぼくは伝道者です。お父さんに聞いてみてください」と言いました。ダニエルはエドバルの父親に会い,事実を確認しました。特別開拓者たちは滞在の残りの時間を用いて,エドバルに宣教の訓練を施しました。開拓者たちが去った後,熱意を新たにしたエドバルは宣べ伝え続け,10件以上の聖書研究を司会しました。そして,エホバに献身したのです。

先に述べた大会の金曜日に,こうした経緯を聞いた二人の長老がエドバルと会い,バプテスマを受けていない伝道者になることを希望する人たちのための質問を考慮しました。エドバルの立派な返答に長老たちは驚きます。長老たちはまた,エドバルの行状が模範的で,承認を得たわけではないものの,すでに9か月も宣べ伝えてきたことを特別開拓者から聞きます。こうして,エドバルはバプテスマを受けていない伝道者として承認されました。翌週の週末にリンガラ語の地域大会が予定されていたので,長老たちはエドバルがその間にバプテスマの討議をするよう取り決めます。エドバルは真理をよく理解していることを示し,2010年7月にリンガラ語の地域大会でバプテスマを受けました。バプテスマを受けていない伝道者として承認されたちょうど一週間後に,長老はエドバルがバプテスマを受けた兄弟となったことを発表したのです。

エドバルはバプテスマを受けた後,ブラザビルで補助開拓奉仕を2か月間行ないました。長老たちはエドバルが「自分を神の愛のうちに保ちなさい」の本を学べるよう取り決めました。その後,エドバルはモサカに戻ります。最近,一人の特別開拓者がこの区域で奉仕するよう割り当てられました。エドバルは,4月に補助開拓奉仕をとらえ,特別開拓者と共に奉仕しました。そして,記念式には182人もの関心を持つ人が出席し,それらの人々を歓迎しました。エドバルは16件の研究を持っており,そのうち7人は集会に出席しています。集会はこの二人の兄弟によって行なわれています。2011年の時点で,エドバルは15歳でした。

南北アメリカ

国や地域 55

人口 9億4,126万5,091人

伝道者 378万288人

聖書研究 413万9,793件

「とても偶然とは思えません」。米国のサンディーという姉妹が家にいた時,電話がありました。知らない女性からだったので,かけ間違いではないかと言いました。するとその人は,自分はほとんど目が見えず,間違えてしまうことがあると言いました。少し会話になり,その人はショックなことがあって息子に電話しようとしていた,ということを説明しました。医師から,がんであると告げられたのです。その女性は打ちのめされ,神がなぜそのようなことをお許しになるのかと不満を漏らしました。サンディーは,聖書の音信を伝えなければと思い,勇気を求めて手短に祈ったのち,励みとなり慰めや希望を与える聖句を幾つか紹介しました。神には名前があることを説明し,神の名を用いて呼びかけ,具体的に祈るように勧めました。女性はサンディーに,話を聞き励ましを与えてくれたことについて感謝しました。そして,「この番号にかけたのはとても偶然とは思えません」と言いました。

互いに連絡先を伝えてから,サンディーは『聖書の教え』の本の録音されたものを郵便で送り,その地域に住む開拓者の姉妹に訪問してもらうよう依頼しました。サンディーはこう語っています。「エホバが愛情深くも多くの訓練を施し,いろいろな状況にある人をどう慰めたらよいかを教えてくださっていることに感謝しています」。

パンフレットから答えが得られた。プエルトリコでは,幾人かの姉妹たちが大きな医療センターのそばで定期的に街路証言をしています。一人の姉妹は,足早に病院に向かう二人の男性に近づきました。急いでいる様子だったので,「人間には不滅の霊がありますか」のパンフレットを渡しました。姉妹は普通,そのパンフレットは街路証言で使いませんが,たまたまそれしか持っていなかったのです。二人の男性は後に別の姉妹に近づき,パンフレットを受け取ったと言いました。病状が深刻な家族を見舞いに行く途中に受け取ったのです。人の霊は死後も生き続けるのだろうかと話していた折に,そのパンフレットを読んで答えを得たとのことでした。二人はその情報に感謝していました。

エホバへの手紙。7歳のジョシュアは,米国に住む小学生です。12月に先生はクラスのみんなに,サンタクロースあてに手紙を書くよう言いました。ジョシュアができないと丁寧に断わると,先生は,「だれかほかの人に書いてもいいですよ」と言いました。ジョシュアはエホバに手紙を書くことにしました。その内容はこうです。「楽園のやくそくをありがとうございます。イエスという名前の子どもをあたえてくださり,ありがとうございます。イエスは命をささげてくれました。ぼくたちが楽しめるたくさんのものをつくってくださり,ありがとうございます。ぼくはエホバが大すきです」。その手紙は,他の子どもたちの手紙と共に,地域の新聞に掲載されました。

親族がこたえ応じる。コロンビアのアレハンドロという兄弟は,親族に証言したいと思っていました。親族は遠方に住んでいたため,手紙を書き,「ものみの塔」や「目ざめよ!」を何冊か送りました。親族のパブロは受け取った雑誌を読み,聖書を開いて確かめ,カトリック教会の教えが偽りであることを悟りました。興奮したパブロは,知った事柄を他の親族に伝えます。彼らもそれが真理であることを認め,カトリック教会を去りました。

やがて親族15人が毎晩集まり,それらの雑誌を手引きに聖書を調べ始めました。さらに情報を得たいと思い,近くの幾つかの町でエホバの証人を探しましたが,見つかりませんでした。その間にも,知った事柄を近所の人たちに話すようになりました。後に,車で1時間ほどの町に王国会館があることが分かりました。それで直ちにそこに向かい,助けを求めました。

今では一人の正規開拓者が週1回,彼らのところに出向いて聖書研究を司会しています。26人が一緒に研究し,その中にはアレハンドロの親族に加え,関心を持つ11人も含まれています。この人たちは公開講演と「ものみの塔」研究に出席できるよう車を借りることもし,研究している人たちの大半が出席しています。

違う家に行ったのは間違いではなかった? ある日,一人の姉妹が病気になり,聖書研究の司会を別のエホバの証人にお願いしました。研究は,エクアドルの田舎のキチュア語が話される地域で行なわれていました。兄弟たちは,その家族の住む場所がよく分からず,ある家に立ち寄り,聖書を研究している人を知っているか尋ねました。すると家の人たちから,待っていたかのような温かい歓迎を受けました。しかし,始めてみると,この家族が研究などしていないことが分かりました。その家の人は,家族で聖書を学べるということがうれしくて,研究生のふりをしたのです。こうして新たな聖書研究が取り決まりました。姉妹が病気だったためその日に研究できなかった人たちも,研究を続けています。

カップケーキが証言のきっかけに。6歳のケーレブがカナダで学校に行った最初の日は,クラスメートの誕生日でした。その子の母親ナタリーは,クラスのみんなのためにカップケーキを持って来ました。ケーレブは丁寧に断わりました。ナタリーはケーレブに近づき,食物アレルギーなのかと尋ねました。するとケーレブは,「ちがいます。ぼくはエホバに仕えているんです」と答えました。

放課後,ナタリーはケーレブの母親に近づき,「エホバの証人ですか」と尋ねました。そうだという答えを聞いて,ナタリーは大喜びしました。十代のころエホバの証人と研究していましたが,家族から激しい反対を受けて,やめてしまったのです。もう一度聖書を研究してみないかとの勧めに,ナタリーは快く応じました。

神がそう望んでおられるのではない。ペルーのラリという女性は,生まれつき耳が聞こえません。なぜなのか母親に尋ねると,神様がそう望んでおられるから,と言われました。その答えにラリは悲しくなり,神を恨みました。「どうしてわたしをつらい目に遭わせるの?」と感じたのです。

歳月が過ぎ,ラリはろう者の青年と結婚しました。最初に生まれた子どもはダウン症でした。不安に襲われ動転したラリは,このたびも助けを求めて母親に,「なぜわたしの息子がこうなって生まれてきたの?」と尋ねました。母親は,司祭に聞くよう言いました。司祭の答えは,以前に母親が述べたのと同じで,「神様がそう望んでおられるから」というものでした。

ラリは取り乱し,こう返しました。「神様はなぜそんなに残酷なんですか。わたしの耳が聞こえないのがわたしに対する神からの罰というのなら,あきらめます。でも,子どもに罰を与えるとはどういうことですか。生まれたばかりなのに,どんな罪を犯したというんですか」。ラリは以後,神については何も聞くまいと心に決め,教会を去りました。

何年か後,手話のできるエホバの証人がラリの家を訪ね,聖書を学ぶよう勧めました。ラリは断わり,神を信じていないと言いました。この姉妹は根気強い態度で,ラリが知りたくないと思っている神にはエホバという名があること,またラリの聴力や言語能力を回復させたいと願っておられることを説明しました。信じられないと思ったラリは,根拠を尋ねました。すると姉妹は聖書を開いてイザヤ 35章5節を手話で伝えました。「盲人の目は開かれ,耳の聞こえない者の耳も開けられる」という言葉です。これはラリにとって驚きでした。彼女は聖書研究の勧めに応じ,進歩してバプテスマを受けました。息子もラリと共にすべての集会に出席し,手話を覚えました。ラリは聖書の約束に対する感謝の気持ちを深めており,今では正規開拓者として奉仕しています。

アジアと中東

国や地域 47

人口 41億9,412万7,075人

伝道者 66万4,650人

聖書研究 62万9,729件

答えられなかった二つの質問。わたしたちの業が制限されているアジアのある国でのこと,24歳の男性が聖書研究の勧めに応じました。エホバの証人の教えが誤りで,自分の信じるカトリックの教えが正しいことを証明するつもりだったのです。しかし程なくして,真理を教えているのはエホバの証人であることを悟ります。

その青年が聖書を学んでいることを知った家族は,彼を家族会議に呼び,カトリック教会に戻るよう圧力をかけました。それを拒むと,家族は村に住む親族を全員集め,皆で責め立てて,新たに受け入れた教えを捨てさせようとします。青年は打ちたたかれても,妥協しませんでした。家族は次いで司祭に通報し,司祭は青年を教区会議に引き出しました。青年は,司祭が二つの質問に答えられるなら教会に戻ってもよいと述べました。その質問とは,神の名前は何か,聖書が禁じているのに教会が成員に血を食べることを許しているのはなぜか,という点です。司祭はどちらの質問にも答えられず,「悪霊払いをしてやろう」と言って青年のほほを平手打ちしました。会議はそれで終わりました。

その後,青年の家族は友人たち全員を集め,無理やりマリア像にひざまずかせようとしました。このたびも殴打を加えましたが,それでも妥協しませんでした。次に家族は,魅力的な若い女性を使い,教会に戻るなら結婚してあげると言わせました。青年はその女性に,司祭にした二つの質問に答えられるなら戻ってもいいと告げました。女性はその場を去り,二度と姿を現わしませんでした。最後に,青年は7か月にわたって監禁されます。それでも何とか村を抜け出して,前にいた都市に戻り,兄弟たちと連絡を取りました。1か月後にはバプテスマを受けていない伝道者になり,2011年3月に巡回大会でバプテスマを受けました。

看守が姉妹の弁護に回る。韓国の正規開拓者の姉妹は,クリスチャンとしての中立の立場ゆえに投獄された息子に面会に行きました。姉妹は待合室で,隣に座った男性にパンフレットを渡しました。すると男性は,「おまえらインチキ宗教はこんなところでも伝道するのか」と声を荒げました。その罵声は,同じ部屋で待っていた三,四十人の人の注目を引きました。すると,刑務所の看守が男性を叱りつけ,こう言いました。「この人たちの宗教は本物だ。ほかの宗教はどれもインチキだ。この刑務所で長年働いてこの人たちを見てきたが,教えを本当に実践しているのはこの人たちだけだ」。暴言を吐いたその男性は,返す言葉もありませんでした。

壁に文字。ハリンドラという男性は聖書研究を始めた時,すでに10年間一人暮らしをしていました。村に住む家族を養うためネパールの大きな都市に出稼ぎに来ていたのです。ハリンドラは文字が読めなかったため,聖書研究を司会したエホバの証人は「地上での生活を永遠に楽しんでください」のブロシュアーを使いました。当時はまだこのブロシュアーのネパール語版が出ておらず,英語版で研究しました。ある日,村に住む妻がハリンドラに会いに来ます。夫が英語のブロシュアーで研究しているのを見て驚きました。さらに,お酒を飲むのをやめ,妻に暴力を振るわなくなりました。こうした変化すべては聖書を研究したおかげであるということを知った妻は,自分の村で聖書研究を始め,集会に出席するようになりました。ハリンドラはエホバについてさらに学びたいと思い,読み書きを学ぶことを決意しました。研究司会者に,ネパール語の文字を紙に書いてもらい,部屋の壁に貼ってゆき,壁は文字でいっぱいになりました。次いで,新しい単語や文字をすべて読む練習をし,やがてゆっくりながら読めるようになりました。そのうち家族を都市に呼び寄せて一緒に生活し,共にエホバを崇拝できるようにしました。そして2年でバプテスマを受けました。今では家族と一緒に集会に出席しています。ハリンドラは神権宣教学校の聖書朗読の割り当てを果たしています。本人は,「エホバの教育のおかげで生活がとてもよくなりました」と語っています。

20万㌦でも動じない。アゼルバイジャンに住むザルハヌムという女性は,心霊術に深くかかわっていました。15年にわたって,超能力を持ち予知のできる人として知られていました。呪いを解き,いやしを行なえるとも見られていました。ザルハヌムは有名な人でした。顧客の多くは高い位の人やその妻たちで,降霊会のために2,000㌦ないし4,000㌦の報酬を支払っていました。当然ながら彼女は裕福でした。ザルハヌムは心霊術を行なう力があったとはいえ,霊的には飢えていて,いろいろな疑問に悩まされていました。結婚生活も破綻し,生きる意味を見いだせないでいました。ある日,神に自分の悩みを必死に打ち明けていたところ,ドアをノックする音が聞こえました。ドアを開けて応対に出ると,二人の姉妹が証言を始めました。神に喜んでいただくには,言葉だけでなく行動も重要であるという話に,ザルハヌムは心を動かされました。信心深くても行動の面で敬虔とはとても言えない人々のことをよく知っていたからです。さらに,心霊術の慣行は罪であることに気づいてもいました。ザルハヌムは聖書研究の勧めに応じました。やがてエホバのみ名を用いて祈るようになり,エホバが祈りに答えてくださることを実感しました。とはいえ,心霊術をやめるのは簡単ではありませんでした。悪霊に絶えず悩まされ,殴られることさえあったのです。それでもエホバの助けにより,悪霊の影響から自由になりました。心霊術や偽りの宗教との媒介になっていた多くの物品を処分することもしました。

程なくしてザルハヌムは良いたよりの熱心な伝道者になり,2011年5月にバプテスマを受けました。そして直ちに補助開拓奉仕を申し込みました。時間の要求を満たすのは難しくありませんでした。健康がすぐれないにもかかわらず,バプテスマを受ける前から月に70時間以上を伝道に充てていたからです。バプテスマの2か月前,政府高官の妻から,20万㌦(約1,700万円)を払うので呪いを解いてほしいと頼まれました。病気で片足を切断せざるを得なかったのは呪いをかけられたからだと信じていたのです。ザルハヌムはその申し出を断わりました。代わりに二人の姉妹が病院に出向いてその女性に良いたよりを伝えるよう取り計らいました。熱心なザルハヌムは,かつての顧客にも定期的に証言し,自分がしていたことは神の目に悪いことだったと説明しています。結果として,以前の顧客の一人で,政府高官の妻を紹介した女性が聖書研究の勧めに応じ,集会に出席するようになりました。

刑務所で証言する。インドで二人の姉妹が,宣教を行なったために逮捕され,五日の刑を宣告されました。その一人はこう語っています。「刑務所に入れられるや,何をしたのかと警察官たちに聞かれました。それは証言する良い機会となりました。野外宣教をしていてそのまま警察署に連行されたため,雑誌やパンフレットは十分に持っていました。会う人すべてに証言し,文書をたくさん配布しました。二人で励まし合い,祈りをささげ,持っていた出版物を読みました。

「その後,市内の別の刑務所に移されました。他の受刑者たちはすぐに,なぜ逮捕されたのかと聞いてきました。それがきっかけとなって,宣べ伝えていた内容を話すことができ,エホバの証人としての立場を明らかにすることもできました。そのやり取りを聞いていた女性の看守から,『刑務所の外で伝道していて投獄されたのに,中に入れられてもよくも懲りずに伝道するものだわ』と言われました」。二人の姉妹は現在,真理に関心を示した囚人に面会して証言することを計画しています。

警察官の注目を引いた愛。ベツレヘムで二人の姉妹は,小さな店が並んでいる区画で伝道を始めるところでした。不意に二人の女性が駆け寄り,スペイン語で興奮気味に,エホバの証人かどうか尋ねてきました。それらの女性は,メキシコから団体旅行でイスラエルを訪ねていたエホバの証人で,姉妹たちの携えていた文書に気づいたのです。4人は抱擁とキスを交わし,写真を撮り,住所を交換しました。その後,メキシコ人の姉妹たちはグループに戻り,地元の二人の姉妹は店への訪問を始めました。

数時間後,一人の警察官がその二人に近づき,スペイン人なのかと尋ねました。姉妹たちは,違うと答えました。警察官によると,4人の様子を見て,長く会っていない友人同士か親族に違いないと思った,とのことでした。姉妹たちは,4人ともエホバの証人であること,またエホバの証人は相手が違う国の人や初対面の人でも,互いに愛を持っているので家族のように感じる,と説明しました。警察官は感心して文書を受け取り,どこに行けばその宗教についてさらに知ることができるか尋ねました。再訪問の約束ができました。

「だれかがいるかもしれない」。日本の若い開拓者である侑右は,英語の群れで奉仕しています。ある日,外国のいろいろな国の人を乗せた客船が入港することを知りました。それで,その日は早起きし,豪雨でしたが車を2時間走らせて長崎港に行きました。雨の中,一人で埠頭に立っていると,大勢の乗客が降りてきて,侑右を観光ガイドと勘違いし,近づいてきました。そのため幾つかの言語の雑誌70冊,ブロシュアー50冊を30分足らずで配布できました。

車に文書を取りに行って戻る途中で,若い男性の乗客が一人で立っているのを見かけました。侑右が近づくと,青年は英語で,「もしかしてエホバの証人ですか」と尋ねました。そうだと答えると,青年は泣き出しました。侑右は話ができるよう,その人をカフェに連れて行きました。

ジェーソンというこの青年は21歳で,米国から来ていました。その説明によると,両親は活発なエホバの証人ということでした。さらに彼は十代後半まではバプテスマを受けていない伝道者でしたが,半年ほど前に会衆と交わるのをやめていました。そしてアジアの幾つかの国をめぐる客船に乗り込みました。アジアまで行けばエホバの証人に会わないで済むと考えたのです。ただ途中でおなかをこわし,タイとベトナムと台湾では船を降りられませんでした。最初に船を降りたのが日本で,最初に話しかけてきたのがエホバの証人だったのです。ジェーソンは,「もうエホバから逃げられない」と思い,それが泣き出した理由でした。

カフェで侑右はジェーソンと一緒に「神の愛」の本の数節を討議し,エホバが今もジェーソンを愛しておられることを示しました。そして,エホバの組織を離れることがないよう訴えました。残念ながら,一緒に過ごせる時間は少ししかありませんでした。ジェーソンの船はその晩,韓国の仁川<インチョン>に向けて出航しました。そこで数日観光するつもりでした。

侑右は,ジェーソンのためにできることはないかと考え,韓国の国際大会で知り合いになった兄弟のことを思い出しました。その兄弟は英語を話し,仁川に住んでいました。その晩,侑右はこの兄弟に電話をしました。ジェーソンはこのやり取りを知る由もありませんでした。翌朝,船を降りたジェーソンは,「ジェーソン,韓国へようこそ!」という大きなサインを持つ,笑みをたたえた5人のエホバの証人を目にしたのです。ジェーソンは観光の予定をすべてキャンセルし,兄弟たちと時間を過ごしました。同年代の若い兄弟たちが信仰ゆえに投獄されている経験をじかに聞き,深く感動しました。さらに,現地で記念式に出席しました。

ジェーソンは米国に戻って再び活発な伝道者になり,週4回の研究を長老にお願いしました。こうして『聖書の教え』の本と「神の愛」の本の研究を終え,バプテスマの資格にかなうまでになりました。侑右が初めて声をかけてから107日後にバプテスマを受けたのです。そして翌月には補助開拓をしました。

侑右はその冷たい雨の日の朝,一緒に行く人がいなかったのに,どうしても長崎に行きたいという気持ちに駆られたことを覚えています。「だれかがいるかもしれない」と思ったのです。

ヨーロッパ

国や地域 47

人口 7億3,650万5,919人

伝道者 158万9,052人

聖書研究 84万3,405件

何か特別なものを見いだした。ブルガリアのアニという女性は,数か月のあいだオランダへ働きに行きました。ある日,気落ちしたアニは歩道に立ち止まり,自分の教会の人たちを遣わしてくださるよう神に祈りました。祈っていると,エホバの証人の二人の姉妹が通りかかり,立ち止まって証言を始めました。アニはそれを祈りの答えと考え,二人の話を聞き集会に出席するようになりました。集会で話される事柄は理解できませんでした。それでもエホバの証人が互いに愛を抱いていることはよく分かりました。故国ブルガリアで属していた教会で目にした不一致とは大違いで,何か特別なものを見いだしたことを確信しました。ブルガリアに帰国する時には,オランダで研究を司会していた姉妹も同行し,アニがソフィアのエホバの証人と連絡が取れるようにしてくれました。このことでもアニは感激し,真の宗教を見いだしたと思いました。

そのうちアニと夫のイボが一緒に研究し,集会に出席するようになりました。研究が進むにつれ,他の人たちもその場に同席することがありました。その一人アセンは,ある宗教グループの牧師でした。エホバの証人の間違いを証明しようとしてアニとイボのところに来ましたが,間違ってはいないことをじきに知り,聖書に関連した深い質問をしてきました。結果として,アセンも学ぶよう勧められ,家族と共に研究を始めました。アセンはしばらくは自分の宗教グループとの集会も司会しましたが,『聖書の教え』の本から学んだ真理を教えるようになりました。やがてそのグループで牧師の補佐をしていたデンチョという男性も聖書研究を希望しました。程なくして,そのグループの中でほかに3家族が聖書研究をするようになりました。今やその教会に属する大勢の人がエホバの証人と研究していたため,彼らは自分たちの集まりを開くのをやめ,会衆の集会に出席することにしました。デンチョは伝道者になり,友人数名との聖書研究を司会しました。こうして今では,最初にオランダでアニが話を聞いたことがきっかけで,30人ほどが聖書研究を始めて集会にも出席しています。

結婚生活についての聖句をただ読んだ。チェコ共和国のある夫婦は,モンゴル出身の若い夫婦と王国会館で聖書研究をしていました。司会者の夫婦はモンゴル語の学習に熱心に取り組んではいましたが,互いに意思を通わせるのは容易ではありませんでした。それでもモンゴル人の若い夫婦は謙遜に,また辛抱も示しながら聖書の真理を受け入れているようでした。ある晩,集会に妻だけがやって来て,夫は一緒ではありませんでした。夫とは分かり合えないので別れるつもりだと言うのです。しばらくして夫もやって来ましたが,妻と目を合わせようとしません。容易ならぬ状況であることは明らかでした。司会者の兄弟は話を聞こうと夫と共に王国会館の図書室に行きました。しかし,兄弟はモンゴル語をほとんど話せなかったため,二人の間に何が起きたかが分からず,具体的なアドバイスをすることもできませんでした。それで夫に対して聖句をただ読むことにしました。結婚生活やコミュニケーションについて,覚えている聖句をすべて読んだのです。若い夫は,聖句一つ一つに心を動かされている様子でした。そしてにわかに図書室を飛び出すと,妻のところに駆け寄ってキスしたのです。帰る時には,妻のハンドバッグを持つと言って聞きませんでした。夫は妻を支える必要があると学んだからです。

翌日,その夫婦は新婚のような様子で,エホバと結婚生活に関連した聖書に基づく賢明なアドバイスとに深く感謝していると,幸せそうに話していました。後に夫婦は,残してきた二人の子どもの世話をするためモンゴルに帰国しました。この一家は,会衆のない町に住んでいます。妻はバプテスマを受け,夫はバプテスマに向けて進歩を続けています。

「何が不満なのかさっぱり分かりません」。ウクライナでのこと,開拓者の姉妹オルハは,トラックで食料品を配送していた男性に証言しました。その人に,「今の時代にだれかを信頼できると思いますか」と尋ねました。

男性はこう答えました。「いや,できないでしょう。妻は2歳の息子を連れて出て行ったんです。いったいどうしろって言うんでしょう。毎日くたくたくになるまで働いたのは妻のためでした。指輪が欲しいと言えばすぐに買ってあげたし,ブーツもネックレスも手に入れましたよ。そこまでしてあげたのに,何が不満なのかさっぱり分かりません」。

姉妹は,奥さんと子どものためにどれほど時間を取ってあげていたかを親切に尋ねました。すると,「真夜中まで働いているのに,時間なんか取れるわけないでしょう。午前4時にはまた仕事に行くんです。週末も仕事ですよ」という答えでした。

オルハは「目ざめよ!」誌の特別号,2009年10月号の「幸せな家庭を築くには」という記事を見せました。そして最初の秘訣である「優先順位を間違えない」という点を示しました。内容を一緒に考えた後,男性は心を動かされたようで,こう言いました。「お金さえあれば家族は幸福で,ほかのものはあまり重要ではないと思っていました。でも,お金ではないんですね。何が足りなかったか,妻が何を求めていたか,よく分かりました」。

一週間後,オルハはこの運転手の男性に会いました。雑誌を読んでよく考え,いろいろなことを見直した,ということでした。男性は妻を呼び戻し,仲直りしていました。オルハは今度は「幸せな家庭」の本をプレゼントしました。翌週,オルハは同じトラックを見かけましたが,運転していたのは違う人でした。その人の話によると,それまでの運転手は仕事を辞めて家族と共に別の地域に引っ越した,ということでした。そして男性からの次のメモを受け取りました。「オルハさん,本当にありがとうございました。あなたの神エホバにも感謝しています。おかげで家族が救われました。今度エホバの証人に会えたら,ぜひ話を聞きたいと思います」。

神からのしるしを求めていた。ラトビアのある若い男性は,約15年前にエホバの証人の証言を受けて聖書の音信に興味を持ちました。研究には応じたものの,したりしなかったりでした。“単なる本”に過ぎない聖書を調べても神を見いだせるとは思えなかったのです。超自然的な,あるいは神秘的な方法で神が直接にご自身を啓示してくださることを期待していました。それで聖書研究をやめ,そのうちエホバの証人との接触も途絶えました。数年後,多くの問題を抱えていたこの男性は,助けを求めて神に祈りましたが,奇跡は起きませんでした。ただ,その時に窓から外を眺めると,二人の姉妹が連れ立って伝道しているのが見えました。数週間後に再び祈ると,窓越しに同じ姉妹たちが通り過ぎるのが見えました。それから一週間後に祈った時,またもや同じ姉妹たちが伝道でそこを通るのが見えました。三度目であり,これこそ神からのしるしに違いないと考えました。それで外に飛び出し,何事かと驚く姉妹たちに,何年も前にやめた聖書研究を再開したいと伝えました。やがてこの男性は,問題を克服し神に近づくための力を得ました。その力を与えたのは,ほかならぬ聖書でした。男性は2010年の地域大会でバプテスマを受けました。

小さなポットにも耳がある。デンマークのこのことわざは,子どもが大人の会話を思いのほか聞いているという考えを伝えています。今から16年ほど前,デンマークの一人の姉妹は,3人の息子を持つ女性との聖書研究をしていました。姉妹の夫もエホバの証人で,その家で行なわれた研究に,この女性はしばしば親子で一緒にやって来ました。後に女性は研究をやめました。そのころ,いちばん年下の息子ロニーは8歳でした。ロニーは成長するにつれ,いろいろ問題を抱えるようになりました。そして22歳になった2008年のある日,母親の家でエホバの証人の雑誌を目にし,子どもの時に研究してくれた夫婦に急に会いたくなりました。15分後,ロニーはその夫婦の家のベルを鳴らしていました。兄弟が応対に出ると,ロニーは迷わず中に入りました。ロニーだと分かるまでに少し時間がかかったとはいえ,幸福な再会になりました。ロニーは『聖書の教え』の本を受け取り,研究の勧めに応じました。研究は順調でした。ただ,ロニーはゲームの空想の世界にどっぷり浸かっていて,オカルトや暴力を特色とするゲームもしていたため,話はすぐにゲームのことに向いてしまいました。それでこの夫婦は,霊的な事柄を理解するのにゲームの世界と結びつけて考えたりしないようにと諭しました。ロニーは理解し,「ぼくがまたくだらない話を始めたら注意してください」と言いました。それ以来,よく進歩しています。この若者は,母親が聖書研究をしていたころに初めて真理について聞き,いわば“耳のある小さなポット”でしたが,今はバプテスマを受けていない伝道者です。

聖書からの慰め。英国でのこと,ある兄弟は一人の男性が墓の前でひざまずき,泣いているのを見かけました。それを見て,ちょっといいでしょうかと声をかけました。アルフというその男性は,どうぞと述べ,こう話しました。「娘を亡くしたばかりです。まだ42歳でした。この場所に妻と娘が眠っているんです」。男性は国によるカウンセリングを依頼しましたが,3か月待ちだと言われました。アルフはこう続けました。「わたしは多くの事業を手がけ,お金には困っていません。でも,家族がいなければ,いくらお金があっても何にもなりません。妻と娘が帰ってきてくれるなら,すべてを手放してもいいと思っています」。さらに,自分は神を信じ,聖書を尊び,教会に通ってきたものの,満足のゆく答えは得られなかったと述べました。教会で慰めてほしいと伝えると,ろうそくをともすか,メッセージを書いて木の枝に吊るすようにと言われました。「紙切れ一枚に家族への思いを書ききれるわけがありません」と,アルフは不満を漏らしました。兄弟は聖書を用いてアルフを慰めました。現在,この男性は聖書を研究しています。

オセアニア

国や地域 29

人口 3,816万2,658人

伝道者 9万4,309人

聖書研究 5万8,465件

夫にも勧めた。ニュージーランドのある兄弟は,妻を研究のために車で送りました。研究生は幼い子どものいる若い女性でした。夫が家にいたので,二人は夫にも一緒に研究するよう勧めました。夫は快く応じ,その後の研究は夫が家にいる時間に行なうことになりました。日曜日の集会に誘うと,その夫婦は行くことに同意しました。二人はその集会で温かく歓迎され,霊的なプログラムを楽しみました。次の集会で,夫は「ものみの塔」研究の際に注解もしました。その研究記事は家族の崇拝を励ます内容で,夫は妻と4歳の息子との研究をどう司会したらよいのか尋ねてきました。さらに,集会でほかにも学んだ事柄を当てはめたいと言いました。関心を持つその夫婦は研究を続け,集会に出席し,霊的に進歩しています。「ご主人にも一緒に研究するよう勧めて本当に良かったと思います」と,冒頭の兄弟は述べています。

遠隔の島での記念式。住人が362人しかいないレアオ島は,タヒチの18の会衆の一つであるバイエテ会衆に割り当てられています。レアオ島はタヒチから約1,350㌔東に位置しています。この遠隔の島では記念式が開かれたことはなく,エホバの証人も30年間訪れていませんでした。バイエテ会衆の奉仕監督であるマノアは,記念式の週に少人数の人たちとこの島に渡って伝道し,現地で記念式を執り行ないたいと考えていました。しかし,兄弟が妻と共にこの島に行くための飛行機代はおよそ6万5,000フラン(約6万円)で,負担できる金額ではありませんでした。ところが後にマノアは職場でボーナスを支給され,それがちょうど6万5,000フランだったのです。二人はエホバがこの計画を祝福しておられるとすぐに判断しました。結局,7人の伝道者がレアオ島に行き,記念式には47人が出席しました。タヒチの伝道者たちは現在,その島に住む関心を持つ人たちと電話で聖書研究を司会しています。

朝食を取る時間もない。同様の経験がバヌアツからも寄せられています。そこではある会衆が,アンブリム島と呼ばれる孤島に住む11人の伝道者から成る群れを援助しています。会衆の長老たちは,経験ある奉仕者たちが記念式の前に数日間アンブリム島に渡り,その群れと一緒に奉仕するよう呼びかけました。経験豊かな正規開拓者で,退職した教師であるマリネットはその機会をとらえました。姉妹は他の幾人かと共に島に渡り,新しい聖書研究を始めるという目標を掲げました。野外宣教にわずかな時間を充てただけで,驚いたことに,泊まっていた家から外に出る時間がほとんど取れなくなりました。本人はその時のことをこう語っています。「朝起きると,顔を洗ったり朝食を取ったりする時間もないほどでした。もう人々が外で並んで聖書研究の順番を待っていたからです。一日じゅう全く出かけずに宣教を行なったのです。その週は31件の聖書研究を司会できました」。奉仕者たちはアンブリム島に一週間滞在し,良いたよりを教えることに励み,記念式には158人が出席しました。帰る時はとても去りがたく思いました。「これほど多くの人が聖書の真理を求めているのに,帰らなければならないのです」とマリネットは言いました。支部は一時的な特別開拓者を派遣し,その土地に住む関心を持つ人たちの世話をするように取り決めました。

校長先生が好意的な反応を示す。ソロモン諸島のある高校では,生徒たちは起立して南太平洋福音教会の賛美歌を歌うよう求められています。二人の若い姉妹は校長先生に,自分たちの良心に反することなので歌うのを免除してくださるようお願いしました。校長先生は,二人がきちんと話しに来たことを褒め,他のエホバの証人の生徒と共に,歌わずに着席していてよいと言いました。

それからその女性の校長は,エホバの証人と教育について話を聞きたいのであなたたちの教会のだれかに来てもらえないかと,二人に言いました。宣教者が校長を訪問し,1時間半ほどにわたってわたしたちの信じている事柄や若い人の直面する問題について話しました。校長は「目ざめよ!」誌をいつも読んでいて,職員室にも置いているということでした。宣教者が「若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」第2巻を勧めると,教員のために16冊,生徒のために367冊欲しいと言われました。こうして400冊が届けられ,配られました。

二人の若い姉妹が勇気をもって校長先生に話しに行った結果,良い証言が行なわれました。また,多くの人が二人に,その本が役立ったと言ってきました。ある女子生徒は,少し前に親が別居してしまいました。その本から,悩んでいたことについて答えが得られたとのことでした。二人の姉妹は補助開拓奉仕を続け,校長に定期的に雑誌を届けています。

反対されても忠誠を守る。ソロモン諸島の別の場所で,宣教者が一人の女性と聖書研究をしていました。その人はよく進歩し,徒歩で片道2時間以上かけて王国会館に通うようになりました。双子の男の子を抱え,二人の幼い娘も連れて通ったのです。夫の激しい反対にも耐えなければなりませんでした。夫は暴力を振るい,集会用の服や聖書やエホバの証人の書籍を焼きました。また,別の女性と不倫な関係を結ぶこともしました。それでもこの研究生はバプテスマを受け,揺るぎない態度でエホバに仕えました。

昨年のことですが,夫は自分がひどい仕打ちをしてきても妻がよくしてくれたことに心を動かされ,愛人と別れました。聖書研究をしたいとも言ってきました。この変化を姉妹がとても喜んだことは想像に難くありません。さらにうれしいことに,姉妹の家の近くに孤立した群れが設立され,今では歩いて1時間以内で集会に出席できます。夫の協力もあり,補助開拓を行なうこともできています。

[66ページの拡大文]

「神様はなぜそんなに残酷なんですか。……子どもに罰を与えるとはどういうことですか。生まれたばかりなのに,どんな罪を犯したというんですか」

[68ページの拡大文]

青年は,司祭が二つの質問に答えられるなら教会に戻ってもよいと述べました

[72ページの拡大文]

「刑務所の外で伝道していて投獄されたのに,中に入れられてもよくも懲りずに伝道するものだわ」

[84ページの図/地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

タヒチ → → → 1,350㌔ → → → レアオ島

[56ページの図版]

上: 聖書研究の司会,コンゴ共和国にて( 59ページを参照)

[61ページの図版]

市場で奉仕するエドバル(右)とダニエル

[64ページの図版]

コロンビア,ナリーニョ県サマニエゴ

[67ページの図版]

手話の出版物は現在59の言語で手に入る

ブラジル,サンパウロ