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過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

過ぐる1年の際立った事柄

世界情勢が混迷を深めているにもかかわらず,エホバの証人はこの1年も神聖な奉仕を実りある仕方で行ないました。神の祝福によって,良いたよりの真理は「世界じゅうで実を結んで増大して」います。(コロ 1:5,6)過ぐる1年の報告から皆さんが励みを得,信仰を強められるものと確信しています。

補助開拓の新たな取り決め

4月に,補助開拓者は要求時間として30時間か50時間を選んで奉仕できることが知らされ,皆は大いに沸きました。普段はこの奉仕を行なえない人の多くがその機会をとらえました。補助開拓を初めてした人も大勢おり,以前にその奉仕をしたことがある人も再び行なえることを喜びました。加えて,補助開拓はできなくても奉仕を増し加えた伝道者も大勢いました。どんな結果になったでしょうか。

ほとんどの支部は,前年の最高数を大きく上回る増加を報告しています。全世界で,265万7,377人の伝道者が補助開拓を行ないました。前年の最高数の5倍ほどの人数です。世界的なベテル家族の80%,すなわち2万290人のうち1万6,292人がその奉仕の特権に加わりました。エホバの僕たちが4月に宣べ伝える業で過去のどの月よりも多くのことを行なったということを知ると,胸が躍るのではないでしょうか。

ハイチでは破壊的な地震でおよそ30万人が命を落としてからわずか1年ほど後に,支部は4月の宣べ伝える活動において幾つかの新最高数を報告しています。伝道者1万7,009人のうち6,185人が補助開拓者として働きました。少し前に「愛する家族を亡くしたとき」のブロシュアーのハイチ・クレオール語版が出されましたが,それを配布する特別なキャンペーンが行なわれました。深い悲しみを抱く人々は,大いに必要とされた慰めや希望を得ました。

4月中,ナイジェリアの兄弟姉妹は特異な試みに直面しました。選挙のために指定された四日間(そのうち三日は土曜日)に,政府は午前7時から午後5時まで選挙目的以外で人々が移動することを禁じました。それでも開拓者精神が弱まることはありませんでした。ある会衆はこう伝えています。「今月の素晴らしい活動について報告します。わたしたちは大きな喜びを抱き,心が感謝の念でいっぱいです」。別の会衆ではバプテスマを受けた127人のうち92人が補助開拓を申し込み,長老と奉仕の僕全員も含まれていました。また,ベテル家族の688人中555人が補助開拓者として働きました。

 難しい状況でも取り組んだ。ブルンジの田舎の山間部に住むジャネットは,かねてから開拓奉仕をしたいと思っていましたが,慢性の心臓病のため遠くまで歩いたり急な坂を上ったりすることができません。ジャネットは,4月に補助開拓者の要求時間が減らされることを聞いて喜びました。本人が願いを遂げるために,長老たちはジャネットが家の近くの区域で奉仕できるよう取り計らいました。さらに,開拓者や伝道者は聖書研究生と共にジャネットの家に来て研究をしました。その月の終わりにジャネットは,4件の聖書研究を始めることができ,とても喜びました。本人はこう語ります。「また補助開拓をしたいと思います。エホバがきっと助けてくださると確信しています」。

グレナダ島に住む,ろう者の若い姉妹は,歩行障害を持っていますが,それでも補助開拓をしました。「長い距離を歩いてバスに乗り,野外奉仕に出かけるのはとてもたいへんでした」と本人は言います。この姉妹は失業もしていましたが,エホバに助けを求めて熱烈に祈りました。祈りに調和して,生計を立てるために,かぎ針編みの小物や手作りのアクセサリーを売りました。後に姉妹はこう述べました。「精いっぱい宣べ伝える業に加わることができました。兄弟たちは支えになり励ましてくれました。とてもうれしかったです」。

トシという日本の101歳の姉妹は,意欲にあふれ4月に補助開拓を申し込みました。入居している施設から出ることができないため,手紙を書いて証言を行ない,また部屋に来るヘルパーにも証言します。本人はこう語ります。「私は耳が遠いので話す声がとても大きいのです。それで,そこにいるみんなに声が届きます」。

コスタリカに住むフェリクスという兄弟は四肢麻痺を患っていますが,それでも補助開拓をすることにしました。どのように奉仕したのでしょうか。家の外に台を置いて文書を陳列し,通行人に証言できるようにしたのです。月の終わりには体は疲れていましたが,霊的にはさわやかにされ,また4件の聖書研究を始めることができ,とても喜んでいました。

多くの若い伝道者も,4月の特別活動に意欲的に参加しました。例えば,スペインに住む11歳のサンドラと7歳の弟アレハンドロは,いつもより多く奉仕したいと思いました。会衆の人々が示す熱心さや親の熱意に感化され,自分たちも補助開拓をしたいと考えたのです。それにしても,バプテスマを受けていないのにどうやって“補助開拓”をするのですか。二人とも,親と一緒に野外奉仕をできるだけ多く行なう計画を立て,晩の家族の崇拝で証言の準備と練習をしました。両親は,子どもたちが月の途中で疲れてしまい続けられないだろうと思っていました。しかし,二人がやる気を失うことは全くありませんでした。4月30日の時点で,お父さんとお母さんとサンドラは30時間の目標を達成していましたが,下の子のアレハンドロはまだ3時間足りませんでした。それで,その最後の日にお父さんと一緒に奉仕に出かけ,目標を達成しました。忙しかったものの,充実した時を過ごせたことを家族みんなで喜びました。

「夫のフィリップとわたしが30時間の奉仕を行なえるようにと,毎日祈っていました」。こう語るのは同じくスペインのジーンです。フィリップは地域監督として奉仕していましたが,脳動脈瘤を患い,病院で寝たきりになっていて,話すこともできません。意思を伝える唯一の方法はまばたきをすることで,はいは一回のまばたきで,いいえは二回のまばたきで伝えます。

ジーンはこう続けます。「補助開拓について話したところ,夫は自分もしたいという意思表示をしました」。とはいえ,どのようにその目標を達成するのでしょうか。

ジーンとフィリップはそれまでも何か月か,他の患者や見舞いに来る家族や病院の職員に証言していました。「4月には入院している病棟で1日1時間ほど,夫が起きている時に,まばたきによって会話に加われるようにするという方法で奉仕する計画を立てました」。

ところが3月にフィリップは隔離病棟に移されました。それでもフィリップとジーンは計画どおり,一日のさまざまな時間帯に数分ずつ,病院の職員と会話することができました。幾人かの看護師は「聖書は実際に何を教えていますか」の本を受け取りましたが,そのうちの一人はフィリップの目を見て,翌日聖句を読みに来ると約束しました。看護師が再び来た時に,ジーンはその女性にヨハネ 17章3節を声に出して読んでもらい,その聖句はどういう意味だと思うか尋ねました。二人がこうして会話をする際にフィリップは,看護師が言ったことが正しいかどうかをまばたきによって示しました。その看護師は,フィリップの病棟を担当していない時間にも兄弟の所に来て,エホバにもっと近づけるよう助けてくださいとお祈りしている,と言いました。

エホバの僕たちは,そのように活動を増し加えることを,隣人への愛やイエス・キリストの犠牲に対する感謝,さらには天の父への専心の思いを実証する機会と見ています。2012年3月にも,30時間か50時間の要求時間を目指して奉仕する機会があり,エホバの僕たちはその時を今から楽しみにしています。

エホバの道について教える学校

エホバの組織は,イザヤ 2章3節の次の預言を真剣に受け止めています。「エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる」。例えば,第二次世界大戦のさなか,忠実で思慮深い奴隷級は,サタンの事物の体制が終わる前にあらゆる国の人がエホバにさらに教えられる必要があることを見て取りました。そのため,ものみの塔ギレアデ聖書学校や神権宣教学校といった学校が組織されました。統治体は最近では,特別な訓練を施す種々の学校にさらに調整を加えています。

2010年10月,宣教訓練学校は独身の兄弟のための聖書学校という名称に変わりました。長老や奉仕の僕である独身の兄弟は,今後もこの2か月の学校に入校できます。これまでに全世界で3万7,445人がこの課程から益を得ており,その多くは開拓者,旅行する監督,宣教者,ベテル奉仕者として奉仕しています。

クリスチャンの夫婦のための聖書学校という新しい2か月の学校は2011年7月に始まり,まずは米国ニューヨーク州パタソンで開かれています。この学校に入校できるのは,25歳から50歳までの夫婦で,健康であり,結婚してから少なくとも2年たっており,中断することなく少なくとも2年間全時間奉仕を行ない,夫が長老や奉仕の僕として中断することなく2年間奉仕している人です。2012年から,現在「独身の兄弟のための聖書学校」が開かれている場所で「クリスチャンの夫婦のための聖書学校」が開かれます。

「クリスチャンの夫婦のための聖書学校」は,エホバと神の組織にとっていっそう有用な者になれるよう,夫婦に特別な訓練を施すためのものです。卒業生の大半は,自国内の必要の大きな所で正規開拓者として奉仕します。幾人かは,一時的な特別開拓者として割り当てられます。巡回奉仕のための訓練を受ける人もいます。資格があり,本人たちが応じるなら,他の国での割り当てを受けることもあります。

この学校に申し込む人は,霊的に円熟し,自己犠牲の精神を持つ人であるべきです。「独身の兄弟のための聖書学校」と同じ教訓者がこの新しい学校で教え,課程も基本的に同じです。幾つかの単元は兄弟たちだけが参加し,その間に妻たちは野外奉仕に行きます。詳しい情報や,申し込みたいと思っている人たちに求められる事柄は,地域大会で開かれる集まりで知らされます。

統治体は最近,ものみの塔ギレアデ聖書学校に加えられた調整の概要を示しました。2011年10月24日に始まった第132期のクラスから,この学校での訓練は,すでに特別全時間奉仕を行なっている夫婦だけに施されることになります。例えば,ギレアデ学校に出席していない野外の宣教者,特別開拓者,旅行する監督,ベテル奉仕者などです。その人たちが英語を上手に話し,また書くことができるなら,支部委員会は出席するよう推薦することができます。

ギレアデの卒業生は,野外の宣教者や旅行する監督やベテル奉仕者などの立場で,野外や支部組織を強めまた安定させるための割り当てを与えられます。野外で奉仕するよう割り当てられる人は,人口の集中した区域で奉仕することになり,宣べ伝える活動や会衆の活動に大きく貢献できる場所で働きます。支部委員会は,管轄する区域で必要があるなら,今後もギレアデ卒業生の派遣を要請することができます。さらに,自分たちの支部の区域から資格ある特別全時間奉仕者たちがギレアデ学校に出席するよう推薦することもできます。支部委員会は場合によっては,生徒が卒業後に元の国に戻るよう要請することもできます。

支部委員と妻のための学校はパタソンで年2回,英語で行なわれます。場合によっては,国内委員会の成員も招かれるでしょう。以前にこの学校に出席した支部委員会の成員も再び招かれ,初めて出席する兄弟たちと同じクラスで学びます。支部委員の妻たちも,ほとんどの授業を夫と共に受けます。しかし,組織上の事柄を扱う特定の単元は,兄弟たちだけが出席し,その間に妻たちはベテルでのさまざまな割り当てを果たします。

さらに,パタソンでは毎年,旅行する監督と妻のための学校が二クラス開かれることになります。米国で現在開かれているクラスには,以前に出席した兄弟たちも加わり,その人たちはクラスのおよそ半数を占めています。旅行する監督の妻たちも,ほとんどの授業に出席します。

エホバの備えである教育の益にあずかれるのは,神の民にとってたいへん喜ばしいことではないでしょうか。イエスもこう述べています。「預言者たちの中に,『そして彼らは皆エホバに教えられるであろう』と書いてあります」。(ヨハ 6:45。イザ 54:13)わたしたちはこれらの調整が,終わりが来る前に人の住む全地で良いたよりを宣べ伝えるという緊急な業に一層の弾みをつけるものと確信しています。

東日本大震災

世界各地からの報道は,相次ぐ自然災害による大きな被害について伝えています。その中には地震,津波,竜巻,ハリケーン,洪水,火災,火山の噴火などが含まれます。紙面の都合で,最近起きた災害すべてについて伝えることはできませんが,エホバの証人は不屈の精神をもってそうした苦難に対処しています。日本の兄弟姉妹の例を取り上げましょう。

2011年3月11日,金曜日,午後2時46分,マグニチュード9.0の地震が東日本を襲いました。それに伴う津波によって,太平洋沿岸の多くの市町村は壊滅的な被害を受けました。死者と行方不明者は2万人近くに上ります。被災地では4棟の王国会館が破壊され,ほかにも4棟の王国会館が使用不能になりました。兄弟姉妹の家屋235軒が流されるか大きな被害を受けるかし,修理の必要な家屋は1,000軒を超えました。

地震と津波によって原子力発電所が甚大な被害を受け,放射性物質が放出されました。政府は近隣の住人に避難命令を出し,多くの町は一夜にして人の住まない所になりました。兄弟姉妹も退避を余儀なくされ,二つの会衆がなくなりました。

被害の大きかった地域に住む1万4,000人余りのエホバの証人のうち,死者は12人,重傷を負った人は5人,行方不明者は2人です。生き延びた人も悲痛な経験をしており,家屋や持ち物を失い,さらには愛する家族を亡くした人も少なくありません。

大船渡市の清子はこう語ります。「寝たきりの母を何とか車に乗せ,避難場所まで車を走らせました。すると煙の臭いがしてきたので,車を降りると,自宅が建っている辺りに,とてつもない高い波の壁が来ているのを見ました。そして,自分たちのいる場所にあっという間に津波が押し寄せてきたのです。母を助けながら線路の土手を登りました。乗っていた車は目の前で津波にのみ込まれました」。

地震が起きた後,光一という若い兄弟は実家に向かいました。石巻市の実家は,海から5㌔ほどの所にありました。しかし,近くまで来てみると,辺りは全部水に浸かっていて,「そこから先は舟でも出さないと行けないという感じ」でした。地震から3週間たって遺体安置所で父親が見つかり,それから3週間後に母親の遺体も安置所で見つけました。

地震が収まるや,七ヶ浜町の雅章は海から1㌔のところにある王国会館の駐車場に車を入れました。こう語っています。「そこに逃げてきた姉妹がいました。まさかここまで津波は来ないだろうと思っていましたが,すぐに真っ黒い水が押し寄せてきました。車が2台とも浮いて流されそうになりました。わたしは窓を開けて脱出し,車の上に逃れました。姉妹の車は流されて見えなくなってしまいました。姉妹を助けてくださるようエホバに祈りました。

「わたしは体がずぶ濡れの上,吹雪になって震えていました。吹雪はやみましたが,辺りは凍えるような寒さでした。すぐに日が落ち真っ暗になりました。星空がすごくきれいでした。わたしは車の屋根の上におり,凍てつく水の中で孤立していました。ほかにも,何かの上に取り残された人や建物の屋根の上にいた人もいました。朝まで救助は来ないかもしれないと思い,寒さに耐えられるよう,2週間前に行なった公開講演を思い出してやってみました。適切にも『苦難の時にどこから助けが得られますか』という題でした。その後,『わたしの父,わたしの神,わたしの友』の歌を覚えていたので,何度も歌いました。これまでエホバに仕えてきた歩みが思い浮かび,涙があふれました。

「そんな時,近くの家から『大丈夫ですか。そっちに行きます!』という大きな声がしました」。声をかけてくれた男性は,流れ着いた木材の束をいかだにして近くの人たちを助けていたのです。その人に助けられて雅章は,家の2階の窓から中に入ることができました。別の車に乗っていた姉妹も救助されたことをあとで知り,安堵しました。

晃平と優子は,3月12日,土曜日に陸前高田市の王国会館で結婚式を挙げるのを楽しみにしていました。金曜日午前に市役所で入籍を済ませた後,地震が起きました。晃平は津波について警告する防災放送を聞き,急いで高台に向かいました。本人はこう語っています。「町は濃い霧に包まれたように薄暗くなっており,大型の建物数戸を除き,他の建物は跡形もなくなっていました。それまでは翌日の式の心配をしていましたが,それどころではないほどの出来事が生じたことを悟りました」。

二人は翌日を会衆の兄弟姉妹を助けるために用いました。晃平はこう述べています。「近隣の会衆から救援物資が届きました。妻は,二人で兄弟たちのために共に時間や体力を用いることができたことを喜びとしてくれました。良い伴侶に恵まれたことを感謝しました。津波は新居,車,持ち物の大半を流し去ってしまいました。ですが,わたしたちは兄弟愛を示していただいたことにとても感謝しています」。

身体的・霊的・感情的な助けが与えられる。日本支部は速やかに三つの災害救援委員会を組織し,被災地に支部の代表者を何度も派遣しました。5月に世界本部のジェフリー・ジャクソンとイーサク・マレーが地帯監督として日本に来た際,二人は大きな被害を受けた地域の一つに住む兄弟姉妹のもとを訪れました。被災した会衆のために特別集会が計画されました。電話回線で結ばれた21の王国会館に集まった約2,800人の兄弟姉妹は,世界じゅうの仲間が愛と関心を示していることを知らされ,心強く感じました。

災害救援委員会や他の自発奉仕者は,救援物資を手配するため忙しく働きました。まず必要とされたのは食料,水,燃料でした。さらに,救援委員会はさまざまなサイズの服を被災した会衆に送りました。洋服掛けや鏡が用意された場所は,さながらブティックのようになりました。

多くの辛苦を忍ぶ兄弟姉妹は,自分たちの身体的・感情的必要をエホバが顧みてくださるのを見て,深く感謝しました。兄弟たちはとりわけ集会によって強められました。被災地に住むある姉妹はこう書いています。「集会で思いの平安を実感しています。わたしにとって集会は霊的命綱です」。

希望の音信。日本の兄弟たちは,衝撃を受けた人々に神の言葉からの慰めを分かつため,速やかに行動しました。被災地ではないある都市で,奉仕者たちは「悲劇なぜ? 答えは聖書に!」という大きなプラカードを用いて街路証言を行なうことにしました。多くの人が関心を示し,たった1日半で『聖書の教え』の本を177冊配布できました。

被災地でエホバの証人は,慰めを与えるためにまず聖書研究生や再訪問先を,次いで隣人のもとを訪れました。亜紀子はこう述べています。「私がマタイ 6章34節を読んだ時に家の人は泣き始めました。不安に思う事があったようです。その聖句のとおりにするなら心が穏やかでいられると説明すると,同意しておられました。改めて神の言葉には人の心を動かす大きな力があると感じました」。

ほかにも,「いろいろな宗教はあるけれど,この大変なときにこのように訪ねてくれるのはあなたたちだけだね」という言葉が聞かれました。別の男性は敬意を表して,「あなたたちはこんな時でも変わらず活動されているんですね。驚きです」と語りました。一人の長老はこう言っています。「多くの方は私たちの訪問を感謝してくださり,『被害に遭った後,我が家に来てくれたのはあなた方が初めてです』とか『また来てください』などと言っていました」。

「新世界訳」が106の言語で!

2011年7月15日,金曜日は,ラトビアとリトアニアに住む神の民の歴史において,里程標となる記念すべき日でした。両方の国が電話回線で結ばれ,統治体のスティーブン・レットは,ラトビア語とリトアニア語の「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」を発表しました。これらは「新世界訳」が出された言語として,99番目と100番目に当たります。過去7年間,統治体は聖書の翻訳を特に優先してきました。結果として,「新世界訳」の言語数は現在,2004年当時の2倍にもなっています。世界各地の翻訳者たちは,さらに多くの言語に聖書を翻訳するため引き続き勤勉に働いています。

容易に想像できることですが,兄弟たちは自分の言語の聖書を受け取ると強い感動を覚えます。中央アフリカ共和国のある兄弟はこう語っています。「聖書を持っているのも価値のあることですが,それを母語で読んで理解することに勝るものはありません。サンゴ語の『新世界訳』の言葉は心に響きます。福音書を読むと,聖書の人物像がよく分かり,どんな感情を抱いていたかも理解できます」。エチオピアのある若い姉妹は,多くの人の気持ちを的確に伝える,次のような感想を述べました。「『ありがとうございます』の一言では,感謝を十分に表わしきれません。自分の言語の『新世界訳』が欲しいと,いつも祈っていました。エホバは今日,その願いをかなえてくださったのです」。

世界各地からの報告

ロシアで嫌がらせをしていた人が静かになる。ベーラという高齢の姉妹は数年前から,エホバの証人を嫌っている近所の男性に悩まされていました。ベーラのところに孫がちょくちょく来ていましたが,その男性は孫の面前でベーラを脅し,口汚くののしっていました。姉妹はローマ 12章18節の言葉を肝に銘じ,いつも穏やかに対応し,言い争わないようにしていました。しかし,2011年1月にその男性は殊のほか攻撃的になりました。身の危険を感じたベーラは地元の警察に連絡しました。興味深いことに,担当の警察官は,2010年3月に町の職員と共にベーラの家を訪れたことのある人でした。その二人は,ベーラとその家に集まるエホバの証人が過激活動を行なっているのではないかと疑い,状況を確かめに来た人でした。このたび,その警察官は何が問題かを正しく理解し,その男性を叱り,脅迫を行なったことについて3,000ルーブル(約8,000円)の罰金を科したのです。それ以降,嫌がらせはやみました。ベーラはお礼のしるしとして警察署に感謝状を送りました。すると驚いたことに,署長から返信がありました。そこには,助けてくれた警察官についてベーラが温かい言葉を伝えてきたことに対する感謝がつづられていました。次のようにも記されています。「近ごろは何かと警察に対する風当たりが強くなっていますが,そのような中で好意的な言葉を述べてくださったことは,信頼の表われだと感じます」。ベーラによれば,その警察官は今も定期的に様子を見に来てくれているということです。

トルコの“ごみ集めの人”。聖書研究を始めて間もない二人の男性が地域大会に出席しました。こう書いています。「おとぎ話の世界のようでした。みんな笑顔で親しみやすく礼儀正しいのです。昼の休憩の時にあちこち歩きましたが,自分たちがよそ者だとは感じませんでした。そんな時,わたしたちと研究している兄弟が近づいてきました。ごみ袋を手にしていたので,知らないふりをしました。兄弟がふだんからごみ集めの仕事をしているのだと思い,そのような卑しい仕事をしている人の友達に見られたくないと感じたのです。それで向きを変え,人込みに紛れました。『ごみ集めの人ではなく,ステージで話をする人から教えてもらいたい』と思ったのです。

「ところが,研究が続くにつれ,司会してくれている“ごみ集めの人”は支部委員の一人で,エホバの証人の支部で奉仕していることを知りました。わたしたちはそれぞれ進歩してゆき,エホバに命をささげました。兄弟が『より小さい者』として謙遜に行動していたことが分かったのです。(ルカ 9:48)初めて出席した大きな集まりで大切な教訓を学べて,本当によかったと思います」。

アルメニアでのうそ。セバン市で,ある青年が両親を殺害しました。青年はエホバの証人であるという偽りが語られ,それをきっかけに,メディアは一斉にエホバの証人を中傷しはじめました。その主張を論駁する文書が直ちにメディアに配信されましたが,それでも中傷はやまず,青年はエホバの証人であると唱える特別番組がテレビで放映されました。番組の中でエホバの証人をけなす侮辱的な言葉遣いがされ,「エホバの冷酷な信者,意志薄弱な人殺し」というテロップも流されました。番組は,エホバの証人が訪ねてきたなら力ずくで追い返すよう視聴者を唆すことさえしました。結果として,国内でエホバの証人に対する敵意が目立って強まりました。証人たちは放送局に異議を申し立て,流した誤った情報を撤回し,謝罪し,名誉を傷つけたことについて補償を行なうように要求しました。問題を友好的に解決するための交渉が進められていますが,この「年鑑」が印刷される時点では,局側はまだ情報を撤回していません。

大工になりたいベネズエラの子どもたち。サン・ホセ・デ・グアリベという町でのこと,小さな子どもたちが毎朝幼稚園に向かう途中に王国会館の建設現場のそばを通っていました。子どもたちはいつも立ち止まり,しばらくのあいだ興味しんしんに現場の様子を見ていました。ある日,先生は子どもたちに,大きくなったら何になりたいか尋ねました。すると意外にも,一人また一人と「エホバの証人のような大工さんになりたい!」という答えが返ってきたのです。先生は興味をそそられ,もう一人の先生と共に,受け持つ子ども全員を建設現場に連れて行きました。子どもたちが来ると,建設奉仕者は見学させてあげました。子どもたちは大喜びでした。特に,カラフルなヘルメットをかぶることができたからです。先生たちもいろいろ質問してきて,良い証言がなされました。

カナダで雑誌の生産量が増える。統治体は寄付された資金を最も有効に活用するため,ガイアナ,カナダ,バミューダ,米国,さらにはカリブ海のほとんどの島で使う「ものみの塔」と「目ざめよ!」の印刷をカナダ支部が行なうよう要請しました。そのため,2011奉仕年度が始まった時点で,カナダ支部が生産する雑誌の量は12倍に増えました。この支部は今では30の言語で雑誌を印刷しています。これは全世界で生産されている雑誌の4分の1近くに当たります。

フィンランドでの一般公開。統治体の承認のもと,エホバの証人に,またフィンランドで100年にわたって宣べ伝えられてきた音信に注意を向ける特別なキャンペーンが行なわれました。兄弟たちは,「エホバの証人 ― どんな人たちですか」という特集を掲げた「目ざめよ!」2010年8月号を熱心に配布しました。結果として,わたしたちの活動についての良い話し合いが数多くなされました。そのうえで8月末に,兄弟たちは支部事務所の一般公開を計画しました。そこで行なわれている仕事について説明することにベテル家族全体が加わりました。さらに,わたしたちの活動を見学者に知ってもらうための展示も行なわれました。ベテル奉仕者の中には,当時の衣装を身にまとい,1940年代と1950年代に公開講演を宣伝するために用いられたサンドイッチ式プラカードを着ける人もいました。幾つかの部門は,見学者のための小さな記念品を準備しました。一般公開には1,500人ほどが訪れ,新聞,ラジオ,テレビでわたしたちの活動について好意的な報道がなされました。

コートジボワールの政情不安。2011奉仕年度は,明るい展望と将来の増加が見込まれる中で始まりました。8,656人の奉仕者が2万3,019件の聖書研究を司会していたのです。ところが,物議を醸した選挙がきっかけで,2010年11月の終わりまでに国は混乱に陥り,情勢は不穏になりました。それは戦闘に発展し,2011年3月には経済の中心地アビジャンにも拡大し,4月まで続きました。大勢の市民が市内から脱出し,国を出る人も少なくありませんでした。その中には多くの兄弟たちも含まれ,兄弟たちは徒歩で逃れ,家や持ち物をあとにしました。

この困難な時期を通じて,兄弟たちの中立の立場はしばしば保護となりました。ある時,小学校に兵士たちが入ってきました。それは教師やカウンセラーのセミナーが開かれていた時でした。全員が床に伏せるよう命じられ,貴重品を手渡すよう要求されました。一人の兄弟は,出版物がたくさん入った伝道かばんを渡しました。それを見た兵士たちは,兄弟がエホバの証人であることをすぐに悟りました。かばんにはお金や携帯電話も入っていましたが,そのまま戻し,「おまえたちは危険な存在ではない」と言ったのです。

支部の献堂が神の賛美となる

2006年12月18日,チリ支部の拡張工事が始まりました。新たに2階建ての事務所と3階建ての宿舎が加わり,倉庫のスペースもかなり拡張されました。2010年10月16日の献堂式のプログラムには5,501人が出席し,統治体のデービッド・スプレーンがスペイン語で話をしました。

2011年2月19日には,ブルキナファソの拡張された国内事務所が献堂され,210人が集まりました。献堂式の話をしたのは世界本部から来たジョン・キコットです。この国における宣べ伝える業は2011年5月までコートジボワール支部の監督下にありましたが,それ以降はベナン支部の管轄に入りました。建設現場における立派な行状は,エホバのみ名の賛美となりました。資材を供給した大手の会社の従業員はこう語りました。「怒鳴り声は聞かれませんでした。建設現場で,これほど穏やかで幸福そうな人たちと働いたことはありません」。

香港<ホンコン>支部の新しい施設が2011年8月27日に献堂されたことは,大きな喜びとなりました。新たな事務所は,ビクトリア港を見下ろす37階建てのビルの19階にあります。(下の写真の矢印。)献堂式の話をしたのは統治体のスティーブン・レットで,喜びにあふれた290人の聴衆は,食堂や事務所や発送用の区画で話を聞きました。今回設けられた新たなスペースにより,翻訳,奉仕,オーディオ・ビデオ,購入,発送,会計の各部門は益を受けました。

法律上の動き

忠実な預言者エレミヤは,全能の神が自分を見捨てることはないと確信していました。その確信には十分の理由がありました。エホバがこう言われたからです。「彼らは必ずあなたと戦うが,あなたに打ち勝たない。わたしがあなたと共にいて,あなたを救い,あなたを救い出すからである」。(エレ 15:20)以下の報告が示すとおり,エホバの現代の僕たちも反対にもかかわらず宣べ伝える任務を遂行し,エホバの後ろ盾と支えを経験してきました。―マタ 24:9; 28:19,20

 アルメニア エホバの証人のバハン・バヤティアンは,良心的に兵役を拒否したため2年半の刑を宣告されました。アルメニアにおける下級審で敗訴し,上級審でも敗訴が確定した後,その件はヨーロッパ人権裁判所で審理されました。2009年10月27日,ヨーロッパ人権裁判所の7人の裁判官はバヤティアン兄弟側の訴えを退け,国に有利な判決を下しました。しかし,一人の裁判官は反対意見として,その判決は「良心的兵役拒否に関する現行のヨーロッパの規準にそぐわない」と述べました。問題の重要性を踏まえ,ヨーロッパ人権裁判所はその件を17人から成る大法廷に付託することに同意しました。

2011年7月7日,大法廷の17人の裁判官は,16対1の大差で,良心の自由を行使するバヤティアン兄弟の権利を国が侵害したという判決を下しました。大法廷は,「申し立て人が兵役を拒否した動機が宗教的信条によるものであることを疑う理由はない」と述べ,その立場は「誠実なものであり,兵役義務と全く相反する」としました。この画期的な判決により,アルメニアで投獄されている69人の兄弟たちがいずれ釈放されることを希望しています。さらには,アゼルバイジャンやトルコで同様の問題に直面する兄弟たちにも益が及ぶことを希望しています。 *

ブルガリア 2011年4月17日,ブルガスの王国会館で女性や子どもやお年寄りを含む100人以上がキリストの死の記念式を整然と執り行なっていました。外では60人ほどの男たちから成る暴徒が寄り集まり,怒りをあらわにしながら,王国会館の入口に立っていた証人たちに大きな石を投げ始めました。暴徒たちは王国会館に押し入ろうとしましたが,兄弟たちに阻まれました。直ちに警察に通報がなされましたが,警察はすぐには対応しませんでした。その襲撃の際に幾人かのエホバの証人が負傷し,5人を救急車で病院に搬送しなければならないほどでした。会衆は襲撃を受けたにもかかわらず,記念式を続けました。ブルガリアの一般の人たちはエホバの証人に対して礼節をわきまえた対応をしており,今回の襲撃はそのような扱いとは相いれないものです。結果的にエホバの証人のことがよく知られるようになりました。統治体は,13の支部がそれぞれの国のブルガリア大使館に対して,今回の襲撃について注意を喚起するよう促しました。それ以後,ブルガリア政府はこの行為を非難し,地元の検察官は8人の加害者を訴追しました。

韓国 韓国では宗教的な理由で兵役を良心的に拒否する800人を超えるエホバの証人が今なお投獄されています。1950年以降,1万6,000人以上のエホバの証人が兵役を拒否したために投獄され,その刑期は合計3万1,000年を上回ります。それほど大勢の若い男子が妥協しない態度を取ってきたのはなぜでしょうか。

兵役を拒否する若い男子は,自分の良心に基づいて決定をしています。例えば,キム・ジクワンは自分の裁判で次のように説明しました。「『人々はもはや戦いを学ばない』,『隣人を自分自身のように愛するように』といった聖書の教えに私は感銘を受けました。原則に基づく愛を持つなら敵をも愛するよう動かされる,ということも学びました。これらの聖句や他の聖句,また自分個人の堅い信念に基づいて,兵役を拒否することを心に決めました」。―イザ 2:4。マタ 5:43,44; 22:36-39

韓国では現在,若い男子が代替の市民的奉仕活動を行なえるようにはなっていません。この問題の解決を図るため,韓国の憲法裁判所に10件の審査請求がなされました。2010年11月11日,同裁判所で口頭弁論が開かれました。そこでは,国が良心的兵役拒否者に対して代替服務の制度を設けていないのは韓国国民の権利の侵害に当たるのか,という点も扱われました。

折しも2011年3月24日に国連規約人権委員会は,韓国がエホバの証人の良心的兵役拒否者100人を投獄したことについて,人権に関する国際的に認められた規準にもとると裁定しました。(この100人の兄弟は,自分たちが投獄されたことについて国連規約人権委員会に訴えていた。)さらに,ヨーロッパ人権裁判所の大法廷が下した,バヤティアン兄弟側に有利な判決(アルメニアに関する 34-35ページの報告を参照)の内容も韓国の憲法裁判所に提出されました。未決だった,統合された10件の訴えに関連して検討してもらうためです。それにもかかわらず,2011年8月30日,憲法裁判所は兵役法を合憲とし,良心的兵役拒否者の投獄が続いていることも憲法違反には当たらないという判断を下しました。この判断は,国連規約人権委員会の決定を全く無視したものです。とはいえ,9人の裁判官のうち二人は,兵役法が憲法のうたう良心の自由に抵触するということを認めて反対意見を述べ,代替の市民的奉仕活動の制度を導入するよう求めました。

トルコ 2007年7月31日,トルコの兄弟たちは宗教協会として法的認可を受けたことを喜びました。中立の問題や王国会館の使用に関連して難題はまだ残っているとはいえ,この国における神権的な活動は進展しています。2011年4月26日,トルコ共和国の国家教育省は,『エホバの証人は学校で義務づけられている宗教の授業を免除される』という通達を出しました。同省は,「エホバの証人は一般のキリスト教会と信条を異にする部分もあるとはいえ,キリスト教の一派である」という考え方を示しました。学校に通う若い兄弟姉妹はこの決定を喜んでいます。これまで長い間,宗教の授業を受けなかった兄弟姉妹は落第点をつけられていたのです。

米国 2011年5月,カンザス州控訴裁判所は,「メアリー・D・シュタインメッツ 対 カンザス州保健政策局」事件でシュタインメッツ姉妹側に好意的な判決を下しました。控訴裁判所は,シュタインメッツ姉妹が州外で無輸血の手術を受けるのを認めることを州側が拒んだのは,姉妹の持つ連邦憲法上の,また州憲法上の権利の侵害に当たると裁定したのです。カンザス州では姉妹が必要とした無輸血手術は受けられなかったため,同裁判所は州側に対し,姉妹が州外で手術を受けることを認めるよう命令しました。今回の勝訴はシュタインメッツ姉妹のみならず,米国で政府が提供する健康保険を受給している他の奉仕者にも益となるものです。

2011年8月10日,カンザス州最高裁判所は,エホバの証人であるモニカ・マクグロリーに息子の親権を与えることを認めた好意的な判決を擁護しました。その子の父親が親権を主張し,マクグロリー姉妹に親権を与えるべきではないとする理由は,次のようなものでした。(1)子どもが輸血を受けることを母親は認めない,(2)母親は戸別の宣教活動に子どもを連れ回した,(3)母親は息子にハルマゲドンについて教えることにより,子どもを父親と地域社会から遠ざけた。

カンザス州最高裁判所は,1957年に同裁判所が提示した憲法上の原則を再確認しました。そこにはこう記されています。「宗教上の自由は我々の憲法で保障され,堅く擁護すべきものである。子どもの親権に関連した命令を下す際に,子どもに対する宗教教育をその根拠として採用することは決してあってはならない」。輸血の問題については,同裁判所は次のように述べました。「将来事故や病気が発生するという仮定と,それにより[輸血が]必要になる可能性とに基づいて[親権に関する]判断を下すことはできない」。

フランス 2011年6月30日,ヨーロッパ人権裁判所はフランスのエホバの証人協会に好意的な判決を下しました。これは大きな喜びとなりました。支部への寄付に対して60%という法外かつ不当な税が課されたことをきっかけに,16年にわたる法廷闘争が続きましたが,今回の判決によりその闘争に決着が付いたのです。主要宗教組織の中でこのような課税をされたのはエホバの証人だけです。フランス政府はエホバの証人側に総額5,800万ユーロ(約65億円)の支払いを求めていました。これはエホバの証人協会の資産を大きく上回る額です。フランスのどの裁判所もその課税を合法としました。その後,2005年2月にヨーロッパ人権裁判所に対して提訴がなされました。

2011年6月30日,ヨーロッパ人権裁判所の7人の裁判官は,フランス側の措置を支持するならエホバの証人が宗教を自由に実践することが直接的に妨げられるだろうという全員一致の意見を述べました。同裁判所は,ヨーロッパ人権条約による保護はエホバの証人にも適用されることを確認しました。この判例は大きな影響力を持ち,ヨーロッパ人権裁判所の管轄下にある他の国々,例えばアルメニア,グルジア,ブルガリア,ロシアなどで崇拝の自由を推し進めるうえで貴重な前例となるでしょう。加えて,注目に値するのは,フランス政府がヨーロッパ人権条約の宗教的自由に関する条項に違反したことが今回初めて確認されたという点です。フランス政府はこの判決に対して上訴しませんでした。

ロシア 2010年6月10日,エホバの証人がロシア政府を相手にヨーロッパ人権裁判所に申し立てた案件で歴史に残る勝利が得られました。「モスクワのエホバの証人 対 ロシア」事件です。ロシア政府はその件をヨーロッパ人権裁判所の17人から成る大法廷に付託することを要請しましたが,2010年12月13日,大法廷の裁判官たちはその要請を退け,6月10日の判決が確定しました。その判決文には,ロシア政府は「当裁判所が認定した侵害行為を停止させ,またその行為が及ぼした影響を可能な限り正す……法的な義務がある」と述べられています。しかし,ロシア政府は今もってこの裁定を履行していません。それどころか,宗教を自由に実践しようとするエホバの証人に対して,新たな方法で嫌がらせや妨害を行なっています。

一例として,2011年8月25日の早朝,警察はタガンログ市に住む兄弟たちの家19件に踏み込み,宗教文書やコンピューターや会衆の記録を押収しました。この捜索は,以前にロシア連邦最高裁判所が下した判決と関連があると思われます。その判決は,タガンログのエホバの証人の宗教組織を解散させ,わたしたちの出版物34品目を過激主義的であると宣告するものでした。ロシア政府は国内の裁判所が下した幾つかの判決に基づいて,わたしたちの出版物63品目を連邦の指定する過激主義的な文書のリストに加えています。

さらに,兄弟姉妹は捜索,襲撃,逮捕,警察による拘束の被害を受けており,その件数は少なくとも950件に上ります。ロシアの当局は兄弟たちに対する11件の刑事裁判を起こしています。また多くの王国会館が破壊されました。当局は,少なくとも一つの家族の家に監視カメラを設置することまでしました。他の多くの家の電話回線に盗聴器を仕掛けたり,メールアカウントを監視したりもしてきました。過激活動対策法に基づき,容疑をでっち上げて刑事告発をしようと画策しているのです。

容疑がでっち上げられた例として,ゴルノ・アルタイスク市に住む35歳のアレクサンドル・カリストラトフにかかわる件があります。人権活動家たちがこぞって批判している過激活動対策法に基づいて,アレクサンドルは「宗教上の憎しみや敵意をあおっている」として告発されました。2010年10月7日から2011年3月18日まで続いた法廷での審理において,71人の証人に対して反対尋問がされましたが,アレクサンドルが犯罪行為を犯したことはおろか,その意図があったことを立証できた人は一人もいませんでした。裁判所はエホバの証人の文書や教えを精査し,2011年4月14日,裁判官は無罪の判決を下しました。ところが検察官が控訴し,2011年5月26日,アルタイ共和国最高裁判所は事件を下級裁判所に差し戻し,新しい裁判官のもとで再審理を行なうという決定を下しました。したがって,カリストラトフ兄弟は無罪判決を受けたにもかかわらず,裁判が一からやり直しになり,過激活動家であるという事実無根の宣告を受ける可能性もあるのです。

危険活動という言いがかりでしかない嫌疑がかけられ,裁判が行なわれたことにより,小さな都市ゴルノ・アルタイスクにおけるエホバの証人の活動は,当然ながら人々の注目を集めました。地元のエホバの証人は,自分も起訴される可能性がある中で,その状況にどう対処しているのでしょうか。

インナという姉妹はこう語っています。「このような困難な時期に,聖書がますます貴重なものとなりました。兄弟姉妹はわたしにとって家族のようです。これまで以上にエホバを身近に感じています」。幾つかの出版物が禁書になりましたが,聖書だけを使った研究が数多く始まっています。アルタイ共和国の伝道者数は24%増え,野外宣教に充てる時間も33%増加しました。記念式の出席者数は前年より16%高く,共和国の全伝道者の2倍にもなりました。

一方,ロシアのエホバの証人はロシア政府を相手にヨーロッパ人権裁判所に対して新たに13件の申し立てを行ないました。申し立てのうち1件は,2009年12月8日の最高裁判所の判決に異議を唱えるものです。さらに,わたしたちの出版物18品目を過激主義的であるとしたアルタイ共和国最高裁判所の決定に異議を唱える申し立てもなされました。

[脚注]

^ 67節 ヨーロッパ人権裁判所は1965年以降,エホバの証人に関係した49の案件を審議しました。エホバの証人に不利な判決が下ったのは,そのうち2件だけです。バヤティアン兄弟に関係した今回の勝訴により,2件の敗訴のうち1件の判決が取り消されたことになります。

[14ページの拡大文]

「預言者たちの中に,『そして彼らは皆エホバに教えられるであろう』と書いてあります」

[25ページの拡大文]

「『ありがとうございます』の一言では,感謝を十分に表わしきれません」

[12ページの囲み記事]

補助開拓についての感想

● 「初めて補助開拓ができました。このような機会を設けてくださり,感謝の言葉もありません」。

● 「この新たな取り決めについて本当に感謝しています。わたしたちは多くの喜びを持てました」。

● 「会衆の歴史に残る月でした」。

● 「これほど大勢の補助開拓者がいたので,会衆の平和と一致の精神は高まりました」。

● 「ハルマゲドンが近いということですね」。―4月にエホバの証人が活動を増し加える様子を見ていた外部の人。

[43ページの囲み記事]

「喜び叫ぶ」

怒り狂ったサタンの支配のもとにあるこの世界では,ますます災いが増大しています。(啓 12:12)それと際立った対照を成すのはエホバの僕たちで,彼らは「心の良い状態のゆえに喜び叫ぶ」のです。(イザ 65:13,14)彼らは,まことの神エホバを崇拝するよう,できるだけ多くの人に呼びかける業をたゆむことなく続けます。「[エホバ]のもとに避難する者はみな歓び,定めのない時に至るまで喜び叫」ぶことを知っているからです。―詩 5:11

[26ページの図表/グラフ]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

106の言語で手に入る

「新世界訳」全巻: クリスチャン・ギリシャ語

62の言語 聖書: 44の言語

アフリカーンス語 アゼルバイジャン語

アラビア語 アゼルバイジャン語(キリル文字)

アルバニア語 アムハラ語

アルメニア語 アメリカ手話

イタリア語 イタリア手話

イボ語 ウクライナ語

イロカノ語 ウズベク語

インドネシア語 エウェ語

英語 エストニア語

エフィク語 カオンデ語

オセット語 カザフ語

オランダ語 ガンダ語

韓国・朝鮮語 カンナダ語

キニャルワンダ語 カンボジア語

ギリシャ語 キリバス語

キルギス語 グン語

キルンジ語 コロンビア手話

グルジア語 サンゴ語

クロアチア語 スラナン語

コーサ語 タイ語

サモア語 タミール語

ショナ語 トゥンブカ語

シンハラ語 トク・ピシン語

スウェーデン語 トンガ語

ズールー語 トンガ語(Chitonga)

スペイン語 ネパール語

スロバキア語 ハイチ・クレオール語

スロベニア語 パピアメント語(クラサオ)

スワヒリ語 パンガシナン語

セソト語 パンジャブ語

セブアノ語 ヒリガイノン語

セルビア語 ヒリモツ語

セルビア語(ローマ字) ヒンディー語

タガログ語 フィジー語

チェコ語 ブラジル手話

チェワ語 ベトナム語

中国語(簡体字) マラヤラム語

中国語(繁体字) ミャンマー語

ツォンガ語 メキシコ手話

ツワナ語 ラトビア語

デンマーク語 リトアニア語

ドイツ語 ルバレ語

トウィ語(アクアペム) ロシア手話

トウィ語(アサンテ) ロジ語

トルコ語

日本語

ノルウェー語

ハンガリー語

フィンランド語

フランス語

ブルガリア語

ペディ語

ベンバ語

ポーランド語

ポルトガル語

マケドニア語

マダガスカル語

マルタ語

ヨルバ語

リンガラ語

ルーマニア語

ロシア語

[グラフ]

◀ 76% ◁ 24%

2011年までに世界人口の少なくとも76%は「新世界訳」(全訳または部分訳)を母語で読めるようになった

110

100

90

80

70

60

50

40

30

20

10

0

1950 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010

[8ページのグラフ]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

全世界で265万7,377人が補助開拓をした

250(万)

200

150

100

50

0

2008 2009 2010 2011

[35ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

米国

フランス

ブルガリア

トルコ

アルメニア

アゼルバイジャン

ロシア

韓国

[6ページの図版]

上: 開拓者や伝道者は聖書研究生をジャネットの家に連れてきて研究を行なった。( 8-9ページを参照)

[7ページの図版]

スペインのマドリードで正規開拓者や補助開拓者が伝道に出かけるところ

[10ページの図版]

老人ホームでヘルパーに証言するトシ

[11ページの図版]

アレハンドロと父親。スペインのバルセロナのサン・セロニ地区で,4月の最後の日

[13ページの図版]

ものみの塔教育センター。米国ニューヨーク州パタソン

[18ページの図版]

陸前高田市の王国会館

[22ページの図版]

上: 自発奉仕者が宮城県柴田町の兄弟の家からがれきを取り除く

[22ページの図版]

左: 支部委員会の成員が陸前高田市の兄弟の家で話をする

[22ページの図版]

下: 特別一日大会に出席した被災地の人たちのために自発奉仕者が昼食を準備する

[24ページの図版]

リトアニア語とラトビア語の「新世界訳」

[31ページの図版]

米国ニューヨーク市にヤンキー・スタジアム側が設置した記念の標示。入場者数最多を記録したエホバの証人の大会に触れている

[32ページの図版]

ブルキナファソの建設奉仕者

[32ページの図版]

ブルキナファソの事務所

[32ページの図版]

チリ支部

[33ページの図版]

香港支部の新たな施設

[34ページの図版]

フランス,ストラスブールのヨーロッパ人権裁判所

[38ページの図版]

通知表を見せる生徒たち。宗教の授業を免除されたことを喜んでいる

[41ページの図版]

アルタイ共和国ゴルノ・アルタイスクで伝道するエホバの証人