ヨハネによる福音書 4:1-54
注釈
サマリア: イエスの時代,サマリアはローマの行政区の名称で,イエスは旅の途中で時々そこを通った。後に,弟子たちはキリスト教の音信をそこに携えていった。今日では正確な境界は分かっていないが,サマリアは北のガリラヤと南のユダヤの間にあり,ヨルダン川から西に地中海の沿岸平野まで広がっていた。大体は,かつてのエフライム族とマナセ族の半分(ヨルダン川の西側)の領地を含んでいた。イエスはエルサレムに行き来するのに時々サマリアを通ったが(ヨハ 4:3-6。ルカ 9:51,52; 17:11),サマリア人の町では伝道しないよう使徒たちに命じた。主な割り当ては「イスラエル国民の迷い出た羊」つまりユダヤ人の所に行くことだったから。(マタ 10:5,6)しかし,それは限られた期間のことだった。イエスは昇天の直前,弟子たちに,良い知らせを「サマリア」だけでなく「地上の最も遠い所にまで」伝えるようにと命じた。(使徒 1:8,9)エルサレムで迫害が起きた時,フィリポをはじめ弟子たちは,サマリア全域で良い知らせを広めた。後に,ペテロとヨハネがそこへ遣わされ,サマリア人も聖なる力を受けた。(使徒 8:1-17,25; 9:31; 15:3)
スカル: これはサマリアの町で,アスカルという村と同定されている。この村は現代のナーブルスに近く,シェケムの北東約1キロ,ヤコブの井戸の北北東0.7キロほどの所にある。(付録B6とB10参照。)聖書以外の初期の一部の筆者,またシリア語シナイ写本の「シュケム」という読みに基づいて,スカルをシェケムと同定する人もいる。とはいえ,最良のギリシャ語写本の幾つかは「スカル」という読みを支持している。考古学者たちは,当時すでにシェケム(テル・バラータ)には人が住んでいなかったことを示している。
ヤコブの井戸: この井戸の場所は伝統的に,現代のナーブルスの南東約2.5キロに位置し,シェケムのあったテル・バラータからそう遠くない所にあるビール・ヤクーブ(ベエル・ヤアコーブ)とされている。この井戸は深く,水位が一番上まで上がることはない。19世紀に行われた測量では,井戸の深さは約23メートルだった。底には堆積物があるので,昔はもっと深かったのかもしれない。(ヨハ 4:11)この井戸は普通,5月の終わりごろから秋の雨まで干上がるため,浸透した雨水が井戸水になっていると考える人もいる。他方,水は泉からも来ていると考える人がいる。(この節の井戸に関する注釈を参照。)聖書はヤコブがその井戸を掘ったとはっきり述べてはいないが,ヤコブがこの付近に土地を持っていたことは示している。(創 33:18-20。ヨシ 24:32)ヤコブは,恐らく自分の大家族と家畜の群れに水を供給するために,自ら掘ったか人に掘らせたと思われる。そうすることによってヤコブは,その地域の他の水源をすでに所有していたと思われる近隣の人々との間のトラブルを防げただろう。あるいは,この地域の他の井戸が干上がった時,別の水源が必要になったのかもしれない。
井戸: または,「泉」。この文脈で,スカルにあったヤコブの井戸を指して2つのギリシャ語が使われている。この節で2回「井戸」と訳されているギリシャ語ペーゲーは,たいてい泉を意味する。ヤコブの井戸の水源となる泉があったのかもしれない。この語は,ヤコ 3:11で文字通りの「泉」を指して使われており,ヨハ 4:14では比喩的な意味で使われているが,同じく「泉」と訳されている。ヨハ 4:12でヤコブの井戸を指す語はギリシャ語フレアルで,この語は井戸,水ため,縦穴を指せる。(サ一 19:22,セプトゥアギンタ訳。ルカ 14:5。啓 9:1)泉は井戸の源泉となることが多く,掘り下げて広げることがあった。それで,ここでは「泉」と「井戸」という語が,ほとんど同じ意味で水源を指して使われているのだろう。この節のヤコブの井戸に関する注釈を参照。
すっかり疲れて: 聖書の中で,イエスが「すっかり疲れて」いたと記されている唯一の箇所。時刻は昼の12時ごろ。その日の午前中イエスは,ユダヤのヨルダン渓谷からサマリアのスカルへと続く急な上り坂を旅したものと思われる。その高低差は約900メートルあった。(ヨハ 4:3-5)付録A7参照。
昼の12時ごろ: 直訳,「第6時ごろ」。マタ 20:3の注釈を参照。
ユダヤ人はサマリア人と関わりを持たない: 聖書に最初に出てくるサマリアの人たちは,アッシリア人による征服の前に10部族王国に住んでいたユダヤ人。(王二 17:29)サマリアの人たちが他のユダヤ人から分離し始めたのは,それ以前,ヤラベアムがイスラエルの10部族王国に偶像崇拝を取り入れた時のこと。(王一 12:26-30)アッシリアによる征服の後,「サマリア人」は,サマリアに残された人たちの子孫やそこに住むよう連れてこられた外国人を指すようになった。サマリア人は,自分たちはれっきとしたマナセ族とエフライム族の子孫だと主張したが,外国人との間に生まれた人も間違いなくいた。このようにさまざまな人が混在したために,サマリアでの崇拝が腐敗していったことを聖書は示している。(王二 17:24-41)ユダヤ人がバビロン捕囚から戻った時,サマリア人は,エホバを崇拝していると主張したが,エルサレムの神殿と城壁の再建に反対した。そして,恐らく紀元前4世紀ごろにゲリジム山に自分たちの神殿を建てたが,それは紀元前128年にユダヤ人に破壊された。それでもサマリア人はその山で崇拝を続け,1世紀には,ユダヤとガリラヤの間にあるローマの行政区であるサマリアに住んでいた。聖書の最初の5つの書だけ,もしかしたらヨシュア記も受け入れていたが,自分たちの神殿の場所が正当だと主張するために幾つかの聖句に変更を加えていた。イエスの時代には,サマリア人という名称は人種的また宗教的な意味合いを帯びていて,サマリア人はユダヤ人から軽蔑されていた。(ヨハ 8:48)
……持たないのである: この丸括弧内の注記は一部の写本には含まれていないが,幾つもの権威ある初期の写本による強力な裏付けがある。
生きた水: このギリシャ語の表現は文字通りの意味で使われて,流水や清水,あるいは泉を水源とする井戸からの真水を指す。水ためのよどんだ水との対比。レビ 14:5の「きれいな水」に当たるヘブライ語の表現は,字義通りには「生きた水」。エレ 2:13と17:13で,エホバは「生きた水の源[または,「泉」]」と表現されている。それは命を与える象徴的な水。イエスはサマリア人女性と話した時,「生きた水」という語を比喩的な意味で使ったが,女性は最初,文字通りの意味で取ったようだ。(ヨハ 4:11)ヨハ 4:14の注釈を参照。
井戸は深い: ヨハ 4:6の注釈を参照。
私たちの父祖ヤコブ: サマリア人はヨセフを通してヤコブの子孫だと主張したが,当時の多くのユダヤ人はそれに異議を唱えただろう。サマリア人が外国人の子孫であることを強調するために,彼らをヘブライ語で「クト人」や「クタ人」と呼ぶユダヤ人もいた。クトまたはクタは,紀元前740年にイスラエルが捕囚にされた後アッシリアの王によってサマリアの町々に移住させられた人々の出身地を指す。それはバビロンの北東約50キロの所と思われる。(王二 17:23,24,30)
私が与える水: ここで「水」と「泉」という語は比喩的に使われている。イエスはサマリア人女性との会話の最初の方で,「生きた水」に言及した。(ヨハ 4:10の注釈を参照。)さらに,自分が供給する水はそれを受ける人の中で永遠の命を与える水の泉となると説明している。神の言葉の中で,水は人類に完全な命を回復させるための神の備えの象徴として使われている。この象徴的な水の重要な要素は,イエスの贖いの犠牲。イエスはこの文脈で,イエスの言葉を聞いて弟子となる人たちに及ぶ良い事柄に注目させている。エホバ神とイエス・キリストのことを「知る」ようになり,その知識に基づいて信仰を抱いて行動していく人には,永遠の命の見込みがある。(ヨハ 17:3)イエスが言ったように,この象徴的な水を受け入れるなら,それはその人の中で泉となって,命を与える有益な事柄を湧き上がらせる。そのような人はこの「命の水」を他の人にもぜひ分け与えたいと感じる。(啓 21:6; 22:1,17)ヨハ 7:38の注釈を参照。
この山: ゲリジム山のこと。(付録B10参照。)この山はヘブライ語聖書に4回出ている。(申 11:29; 27:12。ヨシ 8:33。裁 9:7)恐らく紀元前4世紀ごろに,エルサレムの神殿と張り合ってサマリア人の神殿がゲリジム山に建てられ,紀元前128年にユダヤ人に破壊された。サマリア人は,聖書の最初の5つの書だけ,もしかしたらヨシュア記も受け入れていたが,サマリア五書と呼ばれる自分たちで改訂したものだった。それは古代ヘブライ語に由来する独自の文字で書かれていた。本文は,ヘブライ語聖書のマソラ本文と約6000カ所違っている。ほとんどはささいなものだが,大きな違いもある。例えば,申 27:4で,しっくいを塗った石にモーセの律法を書く場所が「エバル山」から「ゲリジム山」に置き換わっている。(申 27:8)この変更は明らかに,ゲリジムが神の聖なる山だという彼らの信条の正当性を示そうとしたものだった。
救いはユダヤ人から始まる: または,「救いはユダヤ人から起こる」。イエスの言葉は,ユダヤ人が神の言葉,清い崇拝,救いにつながる真理を託されたことを示している。(ロマ 3:1,2)またユダヤ人は,アブラハムの「子孫」に関する神の約束を実現するメシアが出る国民として選ばれていた。(創 22:18。ガラ 3:16)イエスがサマリア人女性に話した時点では,ユダヤ人を通してのみ,神と神が求める事柄についての真理やメシアに関する詳細を学ぶことができた。イスラエルは依然として神の経路で,エホバに仕えたいと願う人は神の選んだ国民と共にそうしなければならなかった。
聖なる力: ギリシャ語,プネウマ。用語集の「プネウマ」参照。
神は目に見えない方: ここではギリシャ語プネウマが,目に見えない存在という意味で使われている。(用語集の「プネウマ」参照。)聖書は,神,栄光を受けたイエス,天使たちがプネウマであることを示している。(コ一 15:45。コ二 3:17。ヘブ 1:14)これらの存在は人間とは全く違う形態の命を持っていて,人の肉眼では見えない。「地上での体」よりはるかに優れた「天での体」を持っている。(コ一 15:44。ヨハ 1:18)聖書筆者は,神の顔,目,耳,手などについて述べているが,それらは神がどんな存在かを人間が理解するための比喩。聖書は,神に性格があることをはっきり示している。また,神は物質の領域とは別の場所に存在している。それでキリストは「父のもとに行」くと言えた。(ヨハ 16:28)ヘブ 9:24で,キリストは「天そのものに入り……私たちのために神の前に出て」いると述べられている。
聖なる力……に導かれて崇拝: 用語集の「プネウマ」という項にあるように,ここで使われているギリシャ語プネウマはいろいろな意味を持つ。例えば,神が送り出す力つまり聖なる力や,人を駆り立てる力つまり精神。プネウマの幾つかの意味に共通している1つの点は,人間の目に見えないものであること。イエスはヨハ 4:21で,父への崇拝はサマリアのゲリジム山やエルサレムの神殿のような物理的な場所を中心としたものではなくなると説明した。神は物質的な存在ではなく,人が見ることも触れることもできないので,神への崇拝は,実際の神殿や山を中心とする必要はなくなる。聖書の他の箇所でもイエスが示しているように,神に受け入れられる崇拝を行うには,「援助者」とも呼ばれる目に見えない神の聖なる力に導かれる必要がある。(ヨハ 14:16,17; 16:13)神の言葉の研究と適用によって自分を神の考えに調和させるなら,神の「聖なる力……に導かれて崇拝」することになる。この表現は,熱烈な精神を持って誠実に神に仕えるよりはるかに多くのことを意味している。
真理に導かれて崇拝: 神に受け入れられる崇拝は,想像や神話やうそに基づいたものでは決してない。それは,事実に沿ったもので,神がご自分とご自分の目的について神の言葉の中で明らかにしている「真理」と一致していなければならない。(ヨハ 17:17)そのような崇拝は,神の言葉の中で明らかにされている「目に見えない……実在する」ものと合致していなければならない。(ヘブ 9:24; 11:1)この節の聖なる力……に導かれて崇拝に関する注釈も参照。
私は,メシアが来ることを知っています: サマリア人はモーセ五書(ペンタチューク)だけを受け入れていた。もしかしたらヨシュア記は別として,ヘブライ語聖書の残りの部分を退けた。サマリア人はモーセの書いた物を受け入れていたので,モーセより偉大な預言者であるメシアの到来を待ち望んでいた。(申 18:18,19)
メシア: ギリシャ語メッシアス(ヘブライ語マーシーアハの翻字)はギリシャ語聖書に2回だけ出ている(こことヨハ 1:41)。マーシーアハという称号の元になったヘブライ語動詞マーシャハは,「(液体を)塗る」,「油を注ぐ」という意味。(出 29:2,7)聖書時代には,祭司,統治者,預言者として選ばれた人に油を注ぐ儀式が行われた。(レビ 4:3。サ一 16:3,12,13。王一 19:16)キリスト(ギリシャ語クリストス)という対応する称号はギリシャ語聖書に500回以上出ていて,「メシア」という称号に相当し,どちらも「油を注がれた者」という意味。マタ 1:1の注釈を参照。
あなたと話している私がそうです: イエスが自分はメシアつまりキリストだとはっきり述べたのはこの時が初めてだと思われる。イエスは女性に,しかもユダヤ人ではなくサマリア人にそうしている。(ヨハ 4:9,25)たいていのユダヤ人はサマリア人を軽蔑し,あいさつもしなかったし,多くのユダヤ人男性は女性を見下していた。イエスは後に,ほかの女性たちも重んじてご自分の復活の最初の目撃証人になる栄誉を与えた。(マタ 28:9,10)
私がそうです: 直訳,「私です」。ギリシャ語,エゴー エイミ。この表現をセプトゥアギンタ訳の出 3:14への間接的な言及と考え,イエスを神と同一視する人がいる。しかし,出 3:14の言い回し(エゴー エイミ ホ オーン,「私は存在者である」,「私は存在している者である」)はヨハ 4:26とは異なっている。さらに,エゴー エイミという表現は,セプトゥアギンタ訳の中で,アブラハム,エリエゼル,ヤコブ,ダビデなどが話した言葉にも使われている。(創 23:4; 24:34; 30:2。代一 21:17)ギリシャ語聖書で,エゴー エイミというフレーズは,イエスが語った言葉の訳以外にも使われている。同じギリシャ語フレーズがヨハ 9:9で,イエスが癒やした男性の言葉に使われている。これは,「それは私です」という意味にすぎない。このフレーズは天使ガブリエル,ペテロ,パウロなども使っている。(ルカ 1:19。使徒 10:21; 22:3)明らかに,これらは出 3:14に言及したものではない。共観福音書の並行記述を比較すると分かるように,マル 13:6とルカ 21:8にあるエゴー エイミというフレーズ(「私がその者だ」)は,マタ 24:5で省略しないで表現されており,「私がキリストだ」となっている。
女性と話している: モーセの律法の精神に反して,ユダヤ人の伝承は,男性が公共の場で女性と話すのを控えるべきだとしていた。イエスの時代にこの見方は広まっていたようだ。それで,弟子たちでさえ,イエスがサマリア人女性と話しているのを見て「驚いた」のだろう。タルムードによれば,古代のラビたちは,学者は「街路で女性と話してはならない」と助言した。また,ミシュナによれば,あるラビはこう言った。「女たちと多く語ってはならない。……女と多く語る者は身に難儀を招き,律法の学習を怠り,最後にはゲヘナを受け継ぐことになる」。(アボト 1:5)
収穫までまだ4カ月ある: 大麦の収穫は,ユダヤ暦のニサンの月(3月から4月にかけて),過ぎ越しの時期に始まる。(付録B15参照。)4カ月さかのぼると,イエスがこう述べたのはキスレウの月(11月から12月にかけて)。それは雨が激しくなり,寒くなる時期。それで,すでに始まっている収穫に関するイエスの言葉は,文字通りではなく比喩的な収穫,つまり人々を集めることを言っていると思われる。(ヨハ 4:36)
色づいて: 直訳,「白くて」。ギリシャ語レウコスは,白や,淡い黄色などの明るい色を意味し,穀物が熟して収穫できる状態であることを示している。イエスはここで「収穫までまだ4カ月ある」と述べているので,周りの畑は芽を出して間もない大麦の色で,緑だったと思われる。だから,イエスは,畑が収穫できるほど熟していると言った時,文字通りの収穫ではなく比喩的な収穫のことを念頭に置いていたのだろう。ある学者たちが考えるように,イエスは,聞いている人たちに畑を見なさいと言った時,やって来る大勢のサマリア人のことを言っていたのかもしれず,畑が白く「色づいて」いるというイエスの言葉は彼らの白い服に言及していた可能性もある。あるいは,彼らが音信を受け入れる状態にあることを示す比喩だったのかもしれない。(ヨハ 4:28-30)
大勢のサマリア人はイエスに信仰を持った: イエスがサマリア人女性と出会った結果ははっきり見られた。女性が証言したことによって,大勢のサマリア人がイエスを信じるようになった。最初の比喩的な収穫はおもにユダヤ人の間で行われたが,聖書に記されているように,サマリア人を含むはるかに大きな収穫が間もなく現実となる。サマリア人女性へのイエスの伝道は,これら大勢のサマリア人がフィリポの伝道に耳を傾ける基礎となったと思われる。(ヨハ 4:34-36。使徒 1:8; 8:1,14-17)
故郷: 直訳,「父の場所」。「故郷」と訳されているギリシャ語は,マタ 13:54,マル 6:1,ルカ 4:24で「郷里」と訳され,イエスの育った町ナザレを指している。この文脈では,ガリラヤ全体を指すようだ。(ヨハ 4:43)
ガリラヤのカナ……カペルナウム: カナ(キルベト・カーナ)とカペルナウムの間の道のりは約40キロ。ヨハ 2:1の注釈を参照。
王の役人: または,「王の従者」。ギリシャ語バシリコスは王(バシレウス)と血のつながりか仕事上のつながりがある人を指す。ここではヘロデ・アンテパス王の従者か王宮の一員を指すようだ。ガリラヤの四分領太守ヘロデ・アンテパスは一般に「王」と呼ばれていた。マタ 14:9,マル 6:14の注釈を参照。
下ってきて: カペルナウムに来てということ。古代には,1本の道がキルベト・カーナ(恐らく聖書中のカナ,ヨハ 2:1の注釈を参照)を抜け,ガリラヤ湖の岸辺に下り,岸沿いにカペルナウムまで延びていた。カペルナウムは海面より200メートル余り低いため,カペルナウムに「下って」くると言われている。
午後1時ごろ: 直訳,「第7時」。マタ 20:3の注釈を参照。
メディア
動画ではゲリジム山(1)が見える。その近くにヤコブの井戸とされる場所(2)があり,イエスはその井戸の所でサマリア人女性と話した。(ヨハ 4:6,7)さらにエバル山(3)がある。ゲリジム山はサマリア地方の中央部に位置している。山頂は地中海より850メートル余り高い。現代の町ナーブルスは2つの山の間の肥沃なシェケムの谷にある。恐らく紀元前4世紀ごろに,サマリア人の神殿がゲリジム山に建てられたが,紀元前128年に破壊された。サマリア人女性がイエス・キリストに次のように話したのはゲリジム山のことだったと思われる。「私たちの父祖はこの山で崇拝しましたが,あなた方は,エルサレムで崇拝しなければならないと言います」。真の崇拝は物理的な場所に依存するものではないことを女性に示すために,イエスはこう答えた。「あなた方がこの山でもエルサレムでもない所で天の父を崇拝する時が来ます」。(ヨハ 4:20,21)
聖書時代,収穫する人は穀物の茎を地面からただ引き抜くこともあったが,普通は茎を鎌で刈って収穫した。(申 16:9。マル 4:29)収穫はたいてい共同作業で,刈り取る人たちがグループになって畑から穀物を集めた。(ルツ 2:3。王二 4:18)ソロモン王,預言者ホセア,使徒パウロなどの聖書筆者たちが,刈り取るという比喩で重要な真理を示している。(格 22:8。ホセ 8:7。ガラ 6:7-9)イエスもこの見慣れた作業を例えにして,天使たちや弟子たちが人々を弟子とする活動で果たす役割を示した。(マタ 13:24-30,39。ヨハ 4:35-38)