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神に仕える人と仕えない人はどのように異なっていますか

神に仕える人と仕えない人はどのように異なっていますか

「あなた方​は​必ず,義​なる​者​と​邪悪​な​者……と​の​相違​を……見る​で​あろ​う」。マラ 3:18

歌: 61,53

1,2. 今日,神​の​民​は​どんな​難しい​状況​に​置か​れ​て​い​ます​か。(冒頭​の​写真​を​参照。)

医師​や​看護​師​が​伝染​病​の​患者​の​治療​に​当たる​こと​が​あり​ます。患者​を​助ける​ため​献身​的​に​働き​ます。でも,自分​が​感染​し​ない​よう​注意​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん。わたしたち​も,神​に​喜ば​れ​ない​態度​や​特質​に​いわば​感染​し​た​人​たち​の​中​で​生活​し,活動​し​て​い​ます。それで,その​よう​な​態度​に​感染​し​ない​よう​気​を​つけ​なけれ​ば​なり​ませ​ん。

2 終わり​の​日​の​今,世界​は​道徳​的​に​退廃​し​て​い​ます。テモテ​第​二​の​手紙​に​は,神​に​仕え​て​い​ない​人々​の​特徴​が​記さ​れ​て​い​ます。人々​の​その​よう​な​行動​や​態度​は,今後​ますます​広まっ​て​いく​こと​でしょ​う。テモテ​第 3:1‐5,13を​読む。)わたしたち​は​それ​を​見​て​本当​に​ひどい​と​感じ​ます。でも​注意​し​ない​と,自分​が​その​よう​な​行動​や​態度​の​影響​を​受け​て​しまう​こと​が​あり​ます。(箴 13:20)この​記事​で​は,終わり​の​日​に​多く​の​人​が​示す​特質​が,神​の​民​が​示す​特質​と​どれ​ほど​異なっ​て​いる​か​を​考え​ます。エホバ​を​知る​よう​人々​を​助ける​わたしたち​が,神​に​喜ば​れ​ない​態度​に​感染​し​ない​ため​に​どう​し​たら​よい​か​も​学び​ます。

3. テモテ​第​二 3​章​2‐5​節​に​挙げ​られ​て​いる​態度​や​特質​を​示す​の​は​だれ​です​か。

3 パウロ​は「終わり​の​日」が「対処​し​にくい​危機​の​時代」に​なる​と​述べ,多く​の​人​が​示す​19​の​態度​や​特質​を​挙げ​て​い​ます。似​た​記述​は​ローマ 1​章​29‐31​節​に​も​あり​ます​が,テモテ​第​二​の​手紙​の​記述​に​は,クリスチャン​・​ギリシャ​語​聖書​の​他​の​箇所​で​は​使わ​れ​て​い​ない​言葉​が​用い​られ​て​い​ます。パウロ​は「人々​は」と​書い​て​い​ます​が,すべて​の​人​が​その​よう​な​特質​を​示し​て​いる​わけ​で​は​あり​ませ​ん。クリスチャン​は​全く​異なる​特質​を​示し​て​い​ます。マラキ 3:18を​読む。)

自分​に​対する​見方

4. 誇り​の​ため​に​思い上がる​人​と​は​どんな​人​です​か。

4 パウロ​は,自分​や​お金​を​愛する​者​に​つい​て​述べ​た​後,人々​が​うぬぼれる​者,ごう慢な​者,り​の​ため​に​思い上がる​者​に​なる​と​も​述べ​て​い​ます。その​よう​な​人​は,自分​の​能力​や​外見​や​富​や​立場​の​ゆえに​優越​感​を​抱く​か​も​しれ​ませ​ん。称賛​され​尊敬​さ​れる​こと​を​強く​願っ​て​い​ます。ある​学​者​は​誇り高い​人​に​つい​て,「心​の​中​に​小さな​祭壇​が​あり,自分​自身​に​身​を​かがめる」と​述べ​て​い​ます。過度​の​誇り​は​非常​に​不快​な​もの​で,誇り高い​人​で​さえ​他​の​人​が​その​よう​な​誇り​を​示す​と​不快​に​感じる,と​言う​人​たち​も​い​ます。

5. 忠実​な​人​で​さえ​誇り​に​負ける​こと​が​あり​ます。例​を​挙げ​て​ください。

5 エホバ​は​誇り​を​不快​に​思わ​れ​ます。「高ぶる​目」を​憎ま​れる​の​です。(箴 6:16,17)誇り​は​神​に​近づく​妨げ​と​なり​ます。(詩 10:4)誇り​は​悪魔​の​示す​特質​です。(テモ​一 3:6)残念​な​こと​に,神​の​忠節​な​僕​の​中​に​も​誇り​に​感染​し​て​しまっ​た​人​が​い​ます。ユダ​の​王​ウジヤ​は​長年​忠実​に​歩ん​で​い​まし​た。「ところが,彼​が​強く​なる​や,その​心​は​滅び​を​もたらす​ほど​に​ごう慢​に​なっ​た​の​で,彼​は​その​神​エホバ​に​対し​て​不​忠実​な​こと​を​し,エホバ​の​神殿​に​入っ​て​香​の​祭壇​の​上​で​香​を​たこ​う​と​し[まし]た」。ヒゼキヤ​王​も​一時​的​と​は​いえ,ごう慢​に​なり​まし​た。(代​二 26:16; 32:25,26

6. ダビデ​が​誇り​を​抱い​て​も​不思議​で​は​なかっ​た​の​は​なぜ​です​か。謙遜​さ​を​保て​た​の​は​なぜ​です​か。

6 外見,人気,音楽​の​才能,体力,立場​の​ゆえに​誇り​を​抱く​人​も​い​ます。ダビデ​は​その​すべて​を​兼ね備え​て​い​まし​た​が,生涯,謙遜​さ​を​保ち​まし​た。ゴリアテ​を​殺し​た​後,サウル​王​から​娘​を​妻​に​する​よう​勧め​られ​まし​た​が,こう​言い​まし​た。「私​は​何者​な​の​でしょ​う。私​の​親族,私​の​父​の​一族​も​イスラエル​で​は​何者​な​の​でしょ​う。私​が​王​の​婿​に​なる​など​と​は」。(サム​一 18:18)ダビデ​が​謙遜​さ​を​保て​た​の​は​なぜ​でしょ​う​か。ダビデ​が​優れ​た​特質​や​能力​や​特権​を​持っ​て​い​た​の​は,神​が「ご自分​を​低く​し​て」つまり​謙遜​さ​を​示し​て,注意​を​向け​て​くださっ​た​から​です。(詩 113:5‐8)ダビデ​は,自分​の​持つ​良い​もの​が​すべて​エホバ​から​与え​られ​た​もの​で​ある​こと​を​知っ​て​い​まし​た。(コリント​第​一 4:7​と​比較。)

7. 謙遜​で​ある​ため​に,どんな​点​を​思い​に​留める​べき​です​か。

7 今日,エホバ​の​民​は​ダビデ​の​よう​に​謙遜​で​ある​よう​努力​し​て​い​ます。わたしたち​は,宇宙​で​最も​偉大​な​方​エホバ​が​謙遜​で​ある​こと​に​心​を​打た​れ​ます。(詩 18:35)次​の​助言​を​当てはめ​たい​と​思っ​て​い​ます。「優しい​同情​心,親切,へりくだっ​た​思い,温和,そして​辛抱強さ​を​身​に​着け​なさい」。(コロ 3:12)また,愛​は「自慢​せ​ず,思い​上​が」り​ませ​ん。(コリ​一 13:4)わたしたち​が​謙遜​で​あれ​ば,人々​は​エホバ​に​引き寄せ​られる​か​も​しれ​ませ​ん。夫​が​妻​の​良い​行ない​に​よっ​て,エホバ​に​引き寄せ​られる​の​と​同じ​です。(ペテ​一 3:1,2

他​の​人​へ​の​接し方

8. (イ)今日,親​へ​の​不​従順​は​どう​見​られ​て​い​ます​か。(ロ)聖書​は​子ども​に​どんな​命令​を​与え​て​い​ます​か。

8 パウロ​は,終わり​の​日​の​人々​が​互い​に​どの​よう​に​接する​か​を​述べ​て​い​ます。子ども​は​に​不​に​なり​ます。その​よう​な​態度​は,本​や​映画​や​テレビ​など​で​当然​の​こと​の​よう​に​扱わ​れ,勧め​られる​こと​さえ​あり​ます。しかし,親​へ​の​不​従順​は,社会​の​最も​重要​な​単位​で​ある​家族​の​安定​性​を​脅かし​ます。人々​は​昔​から​その​こと​を​理解​し​て​い​まし​た。興味深い​こと​に,古代​ギリシャ​で​は,親​を​殴る​子ども​は​市民​権​を​失い​まし​た。ローマ​法​の​もと​で​は,父親​を​殴る​こと​は​殺人​と​同じ​ほど​重大​な​罪​でし​た。ヘブライ​語​聖書​も​クリスチャン​・​ギリシャ​語​聖書​も,親​を​敬う​よう​命じ​て​い​ます。(出 20:12。エフェ 6:1‐3

9. どう​すれ​ば,子ども​は​親​に​心​から​従う​こと​が​でき​ます​か。

9 どう​すれ​ば​子ども​は​周囲​の​人々​の​不​従順​な​態度​に​感染​し​ない​で​すむ​でしょ​う​か。親​が​自分​の​ため​に​し​て​くれ​た​こと​を​よく​考える​なら,感謝​の​気持ち​が​わき,親​に​従い​たい​と​思う​でしょ​う。わたしたち​すべて​の​父​エホバ​が​親​へ​の​従順​を​求め​て​おら​れる,と​いう​こと​も​忘れ​て​は​なり​ませ​ん。友達​に​親​の​良い​点​を​話す​なら,その​友達​も​親​に​敬意​を​持つ​よう​に​なる​でしょ​う。中​に​は​の​情を​持た​ない​親​も​い​ます。その​よう​な​親​に​心​から​従う​の​は​難しい​か​も​しれ​ませ​ん。他方,親​が​子ども​に​純粋​な​愛​を​示す​なら,子ども​は​あまり​気​が​進ま​ない​時​に​も​親​に​従う​よう​努力​する​こと​でしょ​う。オースティン​は​こう​言い​ます。「自分​の​好き​な​よう​に​し​たい​と​思う​こと​も​よく​あり​まし​た​が,親​は​無理​の​ない​決まり​を​設け,理由​も​説明​し​て​くれ​まし​た。ぼく​の​気持ち​も​よく​聞い​て​くれ​まし​た。気遣っ​て​くれ​て​いる​こと​が​伝わっ​て​き​た​の​で,親​に​従い,親​を​喜ばせ​たい​と​思い​まし​た」。

10,11. (イ)多く​の​人​は​愛​の​欠け​た​どんな​態度​を​示し​て​い​ます​か。(ロ)クリスチャン​は​どの​よう​に​愛​を​示し​ます​か。

10 パウロ​は,愛​の​欠け​た​態度​や​行動​に​つい​て​さらに​述べ​て​い​ます。「親​に​不​従順​な​者」の​次​に​し​ない​者​が​挙げ​られ​て​いる​の​は​適切​な​こと​です。感謝​し​ない​人​は,他​の​人​が​し​て​くれ​た​こと​を​何​と​も​思わ​ない​から​です。人々​は​で​ない​者​と​も​なり​ます。に​合せ​ず,他​の​人​と​和解​し​よう​と​し​ませ​ん。とく​する​者​や​る​者​と​も​なり,他​の​人​や​神​を​ののしっ​たり​侮辱​し​たり​し​ます。する​者​も​い​ます。これ​は,他​の​人​の​良い​評判​を​損なう​ため​に​悪意​の​ある​こと​を​言う​人​の​こと​です。 *

11 今日,多く​の​人​は​愛​の​欠け​た​態度​を​示し​て​い​ます​が,エホバ​を​崇拝​する​人​たち​は​他​の​人​に​純粋​な​愛​を​抱い​て​い​ます。エホバ​の​民​は​昔​から​ずっ​と​そう​でし​た。イエス​は,モーセ​の​律法​の​中​で​神​を​愛する​こと​に​次い​で​大切​な​おきて​は​隣人​を​愛する​こと​で​ある,と​言い​まし​た。いずれ​も​ギリシャ​語​で​アガペー​と​呼ば​れる​愛​です。(マタ 22:37‐39)互い​を​愛する​こと​は​真​の​クリスチャン​を​見分ける​しるし​で​ある​と​も​述べ​まし​た。ヨハネ 13:34,35を​読む。)クリスチャン​は​敵​で​さえ​愛し​ます。(マタ 5:43,44

12. イエス​は​どの​よう​に​人々​に​愛​を​表わし​まし​た​か。

12 イエス​は​人々​に​深い​愛​を​示し​まし​た。都市​から​都市​へ​旅し​て,神​の​王国​の​良い​たより​を​伝え​まし​た。目​の​見え​ない​人,足​の​悪い​人,重い​皮膚​病​の​人,耳​の​聞こえ​ない​人​を​いやし,死人​を​復活​さ​せ​まし​た。(ルカ 7:22)多く​の​人​から​憎ま​れ​まし​た​が,人類​の​ため​に​命​を​なげうつ​こと​さえ​し​まし​た。イエス​は​父​エホバ​の​愛​を​完全​な​仕方​で​表わし​まし​た。エホバ​の​証人​は​神​と​イエス​に​倣い,世界​中​で​愛​を​示し​て​い​ます。

13. わたしたち​が​愛​を​示す​なら,人々​は​どの​よう​に​エホバ​に​引き寄せ​られ​ます​か。

13 わたしたち​が​愛​を​示す​なら,人々​は​天​の​父​に​引き寄せ​られ​ます。例えば,タイ​の​ある​男性​は,地区​大会​で​兄弟​たち​が​互い​に​愛​を​示す​様子​を​見​て​感銘​を​受け​まし​た。家​に​帰る​と,聖書​レッスン​を​週​に​2​回​受け​たい​と​申し出​まし​た。家族​や​親族​に​学ん​だ​こと​を​伝え,大会​の​わずか​6​か月​後​に​は,初めて​の​聖書​朗読​の​割り当て​を​果たし​まし​た。わたしたち​は,他​の​人​に​どれ​ほど​愛​を​示し​て​いる​か​を​確かめる​ため,こう​自問​でき​ます。「家族​や​会衆​の​兄弟​姉妹,宣教​で​会う​人​たち​を​助ける​ため,できる​限り​努力​し​て​いる​だろ​う​か。エホバ​が​ご覧​に​なる​よう​な​仕方​で​他​の​人​を​見る​よう​努めて​いる​だろ​う​か」。

おおかみ​と​子羊

14,15. 多く​の​人​は​どんな​動物​的​な​性質​を​示し​て​い​ます​か。ある​人​たち​は​どの​よう​に​変化​し​まし​た​か。

14 終わり​の​日​に​は​他​の​悪い​態度​も​見​られ​ます。どれ​も​クリスチャン​が​避け​なけれ​ば​なら​ない​もの​です。例えば,神​を​信じ​ない​人​は,さ​を​愛さ​ない​者​と​なり​ます。幾つ​か​の​聖書​翻訳​で​は,「善​を​憎む​者」と​か「良い​こと​すべて​を​嫌う​者」と​訳さ​れ​て​い​ます。また,の​ない​者​や​な​者​と​も​なり​ます。中​に​は,な​者​も​い​ます。ギリシャ​語​で​は​衝動​的​で​無謀​な​者​と​いう​意味​も​あり​ます。

15 以前​に​動物​的​な​性質​を​示し​て​い​た​多く​の​人​は,良い​変化​を​遂げ​まし​た。この​大きな​変化​に​つい​て​美しく​描写​し​た​聖書​預言​が​あり​ます。イザヤ 11:6,7を​読む。)おおかみ​や​ライオン​など​の​野獣​が,子羊​や​子牛​など​の​家畜​と​共​に​平和​に​暮らす​こと​が​記さ​れ​て​い​ます。この​よう​な​平穏​な​状態​が​見​られる​の​は,「地[が]必ず​エホバ​に​つい​て​の​知識​で​満ちる​から」です。(イザ 11:9)動物​が​エホバ​に​つい​て​学ぶ​こと​は​ない​の​で,この​預言​は​象徴​的​な​意味​で​人間​に​成就​し​ます。

聖書​は​人​の​生き方​を​大きく​変える。(16​節​を​参照。)

16. 多く​の​人​は​聖書​を​学ん​で​どの​よう​に​新しい​人格​を​身​に​着け​まし​た​か。

16 かつて​は​おおかみ​の​よう​に​粗暴​だっ​た​人​が,今​で​は​他​の​人​たち​と​平和​に​暮らし​て​い​ます。jw.org​の「聖書​は​人​の​生き方​を​変える」と​いう​シリーズ​記事​に​は,その​よう​な​経験​が​載せ​られ​て​い​ます。エホバ​を​知り,エホバ​に​仕える​よう​に​なっ​た​人​たち​は,な​専と​いう​形を​取り​ながら​その​力に​おい​て​実の​ない​者​で​は​あり​ませ​ん。形​だけ​の​崇拝​で​行動​が​伴っ​て​い​ない,と​いう​こと​は​ない​の​です。以前​は​粗暴​だっ​た​人​も,「神​の​ご意志​に​そい​つつ​真​の​義​と​忠節​の​うち​に​創造​さ​れ​た​新しい​人格​を​着け」て​い​ます。(エフェ 4:23,24)人々​は​神​に​つい​て​学ぶ​と,神​の​規準​に​従う​必要​が​ある​こと​に​気づき​ます。そして,自分​の​考え​や​態度​や​行動​を​変化​さ​せ​ます。もちろん,その​よう​な​変化​を​遂げる​こと​は​簡単​で​は​あり​ませ​ん。でも,神​の​ご意志​を​行ない​たい​と​誠実​に​願う​人​は,聖霊​の​助け​に​よっ​て​変化​する​こと​が​でき​ます。

「こう​し​た​人々​から​は​離れ​なさい」

17. 神​に​仕え​て​い​ない​人々​の​影響​を​受け​ない​よう​に​する​ため,どんな​努力​が​求め​られ​ます​か。

17 神​に​仕え​て​いる​人々​と​仕え​て​い​ない​人々​の​違い​は​ますます​明らか​に​なっ​て​い​ます。わたしたち​は,神​に​仕え​て​い​ない​人々​の​悪い​態度​の​影響​を​受け​ない​よう​注意​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん。パウロ​は​テモテ​第​二 3​章​2‐5​節​で​様々​な​悪い​態度​を​示す​人々​に​つい​て​述べ​た​後,そう​し​た​人々​から​れ​なさい​と​命じ​て​い​ます。もちろん,その​よう​な​人々​を​完全​に​避ける​こと​は​でき​ませ​ん。職場​や​学校​で​接する​こと​も​あれ​ば,一緒​に​生活​し​て​いる​こと​も​あり​ます。でも,そう​し​た​人​たち​の​考え方​や​行動​に​倣っ​て​は​なり​ませ​ん。どんな​こと​が​助け​に​なる​でしょ​う​か。エホバ​と​の​強い​関係​を​保つ​こと​です。その​ため​に​は,聖書​を​よく​学び,神​に​仕える​人​を​友​に​する​必要​が​あり​ます。

18. わたしたち​の​言動​に​よっ​て,他​の​人​は​どの​よう​に​エホバ​に​引き寄せ​られ​ます​か。

18 わたしたち​は,エホバ​を​知る​よう​人々​を​助け​たい​と​も​願っ​て​い​ます。ですから,他​の​人​に​真理​を​伝える​機会​を​探し​て​ください。適切​な​時​に​適切​な​こと​を​話せる​よう,エホバ​に​助け​を​祈り​求め​て​ください。自分​が​エホバ​の​証人​で​ある​こと​を​周り​の​人​たち​に​伝え​て​ください。そうすれば,良い​行ない​を​する​時,自分​に​では​なく​エホバ​に​栄光​を​もたらす​こと​が​でき​ます。わたしたち​は「不​敬虔​と​世​の​欲望​と​を​振り捨てる​べき​こと,また​現存​する​事物​の​体制​に​あっ​て​健全​な​思い​と​義​と​敬虔​な​専心​と​を​もっ​て​生活​す​べき​こと​を」教え​られ​て​い​ます。(テト 2:11‐14)神​に​喜ば​れる​行動​を​する​なら,わたしたち​を​見る​人​たち​は​こう​言う​か​も​しれ​ませ​ん。「わたしたち​は​あなた方​と​共​に​行き​ます。神​が​あなた方​と​共​に​おら​れる​こと​を​聞い​た​から​です」。(ゼカ 8:23

^ 10節 ギリシャ​語​の「中傷​する​者」や「訴える​者」に​当たる​言葉​は​ディアボロス​で​あり,聖書​の​中​で,神​を​中傷​する​邪悪​な​者​サタン​の​称号​と​し​て​使わ​れ​て​い​ます。