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ライフ​・​ストーリー

貧しい生い立ち,豊かな人生

貧しい生い立ち,豊かな人生

わたし​は​部屋​が​1​つ​しか​ない​丸太​小屋​で​生ま​れ​まし​た。米国​インディアナ​州​の​リバティー​と​いう​小さな​町​です。上​に​は​兄​が​1​人,姉​が​2​人​い​まし​た。後​に​弟​が​2​人,妹​が​1​人​で​き​まし​た。

わたし​が​生ま​れ​た​丸太​小屋

平凡​な​毎日​でし​た。一緒​に​入学​し​た​友達​と​一緒​に​卒業​し​まし​た。町​の​人​たち​は​みんな​お互い​の​名前​を​知っ​て​い​まし​た。

わたし​は​7​人​きょうだい​で,子ども​の​ころ​に​農場​の​仕事​を​学ん​だ。

町​の​周辺​に​は​小さな​農場​が​幾つ​も​あり,主​な​作物​は​トウモロコシ​でし​た。わたし​が​生ま​れ​た​時,父​は​農場​で​働い​て​い​まし​た。わたし​は​十​代​の​ころ,トラクター​を​運転​し​たり​農場​の​仕事​を​手伝っ​たり​する​よう​に​なり​まし​た。

わたし​が​生ま​れ​た​時,父​は​56​歳,母​は​35​歳​でし​た。父​は​細身​ながら​健康​で​体力​が​あり​まし​た。働き者​で,子ども​たち​に​も​一生​懸命​働く​こと​の​大切​さ​を​教え​て​くれ​まし​た。稼ぎ​は​多く​あり​ませ​ん​でし​た​が,家族​に​は​家​も​服​も​食べ物​も​あり​まし​た。父​は​家族​と​いつも​一緒​に​い​て​くれ​まし​た。父​は​93​歳​で,母​は​86​歳​で​亡くなり​まし​た。2​人​と​も​エホバ​の​証人​で​は​あり​ませ​ん​でし​た。1​人​の​弟​が​エホバ​の​証人​に​なり,長老​の​取り決め​が​始まっ​た​1970​年代​初め​から​その​立場​で​忠実​に​奉仕​し​て​い​ます。

子ども​時代

母​は​信心深い​人​で,毎週​日曜​日​に​子ども​たち​を​バプテスト​教会​に​連れ​て​行き​まし​た。わたし​は​12​歳​の​時,三位一体​に​つい​て​初めて​聞き​まし​た。「イエス​は​子​な​の​に​父​っ​て​どういう​こと?」と​母​に​尋ねる​と,「それ​は​秘義​な​の。分から​なく​て​いい​の」と​言わ​れ​まし​た。本当​に​謎​でし​た。でも,14​歳​くらい​の​時​に​近く​の​小川​で​バプテスマ​を​受け​まし​た。三位一体​の​神​の​ため​に​水​に​3​度​浸さ​れ​まし​た。

1952 17​歳​の​時。陸軍​に​入る​前。

高校​時代,プロボクサー​の​友達​に​勧め​られ,ボクシング​の​練習​を​始め​まし​た。ゴールデングラブ​と​いう​ボクシング​の​組織​に​も​入り​まし​た。でも,あまり​強く​なかっ​た​の​で,何​度​か​試合​に​出​た​後,やめ​まし​た。その​後,陸軍​に​徴兵​さ​れ,ドイツ​に​派遣​さ​れ​まし​た。ドイツ​に​いる​間​に,下士官​学校​へ​送ら​れ​まし​た。上官​たち​は​わたし​に​指揮​能力​が​ある​と​思っ​た​よう​です。軍人​の​道​を​進む​よう​期待​さ​れ​まし​た​が,わたし​に​は​その​気​が​なかっ​た​の​で,2​年​務め​た​後,名誉​除隊​し​まし​た。1956​年​の​こと​です。でも​それ​から​間​も​なく,全く​違う​軍隊​に​入る​こと​に​なり​まし​た。

1954‐1956 米国​陸軍​に​2​年​い​た。

新た​な​生き方

男​は​タフ​に​生きる​べき​だ​と​思っ​て​い​まし​た。映画​や​周り​の​人​たち​の​影響​だ​と​思い​ます。牧師​たち​は,なよなよ​し​た​人​に​見え​まし​た。でも​その​後,生き方​が​変わり​ます。ある​日,赤い​オープンカー​を​走ら​せ​て​いる​と,2​人​の​若い​女性​が​手​を​振っ​て​き​まし​た。姉​の​夫​の​妹​たち​でし​た。2​人​は​エホバ​の​証人​でし​た。2​人​から「ものみの塔」と「目ざめよ!」を​もらっ​た​こと​が​あり​まし​た​が,「ものみの塔」は​ちょっと​難しすぎる​と​思っ​て​い​まし​た。でも​この​時,2​人​の​家​で​開か​れ​て​い​た​書籍​研究​に​誘わ​れ​まし​た。聖書​の​勉強​会​です。「考え​て​おく​よ」と​言う​と,女​の​子​たち​は​笑顔​で「約束​する?」と​言い​まし​た。「うん,約束​する」と​答え​て​しまい​まし​た。

約束​し​た​こと​を​ちょっと​後悔​し​まし​た​が,その​晩,集会​に​行き​まし​た。子ども​たち​が​聖書​の​こと​を​よく​知っ​て​いる​の​に​びっくり​し​まし​た。わたし​は​母​と​日曜​学校​に​通っ​て​い​た​の​に,聖書​の​内容​を​ほとんど​知り​ませ​ん​でし​た。もっと​ちゃんと​勉強​し​なけれ​ば,と​思い​まし​た。聖書​研究​を​始め,全能​の​神​の​名前​が​エホバ​で​ある​こと​を​知り​まし​た。何​年​も​前,母​に​エホバ​の​証人​の​こと​を​尋ね​た​時,母​は「あの​人​たち​は​エホバ​と​いう​おじいさん​を​崇拝​し​て​いる​ん​だっ​て」と​言っ​て​い​まし​た。エホバ​が​神様​の​名前​だっ​た​こと​を​知り,目​が​開か​れる​思い​が​し​まし​た。

真理​だ​と​確信​し​まし​た。わたし​は​急速​に​進歩​し,初めて​集会​に​行っ​て​から​9​か月​足らず​で​バプテスマ​を​受け​まし​た。1957​年​3​月​の​こと​でし​た。人生​観​が​一変​し​まし​た。本当​の​男らしさ​に​つい​て​学べ​て​良かっ​た​と​思い​ます。イエス​は​完全​な​人​で,どんな​に​屈強​な​男​も​影​が​薄く​なる​よう​な​力​の​持ち主​でし​た。それでも​腕力​に​物​を​言わせ​たり​せ​ず,聖書​の​預言​どおり「苦しめ​られる​まま​に​任せ​て」い​まし​た。(イザ 53:2,7)イエス​に​本当​に​従い​たい​なら,「すべて​の​人​に​対し​て​穏やか​で」なけれ​ば​なら​ない​こと​を​学び​まし​た。(テモ​二 2:24

翌年​の​1958​年​に​開拓​者​に​なり​まし​た。でも​少し​の​間,開拓​奉仕​を​中止​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。グロリア​と​いう​女性​と​結婚​する​こと​に​し​た​の​です。書籍​研究​に​誘っ​て​くれ​た​2​人​の​女​の​子​の​うち​の​1​人​です。この​決定​を​後悔​し​た​こと​は​あり​ませ​ん。グロリア​は​当時​も​今​も​わたし​に​とっ​て​宝石​の​よう​な​存在​です。世界​最大​級​の​ホープダイヤモンド​です。でも​単なる​ホープ​に​終わら​ず,結婚​する​こと​が​でき​まし​た。これ​から​グロリア​が​少し​自己​紹介​し​ます。

「わたし​は​17​人​きょうだい​です。母​は​忠実​な​エホバ​の​証人​でし​た​が,わたし​が​14​歳​の​時​に​亡くなり​まし​た。父​は​その​ころ​研究​を​始め​まし​た。母​が​亡くなっ​た​の​で,父​は​校長​先生​に​お願い​し​て,わたし​と​高校​最終​学年​の​姉​が​毎日​交替​で​学校​に​行ける​よう​に​し​まし​た。どちら​か​が​家​に​残り,弟​や​妹​たち​の​面倒​を​見​て,父​が​仕事​から​帰っ​て​来る​前​に​家族​の​夕食​を​作る​ため​です。その​よう​な​生活​が​姉​の​卒業​まで​続き​まし​た。エホバ​の​証人​の​二​家族​が​わたしたち​の​聖書​研究​を​司会​し​て​くれ​まし​た。きょうだい​の​うち​11​人​が​エホバ​の​証人​に​なり​まし​た。わたし​は​野外​奉仕​が​好き​でし​た。でも​性格​は​内気​な​ほう​です。夫​が​よく​助け​て​くれ​て​い​ます」。

1959​年​2​月​に​グロリア​と​結婚​し​まし​た。2​人​で​開拓​奉仕​を​楽しみ​まし​た。その​年​の​7​月,ベテル​奉仕​の​申込​書​を​出し​まし​た。世界​本部​で​奉仕​し​たい​と​思っ​た​の​です。サイモン​・​クレーカー​兄弟​が​面接​し​て​くれ​まし​た​が,今​の​ところ​夫婦​は​ベテル​に​招待​さ​れ​て​い​ない,と​いう​こと​でし​た。でも​ベテル​で​奉仕​し​たい​と​いう​願い​を​ずっ​と​持ち​続け​て​い​まし​た。その​願い​は​何十​年​も​たっ​て​から​かなう​こと​に​なり​ます。

必要​の​大きな​所​で​奉仕​し​たい​と​いう​手紙​を​本部​に​書き​まし​た。本部​から​の​返事​に​記さ​れ​て​い​た​選択​肢​は​1​つ​だけ,アーカンソー​州​パイン​・​ブラッフ​でし​た。当時,パイン​・​ブラッフ​に​は​2​つ​の​会衆​が​あり​まし​た。1​つ​は​白人​の​会衆,もう​1​つ​は“有色​人種”つまり​黒人​の​会衆​です。わたし​は“有色​人種”の​会衆​に​割り当て​られ​まし​た。伝道​者​は​14​人​ほど​でし​た。

人種​差別​に​対処​する

白人​の​会衆​と​黒人​の​会衆​に​分かれ​て​集まっ​て​い​た​の​は​なぜか,不思議​に​思わ​れる​か​も​しれ​ませ​ん。でも,当時​は​そう​する​しか​あり​ませ​ん​でし​た。白人​と​黒人​が​一緒​に​集まる​こと​は​違法​でし​た​し,危険​で​も​あり​まし​た。暴力​沙汰​に​なる​おそれ​も​あり​まし​た。多く​の​場所​で​は,白人​と​黒人​が​一緒​に​集会​に​出席​する​と,王国​会館​が​破壊​さ​れる​危険​が​あり​まし​た。実際​に​破壊​さ​れ​た​こと​も​あり​ます。黒人​の​兄弟​姉妹​が​白人​の​住む​地域​で​家​から​家​に​伝道​し​たら,逮捕​さ​れ,殴打​さ​れ​た​こと​でしょ​う。ですから,伝道​を​続ける​ため​に​法律​に​従い​まし​た。もちろん,状況​が​いつか​良く​なる​こと​を​願っ​て​い​まし​た。

伝道​の​時​も​気​を​遣い​まし​た。黒人​の​区域​を​伝道​し​て​いる​時,間違っ​て​白人​の​家​を​訪問​し​て​しまう​こと​が​あり​まし​た。そんな​時​は,短く​証言​する​か,間違い​を​わび​て​別​の​家​に​行く​か,すぐ​に​決め​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。当時​は​そんな​こと​が​よく​あり​まし​た。

開拓​奉仕​を​し​ながら​生計​を​立てる​ため​に​仕事​も​し​まし​た。当時​は​1​日​働い​て​3​㌦​稼ぐ​の​が​やっと​でし​た。グロリア​は​家政​婦​の​仕事​を​何​件​か​掛け持ち​し​て​い​まし​た。グロリア​が​半分​の​時間​で​仕事​を​終え​られる​よう,わたし​も​同じ​家​で​働か​せ​て​もらい​まし​た。テレビディナー​と​呼ば​れる​冷凍​食品​が​ランチ​に​出​まし​た。家​に​帰る​前​に​2​人​で​分け合っ​て​食べ​まし​た。毎週,グロリア​は​ある​家​で​アイロン​がけ​の​仕事​を​し​て​い​まし​た。その​間,わたし​は​庭​仕事​や​窓​掃除​など​の​雑用​を​し​まし​た。別​の​白人​の​家​で​は,2​人​で​窓​掃除​を​し​まし​た。グロリア​は​家​の​中​から,わたし​は​家​の​外​から​掃除​し​まし​た。1​日​かかる​仕事​だっ​た​の​で,ランチ​が​出​まし​た。グロリア​は​家​の​中​で​白人​の​家族​と​は​別​に​食べ,わたし​は​外​の​ガレージ​で​食べ​まし​た。でも​気​に​し​ませ​ん​でし​た。とても​おいしい​食事​でし​た​し,家族​も​いい​人​たち​でし​た。別​に​悪気​が​あっ​た​わけ​で​は​なく,当時​は​それ​が​普通​だっ​た​の​です。ガソリンスタンド​に​行っ​た​時​の​こと​も​覚え​て​い​ます。満タン​に​し​た​後,「妻​が​トイレ​を​お借り​し​たい​ん​です​が」と​言う​と,白人​の​店員​は​わたし​を​にらみつけ,「鍵​が​かかっ​て​る​よ」と​言い​まし​た。

忘れ​られ​ない​親切

兄弟​たち​と​は​素晴らしい​時間​を​過ごし​まし​た。わたしたち​は​伝道​が​大好き​でし​た。パイン​・​ブラッフ​に​引っ越し​た​当初​は,会衆​の​僕​の​兄弟​の​家​に​住ま​せ​て​もらい​まし​た。奥さん​は​エホバ​の​証人​で​は​あり​ませ​ん​でし​た。それで,グロリア​は​奥さん​と​聖書​研究​を​始め​まし​た。わたし​は​娘​さん​夫婦​と​研究​を​する​よう​に​なり​まし​た。奥さん​と​娘​さん​は​エホバ​に​仕える​決意​を​し,バプテスマ​を​受け​まし​た。

白人​の​会衆​に​も​友達​が​でき​まし​た。夕食​に​も​よく​呼ん​で​くれ​まし​た。でも,兄弟​たち​の​家​に​行く​の​は​夜​暗く​なっ​て​から​でし​た。人種​差別​や​暴力​行為​で​知ら​れる​クー​・​クラックス​・​クラン(KKK)と​いう​組織​が​活発​に​活動​し​て​い​た​から​です。ある​ハロウィーン​の​晩,KKK​の​白い​ガウン​を​誇らしげ​に​身​に​着け​た​男性​が​玄関​の​ポーチ​に​座っ​て​いる​の​を​見かけ​まし​た。そんな​中,兄弟​たち​は​親切​を​示し​続け​て​くれ​まし​た。ある​夏,大会​に​行く​ため​の​旅費​が​あり​ませ​ん​でし​た。事情​を​知っ​た​ある​兄弟​が,1950​年式​の​フォード​を​買い取っ​て​くれ​まし​た。それ​から​1​か月​ほど​後​の​こと​です。わたしたち​は​暑い​中,家​から​家​に​伝道​し,何​件​か​の​聖書​研究​を​司会​し​て,くたくた​に​なっ​て​帰り​まし​た。すると​驚い​た​こと​に,家​の​前​に​わたしたち​の​売っ​た​車​が​止まっ​て​い​まし​た。フロントガラス​の​ところ​に​メモ​が​あり,こう​書か​れ​て​い​まし​た。「プレゼント​です。使っ​て​ください。あなた​の​兄弟」。

ほか​に​も​忘れ​られ​ない​親切​が​あり​ます。1962​年,ニューヨーク​州​サウスランシング​で​開か​れる​王国​宣教​学校​に​招待​さ​れ​まし​た。会衆,巡回​区,地域​区​の​監督​たち​の​ため​の​1​か月​の​訓練​課程​でし​た。当時,わたし​は​失業​中​で,お金​の​やりくり​に​苦労​し​て​い​まし​た。でも​パイン​・​ブラッフ​の​電話​会社​で​面接​を​受け,返事​を​待っ​て​いる​ところ​でし​た。もし​採用​さ​れ​たら,そこで​働く​最初​の​黒人​男性​です。間​も​なく,採用​の​知らせ​を​受け​まし​た。どう​し​たら​いい​の​でしょ​う。ニューヨーク​へ​行く​お金​は​あり​ませ​ん。学校​の​招待​を​断わっ​て​その​仕事​に​就こ​う​か​と​真剣​に​考え​まし​た。実際,招待​を​断わる​手紙​を​書こ​う​と​し​て​い​まし​た。忘れ​られ​ない​出来事​が​あっ​た​の​は​その​時​です。

未​信者​の​夫​を​持つ​会衆​の​姉妹​が​朝早く​訪ね​て​き​て,わたし​に​封筒​を​渡し​まし​た。お金​が​たくさん​入っ​て​い​まし​た。姉妹​と​子ども​たち​が​朝早く​起き​て,綿花​畑​の​雑草​を​取る​仕事​を​し​て​貯​め​たそ​う​で​す。わたし​を​ニューヨーク​へ​行か​せる​ため​でし​た。姉妹​は​こう​言い​まし​た。「学校​で​たくさん​勉強​し​て,帰っ​て​き​たら​わたしたち​の​ため​に​頑張っ​て​ください​ね」。わたし​は​電話​会社​に​連絡​し,仕事​の​開始​を​5​週​間​遅らせ​て​くれ​ない​か​尋ね​まし​た。「だめ​に​決まっ​て​るだ​ろう!」と​いう​返事​でし​た。でも​平気​でし​た。もう​心​は​決まっ​て​い​まし​た。その​仕事​に​就か​なく​て​本当​に​良かっ​た​です。

グロリア​は​パイン​・​ブラッフ​の​思い出​を​こう​語っ​て​い​ます。「区域​が​大好き​に​なり​まし​た。研究​が​15​件​から​20​件​あり​まし​た。朝,家​から​家​の​奉仕​に​行き,その​後​は​研究​を​司会​し​まし​た。夜​11​時​まで​司会​する​こと​も​あり​まし​た。本当​に​楽しく,ずっ​と​その​区域​で​奉仕​し​たい​と​思い​まし​た。ですから,巡回​奉仕​に​割り当て​られ​た​時​は,気​が​進み​ませ​ん​でし​た。でも​エホバ​に​は​ちゃんと​お考え​が​あっ​た​の​だ​と​思い​ます」。確か​に,エホバ​に​は​お考え​が​あり​まし​た。

旅行​する​奉仕

パイン​・​ブラッフ​で​開拓​奉仕​を​し​て​い​た​ころ,特別​開拓​奉仕​の​申込​書​を​出し​まし​た。地域​監督​が​テキサス​の​会衆​で​特別​開拓​奉仕​を​し​て​ほしい​と​思っ​て​い​た​よう​な​の​で,かなり​期待​し​て​い​まし​た。ぜひ​その​奉仕​を​し​たい​と​思い​まし​た。でも,待て​ど​暮らせ​ど​返事​が​あり​ませ​ん。毎日​郵便​受け​を​見​に​行き​まし​た​が,協会​から​の​手紙​は​あり​ませ​ん​でし​た。ある​日,ついに​手紙​が​届き​まし​た。でも​特別​開拓​奉仕​で​は​なく,旅行​する​奉仕​の​割り当て​でし​た。1965​年​1​月​の​こと​です。今,米国​支部​委員​会​の​調整​者​と​し​て​奉仕​し​て​いる​レオン​・​ウィーバー​兄弟​も,同じ​時​に​巡回​奉仕​に​割り当て​られ​まし​た。

巡回​奉仕​を​する​の​は​不安​でし​た。その​1​年​くらい​前​に,地域​監督​の​ジェームズ​・​A​・​トムソン​兄弟​が​わたし​の​資格​を​考慮​し,改善​できる​点​を​親切​に​教え​て​くれ​まし​た。巡回​監督​と​し​て​身​に​着け​なけれ​ば​なら​ない​特質​など​です。巡回​奉仕​を​始め​て​間​も​なく,兄弟​が​本当​に​必要​な​こと​を​教え​て​くれ​て​い​た​こと​に​気づき​まし​た。巡回​監督​に​なっ​て​初めて​一緒​に​奉仕​し​た​地域​監督​は​トムソン​兄弟​でし​た。本当​に​忠実​な​兄弟​で,兄弟​から​たくさん​の​こと​を​学び​まし​た。

親切​に​援助​し​て​くれ​た​忠実​な​兄弟​たち

当時,巡回​監督​に​は​訓練​を​受ける​機会​が​ほとんど​あり​ませ​ん​でし​た。わたし​の​場合,最初​の​週​は​巡回​監督​が​会衆​を​訪問​する​様子​を​見​て​学び,次​の​週​は​巡回​監督​が​わたし​の​訪問​の​様子​を​観察​し​て,気づい​た​点​を​教え​て​くれ​まし​た。でも,その​後​は​独り​立ち​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん。「本当​に​行っ​ちゃ​う​の​かね」と​グロリア​に​言っ​た​こと​を​覚え​て​い​ます。でも​やがて,助け​て​くれる​兄弟​たち​が​必ず​いる​こと​に​気づき​まし​た。大切​な​の​は​進ん​で​援助​を​求める​こと​です。当時,旅行​する​監督​だっ​た​J​・​R​・​ブラウン​兄弟​や​ベテル​の​フレッド​・​ラスク​兄弟​など,経験​豊か​な​兄弟​たち​から​受け​た​援助​に​今​も​感謝​し​て​い​ます。

当時​は​人種​偏見​が​非常​に​強まっ​て​い​まし​た。テネシー​州​の​ある​町​を​訪問​し​て​い​た​時,KKK​が​行進​し​て​いる​の​を​見​まし​た。こんな​こと​も​あり​まし​た。伝道​の​途中​で​兄弟​姉妹​と​一緒​に​ファストフード​店​で​休憩​し​て​い​た​時​の​こと​です。わたし​が​トイレ​に​行こ​う​と​する​と,白人​至上​主義​の​タトゥー​を​入れ​た,いかつい​男性​が​付い​て​き​まし​た。すると,わたし​や​その​男性​より​ずっ​と​大柄​な​白人​の​兄弟​が​トイレ​に​入っ​て​き​て,「ハード​兄弟,大丈夫?」と​声​を​かけ​て​くれ​まし​た。男性​は​トイレ​も​使わ​ず​そそくさ​と​立ち去り​まし​た。つくづく​感じる​こと​です​が,偏見​の​原因​は​肌​の​色​で​は​なく​罪​です。肌​の​色​が​違っ​て​も​兄弟​は​兄弟​です。必要​と​あら​ば​兄弟​の​ため​に​命​を​なげうつ​覚悟​が​でき​て​いる​の​です。

豊か​な​人生

旅行​する​奉仕​を​33​年​し​まし​た。後半​の​21​年​は​地域​監督​の​奉仕​でし​た。報い​の​多い​年月​で,励み​と​なる​経験​も​たくさん​し​まし​た。でも​別​の​祝福​が​待っ​て​い​まし​た。1997​年​8​月,長年​の​夢​が​かな​い,米国​ベテル​に​招待​さ​れ​た​の​です。初めて​申し込ん​で​から​38​年​後​の​こと​です。9​月​から​ベテル​奉仕​を​始め​まし​た。一時​的​な​奉仕​だろ​う​と​思っ​て​い​まし​た​が,実際​に​は​もっと​長く​奉仕​する​こと​に​なり​まし​た。

グロリア​は​結婚​し​た​時​も​今​も,わたし​に​とっ​て​宝石​の​よう​な​存在。

最初​に​割り当て​られ​た​の​は​奉仕​部門​でし​た。たくさん​の​こと​を​学び​まし​た。奉仕​部門​は,国内​の​長老​団​や​巡回​監督​から​寄せ​られる,複雑​で​気​を​遣う​質問​に​答え​て​い​ます。部門​の​兄弟​たち​は​辛抱強く​親切​に​わたし​を​訓練​し​て​くれ​まし​た。でも,奉仕​部門​に​戻る​と​し​たら,また​新人​の​気分​に​なる​と​思い​ます。

わたしたち​夫婦​は​ベテル​の​生活​が​大好き​です。2​人​と​も​早起き​な​の​で,ベテル​の​生活​に​合っ​て​いる​と​思い​ます。ベテル​に​入っ​て​約​1​年​後,エホバ​の​証人​の​統治​体​の​奉仕​委員​会​の​援助​者​と​し​て​奉仕​する​よう​に​なり​まし​た。1999​年​に​は​統治​体​の​成員​に​任命​さ​れ​まし​た。この​割り当て​を​通し​て​多く​の​こと​を​学び​まし​た。特に​学ん​だ​の​は,クリスチャン​会衆​の​頭​は​どんな​人間​で​も​なく​イエス​・​キリスト​だ​と​いう​こと​です。

1999​年​から​統治​体​で​奉仕​し​て​いる。

これ​まで​の​人生​を​振り返り,自分​は​預言​者​アモス​に​ちょっと​似​て​いる​と​感じ​ます。アモス​は​つつましい​羊飼い​で,貧しい​人​の​食べ物​で​ある​エジプト​いちじく​の​実​を​はさむ​季節​労働​も​し​て​い​まし​た。エホバ​は​その​よう​な​アモス​に​目​を​留め​て​預言​者​と​し​て​任命​し,豊か​に​祝福​さ​れ​まし​た。(アモ 7:14,15)エホバ​は,インディアナ​州​リバティー​の​貧しい​農家​に​生ま​れ​た​わたし​に​も​目​を​留め,数え切れない​ほど​の​祝福​を​与え​て​ください​まし​た。(箴 10:22)貧しい​生い立ち​でし​た​が,想像​も​し​なかっ​た​ほど​豊か​な​人生​を​送っ​て​き​まし​た。