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読者からの質問

読者からの質問

でんどう 5しょう8せつは,にんげんはいしゃだけでなくエホバにもてはまりますか。

でんどう 5しょう8せつには,こうかれています。「もし,まずしいひとしいたげられ,あたりでこうせいせいおかされているのをても,そのことでとうわくしてはならない。こうかんは,さらにくらいたかものかんにあり,そのくらいたかものうえにはさらにくらいたかものがいるからだ」。

にんげんしゃかいについてえば,このことせいないたかにあるひとたちのことをうまくあらわしています。しかしこのことは,にんげんはいしゃだけでなくエホバにもてはまります。そのことをると,なぐさめられ,あんしんできます。

でんどう 5しょう8せつには,たかにありながら,まずしいひとたちをくるしめ,こうせいあつかひとのことがべられています。そういうひとは,ぶんよりもたかたちにあるひとかんされていることをわすれてはなりません。かんしているひとにも,さらにうえたちひとがいるあいもあります。ざんねんながら,せいないのどんなたちにあるひとはいしてしまうのうせいがあり,ひとびとは,ていちがいはあっても,くるしむことになります。

ぼうまったくないようにおもえるとしても,エホバが「こうかん」たちを「かん」にいていることをると,なぐさめられます。エホバにたすけをもとめ,おもゆだねることができます。( 55:22。フィリ 4:6,7)「エホバは,こころすべてがごぶんいているひとちからになろうとして,かいじゅうとどかせてい」るのです。(だい 16:9

それで,でんどう 5しょう8せつにんげんせいげんじつについてべています。どんなたちひとにももっとうえたちひとがいる,ということです。さらにじゅうようなこととして,エホバがさいこうけんっていて,エホバよりうえたちひとはいない,ということもかります。エホバはいま,ごぶんでありおうこくおうであるイエス・キリストをもちいてとうしています。すべてをているぜんのうしゃエホバもであるイエスも,こうせいまったくないとうおこないます。