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最初のものは100年前

最初のものは100年前

最初のものは100年前

ものみの塔聖書冊子協会の法的な定款は,1884年12月15日に米国ペンシルバニア州で公式に登録され,同協会の本部がそこに設立されました。 * その後,1900年4月23日に,英国ロンドンにおいて最初の支部事務所のための建物が確保されました。右の写真がそれで,場所はロンドン東部の,フォレスト・ゲート,ジプシー通り131番でした。

今から100年前に最初の支部が設立されたとき,英国には,現在エホバの証人として知られている聖書研究者が138人いました。2年後の1902年には,ドイツに2番目の支部が開設され,1904年までにはオーストラリアとスイスにも支部が設けられました。

第一次世界大戦が終わった1918年には,全世界で3,868人の聖書研究者が宣べ伝える活動を報告していました。翌年にはカナダに,ものみの塔協会の5番目の支部が設立されました。その後,聖書の音信を宣明する業が勢いを増すにつれ,多くの国々に新しい支部が開設されてゆきました。1921年だけで六つの支部が誕生しました。

聖書研究者たちが,聖書に基づいてエホバの証人という名称を採択した1931年にはすでに,世界各地に40の支部事務所がありました。(イザヤ 43:10-12)続く3年間で,その数は49に増えました。1938年には最高5万9,047人の証人たちが52の国で宣べ伝えていました。しかし,そのころには多くの土地で,激しい反対がクリスチャンの活動を脅かし始めていました。

政治的な全体主義や独裁政治が国から国へと広まり,1939年9月に第二次世界大戦が勃発した結果,エホバの証人の支部事務所は一つまた一つと閉鎖されてゆきました。1942年にまだ運営していたのは,わずか25にすぎませんでした。しかし,驚くべきことに,人類史上最も破壊的だった戦争のさなかに,エホバの証人は世界中で活発に活動を続け,現代史における最大級の増加率を見ました。

第二次世界大戦が終わろうとしていた1945年,まだ世界の多くの地域が荒廃していたころに,証人たちの支部事務所は再び開設され,新しいものも設けられました。1946年の時点で,世界各地に57の支部がありました。活発な証人たちの数はどれほどだったでしょうか。実に17万6,456人の最高数に達していました。これは,1938年当時の約3倍に当たる数です。

初期の支部の拡張

英国ロンドンに設けられたものみの塔協会の最初の支部は,1911年に,オフィスや宿舎のためにさらに広い土地を使えるクレイブン・テラス34番に移されました。1959年4月26日には,ロンドンのミル・ヒルで新しい支部施設が献堂されました。後に宿舎が増築され,やがて(1993年),近くに建てられた印刷工場と事務棟を含む広さ1万8,500平方㍍の総合施設が献堂されました。ここでは「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌が23の言語で,毎年9,000万部生産されています。

協会の2番目の支部の拡大は,さらに劇的なものでした。1923年にドイツ支部はマクデブルクに移されました。「ものみの塔」誌,1923年7月15日号が,協会の所有する印刷機を用いてマクデブルクで最初に印刷された出版物となりました。その後数年の間に隣接する地所が購入され,建物が増築され,製本機械と複数の印刷機が取得されました。しかし1933年に,ナチによって支部は没収され,証人たちは禁令下に置かれ,間もなく2,000人が強制収容所に送られました。

1945年に第二次世界大戦が終了した時,当時東ドイツの一部だったマクデブルクの地所が返還され,支部は再び開設されました。しかし,1950年8月30日,共産主義政権下の警察が施設に乗り込んで奉仕者を逮捕し,東ドイツの証人たちは禁令下に置かれました。一方,西ドイツのウィースバーデンでは1947年に地所が購入されていました。そこに建てられた支部の建物はその後数十年にわたり,文書の需要の増加にこたえるため,繰り返し増築されてゆきました。

やがてウィースバーデンにおいてもそれ以上拡張する余地がなくなったため,1979年にゼルターズの近くに30㌶余りの土地が購入されました。約5年にわたる建設工事の後,1984年4月21日に大きな支部が献堂されました。その後拡張がなされ,支部で働く奉仕者を優に1,000人以上収容できるようになりました。ゼルターズにある複数の大きなオフセット印刷機は,毎月1,600万部以上の雑誌を30以上の言語で印刷しています。また製本部門では,最近の1年間に,聖書を含む1,800万冊以上の書籍が生産されました。

印刷を行なう他の主な支部

日本においては,最初1927年に神戸に支部が設立されましたが,第二次世界大戦中に証人たちが厳しい迫害に遭ったため,その活動は事実上停止しました。しかし,終戦後ほどなくして,東京に支部が再び開設されました。その後,拡張に必要な土地が足りなくなったため,沼津に新しい支部が建設され,1973年に献堂されました。間もなくまたその施設が手狭になると,海老名に新しく大きな施設が建てられ,1982年に献堂されました。最近この施設の拡張が完了し,900人の奉仕者を収容できるようになりました。1999年には,日本語だけで9,400万部以上の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌,また何百万冊もの書籍が生産されました。

他の国々でも,同じように次々と支部施設が拡張されてゆきました。メキシコでは,1929年にメキシコ市に支部が設立されました。その後,証人たちの数が6万人に達した時,市外に広々とした施設が新しく建設されました。1974年に献堂式が行なわれ,1985年と1989年には拡張工事がなされました。現在は新しい大きな印刷施設と宿舎が完成に近づいており,メキシコ支部は近々1,200人の奉仕者を収容できるようになります。同支部はすでに,メキシコにいる50万人以上の証人たちや他の大勢の人々,また近隣諸国に住む人々のために,雑誌や書籍を供給しています。

1923年にはブラジルのリオデジャネイロに支部事務所が設立され,後に新しく立派な建物が建てられました。しかし,ブラジルのビジネスと交通の中心地はサンパウロであるため,1968年にその都市に新しい支部が建設されました。1970年代の半ばにはブラジルに約10万人の証人がいました。しかし,サンパウロではそれ以上の拡張は不可能だったため,150㌔ほど離れたセザリオ・ランジェに115㌶の土地が購入されました。1981年3月21日に,新しい場所に建てられた支部施設が献堂されました。ここで増築が行なわれた結果,ブラジル支部は1,200人余りを収容することができるようになりました。ブラジルでは,南アメリカの多くの国々や世界の他の地域のために,雑誌や書籍が生産されています。

1990年代の始めに,コロンビアのボゴタの近くにも印刷を行なう大きな支部が完成しました。そこでは,南アメリカの北西部全域に配布するための「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌が生産されています。

毎年何百万部もの雑誌を印刷している支部は,ほかにもアルゼンチン,イタリア,オーストラリア,カナダ,韓国,スペイン,ナイジェリア,フィリピン,フィンランド,南アフリカにあります。イタリア支部では,聖書を含む何百万冊という書籍も,毎年多くの言語で生産されています。書籍の年間生産量は合計4,000万冊以上,雑誌は10億部以上に達しますが,もちろんその大部分は,今でもニューヨーク州ブルックリンにあるものみの塔聖書冊子協会の本部と,ニューヨーク州北部の印刷施設で生産されています。

100年前に一つしかなかった支部事務所が現在では109を数え,234の国や地域にいるエホバの証人の必要を満たしているということは,実に驚くべきことです。しかもそれらの支部で働いているのは,1万3,000人余りの献身したクリスチャンの自発奉仕者であることを考えてみてください。確かに,これらの奉仕者と,協会の本部で働く5,500人余りの自発奉仕者の働きは,『終わりが来る前に,王国のこの良いたよりは人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう』というイエス・キリストの預言の成就において肝要な役割を果たしてきました。―マタイ 24:14

[脚注]

^ 2節 当時はシオンのものみの塔冊子協会と呼ばれていました。

[17ページの図版]

英国で最初の聖書研究者であったと思われるトム・ハート

[18ページの図版]

クレイブン・テラス34番のロンドン支部(写真右)

[18ページの図版]

現在ロンドンで使用されている施設