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どうしていつも比較されるのだろう

どうしていつも比較されるのだろう

若い人は尋ねる…

どうしていつも比較されるのだろう

「親や先生から,だれかと比較されると,すごくいやな気持ちになります」。―ミア。 *

「比較されると,とてもがっかりします。言われなくてもわたしだって,その人のようになれたらいいのに,と思っているんです」。―エイプリル。

学校で先生から,君はクラスのだれそれより数学の成績が良くない,と言われます。家で親から,お姉さんのようにきちんとしなさい,としかられます。だれかから,「あなたのお母さんは,あなたぐらいのころ,とてもかわいかったよ」と言われます。そう言われて,深く傷つきます。わたしは“ブス”ということかしら,と思うからです。そして,叫びたくなります。「わたしはわたしでいいじゃない」。「どうしていつもほかの人と比較されなきゃならないの」。

比較されるとひどく傷つくのはなぜでしょうか。比較されることには何か良い面もありますか。だれかと比較されるとき,どう対処すればよいでしょうか。

比較されると傷つくのはなぜか

比較されて傷つくのは,一つには,痛いところを突かれたからです。つまり,だれかからはっきり言われた点は,自分でもよく分かっている事柄かもしれません。例えば,ベッキーという少女もこう述べています。「いつも,学校で人気者の子たちを見ては,『わたしも,もっとあの子たちみたいにできたら,みんなから好かれるのに』と考えてしまいます」。

どうしてそのように落ち着かない気持ちになるのでしょうか。では,自分の身体面,感情面,精神面にどんなことが起きているか,考えてみてください。体は急速に変化していることでしょう。親との関係は以前よりも複雑になっています。異性に対する見方も大きく変わってきているでしょう。ですから,『わたしは正常に成長しているのだろうか』と考えてしまうかもしれません。

そこであなたは,同じような変化を経験している他の子たちと自分を比べる以外に方法はない,と考えるでしょう。そこに落とし穴があるのです。もし,自分より他の子のほうが上手に対処しているように見えると,落ち着かない気持ちになってしまいます。そのような時に大人のだれかから,「どうしてあなたはもっとだれそれみたいにできないの」などと言われたら,あなたの一番恐れていた点が事実だと言われたかのように感じることでしょう。そうです,自分は正常ではない,と思ってしまうのです。

エイプリルは,比較されるとなぜ傷つくのかについて,もう一つの理由を挙げ,「ほかの人,特に身近な人と比較されると,その人のことがねたましくて憎らしくなる場合があります」と述べています。ミアも,その気持ちがよく分かります。親や先生たちからいつも姉と比較されているように思えるからです。ミアは,「わたしの年齢のころ姉はこれができていた,といちいち言われます」と述べています。そう言われると,どんな気持ちになるでしょうか。「姉と競い合っているような気にさせられます。姉を憎らしく思うことさえあります」。

比較すると確かに,良くない結果になる場合があります。イエスのごく親しい仲間たちに生じた出来事について考えてみてください。イエスの死を目前に控えた最後の夜,使徒たちの間で「激しい論争」が生じました。なぜでしょうか。使徒たちは,実のところ,互いを比較し合って「自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか」と議論していたのです。(ルカ 22:24)そうです,ある種の比較が害になることは否定できません。それにしても,比較することはどんな場合でも良くないのでしょうか。

比較されることの良い面

聖書に書かれている,年若いダニエルとその友であった3人のヘブライ人について考えてみましょう。それらの若者たちは,バビロンの王のごちそうを食べたいとは思いませんでした。神の律法によって禁じられていた食物だったからです。(レビ記 11:4-8)ダニエルは,自分たちを監督していた人に分かってもらうため,一つのテストをしてほしいと願い出ました。つまり,ヘブライ人の若者に神の律法で認められている食物を食べさせ,十日後に宮廷の他の若者と比較してほしい,と言ったのです。結果はどうなったでしょうか。

聖書はこう説明しています。「その十日の終わりになってみると,[ヘブライ人の若者たちの]顔は,王の美食を食べているどの子供よりつやが良く,肉づきも良いのであった」。(ダニエル 1:6-16)そうした良い結果が見られたのはなぜでしょうか。ダニエルとその友たちが生まれつき他の若者たちより特に優れていたから,というわけではありません。主な理由は,それらヘブライ人の若者たちが,神の民に与えられていた律法に従う道を選んだことにあります。

あなたもそれらのヘブライ人の若者たちの経験を自分のことのように感じますか。聖書の道徳規準に従って生活するなら,他の子たちとは違うので目立つことでしょう。そうした違いを見る人たちの中には,当惑して『あなたのことをあしざまに言う』人もいるかもしれません。(ペテロ第一 4:3,4)しかし一方では,あなたのりっぱな行状が良い結果になっていることに気づく人もいるでしょう。その人はエホバについて知りたいとさえ思うようになるかもしれません。(ペテロ第一 2:12)そのような場合,他の人と比較されるのは良いことと言えます。

比較は,さらにほかの点でも有益な場合があります。例えば家事の手伝いについて,自分は十分な量を行なっている ― 少なくとも兄や弟,姉や妹と比べてよくやっている ― とあなたは思っていても,はそう思っていない,ということがあるかもしれません。それで親は,あなたの考えを調整するために,聖書中の実例を取り上げて,あなたの精神態度や行動を聖書中の人物と比較してみるように勧めることもあるでしょう。

例えば,「イエスは主とか師と呼ばれていたのに進んで弟子たちの足を洗ったでしょ」と親から言われるかもしれません。(ヨハネ 13:12-15)そして,一生懸命働くイエスの謙遜な態度に倣うように勧められることでしょう。それもそのはずで,聖書は若い人に限らずすべてのクリスチャンに,絶えず自分をキリストと比較して「その歩みにしっかり付いて」行くよう勧めているのです。(ペテロ第一 2:21)そのように比較すれば,わたしたちはいつも謙遜でいることができ,エホバにいっそう喜ばれる人格を身につけてゆけます。

比較されて劣っているかのように言われても

確かに,兄や姉,弟や妹,また友達と比較されて劣っているかのように言われると,腹立たしくなるとともに気落ちすることもあるでしょう。どう対処したらよいでしょうか。「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする」と賢い王ソロモンは言いました。(箴言 19:11)洞察力がどう役立つのでしょうか。あなたにはそうは思えないかもしれませんが,親や先生その他の人は,比較して何か言う場合,おそらくあなたのためを思ってくれているに違いありません。キャシーは,こう言います。「他のだれかと比較された時には,『この人はどういうつもりで言ってくれたのかしら』と考えます」。こうして前向きに考えれば,あまりがっかりせず,いらだつことも少ない,と感じています。

では,絶えず比較されているように感じる場合はどうでしょうか。例えば,親から事あるごとに兄や姉より劣ると言われているようであれば,親に,比較されるとどんな気持ちになるか,敬意を欠くことなく説明するのもよいでしょう。親は,あなたが比較されていやな気持ちになっていることに気づいていないかもしれないのです。

でも,『話すべき時』があるだけでなく,『黙っているべき時』もある,ということを忘れないでください。(伝道の書 3:7)こんどだれかと比較された時には,怒りにまかせて話すのではなく,冷静になってから親に,あるいは劣っているかのように言った人に話すようにしてください。そうすれば,あなたの言葉ははるかに説得力のあるものとなるでしょう。―箴言 16:23

比較されて劣っているように言われても,自分の長所を自覚していれば,大抵はあまり傷つかなくてすみます。使徒パウロはテモテに,「あなたの若さをだれにも見下げられることのないようにしなさい」と述べました。(テモテ第一 4:12)テモテは比較的若くして,クリスチャンの監督として奉仕するよう任命されました。そのため,テモテを年長で経験のある他の男子と比較してとやかく言う人もいたかもしれません。しかし,そうした批判には何の根拠もなかったことでしょう。テモテは若かったとはいえ,パウロと一緒に旅行して多くの経験を積んでいました。神の言葉を巧みに扱うこともできました。しかも,霊的兄弟姉妹たちのことを本当に気遣っていたのです。―コリント第一 4:17。フィリピ 2:19,20

ですから,こんど比較されて劣っているかのように言われた時には,『それにはもっともな根拠があるだろうか』と自問してみてください。言われた事柄が少しでも当たっているのなら,教訓を学ぶように努めましょう。一方,それが漠然としたもの ― 例えば,「どうしてもっとお兄さんみたいにできないの」といった言葉 ― であれば,その人がどんな気持ちで言ったのかを考えるようにしてください。前向きに受け止めるように努力するのです。

エホバ神は,あなたの価値を他の不完全な人間と比較して評価したりはされません。(ガラテア 6:4)単に外面を見るのではなく,内面の人となりを理解しておられます。(サムエル第一 16:7)実際のところ,あなたがどんな人であるかだけでなく,どんな人になろうとしているかも見ておられるのです。(ヘブライ 4:12,13)欠点をとがめだてすることなく,良い点を見つけようとしてくださいます。(詩編 130:3,4)そうしたことを知っているだけでも,他の人と比較されたときに対処しやすくなるでしょう。

「若い人は尋ねる…」のシリーズの記事をウェブサイトでも見ることができます。www.watchtower.org/ypj

[脚注]

^ 3節 名前は変えてあります。

考えてみてください

■ あなたの場合,どのように比較されると腹立たしく思いますか。

■ 親からいつもだれかと比較されているなら,どのように対処したいと思いますか。

[12ページの拡大文]

「アドバイスをしてくれる時には,『もっとだれそれみたいになりなさい』と名前を挙げて言うのではなく,まず良い点を褒めてから,優しく弱点に気づかせてほしいと思います」。―ナタリー

[13ページの図版]

比較されるとどんな気持ちになるか,敬意を欠くことなく説明するのもよい