ダウン症の子どもを育てる ― 難しさと喜び
ダウン症の子どもを育てる ― 難しさと喜び
「残念ですが,お子さんはダウン症です」。医師のその重い言葉によって親の生活は一変します。ビクトルという父親は,「悪い夢を見ているようで,うそであってほしいと思いました」と言います。
それでも明るい面もあります。ダウン症の子どもを育てた母親のエミリーとバーバラは,自分たちの経験をこう描いています。「成功や失望に一喜一憂したり,毎日落ちこんだり,挑戦したり,わくわくするようなことを成し遂げたりしてきました」。―「仲間に入れてよ ― ぼくらはダウン症候群」(Count Us In--Growing Up With Down Syndrome)。 *
ダウン症候群はどのようなものでしょうか。簡単に言えば,生涯続く遺伝子疾患です。 * 米国では新生児730人に一人がこの症状を持ちます。ダウン症の子どもが学習や言語の面で抱える障害の程度は,個々に異なります。運動能力も,やや低いレベルからかなり低いレベルまでさまざまです。さらに,情緒面や社会性や知能の面で,成長のペースが緩やかでもあります。
この疾患を持つ子どもは,学習能力の面でどんな影響を受けるのでしょうか。自らもダウン症であるジェイソンは,共著「仲間に入れてよ ― ぼくらはダウン症候群」の中でこう述べています。「ハンディだなんて思わない。学ぶのに時間がかかるわけだから,障害ではあるけれど。そう悪くもないよ」。とはいえ,ダウン症の子どもはそれぞれ異なり,その子ならではの素質を持っています。実際,十分な学習能力を身につけて社会生活を営み,充実した日々を送っている人もいます。
この遺伝子疾患を防ぐことはできません。妊娠前であれ妊娠期間中であれ,そのことに変わりはありません。それは,だれのせいでもないのです。ただ,親にとっては大きな痛手となります。自分がしっかり立ち,子どもを支えるために,親には何ができるでしょうか。
現実と向き合う
ダウン症と向き合うのは簡単なことではありません。
リサという母親はこう言います。「ものすごくショックでした。小児科医の説明を聞いて,わたしも夫も泣いてしまいました。[娘の]ジャスミンを思ってのことか,自分自身のことを考えていたのかは,よく分かりません。たぶん,どちらの気持ちも混ざっていたと思います。ともかく娘を早く腕に抱き,これからずっと何があってもあなたを愛している,と言ってあげたかったです」。前述のビクトルはこう語ります。「いろいろな思いが頭をよぎりました。不安や疎外感です。もうこれまでと同じではない,わたしたちと一緒に過ごすのをだれも望まない,と感じました。正直なところ,そのような身勝手な考え方をしたのは,知識の不足からくる恐れのためでした」。
このような悲しみや不安は大抵,すぐにはなくならないものです。突然わき起こるということもあります。エレナは次のように述べています。「[娘の]スサナのことで,わたしはよく泣いていました。でも娘が4歳ぐらいの時に,『ママ,泣かないで。だいじょうぶ』と言われました。わたしがなぜ泣いているかは分かっていなかったはずです。でもその言葉を聞いて,もう自分を哀れむのはよそう,消極的なことをくよくよ考えたりはすまいと心に決めました。それ以来,娘の成長を助けることだけを考えるようにしてきました」。
子どものために行なえる事柄
上手に教えるかぎは何でしょうか。あるダウン症協会に所属する専門家たちは,「何はさておき,まず愛情を注ぐことです」と勧めます。さらに,スー・バックリー教授は次のように語っています。「ダウン症の人も一人の人間です。……成長は,受ける世話や教育や社会体験
の質によって左右されます。ほかの人の場合と同じです」。この30年の間に,ダウン症の子どものための学習法は大きく改善されました。療法士たちが親に勧めているのは,家族の活動すべてにダウン症の子どもを含めることと,遊びや早期介入プログラムによって生活に必要な技術を身につけるよう助けることです。早期介入プログラムは誕生後まもなく始めるのが最善で,理学療法,言語療法,個別指導,また子どもと家族を精神面で支援することが含まれます。先に出てきたスサナの父親ゴンサロはこう言います。「娘はいつもわたしたちと一緒で,家族で行なう事柄すべてに娘を含めました。限界を考慮に入れながらも,下の子どもたちと接し方をあまり変えず,しつけも同じようにしました」。
子どもの進歩は緩やかかもしれません。ダウン症の幼児は,二,三歳になっても言葉が出てこないかもしれません。気持ちを伝えられないというもどかしさから,泣いたり,かんしゃくを起こしたりすることもあります。それでも,話せるようになるまでの意思伝達の方法を親は教えることができます。例えば,簡単なサインを,ジェスチャーや絵などを織り交ぜながら用いることができます。そうすれば子どもは,「飲みたい」,「もっと」,「終わった」,「おなかすいた」,「眠い」など,基本的な考えを伝えることができます。前に出てきたリサも,「家族でジャスミンに毎週サインを二つか三つ教えました。いつも意識したのは,楽しめることと繰り返すことです」と言います。
ダウン症の子どもが普通学級に通い,兄弟や他の子どもと一緒に活動するケースは年々増えています。学習に難しさがあることは確かですが,同じ年齢の子ども
と一緒に学ぶことで自立心を養い,他の人とかかわることを学び,知的な面でも進歩するようです。この症状を持つ子どもは成長が遅いため,同年齢の子どもとの開きは年が上がるとともに大きくなります。それでも専門家の中には,先生や他の保護者の同意が得られ,また学習面での支援が得られるなら,中学校も普通学級に通うことを勧める人もいます。フランシスコという父親は,娘のヨランダについてこう述べています。「娘が中学校の普通学級に通ったことの最大の利点は,社会性を身につけられたことです。最初から他の子どもと遊びましたし,周りの子どもも娘と普通に接し,いろいろな活動を娘と一緒に行なっていました」。
苦労が報われたと感じる時
ダウン症の子どもを育てるのは決して楽なことではありません。時間をかけ,努力し,自分を費やし,辛抱し,期待も現実的なものにする必要があります。ソレダドという母親はこう言います。「娘のアナを世話するには,多くのことをしなければなりません。普通の家事をこなしながら,母親,看護師,理学療法士の役割を根気強く果たす必要があるのです」。
それでも多くの家族は,ダウン症の子どもがいることで家族のきずなは強まったと,口をそろえて言います。家族のほかの子どもたちはもっと利他的になり,より感情移入ができ,障害を負う人のことを理解できるようになります。アントニオとマリアはこのように語ります。「辛抱は豊かに報われ,時とともに良い結果を目にしてきました。長女のマルタは,妹のサラ[ダウン症児]の世話をいつも助け,心から気遣っています。このことでマルタは,他の障害児の支えになりたいと願うようになりました」。
ダウン症の姉を持つロサは,次のように述べています。「姉のスサナがいたので,わたしは幸せです。わたしのことをとても愛してくれました。姉のおかげで,障害を持つ人に対してもっと思いやりを持てるようになりました」。母親のエレナはこう言います。「スサナは,示される親切にこたえてくれます。愛を示されると倍にして返します」。
記事の初めに出てきた母親のエミリーとバーバラは,「ダウン症の人たちも……一生を通じて成長し,学び続け,新しい機会と経験から多くを得る」ことを知りました。自らもダウン症のヨランダは,そのような子どもを持つ親に次の短い勧めをしています。「たくさん愛してください。わたしが親からしてもらったように,子どもにしてあげてください。辛抱を忘れないでください」。
[脚注]
^ 3節 ジェイソン・キングスレー,ミッチェル・レーヴィッツ著,戸苅 創 監訳,メディカ出版発行。
^ 4節 この名称は,英国の医師ジョン・ラングドン・ダウンに由来します。ダウンは1866年に,この症候群について正確に説明した論文を初めて発表しました。1959年には,フランスの遺伝学者ジェローム・ルジューヌが,ダウン症児は生まれつき細胞に余分の染色体を持っており,合計46本ではなく47本あることを突き止めました。後に研究者たちは,その余分の染色体が21番染色体のコピーであることを知るようになりました。
[20,21ページの囲み記事/図版]
ダウン症の人も生活を楽しんでいますか
それぞれのコメント
「訓練センターの作業場で働くのが好きです。人の役に立てるからです」。―マヌエル,39歳
「いちばん楽しみなのは,お母さんのパエリアを食べることと,お父さんと聖書の伝道に行くことです」。―サムエル,35歳
「学校に行くのが好き。勉強したいし,先生もとっても親切」。―サラ,14歳
「心配しないで。行儀よくし,みんなと遊びましょう。少しずつできるようになります」。―ヨランダ,30歳
「本を読み,音楽を聞き,友達と過ごすと,とても楽しいです」。―スサナ,33歳
「大きくなって,いろんなことがしたい」。―ジャスミン,7歳
[22ページの囲み記事/図版]
良いコミュニケーションのための方法
ダウン症の人と意思を通わせる際に,次のような接し方は役立ちます。
● 相手に顔を向けて,目を見て話す。
● 簡単な言葉を使い,文は短くする。
● 話す言葉を,表情やジェスチャーやサインで補う。
● 相手が理解し答えるための時間を与える。
● よく話を聞く。与えた指示を相手に繰り返して言ってもらう。