三位一体を信じるべきですか
世界じゅうで20億人以上の人が,クリスチャンであると唱えています。その大半は,三位一体を教える様々な教会に属しています。三位一体とは,父と子と聖霊が一つの神を成しているという教理です。これは,どのようにして公式の教理となったのでしょうか。さらに重要なこととして,この教えは聖書と調和しているでしょうか。
聖書は西暦1世紀に書き終えられました。その後2世紀以上たった西暦325年に,小アジアの都市ニカイア,現在のトルコのイズニクで会議が開かれ,三位一体の教理へと発展する教えが公式に打ち立てられ始めました。新カトリック百科事典(英語)によれば,この信経は,神とキリストを定義することを含め“キリスト教の正統的信仰”を初めて公式に定義したニカイア公会議で決められました。では,聖書が書き終えられて数世紀後に神とキリストに関する定義が必要とされたのはなぜでしょうか。聖書は,そうした重要な事柄について,はっきり述べていないのでしょうか。
イエスは神か
コンスタンティヌスがローマ帝国の単独の支配者となった頃,自称クリスチャンたちは,神とキリストとの関係をめぐって分裂していました。イエスは神なのか,それとも神に創造されたのか,という問題です。これを解決するために,コンスタンティヌスは教会の指導者たちをニカイアに召集しました。それは,宗教上の真理を知ろうとしてではなく,宗教のことで自分の帝国が分裂するのを避けたかったからです。
「わたしたちにとっては,唯一の神,父である神がおられ(る)」。―コリント第一 8:6,「新共同訳」(共同訳聖書実行委員会)
コンスタンティヌスは,数百人になっていたと思われる司教たちに,全員一致の結論を出すよう求めましたが,一致した結論は出ませんでした。それで,イエスと父とは「同一実体」(ホモウシオス)であるという曖昧な概念を採択するよう提案しました。その非聖書的なギリシャ哲学用語が三位一体の教理の基盤となり,その教理が後に教会信経に含まれました。実際,西暦4世紀末までにはその教理が,基本的に今日のような,神格のいわゆる第三位とされる聖霊を含む形式のものとなっていました。
考えてみるべきなのはなぜか
イエスは,『真の崇拝者は,真理をもって父を崇拝します』と言いました。(ヨハネ 4:23)その真理は聖書に収められています。(ヨハネ 17:17)聖書は,父と子と聖霊はひとりの神の三つの位格である,と教えているでしょうか。
まず,聖書に「三位一体」という言葉は出ていません。また,イエスは,一度も自分が神と同等であるルカ 22:41‐44)さらに,イエスと弟子たちとの関係にも注目できます。死んだ状態から霊者としてよみがえらされた後でさえ,弟子たちを「わたしの兄弟たち」と呼んでいます。(マタイ 28:10)弟子たちは全能の神の兄弟だったのでしょうか。もちろん,そうではありません。とはいえ弟子たちも,神の卓越した子であるキリストに対する信仰によって,ひとりの天の父の子となりました。(ガラテア 3:26)ニカイア公会議で定められたとされる次の信経を,以下に挙げる五つほどの聖句と比較対照してみてください。
とは述べませんでした。それどころか,神を崇拝しました。(ニカイア信経の言葉:
「我らは信ず。……父の同一実体,神の神,光の光,まことの神のまことの神なる,ひとりの主イエス・キリスト……を」。
聖書の言葉:
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「わたしの父であり,あなたがたの父である方,また,わたしの神であり,あなたがたの神である方のところへわたし[イエス]は上る」。―ヨハネ 20:17。
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「わたしたちにとっては,唯一の神,父である神がおられ(る)」。―コリント第一 8:6。
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「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が,ほめたたえられますように」。―ペテロ第一 1:3。
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「アーメンである方,……神に創造された万物の源である方が,次のように言われる」。―啓示(黙示録)3:14。 *
^ 13節 斜体は本誌。この五つの引用聖句はすべて「新共同訳」からの引用です。
^ 17節 「聖書は実際に何を教えていますか」という聖書研究用の手引き書には,「神に関する真理とは何ですか」という章と「イエス・キリストはどんな方ですか」という章があります。その本はエホバの証人から受け取ることができます。あるいは,ウェブサイトwww.pr418.comで読むこともできます。