神への奉仕における喜び
神への奉仕における喜び
エホバがご自分の僕たちに求められることは重荷ではありません。(ヨハネ第一 5:3)エホバは彼らが神への奉仕を楽しむよう望んでおられます。その民であったイスラエルは,神が彼らのために取り決められた季節ごとの祭りを楽しむことになっていました。そして,生活や神への崇拝の他の面において歓び楽しむことになっていました。(レビ記 23:40。申命記 12:7,12,18)彼らは神について喜びに満ちて語らなければなりませんでした。(詩編 20:5; 51:14; 59:16)もし彼らが心の喜びを抱いて仕えていないなら,彼らの心および神の愛ある親切と善良さに対する感謝に問題がありました。それゆえ,神は,彼らが不従順になってご自分に仕えることに喜びを感じなくなったならどんなことが生じるかを警告して,次のように言われました。「それで,これらのすべての呪いが必ずあなたに臨(む)ことになる。あなたの神エホバの声に聴き従わず,……おきてと法令とを守らなかったためである。そしてそれは,……あなたとあなたの子孫の上にとどまることになる。あなたが,すべての物に満ちあふれながら,楽しみと心の喜びとをもってあなたの神エホバに仕えなかったからである」。―申命記 28:45-47。
クリスチャンも同様に神への奉仕を楽しむべきです。そうでないなら,心からの感謝がどこか欠けているのです。(詩編 100:2)「エホバの喜びはあなた方のとりでだからです」と神の忠実な僕の一人は述べました。(ネヘミヤ 8:10)クリスチャンの宣明する良いたよりは,神のみ使いが「民のすべてに大きな喜びとなる良いたより」として発表したものです。(ルカ 2:10)ご自分の証人たちの上にあるエホバのみ名と,聖書の中に見いだされる真理は,それ自体彼らにとって喜びであるはずです。預言者エレミヤはこう述べました。「わたしにとってあなたの言葉はわたしの心の歓喜となり,歓びとなります。万軍の神エホバよ,わたしはあなたのみ名をもってとなえられたからです」。―エレミヤ 15:16。