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どのような態度で待っていますか

どのような態度で待っていますか

どのような態度で待っていますか

今の世の中で,だれかあるいは何かを待つことが好きな人はまずいません。辛抱強さが試されるからです。しかし聖書は,「待つ態度」を培うよう神の民に勧めています。預言者ミカは,周囲の人々とは対照的に,「わたしの救いの神を待ち望もう」と言明しました。―哀歌 3:24。ミカ 7:7

しかし,エホバを待つとはどういう意味でしょうか。クリスチャンはどのように神を待つべきでしょうか。ふさわしい待ち方とそうでない待ち方があるのでしょうか。西暦前9世紀の預言者ヨナの経験から,これらの点に関して教訓を学べます。

誤った待ち方の事例

エホバ神はヨナに,アッシリア帝国の首都ニネベの人々のもとへ行って宣べ伝えるように指示しました。歴史家や考古学者による十分な裏付けもありますが,ニネベは目に余る残虐行為や冷酷さのため,「流血の都市」として知られていました。(ナホム 3:1)ヨナは当初この割り当てから逃れようとしましたが,エホバはヨナが最終的にニネベに出向くよう導かれました。―ヨナ 1:3–3:2

聖書はこう述べています。「ヨナはその都市に入ることになり,歩いて一日の道のりを行き,しきりにふれ告げてこう言った。『あとわずか四十日でニネベは覆される』」。(ヨナ 3:4)ヨナが努力を傾けた結果,驚くべき反応がありました。「ニネベの人々は神に信仰を置くようになり,断食をふれ告げて粗布をまとい,その最も大なる者から最も小なる者までがそう(し)た」のです。(ヨナ 3:5)それゆえに,「ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれる」神エホバは,その都市を容赦されました。―ペテロ第二 3:9

ヨナはどう反応したでしょうか。こう記述されています。「だが,ヨナにとってそれは大いに不愉快な事であった。彼は怒りに燃えた」。(ヨナ 4:1)なぜでしょうか。ヨナは,自分の布告した日付までに滅びがもたらされなかったため,預言者としての面子<メンツ>を失ったと感じたのかもしれません。他の人が憐れみを示されて救われることよりも,自分の評判を気にかけていたようです。

もちろん,ヨナは預言者としての立場を放棄することまではしませんでした。とはいえ,「その都市がどうなるかを見る」ために待ちました。不満を抱きつつ成り行きを見るという態度を取ったのです。自分の期待どおりに物事が運ばなかったことを知ったヨナは,仮小屋を作ってその陰に座り,不機嫌な態度で何が起きるかを見ようとして待ちました。しかしエホバはヨナの態度を是認されず,ヨナの誤った考え方を優しく正されました。―ヨナ 4:5,9-11

なぜエホバは辛抱しておられるか

ニネベは悔い改めて滅びを免れましたが,後に邪悪な道に逆戻りしました。預言者のナホムとゼパニヤを通して,エホバはニネベの滅びを予告されました。その「流血の都市」に言及し,アッシリアを滅ぼしてニネベを荒れ果てた所にすると宣言されたのです。(ナホム 3:1。ゼパニヤ 2:13)西暦前632年にニネベは滅ぼされ,再び興ることはありませんでした。

同様に,今日の世も非道な流血の罪を負っています。それは,古代のニネベよりはるかに大規模な罪です。その点を含め様々な理由があるために,エホバは,現在の邪悪な事物の体制がかつてない「大患難」によって終わりを迎えることを定めておられます。―マタイ 24:21,22

それでも,エホバは約束された滅びをもたらすことを差し控えてこられました。ニネベの人々が悔い改めたように,今日の誠実な人々が悔い改めて滅びを免れられるようにするためです。使徒ペテロは神の辛抱についてこう述べています。「エホバはご自分の約束に関し,ある人々が遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。むしろ,ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなた方に対して辛抱しておられるのです」。―ペテロ第二 3:9,10,13

ふさわしい待ち方

ペテロはさらにこう述べています。「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心のうちに,エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める者となるべきではありませんか」。(ペテロ第二 3:11,12)エホバの日を待つ間,「聖なる行状と敬虔な専心」を示しているべきであるということに注目してください。無活動になるのではなく,活動的であるようにということです。

ふさわしい態度で待つ人は,エホバの日が一瞬たりとも遅れることなくエホバのお目的どおりに到来するという全き確信を表わします。そのような信仰から,聖なる行状や敬虔な行ないが生じます。ひときわ顕著なのは神の王国の良いたよりを宣べ伝える業です。イエスは宣べ伝える面で立派な手本を残し,油そそがれた追随者たちにこのような指示を与えました。「あなた方の腰に帯を締め,ともしびをたいていなさい。こうしてあなた方は,自分たちの主人が婚礼から帰って来るのを待ち,主人が到着して戸をたたいたらすぐに開けられるようにしている人たちのようでありなさい。主人が到着したときに,見張っているところを見られるそれらの奴隷は幸いです!」―ルカ 12:35-37

1世紀の奴隷は,激しい肉体労働を容易にするため,長い衣のすそを帯の下にたくし上げることによって「腰に帯を締め」ました。ですから,クリスチャンは良い業において精力的かつ熱心であるべきです。「務めを怠って」霊的に無活動になってしまう傾向と闘うことが必要です。例えば,快楽や物質の追求に力を注ぐのではなく,むしろ,畏怖の念を抱かせる,エホバの大いなる日を待つ間,『主の業においてなすべき事をいっぱい』持つようにします。―ローマ 12:11。コリント第一 15:58

活動しつつ待つ

エホバの証人は,エホバの日を待ちながら忙しく働いてきました。例えば2003奉仕年度には,エホバの言葉を宣べ伝える活動に一日平均338万3,000時間を費やしました。一日になされたことを一人で成し遂げるとしたら,386年間休まずに宣べ伝えなければなりません。

とはいえ,『わたし個人としてはどのような態度で待っているだろうか』と自問するのは良いことです。イエスは,忠実な油そそがれたクリスチャンに期待されている勤勉さに関するたとえ話をされました。三人の奴隷がおり,「[主人は]ある者には五タラント,別の者には二タラント,さらに別の者には一タラントと,各自の能力に応じてひとりひとりに与えてから,外国に行きました。五タラントを受けた者はすぐに出かけて行き,それで商売をしてさらに五タラントをもうけました。二タラントを受けた者も同じようにしてさらに二タラントをもうけました。しかし,ただ一タラントを受けた者は,出かけて行って地面を掘り,主人の銀子を隠しておきました。長い時を経たのち,その奴隷たちの主人が来て,彼らとの勘定を清算しました」。―マタイ 25:15-19

奴隷は三人とも主人の帰りを待ちました。主人を待ちながら忙しく働いた二人は,主人が到着した際に「よくやった,善良で忠実な奴隷よ!」と言われます。しかし,何もしないで待っていた奴隷は異なる扱いを受けます。主人は,「この何の役にも立たない奴隷を外の闇に投げ出しなさい」と言いました。―マタイ 25:20-30

このたとえ話は油そそがれたクリスチャンに当てはまるものですが,抱いている希望にかかわりなくすべての人が教訓を学べます。主人であるイエス・キリストは,わたしたち一人一人がエホバの大いなる日における主人の到着を待つ間,主人への奉仕に勤勉に励むことを期待しておられます。イエスは『各自の能力[や状況]に応じた』働きを評価されます。待つ期間がついに終わった時,主人の「よくやった」という言葉を聞けるのは,なんという喜びでしょう。

主の辛抱は救いを意味する

この事物の体制が,かつて考えていたより,あるいは期待していたより長く続いているとしたらどうでしょうか。それには理由があります。使徒ペテロは,「わたしたちの主の辛抱を救いと考えなさい」と書きました。(ペテロ第二 3:15)神の目的に関する正確な知識を得て,その目的の成就と比べれば自分はさほど重要ではないということを謙虚に認めるなら,わたしたちも辛抱することができます。エホバがこの古い体制に関して辛抱するのをよしとしておられる限り,辛抱するのです。

聖書筆者のヤコブは,辛抱するようクリスチャンを励ますために,次の例えを記しました。「ご覧なさい,農夫は地の貴重な実を待ちつづけ,早い雨と遅い雨があるまで,その実について辛抱します。あなた方も辛抱し,心を強固にしなさい。主の臨在が近づいたからです」。―ヤコブ 5:7,8

エホバ神は,わたしたちが待つ間に疲れ果てたりあきらめたりすることを望まれません。わたしたちに仕事を与えておられ,わたしたちが待つ時間を用いて勤勉にその仕事を行なうのを見て喜ばれます。エホバはわたしたちに,使徒パウロがヘブライ人への手紙の中で言及した人々のようであることを期待しておられます。「わたしたちは,あなた方一人一人が同じ勤勉さを示して,希望に対する全き確信を終わりまで保つようにと願います。それは,あなた方が怠惰になったりせず,むしろ,信仰と辛抱とによって約束を受け継ぐ人々に見倣う者となるためです」。―ヘブライ 6:11,12

ですから,うみ疲れないようにしましょう。むしろ,エホバ神との個人的な関係,イエスの贖いの犠牲に対する信仰,そして新しい事物の体制の輝かしい希望が,活動的な生き方を促す力となりますように。たゆまず神を賛美することにより,イエスのたとえ話の「善良で忠実な」奴隷のように,称賛と報いに値することを示せますように。次のように述べた詩編作者と同じ態度を抱けますように。「わたしは,絶えず待ち望み,あなたのすべての賛美を増し加えます」。―詩編 71:14

[21ページの図版]

失望したヨナは,ニネベがどうなるかを見ようとして待った

[22,23ページの図版]

エホバの日を待つ間,敬虔な専心を示しましょう