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常識 ― なぜこれほど欠けているのか

常識 ― なぜこれほど欠けているのか

常識 ― なぜこれほど欠けているのか

「あの人,どうかしてるよ。いったい何を考えてたんだろう」。一部始終を見ていたある人はそう言います。別の人もあきれかえって頭を振りながら,「常識のひとかけらでもあれば,あんなことは絶対しなかっただろうに」とつぶやき,その場を立ち去ります。あなたもだれかがこのように言うのを耳にしたことがあるかもしれません。ところで,「常識」とは何でしょうか。

常識とは,「一般の社会人が共通にもつ,またもつべき普通の知識・意見や判断力」と定義されています。(「大辞泉」,松村 明 監修,小学館)つまり,人には知力を用いて物事を判断し決定する能力があります。常識を働かせるには思考力を用いる必要があるのは明らかです。ところが,多くの人は自分で考えずに,ほかの人に考えてもらおうとします。メディア,友人,世論に自分の決定をゆだねてしまうのです。

今日の世の中では常識があまり通用しなくなっているため,ある考え深い人は,『実際のところ,常識が非常に欠けている』と述べました。では,どうすれば常識を身に着けられるでしょうか。そうすることによってどんな益が得られますか。

どのように身に着けるか

分別や良い判断力を培うには,時間をかけ,日ごろからよく考え,常に努力することが必要です。とはいえ,常識はだれでも身に着けられます。常識を働かせるのに役立つ三つの要素を考えましょう。

聖書を研究し,その助言に従う。洗練された言葉遣いと明快な論理をもって書かれた聖書は,知恵や分別を得るための優れた手引きです。(エフェソス 1:8)一例として,使徒パウロは仲間のクリスチャンにこう勧めています。「何であれ真実なこと,何であれまじめなこと,何であれ義にかなっていること,何であれ貞潔なこと,何であれ愛すべきこと,何であれよく言われること,また何であれ徳とされることや称賛すべきことがあれば,そうしたことを考え続けなさい」。(フィリピ 4:8)この助言をいつも当てはめるなら,良識のある判断を下し,賢明な行動を取ることができるでしょう。

経験から学ぶ。スイスのある詩人は,常識を人生経験と結び付け,「常識は……経験と先見とによって成り立っている」と述べました。実際,『経験のない者はすべての言葉を信じ,明敏な者は自分の歩みを考慮します』。(箴言 14:15)常識は,物事をよく観察し,訓練を通して学び,経験を積むことによって培えます。時の経過と共に,わたしたちは様々な事柄を一層上手に行なえるようになるでしょう。ただし,失敗から学ぶには謙遜さや柔和さが求められます。特に終わりの日には,うぬぼれる人,ごう慢な人,片意地な人などがいますが,そのような人は常識を示しているとは言えません。―テモテ第二 3:1-5

仲間を賢明に選ぶ。知恵や常識を働かせるうえで,仲間が助けになる場合もあれば妨げになる場合もあります。「賢い者たちと共に歩んでいる者は賢くなり,愚鈍な者たちと交渉を持つ者は苦しい目に遭う」と,箴言 13章20節は述べています。神に背き,み言葉を無視する人たちの精神態度や考え方を受け入れる必要はありません。箴言 17章12節はその点を次のように言い表わしています。「人は,自分の愚かさを示す愚鈍な者に出会うよりは,子を奪われた熊に出会え」。

どんな益があるか

常識を培うことには大きなメリットがあります。人生が一層興味深いものとなり,無駄な時間が省けます。軽率に物事を行なうと後悔する場合が少なくありませんが,常識があればそのようなことは減るでしょう。良識に欠けた判断をする人はいろいろな面で苦労することになります。「愚鈍な者たちの骨折りはその身をうみ疲れさせる」と,聖書は述べています。(伝道の書 10:15)そのような人は延々と労苦して疲れ果てるかもしれませんが,真に有意義なことはほとんど何も成し遂げません。

聖書は実際的なアドバイスの宝庫で,清潔さ,意思の疎通,勤勉さ,貧困に対処することなど,生活の様々な側面を取り上げています。人生において成功するか失敗するかは,知恵を働かせるのに役立つ聖書の原則をどの程度当てはめるかにかかっている,ということを大勢の人が実証しています。

常識があれば,単に指示や規則をきちょうめんに守る以上のことができるようになります。常識は自分の責任を全うする助けとなるのです。ただし,常識を働かせていれば,それ以上,知識を取り入れなくてもいいというわけではありません。『賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れる』と,箴言 1章5節は述べています。加えて,得た情報を分析することを学び,そこから正しい結論を導けるようにする必要があります。そうすれば,『知恵によって歩む』ことができます。―箴言 28:26

常識は慎み深さと切っても切れない関係にあります。わたしたちは多くの責任を果たしたいと思うかもしれませんが,良い判断力を働かせ,自分の体力の範囲内で活動する必要があります。確かに,使徒パウロは「主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ちなさい」と述べました。(コリント第一 15:58)とはいえ,その言葉と伝道の書 9章4節にある原則との釣り合いを保たなければなりません。そこにはこうあります。「生きている犬は死んだライオンよりもましだ」。健康をふさわしく管理しながらエホバに仕えるなら,これから先も長く活動的でいられるでしょう。常識を働かせて道理にかなった範囲で平衡を保つなら,喜びを失うことなく必要な事柄を成し遂げられます。そうです,常識は多くの益をもたらすのです。

[14ページの図版]

聖書は健全なアドバイスの宝庫

[15ページの図版]

物事をよく観察し,訓練を通して学び,経験を積むことによって様々な分野における常識を身に着けられる