内容へ

目次へ

貯めることはできません ― 有効に使いましょう

貯めることはできません ― 有効に使いましょう

貯めることはできません ― 有効に使いましょう

「時は金なり」という有名なことわざがあります。しかし実際のところ,時間は金銭などの物質の物とは全く異なっています。金銭や食物や燃料などの多くの物と違い,将来のために蓄えることができません。貯めようとして使わないなら,無駄になってしまいます。例えば,睡眠を8時間取り,起きてから何もしないでその日の残りの時間を貯めようとします。どうなるでしょうか。その日が過ぎると,使わなかった時間は永久に戻ってこないのです。

時間は,流れの速い大河に例えられるでしょう。川は常に一定方向に流れており,それを止めることはできません。また,流れている水を一滴残らず使い切ることもできません。何世紀も昔から人々は川岸に水車を造り,流れる水によって生み出されるエネルギーを利用して,石臼や,製材用のこぎり,ポンプ,ハンマーを動かしてきました。同様に,時間も貯めることはできませんが,有効に用いるなら価値ある事柄を成し遂げることができます。しかし,それには,時間泥棒となる二つの主な問題に取り組む必要があります。一つは,先延ばしにする傾向です。もう一つは,それと関係の深い,不必要な物に煩わされることです。ではまず,物事を先延ばしにするという問題について考えてみましょう。

物事を先延ばしにしない

「今日できることを明日まで延ばすな」ということわざがあります。しかし,ある人たちはむしろ,「明日に延ばせることを今日するな」と言います。そういう人は,しなければならないことがあると,先延ばしにするという安易な逃げ道を選びます。物事を先延ばしにするのが習慣になっているのです。プレッシャーが大きくなると,それから逃れようとして,すべきことを後回しにします。こうして新たに見いだした“自由時間”を楽しみますが,それも再びプレッシャーが押し寄せてくるまでのことです。

わたしたちは時折,体調や感情的な状態ゆえに,仕事の一部あるいは全部をやむなく先送りすることがあります。また,だれでも時には日常の活動から離れて休息を取る必要があります。神のみ子も例外ではありませんでした。イエスは宣教に非常に忙しく携わりましたが,ご自身や弟子たちのために自由な時間を取り分けました。(マルコ 6:31,32)こうした休息は益になりますが,すべきことをいつも先延ばしにするとなると話は別です。それは大抵,有害な影響を及ぼします。一つの例で考えてみましょう。

数学の試験を3週間後に控えたある十代の学生は,見直さなければならないノートや本がたくさんあります。プレッシャーを感じ,先延ばしにしたいという誘惑に負けて,勉強する代わりにテレビを見てしまいます。試験勉強を一日一日と延ばしてしまうのです。とうとう試験の前夜になり,やっと重い腰を上げて机に向かい,ノートや教科書を見始めます。

何時間か過ぎ,家族はもう寝てしまいましたが,自分は,方程式,三角関数や平方根の数式などを一生懸命暗記します。翌日,試験問題と格闘しますが,頭が疲れているせいでうまく解けません。テストの結果は散々でした。落第点を取ってしまい,また一から勉強し直さなければならず,進級も危ぶまれます。

この学生にとって,ぐずぐず先延ばしにした代償は大きなものでした。しかし,こうした事態を避けるのに役立つ聖書の原則があります。「あなた方は,自分の歩き方をしっかり見守って,それが賢くない者ではなく賢い者の歩き方であるようにし,自分のために,よい時を買い取りなさい」と使徒パウロは書きました。(エフェソス 5:15,16)パウロは,霊的な関心事のために時間を賢く使うようクリスチャンに勧めていましたが,この原則は生活上の多くの重要な活動にも役立ちます。わたしたちは普通,すべきことをいつ行なうかを決めることができます。それで,「よい」時つまり最善の時を見極めて物事に取りかかるなら,より良い結果が得られ,仕事を早くやり終えることができます。この聖句が示すとおり,それは「賢い者」の特徴と言えます。

では,この学生にとって,数学の試験勉強をする「よい時」とはいつだったのでしょうか。毎晩15分ぐらい勉強していたなら,少しずつ復習できたはずです。試験の前日に睡眠時間を削って一夜漬けをする必要もなかったでしょう。睡眠を取り,準備も十分できているので,当日は良い点を取れたに違いありません。

ですから,何かすべきことができたなら,それを行なう「よい時」を見極め,実際に行なってください。そうすれば,先延ばしにしたいという誘惑に負けて,残念な結果を刈り取ることはないでしょう。また,上手にやり遂げたという満足感を味わうこともできます。クリスチャン会衆の割り当てのように,他の人に影響を与える事柄は先延ばしにしないことがとりわけ重要です。

不必要なものを減らす

すでに述べたとおり,貴重な時間を有効に使うための2番目の要素は,不必要な物を持たないことです。ご存じのように,物を取り扱い,整理し,使い,きれいにし,保管し,探すには時間がかかるものです。物が多くなればそれだけ時間が取られます。物でいっぱいの部屋や家で作業するのは,散らかっていないすっきりとした場所で作業するのに比べて,時間がかかり,いらいらさせられます。さらに,物が多ければ多いほど,探し物にも時間がかかります。

家政の専門家たちによると,人々は掃除の時間の半分近くを「不要な物や散らかった物を片付けたり,よけて通ったり,どかしたりする」のに費やし,時間を無駄にしています。同じような状況は生活の他の面でも見られます。それで,時間をもっと有効に使いたいなら,自分の身の回りを一度よく見てください。部屋が物であふれ,動きにくくなっているでしょうか。何より悪いことに,時間が無駄になっていますか。もしそうなら,不必要な物を減らしてください。

要らない物を処分すると言っても,簡単ではないかもしれません。不要でも,愛着のある物を捨てるのは,大切な友達を失うようにつらいものです。では,ある物を取っておくか捨てるかをどのように決められるでしょうか。1年ルールに従っている人もいます。1年間使わなかったなら処分するのです。1年過ぎても捨てる気になれない時は,どうすればよいでしょうか。それを取り分け,さらに6か月間保管してください。1年半も使っていないことに気づくなら,手放す気になることでしょう。いずれにしても,目標は,不必要な物を減らして時間をもっと有効に使うことです。

もちろん,不必要なものと言っても,家や仕事場にある物品とは限りません。イエスは,「この事物の体制の思い煩いや富の欺きの力」が神の『言葉をふさぎ』,良いたよりに関して『実らなくなる』人がいる,と述べました。(マタイ 13:22)あまりにも多くの活動や関心事にかかわると生活が複雑になり,きわめて重要な霊的習慣や霊的平衡を保つための時間が取れなくなります。その結果,霊的に弱くなって,神の約束された新しい世に入る機会を逸してしまうかもしれません。新しい世では,真の満足や喜びをもたらす活動のための時間が永遠にあるのです。―イザヤ 65:17-24。ペテロ第二 3:13

あなたは,しなければならないと思う事柄をすべて行なうために,いつも時間のやりくりに苦労していますか。仕事,住まい,車,趣味,旅行,運動,社交的な集いなどに関係したいろいろな事柄を行なおうとして,時間に苦労しているでしょうか。もしそうなら,霊的に見て必要でない活動を減らす方法を考えたほうがよいかもしれません。

「歳月人を待たず」という格言もあります。確かに時間は,絶え間なく流れる水のように,容赦なく流れて行きます。逆戻りさせることも,貯めることもできません。過ぎ去ったなら,永久に取り戻せません。しかし,聖書の簡明な原則に従い,幾つかの実際的な手段を講じるなら,わたしたちのとこしえの益につながる「より重要な事柄」を顧み,「神の栄光また賛美となる」事柄のために時間を活用できるのです。―フィリピ 1:10,11

[8,9ページの図版]

時間は流れの速い川のように,価値ある事柄を成し遂げるために活用できる

[9ページの図版]

この学生にとって,試験勉強をする「よい時」とはいつだろうか

[10ページの図版]

散らかった場所での作業は,時間がかかり,いらいらさせられる