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覚えていますか

覚えていますか

覚えていますか

「ものみの塔」誌の最近号を味わいながらお読みになりましたか。では,以下の質問に答えられるかどうかを確かめてみましょう。

● クリスチャン・ギリシャ語聖書では,「会衆」という言葉がどんな四つの意味で使われていますか。

第一に,油そそがれたクリスチャンたちから成る一団(キリストを含む場合もある)という意味で使われています。また,「神の会衆」という表現が,ある一つの時代に生きているクリスチャンすべてを指す場合もあります。三番目として,一地域にいるクリスチャンすべてを指して用いられています。最後に,ある土地の一つの会衆を構成する人々という意味で使われていることもあります。―4月15日号,21-23ページ。

● 天への希望を抱くようクリスチャンを召すことは,いつ終わりますか。

聖書は,明確な答えを与えていません。この召しは西暦33年に始まり,現代まで続いてきました。1935年以降,人々を弟子とする業の主な目的は,大群衆を集め入れることに変わりました。とはいえ,1935年以後にバプテスマを受けた人の中にも,自分は天への希望を持っている,と聖霊によって証しされる人が出てきたので,召しが終わる明確な時を述べることはできません。本当に油そそがれた人は,神の霊をより多く受けているわけではなく,特別扱いを期待したりはしません。どんな希望を抱くクリスチャンも,忠実を保ち,神のご意志を行ない続ける必要があります。―5月1日号,30,31ページ。

● エフタは誓約をした時,自分の娘を神への焼燔の捧げ物としてささげる覚悟だったのでしょうか。

いいえ。エフタは自分の出会った人を神への全き奉仕にささげるつもりでした。モーセの律法にはそのような規定がありました。(サムエル第一 2:22)父の誓約を果たすために,エフタの娘は幕屋でずっと奉仕しました。それは大きな犠牲でした。決して結婚しないことを意味していたからです。―5月15日号,9,10ページ。

● 冊子本は初期のキリスト教でどんな役割を果たしましたか。

クリスチャンは少なくとも西暦1世紀の終わりまでは,主に巻き物を用いたようです。次の世紀には,冊子本を支持する人と巻き物を支持する人の間にあつれきがありました。クリスチャンが冊子本を用いたことは,その普及に大いに寄与したと専門家は見ています。―6月1日号,14,15ページ。

● ゲゼルの暦とは何ですか。

ゲゼルという都市の遺跡で1908年に発見された石灰岩の小さな書き板です。学齢期の男の子が練習用に書いたもの,と多くの人が考えています。その書き板には一農耕年が簡単に記されており,現在の9月から10月にかけての月に行なわれた収穫から始まって,様々な作物や農作業のことが書かれています。―6月15日号,8ページ。

● 聖霊に対する罪を犯すとはどういう意味ですか。

エホバの聖霊に対する罪を犯すということがあり得ます。その罪は許されません。(マタイ 12:31)神は,犯された罪が許されない罪かどうかを判断されます。そして,当人からご自分の霊を取り上げることもおできになります。(詩編 51:11)罪のことでひどく嘆いている人は,本当に悔い改めていて霊に対する罪を犯してはいないと思われます。―7月15日号,16,17ページ。

● すでにダビデと接したことがあったサウル王が,ダビデはだれの子かと尋ねたのはなぜですか。(サムエル第一 16:22; 17:58

サウルは,ダビデの父親の名前を知ることだけに関心があったわけではありません。ダビデは信仰と勇気があり,ゴリアテを打ち倒したばかりでした。そのような人としてダビデを見るようになったサウルは,どんな人がこれほどの少年を育てたのか知りたいと思ったのです。エッサイや家族の他の者たちを軍に加えようという思惑があったのかもしれません。―8月1日号,31ページ。