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忠誠を保つことには何が含まれるか

忠誠を保つことには何が含まれるか

忠誠を保つことには何が含まれるか

すべての人は不完全であり,完全な意味で神の規準に達することはできないので,人間の忠誠が,行動や言葉の完全さを意味するのでないことは明らかです。むしろ聖書は,それが心の専心に欠陥がないこと,もしくはその専心の全き状態を意味することを示しています。ダビデは弱さのゆえに,数回にわたって重大な悪行を犯しましたが,それでも『心の忠誠さをもって歩みました』。(列王第一 9:4)彼は戒めを受け入れ,自分の道を正したからです。ダビデはそのようにして,なおも自分の心がエホバ神に対する純粋な愛を保っていることを証明しました。(詩編 26:1-3,6,8,11)後日ダビデが息子のソロモンに語ったとおりです。「あなたはあなたの父の神を知り,全き心と喜ばしい魂とをもって神に仕えるように。すべての心をエホバは探り,すべての考えの傾向をわきまえておられるからである」。しかしソロモンの心は「父ダビデの心のように,その神エホバと全く一致しては」いませんでした。―歴代第一 28:9。列王第一 11:4

ですから,忠誠は人の振る舞いの何らかの一つの面に限定されるわけではありません。明らかに,「宗教的な」問題だけに当てはまるのでもありません。神の僕にとって,それは生きる道であり,人はエホバのご意志を絶えず知ろうと努めながらその道を「歩む」のです。(詩編 119:1-3)ダビデは,エホバの崇拝に直接関係した問題においても,行政上の問題の扱い方においても,「その心の忠誠にしたがって」イスラエル国民を牧しました。また,周囲の人たちや,自分の奉仕者として行動している人たちが,同様に忠誠の人となり,『とがのない道を歩む』ことを望みました。(詩編 78:72; 101:2-7)人はノアやアブラハムなどと同じように,ある期間にわたって,神のみ前に『とがのない者であることを実証』します。―創世記 6:9; 17:1。サムエル第二 22:24

忠誠を保つには,順調な状態や環境の下にある時だけでなく,どんな状態にあろうと,どんな時であろうと,妥協せずに神に忠節を示すことと,義に固く付き従うことが求められます。詩編作者は,「その心に真実を語る」忠誠を保つ人だけがエホバに受け入れられることを強調した後,『自分にとって悪いことを誓いましたが,それでも変えない』ような人,つまり真剣な気持ちで同意した事柄が結果的に自分個人の利益に反するように思えたとしても,自分の同意した事柄をなおも守る人について述べています。(詩編 15:1-5。ローマ 1章31節やテモテ第一 1章10節と対比してください。)ですから忠誠は,人の専心が試みられ,義の歩みを捨てるよう圧力を受ける時に最も明らかになります。反対者たちから笑い者にされ(ヨブ 12:4。エレミヤ 20章7節と比較してください),苦々しい言葉(詩編 64:3,4),憎しみ,暴力的な迫害(箴言 29:10。アモス 5:10)などを浴びせられたとしても,また,病床にあろうと苦難の満ちる逆境にあろうと,人はどんな犠牲を払うことになっても,ヨブのように『自分の忠誠を堅く保つ』べきです。―ヨブ 2:3

忠誠を保つそのような歩みは,人の個人的な道徳的強さによってではなく,エホバおよびエホバの救いの力に対する深い信仰と信頼によってのみ可能となります。(詩編 25:21)神の約束によれば,神は「盾」とも「とりで」ともなり,忠誠のうちに歩む人の道を守ってくださいます。(箴言 2:6-8; 10:29。詩編 41:12)エホバの是認を得ることに対する彼らの絶えざる関心は,彼らの生活に安定性を与え,彼らを目標に向かってまっすぐ歩ませることができます。(詩編 26:1-3。箴言 11:5; 28:18)ヨブが当惑して述べたように,とがめのない者が邪悪な者の支配によって苦しみ,邪悪な者と共に死ぬとしても,エホバは,とがのない者の生活を知っていると断言しておられ,そのような人の相続物が存続し,その将来が平和なものとなり,そのような人が良いものを所有することになるという保証を与えておられます。(ヨブ 9:20-22。詩編 37:18,19,37; 84:11。箴言 28:10)ヨブの場合と同じように,人を真に価値ある人,敬意を受けるに値する人とならせるのは,人の富というよりは,忠誠を保つ人であるということです。(箴言 19:1; 28:6)そのような人を親とする特権に恵まれた子どもたちは幸いな者とみなされるべきです。(箴言 20:7)そのような子どもたちは,父親の模範的な生き方というすばらしい遺産を与えられ,父親の良い名と父親が得た敬意に共にあずかるからです。