どんな崇拝でも神に受け入れられるか
どんな崇拝でも神に受け入れられるか
一般的な考え方:
■ 「どんな宗教も神に至る道だ」。
■ 「誠実であれば,何を信じるかは問題ではない」。
イエスは何と述べたか:
■ 「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通って入って行く人は多いからです。一方,命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです」。(マタイ 7:13,14)イエスは,すべての道が神に至るとは考えていませんでした。
■ 「その日には,多くの者がわたしに向かって,『主よ,主よ,わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。しかしその時,わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決してあなた方を知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」。(マタイ 7:22,23)イエスに従っていると唱える人すべてがイエスに受け入れられるわけではありません。
信心深い人は,信じている事柄やしきたりを大切にします。とはいえ,そうしたものが神の言葉 聖書の述べる事柄と一致しないならどうでしょうか。イエスは当時の宗教指導者たちに次のように告げて,人間のしきたりや伝統に従うことの危険を指摘しました。「あなた方は,自分たちの伝統のゆえに神の言葉を無にしています」。そして,次のような神の言葉を引用しました。「この民は唇でわたしを敬うが,その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。人間の命令を教理として教えるからである」。―マタイ 15:1-9。イザヤ 29:13。
何を信じるかだけでなく,行動も重要です。聖書には,神を崇拝していると唱えている人たちについてこう記されています。「彼らは神を知っていると公言しますが,その業では神を否認しています」。(テトス 1:16)現代の人たちについてもこう書かれています。「彼らは神を愛する代わりに快楽を愛します。宗教心を見せびらかしますが,その宗教は本物ではありません。そうした人々とかかわってはなりません」。―テモテ第二 3:4,5,「現代英語訳」。
誠実さは大切です。とはいえ,それだけでは不十分です。誠実な人が間違っていることもあるからです。ですから,神に関する正確な知識が不可欠です。(ローマ 10:2,3)その知識を習得して,聖書の言葉と一致した行動を取るなら,神に喜んでいただけます。(マタイ 7:21)このように,正しい宗教には,正しい動機,正しい信仰,正しい行動が伴います。そして,正しい行動とは,日々の生活で神のご意志を行なうことです。―ヨハネ第一 2:17。
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正しい宗教には,正しい動機,正しい信仰,正しい行動が伴う