『慎みをもってエホバと共に歩む』
『慎みをもってエホバと共に歩む』
聖書は,自分自身を正しく評価するという意味での慎みに関して,多くの助言を与えています。「知恵は,慎みある者たちと共にある」,と箴言は述べています。これは,慎みを表わしている人がせん越さや高慢さに付随する不名誉を避けるからです。(箴言 11:2)そのような人はエホバの是認される道を歩んでおり,それゆえに賢い人です。(箴言 3:5,6; 8:13,14)エホバはそのような人を愛し,その人に知恵をお与えになります。エホバの恵みを得るための必要条件の一つは,『慎みをもってエホバと共に歩むこと』です。(ミカ 6:8)このことには,エホバの偉大さ,清さ,神聖さなどとは対照的な自分の罪深さを認め,神のみ前での自分の立場を正しく認識することが関係しています。また,人は自分がエホバの被造物であり,全くエホバに依存し,その主権に従属する者であることを認めるべきである,ということをも意味しています。エバはそのことを認識しませんでした。完全な独立と自己決定の道へ踏み出したのです。もし慎みがあったなら,「神のようになって善悪を知る」ようになるという考えを捨てるよう助けられたことでしょう。(創世記 3:4,5)使徒パウロは,自己過信したりせん越になったりしないよう諭し,「恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆきなさい」と述べました。―フィリピ 2:12。
何を誇るべきか
高慢な態度は慎みの正反対です。「あなた自身の口ではなく,よその者があなたをたたえるように。あなた自身の唇ではなく,異国の者がそうするように」というのが原則です。(箴言 27:2)エホバご自身のみ言葉は次のとおりです。「知恵ある者はその知恵のゆえに自慢してはならない。力ある者はその力強さのゆえに自慢してはならない。富んでいる者はその富のゆえに自慢してはならない。しかし,自慢する者はこのことのゆえに,すなわち洞察力を持っていることと,わたしについて,わたしがエホバであり,愛ある親切,公正そして義を地に行なう者であるという知識を持っていることとのゆえに自慢せよ。わたしはこれらのことを喜びとするからである」。―エレミヤ 9:23,24。箴言 12:9; 16:18,19と比較してください。
神は慎み深い人を重んじられる
使徒パウロは神が慎み深い人を重んじられることを示し,さらにそのような慎み深い態度の模範として会衆での自分の振る舞いを引き合いに出しています。パウロはコリントのクリスチャンに次のように書き送りました。「兄弟たち,あなた方が自分たちに対する神の召しについて見ていることですが,肉的に賢い者は多くなく,強力な者も多くなく,高貴な生まれの者が多く召されたのでもありません。むしろ,神は世の愚かなものを選んで,賢い人々が恥を被るようにされました。また,神は世の弱いものを選んで,強いものが恥を被るようにされました。また神は,世の卑しいものや見下げられたもの,無いものを選んで,有るものが無になるようにされました。それは,肉なる者がだれも神のみ前で誇ることのないためです。……『誇る者はエホバにあって誇れ』と書かれているとおり……です。兄弟たち,それでわたしは,あなた方のところに行った時,もったいぶった話し方や知恵を携えて行って神の神聖な奥義を告げ知らせるようなことはしませんでした。わたしは,あなた方の間では,イエス・キリスト,しかも杭につけられたキリスト以外には何をも知るまいと決めたのです。そしてわたしは,弱さと恐れのうちに,いたくおののきながらあなた方のところに行きました。そしてわたしの話し方,またわたしが宣べ伝えた事柄は,説得のための知恵の言葉ではなく,霊と力の論証を伴うものでした。それは,あなた方の信仰が,人間の知恵によらず,神の力によるものとなるためでした」。―コリント第一 1:26–2:5。
パウロはその手紙の後のほうで,ちょうど自分が慎みを,すなわち自分自身を正しく評価していることを示してきたのと同じように,皆が慎みを示す必要がある,ということを強調しました。―コリント第一 4:6,7。