この悲しみにどうしたら耐えてゆけるでしょうか

この悲しみにどうしたら耐えてゆけるでしょうか

「私​は​自分​の​感情​を​こらえる​の​に​かなり​の​重圧​を​感じ​まし​た」。マイク​は,父親​が​死ん​だ​時​の​こと​を​思い出し​て​この​よう​に​語り​ます。マイク​に​とっ​て,自分​の​悲しみ​を​抑える​の​は​男らしい​こと​でし​た。しかし​後​に,自分​の​この​考え方​が​正しく​ない​こと​に​気づき​まし​た。それで,マイク​の​友人​が​祖父​を​亡くし​た​時​に​は,自分​が​どの​よう​に​し​たら​よい​か​が​分かっ​て​い​まし​た。こう​語っ​て​い​ます。「何​年​か​前​だっ​た​なら,肩​を​たたい​て,『めそめそ​する​な​よ』と​言っ​て​い​た​こと​でしょ​う。しかし​今​は,彼​の​腕​を​取っ​て​こう​言い​まし​た。『どの​よう​に​で​も​君​の​感じる​まま​で​いい​ん​だ​よ。それ​が​君​の​助け​に​なる​ん​だ​から。独り​で​い​たい​の​なら,僕​は​どこ​か​へ​行く​し,一緒​に​い​て​欲しい​なら,僕​は​ここ​に​いる。感じる​まま​で​いる​こと​を​恐れ​なく​て​も​いい​ん​だ​よ」。

マリーアン​も,夫​を​亡くし​た​とき,自分​の​感情​を​こらえる​こと​に​難しさ​を​覚え​まし​た。この​よう​に​回想​し​て​い​ます。「私​は,他​の​人​たち​の​良い​手本​に​なら​なけれ​ば​いけ​ない​と​考え​て,自分​の​普通​の​感情​を​表わし​ませ​ん​でし​た。でも,他​の​人​の​ため​に​強い​支え​に​なろ​う​と​し​て​み​て​も,自分​の​助け​に​は​なら​ない​こと​を​やがて​知り​まし​た。私​は​自分​の​状況​を​分析​し​て​み​て,『どうして​も​泣き​たけれ​ば​泣い​た​ほう​が​よい。強がっ​て​は​いけ​ない。それ​を​自分​の​体​から​出し​て​しまい​なさい』と​言える​よう​に​なり​まし​た」。

こう​し​て,マイク​も​マリーアン​も​共​に,悲しみ​が​ある​なら​それ​を​表わし​なさい,と​勧め​て​い​ます。これ​は​間違い​で​は​あり​ませ​ん。なぜ? なぜなら,悲しみ​を​感じ​て​表わす​こと​は,感情​を​解きほぐす​の​に​必要​な​こと​だ​から​です。感情​を​解放​する​こと​に​よっ​て,重圧​と​なっ​て​いる​もの​を​除く​こと​が​でき​ます。感じ​て​いる​こと​を​その​とおり​自然​に​表現​する​こと​は,それ​に​正確​で​思いやり​の​ある​情報​が​伴っ​て​いる​なら,あなた​の​感情​を​正しい​視点​に​置く​の​に​役立つ​の​です。

もちろん,すべて​の​人​が​自分​の​悲しみ​を​同じ​方法​で​示す​わけ​で​は​あり​ませ​ん。そして,愛する​人​を​急​に​亡くし​た​の​か,あるいは​長い​闘病​の​後​で​あっ​た​の​か​と​いう​点​も,残さ​れ​た​人​の​感情​面​の​反応​に​関係​する​こと​でしょ​う。と​は​いえ,一つ​の​こと​は​確か​な​よう​です。つまり,自分​の​感情​を​抑圧​する​こと​は,体​の​面​で​も​情緒​の​面​で​も​有害​です。自分​の​抱く​悲しみ​の​気持ち​を​解放​する​ほう​が,ずっ​と​健康​的​な​の​です。どの​よう​に? 聖書​は​この​点​で​実際​的​な​助言​を​差し伸べ​て​い​ます。

悲しみ​の​気持ち​を​解放​する ― どの​よう​に?

話す​こと​は​感情​の​解放​に​役立ち​ます。古代​の​族長​ヨブ​は,自分​の​10​人​の​子供​すべて​に​先立た​れ,加え​て​他​の​幾つ​も​の​悲劇​に​遭遇​し​た​とき,この​よう​に​言い​まし​た。「わたし​の​魂​は​自分​の​命​に​対し​て​確か​に​嫌悪​を​感ずる。わたし​は​自分​に​つい​て​の​気遣い​を​漏らそ​う[ヘブライ​語,「解き放と​う」]。わたし​は​自分​の​魂​の​苦しみ​の​うち​に​あっ​て​語ろ​う!」(ヨブ 1:2,18,19; 10:1)ヨブ​と​し​て​は,自分​の​気​に​かかっ​て​いる​事柄​を​もはや​抑え​て​おく​こと​が​でき​ませ​ん​でし​た。それ​を​解き放つ​こと​が​必要​で​あり,『語ら​ない​で​は』いら​れ​ませ​ん​でし​た。同じ​よう​に,英国​の​劇​作家​シェークスピア​も「マクベス」の​中​に​こう​書い​て​い​ます。「悲しみ​に​は​言葉​を​与えよ。黙せ​し​悲嘆​は,ふくらみ​すぎ​し​心​に​ささやき​て,その​破裂​を​命ぜ​ん」。

ですから,自分​の​感じ​て​いる​事柄​を,辛抱づよく​同情​心​を​もっ​て​聴い​て​くれる「真​の​友」に​話す​の​は,ある​程度​の​安らぎ​と​なり​ます。(箴言 17:17)自分​の​経験​や​感情​を​言葉​で​言い表わし​て​みる​と,それ​を​理解​し,それ​と​取り組む​こと​が​大抵​の​場合​やさしく​なり​ます。そして,聴い​て​くれる​人​が,同じ​よう​に​肉親​を​亡くし​た​こと​が​あり,死別​の​経験​を​乗り越え​た​人​で​あれ​ば,問題​に​どの​よう​に​対処​し​たら​よい​か​に​つい​て​何​か​の​実際​的​な​提案​を​くみ出す​こと​が​できる​でしょ​う。ひとり​の​母親​は,自分​の​子供​を​亡くし​た​とき,同じ​よう​に​死別​の​悲しみ​を​知る​別​の​母親​と​話す​こと​が​どうして​支え​と​なっ​た​か​を,この​よう​に​述べ​て​い​ます。「ほか​に​も​同じ​経験​を​し​て,それ​から​立ち直っ​て​いる​人​が​おり,その​人​が​しっかり​生き​て,生活​に​それなり​の​秩序​を​取り戻し​て​いる​こと​を​知る​の​は,私​に​とっ​て​とても​力​に​なり​まし​た」。

聖書​の​中​の​例​は,自分​の​気持ち​を​書きとめ​て​みる​こと​が​悲しみ​の​気持ち​を​表現​する​助け​に​なる​場合​の​ある​こと​を​示し​て​いる

自分​の​感じ​て​いる​こと​を​他​の​人​に​話し​たい​気持ち​に​なら​ない​なら​どう​でしょ​う​か。サウル​と​ヨナタン​が​死ん​だ​とき,ダビデ​は​情感​あふれる​哀歌​を​詠ん​で,自分​の​悲しみ​の​気持ち​を​そこ​に​注ぎ出し​まし​た。その​哀悼​の​詩​は​やがて​聖書​の​サムエル​記​第​二​の​書​の​一部​と​し​て​記録​さ​れ​まし​た。(サムエル​第​二 1:17‐27。歴代​第​二 35:25)これ​と​同じ​よう​に,自分​の​気持ち​は​文章​の​ほう​が​表現​し​やすい​と​感じる​人​も​い​ます。夫​を​亡くし​た​ある​人​は,感じ​た​こと​を​書きし​た​ため,自分​の​記し​た​こと​を​幾日​も​のち​に​読み返し​た,と​話し​て​い​ます。これ​は,この​人​に​とっ​て​気持ち​を​解きほぐす​助け​に​なり​まし​た。

話す​に​せよ​書く​に​せよ,自分​の​感情​を​何​か​の​形​で​伝える​こと​は,悲しみ​を​解きほぐす​助け​に​なり​ます。それ​は​また,何​か​誤解​し​て​いる​点​を​整理​する​の​に​も​役立ち​ます。子供​を​亡くし​た​ある​母親​は​この​よう​に​話し​て​い​ます。「夫​と​私​は,子供​を​亡くし​た​あと​に​離婚​し​て​しまっ​た​人​たち​の​いる​こと​を​聞き,その​よう​な​事​が​自分​たち​に​起き​ない​よう​に​と​願い​まし​た。それで,何​か​の​怒り​を​感じ​て​相手​を​責め​たい​気持ち​に​なっ​た​時​に​は​いつも,二​人​で​その​点​を​よく​話し合い​まし​た。その​よう​に​する​こと​に​よっ​て,私たち​は​むしろ​互い​に​引き寄せ​られ​た​と​思い​ます」。こう​し​て,自分​の​感情​を​伝える​こと​に​よっ​て,たとえ​同じ​死​を​悼ん​で​いる​場合​で​も,人​に​よっ​て​悲し​み​方​が​違い,それぞれ​の​ペース​と​方法​が​ある​の​だ,と​いう​点​を​理解​できる​よう​に​なる​でしょ​う。

もう​一つ,悲しみ​を​解きほぐす​の​に​役立つ​の​は,声​を​出し​て​泣く​こと​です。『泣き叫ぶ​の​に​時​が​ある』と​聖書​は​述べ​て​い​ます。(伝道​の​書 3:1,4)自分​の​愛する​人​の​死​は​まさに​その​よう​な​時​です。悲しみ​の​涙​を​流す​こと​は,それ​から​癒える​ため​の​過程​と​し​て​必要​な​こと​の​よう​です。

ひとり​の​若い​女性​は,母親​を​亡くし​た​とき​に​親しい​友​の​一​人​が​どの​よう​に​それ​を​乗り越える​支え​と​なっ​て​くれ​た​か​を​思い出し​て​こう​述べ​て​い​ます。「友人​は​いつ​で​も​私​の​求め​に​こたえ​て​そこ​に​い​て​くれ​まし​た。いっしょ​に​泣き,話​の​相手​と​なっ​て​くれ​まし​た。私​は​自分​の​感情​を​ありのまま​に​表わす​こと​が​でき,それ​が​私​に​とっ​て​重要​でし​た。きまり​の​悪い​思い​を​せ​ず​に​声​を​上げ​て​泣く​こと​が​でき​た​の​です」。(ローマ 12:15​を​ご覧​ください。)涙​を​見せる​こと​に​つい​て​恥じらう​必要​も​あり​ませ​ん。すでに​見​た​とおり,聖書​の​中​に​は,イエス​・​キリスト​を​はじめ,明らか​に​何ら​ためらう​こと​なく​悲嘆​の​涙​を​人​の​前​で​流し​た​信仰​の​男女​の​例​が​たくさん​あり​ます。―創世記 50:3。サムエル​第​二 1:11,12。ヨハネ 11:33,35

どんな​文化​に​おい​て​も,悲しむ​人​に​とっ​て​慰め​は​貴重​な​もの

しばらく​は,自分​の​感情​が​どの​よう​に​なる​か​予測​も​つか​ない​よう​な​こと​さえ​ある​か​も​しれ​ませ​ん。それ​ほど​の​予告​も​なく​涙​が​あふれ出​て​来る​こと​も​ある​でしょ​う。夫​を​亡くし​た​ひとり​の​女性​は,スーパーマーケット​で​の​買い物(夫​の​生前​に​よく​いっしょ​に​行なっ​た​こと)が​自分​に​涙​を​もよおさ​せる​こと​が​ある​の​を​知り​まし​た。とりわけ,夫​の​好物​で​あっ​た​食品​に​つい​手​を​伸ばし​て​しまっ​たり​し​た​とき​です。自分​に​寛容​で​あっ​て​ください。涙​を​こらえ​なけれ​ば​なら​ない​と​感じ​なく​て​も​よい​の​です。忘れ​ない​で​ください,それ​は​悲しみ​の,自然​で,必要​な​過程​な​の​です。

とがめ​の​気持ち​と​取り組む

さき​に​も​述べ​た​とおり,自分​の​愛する​者​と​の​死別​の​のち​に,罪​の​意識​を​感じる​人​が​い​ます。この​点​は,忠信​の​人​ヤコブ​が,自分​の​息子​ヨセフ​は「たち​の​悪い​野獣」に​殺さ​れ​た​の​だ​と​信じ込まさ​れ​た​時​に​示し​た,激しい​悲嘆​の​情​を​説明​する​もの​と​なる​か​も​しれ​ませ​ん。息子​たち​の​安否​を​確かめ​させ​よう​と​し​て​ヨセフ​を​遣わし​た​の​は​ヤコブ​自身​でし​た。ですから​ヤコブ​と​し​て​は,『なぜ​自分​は​ヨセフ​を​独り​で​出し​て​しまっ​た​の​か。なぜ​あの​子​を,野獣​の​群がる​所​に​送っ​て​しまっ​た​の​か』と,自ら​を​罪​の​意識​で​責めさいなん​で​い​た​こと​が​考え​られ​ます。―創世記 37:33‐35

あなた​も,自分​の​側​の​何​か​の​手落ち​が,愛する​人​の​死​の​一因​と​なっ​た​と​感じる​よう​な​こと​が​ある​か​も​しれ​ませ​ん。実際​で​あれ,想像​上​の​こと​で​あれ,その​種​の​とがめ​を​意識​する​の​も,こう​し​た​悲しみ​に​対する​ごく​普通​の​反応​の​一つ​で​ある​こと​を​理解​し​て​おく​の​は​役立ち​ます。ここ​で​も,その​よう​な​感情​を​自分​だけ​の​もの​に​し​て​おく​べき​理由​は​あり​ませ​ん。自分​が​どの​よう​に​とがめ​を​感じ​て​いる​か​を​話す​こと​が,大いに​必要​な​安ど​の​気持ち​を​もたらす​こと​でしょ​う。

しかしながら,どれ​ほど​人​を​愛し​て​いる​と​し​て​も,わたしたち​自身​は​その​人​の​命​を​制御​する​こと​は​でき​ず,「時​と​予見​し​え​ない​出来事」が​わたしたち​の​愛する​人​に​臨む​の​を​防ぐ​こと​は​でき​ませ​ん。(伝道​の​書 9:11)さらに,あなた​の​動機​は​悪い​もの​で​は​なかっ​た​はず​です。例えば,医師​に​みせる​の​を​もっと​早く​でき​なかっ​た​から​と​いっ​て,あなた​と​し​て​は,自分​の​愛する​人​が​病気​に​なっ​て​死ぬ​こと​を​意図​し​た​の​でしょ​う​か。もとより​そう​で​は​あり​ませ​ん! では,その​人​の​死​を​来たら​せ​た​責任​が​本当​に​あなた​に​ある​の​でしょ​う​か。決して​そう​で​は​あり​ませ​ん。

ひとり​の​母親​は,娘​を​車​の​事故​で​亡くし​まし​た​が,その​後,とがめ​の​気持ち​に​対処​する​こと​を​学び​まし​た。こう​説明​し​て​い​ます。「自分​が​娘​を​行か​せ​た​こと​で​責め​られる​もの​を​感じ​まし​た。でも,その​よう​な​感じ方​は​賢く​ない​と​思う​よう​に​なり​まし​た。娘​を​父親​と​いっしょ​に​使い​に​行か​せ​た​こと​そのもの​に​間違っ​た​こと​は​あり​ませ​ん。それ​は​ただ,一つ​の​ひどい​事故​だっ​た​の​です」。

『それでも,ああ​言え​ば​良かっ​た,こう​すれ​ば​良かっ​た​と​思う​こと​が​あまり​に​多い』と​言わ​れる​か​も​しれ​ませ​ん。きっと​そう​でしょ​う。しかし,自分​は​完全​な​父親,母親,子供​で​あっ​た,と​言える​人​が​わたしたち​の​中​に​だれ​か​いる​の​でしょ​う​か。聖書​は,「わたしたち​は​みな​何​度​も​つまずく​の​です。言葉​の​点​で​つまずか​ない​人​が​いれ​ば,それ​は​完全​な​人​で(す)」と​述べ​て,大切​な​点​を​銘記​さ​せ​て​い​ます。(ヤコブ 3:2。ローマ 5:12)ですから,自分​が​完全​で​は​ない​と​いう​事実​を​受けとめ​て​ください。『もし​ああ​し​て​いれ​ば』と​あれこれ​考え​て​み​て​も,状況​は​少し​も​変わら​ず,むしろ​立ち直り​を​遅らせ​て​しまう​だけ​でしょ​う。

自分​の​落ち度​は​想像​で​は​なく​実際​の​もの​だっ​た,と​信じる​それなり​の​理由​が​ある​と​し​ましょ​う。その​場合​で​も,罪​の​意識​を​和らげる​点​で​最も​重要​な​要素​は​何​か​を​考え​て​ください。それ​は,神​から​の​許し​です。聖書​は​この​よう​な​保証​の​言葉​を​与え​て​い​ます。「ヤハ​よ,あなた​の​見つめる​もの​が​とが​で​ある​なら,エホバ​よ,いったい​だれ​が​立ち​得る​でしょ​う​か。あなた​の​もと​に​は​真​の​許し​が​ある​から​です」。(詩編 130:3,4)過去​に​戻っ​て​事態​を​変える​と​いう​こと​は​でき​ませ​ん。しかし,過去​の​誤り​に​つい​て​神​の​許し​を​請う​こと​は​でき​ます。その​後​は​どう​すれ​ば​よい​の​でしょ​う​か。神​が,以前​の​過ち​を​ぬぐい去る​こと​を​約束​し​て​おら​れる​の​で​あれ​ば,あなた​も​自分​を​許す​べき​で​は​ない​でしょ​う​か。―箴言 28:13。ヨハネ​第​一 1:9

怒り​の​気持ち​に​対処​する

もしか​し​たら,医師​や​看護​婦​たち,友人​たち,さらに​は​今​は​亡き人​に​対し​て​さえ,ある​種​の​怒り​の​よう​な​もの​も​感じ​て​おら​れる​でしょ​う​か。これ​も,死別​に​対する​ごく​普通​の​反応​の​一つ​で​ある​こと​を​認め​て​ください。あなた​の​その​怒り​の​気持ち​は,自分​が​受け​た​打撃​の​自然​な​反映​な​の​か​も​しれ​ませ​ん。ある​著述​家​は​こう​書い​て​い​ます。「その​怒り​の​気持ち​に​気づく​こと,しかし​それ​に​したがって​行動​せ​ず,ただ​自分​が​それ​を​感じ​て​いる​こと​を​知っ​て​いる​だけ​で,それ​が​持つ​破壊​的​な​影響​から​逃れる​こと​が​できる」。

自分​の​その​怒り​の​気持ち​を​言い表わす,もしくは​分かち合う​こと​も​助け​に​なる​か​も​しれ​ませ​ん。どの​よう​に? もちろん,無​制御​に​爆発​さ​せる​こと​に​よっ​て​で​は​あり​ませ​ん。聖書​は,怒り​の​気持ち​を​長く​宿し​て​いる​の​は​危険​で​ある​と​警告​し​て​い​ます。(箴言 14:29,30)しかし,思いやり​の​ある​友​と​それ​に​つい​て​語り合う​こと​が​慰め​と​なる​こと​でしょ​う。また,怒り​の​気持ち​が​生じる​とき,精力​的​に​体​を​動かす​こと​が,感情​を​解きほぐす​の​に​役だっ​た​と​感じ​て​いる​人​たち​も​い​ます。―エフェソス 4:25,26​も​ご覧​ください。

自分​の​感じ​て​いる​事柄​に​つい​て​正直​で​包み隠し​の​ない​の​は​大切​な​こと​です​が,ここ​で​少し​注意​し​て​おく​べき​点​も​あり​ます。自分​の​感情​を​表現​する​こと​と,それ​を​他​の​人​に​ぶつける​こと​に​は​大きな​違い​が​あり​ます。自分​の​感じ​た​怒り​や​失意​に​つい​て​他​の​人​を​責める​必要​は​あり​ませ​ん。ですから,自分​の​感情​に​つい​て​思い​の​まま​に​語り​つつ​も,人​に​敵対​し​たり​する​こと​の​ない​よう​気​を​つけ​て​ください。(箴言 18:21)悲しみ​に​対応​し​て​ゆく​点​で​は,一つ​の​非常​に​優れ​た​助け​が​ほか​に​あり​ます。それ​に​つい​て​次​に​取り上げ​ましょ​う。

神​から​の​助け

聖書​は​こう​保証​し​て​い​ます。「エホバ​は​心​の​打ち砕か​れ​た​者​たち​の​近く​に​おら​れ,霊​の​打ちひしが​れ​た​者​たち​を​救っ​て​くださる」。(詩編 34:18)そう​です,神​と​の​関係​が,他​の​何事​に​も​勝っ​て,愛する​人​の​死​に​対応​する​助け​と​なる​の​です。どの​よう​に​でしょ​う​か。ここ​まで​に​述べ​た​すべて​の​実際​的​な​提案​は,神​の​言葉​で​ある​聖書​に​基づき,あるいは​それ​に​かなっ​た​もの​な​の​です。これら​の​点​を​当てはめる​こと​は,耐え​て​ゆく​ため​の​助け​と​なる​こと​でしょ​う。

さらに,祈り​の​価値​を​見落とさ​ない​で​ください。聖書​は​こう​勧め​て​い​ます。「あなた​の​重荷​を​エホバ​ご自身​に​ゆだねよ。そうすれば,神​が​自ら​あなた​を​支え​て​くださる」。(詩編 55:22)同情​心​の​ある​友​に​自分​の​感情​に​つい​て​語りつくす​こと​が​助け​と​なる​の​で​あれ​ば,「すべて​の​慰め​の​神」に​自分​の​心​の​中​を​注ぎ出す​こと​は,はるか​に​大きな​助け​と​なる​はず​で​は​ない​でしょ​う​か。―コリント​第​二 1:3

祈る​こと​に​よっ​て​単に​気持ち​が​軽く​なる​と​いう​の​で​は​あり​ませ​ん。「祈り​を​聞か​れる​方」は,誠実​に​求める​ご自分​の​僕​たち​に​聖霊​を​与える​こと​を​約束​し​て​おら​れ​ます。(詩編 65:2。ルカ 11:13)そして,神​の​聖霊​つまり​神​の​活動​する​力​は,あなた​が​日一日​と​進ん​で​ゆく​こと​が​できる​よう,『普通​を​超え​た​力』を​与える​こと​が​でき​ます。(コリント​第​二 4:7)忘れ​ない​で​ください,神​は,ご自分​の​忠実​な​僕​たち​が​どんな​問題​に​ぶつかろ​う​と​も,その​いずれ​に​も​耐え忍ぶ​こと​が​できる​よう​に​助ける​こと​が​おでき​に​なる​の​です。

子供​を​死​に​奪わ​れ​た​ひとり​の​女性​は,その​喪失​に​耐え​て​ゆく​上​で,祈り​の​力​が​自分​と​自分​の​夫​に​とっ​て​どれ​ほど​支え​と​なっ​た​か​を​思い出し​て,こう​語っ​て​い​ます。「晩​に​家​に​い​て,悲し​み​に​た​だ​押しつぶさ​れ​そう​に​なっ​た​時​に​は,声​を​上げ​て​いっしょ​に​祈り​まし​た。娘​なし​で​何​か​を​し​なけれ​ば​なら​なかっ​た​最初​の​時,最初​の​会衆​の​集会​に​行っ​た​とき,最初​に​大会​に​出席​し​た​とき,私たち​は​力ぞえ​を​求め​て​祈っ​た​もの​です。朝,目​を​覚まし​て,その​現実​が​全く​こらえがたい​もの​に​思え​た​時​に​も,助け​て​ください,と​エホバ​に​祈り​まし​た。なぜか,自分​独り​で​家​に​入る​こと​は​私​に​とっ​て​本当​に​やるせない​もの​でし​た。それで,独り​で​家​に​帰っ​た​時​に​は​いつも,ただ​エホバ​に​祈り​を​ささげ​て,なんとか​平静​さ​を​保てる​よう​に​と​お願い​し​まし​た」。この​忠実​な​婦人​は,こう​し​た​祈り​が​間違い​なく​相違​を​来たし​た​こと​を​確信​し​て​おり,それ​は​全く​正しい​こと​です。あなた​も,たゆま​ぬ​祈り​に​こたえ応じ​て,『一切​の​考え​に​勝る​神​の​平和​が,あなた​の​心​と​知力​を​守っ​て​くださる』の​を​知る​こと​でしょ​う。―フィリピ 4:6,7。ローマ 12:12

神​が​与え​て​くださる​助け​は​まさしく​相違​を​来たし​ます。クリスチャン​の​使徒​パウロ​は,神​が「すべて​の​患難​に​おい​て​わたしたち​を​慰め​て​くださり……わたしたち​が​どんな​患難​に​ある​人​たち​を​も​慰める​こと​が​できる​よう​に​し​て​くださる」と​述べ​まし​た。確か​に,神​の​助け​は​その​苦痛​を​除き去る​わけ​で​は​あり​ませ​ん。しかし,それ​に​耐え​やすく​する​こと​が​でき​ます。それ​は,あなた​が​もはや​泣く​こと​が​ない​と​か,自分​の​愛する​者​を​忘れる​と​か​いう​意味​で​は​あり​ませ​ん。ですが,あなた​は​立ち直る​こと​が​でき​ます。そして,立ち直る​こと​を​通し​て,その​経験​は,同様​の​喪失​に​直面​する​他​の​人​たち​を​助ける​面​で,あなた​を,いっそう​同情​心​に​富む,思いやり​の​ある​人​と​する​こと​でしょ​う。―コリント​第​二 1:4