第​7​章

あなたは神と同じように命を尊重していますか

あなたは神と同じように命を尊重していますか

『命​の​源​は​あなた​の​もと​に​あり​ます』。―詩編 36:9

1,2 特に​今日,神​から​の​どんな​贈り物​は​価値​が​あり​ます​か。なぜ​そう​言え​ます​か。

天​の​父​は​わたしたち​に,貴重​な​もの​を​与え​て​ください​まし​た。神​の​特質​を​反映​できる​理知​ある​人間​と​し​て​の​命,と​いう​貴い​贈り物​です。(創世記 1:27)その​贈り物​を​頂い​て​いる​わたしたち​は,聖書​の​諸​原則​に​基づい​て​推論​する​こと​が​でき​ます。そして,それら​の​原則​を​適用​する​こと​に​より,霊的​に​円熟​し​た​人​へ​と​成長​し​て​ゆけ​ます。エホバ​を​愛する​人​へ,「自分​の​知覚​力​を​訓練​し,正しい​こと​も​悪い​こと​も​見分け​られる​よう​に​なっ​た」人​へ​と​成長​し​て​ゆく​の​です。―ヘブライ 5:14

2 特に​今日,聖書​の​原則​に​基づい​て​推論​する​能力​は​重要​に​なっ​て​い​ます。社会​が​非常​に​複雑​化​し​て​いる​ため,どれ​ほど​多く​の​律法​を​もっ​て​し​て​も​生活​上​の​すべて​の​状況​に​は​対応​でき​ない​から​です。医学​に​関し​て,とりわけ​血液​の​かかわる​薬品​や​処置​に​関し​て,まさに​そう​言え​ます。エホバ​に​従い​たい​と​願う​人​すべて​は​その​分野​に​多大​の​関心​を​寄せ​て​い​ます。関係​する​聖書​の​原則​を​理解​し​て​いれ​ば,賢明​な​決定​を​下し​て,安らか​な​良心​を​抱き​つつ​自分​を​神​の​愛​の​うち​に​保てる​でしょ​う。(箴言 2:6‐11)では,幾つ​か​の​原則​を​考え​て​み​ましょ​う。

命​と​血​は​神聖​な​もの

3,4 聖書​に​よれ​ば,血​の​神聖​さ​が​最初​に​示さ​れ​た​の​は​いつ​です​か。基盤​と​なっ​て​いる​の​は​どんな​原則​です​か。

3 命​と​血​の​密接​な​関係​および​それら​の​神聖​さ​を​エホバ​が​初めて​明らか​に​なさっ​た​の​は,カイン​が​アベル​を​殺害​し​た​直後​の​こと​です。神​は​カイン​に,「聴け! あなた​の​兄弟​の​血​が​わたし​に​向かっ​て​地面​から​叫ん​で​いる」と​言わ​れ​まし​た。(創世記 4:10)エホバ​の​観点​から​する​と,アベル​の​血​は,アベル​の​命​を​表わす​もの​でし​た。それゆえ,残虐​に​殺さ​れ​た​アベル​の​血​が​復しゅう​を​求め​て​神​に​向かっ​て​叫ん​で​いる,と​言う​こと​が​でき​た​の​です。―ヘブライ 12:24

4 ノア​の​大​洪水​の​後,神​は​人間​に​動物​の​肉​を​食べる​許可​を​与え​まし​た​が,血​を​食べる​こと​は​お許し​に​なり​ませ​ん​でし​た。こう​述べ​て​おら​れ​ます。「ただし,その​魂​つまり​その​血​を​伴う​肉​を​食べ​て​は​なら​ない。さらに​わたし​は,あなた方​の​魂​の​血​の​返済​を​求める」。(創世記 9:4,5)この​命令​は,現代​に​至る​ノア​の​子孫​すべて​に​当てはまり​ます。そして,カイン​に​対する​神​の​言葉​に​すでに​含ま​れ​て​い​た​事柄​を​再​確認​する​もの​です。あらゆる​生き物​の​血​は​魂​つまり​命​を​表わす,と​いう​こと​です。さらに​この​布告​に​より,命​の​源​エホバ​が​命​と​血​を​軽視​する​人​すべて​に​言い開き​を​要求​なさる,と​いう​点​も​確証​さ​れ​まし​た。―詩編 36:9

5,6 モーセ​の​律法​は,血​が​神聖​かつ​貴重​な​もの​で​ある​こと​を​どの​よう​に​示し​て​い​まし​た​か。(「 動物​の​命​を​大切​に​する」と​いう​囲み​も​ご覧​ください。)

5 これら​二つ​の​基本​的​な​真理​は​モーセ​の​律法​に​も​反映​さ​れ​て​い​ます。レビ​記 17​章​10,11​節​に​こう​あり​ます。「いかなる​もの​で​あれ​血​を​食べる​者​が​いれ​ば,わたし​は​必ず​自分​の​顔​を,血​を​食べ​て​いる​その​魂​に​敵し​て​向け,その​者​を​民​の​中​から​まさに​断つ​で​あろ​う。肉​の​魂​は​血​に​ある​から​で​あり,わたし​は,あなた方​が​自分​の​魂​の​ため​に​贖罪​を​行なう​よう​に​と​それ​を​祭壇​の​上​に​置い​た​の​で​ある。血​が,その​内​に​ある​魂​に​よっ​て​贖罪​を​行なう​から​で​ある」。 * ― 「 血​が​有する​贖罪​の​力」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。

6 屠殺​さ​れ​た​動物​の​血​は,祭壇​で​用い​ない​場合​に​は,地面​に​注ぎ出さ​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。そう​する​こと​に​より,象徴​的​に​言っ​て,命​は​元々​の​所有​者​で​ある​方​の​もと​に​戻さ​れ​た​の​です。(申命記 12:16。エゼキエル 18:4)と​は​いえ​イスラエル​人​は,極端​に​走っ​て​動物​の​体​に​血​が​一​滴​も​残ら​ない​よう​に​する​必要​は​あり​ませ​ん​でし​た。適切​に​屠殺​さ​れ​て​血​抜き​さ​れ​て​いる​なら,イスラエル​人​は​汚れ​の​ない​良心​を​抱い​て​それ​を​食べる​こと​が​でき​まし​た。命​の​与え主​に​対し​て​しかる​べき​敬意​が​払わ​れ​て​い​た​から​です。

7 ダビデ​は,血​の​神聖​さ​に​対する​敬意​を​どの​よう​に​示し​まし​た​か。

7 「[神]の​心​に​かなう​人」ダビデ​は,血​に​関する​神​の​律法​の​背後​に​ある​原則​を​理解​し​て​い​まし​た。(使徒 13:22)ダビデ​が​激しい​のど​の​渇き​を​覚え​て​い​た​時,3​人​の​部下​が​敵​の​陣営​に​無理​に​突入​し,水溜め​から​水​を​くん​で,ダビデ​の​ところ​に​持っ​て​来​まし​た。ダビデ​は​どう​し​まし​た​か。「自分​の​魂​を​かけ​て​行っ​た​人々​の​血​を​わたし​は​飲める​でしょ​う​か」と​述べ​て​い​ます。その​水​を,部下​たち​の​命​を​表わす​血​も​同然​の​もの​と​みなし​た​の​です。それで,のど​が​渇い​て​い​た​に​も​かかわら​ず,「それ​を​エホバ​に​注ぎ出し」まし​た。―サムエル​第​二 23:15‐17

8,9 命​と​血​に​関する​神​の​見方​は,クリスチャン​会衆​の​設立​に​伴っ​て​変化​し​まし​た​か。説明​し​て​ください。

8 ノア​へ​の​布告​から​2,400​年​ほど​後,また​律法​契約​の​締結​から​1,500​年​ほど​後​に,初期​クリスチャン​会衆​の​統治​体​は​エホバ​の​霊感​の​もと​に​こう​書き​まし​た。『聖霊​と​わたしたち​と​は,次​の​必要​な​事柄​の​ほか​は,あなた方​に​そのうえ​何​の​重荷​も​加え​ない​こと​が​よい​と​考え​まし​た。すなわち,偶像​に​犠牲​と​し​て​ささげ​られ​た​物​と​血​と​絞め殺さ​れ​た​もの​と​淫行​を​避け​て​いる​こと​です』。―使徒 15:28,29

9 この​よう​に​初期​の​統治​体​は,血​が​神聖​な​もの​で​ある​こと​を​認め,血​の​誤用​は​偶像​礼拝​や​淫行​と​同様​の​道徳​的​な​悪​で​ある​と​認識​し​て​い​まし​た。今日​の​真​の​クリスチャン​も​同じ​立場​を​取っ​て​い​ます。さらに,聖書​の​原則​と​いう​観点​から​考える​ゆえ​に,血​の​使用​に​関し​て​エホバ​に​喜ば​れる​決定​を​下す​こと​が​でき​ます。

医療​に​おける​血​の​使用

血液​分画​の​使用​に​関する​自分​の​決定​を,どの​よう​に​医師​に​説明​できる​だろ​う​か

10,11 (イ)エホバ​の​証人​は,全血​および​血液​の​主要​成分​の​輸血​を​どう​みなし​ます​か。(ロ)血​に​関する​どんな​分野​で,個々​の​クリスチャン​の​判断​は​異なる​か​も​しれ​ませ​ん​か。

10 『血​を​避ける』こと​に​は,輸血​を​受け入れ​ない​こと​と,献血​し​たり​自己血​を​輸血​用​に​貯蔵​し​たり​し​ない​こと​も​含ま​れる,と​エホバ​の​証人​は​理解​し​て​い​ます。さらに,神​の​律法​に​対する​敬意​ゆえ​に,血液​の​四つ​の​主要​成分(赤血球,白血球,血小板,血漿)を​受け入れ​ませ​ん。

11 今日,それら​の​主要​成分​は​処理​さ​れ​て​細かく​分け​られ,分画​と​し​て​様々​に​用い​られ​て​い​ます。クリスチャン​は​そう​し​た​分画​を​受け入れる​こと​が​でき​ます​か。それら​を“血”と​みなし​ます​か。これ​は​各人​が​個人​的​に​決定​し​なけれ​ば​なら​ない​事柄​です。自己血​の​かかわる​血液​透析​や​血液​希釈​や​セル​・​サルベージ(血液​回収)など​の​医療​処置​を​自己血​の​貯蔵​なし​に​行なう​こと​に​つい​て​も,同じ​こと​が​言え​ます。―付録​の「血液​分画​と​外科​的​処置」と​いう​項目​を​ご覧​ください。

12 良心​で​決定​する​事柄​に​関し​て,どの​よう​な​見方​を​し,どの​よう​に​行動​す​べき​です​か。

12 個人​的​に​決定​する​事柄​は,エホバ​から​見​て​重要​で​ない​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。エホバ​は​わたしたち​の​考え​や​動機​に​深い​関心​を​払っ​て​おら​れ​ます。(箴言 17:3; 21:2; 24:12)ですから,祈り​の​うち​に​医薬​品​や​医療​処置​に​関し​て​調査​し​た​後,聖書​に​よっ​て​訓練​さ​れ​た​自分​の​良心​の​声​に​従う​こと​は​大切​です。(ローマ 14:2,22,23)もとより,他​の​人​は​良心​上​の​自分​の​決定​を​押しつけ​て​は​なら​ず,わたしたち​も「あなた​なら​どう​し​ます​か」と​尋ねる​べき​で​は​あり​ませ​ん。こう​し​た​事柄​に​おい​て​は​クリスチャン​各人​が「自分​の​荷​を​負う」べき​な​の​です。 *ガラテア 6:5。ローマ 14:12。「 血​を​神聖​な​もの​と​見​て​いる​だろ​う​か」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。

エホバ​の​律法​は​父親​と​し​て​の​愛​の​表われ

13 エホバ​の​律法​や​原則​から,エホバ​に​つい​て​どんな​こと​が​よく​分かり​ます​か。例​を​挙げ​て​ください。

13 聖書​に​収め​られ​て​いる​律法​や​原則​を​見る​と,エホバ​が​知恵​に​富む​立法​者​で​ある​と​とも​に,子ども​の​福祉​を​深く​気遣う​愛​ある​父親​で​あら​れる​こと​が​よく​分かり​ます。(詩編 19:7‐11)『血​を​避け​なさい』と​いう​命令​は,健康​の​ため​の​規則​と​し​て​与え​られ​た​もの​で​は​あり​ませ​ん​が,輸血​に​伴う​合併​症​から​の​保護​と​なっ​て​い​ます。(使徒 15:20)実​の​ところ,医学​界​の​多く​の​人​が​無​輸血​手術​を​現代​医療​の「最良​の​規準」と​評価​し​て​い​ます。こう​し​た​こと​は​真​の​クリスチャン​に​とっ​て,エホバ​の​深遠​な​知恵​や​父親​と​し​て​の​愛​を​裏書き​する​もの​です。―イザヤ 55:9。ヨハネ 14:21,23

14,15 (イ)ご自分​の​民​に​対する​神​の​愛​は,律法​の​どんな​条項​に​表われ​て​い​ます​か。(ロ)そう​し​た​安全​規則​の​背後​に​ある​原則​を,あなた​は​どの​よう​に​適用​でき​ます​か。

14 古代​イスラエル​の​民​の​福祉​に​対する​神​の​配慮​は,律法​の​多く​の​条項​に​表われ​て​い​ます。例えば,事故​防止​の​ため​にイスラエル​人​の​家​の​屋根​に​欄干​を​付けること​を​神​は​求め​て​おら​れ​まし​た。屋根​の​上​で​様々​な​事​が​行なわ​れ​た​から​です。(申命記 22:8。サムエル​第​一 9:25,26。ネヘミヤ 8:16。使徒 10:9)神​は​また,危険​な​牛​を​監守​し​て​おく​よう​に​と​命じ​て​おら​れ​まし​た。(出エジプト​記 21:28,29)こう​し​た​要求​を​無視​する​人​は,他​の​人​の​福祉​に​対する​敬意​が​甚だ​しく​欠け​て​おり,血​の​罪​を​負いかね​ませ​ん​でし​た。

15 こう​し​た​条項​の​根底​に​ある​原則​を,あなた​は​どの​よう​に​適用​でき​ます​か。自分​の​車,運転​習慣,ペット​や​家畜,家,仕事​場,レクリエーション​の​選択​など​に​つい​て​考え​て​み​て​ください。国​に​よっ​て​は,若者​の​死因​の​トップ​は​事故​です。無用​な​危険​を​冒し​た​結果​で​ある​こと​が​少なく​あり​ませ​ん。しかし,神​の​愛​の​うち​に​とどまる​こと​を​願う​若者​は​命​を​尊重​し​ます。刺激​を​求め​て​危険​な​事​を​行なっ​たり​は​し​ませ​ん。若い​から​何​を​し​て​も​大丈夫​だ​と​いう​よう​な​愚か​な​考え方​は​し​ない​の​です。無用​な​災い​を​払いのけ​て,若い​時代​を​楽しみ​ます。―伝道​の​書 11:9,10

16 聖書​の​どんな​原則​が​妊娠​中絶​に​当てはまり​ます​か。(脚注​も​ご覧​ください。)

16 生ま​れる​前​の​命​で​さえ,神​の​目​に​は​貴重​です。古代​イスラエル​で​は,妊婦​が​傷つけ​られ​て​妊婦​あるいは​お腹​の​子ども​が​死ん​だ​場合,神​は​加害​者​を​殺人​者​と​みなさ​れ,加害​者​は「魂​に​は​魂」を​償わ​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。 *出エジプト​記 21:22,23)では,考え​て​み​て​ください。毎年,数え切れない​ほど​の​妊娠​中絶​が​行なわ​れ​て​いる​の​を​見​て,エホバ​は​どう​感じ​て​おら​れる​でしょ​う​か。その​多く​は,親​の​身勝手​や​奔放​な​性​の​犠牲​と​なっ​て​いる​の​です。

17 神​の​規準​を​学ぶ​より​も​前​に​妊娠​中絶​を​し​た​人​を,どの​よう​に​慰める​こと​が​でき​ます​か。

17 聖書​の​真理​を​知る​より​も​前​に​妊娠​中絶​を​し​た​女性​の​場合​は​どう​です​か。神​の​憐れみ​を​受ける​こと​は​でき​ない​の​でしょ​う​か。その​よう​な​こと​は​決して​あり​ませ​ん。真に​悔い改め​た​人​は,イエス​の​流し​た​血​に​基づい​て​エホバ​に​許し​て​いただける​と​考える​こと​が​でき​ます。(詩編 103:8‐14。エフェソス 1:7)キリスト​も​こう​述べ​て​おら​れ​ます。「わたし​は,義人​たち​で​は​なく,罪人​たち​を​悔い改め​に​招く​ため​に​来​た​の​です」。―ルカ 5:32

有害​な​考え​を​避け​なさい

18 聖書​は,多く​の​流血​行為​の​根底​に​ある​原因​に​どの​よう​に​注意​を​向け​て​い​ます​か。

18 エホバ​は​わたしたち​に,他​の​人​を​害さ​ない​こと​だけ​で​なく,多く​の​流血​行為​の​根本​原因​で​ある​憎しみ​を​心​から​一掃​する​こと​も​求め​て​おら​れ​ます。「すべて​自分​の​兄弟​を​憎む​者​は​人殺し​です」と​使徒​ヨハネ​は​書い​て​い​ます。(ヨハネ​第​一 3:15)その​よう​な​者​は,兄弟​を​嫌う​だけ​で​なく,その​兄弟​の​死​を​願っ​て​い​ます。そう​し​た​敵意​は,悪意​ある​中傷​と​し​て,あるいは​神​の​裁き​に​値する​事​を​し​て​いる​と​いう​偽り​の​非難​と​し​て​表面​化​する​か​も​しれ​ませ​ん。(レビ​記 19:16。申命記 19:18‐21。マタイ 5:22)ですから,心​に​宿りかね​ない​悪​感情​を​取り除く​よう​努力​する​の​は​本当​に​重要​です。―ヤコブ 1:14,15; 4:1‐3

19 聖書​の​原則​に​導か​れ​て​いる​人​は,詩編 11​編​5​節​や​フィリピ 4​章​8,9​節​など​の​聖句​を​どう​みなし​ます​か。

19 さらに,エホバ​と​同じ​よう​に​命​を​尊重​し​て​いる​人,自分​を​エホバ​の​愛​の​うち​に​保ち​たい​と​願っ​て​いる​人​は,あらゆる​形態​の​暴力​を​避け​ます。詩編 11​編​5​節​は,『エホバ​の​魂​は​暴虐​を​愛する​者​を​必ず​憎む』と​述べ​て​い​ます。この​聖句​は,神​の​ご性格​の​単なる​描写​で​は​あり​ませ​ん。生き方​に​関する​指導​原則​です。暴力​を​好む​傾向​を​助長​する​いかなる​娯楽​も​避ける​よう,神​を​愛する​人​たち​を​動かす​もの​な​の​です。同様​に,エホバ​が「平和​の​神」で​ある​と​いう​言葉​は,愛す​べき​こと,徳​と​される​こと,称賛​す​べき​こと​で​思い​と​心​を​満たす​よう,神​の​僕​たち​を​促し​ます。そう​し​た​こと​は​平和​に​役立つ​から​です。―フィリピ 4:8,9

血​の​罪​を​負っ​た​組織​から​離れ​て​いる

20‐22 クリスチャン​は​世​に​関し​て​どんな​立場​を​取り​ます​か。なぜ​です​か。

20 神​の​観点​から​見る​と,サタン​の​世​全体​は​血​の​罪​を​負っ​て​い​ます。その​政治​体制​は,聖書​中​で​凶暴​な​獣​と​し​て​描か​れ​て​おり,エホバ​の​僕​たち​を​含む​無数​の​人々​を​殺害​し​て​き​まし​た。(ダニエル 8:3,4,20‐22。啓示 13:1,2,7,8)実業​界​や​科学​界​は,そう​し​た​獣​の​よう​な​諸​国家​と​手​を​組ん​で,極悪非道​な​兵器​を​幾つ​も​作り,巨額​の​利益​を​得​て​き​まし​た。「全​世界​が​邪悪​な​者​の​配下​に​ある」と​いう​言葉​は​まさに​真実​で​は​ない​でしょ​う​か。―ヨハネ​第​一 5:19

21 イエス​の​追随​者​たち​は『世​の​もの​で​は​なく』,政治​や​戦争​に​関し​て​厳正​中立​を​保つ​の​で,個人​的​な​血​の​罪​も​共同​の​血​の​罪​も​負っ​て​い​ませ​ん。 *ヨハネ 15:19; 17:16)そして,キリスト​に​倣い,迫害​さ​れ​て​も​暴力​で​応じ​たり​は​し​ませ​ん。むしろ,敵​に​も​愛​を​示し,敵​の​ため​に​祈る​こと​さえ​し​ます。―マタイ 5:44。ローマ 12:17‐21

22 真​の​クリスチャン​は​特に,偽り​の​宗教​の​世界​帝国​で​ある「大いなる​バビロン」と​の​かかわり​を​避け​ます。その​世界​帝国​は​最も​大きな​血​の​罪​を​負っ​て​いる​の​です。神​の​言葉​は​こう​述べ​て​い​ます。「彼女​の​中​に​は,預言​者​と​聖​なる​者​たち​の​血,そして​地上​で​ほふら​れ​た​すべて​の​者​の​血​が​見いださ​れ​た」。それゆえ,『わたし​の​民​よ,彼女​から​出​なさい』と​の​警告​が​与え​られ​て​い​ます。―啓示 17:6; 18:2,4,24

23 大いなる​バビロン​から​出る​と​は,どう​いう​意味​です​か。

23 大いなる​バビロン​から​逃れ出る​と​は,信者​名簿​から​名前​を​削除​し​て​もらう​だけ​の​こと​で​は​あり​ませ​ん。偽り​の​宗教​が​黙認​し​たり​公然​と​擁護​し​たり​し​て​いる​邪悪​な​行ない​を​憎む,と​いう​こと​も​必要​です。不​道徳,政治​へ​の​干渉,富​の​飽くなき​追求​など​です。(詩編 97:10。啓示 18:7,9,11‐17)こう​し​た​行為​が​流血​を​招く​こと​は​何​と​多い​の​でしょ​う。

24,25 血​の​罪​の​ある​人​が​悔い改め​て​いる​場合,神​は​何​に​基づい​て​憐れみ​を​示さ​れ​ます​か。その​こと​は​聖書​時代​に​どの​よう​に​予示​さ​れ​て​い​まし​た​か。

24 わたしたち​は,真​の​崇拝​に​加わる​前,それぞれ​何らか​の​形​で​サタン​の​体制​を​支持​し,それゆえに​ある​程度​の​血​の​罪​を​負っ​て​い​まし​た。しかし,生き方​を​改め,キリスト​の​贖い​の​犠牲​に​対する​信仰​を​培い,神​に​献身​し​た​の​で,神​の​憐れみ​と​霊的​な​保護​を​得る​よう​に​なり​まし​た。(使徒 3:19)その​保護​は​聖書​時代​に,避難​都市​に​よっ​て​予示​さ​れ​て​い​まし​た。―民数記 35:11‐15。申命記 21:1‐9

25 避難​都市​は​どの​よう​な​働き​を​し​まし​た​か。過失​で​人​を​死な​せ​て​しまっ​た​イスラエル​人​は,いずれ​か​の​避難​都市​に​逃げる​こと​に​なっ​て​い​まし​た。資格​ある​裁き人​たち​に​よる​判定​が​下さ​れ​た​後,過失​に​よる​殺人​者​は​大​祭司​の​死​まで​その​避難​都市​に​とどまら​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。大​祭司​の​死​の​後​は,どこ​に​で​も​自由​に​住む​こと​が​でき​まし​た。神​の​憐れみ​と,神​が​人間​の​命​を​大いに​尊重​し​て​おら​れる​こと​が,何​と​見事​に​表わさ​れ​て​いる​の​でしょ​う。今日​に​おい​て​古代​の​避難​都市​に​対応​する​の​は,キリスト​の​贖い​の​犠牲​に​基づく​神​の​備え​です。その​備え​に​より,わたしたち​は​命​と​血​の​神聖​さ​に​関する​神​の​おきて​に​過失​に​よっ​て​違犯​し​た​場合​で​も,死ぬ​こと​の​ない​よう​保護​さ​れ​ます。あなた​も​この​備え​を​尊ん​で​おら​れる​こと​でしょ​う。その​こと​を​どの​よう​に​示せ​ます​か。一つ​の​方法​は,対型​的​な​避難​都市​に​入る​よう​他​の​人​たち​を​招く​こと​です。「大​患難」が​急速​に​近づい​て​いる​今,特に​そう​す​べき​です。―マタイ 24:21。コリント​第​二 6:1,2

王国​の​音信​を​宣べ伝える​こと​に​よっ​て​命​を​尊重​する

26‐28 今日​の​わたしたち​の​置か​れ​た​状況​は,預言​者​エゼキエル​の​場合​と​どの​よう​に​似​て​い​ます​か。どう​すれ​ば​自分​を​神​の​愛​の​うち​に​保て​ます​か。

26 現代​の​神​の​民​の​置か​れ​た​状況​から​思い起こさ​れる​の​は,古代​の​預言​者​エゼキエル​です。エホバ​は​エゼキエル​に,イスラエル​の​家​に​対する​霊的​な​見張り​の​者​と​し​て​奉仕​する​任務​を​お与え​に​なり​まし​た。こう​命じ​て​おら​れ​ます。「あなた​は​必ず[わたし​の]言葉​を​聞き,わたし​から​の​警告​を​彼ら​に​与え​なけれ​ば​なら​ない」。エゼキエル​は,この​任務​を​怠る​なら,エルサレム​の​清算​の​時​に​処刑​さ​れる​人々​の​血​の​責任​を​自ら​に​負う​こと​に​なり​ます。(エゼキエル 33:7‐9)しかし,命令​に​従っ​た​の​で,血​の​罪​を​負い​ませ​ん​でし​た。

27 今日,サタン​の​世​全体​の​終わり​が​迫っ​て​い​ます。ですから​エホバ​の​証人​は,王国​の​音信​と​とも​に​神​の「復しゅう​の​日」を​ふれ告げる​こと​を,責務​で​ある​と​同時​に​特権​で​ある​と​みなし​て​い​ます。(イザヤ 61:2。マタイ 24:14)あなた​は,命​の​かかわる​この​業​に​十分​に​参加​し​て​おら​れ​ます​か。使徒​パウロ​は,宣べ伝える​任務​に​真剣​に​取り組み​まし​た。それゆえ,『わたし​は​すべて​の​人​の​血​に​つい​て​潔白​です。何一つ​差し控える​こと​なく,神​の​み旨​を​ことごとく​あなた方​に​伝え​た​から​です』と​言う​こと​が​でき​まし​た。(使徒 20:26,27)わたしたち​の​見倣う​べき​何​と​立派​な​手本​でしょ​う。

28 もとより,父親​と​し​て​の​エホバ​の​温かい​愛​の​うち​に​自分​を​保つ​の​に​必要​な​の​は,命​と​血​に​関し​て​エホバ​と​同じ​見方​を​する​こと​だけ​で​は​あり​ませ​ん。神​から​見​て清い​者,つまり​聖​なる​者​で​あり​続けること​も​必要​です。その​点​は​次​の​章​で​考え​ます。

^ 5節 「肉​の​魂​は​血​に​ある」と​いう​神​の​言葉​に​関し​て,サイエンティフィック​・​アメリカン​誌(英語)は​こう​述べ​て​い​ます。「比喩​的​な​意味​は​さておき,この​言葉​は​文字どおり​の​意味​で​真実​で​ある。いずれ​の​種類​の​血球​も​生命​に​必要​な​の​で​ある」。

^ 12節 エホバ​の​証人​の​発行​し​た「目ざめよ!」誌,2006​年​8​月​号,3‐12​ページ​を​ご覧​ください。

^ 16節 ある​聖書​辞書​編集​者​たち​は,この​聖句​の​ヘブライ​語​で​の​言い回し​から​する​と「これら​の​言葉​が​女​に​加え​られ​た​傷​だけ​を​指し​て​いる​と​する​こと​は​でき​ない​よう​で​ある」と​書い​て​い​ます。もう​一つ​注目​できる​点​と​し​て,胚​や​胎児​の​発育​日数​が​エホバ​の​裁き​に​おい​て​考慮​さ​れる​か​どう​か​に​つい​て,聖書​は​何​も​述べ​て​い​ませ​ん。

^ 70節 詳しく​は,付録​の「血液​分画​と​外科​的​処置」と​いう​項目​を​ご覧​ください。