第​4​章

権威に敬意を払うべきなのはなぜですか

権威に敬意を払うべきなのはなぜですか

『あらゆる​人​を​敬い​なさい』。―ペテロ​第​一 2:17

1,2 (イ)権威​に​関し​て,どんな​葛藤​を​経験​し​ます​か。(ロ)これ​から,どんな​質問​に​つい​て​考え​ます​か。

し​なさい​と​言わ​れ​た​事​を​し​たく​ない​時​に​幼い​子​が​どう​反応​する​か,見​た​こと​が​あり​ます​か。顔​に​は,困惑​が​ありあり​と​表われ​て​い​ます。親​の​声​は​聞こえ​て​い​ます​し,親​の​権威​に​敬意​を​払う​べき​こと​も​分かっ​て​い​ます。でも,この​言いつけ​に​は​従い​たく​ない​の​です。現実​問題​と​し​て,わたしたち​の​だれ​も​が​同じ​よう​な​葛藤​を​経験​し​ます。

2 権威​に​敬意​を​払う​の​は​必ずしも​容易​で​は​あり​ませ​ん。あなた​に​対し​て​何らか​の​権威​を​持っ​て​いる​人​に​敬意​を​払い​にくく​感じる​こと​が​あり​ます​か。そう​だ​と​し​て​も,そう​し​た​葛藤​を​経験​する​の​は​あなた​だけ​で​は​あり​ませ​ん。今​の​時代,権威​に​対する​敬意​が​非常​に​薄れ​て​いる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。それでも​聖書​に​よれ​ば,わたしたち​は,権威​ある​立場​に​いる​人​に​敬意​を​示す​必要​が​あり​ます。(箴言 24:21)神​の​愛​の​うち​に​とどまり​たい​なら,そう​する​こと​が​不可欠​な​の​です。それで,次​の​よう​な​質問​が​生じる​でしょ​う。権威​に​敬意​を​払う​の​が​時​と​し​て​たいへん​難しい​の​は​なぜか。そう​する​よう​エホバ​が​求め​て​おら​れる​の​は​なぜか。そう​する​の​に​何​が​助け​に​なる​か。そして,どの​よう​に​し​て​権威​に​敬意​を​示せる​か,と​いう​質問​です。

難しい​の​は​なぜか

3,4 罪​と​不​完全​さ​は​どの​よう​に​し​て​始まり​まし​た​か。罪深い​わたしたち​が​権威​に​敬意​を​払い​にくい​の​は​なぜ​です​か。

3 権威​を​持つ​人​に​敬意​を​示す​の​が​非常​に​難しい​理由​を​二つ,手短​に​考え​ましょ​う。一つ​は,わたしたち​は​不​完全​さ​を​負っ​て​いる​と​いう​こと,もう​一つ​は,権威​を​持つ​人​たち​も​不​完全​さ​を​負っ​て​いる​と​いう​こと​です。人間​の​罪​と​不​完全​さ​が​生じ​た​の​は,遠い​昔,エデン​の​園​で​アダム​と​エバ​が​神​の​権威​に​反逆​し​た​時​の​こと​です。罪​は​反逆​と​とも​に​始まっ​た​の​です。それ​で​今日​の​わたしたち​も,反逆​する​傾向​を​生まれつき持っ​て​い​ます。―創世記 2:15‐17; 3:1‐7。詩編 51:5。ローマ 5:12

4 罪深さ​ゆえ​に,人​は​誇り​や​傲慢​さ​を​抱き​がち​な​の​に​対し​て,謙遜​さ​は​まれ​な​特質​で,培っ​て​保つ​の​に​懸命​な​努力​を​要し​ます。長年​に​わたっ​て​忠実​に​神​に​仕え​て​き​た​人​で​も,強情​さ​や​誇り​に​屈する​こと​が​あり​ます。一例​と​し​て,コラ​の​こと​を​考え​ましょ​う。コラ​は,数々​の​苦難​に​面し​て​も​忠実​に​エホバ​の​民​と​とも​に​歩ん​で​き​まし​た。しかし,より​大きな​権威​を​欲し,ずうずうしく​も​モーセ​に​対する​反逆​の​先頭​に​立ち​まし​た。当時​の​最も​柔和​な​人​モーセ​に​対し​て​そう​し​た​の​です。(民数記 12:3; 16:1‐3)ウジヤ​王​は​どう​でしょ​う​か。誇り​の​ゆえに,エホバ​の​神殿​に​入り,祭司​だけ​に​許さ​れ​た​神聖​な​務め​を​行ない​まし​た。(歴代​第​二 26:16‐21)こう​し​た​人​たち​は,反逆​に​よる​悲惨​な​結果​を​身​に​招き​まし​た。わたしたち​すべて​は,これら​の​悪い​手本​から​教訓​を​学べ​ます。権威​に​敬意​を​払う​の​を​難しく​する​誇り​と​闘う​必要​が​ある​の​です。

5 不​完全​な​人間​は​どの​よう​に​権威​を​誤用​し​て​き​まし​た​か。

5 一方,権力​の​ある​立場​に​いる​人​も​不​完全​で,権威​に​対する​敬意​を​損なう​よう​な​こと​を​いろいろ​行なっ​て​き​まし​た。残虐,横暴,圧制​的​な​人​も​少なく​あり​ませ​ん。人間​の​歴史​は,おおむね​権力​の​乱用​の​記録​です。(伝道​の​書 8:9)例えば​サウル​は,エホバ​に​王​と​し​て​選ば​れ​た​時​に​は​謙遜​な​良い​人​でし​た​が,後​に​誇り​と​ねたみ​の​気持ち​に​負け,忠実​な​人​ダビデ​を​迫害​する​よう​に​なり​まし​た。(サムエル​第​一 9:20,21; 10:20‐22; 18:7‐11)その​後​ダビデ​は,イスラエル​の​歴史​の​中​で​際立っ​て​良い​王​と​なり​まし​た。しかし,その​ダビデ​も​権力​を​誤用​し,ヒッタイト​人​ウリヤ​の​妻​を​奪い,無実​の​ウリヤ​を​前線​に​送っ​て​戦死​さ​せ​まし​た。(サムエル​第​二 11:1‐17)不​完全​な​人間​に​とっ​て,権力​を​正しく​行使​する​の​は​容易​な​こと​で​は​ない​の​です。権力​を​持つ​人​が​エホバ​に​敬意​を​抱い​て​い​ない​と,さらに​ひどい​こと​に​なり​ます。ある​英国​の​政治​家​は,カトリック​の​教皇​たち​に​よる​広範​な​迫害​に​つい​て​論じ​た​後,「力​は​腐敗​し​やすく,絶対​的​な​力​は​絶対​に​腐敗​する」と​述べ​まし​た。では,こう​し​た​歴史​を​踏まえ​て,権威​に​敬意​を​払う​べき​な​の​は​なぜ​か​を​考え​ましょ​う。

権威​に​敬意​を​払う​べき​な​の​は​なぜか

6,7 (イ)エホバ​へ​の​愛​は,何​を​する​よう​わたしたち​を​動かし​ます​か。なぜ​です​か。(ロ)柔順​に​は​どんな​態度​が​含ま​れ​ます​か。どの​よう​に​柔順​を​示せ​ます​か。

6 権威​に​敬意​を​払う​最も​優れ​た​理由​は,いずれ​も​愛​を​基盤​に​し​て​い​ます。エホバ​へ​の​愛,仲間​の​人間​へ​の​愛,そして​自分​自身​へ​の​愛​です。わたしたち​は​何​より​も​エホバ​を​愛し​て​いる​の​で,エホバ​の​心​を​歓ばせ​たい​と​願っ​て​い​ます。(箴言 27:11。マルコ 12:29,30)わたしたち​が​知っ​て​いる​とおり,エホバ​の​主権​つまり​宇宙​を​支配​する​権利​は​エデン​で​の​反逆​以来​ずっ​と​地上​で​挑戦​を​受け​て​おり,人類​の​大​多数​は​サタン​の​側​に​つい​て​エホバ​の​支配​を​退け​て​き​まし​た。それ​と​は​正​反対​の​立場​を​取る​わたしたち​の​胸​は​高鳴り​ます。啓示 4​章​11​節​の​荘厳​な​言葉​を​読む​と​心​が​奮い立ち​ます。エホバ​が​宇宙​の​正当​な​支配​者​で​ある​こと​に​一​点​の​疑問​も​ない​の​で​は​ない​でしょ​う​か。わたしたち​は​エホバ​の​主権​を​支持​し,毎日​の​生活​の​中​で​エホバ​の​支配​を​受け入れ​ます。

7 そう​し​た​敬意​に​は,単に​従う​以上​の​こと​が​関係​し​て​い​ます。わたしたち​は​エホバ​を​愛し​て​いる​の​で,進ん​で​エホバ​に​従い​ます。と​は​いえ,従う​の​が​非常​に​難しい​時​も​あり​ます。その​よう​な​時,冒頭​に​出​て​き​た​幼い​子​の​よう​に,柔順​を​学ぶ​こと​が​必要​に​なり​ます。イエス​の​こと​を​思い出し​て​ください。イエス​は,服する​の​が​極めて​難しい​と​思える​時​に​も​み父​の​ご意志​に​柔順​に​服し​た​の​で​は​ない​でしょ​う​か。み父​に​向かっ​て​こう​述べ​て​い​ます。「わたし​の​意志​で​は​なく,あなた​の​ご意志​が​なさ​れ​ます​よう​に」。―ルカ 22:42

8 (イ)今日,エホバ​の​権威​へ​の​柔順​に​は​しばしば​何​が​含ま​れ​ます​か。この​点​で​の​エホバ​の​見方​を​何​が​明らか​に​し​て​い​ます​か。(ロ)助言​に​聴き従い,懲らしめ​を​受け入れる​の​に,何​が​助け​に​なり​ます​か。(「 助言​に​聴き従い,懲らしめ​を​受け入れよ」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。)

8 もちろん,エホバ​は​今日,わたしたち​一人一人​に​語りかける​こと​は​なさい​ませ​ん。み言葉,および​地上​の​代表​者​で​ある​人​たち​を​用い​て​おら​れ​ます。ですから,ほとんど​の​場合​に​わたしたち​は,エホバ​が​権威​ある​立場​に​置い​て​おら​れる​人​たち ― その​立場​に​とどまる​こと​を​許し​て​おら​れる​人​たち ― に​敬意​を​払う​こと​に​よっ​て,エホバ​の​権威​へ​の​柔順​を​示し​ます。その​人​たち​に​逆らう​なら,神​を​不快​に​させる​こと​に​なり​ます。例えば,その​人​たち​の​聖書​的​な​助言​や​矯正​を​受け入れ​よう​と​し​ない​場合​です。イスラエル​人​が​モーセ​に​対し​て​つぶやい​て​反逆​し​た​時,エホバ​は​それ​を​ご自分​に​対する​反逆​と​みなさ​れ​まし​た。―民数記 14:26,27

9 仲間​の​人間​へ​の​愛​は​権威​に​敬意​を​払う​よう​人​を​動かす,と​言える​の​は​なぜ​です​か。例え​で​説明​し​て​ください。

9 わたしたち​が​権威​に​敬意​を​示す​の​は,仲間​の​人間​を​愛し​て​いる​から​で​も​あり​ます。どうして​そう​言え​ます​か。例えば,あなた​が​軍隊​の​一​兵士​で​ある​と​し​ましょ​う。軍隊​の​勝利,さらに​は​生き残り​そのもの​も,指揮​系統​に​兵士​一人一人​が​協力​し,従い,敬意​を​払う​か​どう​か​に​よっ​て​左右​さ​れ​ます。あなた​が​反逆​し​て​その​系統​を​損なう​なら,仲間​の​兵士​全員​が​危険​な​状況​に​置か​れる​か​も​しれ​ませ​ん。人間​の​軍隊​が​今日​の​世界​に​大​破壊​を​もたらし​て​いる​の​は​確か​です​が,エホバ​の​軍隊​は​良い​こと​だけ​を​行ない​ます。聖書​は,その​方​を​何百​回​も「万軍​の​エホバ」と​呼ん​で​い​ます。(サムエル​第​一 1:3)エホバ​は​強力​な​霊者​たち​で​成る​大軍​の​司令​官​な​の​です。エホバ​は,地上​の​僕​たち​も​軍隊​に​なぞらえ​て​おら​れ​ます。(詩編 68:11。エゼキエル 37:1‐10)エホバ​が​権威​を​与え​て​おら​れる​人​たち​に​わたしたち​が​反逆​する​なら,霊的​な​仲間​の​兵士​たち​を​危険​に​さらす​こと​に​なら​ない​でしょ​う​か。一​人​の​クリスチャン​が,任命​さ​れ​た​長老​たち​に​逆らう​なら,会衆​の​他​の​人​たち​も​苦しみ​ます。(コリント​第​一 12:14,25,26)一​人​の​子​が​反抗​する​と,家族​全体​が​苦しみ​ます。ですから​わたしたち​は,敬意​に​満ち​た​協力​の​精神​を​培う​こと​に​よっ​て,仲間​の​人間​へ​の​愛​を​示す​の​です。

10,11 自分​の​益​を​適度​に​願う​気持ち​は,権威​に​従う​点​で​どの​よう​に​わたしたち​を​動かし​ます​か。

10 また,わたしたち​が​権威​に​敬意​を​払う​の​は,それ​が​自分​に​とっ​て​最善​の​事​だ​から​で​も​あり​ます。エホバ​は,権威​に​敬意​を​払う​よう​求める​際​に​しばしば,その​益​を​述べ​て​おら​れ​ます。例えば,幸せ​に​長く​生きる​ため​に​親​に​従い​なさい,と​子ども​に​命じ​て​おら​れ​ます。(申命記 5:16。エフェソス 6:2,3)また,霊的​な​害​を​被る​こと​の​ない​よう​に​会衆​の​長老​たち​に​敬意​を​払い​なさい,と​わたしたち​に​命じ​て​おら​れ​ます。(ヘブライ 13:7,17)自分​自身​の​保護​と​なる​の​で​世俗​の​権威​に​従い​なさい,と​も​命じ​て​おら​れ​ます。―ローマ 13:4

11 エホバ​は​わたしたち​が​従う​こと​を​望ん​で​おら​れ​ます​が,その​理由​を​知っ​て​いれ​ば,権威​に​敬意​を​払い​やすく​なる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。では,生活​上​の​主​な​三つ​の​分野​で​どの​よう​に​権威​に​敬意​を​示せる​か​を​考え​て​み​ましょ​う。

家庭​内​で​の​敬意

12 エホバ​は​夫(また​父親)に​家庭​内​で​の​どんな​役割​を​与え​て​おら​れ​ます​か。男性​は​その​役割​を​どの​よう​に​果たせ​ます​か。

12 家族​と​いう​取り決め​は,エホバ​が​お造り​に​なり​まし​た。秩序​の​神​エホバ​は,うまく​機能​する​よう​に​家族​を​組織​し​て​おら​れ​ます。(コリント​第​一 14:33)夫(また​父親)に,家族​の​頭​と​し​て​行動​する​権威​を​与え​て​おら​れ​ます。夫​は,自分​の​頭​で​ある​キリスト​・​イエス​に​敬意​を​示し,会衆​に​対する​イエス​の​頭​の​権​の​行使​の​仕方​に​倣い​ます。(エフェソス 5:23)自分​の​責任​を​放棄​せ​ず,雄々しく​担い​ます。横暴​だっ​たり​厳しかっ​たり​せ​ず,愛​が​あり,道理​を​わきまえ,親切​に​し​ます。自分​の​権威​が​相対​的​な​もの​で​ある​こと​を​忘れ​ませ​ん。その​権威​が​エホバ​の​権威​を​超える​こと​は​決して​ない​の​です。

クリスチャン​の​父親​は,頭​の​権​の​行使​の​仕方​に​関し​て​キリスト​に​倣う

13 妻(また​母親)は​どの​よう​に,エホバ​に​喜ば​れる​仕方​で​家庭​内​で​の​役割​を​果たせ​ます​か。

13 妻(また​母親)は,夫​の​助け手​また​補う​もの​と​し​て​行動​し​ます。彼女​も​家庭​内​で​の​権威​を​授け​られ​て​おり,聖書​は「母​の​律法」に​つい​て​述べ​て​い​ます。(箴言 1:8)もちろん,その​権威​は​夫​の​権威​に​従属​する​もの​です。クリスチャン​の​妻​は,夫​が​家族​の​頭​と​し​て​の​役割​を​果たす​の​を​助ける​こと​に​より,夫​の​権威​に​敬意​を​示し​ます。夫​を​軽んじ​たり,操っ​たり,夫​の​立場​を​奪い取っ​たり​は​し​ませ​ん。夫​を​支え,協力​し​ます。夫​の​決定​が​自分​の​望み​と​合わ​ない​とき,敬意​を​こめ​て​自分​の​考え​を​述べる​こと​も​あり​ます​が,柔順​さ​を​保ち​ます。夫​が​未​信者​の​場合,妻​は​難しい​状況​に​直面​する​でしょ​う。と​は​いえ,夫​は​妻​の​柔順​な​行状​に​動かさ​れ​て​エホバ​を​求める​よう​に​なる​か​も​しれ​ませ​ん。―ペテロ​第​一 3:1,2

14 子ども​は​どの​よう​に​親​と​エホバ​に​喜び​を​もたらせ​ます​か。

14 子ども​は,父​や​母​に​従う​こと​に​よっ​て,エホバ​の​心​を​喜ばせ​ます。親​に​も​誉れ​と​喜び​を​もたらし​ます。(箴言 10:1)ひとり親​家庭​の​子ども​も,従順​に​関する​同じ​原則​を​当てはめ​ます。親​が​支え​や​協力​を​いっそう​必要​と​し​て​いる​か​も​しれ​ない​と​考え​て,そう​し​ます。神​の​定め​た​役割​を​家族​全員​が​果たす​家庭​は,平和​と​喜び​に​あふれ​ます。そして​それ​は,すべて​の​家族​の​創始​者​で​ある​エホバ​神​の​賛美​と​なる​の​です。―エフェソス 3:14,15

会衆​内​で​の​敬意

15 (イ)エホバ​の​権威​に​敬意​を​抱い​て​いる​こと​を,会衆​内​で​どの​よう​に​示せ​ます​か。(ロ)どんな​原則​は,指導​の​任​に​当たっ​て​いる​人​たち​に​従う​助け​に​なり​ます​か。(『 指導​の​任​に​当たっ​て​いる​人​たち​に​従い​なさい』と​いう​囲み​を​ご覧​ください。)

15 エホバ​は,み子​を​クリスチャン​会衆​の​支配​者​に​任じ​て​おら​れ​ます。(コロサイ 1:13)そして​イエス​は,地上​の​神​の​民​の​霊的​な​必要​を​世話​する​割り当て​を「忠実​で​思慮深い​奴隷」に​与え​て​い​ます。(マタイ 24:45‐47)その​奴隷​級​を,エホバ​の​証人​の​統治​体​が​代表​し​て​い​ます。1​世紀​の​クリスチャン​会衆​の​場合​と​同じく,今日​の​長老​たち​は​統治​体​から​の​指示​や​助言​を,直接​に,あるいは旅行​する​監督など​の​代表​者​を​通し​て​受け​ます。わたしたち​各人​は,クリスチャン​の​長老​たち​の​権威に​敬意​を​払う​とき,エホバ​に​従っ​て​いる​こと​に​なり​ます。―ヘブライ 13:17

16 どんな​意味​で,長老​は​聖霊​に​よっ​て​任命​さ​れる,と​言え​ます​か。

16 長老​と​奉仕​の​僕​も​完全​で​は​あり​ませ​ん。わたしたち​と​同様,欠点​が​あり​ます。それでも​長老​たち​は,会衆​が​霊的​な​強さ​を​保つ​助け​と​し​て​与え​られ​た「人々​の​賜物」です。(エフェソス 4:8長老​は​聖霊​に​よっ​て​任命され​ます。(使徒 20:28)どうして​そう​言え​ます​か。まず,その​人​は​神​の​霊感​に​よる​言葉​に​記さ​れ​て​いる​資格​を​満たし​て​い​なけれ​ば​なら​ない​から​です。(テモテ​第​一 3:1‐7,12。テトス 1:5‐9)さらに,その​兄弟​の​資格​を​考慮​する​長老​たち​は,エホバ​の​聖霊​の​導き​を​真剣​に​祈り​求め​ます。

17 会衆​の​活動​に​おい​て​クリスチャン​の​女性​が​頭​の​覆い​を​着ける​こと​が​ある​の​は​なぜ​です​か。

17 会衆​に​おい​て,野外​奉仕​の​ため​の​集まり​の​司会​など,通常​なら​長老​や​奉仕​の​僕​に​割り当て​られる​べき​仕事​を​果たせる​長老​や​奉仕​の​僕​が​い​ない,と​いう​時​が​ある​か​も​しれ​ませ​ん。そう​し​た​場合,バプテスマ​を​受け​た​他​の​兄弟​が​代わり​を​務め​ます。その​よう​な​兄弟​も​い​ない​なら,資格​ある​姉妹​が​その​必要​を​満たし​ます。と​は​いえ,通常​なら​バプテスマ​を​受け​た​男子​に​割り当て​られる​べき​役割​を​果たす​場合,女性​は​頭​の​覆い​を​着け​ます。 *コリント​第​一 11:3‐10)この​要求​は​女性​を​低める​もの​で​は​あり​ませ​ん。この​要求​に​従う​とき,家庭​で​も​会衆​で​も​頭​の​権​に​関する​エホバ​の​取り決め​に​敬意​を​示す​こと​が​できる​の​です。

世俗​の​権威​に​対する​敬意

18,19 (イ)あなた​は​ローマ 13​章​1‐7​節​の​原則​を​どの​よう​に​説明​し​ます​か。(ロ)わたしたち​は​世俗​の​権威​に​どの​よう​に​敬意​を​示し​ます​か。

18 真​の​クリスチャン​は,ローマ 13​章​1‐7​節​の​原則​を​良心​的​に​固守​し​ます。その​部分​全体​を​読む​と​分かり​ます​が,そこ​に​出​て​くる「上位​の​権威」は​世俗​の​政府​を​指し​ます。そう​し​た​人間​の​政府​は,エホバ​に​よっ​て​存在​を​許さ​れ​て​いる​間,重要​な​役目​を​果たし,ある​程度​の​秩序​を​保つ​と​とも​に​必要​な​サービス​を​提供​し​ます。わたしたち​は,法​を​守る​こと​に​より,そう​し​た​権威​に​敬意​を​示し​ます。払う​べき​税​を​すべて​支払い,政府​の​求める​用紙​類​に​きちんと​記入​し,自分​や​家族​や​仕事​や​所有​物​に​関する​法律​を​遵守​する​よう​心がけ​ます。と​は​いえ,神​に​背く​よう​な​こと​を​要求​さ​れる​場合​に​は,世俗​の​権威​に​服し​ませ​ん。昔​の​使徒​たち​と​同じく,「わたしたち​は,自分​たち​の​支配​者​と​し​て​人間​より​神​に​従わ​ね​ば​なり​ませ​ん」と​いう​態度​を​取り​ます。―使徒 5:28,29。「 だれ​の​権威​に​従う​べき​か」と​いう​囲み​を​ご覧​ください。

19 人​と​の​接し方​に​よっ​て​も​世俗​の​権威​に​敬意​を​示し​ます。政府​の​役人​と​接する​場合​など​です。使徒​パウロ​は,王​ヘロデ​・​アグリッパ​や​総督​フェスト​に​会っ​た​際,重大​な​欠点​の​あっ​た​それら​支配​者​たち​に​も​敬意​を​もっ​て​語りかけ​まし​た。(使徒 26:2,25)わたしたち​は,相手​が​権力​の​ある​支配​者​で​あれ​地元​の​警察​官​で​あれ,パウロ​の​手本​に​倣い​ます。若い​クリスチャン​は​学校​で,先生​や​学校​職員​に​同様​の​敬意​を​示す​よう​に​努め​ます。わたしたち​は,信条​を​認め​て​くれる​人​だけ​に​敬意​を​払う​の​で​は​あり​ませ​ん。エホバ​の​証人​に​敵意​を​抱く​人​に​も​敬意​を​もっ​て​接し​ます。実​の​ところ,不​信者​全般​が​わたしたち​の​敬意​を​感じ取れる​よう​で​ある​べき​な​の​です。―ローマ 12:17,18。ペテロ​第​一 3:15

20,21 権威​に​対し​て​ふさわしい​敬意​を​示す​なら,どんな​祝福​が​得​られ​ます​か。

20 敬意​を​示す​点​で,出し惜しみ​し​ない​よう​に​し​ましょ​う。使徒​ペテロ​は,『あらゆる​人​を​敬い​なさい』と​書い​て​い​ます。(ペテロ​第​一 2:17)人々​は,わたしたち​が​抱く​真​の​敬意​を​感じ取る​と,強く​心​を​動かさ​れる​でしょ​う。この​特質​は​ますます​まれ​な​もの​と​なっ​て​い​ます。ですから,敬意​を​示す​こと​は,イエス​の​次​の​命令​に​留意​し​て​いる​こと​に​なり​ます。「あなた方​の​光​を​人々​の​前​に​輝かせ,人々​が​あなた方​の​りっぱ​な​業​を​見​て,天​に​おら​れる​あなた方​の​父​に​栄光​を​帰する​よう​に​し​なさい」。―マタイ 5:16

21 この​闇​の​世​に​あっ​て,心​の​優しい​人​たち​は​霊的​な​光​に​引き寄せ​られ​ます。わたしたち​が​家庭​や​会衆​や​世俗​的​な​場​で​敬意​を​示す​なら,人々​は​魅力​を​感じ,とも​に​光​の​うち​を​歩む​よう​に​なる​か​も​しれ​ませ​ん。何​と​喜ばしい​見込み​でしょ​う。そう​なら​ない​と​し​て​も,一つ​の​こと​は​確か​です。わたしたち​が​人​に​敬意​を​払う​なら,エホバ​神​は​お喜び​に​なり,わたしたち​は​神​の​愛​の​うち​に​とどまれる​の​です。これ​に​勝る​報い​が​ある​でしょ​う​か。

^ 17節 付録​の「頭​の​覆い ― いつ,また​なぜ」と​いう​項目​で,この​原則​の​当てはまる​具体​例​が​取り上げ​られ​て​い​ます。