第​4​章

イエス・キリストはどんな方ですか

イエス・キリストはどんな方ですか
  • イエス​に​は​どんな​特別​な​役割​が​あり​ます​か。

  • イエス​は​どこ​から​来​まし​た​か。

  • イエス​は​人間​と​し​て​どんな​方​でし​た​か。

1,2 (イ)有名​な​人​な​の​で​知っ​て​いる​と​いう​こと​と,その​人​を​本当​に​知っ​て​いる​こと​と​は​別​問題​です。どうして​そう​言え​ます​か。(ロ)イエス​に​つい​て,人々​の​考え​は​どの​よう​に​混乱​し​て​い​ます​か。

世界​に​は​有名​な​人​が​大勢​い​ます。その​人​が​住ん​で​いる​町​や​都市,国​で​よく​知ら​れ​て​いる​場合​も​あれ​ば,世界​中​に​名​が​知れ渡っ​て​いる​場合​も​あり​ます。しかし,有名​な​人​の​名前​を​知っ​て​いる​だけ​で​は,その​人​を​本当​に​知っ​て​いる​こと​に​は​なり​ませ​ん。その​人​の​育ち​や​経歴​の​詳細,本当​の​人柄​を​知っ​て​いる​こと​に​は​なら​ない​の​です。

2 イエス​・​キリスト​は​今​から​2,000​年​ほど​前​に​地上​で​生活​し​て​い​まし​た​が,この​人​に​つい​て​は​今​で​も​世界​中​の​人​たち​が​ある​程度​の​こと​を​聞い​て​知っ​て​い​ます。それでも,イエス​は​実際​に​どんな​方​だっ​た​の​か​と​いう​点​に​なる​と,多く​の​人​の​考え​は​混乱​し​て​い​ます。イエス​は​良い​人​だ​が​それ​だけ​の​こと​だ​と​いう​人​も​いれ​ば,イエス​は​預言​者​の​一​人​に​過ぎ​ない​と​唱える​人​も​い​ます。さらには,イエス​は​神​ご自身​で​あり,崇拝​さ​れる​べき​方​で​ある,と​信じる​人​たち​も​い​ます。しかし,イエス​を​崇拝​する​の​は​正しい​こと​でしょ​う​か。

3 イエス​に​関する​真理​を​知る​こと​が​重要​な​の​は,なぜ​です​か。

3 イエス​に​関する​真理​を​知る​の​は​重要​な​こと​です。なぜ​でしょ​う​か。聖書​が​こう​述べ​て​いる​から​です。「彼ら​が,唯一​まこと​の​神​で​ある​あなた​と,あなた​が​お遣わし​に​なっ​た​イエス​・​キリスト​に​つい​て​の​知識​を​取り入れる​こと,これ​が​永遠​の​命​を​意味​し​て​い​ます」。(ヨハネ 17:3)そう​です,エホバ​神​と​イエス​・​キリスト​に​関する​真理​を​知る​なら,楽園​の​地​で​永遠​の​命​を​得る​こと​が​できる​の​です。(ヨハネ 14:6)さらに​イエス​は,どの​よう​に​生きる​か,どの​よう​に​人​と​接する​か​に​つい​て​も,最も​優れ​た​手本​を​示し​て​ください​まし​た。(ヨハネ 13:34,35)この​本​の1​章では,神​に​関する​真理​を​取り上げ​まし​た。この​章​で​は,イエス​・​キリスト​に​つい​て​聖書​が​実際​に​何​を​教え​て​いる​か​考え​ましょ​う。

約束​の​メシア

4 「メシア」および「キリスト」と​いう​称号​に​は​どんな​意味​が​あり​ます​か。

4 聖書​は​イエス​が​生ま​れる​ずっ​と​前,神​が​メシア​つまり​キリスト​と​し​て​遣わす​方​の​到来​に​つい​て​予告​し​て​い​まし​た。この「メシア」(元​は​ヘブライ​語)および「キリスト」(元​は​ギリシャ​語)と​いう​称号​に​は,いずれ​も「油そそが​れ​た​者」と​いう​意味​が​あり​ます。約束​さ​れ​た​この​方​は​油そそが​れる,つまり,特別​な​地位​に​就く​よう​神​から​任命​さ​れる​こと​に​なっ​て​い​まし​た。神​の​約束​が​果たさ​れ​て​いく​上​で​メシア​が​占める​重要​な​立場​に​つい​て​は,この​本​の​後​の​章​で​もっと​詳しく​学び​ます。イエス​が​今​で​さえ​祝福​を​与え​て​くださる​こと​に​つい​て​も​後​で​学び​ます。しかし,イエス​が​生ま​れる​まで​は,多く​の​人​が,『だれ​が​メシア​に​なる​の​だろ​う』と​思っ​て​い​た​に​違いあり​ませ​ん。

5 イエス​の​弟子​たち​は​イエス​に​つい​て,何​を​確信​し​て​い​まし​た​か。

5 西暦​1​世紀,ナザレ​の​イエス​の​弟子​たち​は,イエス​こそ​予告​さ​れ​て​い​た​メシア​で​ある​と​いう​確信​を​抱い​て​い​まし​た。(ヨハネ 1:41)弟子​の​一​人​で​ある​シモン​・​ペテロ​は​イエス​に,『あなた​は​キリスト​です』と​はっきり​言い​まし​た。(マタイ 16:16)しかし,それら​の​弟子​たち​は,どうして​イエス​が​実際​に​約束​の​メシア​で​ある​こと​を​確信​でき​た​の​でしょ​う​か。どう​すれ​ば​わたしたち​も​確信​できる​でしょ​う​か。

6 エホバ​は,忠実​な​人​たち​が​メシア​を​見分け​られる​よう,どの​よう​な​助け​を​お与え​に​なり​まし​た​か。例え​で​説明​し​て​ください。

6 イエス​より​も​前​の​神​の​預言​者​たち​は,メシア​に​つい​て​多く​の​細かい​点​を​予告​し​て​い​まし​た。それら​の​細かい​点​は,人々​が​メシア​を​見分ける​助け​に​なり​ます。その​こと​は​次​の​例え​で​考える​こと​が​できる​でしょ​う。仮に,人​の​大勢​いる​バス停​か​駅​もしくは​空港​に​行っ​て,全く​面識​の​ない​人​を​出迎える​よう​に​頼ま​れ​た​と​し​ましょ​う。その​よう​な​とき,その​人​に​つい​て​細かい​点​を​少し​でも​教え​て​くれる​人​が​い​たら,助け​に​なる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。同じ​よう​に​エホバ​は​聖書​の​預言​者​を​通し​て,メシア​が​何​を​行ない,どんな​経験​を​する​か​に​つい​て,かなり​細かい​情報​を​お与え​に​なり​まし​た。その​よう​な​多く​の​預言​の​成就​は,忠実​な​人​たち​が​メシア​を​はっきり​見分ける​助け​に​なる​こと​でしょ​う。

7 イエス​に​関連​し​て​成就​し​た​預言​の​うち,二つ​を​挙げ​て​ください。

7 二つ​の​例​だけ​を​取り上げ​て​考え​ましょ​う。一​つ​目​と​し​て,預言​者​ミカ​は​約束​の​メシア​が​ユダ​の​地​の​小さな​町​ベツレヘム​で​生ま​れる​こと​を,その​700​年​以上​前​に​予告​し​て​い​まし​た。(ミカ 5:2)では,イエス​は​実際​に​どこ​で​生ま​れ​た​でしょ​う​か。予告​さ​れ​て​い​た​まさに​その​町​でし​た。(マタイ 2:1,3‐9)二​つ​目​と​し​て,ダニエル 9​章​25​節​に​記さ​れ​て​いる​預言​は,メシア​が​登場​する​年,つまり​西暦​29​年を​その​幾​世紀​も​前​に​指し示し​て​い​まし​た。 * こう​し​た​預言​の​成就​は,イエス​が​約束​の​メシア​で​ある​こと​の​証拠​と​なり​ます。

イエス​は​バプテスマ​の​時​に,メシア​つまり​キリスト​に​なっ​た

8,9 バプテスマ​の​時,イエス​が​メシア​で​ある​こと​の​どんな​証拠​が​明らか​に​され​まし​た​か。

8 西暦​29​年​の​終わり​ごろ,イエス​が​メシア​で​ある​こと​の​別​の​証拠​が​明らか​に​され​まし​た。西暦​29​年​と​いう​の​は,イエス​が​ヨルダン​川​で​バプテスマ​を​受ける​ため,バプテスマ​を​施す​人​ヨハネ​の​もと​に​行っ​た​年​です。それ​より​も​前​に​エホバ​は,ヨハネ​が​メシア​を​見分ける​こと​が​できる​よう,一つ​の​しるし​を​与える​と​約束​し​て​おら​れ​まし​た。ヨハネ​が​その​しるし​を​見​た​の​は,イエス​の​バプテスマ​の​時​です。ヨハネ​は​この​よう​に​証し​し​て​い​ます。「わたし​は,霊​が​天​から​はと​の​よう​に​下っ​て​来る​の​を​見​まし​た​が,それ​は​この​方​の​上​に​とどまり​まし​た。わたし​も​その​方​を​知り​ませ​ん​でし​た​が,水​で​バプテスマ​を​施す​よう​に​わたし​を​遣わし​た​方​が,『あなた​は​霊​が​下っ​て​ある​人​の​上​に​とどまる​の​を​見る​が,それ​が​だれ​で​あろ​う​と,その​者​こそ​聖霊​で​バプテスマ​を​施す​者​で​ある』と​わたし​に​言わ​れ​まし​た。そして​わたし​は​それ​を​見​た​の​で,この​方​こそ​神​の​子​で​ある​と​証し​し​た​の​です」。(ヨハネ 1:32‐34。マタイ 3:16,17)ヨハネ​は​この​時​の​光景​を​見,この​時​の​声​を​聞い​た​後,イエス​が​神​から​遣わさ​れ​た​方​で​ある​こと​を​全く​疑い​ませ​ん​でし​た。その​日,神​の​霊​つまり​活動​する​力​が​イエス​に​注ぎ出さ​れ​た​時​に,イエス​は​メシア​つまり​キリスト​に​なり​まし​た。指導​者​と​し​て,また​王​と​し​て​任命​さ​れ​た​の​です。―イザヤ 55:4

9 イエス​が​約束​の​メシア​で​ある​こと​は,聖書​預言​の​成就​と​エホバ​神​ご自身​の​証し​に​より,はっきり​示さ​れ​まし​た。しかし​聖書​は,イエス​・​キリスト​に​関する​別​の​二つ​の​重要​な​質問​に​答え​て​い​ます。それ​は,イエス​は​どこ​から​来​た​か,そして,イエス​は​人間​と​し​て​どんな​方​だっ​た​か,と​いう​こと​です。

イエス​は​どこ​から​来​た​か

10 聖書​は,地上​に​来る​前​の​イエス​の​存在​に​つい​て,何​を​教え​て​い​ます​か。

10 聖書​は,イエス​が​地上​に​来る​前,天​で​生活​し​て​おら​れ​た​こと​を​教え​て​い​ます。ミカ​は​メシア​が​ベツレヘム​で​生ま​れる​こと​を​預言​し​た​際,その​者​の​起こり​は「遠い​昔​から」で​ある,と​も​述べ​まし​た。(ミカ 5:2)イエス​ご自身,人間​と​し​て​生ま​れる​前​に​天​で​生活​し​て​い​た​と​何​度​も​述べ​て​おら​れ​ます。(ヨハネ 3:13; 6:38,62; 17:4,5)イエス​は​霊​の​被​造物​と​し​て​天​に​おら​れ,エホバ​と​特別​な​関係​に​あり​まし​た。

11 聖書​は​イエス​が​エホバ​の​最も​大切​な​子​で​あっ​た​こと​を,どの​よう​に​示し​て​い​ます​か。

11 イエス​は​エホバ​の​最も​大切​な​子​でし​た。それ​に​は​もっとも​な​理由​が​あり​まし​た。イエス​は​神​に​よる​最初​の​創造​物​だっ​た​の​で「全​創造​物​の​初子」と​呼ば​れ​て​い​ます。 *コロサイ 1:15)この​み子​が​特別​で​ある​こと​に​は​別​の​理由​も​あり​ます。「独り子」な​の​です。(ヨハネ 3:16)つまり,神​から​直接​に​創造​さ​れ​た​の​は,み子​だけ​でし​た。また,神​が​他​の​すべて​の​もの​を​創造​し​た​時​に​お用い​に​なっ​た​の​も,み子​だけ​でし​た。(コロサイ 1:16)さらに,イエス​は「言葉」と​も​呼ば​れ​て​い​ます。(ヨハネ 1:14)この​表現​から​すれ​ば,イエス​は​神​の​代弁​を​し,霊者​で​あれ​人間​で​あれ,み父​の​他​の​子​たち​に​情報​や​指示​を​与え​た​に​違いあり​ませ​ん。

12 神​の​初子​が​神​と​同等​で​ない​と​言える​の​は,なぜ​です​か。

12 この​初子​は,ある​人​たち​が​考え​て​いる​よう​に,神​と​同等​な​の​でしょ​う​か。聖書​は​その​よう​に​は​教え​て​い​ませ​ん。すぐ​前​の​節​で​学ん​だ​よう​に,み子​は​神​に​よっ​て​創造​さ​れ​まし​た。ですから​当然,み子​に​は​始まり​が​あり​ます。一方,エホバ​神​に​は​始まり​も​終わり​も​あり​ませ​ん。(詩編 90:2)この​独り子​は,自分​が​父​と​同等​で​あろ​う​と​する​こと​など​少し​も​考え​ませ​ん​でし​た。聖書​は,父​が​み子​より​偉大​で​ある​こと​を​はっきり​示し​て​い​ます。(ヨハネ 14:28。コリント​第​一 11:3)エホバ​だけ​が「全能​の​神」で​あら​れ​ます。(創世記 17:1)ですから​エホバ​と​同等​の​者​など​存在​し​ませ​ん。 *

13 み子​は「見え​ない​神​の​像」で​ある​と​いう​聖書​の​言葉​は,どう​いう​意味​です​か。

13 エホバ​と​その​初子​は​計り知れない​ほど​長い​間,親密​な​交わり​を​楽しみ​まし​た。星​の​輝く​天​と​地球​が​創造​さ​れる​ずっ​と​前​から​です。この​お二方​は​互い​を​深く​愛し​て​おら​れ​た​に​違いあり​ませ​ん。(ヨハネ 3:35; 14:31)貴重​な​この​み子​は​父​に​よく​似​て​い​まし​た。ですから​聖書​は​この​み子​の​こと​を「見え​ない​神​の​像」と​表現​し​て​い​ます。(コロサイ 1:15)人間​の​場合​で​も​子​が​いろいろ​な​点​で​父親​と​よく​似​て​いる​の​と​同じ​で,この​天的​な​子​も,み父​の​特質​や​性格​を​反映​し​て​い​た​の​です。

14 エホバ​の​独り子​は,どの​よう​な​方法​で,人間​と​し​て​生ま​れ​まし​た​か。

14 エホバ​の​独り子​で​ある​この​方​は,進ん​で​天​を​後​に​し,地​に​下っ​て​き​て​人間​と​し​て​生活​し​まし​た。しかし,『どうして​霊​の​被​造物​が​人間​と​し​て​生ま​れ​て​くる​こと​が​でき​た​の​か』と​不思議​に​思う​人​も​いる​でしょ​う。それ​を​成し遂げる​ため​に,エホバ​は​奇跡​を​行なわ​れ​まし​た。初子​の​命​を​天​から​ユダヤ​人​の​処女​マリア​の​胎内​に​移さ​れ​た​の​です。人間​の​父親​は​関係​し​て​い​ませ​ん​でし​た。この​よう​に​し​て​マリア​は​完全​な​子​を​生み,イエス​と​名づけ​まし​た。―ルカ 1:30‐35

イエス​は​人間​と​し​て​どんな​方​だっ​た​か

15 イエス​を​通し​て​エホバ​を​詳しく​知る​よう​に​なる,と​言える​の​は​なぜ​です​か。

15 イエス​を​よく​知る​ため​に​役立つ​の​は,地上​に​おら​れ​た​時​に​イエス​が​何​を​行ない,何​を​話さ​れ​た​か​と​いう​こと​です。さらに,わたしたち​は​イエス​を​通し​て,エホバ​を​詳しく​知る​よう​に​なり​ます。どうして​そう​言える​の​でしょ​う​か。この​み子​が​父​エホバ​を​完全​に​反映​し​て​い​た​こと​を​思い起こし​て​ください。ですから​イエス​は​弟子​たち​の​一​人​に,「わたし​を​見​た​者​は,父​を​も​見​た​の​です」と​言い​まし​た。(ヨハネ 14:9)聖書​の​中​で​福音​書​と​し​て​知ら​れる​四つ​の​本 ― マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネ ― は,イエス​・​キリスト​の​生活​や​活動​や​人格​特性​に​つい​て​多く​の​こと​を​教え​て​くれ​ます。

16 イエス​が​伝え​た​おも​な​音信​は​何​でし​た​か。イエス​の​教え​は​どこ​から​来​て​い​まし​た​か。

16 イエス​は「師」つまり​教え手​と​し​て​有名​でし​た。(ヨハネ 1:38; 13:13)何​を​教え​た​の​でしょ​う​か。イエス​の​伝え​た​メッセージ​すなわち​音信​は​おもに「王国​の​良い​たより」でし​た。つまり,天​の​政府​で​ある​神​の​王国​が​地上​全体​を​支配​し,従順​な​人​たち​に,いつ​まで​も​続く​祝福​を​もたらす,と​いう​こと​です。(マタイ 4:23)これ​は​だれ​から​の​音信​でし​た​か。イエス​ご自身,「わたし​の​教え​は​わたし​の​もの​で​は​なく,わたし​を​遣わし​た​方[エホバ]に​属する​もの​です」と​述べ​て​おら​れ​ます。(ヨハネ 7:16)人間​が​王国​の​良い​たより​を​聞く​こと​は​父​エホバ​の​願い​で​あり,イエス​は​その​こと​を​ご存じ​でし​た。神​の​王国​と​それ​が​成し遂げる​事柄​に​つい​て​は,この​本​の8​章で​詳しく​学び​ます。

17 イエス​は​どこ​で​教え​まし​た​か。イエス​が​人々​を​教える​こと​に​非常​に​力​を​注い​だ​の​は​なぜ​です​か。

17 イエス​は​どこ​で​教え​た​でしょ​う​か。野原​で​も,都市​で​も,村​で​も,市場​で​も,人々​の​家​で​も,とにかく​人​の​いる​所​なら​どこ​で​でも​教え​まし​た。人​が​自分​の​ところ​に​来る​の​を​待た​ず,自分​の​ほう​から​出かけ​て​行き​まし​た。(マルコ 6:56。ルカ 19:5,6)イエス​が​そこ​まで​力​を​注ぎ,多く​の​時間​を​割い​て​宣べ伝え,教え​た​の​は​なぜ​でしょ​う​か。その​よう​に​する​の​が​イエス​に​対する​神​の​ご意志​だっ​た​から​です。イエス​は​常​に​父​の​ご意志​を​行ない​まし​た。(ヨハネ 8:28,29)しかし,その​よう​に​宣べ伝え​た​理由​は​ほか​に​も​あり​まし​た。イエス​は​ご自分​に​会い​に​来​た​大勢​の​人々​に​同情​さ​れ​た​の​です。(マタイ 9:35,36)その​人々​は,本来​なら​神​と​神​の​目的​に​関する​真理​を​教え​て​いる​べき​宗教​指導​者​から​無視​さ​れ​て​い​まし​た。人々​が​どれ​ほど​王国​に​関する​音信​を​必要​と​し​て​い​た​か,イエス​は​ご存じ​でし​た。

18 イエス​の​特質​の​中​で,最も​心​を​引か​れる​の​は​どんな​点​です​か。

18 イエス​は​温かい​気遣い​と,深い​思いやり​に​あふれ​た​人​でし​た。ですから​人々​は​イエス​が​近づき​やすく​て​親切​で​ある​こと​を​実感​し​まし​た。子ども​で​さえ,安心​し​て​イエス​と​一緒​に​いる​こと​が​でき​まし​た。(マルコ 10:13‐16)イエス​は​えこひいき​を​し​ませ​ん​でし​た。不正​な​こと​や​公正​に​反する​こと​を​憎み​まし​た。(マタイ 21:12,13)女性​が​あまり​大切​に​され​ず,権利​も​ほとんど​与え​られ​なかっ​た​時代​に,女性​の​尊厳​を​認め​た​接し方​を​され​まし​た。(ヨハネ 4:9,27)イエス​は​真に​謙遜​な​方​でし​た。使徒​たち​の​足​を​洗っ​た​こと​も​あり​ます。これ​は​普通,身分​の​低い​召使い​が​する​仕事​でし​た。

イエス​は​人​が​いる​所​なら​どこ​で​でも​宣べ伝え​た

19 イエス​が​他​の​人​の​必要​と​し​て​いる​もの​を​敏感​に​感じ取っ​た​と​いう​こと​は,どんな​例​から​分かり​ます​か。

19 イエス​は,他​の​人​が​必要​と​し​て​いる​もの​を​敏感​に​感じ取り​まし​た。それ​が​特に​はっきり​分かる​の​は,神​の​霊​の​力​の​もと​で,いやし​の​奇跡​を​行なわ​れ​た​時​です。(マタイ 14:14)例えば​この​よう​な​こと​が​あり​まし​た。今​で​言う​ハンセン​病​に​かかっ​た​人​が​イエス​の​ところ​に​来​て,「あなた​は,ただそ​う​お望み​に​なる​だけ​で,私​を​清く​する​こと​が​おでき​に​なり​ます」と​言い​まし​た。イエス​は​この​人​の​痛み​と​苦しみ​を​感じ取り​ます。そして​哀れ​に​思い,手​を​伸ばし​て​その​人​に​触り,「わたし​は​そう​望み​ます。清く​なり​なさい」と​言い​ます。すると,病気​の​その​人​は​いやさ​れ​ます。(マルコ 1:40‐42)この​人​が​その​時​に​どう​感じ​た​か,想像​できる​でしょ​う​か。

終わり​まで​忠実

20,21 忠節​な​態度​で​神​に​従う​と​いう​点​で,イエス​は​どの​よう​な​手本​を​残さ​れ​まし​た​か。

20 イエス​は​神​に​忠節​を​尽くし​て​従う​と​いう​点​で,最高​の​手本​を​残さ​れ​まし​た。どんな​状況​の​もと​で​も,いかなる​反対​や​苦しみ​に​も​負け​ず,天​の​み父​に​忠実​を​保た​れ​た​の​です。サタン​に​誘惑​さ​れ​た​時​は​断固​と​し​て​抵抗​し,その​誘惑​に​打ち勝ち​まし​た。(マタイ 4:1‐11)親族​の​何​人​か​が​イエス​に​信仰​を​持た​ず,彼​は『気​が​変​だ』と​まで​言っ​た​こと​も​あり​ます。(マルコ 3:21)しかし​イエス​は​そういう​親族​に​は​影響​さ​れ​ず,神​の​業​を​ずっ​と​行ない​続け​まし​た。反対​者​たち​に​危害​を​加え​よう​など​と​は​決して​考え​ず,侮辱​され​虐待​さ​れ​て​も​自制​心​を​保ち​まし​た。―ペテロ​第​一 2:21‐23

21 イエス​は​死​に​至る​まで​忠実​を​保ち​まし​た。その​死​は,敵​の​手​に​よる​残酷​で​激しい​痛み​を​伴う​もの​でし​た。(フィリピ 2:8)人間​と​し​て​の​生涯​の​最後​の​日​に​イエス​が​どんな​こと​を​耐え忍ん​だ​か,考え​て​み​ましょ​う。逮捕​さ​れ,偽り​の​証人​から​告発​さ​れ,不正​を​行なう​裁判​官​から​有罪​を​言い渡さ​れ,群衆​の​笑い​もの​に​され,兵士​たち​から​ひどく​苦しめ​られ​まし​た。杭​に​くぎづけ​に​され,息​を​引き取る​間際​に,「成し遂げ​られ​た!」と​叫び​まし​た。(ヨハネ 19:30)しかし,イエス​の​死後​3​日​目​に,天​の​父​は​イエス​を​霊​の​命​へ​と​復活​さ​せ​ます。(ペテロ​第​一 3:18)その​数​週​間​後​イエス​は​天​に​戻り​ます。天​で​は「神​の​右​に​座し」,王​と​し​て​の​権利​を​与え​られる​まで​待ち​まし​た。―ヘブライ 10:12,13

22 イエス​は​死​に​至る​まで​忠実​を​保つ​こと​に​より,何​を​成し遂げ​まし​た​か。

22 イエス​は​死​に​至る​まで​忠実​を​保つ​こと​に​より,何​を​成し遂げ​た​でしょ​う​か。イエス​の​死​は​実際​に,エホバ​の​当初​の​目的​と​調和​し​て,楽園​と​なる​地上​で​わたしたち​が​とこしえ​の​命​を​得る​道​を​開き​まし​た。イエス​の​死​に​よっ​て​どうして​それ​が​可能​に​なる​の​か,その​点​は​次​の​章​で​取り上げ​ます。

^ 7節 イエス​に​関連​し​て​成就​し​た​ダニエル​の​預言​に​つい​て​の​情報​は,付録​の「ダニエル​の​預言​が​予告​し​て​い​た​メシア​の​到来」を​ご覧​ください。

^ 11節 エホバ​は​創造​者​で​あら​れる​の​で,父​と​呼ば​れ​て​い​ます。(イザヤ 64:8)イエス​は​神​に​よっ​て​創造​さ​れ​た​の​で,神​の​子​と​呼ば​れ​て​い​ます。それ​と​同じ​理由​で,他​の​霊​の​被​造物​も​人間​アダム​も,神​の​子​と​呼ば​れ​て​い​ます。―ヨブ 1:6。ルカ 3:38

^ 12節 神​の​初子​が​神​と​同等​で​ない​こと​を​示す​別​の​証拠​に​つい​て​は,付録​の「父,子,聖霊​に​関する​真理」を​ご覧​ください。