第​7​章

亡くなった愛する人についての確かな希望

亡くなった愛する人についての確かな希望
  • 復活​が​本当​に​ある​と​どうして​言え​ます​か。

  • 死者​を​復活​さ​せる​こと​に​つい​て,エホバ​は​どう​感じ​て​おら​れ​ます​か。

  • だれ​が​復活​し​ます​か。

1‐3 人間​は​皆,どんな​敵​に​追わ​れ​て​い​ます​か。聖書​の​教え​に​つい​て​考える​と​安心​できる​の​は​なぜ​です​か。

狂暴​な​敵​から​逃げ​て​いる​自分​の​姿​を​想像​し​て​み​て​ください。敵​の​ほう​が​ずっ​と​強く,スピード​が​あり​ます。情け​容赦​の​ない​敵​です。すでに​あなた​の​友達​を​何​人​か​殺す​の​を​見​て​いる​の​で​それ​が​分かる​の​です。追いつか​れ​ない​よう​に​どんな​に​頑張っ​て​も,どんどん​近づい​て​き​ます。ところが,もう​だめ​だ​と​思っ​た​その​時,自分​の​すぐ​そば​に​救出​者​が​現われ​ます。その​人​は​敵​より​も​はるか​に​強く,しかも​あなた​を​助ける​と​約束​し​て​くれ​ます。その​時​の​ほっ​と​し​た​気持ち​と​いっ​たら​あり​ませ​ん。

2 ある​意味​で,あなた​は​その​よう​な​敵​に​追わ​れ​て​い​ます。人間​は​皆​そう​な​の​です。前​の​章​で​学ん​だ​よう​に,聖書​は​死​を​敵​と​呼ん​で​い​ます。その​敵​に​追いつか​れ​ない​よう​に​する​こと​も,その​敵​を​打ち払う​こと​も,人間​に​は​でき​ませ​ん。わたしたち​の​ほとんど​は,自分​に​とっ​て​大切​な​人​が​この​敵​に​命​を​奪わ​れ​て​しまう​の​を​見​て​き​まし​た。しかし​エホバ​は,死​と​いう​敵​より​ずっ​と​強力​な​方​です。愛​に​満ち​た​救出​者​で​あり,この​敵​を​打ち破る​力​が​ある​こと​を​すでに​示し​て​おら​れ​ます。死​と​いう​この​敵​を​徹底​的​に​滅ぼす​約束​も​し​て​おら​れ​ます。「最後​の​敵​と​し​て,死​が​無​に​帰せ​しめ​られ​ます」と​聖書​は​教え​て​い​ます。(コリント​第​一 15:26)これ​は​まさしく​良い​たより​です。

3 敵​で​ある​死​が​人​を​襲う​とき,どんな​影響​が​ある​か​を​少し​考え​て​み​ましょ​う。その​こと​を​調べる​なら,わたしたち​を​幸福​に​する,ある​事柄​の​価値​が​理解​できる​よう​に​なり​ます。エホバ​は​死者​が​再び​生きる​こと​を​約束​し​て​おら​れる​の​です。(イザヤ 26:19)死者​は​生き返り​ます。これ​が​復活​の​希望​です。

愛する​人​が​亡くなっ​た​時

4 (イ)愛する​人​の​死​に​接し​た​時​の​イエス​の​反応​から,エホバ​の​感情​が​理解​できる​の​は​なぜ​です​か。(ロ)イエス​は​特に​だれ​と​の​友情​を​深め​まし​た​か。

4 愛する​人​と​の​死別​を​経験​し​た​こと​が​おあり​でしょ​う​か。その​苦しみ,深い​悲しみ,無力​感​は​耐え​がたく​思え​ます。その​よう​な​時​に​こそ,神​の​言葉​に​慰め​を​求める​必要​が​ある​でしょ​う。(コリント​第​二 1:3,4)エホバ​と​イエス​が​死​に​関し​て​どう​感じ​て​おら​れる​か​を​理解​する​上​で,聖書​は​助け​に​なり​ます。み父​を​完全​に​反映​し​て​い​た​イエス​は,死別​の​苦しみ​を​ご存じ​でし​た。(ヨハネ 14:9)イエス​は​エルサレム​に​い​た​時,近く​の​町​ベタニヤ​に​住む​ラザロ​と​その​姉妹​マリア​と​マルタ​の​家​を​よく​訪ね,親しい​友​に​なり​まし​た。聖書​に​は,「イエス​は​マルタ​と​その​姉妹​および​ラザロ​を​愛し​て​おら​れ​た」と​記さ​れ​て​い​ます。(ヨハネ 11:5)しかし,前​の​章​で​学ん​だ​よう​に,ラザロ​は​死に​まし​た。

5,6 (イ)イエス​は,深い​悲しみ​に​暮れる​ラザロ​の​家族​や​友人​たち​の​もと​に​来​て,どの​よう​な​反応​を​示し​まし​た​か。(ロ)イエス​の​深い​悲しみ​が​わたしたち​の​励み​に​なる​の​は​なぜ​です​か。

5 イエス​は​友​を​失っ​て​どう​感じ​た​でしょ​う​か。聖書​の​記述​に​よる​と,イエス​は,死別​の​悲しみ​に​暮れる​ラザロ​の​親族​や​友人​たち​の​もと​に​やっ​て​来​まし​た。そして,そこ​に​いる​人々​を​見​て​心​を​痛め​ます。「霊​に​おい​て​うめき,また​苦しみ​を​覚え」ます。それ​から「イエス​は​涙​を​流さ​れ​た」と,聖書​に​は​あり​ます。(ヨハネ 11:33,35)イエス​が​深く​悲しん​だ​の​は,望み​が​なかっ​た​から​な​の​でしょ​う​か。決して​そう​で​は​あり​ませ​ん。実際​イエス​は,その​後​ま​も​なく​すばらしい​こと​が​起こる​の​を​ご存じ​でし​た。(ヨハネ 11:3,4)それでも​イエス​は,死​が​もたらす​苦しみ​と​悲しみ​を​感じ​て​おら​れ​まし​た。

6 イエス​が​深く​悲しん​だ​こと​は,ある​意味​で​わたしたち​の​励み​に​なり​ます。イエス​も​父​エホバ​も​死​を​憎ん​で​おら​れる​こと​が​分かる​から​です。しかし​エホバ​神​は​死​と​いう​敵​と​闘い,勝利​を​収める​こと​が​でき​ます。神​が​イエス​に​何​を​させる​こと​が​でき​た​か​調べ​て​み​ましょ​う。

「ラザロ​よ,さあ,出​て​来​なさい!」

7,8 そば​で​見​て​い​た​人​たち​に​とっ​て,ラザロ​に​は​望み​が​ない​よう​に​思え​た​の​は​なぜ​です​か。しかし​イエス​は​何​を​行なわ​れ​まし​た​か。

7 ラザロ​が​洞くつ​の​中​に​埋葬​さ​れ​て​い​た​の​で,イエス​は​その​入口​を​封じ​て​い​た​石​を​取りのける​よう​に​と​言い​ます。マルタ​は,もう​四​日​たつ​の​で​ラザロ​の​体​は​腐り​始め​て​いる​に​違いない,と​答え​ます。(ヨハネ 11:39)人間​の​見地​から​すれ​ば​何​を​望む​こと​が​でき​た​でしょ​う​か。

ラザロ​の​復活​は​大きな​喜び​を​もたらし​た。―ヨハネ 11:38‐44

8 石​が​転がしのけ​られる​と,イエス​は​大声​で,「ラザロ​よ,さあ,出​て​来​なさい!」と​叫び​ます。どう​なっ​た​でしょ​う​か。『死ん​で​い​た​人​が​出​て​来​た』の​です。(ヨハネ 11:43,44)その​場​に​い​た​人​たち​の​喜ぶ​様子​を​想像​でき​ます​か。ラザロ​が​死ん​だ​こと​は,ラザロ​の​姉妹​たち,親族,友人,隣人​の​だれ​も​が​知っ​て​い​まし​た。ところが,その​ラザロ​が,愛す​べき​その​人物​が,再び​人々​の​中​に​立っ​て​いる​の​です。とても​信じ​られ​ない​と​思え​た​に​違いあり​ませ​ん。恐らく​多く​の​人​が​喜び​の​あまり​ラザロ​を​抱き締め​た​こと​でしょ​う。死​に​対する​すばらしい​勝利​です!

エリヤ​は,やもめ​の​息子​を​復活​さ​せ​た。―列王​第​一 17:17‐24

9,10 (イ)イエス​は​ラザロ​を​復活​さ​せる​力​の​源​を​どの​よう​に​明らか​に​し​まし​た​か。(ロ)復活​に​関する​聖書​の​記述​を​読む​こと​に​は,どんな​益​が​あり​ます​か。

9 イエス​は,この​驚く​べき​奇跡​を​自分​の​力​で​行なう​と​は​言い​ませ​ん​でし​た。ラザロ​を​呼び出す​直前​の​祈り​の​中​で,この​復活​の​力​の​源​が​エホバ​で​ある​こと​を​明らか​に​され​まし​た。(ヨハネ 11:41,42)エホバ​が​この​よう​な​形​で​ご自分​の​力​を​お用い​に​なっ​た​の​は​この​時​だけ​で​は​あり​ませ​ん。ラザロ​の​復活​は,神​の​言葉​に​記録​さ​れ​た​九つ​の​復活​の​一つ​に​すぎ​ませ​ん。 * こう​し​た​記述​を​読み,学ぶ​の​は​楽しい​こと​です。復活​し​た​人​の​中​に​は,若い​人​も​若く​ない​人​も,男性​も​女性​も,イスラエル​人​も​そう​で​ない​人​も​い​て,神​が​不​公平​な​方​で​は​ない​こと​を​教え​て​くれる​から​です。しかも,それら​の​記述​から​は,あふれる​ほど​の​喜び​が​伝わっ​て​くる​では​あり​ませ​ん​か。例えば,イエス​が​幼い​少女​を​よみがえらせ​た​時,両親​は「狂喜​の​あまり​我​を​忘れる​ほど」に​なり​まし​た。(マルコ 5:42)そう​です,エホバ​は​人々​に,決して​忘れる​こと​の​でき​ない​喜び​を​お与え​に​なっ​た​の​です。

使徒​ペテロ​は​ドルカス​と​いう​クリスチャン​の​女性​を​復活​さ​せ​た。―使徒 9:36‐42

10 もちろん,イエス​が​復活​さ​せ​た​人​たち​も,やがて​また​死ん​で​しまい​まし​た。では,その​人​たち​を​復活​さ​せ​た​の​は​無駄​だっ​た​の​でしょ​う​か。決して​そう​で​は​あり​ませ​ん。それら​聖書​の​記述​は,重要​な​真理​の​裏づけ​と​なり,わたしたち​に​希望​を​与え​て​くれる​から​です。

復活​の​記述​から​学ぶ

11 ラザロ​の​復活​に​関する​記述​の​どんな​点​は,伝道​の​書 9​章​5​節​に​ある​真理​の​裏づけ​と​なり​ます​か。

11 聖書​は,死者​に​は「何​の​意識​も​な(い)」と​教え​て​い​ます。死ん​だ​人​は​命​が​なく,意識​を​持っ​て​どこ​か​に​存在​する​わけ​で​は​あり​ませ​ん。ラザロ​に​関する​記述​は,その​点​を​裏づけ​て​い​ます。ラザロ​は​命​を​取り戻し​て​から,天​の​様子​を​話し​て​人々​を​興奮​さ​せ​た​でしょ​う​か。あるいは,火​の​燃える​地獄​の​恐ろしい​話​で​怖がら​せ​た​でしょ​う​か。その​どちら​で​も​あり​ませ​ん​でし​た。ラザロ​の​そう​し​た​言葉​は​聖書​に​記さ​れ​て​い​ませ​ん。ラザロ​は​死ん​で​い​た​四​日​間,『何​の​意識​も​なかっ​た』の​です。(伝道​の​書 9:5)ラザロ​は​死ん​で​眠っ​て​い​た​に​すぎ​ませ​ん​でし​た。―ヨハネ 11:11

12 ラザロ​の​復活​が​実際​に​あっ​た​と​確信​できる​の​は​なぜ​です​か。

12 ラザロ​に​関する​記述​は,復活​が​単なる​作り話​で​は​なく,事実​で​ある​こと​も​教え​て​い​ます。イエス​は​大勢​の​目撃​者​の​前​で​ラザロ​を​よみがえらせ​まし​た。イエス​を​憎ん​だ​宗教​指導​者​たち​で​さえ,その​奇跡​が​起こっ​た​こと​は​否定​し​ませ​ん​でし​た。むしろ,「この​人[イエス]が​多く​の​しるし​を​行なう​の​だが,我々​は​どう​す​べき​だろ​う​か」と​言っ​て​い​ます。(ヨハネ 11:47)復活​し​た​ラザロ​を​見​に​来​た​人​も​少なく​あり​ませ​ん​でし​た。その​結果,さらに​大勢​の​人​が​イエス​に​信仰​を​持ち​まし​た。人々​に​とっ​て​ラザロ​は,イエス​が​神​から​遣わさ​れ​た​こと​の​生き​た​証拠​でし​た。この​証拠​は​非常​に​強力​だっ​た​の​で,ユダヤ​人​の​冷酷​な​宗教​指導​者​の​中​に​は,イエス​と​ラザロ​両方​の​殺害​計画​を​立てる​人​が​い​た​ほど​です。―ヨハネ 11:53; 12:9‐11

13 エホバ​は​実際​に​死者​を​復活​さ​せる​こと​が​できる​と​信じ​て​よ​い,どんな​根拠​が​あり​ます​か。

13 復活​を​事実​と​し​て​受け入れる​の​は​現実​を​無視​する​こと​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。イエス​は,「記念​の​墓​の​中​に​いる​者​が​みな」将来​に​復活​する,と​教え​て​いる​から​です。(ヨハネ 5:28)エホバ​は​あらゆる​生命​の​創造​者​です。エホバ​が​生命​を​再び​創造​できる​と​いう​の​は​信じ​がたい​こと​でしょ​う​か。エホバ​の​記憶​に​多く​の​こと​が​かかっ​て​いる​の​は​確か​です。エホバ​は,亡くなっ​た​愛する​人​たち​の​こと​を​記憶​できる​の​でしょ​う​か。宇宙​に​は​数え切れない​ほど​多く​の​星​が​あり​ます​が,神​は​その​各々​に​名前​を​付け​て​おら​れ​ます。(イザヤ 40:26)ですから,亡くなっ​た​愛する​人​たち​の​こと​を​どんな​細かい​点​まで​も​記憶​でき​ます。そして,その​人​たち​を​生き返ら​せる​用意​が​でき​て​い​ます。

14,15 ヨブ​の​言葉​に​示さ​れ​て​いる​よう​に,エホバ​は​死者​を​生き返ら​せる​こと​に​つい​て​どう​感じ​て​おら​れ​ます​か。

14 では,エホバ​は​死者​を​復活​さ​せる​こと​に​つい​て​どう​感じ​て​おら​れる​でしょ​う​か。神​は​死者​を​よみがえらせる​こと​に​強い​意欲​を​抱い​て​おら​れる,と​聖書​は​教え​て​い​ます。忠実​な​人​ヨブ​は,「もし,強健​な​人​が​死ね​ば,また​生き​られる​でしょ​う​か」と​問いかけ​まし​た。そして,神​が​覚え​て​くださる​時​が​来る​まで​墓​の​中​で​待つ​こと​に​つい​て​述べ,エホバ​に​こう​言い​ます。「あなた​は​呼ん​で​くださり,私​は​あなた​に​答え​ます。ご自分​の​み手​の​業​を​あなた​は​慕わ​れ​ます」。―ヨブ 14:13‐15

15 考え​て​み​て​ください。実際​エホバ​は,死者​を​生き返ら​せる​こと​を​慕っ​て​おら​れ​ます。エホバ​が​そう​感じ​て​おら​れる​の​を​知る​と,温か​な​気持ち​に​なる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。しかし,将来​の​復活​に​つい​て​は​何​と​言え​ます​か。どんな​人​たち​が,どこ​に​復活​する​の​でしょ​う​か。

「記念​の​墓​の​中​に​いる​者​が​みな」

16 復活​し​て​くる​死者​は,どんな​状態​の​もと​で​生活​し​ます​か。

16 復活​に​関する​聖書​の​記述​は,将来​の​復活​に​つい​て​多く​の​こと​を​教え​て​くれ​ます。かつて​この​地上​で​生き返っ​た​人々​は,愛する​家族​や​友人​と​再会​し​まし​た。将来​の​復活​も​それ​に​似​て​い​ます​が,もっと​すばらしい​もの​です。3​章で​学ん​だ​よう​に,神​の​目的​は​地球​全体​を​楽園​に​する​こと​です。ですから​死者​が​よみがえっ​て​くる​場所​は,戦争​や​犯罪​や​病気​の​はびこる​世界​で​は​あり​ませ​ん。復活​する​人々​に​は,平和​で​幸福​な​状態​の​この​地上​で​ずっ​と​いつ​まで​も​生きる​機会​が​開か​れ​ます。

17 復活​は​どれ​ほど​の​規模​に​なり​ます​か。

17 では,だれ​が​復活​する​の​でしょ​う​か。「記念​の​墓​の​中​に​いる​者​が​みな,彼[イエス]の​声​を​聞い​て​出​て​来る」と​イエス​は​述べ​まし​た。(ヨハネ 5:28,29)同様​に​啓示 20​章​13​節​も,「海​は​その​中​の​死者​を​出し,死​と​ハデス​も​その​中​の​死者​を​出し(た)」と​述べ​て​い​ます。「ハデス」は​人類​共通​の​墓​を​指し​ます。(付録​の「シェオル​および​ハデス​と​は​何​か」を​ご覧​ください。)この​共通​の​墓​は​やがて​空​に​なり​ます。そこで​休ん​で​いる​何百億​も​の​人々​は​再び​生きる​こと​に​なり​ます。使徒​パウロ​は,「義者​と​不義​者​と​の​復活​が​ある」と​述べ​まし​た。(使徒 24:15)これ​は​どう​いう​意味​でしょ​う​か。

楽園​で​は​死者​が​よみがえり,愛する​人​たち​と​再会​する

18 復活​する「義者」に​は​だれ​が​含ま​れ​ます​か。この​希望​は​あなた​個人​に​どんな​影響​を​もたらす​でしょ​う​か。

18 「義者」の​中​に​は,聖書​に​出​て​くる​人​たち​で,イエス​が​地上​に​来る​前​に​生き​て​い​た​人々​が​大勢​含ま​れ​ます。ノア,アブラハム,サラ,モーセ,ルツ,エステル​など​多く​の​人​たち​が​思い浮かぶ​こと​でしょ​う。これら​信仰​の​男女​の​こと​は​部分​的​に​ヘブライ 11​章​で​扱わ​れ​て​い​ます。しかし「義者」に​は,エホバ​の​僕​で,現代​に​死ぬ​人​たち​も​含ま​れ​ます。復活​の​希望​が​ある​の​で,わたしたち​は,死​に​対する​どんな​恐れ​から​も​解放​さ​れ​て​い​ます。―ヘブライ 2:15

19 「不義​者」と​は​どんな​人​たち​です​か。エホバ​は​ご親切​に​も,その​人​たち​に​どんな​機会​を​差し伸べ​て​おら​れ​ます​か。

19 では,エホバ​の​こと​を​全く​知ら​なかっ​た​ため​に​エホバ​に​仕える​こと​も​従う​こと​も​し​なかっ​た​人​たち​は​どう​でしょ​う​か。膨大​な​数​の​それら「不義​者」が​忘れ去ら​れる​こと​は​あり​ませ​ん。その​人​たち​も​復活​し,まこと​の​神​に​つい​て​学び,仕える​ため​の​時間​が​与え​られ​ます。死ん​だ​人​たち​は​1,000​年​の​間​に​復活​し,地上​で​忠実​な​人​たち​と​共​に​エホバ​に​仕える​機会​が​与え​られ​ます。それ​は​すばらしい​時​と​なる​でしょ​う。聖書​は​その​期間​の​こと​を裁き​の​日と​呼ん​で​い​ます。 *

20 ゲヘナ​と​は​何​です​か。だれ​が​そこ​に​行き​ます​か。

20 そう​する​と,以前​に​生き​て​い​た​人​は​すべて​復活​する​の​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。聖書​は,一部​の​死者​が「ゲヘナ」に​いる​こと​を​示唆​し​て​い​ます。(ルカ 12:5)ゲヘナ​と​いう​名​は​古代​エルサレム​の​外​に​あっ​た​ごみ捨て​場​から​来​て​い​ます。その​場所​で​死体​や​ごみ​が​燃やさ​れ​まし​た。ユダヤ​人​は​そこ​に​投げ込ま​れ​た​死者​を,埋葬​に​も​復活​に​も​値し​ない​もの​と​みなし​まし​た。ですから​ゲヘナ​は,永遠​の​滅び​の​適切​な​象徴​です。イエス​に​は​生き​て​いる​者​と​死ん​だ​者​と​を​裁く​役割​が​与え​られ​て​い​ます​が,最終​的​な​裁き​を​行なう​の​は​エホバ​です。(使徒 10:42)邪悪​で,変わろ​う​と​する​意欲​が​ない​と​判断​さ​れる​人​たち​は,決して​復活​し​ませ​ん。

天​へ​の​復活

21,22 (イ)別​の​種類​の​どんな​復活​が​あり​ます​か。(ロ)霊​の​命​へ​の​復活​を​最初​に​経験​し​た​の​は​だれ​です​か。

21 聖書​は​別​の​種類​の​復活​の​こと​も​述べ​て​い​ます。それ​は,天​に​おける​霊​の​被​造物​と​し​て​の​命​へ​の​復活​です。この​種類​の​復活​の​例​は​聖書​に​一つ​しか​記録​さ​れ​て​い​ませ​ん。それ​は​イエス​・​キリスト​の​復活​です。

22 イエス​が​人間​と​し​て​死​に​処さ​れ​た​後,エホバ​は​ご自分​の​忠実​な​み子​が​墓​の​中​に​とどまる​こと​を​許し​ませ​ん​でし​た。(詩編 16:10。使徒 13:34,35)神​は​イエス​を​復活​さ​せ​まし​た​が,人間​と​し​て​で​は​あり​ませ​ん。使徒​ペテロ​は,キリスト​は「肉​に​おい​て​死​に​渡さ​れ,霊​に​おい​て​生かさ​れ​た」と​説明​し​て​い​ます。(ペテロ​第​一 3:18)これ​は​本当​に​大きな​奇跡​でし​た。イエス​は​力​の​強い​霊者​と​し​て,再び​命​を​与え​られ​まし​た。(コリント​第​一 15:3‐6)イエス​は,栄光​ある​この​種類​の​復活​を​経験​し​た​最初​の​方​でし​た。(ヨハネ 3:13)しかし,最後​だっ​た​わけ​で​は​あり​ませ​ん。

23,24 イエス​の「小さな​群れ」を​構成​する​の​は​だれ​です​か。どれ​ほど​の​人数​に​なり​ます​か。

23 イエス​は​自分​が​間​も​なく​天​に​戻る​こと​を​知っ​て​い​た​の​で,忠実​な​弟子​たち​に,あなた方​の​ため​天​に「場所​を​準備」すると​言わ​れ​まし​た。(ヨハネ 14:2)イエス​が​述べ​て​い​た​の​は「小さな​群れ」と​し​て​天​に​行く​人​たち​の​こと​でし​た。(ルカ 12:32)忠実​な​クリスチャン​から​成る​比較​的​小さな​この​グループ​は​何​人​で​構成​さ​れる​の​でしょ​う​か。啓示 14​章​1​節​に​は,使徒​ヨハネ​の​次​の​よう​な​言葉​が​記さ​れ​て​い​ます。「また​わたし​が​見る​と,見よ,子羊[イエス​・​キリスト]が​シオン​の​山​に​立っ​て​おり,彼​と​共​に,十四万四千​人​の​者​が,彼​の​名​と​彼​の​父​の​名​を​その​額​に​書か​れ​て​立っ​て​い​た」。

24 イエス​の​忠実​な​使徒​たち​を​含む​これら​14万4,000​人​の​クリスチャン​は,天​の​命​に​よみがえらさ​れ​ます。その​人​たち​の​復活​は​いつ​ある​の​でしょ​う​か。使徒​パウロ​は,キリスト​の​臨在​の​時​に​起こる,と​書き​まし​た。(コリント​第​一 15:239​章で​学び​ます​が,わたしたち​は​今​その​時​に​生活​し​て​い​ます。ですから,14万4,000​人​の​うち​今​の​時代​に​残っ​て​いる​数​少ない​人​たち​は,死ん​だ​後​すぐ​に​復活​し​ます。(コリント​第​一 15:51‐55)しかし,人類​の​大部分​の​将来​に​ある​の​は,地上​の​楽園​に​おける​命​へ​の​復活​です。

25 次​の​章​で​は​どんな​こと​を​取り上げ​ます​か。

25 エホバ​は​確か​に​わたしたち​の​敵​で​ある​死​を​打ち破り,死​は​永久​に​なくなり​ます。(イザヤ 25:8)しかし,『天​に​復活​し​た​人​たち​は,そこで​何​を​する​の​だろ​う』と​思う​方​も​おら​れる​でしょ​う。実​は,天​の​すばらしい​王国​政府の​一部​と​なる​の​です。次​の​章​で​は,その​政府​に​つい​て​さらに​学び​ます。

^ 19節 裁き​の​日​および​裁き​の​根拠​に​つい​て​詳しい​こと​は,付録​の「裁き​の​日 ― どんな​日​か」を​ご覧​ください。