第​16​章

真の崇拝の側に立つ

真の崇拝の側に立つ
  • 像​を​使う​こと​に​つい​て​聖書​は​何​を​教え​て​い​ます​か。

  • クリスチャン​は​宗教​的​な​祝祭日​を​どう​みなし​ます​か。

  • 自分​の​信じ​て​いる​こと​を,人​の​気分​を​害さ​ず​に,どの​よう​に​説明​でき​ます​か。

1,2 偽り​の​宗教​を​去っ​た​後,どんな​こと​を​自問​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん​か。そう​する​の​は​なぜ​大切​だ​と​思い​ます​か。

仮に,近隣​一帯​が​毒物​に​汚染​さ​れ​て​いる​こと​が​分かっ​た​と​し​ましょ​う。だれ​か​が​有毒​な​廃棄​物​を​その​地域​に​こっそり​捨て​て​い​た​の​です。命​が​危険​に​さらさ​れ​て​い​ます。あなた​なら​どう​さ​れ​ます​か。可能​で​あれ​ばきっ​と​遠く​に​引っ越す​でしょ​う。しかし,引っ越し​た​あと​で​さえ,『自分​も​毒物​に​冒さ​れ​て​いる​の​だろ​う​か』と​いう​深刻​な​疑問​は​消え​ない​でしょ​う。

2 偽り​の​宗教​に​関し​て​も,これ​と​似​た​状況​が​生じ​ます。聖書​は,偽り​の​崇拝​が​汚れ​た​教え​や​習慣​に​汚染​さ​れ​て​いる​と​教え​て​い​ます。(コリント​第​二 6:17)ですから,偽り​の​宗教​の​世界​帝国​で​ある「大いなる​バビロン」から​出る​の​は​重要​な​こと​です。(啓示 18:2,4)もう​すでに​そこ​から​出​て​おら​れ​ます​か。そう​で​あれ​ば,それ​は​立派​な​こと​です。しかし​偽り​の​宗教​から​離れる,あるいは​脱退​する​以上​の​こと​が​必要​です。その​後,『自分​に​は​偽り​の​宗教​の​名残​が​何​か​残っ​て​い​ない​だろ​う​か』と​自問​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん。実際​の​例​を​幾つ​か​考え​て​み​ましょ​う。

像​と​先祖​崇拝

3 (イ)聖書​は​像​を​使う​こと​に​つい​て​何​と​述べ​て​い​ます​か。ある​人々​が​神​の​見方​を​受け入れ​にくく​感じる​こと​に​は,どんな​理由​が​ある​か​も​しれ​ませ​ん​か。(ロ)偽り​の​崇拝​と​関連​の​ある​物​を​持っ​て​いる​なら,それ​を​どう​す​べき​です​か。

3 長い​あいだ​自分​の​家​に​像​や​社​の​よう​な​もの​を​置い​て​き​た​人​が​い​ます。あなた​も​そう​でしょ​う​か。もし​そう​なら,その​よう​な​目​に​見える​もの​を​使わ​ず​神​に​祈る​の​は​妙​だ​と​か,正しく​ない​と​感じる​か​も​しれ​ませ​ん。その​種​の​もの​に​愛着​を​感じる​場合​も​ある​でしょ​う。しかし,神​へ​の​崇拝​が​どの​よう​に​行なわ​れる​べき​か​は,神​ご自身​が​示し​て​おら​れ​ます。また​聖書​は,わたしたち​が​像​を​使う​こと​を​神​は​望ま​ない,と​教え​て​い​ます。(出エジプト​記 20:4,5。詩編 115:4‐8。イザヤ 42:8。ヨハネ​第​一 5:21)ですから,偽り​の​崇拝​と​関係​の​ある​品物​を​持っ​て​いる​なら,それ​を​処分​する​こと​に​より,真​の​崇拝​の​側​に​立つ​こと​が​でき​ます。エホバ​に​倣っ​て,その​よう​な​物​は​ぜひとも「忌む​べき​もの」と​みなす​よう​に​し​ましょ​う。―申命記 27:15

4 (イ)先祖​崇拝​が​むなしい​もの​で​ある​こと​は,どんな​点​から​分かり​ます​か。(ロ)エホバ​が​ご自分​の​民​に​対し​て,どんな​心霊​術​に​も​加わる​こと​を​禁じ​た​の​は,なぜ​です​か。

4 先祖​崇拝​も​多く​の​偽り​の​宗教​に​共通​し​て​見​られ​ます。ある​人​たち​は,聖書​の​真理​を​学ぶ​前,死者​は​目​に​見え​ない​領域​に​い​て​意識​を​持ち,生き​て​いる​人​たち​に​良く​も​悪く​も​影響​を​及ぼす​こと​が​できる,と​信じ​て​い​まし​た。あなた​も,死ん​だ​先祖​を​なだめる​ため​に​いろいろ​気​を​配っ​て​こら​れ​た​か​も​しれ​ませ​ん。しかし​この​本​の6​章で​学ん​だ​よう​に,死者​が​意識​を​持っ​て​どこ​か​に​存在​する​と​いう​こと​は​あり​ませ​ん。ですから,死者​と​連絡​を​取ろ​う​と​する​の​は​無駄​な​こと​です。亡くなっ​た​家族​や​友人​など​から​発せ​られる​か​に​思える​メッセージ​は,実際​に​は​どれ​も​悪霊​たち​から​出​て​いる​の​です。ですから​エホバ​は​イスラエル​人​に​対し​て,死者​と​話そ​う​と​する​こと​だけ​で​なく,それ​以外​の​どんな​心霊​術​に​も​加わる​こと​を​禁じ​まし​た。―申命記 18:10‐12

5 以前​の​自分​の​宗教​に​像​の​使用​や​先祖​崇拝​の​習慣​が​含ま​れ​て​い​たら,どう​する​こと​が​でき​ます​か。

5 以前​あなた​が​行なっ​て​い​た​崇拝​に,像​の​使用​や​先祖​崇拝​の​習慣​が​含ま​れ​て​い​た​なら,どう​すれ​ば​よい​でしょ​う​か。神​が​これら​の​事​を​どう​ご覧​に​なる​か​を​示す​聖書​の​言葉​を​読み,熟考​し​て​ください。真​の​崇拝​の​側​に​立ち​たい​と​いう​願い​に​つい​て​日々​エホバ​に​祈り,エホバ​と​同じ​考え方​が​できる​よう​に​助け​を​求める​の​です。―イザヤ 55:9

クリスマス ― 初期​クリスチャン​は​祝わ​なかっ​た

6,7 (イ)クリスマス​は​何​を​記念​する​もの​と​され​て​い​ます​か。イエス​の​1​世紀​の​弟子​たち​は​クリスマス​を​祝い​まし​た​か。(ロ)イエス​の​初期​の​弟子​たち​の​時代,誕生​日​の​祝い​は​何​と​関係​が​あり​まし​た​か。

6 一般​的​な​祝祭日​に​関連​し​た​崇拝​は,偽り​の​宗教​に​汚染​さ​れ​て​いる​可能​性​が​あり​ます。クリスマス​を​例​に​取っ​て​み​ましょ​う。クリスマス​は​イエス​・​キリスト​の​誕生​を​記念​する​もの​と​され,キリスト​教​と​となえる​宗派​の​大部分​が​祝っ​て​い​ます。しかし,イエス​の​1​世紀​の​弟子​たち​が​クリスマス​を​守り行なっ​た​証拠​は​全く​あり​ませ​ん。「深遠​な​事柄​の​神聖​な​起源」(英語)と​題する​本​は​こう​述べ​て​い​ます。「キリスト​が​誕生​し​て​から​2​世紀​の​間​は,だれ​も​キリスト​が​生ま​れ​た​正確​な​日付​を​知ら​ず,気​に​留める​者​も​ほとんど​い​なかっ​た」。

7 イエス​の​弟子​たち​は,イエス​が​誕生​し​た​正確​な​日付​を​知っ​て​い​た​と​し​て​も,その​日​を​祝う​こと​は​なかっ​た​でしょ​う。なぜ​でしょ​う​か。「ワールドブック​百科​事典」(英語)が​述べ​て​いる​よう​に,初期​クリスチャン​は,「いかなる​人​の​誕生​日​を​祝う​こと​も​異教​に​由来​する​習慣​と​み​なし(た)」から​です。聖書​に​記さ​れ​て​いる​誕生​日​の​祝い​は,エホバ​を​崇拝​し​て​い​なかっ​た​支配​者​二​人​に​関する​もの​だけ​です。(創世記 40:20。マルコ 6:21)誕生​日​の​祝い​は,異教​の​神々​を​たたえる​ため​に​行なわ​れる​こと​も​あり​まし​た。例えば,ローマ​人​は​5​月​24​日​を​女神​ディアナ​の​誕生​日​と​し​て​祝い​まし​た。翌日​に​は​太陽​の​神​アポロ​の​誕生​を​祝っ​て​い​ます。ですから,誕生​日​の​祝い​は​キリスト​教​で​は​なく​異教​と​関係​が​あっ​た​の​です。

8 誕生​日​の​祝い​と​迷信​の​関係​を​説明​し​て​ください。

8 1​世紀​の​クリスチャン​が​イエス​の​誕生​日​を​祝わ​なかっ​た​と​考え​られる​理由​は​ほか​に​も​あり​ます。弟子​たち​は,誕生​日​を​祝う​こと​が​迷信​と​結びつい​て​い​た​こと​を​知っ​て​い​た​よう​です。例えば,古代​の​ギリシャ​人​と​ローマ​人​の​中​に​は,人間​が​誕生​する​時​に​は​必ず​ひとり​の​霊​が​それ​を​見守り,その​後​も​生涯​に​わたっ​て​その​人​を​守る,と​信じる​人​が​大勢​い​まし​た。「この​霊​は,その​人​と​同じ​誕生​日​を​持つ​神​と​神秘​的​な​結び付き​を​持つ​と​され​て​い​た」と,「誕生​日​に​関する​伝承」(英語)と​いう​本​は​述べ​て​い​ます。エホバ​は,イエス​と​迷信​と​を​結び付ける​よう​な​祝い​を​決して​喜ば​れ​ない​でしょ​う。(イザヤ 65:11,12)では,どの​よう​な​事情​が​あっ​て,多く​の​人​が​クリスマス​を​祝う​よう​に​なっ​た​の​でしょ​う​か。

クリスマス​の​起源

9 12​月​25​日​が​イエス​の​誕生​を​祝う​日​と​みなさ​れる​よう​に​なっ​た​こと​に​は,どんな​背景​が​あり​ます​か。

9 イエス​の​誕生​を​12​月​25​日​に​記念​する​よう​に​なっ​た​の​は,イエス​が​地上​に​おら​れ​た​時​から​何百​年​か​たっ​た​後​の​こと​です。しかし​その​日​はイエス​の​誕生​し​た​日付では​あり​ませ​ん。イエス​は​10​月​に​生ま​れ​た​と​思わ​れる​から​です。 * では,どうして​12​月​25​日​が​選ば​れ​た​の​でしょ​う​か。後​の​時代​に​なっ​て​クリスチャン​と​となえ​た​ある​人​たち​は,「その​日​を,“征服​さ​れ​ざる​太陽​の​誕生​日”を​祝う​ローマ​の​異教​の​祭り​と​同じ​日​に​する​こと​を​願っ​た」よう​です。(「新​ブリタニカ​百科​事典」[英語])太陽​が​最も​弱く​なる​よう​に​見える​冬​の​時期​に,異教​徒​たち​は​熱​と​光​を​供給​し​て​くれる​この​天体​を​遠い​旅路​から​引き戻す​儀式​を​行ない​まし​た。12​月​25​日​は​太陽​が​戻り​始める​日​と​みなさ​れ​て​い​まし​た。宗教​指導​者​たち​は​異教​徒​を​改宗​さ​せ​よう​と​し​て​この​祝祭​を​取り入れ,それ​を“キリスト​教​の​もの”らしく​見せ​よう​と​し​た​の​です。 *

10 過去​の​時代,ある​人​たち​が​クリスマス​を​祝わ​なかっ​た​の​は​なぜ​です​か。

10 クリスマス​の​起こり​が​異教​に​ある​こと​は​かなり​以前​から​認め​られ​て​い​まし​た。クリスマス​は​聖書​に​由来​する​もの​で​は​なかっ​た​の​で,17​世紀​に​イングランド​で,また​アメリカ​植民​地​の​幾つ​か​で​禁止​さ​れ​まし​た。クリスマス​の​日​に​仕事​に​行か​ず​家​に​い​た​だけ​で​も​罰金​が​科さ​れ​まし​た。しかし,時​たつ​うち​に​古い​風習​が​また​始まり,それ​に​新しい​要素​も​付け加え​られ​まし​た。クリスマス​は​またもや​大々的​な​祝祭​と​なり,それ​が​今​も​多く​の​国​で​行なわ​れ​て​いる​の​です。と​は​いえ,クリスマス​は​偽り​の​宗教​と​関係​が​ある​の​で,神​に​喜ば​れ​たい​と​思う​人​たち​は​それ​を​祝い​ませ​ん。そして,異教​の​崇拝​を​起源​と​する​他​の​どんな​祝祭日​も​祝い​ませ​ん。 *

起源​は​それ​ほど​大きな​問題​な​の​です​か

11 ある​人々​が​祝祭日​を​祝う​の​は​なぜ​です​か。しかし,わたしたち​は​何​を​第​一​の​関心事​と​す​べき​です​か。

11 ある​人々​は,クリスマス​など​の​祝祭日​の​起源​が​異教​に​ある​こと​は​認め​ます​が,それ​を​祝う​こと​は​間違い​で​は​ない​と​考え​ます。そもそも​ほとんど​の​人​は,祝祭日​を​祝う​とき,偽り​の​崇拝​に​つい​て​は​考え​ませ​ん。その​よう​な​日​は​家族​団らん​の​時​と​も​なる​から​です。あなた​も​同じ​お考え​です​か。もし​そう​でし​たら,真​の​崇拝​の​側​に​立つ​の​が​難しく​思える​の​は,偽り​の​宗教​を​愛し​て​いる​から​で​は​なく,家族​を​愛し​て​おら​れる​から​でしょ​う。家族​を​創始​さ​れ​た​方​エホバ​は,あなた​が​ご親族​と​良い​関係​で​いる​こと​を​願っ​て​おら​れ​ます。それ​は​確か​な​こと​です。(エフェソス 3:14,15)しかし,その​よう​な​きずな​は,神​が​認め​て​おら​れる​方法​に​従っ​て​はじめて​強める​こと​が​できる​もの​です。使徒​パウロ​は,わたしたち​が​何​を​第​一​の​関心事​と​す​べき​か​に​つい​て​こう​書き​まし​た。「何​が​主​に​受け入れ​られる​の​か​を​絶え​ず​確かめ​なさい」。―エフェソス 5:10

道端​の​排水​路​に​キャンデー​が​落ち​て​い​たら,それ​を​拾っ​て​口​に​入れ​ます​か

12 汚れ​た​起源​から​出​て​いる​風習​や​祝い​を​避ける​べき​理由​を​例え​で​説明​し​て​ください。

12 多分​あなた​は,祝祭日​の​起源​と,それ​が​今​どの​よう​に​祝わ​れ​て​いる​か​は​ほとんど​関係​が​ない,と​お考え​か​も​しれ​ませ​ん。起源​は​それ​ほど​大きな​問題​な​の​でしょ​う​か。確か​に​問題​です。例え​で​考え​て​み​ましょ​う。道端​の​排水​路​に​キャンデー​が​一つ​落ち​て​い​まし​た。あなた​は​それ​を​拾っ​て​口​に​入れる​でしょ​う​か。もちろん​そんな​こと​は​し​ませ​ん。その​キャンデー​は​汚れ​て​いる​から​です。祝祭日​も​その​キャンデー​の​よう​に,甘く​快い​もの​に​思える​と​し​て​も,汚れ​た​場所​から​拾わ​れ​て​き​た​もの​です。真​の​崇拝​の​側​に​立つ​ため​に​は,預言​者​イザヤ​と​同じ​見方​を​持つ​必要​が​あり​ます。イザヤ​は​真​の​崇拝​者​たち​に,「汚れ​た​もの​に​は​何​に​も​触れる​な」と​告げ​まし​た。―イザヤ 52:11

他​の​人​と​接する​とき​の​識別​力

13 祝祭日​の​行事​に​参加​し​ない​と,どんな​難しい​状況​が​生じる​か​も​しれ​ませ​ん​か。

13 祝祭日​の​行事​に​参加​し​ない​と,難しい​状況​が​生じる​こと​も​ある​でしょ​う。例えば​同僚​たち​は,なぜ​職場​で,祝祭日​の​ある​種​の​行事​に​参加​し​ない​の​か​と​疑問​に​思う​か​も​しれ​ませ​ん。もし​あなた​に,クリスマス​・​プレゼント​が​差し出さ​れ​たら​どう​です​か。受け取る​の​は​間違っ​た​こと​でしょ​う​か。配偶​者​が​あなた​と​同じ​信仰​を​持っ​て​い​ない​場合​は​どう​でしょ​う​か。どう​すれ​ば​子ども​たち​が,祝祭日​を​祝わ​ない​の​で​良い​もの​を​得​られ​ない​で​いる,と​感じ​ない​よう​に​できる​でしょ​う​か。

14,15 祝祭日​の​あいさつ​を​し​て​くる​人​や,あなた​へ​の​プレゼント​を​考え​て​いる​人​が​い​たら,どの​よう​に​対応​でき​ます​か。

14 ここ​に​挙げ​た​状況​の​一つ​一つ​に​どう​対応​する​か​を​わきまえる​に​は,的確​な​判断​力​が​必要​です。何気なく​祝祭日​の​あいさつ​を​し​て​くる​人​が​い​たら,ただ​その​好意​に​感謝​できる​でしょ​う。しかし,その​相手​の​人​が​いつも​会う​人,あるいは​一緒​に​働い​て​いる​人​なら​どう​でしょ​う​か。その​場合​は,もう​少し​言葉​を​加える​こと​も​できる​でしょ​う。どんな​場合​で​も​気配り​は​欠か​せ​ませ​ん。聖書​に​は​次​の​よう​な​アドバイス​が​あり​ます。「あなた方​の​発する​ことば​を​常​に​慈しみ​の​ある​もの,塩​で​味つけ​さ​れ​た​もの​と​し,一人一人​に​どの​よう​に​答える​べき​か​が​分かる​よう​に​なり​なさい」。(コロサイ 4:6)他​の​人​に​対し​て​敬意​を​欠く​こと​の​ない​よう​注意​し​ましょ​う。むしろ,気​を​配り​つつ​自分​の​立場​を​説明​し​て​ください。プレゼント​を​する​こと​や​集まり​に​反対​な​の​で​は​なく,別​の​時​に​加わら​せ​て​ほしい,と​はっきり​説明​し​ましょ​う。

15 あなた​へ​の​プレゼント​を​考え​て​いる​人​が​い​たら​どう​でしょ​う​か。答え​は​状況​に​よっ​て​かなり​異なり​ます。プレゼント​を​する​側​の​人​は,「あなた​が​この​祝祭日​を​祝わ​ない​の​は​知っ​て​い​ます。でも,これ​を​受け取っ​て​ほしい​の​です」と​言う​か​も​しれ​ませ​ん。あなた​は,その​状況​で​受け取る​の​は​祝祭日​の​祝い​に​加わる​こと​に​は​なら​ない,と​判断​する​か​も​しれ​ませ​ん。もちろん,プレゼント​を​する​側​が​あなた​の​信じ​て​いる​事柄​を​よく​知ら​ない​なら,自分​は​その​祝祭日​を​祝う​つもり​は​ない​と​述べる​こと​が​でき​ます。そう​伝え​て​おけ​ば,プレゼント​は​受け取る​が​この​日​に​自分​から​は​プレゼント​し​ない​理由​も​説明​し​やすく​なり​ます。一方,プレゼント​を​する​側​に​明確​な​意図​が​あり,あなた​は​信仰​を​貫か​ない​と​か,物質​的​な​利得​の​ため​に​妥協​する,と​いう​こと​を​示さ​せ​よう​と​し​て​いる​なら,受け取ら​ない​ほう​が​賢明​でしょ​う。

家族​の​成員​に​つい​て​は​どうか

16 祝祭日​に​関連​し​た​事柄​を​扱う​際,どの​よう​に​気​を​配る​こと​が​でき​ます​か。

16 家族​の​成員​が​あなた​と​同じ​信仰​を​持っ​て​い​ない​場合​は​どう​でしょ​う​か。やはり,気​を​配っ​て​ください。親族​が​守っ​て​いる​風習​や​祝い​すべて​を​問題​に​する​必要​は​あり​ませ​ん。むしろ,親族​に​も​自分​なり​の​価値​観​を​持つ​権利​が​ある​こと​を​認め​て​ください。それ​は​あなた​が,自分​の​権利​を​親族​に​尊重​し​て​ほしい​と​思う​の​と​同じ​です。(マタイ 7:12)その​祝祭​の​参加​者​と​なる​よう​な​行動​は​すべて​避ける​の​が​よい​でしょ​う。それでも,祝い​の​行為​そのもの​で​は​ない​事柄​に​つい​て​は,道理​に​かなっ​た​態度​を​保ち​ましょ​う。どんな​場合​で​も,正しい​良心​が​保てる​よう​に​行動​する​必要​が​ある​の​は​言う​まで​も​あり​ませ​ん。―テモテ​第​一 1:18,19

17 子ども​たち​が,他​の​人​は​祝祭日​を​祝っ​て​いる​の​に​自分​は​良い​もの​を​得​られ​ない​で​いる,と​感じる​こと​が​ない​よう​に,どう​する​こと​が​でき​ます​か。

17 子ども​たち​が,聖書​の​教え​に​そわ​ない​祝祭日​を​祝わ​ない​の​で​良い​もの​を​得​られ​ない​で​いる,と​感じる​こと​が​ない​よう​に​する​に​は,どう​すれ​ば​よい​でしょ​う​か。一​年​を​通じ​て​他​の​時期​に​どんな​こと​を​する​か​が​大切​です。子ども​たち​に​プレゼント​する​時​を​決め​て​おく​親​も​い​ます。また,子ども​の​ため​に​時間​を​設け,愛情​と​関心​を​向ける​こと​に​も,子ども​へ​の​プレゼント​と​し​て​すばらしい​価値​が​あり​ます。

真​の​崇拝​を​実践​する

真​の​崇拝​を​実践​する​なら,本当​に​幸福​に​なれる

18 クリスチャン​の​集会​に​出席​する​こと​は,真​の​崇拝​の​側​に​立つ​上​で,どの​よう​に​助け​に​なり​ます​か。

18 神​に​喜ば​れる​ため​に​は,偽り​の​崇拝​を​退け,真​の​崇拝​の​側​に​立た​なけれ​ば​なり​ませ​ん。それ​に​は​何​が​含ま​れる​でしょ​う​か。聖書​は​こう​述べ​て​い​ます。「互い​の​こと​を​よく​考え​て​愛​と​りっぱ​な​業​と​を​鼓舞​し​合い,ある​人々​が​習慣​に​し​て​いる​よう​に,集まり合う​こと​を​やめ​たり​せ​ず,むしろ​互い​に​励まし合い,その​日​が​近づく​の​を​見​て​ますます​そう​し​よう​では​あり​ませ​ん​か」。(ヘブライ 10:24,25)クリスチャン​の​集会​は,神​に​是認​さ​れる​仕方​で​崇拝​する​ため​の​喜び​に​満ち​た​機会​です。(詩編 22:22; 122:1)その​よう​な​集会​に​は,忠実​な​クリスチャン​同士​が「相互​に​励まし合う」機会​が​あり​ます。―ローマ 1:12

19 聖書​から​学ん​だ​事柄​を​他​の​人​に​話す​の​は,なぜ​重要​な​こと​です​か。

19 また,真​の​崇拝​の​側​に​立つ​ため​に,エホバ​の​証人​と​聖書​を​研究​し​て​学ん​だ​事柄​を​他​の​人​に​話す​こと​が​でき​ます。今​の​世界​で​生じ​て​いる​邪悪​な​事柄​に​つい​て​まさに「嘆息​し,うめい​て​いる」人​は​少なく​あり​ませ​ん。(エゼキエル 9:4)あなた​も​その​よう​な​人​を​ご存じ​で​は​ない​でしょ​う​か。では,聖書​に​基づく​将来​の​希望​に​つい​て​話​し​て​み​て​は​いかが​です​か。真​の​クリスチャン​と​交わり,聖書​から​学ん​だ​すばらしい​真理​に​つい​て​他​の​人​に​話し​て​ゆく​うち​に,偽り​の​崇拝​に​関係​し​た​風習​へ​の​愛着​が​心​に​残っ​て​い​た​と​し​て​も,それ​が​少し​ずつ​なくなっ​て​ゆく​の​を​感じる​でしょ​う。真​の​崇拝​の​側​に​立つ​なら​非常​に​幸福​に​なり,多く​の​祝福​を​受ける​こと​が​でき​ます。その​こと​を​確信​なさっ​て​ください。―マラキ 3:10

^ 9節 付録​の「イエス​が​誕生​し​た​の​は​12​月​か」を​ご覧​ください。

^ 9節 12​月​25​日​が​選ば​れ​た​こと​に​は,サトゥルナリア​祭も​一役​買っ​て​い​まし​た。ローマ​の​農耕​の​神​を​たたえる​この​祝祭​は​12​月​17​日​から​24​日​に​かけ​て​行なわ​れ,その​期間​に​は​宴会​や​浮かれ騒ぎ​が​あり,贈り物​を​する​習慣​も​あり​まし​た。

^ 10節 真​の​クリスチャン​が​一般​的​な​他​の​祝祭日​を​どう​見​て​い​た​か​に​つい​て​は,付録​の「祝祭日​を​祝う​の​は​正しい​こと​か」を​ご覧​ください。