第​1​章

神に関する真理とは何ですか

神に関する真理とは何ですか
  • 神​は​本当​に​あなた​の​こと​を​気遣っ​て​おら​れ​ます​か。

  • 神​は​どの​よう​な​方​な​の​でしょ​う​か。神​に​は​名前​が​あり​ます​か。

  • 神​に​近づく​こと​は​でき​ます​か。

1,2 多く​の​場合,質問​する​と​どんな​良い​こと​が​あり​ます​か。

子ども​が​どの​よう​に​質問​を​する​か,お気づき​です​か。たいてい​は,言葉​を​覚える​と​すぐ​に​質問​し​始め​ます。目​を​ぱっちり​と​開け,じっ​と​あなた​を​見上げ​て,なぜ​空​は​青い​の? お星様​は​何​で​でき​て​いる​の? だれ​が​鳥​に​お歌​を​教え​た​の? など​と​質問​し​て​き​ます。あなた​は​何​と​か​答え​よう​と​し​ます​が,すぐ​に​答え​られる​と​は​限り​ませ​ん。とても​うまく​答え​た​と​思え​た​の​に,「でも,どうして?」と​さらに​質問​を​し​て​き​ます。

2 質問​する​の​は​子ども​だけ​で​は​あり​ませ​ん。人​は​質問​し​ながら​成長​し​て​ゆき​ます。質問​に​よっ​て,どの​道​を​進め​ば​よい​か​を​知り,避ける​べき​危険​を​察知​し,好奇​心​を​満足​さ​せる​の​です。しかし,非常​に​重要​な​点​に​つい​て​は​特に​そう​です​が,途中​で​考え​なく​なっ​て​しまう​人​が​多い​よう​です。少なく​と​も,答え​を​探そ​う​と​は​し​なく​なり​ます。

3 多く​の​人​が,非常​に​重要​な​質問​の​答え​を​探す​努力​を​やめ​て​しまう​の​は,なぜ​です​か。

3 この​本​の​表紙​の​質問​や​前書き​に​ある​質問,それ​から​この​章​の​最初​に​出​て​いる​質問​に​つい​て​考え​て​ください。この​よう​な​問い​は​あなた​に​も​関係​が​あり,非常​に​重要​な​意味​を​持っ​て​い​ます。しかし​多く​の​人​は,答え​を​探す​努力​を​やめ​て​しまい​まし​た。なぜ​でしょ​う​か。質問​の​答え​は​聖書​に​ない​の​でしょ​う​か。答え​は​難しすぎる​と​思う​人​も​いれ​ば,質問​する​と​きまり​の​悪い​思い​を​する​の​で​は​ない​か,と​心配​する​人​も​い​ます。そういう​質問​は​宗教​の​指導​者​や​教師​に​任せ​て​おく​の​が​一番,と​いう​見方​も​あり​ます。あなた​は​どう​思わ​れ​ます​か。

4,5 わたしたち​の​人生​に​関係​し​た​重要​な​問い​に​は,どんな​もの​が​あり​ます​か。その​答え​を​探す​べき​な​の​は​なぜ​です​か。

4 多分​あなた​も,人生​に​関係​し​た​重要​な​問い​の​答え​を​知り​たい​と​思わ​れる​でしょ​う。『生きる​目的​は​何​か。今​ある​命​が​すべて​な​の​か。神​は​実際​に​どの​よう​な​方​な​の​か』と​お考え​に​なっ​た​こと​が​ある​に​違いあり​ませ​ん。こう​し​た​疑問​を​持つ​の​は​良い​こと​です​が,大切​な​の​は,満足​の​ゆく​確実​な​答え​を​見つける​まで​あきらめ​ない​こと​です。教師​と​し​て​有名​な​イエス​・​キリスト​は​こう​言っ​て​おら​れ​ます。「求め​つづけ​なさい。そう​すれ​ば​与え​られ​ます。探し​つづけ​なさい。そう​すれ​ば​見いだせ​ます。たたき​つづけ​なさい。そう​すれ​ば​開か​れ​ます」。―マタイ 7:7

5 重要​な​質問​の​答え​を「探しつづけ(る)」なら,探し求める​こと​に​は​確か​に​報い​が​ある​と​いう​こと​に​気づか​れる​でしょ​う。(箴言 2:1‐5)ほか​の​人​たち​が​どんな​意見​を​述べる​と​し​て​も,答え​は​必ず​あり,必ず​見つける​こと​が​でき​ます。聖書​の​中​に​ある​の​です。答え​が​難しすぎる​と​いう​こと​は​あり​ませ​ん。もっと​うれしい​こと​に,その​答え​を​知れ​ば​希望​と​喜び​が​得​られ​ます。今​の​生活​も​満足​の​ゆく​もの​に​なり​ます。では​まず,これ​まで​多く​の​人​たち​を​悩ませ​て​き​た​問い​から​考え​ましょ​う。

気遣う​こと​の​ない​冷たい​神​か

6 神​が​人間​の​苦しみ​を​気遣っ​て​いる​はず​は​ない,と​考える​人​が​多い​の​は​なぜ​です​か。

6 この​質問​に,確か​に​そう​だ​と​答える​人​は​少なく​あり​ませ​ん。『気遣い​の​深い​神​だっ​たら,世​の​中​は​もっと​違っ​て​い​た​はず​で​は​ない​か』と​考える​の​です。世界​を​見回す​と,戦争​や​憎しみ,悲惨​な​こと​が​あふれ​て​い​ます。個々​の​人​に​つい​て​見​て​も,病気​に​なり,苦しみ,愛する​家族​を​死​に​よっ​て​奪わ​れ​ます。ですから,『もし​神​が​人間​の​こと​や​様々​な​問題​を​気​に​かけ​て​おら​れる​なら,その​よう​な​こと​が​起き​ない​よう​に​し​て​くれる​はず​で​は​ない​か』と,多く​の​人​は​言い​ます。

7 (イ)宗教​の​教師​たち​が​どんな​こと​を​唱え​た​の​で,多く​の​人​たち​は,神​は​冷たい​方​だ​と​思う​よう​に​なり​まし​た​か。(ロ)聖書​は,わたしたち​が​試練​を​受ける​こと​に​つい​て,実際​に​は​どんな​こと​を​教え​て​い​ます​か。

7 なお​悪い​こと​に,宗教​の​教師​たち​が,神​は​冷たい​方​だ​と​思わ​せる​場合​も​あり​ます。どの​よう​に​そう​する​の​でしょ​う​か。悲惨​な​こと​が​起こる​と,それ​は​神​の​ご意志​だ,と​言う​の​です。その​よう​な​教師​は,ひどい​こと​が​起き​た​の​は​神​の​せい​だ​と​唱え​て​いる​こと​に​なり​ます。しかし,神​は​本当​に​その​よう​な​方​でしょ​う​か。聖書​は​実際​に​は​何​を​教え​て​い​ます​か。ヤコブ 1​章​13​節​に​は​その​答え​が​記さ​れ​て​い​ます。「試練​に​遭う​とき,だれ​も,『わたし​は​神​から​試練​を​受け​て​いる』と​言っ​て​は​なり​ませ​ん。悪い​事柄​で​神​が​試練​に​遭う​と​いう​こと​は​ありえ​ませ​ん​し,その​よう​に​し​て​ご自身​が​だれ​か​に​試練​を​与える​こと​も​ない​から​です」。ですから,わたしたち​の​周囲​の​世界​に​見​られる​悪​が​神​から​来​て​いる​と​いう​こと​は​決して​あり​ませ​ん。(ヨブ 34:10‐12)確か​に,神​は​悪い​こと​が​起こる​の​を​あえて​とどめ​られ​ませ​ん。しかし,何​か​が​起こる​の​を​とどめ​ない​と​いう​こと​は,それ​が​起こる​よう​に​仕向ける​こと​と​は​全く​違い​ます。

8,9 (イ)悪​の​存在​を​とどめ​ない​こと​と,悪​が​存在​する​よう​に​仕向ける​こと​の​違い​を,どの​よう​に​説明​でき​ます​か。(ロ)人間​が​誤っ​た​道​を​進ん​で​も,それ​を​神​が​とどめ​ない​こと​で​神​を​非難​する​の​は,なぜ​正当​な​こと​で​は​あり​ませ​ん​か。

8 例えば,知恵​と​愛​の​ある​父親​の​成人​し​た​息子​が​まだ​親元​に​いる​と​いう​場合​を​考え​て​み​て​ください。息子​は​親​の​言う​こと​を​聞か​なく​なり,家​を​出る​こと​に​し​まし​た。父親​は​息子​を​止め​ませ​ん。息子​は​悪い​生き方​を​続け,面倒​な​問題​を​起こし​ます。では​父親​は​息子​が​問題​を​起こす​よう​に​仕向け​た​の​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。(ルカ 15:11‐13)それ​と​同じ​よう​に,神​は​人間​が​悪い​生き方​を​続ける​こと​に​し​て​も,それ​を​止め​ませ​ん​でし​た。しかし,だから​と​いっ​て,問題​が​起こる​よう​に​仕向け​た​の​は​神​で​ある,と​は​言え​ませ​ん。ですから,人間​が​抱える​面倒​な​問題​すべて​を​神​の​せい​に​する​の​は​正当​な​こと​で​は​あり​ませ​ん。

9 人間​が​悪い​道​を​進む​の​を​神​が​とどめ​ない​こと​に​は,十分​な​理由​が​あり​ます。知恵​と​力​を​持つ​創造​者​で​ある​神​に​は,その​理由​を​人間​に​説明​する​務め​は​あり​ませ​ん​が,それでも​人間​を​愛する​ゆえに​説明​し​て​ください​まし​た。関係​する​幾つ​か​の​理由​は,11​章で​詳しく​学び​ます。いずれ​に​し​て​も,人間​の​ぶつかる​困難​な​状況​に​つい​て​神​の​側​に​責任​は​ない​の​です。むしろ​神​は,唯一​の​解決​策​と​なる​希望​を​差し伸べ​て​おら​れ​ます。―イザヤ 33:2

10 神​が​悪​の​影響​すべて​を​取り除き,元​の​状態​に​される​と​確信​できる​の​は​なぜ​です​か。

10 さらに,神​は​聖​なる​方​です。(イザヤ 6:3)と​いう​こと​は,神​は​清く​て​純粋​な​方​で​ある​と​いう​意味​です。神​に​は​悪​の​かけら​も​あり​ませ​ん。ですから​神​は​全面​的​に​信頼​できる​方​です。人間​に​つい​て​は,そう​は​言え​ませ​ん。人間​は​堕落​し​て​しまう​こと​が​ある​から​です。たとえ,権威​の​ある​人​が​至って​正直​で​あっ​た​と​し​て​も,たいてい​は,悪い​人​たち​が​行なっ​た​有害​な​こと​を​取り除い​て​元​の​状態​に​する​だけ​の​力​は​あり​ませ​ん。しかし​神​は​全能​者,つまり​どんな​こと​で​も​行なえる​方​です。悪​が​人間​に​及ぼし​て​き​た​影響​すべて​を​取り除い​て​元​の​状態​に​する​力​と,その​よう​に​する​意志​を​お持ち​です。神​は​将来​に​行動​を​起こし,その​際​に​悪​を​永久​に​終わらせ​ます。―詩編 37:9‐11

神​は​人間​が​経験​する,公正​に​反する​事柄​を​どう​感じ​て​いる​か

11 (イ)神​は,公正​に​反する​事柄​に​つい​て,どう​感じ​て​おら​れ​ます​か。(ロ)神​は​あなた​の​苦しみ​に​つい​て​どう​感じ​て​おら​れ​ます​か。

11 では,今​の​世界​の​出来事​や,一人一人​の​生活​で​生じ​て​いる​事柄​に​つい​て,神​は​どう​感じ​て​おら​れる​の​でしょ​う​か。神​は「公正​を​愛さ​れる​方」で​ある,と​聖書​は​教え​て​い​ます。(詩編 37:28)ですから,正しい​こと​に​も​間違っ​た​こと​に​も​注意​を​払わ​れ​ます。公正​に​反する​事柄​を​すべて​憎ま​れ​ます。聖書​に​は,昔​この​世界​に​悪​が​満ち​た​時,神​は「その​心​に​痛み​を​覚え​られ​た」と​記さ​れ​て​い​ます。(創世記 6:5,6)神​は​変わっ​て​おら​れ​ませ​ん。(マラキ 3:6)世界​中​で​生じ​て​いる​苦しみ​を​見​て,今​も​辛く​感じ​て​おら​れ​ます。人々​が​苦しむ​の​を​見​て​辛く​感じ​られる​の​です。「神​は​あなた方​を​顧み​て​くださる」と​聖書​は​記し​て​い​ます。―ペテロ​第​一 5:7

聖書​は,エホバ​が​宇宙​の​創造​者​で,愛​の​ある​方​で​ある​こと​を​教え​て​いる

12,13 (イ)わたしたち​に​愛​を​はじめ​と​する​良い​特質​が​ある​の​は​なぜ​です​か。愛​を​働か​せれ​ば​この​世界​に​つい​て​どんな​見方​を​する​よう​に​なり​ます​か。(ロ)世界​の​問題​に​つい​て​神​が​実際​に​手​を​打た​れる​と​確信​できる​の​は,なぜ​です​か。

12 しかし,神​が​苦しみ​を​見​て​辛く​感じ​られる,と​なぜ​断言​できる​の​でしょ​う​か。そう​言える​根拠​は​ほか​に​も​あり​ます。聖書​は,人間​が​神​の​像​に​造ら​れ​た​と​教え​て​い​ます。(創世記 1:26)つまり​人間​に​良い​特質​が​ある​の​は,神​が​良い​特質​を​持っ​て​おら​れる​から​です。例えば​あなた​は,罪​の​ない​人​が​苦しむ​の​を​見れ​ば​心​が​痛む​の​で​は​ない​でしょ​う​か。公正​に​反する​そう​し​た​状態​が​人間​に​とっ​て​気がかり​で​ある​なら,神​に​とっ​て​は​もっと​気がかり​で​ある​はず​です。

13 人間​の​すばらしい​ところ​の​一つ​は,愛する​能力​が​ある​こと​です。そこ​に​も​神​の​特質​が​反映​さ​れ​て​い​ます。聖書​は,「神​は​愛」で​ある​と​教え​て​い​ます。(ヨハネ​第​一 4:8)わたしたち​は​神​が​愛し​て​くださる​の​で​愛し​ます。あなた​は​愛​の​気持ち​から,世界​に​見​られる​苦しみ​や,公正​に​反する​事柄​を​終わらせ​たい​と​思い​ます​か。自分​に​その​力​が​あれ​ば,実際​に​そう​さ​れる​でしょ​う​か。もちろん,そう​さ​れる​でしょ​う。神​が​苦しみ​と,公正​に​反する​事柄​を​終わらせる​の​は,同じ​よう​に​確か​な​こと​です。この​本​の​前書き​に​ある​約束​は,単なる​夢​や​理想​で​は​あり​ませ​ん。神​の​約束​は​必ず​実現​する​の​です。しかし,それら​の​約束​に​対する​信仰​を​持つ​に​は,約束​を​なさっ​た​神​に​つい​て​もっと​知る​必要​が​あり​ます。

あなた​が​神​を​知る​こと​を,神​は​望ん​で​おら​れる

自分​の​こと​を​だれ​か​に​知っ​て​ほしい​とき,自分​の​名前​を​知らせる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。神​は​聖書​の​中​で​わたしたち​に​お名前​を​はっきり​示し​て​おら​れ​ます

14 神​の​お名前​は​何​と​言い​ます​か。わたしたち​が​その​お名前​を​使う​べき​な​の​は​なぜ​です​か。

14 もし​あなた​が,自分​を​だれ​か​に​知っ​て​ほしい​と​思う​なら,どう​する​でしょ​う​か。自分​の​名前​を​知らせる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。神​に​は​名前​が​あり​ます​か。多く​の​宗教​は,「神」あるいは「主」が​名前​だ​と​答え​ます。しかし,それら​は​固有​の​名前​で​は​あり​ませ​ん。「王」と​か「大統領」と​同じ​よう​に​称号​な​の​です。聖書​で​は,神​に​は​多く​の​称号​が​ある​と​教え​て​い​ます。「神」も「主」も​その​一つ​です。しかし​聖書​は,神​に​は​固有​の​名前​が​ある​こと​も​教え​て​おり,詩編 83​編​18​節​に​は,「その​名​を​エホバ​と​いう​あなた​が,ただ​あなた​だけ​が​全地​を​治める​至高​者​で​ある」と​記さ​れ​て​い​ます。ご自分​の​聖書​翻訳​に​この​名​が​含ま​れ​て​い​ない​とき​は,付録​の「神​の​お名前 ― それ​を​用いる​こと​と​その​意味」を​ご覧​に​なれ​ば,なぜ​含ま​れ​て​い​ない​の​か​が​分かる​でしょ​う。事実​を​言え​ば,神​の​お名前​は​古代​の​聖書​写本​に​何千​回​も​出​て​き​ます。ですから,エホバ​は​あなた​が​その​名前​を​知り,使う​こと​を​望ん​で​おら​れ​ます。神​は​いわば​聖書​を​用い​て,自己​紹介​を​し​て​おら​れる​の​です。

15 エホバ​と​いう​名前​に​は​どんな​意味​が​あり​ます​か。

15 神​が​ご自身​に​付け​た​名前​に​は​深い​意味​が​あり​ます。その​名前​エホバ​に​は,神​は​ご自分​の​述べ​た​約束​を​すべて​果たす​こと​が​でき,考え​て​おら​れる​どんな​目的​を​も​遂行​できる​と​いう​意味​が​あり​ます。 * この​お名前​は​唯一,独特​の​もの​です。この​方​だけ​の​名前​です。エホバ​は​他​の​多く​の​点​で​も​独特​の​方​です。どうして​そう​言える​の​でしょ​う​か。

16,17 次​の​称号​から,エホバ​に​つい​て​何​を​学べ​ます​か。(イ)「全能​者」,(ロ)「とこしえ​の​王」,(ハ)「創造​者」。

16 詩編 83​編​18​節​に​は,エホバ​に​つい​て,『あなた​だけ​が​至高​者​です』と​記さ​れ​て​い​まし​た。「全能​者」と​呼ば​れ​て​いる​の​も​エホバ​だけ​です。啓示 15​章​3​節​に​は​こう​あり​ます。「全能​者​なる​エホバ​神,あなた​の​み業​は​偉大​で,驚く​べき​もの​です。とこしえ​の​王​よ,あなた​の​道​は​義​に​かな​い,真実​です」。「全能​者」と​いう​称号​から​分かる​とおり,エホバ​は​最も​強力​な​方​です。その​力​に​並ぶ​者​は​い​ませ​ん。最高​の​力​を​持っ​て​おら​れ​ます。「とこしえ​の​王」と​いう​称号​から​は,エホバ​が​別​の​意味​で​も​独特​な​方​で​ある​こと​が​分かり​ます。これ​まで​常​に​存在​し​て​き​た​の​は​エホバ​だけ​な​の​です。詩編 90​編​2​節​は,「実​に,定め​の​ない​時​から​定め​の​ない​時​に​至る​まで[つまり,永久​に],あなた​は​神​です」と​述べ​て​い​ます。この​点​を​考える​と​畏敬​の​念​を​覚える​の​で​は​ない​でしょ​う​か。

17 エホバ​は,ただ​ひとり​創造​者​と​呼ば​れ​て​いる​点​で​も​独特​な​方​です。啓示 4​章​11​節​は​こう​述べ​て​い​ます。「エホバ,わたしたち​の​神​よ,あなた​は​栄光​と​誉れ​と​力​を​受ける​に​ふさわしい​方​です。あなた​は​すべて​の​もの​を​創造​し,あなた​の​ご意志​に​よっ​て​すべて​の​もの​は​存在​し,創造​さ​れ​た​から​です」。天​に​いる​目​に​見え​ない​霊​の​被​造物​から,夜空​に​ちりばめ​られ​た​星,木​に​実る​果物,海​や​川​を​泳ぐ​魚​に​至る​まで,あなた​が​思い浮かべる​こと​の​できる​どんな​もの​も,エホバ​が​創造​者​で​あら​れる​から​こそ​存在​し​て​いる​の​です。

エホバ​に​近づく​こと​が​できる​か

18 自分​は​決して​神​に​近づく​こと​は​でき​ない,と​感じる​人​が​いる​の​は​なぜ​です​か。しかし​聖書​は​何​を​教え​て​い​ます​か。

18 畏敬​の​念​を​抱か​せる​エホバ​の​特質​に​つい​て​読む​と,少し​不安​を​感じる​人​も​い​ます。神​は​人間​から​あまり​に​かけ離れ​て​いる​の​で​近づく​こと​は​絶対​に​でき​ない,自分​は​その​よう​な​崇高​な​神​から​見る​と​全く​つまら​ない​存在​だ,と​思う​の​です。しかし,それ​は​正しい​考え​です​か。聖書​の​教え​は​その​正​反対​です。エホバ​に​つい​て,「実際​の​ところ​神​は,わたしたち​ひとりひとり​から​遠く​離れ​て​おら​れる​わけ​で​は​あり​ませ​ん」と​書い​て​ある​の​です。(使徒 17:27)聖書​に​は「神​に​近づき​なさい。そうすれば,神​は​あなた方​に​近づい​て​ください​ます」と​いう​言葉​も​あり​ます。―ヤコブ 4:8

19 (イ)神​に​近づく​ため​に,まず​何​が​でき​ます​か。そう​する​なら,どんな​益​が​あり​ます​か。(ロ)神​の​特質​の​中​で,あなた​が​特に​引か​れる​の​は​何​です​か。

19 では,どう​すれ​ば​神​に​近づく​こと​が​できる​でしょ​う​か。まず,いま​行なっ​て​いる​よう​に,神​に​つい​て​学ぶ​こと​を​続け​て​ください。イエス​は​こう​言わ​れ​まし​た。「彼ら​が,唯一​まこと​の​神​で​ある​あなた​と,あなた​が​お遣わし​に​なっ​た​イエス​・​キリスト​に​つい​て​の​知識​を​取り入れる​こと,これ​が​永遠​の​命​を​意味​し​て​い​ます」。(ヨハネ 17:3)そう​です,聖書​は,エホバ​と​イエス​に​つい​て​学ぶ​こと​は「永遠​の​命」に​つながる,と​教え​て​い​ます。すでに​見​た​よう​に,「神​は​愛」です。(ヨハネ​第​一 4:16)エホバ​は​ほか​に​も,すばらしい​魅力​的​な​特質​を​たくさん​お持ち​です。例えば,エホバ​は「憐れみ​と​慈しみ​に​富み,怒る​こと​に​遅く,愛​ある​親切​と​真実​と​に​満ちる​神」で​ある,と​記さ​れ​て​い​ます。(出エジプト​記 34:6)神​は「善良​で,進ん​で​許し​て​くださる」方​です。(詩編 86:5)辛抱強い​方​です。(ペテロ​第​二 3:9)忠節​な​方​です。(啓示 15:4)聖書​を​読ん​で​ゆけ​ば,ここ​に​挙げ​た​もの​だけ​で​なく​他​の​多く​の​魅力​的​な​特質​を​エホバ​が​どの​よう​に​示し​て​こら​れ​た​か​が​分かる​でしょ​う。

20‐22 (イ)神​を​見る​こと​が​でき​ない​こと​は,神​に​近づく​妨げ​と​なり​ます​か。説明​し​て​ください。(ロ)中​に​は,悪気​は​ない​もの​の,どんな​こと​を​し​よう​と​する​人​が​現われる​か​も​しれ​ませ​ん​か。しかし,あなた​は​どう​す​べき​です​か。

20 確か​に,神​は​目​に​見え​ない​霊​で​あり,神​を​見る​こと​は​でき​ませ​ん。(ヨハネ 1:18; 4:24。テモテ​第​一 1:17)それでも,聖書​を​通し​て​神​に​つい​て​学ぶ​なら,人格​を​持つ​方​と​し​て​の​神​を​知る​こと​が​できる​よう​に​なり​ます。詩編​作者​が​述べ​た​よう​に,あなた​も「エホバ​の​快さ​を​見る」こと​が​でき​ます。(詩編 27:4。ローマ 1:20)エホバ​に​つい​て​学べ​ば​学ぶ​ほど,エホバ​は​あなた​に​とっ​て​現実​的​な​存在​と​なり,あなた​は​いっそう​エホバ​を​愛し,エホバ​を​身近​に​感じる​よう​に​なり​ます。

良い​父親​が​自分​の​子ども​に​対し​て​感じる​愛​は,天​の​父​が​わたしたち​に​対し​て​感じる,より​大きな​愛​を​反映​し​て​いる

21 さらに,聖書​が​エホバ​を​わたしたち​の​父​と​考える​よう​に​教え​て​いる​理由​も​分かっ​て​くる​でしょ​う。(マタイ 6:9)わたしたち​の​命​が​神​から​出​て​いる​と​いう​の​も​一つ​の​理由​で​あり,神​は​わたしたち​の​生活​が​できる​だけ​良い​もの​と​なる​こと​を​望ん​で​おら​れる,と​いう​こと​も​あり​ます。愛情​深い​父親​が​子ども​に​そう​望む​の​と​同じ​です。(詩編 36:9)聖書​は​さらに,人間​が​エホバ​の​友​に​なれる​と​いう​こと​も​教え​て​い​ます。(ヤコブ 2:23)想像​し​て​み​て​ください。あなた​も​宇宙​の​創造​者​の​友​に​なる​こと​が​できる​の​です。

22 聖書​を​学ぶ​に​つれ,悪気​は​ない​もの​の,この​よう​な​研究​を​是非​と​も​やめ​させ​よう​と​する​人​たち​が​現われる​か​も​しれ​ませ​ん。別​の​宗教​に​替わっ​て​は​困る​と​思う​人​も​いる​でしょ​う。しかし,最も​価値​の​ある​友情​を​はぐくむ​こと​を,だれ​に​も​妨げ​られ​ない​よう​に​し​て​ください。

23,24 (イ)自分​が​学ん​で​いる​事柄​に​つい​て​質問​する​の​を​やめる​べき​で​ない​の​は​なぜ​です​か。(ロ)次​の​章​で​は​どんな​点​に​つい​て​考え​ます​か。

23 もちろん,最初​は​理解​でき​ない​点​も​ある​でしょ​う。助け​を​求める​こと​に​は​やや​抵抗​を​感じる​か​も​しれ​ませ​ん​が,その​ため​に​遠慮​なさら​ない​で​ください。イエス​は,子ども​の​よう​に​謙遜​で​ある​の​は​良い​こと​で​ある​と​言わ​れ​まし​た。(マタイ 18:2‐4)ご存じ​の​よう​に,子ども​は​たくさん​の​質問​を​し​ます。神​は​あなた​に​答え​を​見つけ​て​ほしい​と​思っ​て​おら​れ​ます。聖書​で​は,神​に​つい​て​熱心​に​学ん​だ​人​たち​が​ほめ​られ​て​い​ます。その​人​たち​は​聖書​を​注意深く​調べ,自分​たち​の​学ん​で​いる​事柄​が​真理​か​どう​か​を​確認​し​た​の​です。―使徒 17:11

24 エホバ​に​つい​て​学ぶ​一番​良い​方法​は,聖書​を​調べること​です。聖書​は​他​の​どんな​本​と​も​異なっ​て​い​ます。どの​よう​に​違う​の​でしょ​う​か。次​の​章​で​その​点​に​つい​て​考え​ましょ​う。

^ 15節 付録​の「神​の​お名前 ― それ​を​用いる​こと​と​その​意味」に​は,神​の​お名前​の​意味​と​発音​に​つい​て,さらに​詳しい​こと​が​記さ​れ​て​い​ます。