記念​式​で​一致​の​快さ​を​味わい​ましょ​う

記念​式​で​一致​の​快さ​を​味わい​ましょ​う

「一致​の​うち​に​共​に​住む​の​は​何​と​良い​こと​で​あろ​う。それ​は​何​と​快い​こと​で​あろ​う」。詩 133:1

歌: 149,99

1,2. 2018​年​3​月​31​日,どんな​イベント​が​行なわ​れ​ます​か。その​イベント​で​は​どんな​一致​が​見​られ​ます​か。(冒頭​の​写真​を​参照。)

2018​年​3​月​31​日​の​日没​後,エホバ​の​証人​は​年​に​1​度​の​主​の​晩さん​に​出席​し​ます。聖書​に​関心​を​持つ​人​たち​も​大勢​出席​し​ます。地球​の​自転​と​共​に​世界​各地​で​この​式​が​行なわ​れ,2000万​人​ほど​の​人​が​キリスト​の​死​を​記念​する​こと​でしょ​う。世界​中​の​人々​を​1​つ​に​結び合わせる​素晴らしい​イベント​です。

2 エホバ​と​イエス​は​地球​上​の​大勢​の​人​たち​が​各地​の​記念​式​に​出席​する​様子​を​見​て,どんな​に​か​喜ば​れる​こと​でしょ​う。聖書​の​預言​に​よれ​ば,「すべて​の​国民​と​部族​と​民​と​国語​の​中​から​来​た,だれ​も​数えつくす​こと​の​でき​ない​大​群衆」は​大声​で​こう​言い​ます。「救い​は,み座​に​座っ​て​おら​れる​わたしたち​の​神​と,子羊​と​に​より​ます」。(啓 7:9,10)わたしたち​は​毎年​の​記念​式​に​出席​する​こと​に​より,エホバ​と​イエス​を​たたえ,深い​感謝​を​表わす​こと​が​でき​ます。

3. この​記事​で​は​どんな​点​を​取り上げ​ます​か。

3 この​記事​で​は​次​の​点​を​取り上げ​ます。(1)記念​式​から​益​を​得る​ため,どんな​準備​が​でき​ます​か。(2)記念​式​は​どの​よう​に​神​の​民​を​1​つ​に​結び合わせ​ます​か。(3)どの​よう​に​一致​に​貢献​でき​ます​か。(4)いつか​最後​の​記念​式​が​行なわ​れる​こと​に​なり​ます​か。もし​そう​なら,いつ​です​か。

記念​式​から​益​を​得る​ため,どんな​準備​が​できる​か

4. 記念​式​に​出席​する​こと​が​大切​な​の​は​なぜ​です​か。

4 記念​式​に​出席​する​こと​が​大切​な​の​は​なぜ​です​か。会衆​の​集会​は​崇拝​の​一部​です。エホバ​と​イエス​は,1​年​で​最も​大切​な​この​集会​に​出席​する​努力​に​注目​し​て​おら​れ​ます。健康​上​の​問題​など​やむ​を​得​ない​事情​が​ない​限り,記念​式​に​出席​し​て​いる​ところ​を​エホバ​と​イエス​に​見​て​いただき​たい​と​思い​ます。崇拝​の​ため​の​集会​を​大切​に​し​て​いる​こと​を​行動​で​示す​なら,エホバ​は​わたしたち​の​名前​を「覚え​の​書」,つまり​永遠​の​命​を​得る​人​の​名前​が​記さ​れ​た「命​の​書」に​とどめ​て​くださる​でしょ​う。(マラ 3:16。啓 20:15

5. 記念​式​まで​の​間,「自分​が​信仰​に​ある​か​どう​か​を」どの​よう​に「試[す]」こと​が​でき​ます​か。

5 記念​式​まで​の​間,祈り​つつ,自分​と​エホバ​と​の​関係​に​つい​て​じっくり​考え​ましょ​う。コリント​第​二 13:5を​読む。)その​際,「自分​が​信仰​に​ある​か​どう​か​を……試し」ましょ​う。こう​自問​でき​ます。「この​組織​は​エホバ​が​ご意志​を​行なう​ため​に​用い​て​おら​れる​唯一​の​組織​で​ある,と​確信​し​て​いる​だろ​う​か。王国​の​良い​たより​を​伝え,教える​ため​に,ベスト​を​尽くし​て​いる​だろ​う​か。自分​の​生き方​に​は,今​が​終わり​の​日​で​あり,サタン​の​支配​の​終わり​が​近い​と​いう​信仰​が​表われ​て​いる​だろ​う​か。エホバ​と​イエス​に​対する​信仰​は,献身​し​た​時​と​同じ​ほど​強い​もの​だろ​う​か」。(マタ 24:14。テモ​二 3:1。ヘブ 3:14)こう​し​た​点​を​考える​こと​は,自分​が​どんな​者​か​を​絶え​ず​吟味​する​うえ​で​役立ち​ます。

6. (イ)永遠​の​命​を​得る​に​は​何​が​必要​です​か。(ロ)ある​長老​は,毎年​記念​式​に​備え​て​どんな​こと​を​し​て​い​ます​か。あなた​は​どんな​こと​を​し​たい​と​思い​ます​か。

6 記念​式​の​大切​さ​を​説明​し​た​記事​を​読ん​で​黙想​する​の​は​良い​こと​です。ヨハネ 3:16; 17:3を​読む。)永遠​の​命​を​得る​に​は,エホバ​に​つい​て​の「知識​を​取り入れ」,神​の​独り子​イエス​に「信仰​を​働か​せる」こと​が​必要​です。記念​式​に​備え​て,エホバ​と​イエス​に​いっそう​近づく​ため​の​個人​研究​を​し​て​みる​の​は​いかが​です​か。長い​経験​を​持つ​一​人​の​長老​は​これ​まで​何​年​も​の​間,記念​式​や​エホバ​と​イエス​の​愛​に​つい​て​取り上げ​た「ものみの塔」の​記事​を​集め​て​い​ます。記念​式​前​の​数​週​間,それら​の​記事​を​読み返し,記念​式​の​意義​を​熟考​し​ます。時折,その​資料​に​1​つか​2​つ​の​記事​を​加え​ます。この​兄弟​は,そう​し​た​記事​を​読み返し,記念​式​の​聖書​朗読​の​範囲​を​読ん​で​黙想​する​こと​で,毎年​新た​な​点​を​発見​し​て​い​ます。何​より​も,エホバ​と​イエス​に​対する​愛​が​深まっ​て​い​ます。あなた​も​その​よう​な​個人​研究​を​する​なら,エホバ​と​イエス​に​対する​愛​と​感謝​が​深まる​でしょ​う。記念​式​から​いっそう​大きな​益​を​得る​こと​が​でき​ます。

記念​式​は​わたしたち​を​1​つ​に​結び合わせる

7. (イ)最初​の​主​の​晩さん​が​行なわ​れ​た​夜,イエス​は​どんな​こと​を​祈り​まし​た​か。(ロ)エホバ​は​イエス​の​祈り​に​どの​よう​に​答え​られ​まし​た​か。

7 最初​の​主​の​晩さん​が​行なわ​れ​た​夜,イエス​は​ご自分​の​追随​者​たち​が​みな​1​つ​に​なる​よう​に​と​祈り​まし​た。また,ご自分​と​父​エホバ​が​結びつい​て​いる​の​と​同じ​よう​に,彼ら​も​互い​に​結びつく​こと​を​祈り​求め​まし​た。ヨハネ 17:20,21を​読む。)エホバ​は​イエス​の​この​祈り​に​答え​られ​まし​た。今​で​は​何百万​人​も​の​人​たち​が,エホバ​が​イエス​を​遣わし​て​くださっ​た​こと​を​信じ​て​い​ます。エホバ​の​証人​の​集会​の​中​で​も​記念​式​は,神​の​民​の​一致​を​示す​強力​な​証拠​と​なっ​て​い​ます。様々​な​国籍​や​人種​の​人​たち​が​世界​中​で​共​に​集まり​ます。国​に​よっ​て​は,異なる​人種​の​人​たち​が​共​に​宗教​の​集まり​に​出席​する​こと​は​めった​に​あり​ませ​ん。そう​し​た​集まり​に​眉​を​ひそめる​人​たち​も​い​ます。しかし,エホバ​と​イエス​は​その​よう​な​一致​を​美しい​もの​と​ご覧​に​なり​ます。

8. エホバ​は​エゼキエル​を​通し​て​どんな​こと​を​予告​さ​れ​まし​た​か。

8 神​の​民​の​間​に​見​られる​一致​は​驚く​に​は​当たり​ませ​ん。実際,エホバ​は​神​の​民​の​一致​を​予告​し​て​おら​れ​まし​た。「ユダ……の​ため」の​棒​と「ヨセフ​の​ため」の​棒​が​1​つ​に​なる​と​いう​預言​です。エゼキエル 37:15‐17を​読む。)「ものみの塔」2016​年​7​月​号​の「読者​から​の​質問」は​こう​説明​し​て​い​ます。「エホバ​は​預言​者​エゼキエル​を​通し​て,イスラエル​国民​が​約束​の​地​に​戻っ​て​1​つ​に​なる​こと​を​予告​さ​れ​まし​た。この​預言​は,終わり​の​日​に​神​の​民​が​1​つ​に​なる​こと​も​予告​し​て​い​まし​た」。

9. 毎年​の​記念​式​の​際,エゼキエル​が​預言​し​た​どんな​一致​を​見る​こと​が​でき​ます​か。

9 1919​年​以降,エホバ​は​まず​油そそが​れ​た​者​たち​を​徐々​に​再​組織​し​て​再び​1​つ​に​結ば​れ​まし​た。象徴​的​な​意味​で,その​人々​は「ユダ……の​ため」の​棒​の​よう​でし​た。その​後,地的​な​希望​を​持つ​大勢​の​人々​が​油そそが​れ​た​者​たち​に​加わっ​て​いき​まし​た。彼ら​は「ヨセフ​の​ため」の​棒​の​よう​でし​た。この​2​つ​の​グループ​は「一つ​の​群れ」に​なり​まし​た。(ヨハ 10:16。ゼカ 8:23)エホバ​は​この​2​本​の​棒​を​ご自分​の​手​の​中​で​1​つ​に​する​こと​を​約束​し​て​おら​れ​まし​た。(エゼ 37:19)今日,この​2​つ​の​グループ​は,神​の「僕​ダビデ」と​呼ば​れ​て​いる​1​人​の​王,つまり​栄光​を​受け​た​イエス​・​キリスト​の​もと​で,一致​し​て​エホバ​に​仕え​て​い​ます。(エゼ 37:24,25)毎年,油そそが​れ​た​残り​の​者​と「ほか​の​羊」が​キリスト​の​死​の​記念​式​に​共​に​出席​する​時,エゼキエル​が​描写​し​た​一致​が​はっきり​見​られ​ます。では,わたしたち​は​どの​よう​に​その​一致​を​守り,促進​する​こと​が​できる​でしょ​う​か。

どの​よう​に​一致​を​促進​できる​か

10. 神​の​民​の​一致​を​どの​よう​に​促進​でき​ます​か。

10 神​の​民​の​一致​を​促進​する​一つ​の​方法​は,謙遜​さ​を​培う​こと​です。イエス​は​地上​に​い​た​時,弟子​たち​に​謙遜​に​なる​よう​教え​まし​た。(マタ 23:12)謙遜​で​あれ​ば,世​の​人々​の​よう​に​高慢​に​なっ​たり​し​ませ​ん。指導​の​任​に​当たっ​て​いる​人​たち​に​従い​ます。その​よう​な​従順​な​態度​は​会衆​の​一致​に​欠か​せ​ませ​ん。何​より​も,謙遜​で​あれ​ば​神​が​喜ん​で​ください​ます。「神​は​ごう慢​な​者​に​敵対​し,謙遜​な​者​に​過分​の​ご親切​を​施さ​れる​から​です」。(ペテ​一 5:5

11. 記念​式​の​表象​物​に​つい​て​じっくり​考える​こと​は,一致​を​促進​する​うえ​で​どの​よう​に​役立ち​ます​か。

11 一致​を​促進​する​2​つ​目​の​方法​は,記念​式​の​表象​物​に​つい​て​じっくり​考える​こと​です。記念​式​の​前,また​特に​記念​式​の​晩,パン​と​ぶどう​酒​が​何​を​表わす​か​を​真剣​に​考え​て​ください。(コリ​一 11:23‐25)無​酵母​パン​は​イエス​が​ささげ​た​罪​の​ない​体​を​表わし,赤​ぶどう​酒​は​イエス​の​流し​た​血​を​表わし​て​い​ます。でも,そう​し​た​こと​を​頭​で​理解​する​だけ​で​は​不​十分​です。キリスト​の​贖い​の​犠牲​に​は,エホバ​と​イエス​の​深い​愛​が​表われ​て​い​ます。エホバ​は​わたしたち​の​ため​に​イエス​を​与え,イエス​は​わたしたち​の​ため​に​命​を​なげうっ​て​ください​まし​た。エホバ​と​イエス​の​愛​に​つい​て​思い巡らす​と,わたしたち​も​エホバ​と​イエス​を​愛さ​ず​に​は​いら​れ​ませ​ん。クリスチャン​が​エホバ​に​対し​て​抱く​愛​は​互い​を​結び合わせ,一致​の​絆​を​強め​ます。

他​の​人​を​許す​なら,一致​に​貢献​できる。(12,13​節​を​参照。)

12. イエス​の​例え​から​エホバ​が​何​を​望ん​で​おら​れる​こと​が​分かり​ます​か。

12 一致​を​促進​する​3​つ​目​の​方法​は,他​の​人​を​進ん​で​許す​こと​です。エホバ​は​キリスト​の​贖い​に​基づい​て​わたしたち​の​罪​を​許し​て​ください​ます。傷つけ​られ​て​も​相手​を​許す​なら,自分​の​罪​が​許さ​れ​て​いる​こと​へ​の​感謝​を​表わせ​ます。マタイ 18​章​23‐34​節​に​記さ​れ​て​いる​イエス​の​例え​に​つい​て​考え,こう​自問​し​て​ください。「イエス​の​教え​を​当てはめ​たい​と​思う​だろ​う​か。兄弟​姉妹​に​辛抱強さ​や​思いやり​を​示す​だろ​う​か。自分​を​傷つけ​た​人​を​進ん​で​許す​だろ​う​か」。もちろん,罪​に​も​様々​な​程度​の​もの​が​あり,不​完全​な​わたしたち​に​とっ​て​なかなか​許せ​ない​罪​も​あり​ます。それでも​この​例え​から,エホバ​が​何​を​望ん​で​おら​れる​か​が​分かり​ます。マタイ 18:35を​読む。)イエス​が​はっきり​教え​た​とおり,許す​べき​十分​な​理由​が​ある​の​に​兄弟​たち​を​許さ​ない​なら,エホバ​も​わたしたち​を​許し​て​ください​ませ​ん。考え​させ​られる​の​で​は​あり​ませ​ん​か。イエス​の​教え​に​従っ​て​他​の​人​を​許す​なら,神​の​民​の​大切​な​一致​を​守る​こと​が​でき​ます。

13. どう​すれ​ば​兄弟​姉妹​と​の​平和​な​関係​を​保て​ます​か。

13 他​の​人​を​許す​なら,兄弟​姉妹​と​の​平和​な​関係​を​保て​ます。パウロ​は,「結合​の​きずな​で​ある​平和​の​うち​に​霊​の​一致​を​守る​ため​真剣​に​励み​なさい」と​勧め​まし​た。(エフェ 4:3)記念​式​の​時期,特に​記念​式​の​晩,自分​が​日ごろ​他​の​人​に​どの​よう​に​接し​て​いる​か​を​考え​ましょ​う。こう​自問​でき​ます。「自分​は​根​に​持た​ない​人​と​し​て​知ら​れ​て​いる​だろ​う​か。平和​と​一致​を​保つ​ため​に​努力​し​て​いる​こと​が,他​の​人​の​目​に​も​明らか​だろ​う​か」。記念​式​の​時期​に​こう​し​た​点​を​真剣​に​考える​の​は​良い​こと​です。

14. どう​すれ​ば「愛​の​うち​に​互い​に​忍[ぶ]」こと​が​でき​ます​か。

14 一致​を​促進​する​4​つ​目​の​方法​は,愛​の​神​エホバ​に​倣っ​て​他​の​人​に​愛​を​示す​こと​です。(ヨハ​一 4:8)わたしたち​は​兄弟​姉妹​に​つい​て​こんな​ふう​に​は​言い​たく​あり​ませ​ん。「一応,愛​は​示す​けれど,好き​に​は​なれ​ない」。その​よう​な​考え方​は,「愛​の​うち​に​互い​に​忍び」なさい​と​いう​パウロ​の​助言​に​反し​ます。(エフェ 4:2)パウロ​は,単に「互い​に​忍び」なさい​と​で​は​なく,「愛​の​うち​に」忍びなさ​いと​勧め​まし​た。会衆​に​は​様々​な​個性​や​背景​の​人​が​い​ます。皆,エホバ​が​引き寄せ​た​人​たち​です。(ヨハ 6:44)エホバ​は​彼ら​を​いと​おしく​感じ​て​おら​れる​の​です。ですから​兄弟​姉妹​に​つい​て,「あの​人​は​好き​に​なれ​ない」と​決めつけ​ない​よう​に​し​ましょ​う。むしろ,エホバ​が​望ん​で​おら​れる​よう​に,心​から​愛する​よう​努力​す​べき​です。(ヨハ​一 4:20,21

最後​の​記念​式 いつ?

15. いつか​最後​の​記念​式​が​行なわ​れる,と​言える​の​は​なぜ​です​か。

15 いつか​最後​の​記念​式​が​行なわ​れる​こと​に​なり​ます。なぜ​そう​言え​ます​か。パウロ​は,油そそが​れ​た​クリスチャン​が​毎年​イエス​の​死​の​記念​式​を​行なう​こと​に​よっ​て「主​の​死​を​ふれ告げ​て​ゆく​の​で​あり,それ​は​彼​が​到来​する​時​に​まで​及ぶ」と​述べ​て​い​ます。(コリ​一 11:26)彼​つまり​イエス​が「到来​する」時​と​は​いつ​の​こと​でしょ​う​か。それ​は​イエス​が​終わり​の​時​に​関する​預言​の​中​で​述べ​た,イエス​が「来る」時​の​こと​です。イエス​は​大​患難​に​つい​て​こう​言い​まし​た。「人​の​子​の​しるし​が​天​に​現われ​ます。そして​その​時,地​の​すべて​の​部族​は​嘆き​の​あまり​身​を​打ちたたき,彼ら​は,人​の​子​が​力​と​大いなる​栄光​を​伴い,天​の​雲​に​乗っ​て​来る​の​を​見る​でしょ​う。そして[イエス]は,大きな​ラッパ​の​音​と​とも​に​自分​の​使い​たち​を​遣わし,彼ら​は,四方​の​風​から,天​の​一つ​の​果て​から​他​の​果て​に​まで,その​選ば​れ​た​者​たち​を​集める​でしょ​う」。(マタ 24:29‐31)「選ば​れ​た​者​たち[が]集め」られる​の​は,地上​に​残っ​て​いる​油そそが​れ​た​クリスチャン​すべて​が​天​で​の​報い​を​受ける​時​です。それ​は​大​患難​の​最初​の​部分​の​後,ハルマゲドン​の​戦い​の​前​に​生じ​ます。その​後,14万4000​人​全員​が​イエス​と​共​に​地​の​王​たち​を​征服​し​ます。(啓 17:12‐14)ですから,イエス​が「到来」し​て​油そそが​れ​た​者​たち​が​集め​られる​前​に​行なわ​れる​記念​式​が,最後​の​記念​式​と​なる​でしょ​う。

16. あなた​は​今年​の​記念​式​に​出席​し​たい​と​思い​ます​か。なぜ​です​か。

16 では,ぜひ​2018​年​3​月​31​日​の​記念​式​に​出席​し​ましょ​う。これ​から​も​神​の​民​の​一致​に​貢献​できる​よう,エホバ​に​助け​を​祈り​求め​ましょ​う。詩編 133:1を​読む。)いつか​最後​の​記念​式​が​行なわ​れ​ます。それ​まで​の​間,記念​式​に​毎年​出席​する​努力​を​払っ​て​ください。記念​式​で​一致​の​快さ​を​味わい​ましょ​う。