矯正 神の愛の証拠
「エホバは自分の愛する者を懲らしめられる」。ヘブ 12:6
1. 聖書に出てくる「懲らしめ」という言葉にはどんな意味がありますか。
「懲らしめ」とか「矯正」と聞くと,どんなことが頭に浮かびますか。罰を与えることかもしれません。しかし,聖書で言う「懲らしめ[または,矯正]」には良い意味があり,知識や知恵や愛や命と共に言及されています。(箴 1:2‐7; 4:11‐13)神がわたしたちを矯正するのは,わたしたちを愛し,永遠の命を得てほしいと願っておられるからです。(ヘブ 12:6)神が与える矯正は罰を伴うこともありますが,決して残酷なものではありません。矯正はおもに教えることと関係しています。親子の例で考えてみましょう。
2,3. 矯正には教えることと罰を与えることが含まれます。例を挙げて説明してください。(冒頭の写真を参照。)
2 ジョニーという男の子が,家の中でボール遊びをしています。母親は言います。「家の中でボール遊びをしちゃだめって言ったでしょ。何か壊しちゃったらどうするの」。でもジョニーはそれを無視してボール遊びを続け,花瓶を壊してしまいます。母親はどうするでしょうか。ジョニーを矯正するために,教えることと罰を与えることの両方をするかもしれません。まず,ジョニーのしたことがなぜいけないかを話します。親が作った決まりにはきちんとした理由があることを説明し,親に従うことの大切さを教えます。その後,適切な罰を与えるかもしれません。例えば,ボールを取り上げ,しばらくボールで遊べなくするかもしれません。親に従わないならそれなりの結果になる,ということを理解させます。
3 クリスチャン会衆の成員であるわたしたちは神の家の者です。(テモ一 3:15)エホバは規準を定める権利と,その規準に従わない者を矯正する権利をお持ちです。わたしたちは愚かな行動をして悪い結果を身に招くことがあります。矯正を受けるなら,天の父に従うことがどれほど大切かを銘記できるでしょう。(ガラ 6:7)神はわたしたちを深く気遣い,心痛を味わわなくてすむようにと願っておられます。(ペテ一 5:6,7)
4. (イ)エホバはどのような訓練を祝福されますか。(ロ)この記事ではどんなことを考えますか。
4 聖書に基づく矯正を与えるなら,子どもや聖書研究生はキリストの追随者になるという目標を達成できます。訓練の主な道具は聖書です。聖書を用いて「義にそって訓育する」なら,子どもや研究生は「[イエス]が……命令した事柄すべてを」理解し,「守り行なう」ようになるでしょう。(テモ二 3:16。マタ 28:19,20)エホバはそのような訓練を祝福されます。研究生は,キリストの弟子となるよう他の人を助けることができます。(テトス 2:11‐14を読む。)これから3つの点を考えましょう。(1)神の矯正にはどのように愛が表われていますか。(2)神が矯正した人たちの例から何を学べますか。(3)矯正を与える時,どのようにエホバとイエスに倣えますか。
神は愛に動かされて矯正してくださる
5. エホバの矯正にはどのように愛が表われていますか。
5 エホバは愛に動かされてわたしたちを正し,教育し,訓練してくださいます。わたしたちが神の愛のうちにとどまり,命の道を歩み続けられるようにするためです。(ヨハ一 4:16)神はわたしたちを見下げたり侮辱したりして,自尊心を失わせることはありません。(箴 12:18)むしろ,わたしたちの尊厳を認め,良い特質に注意を向け,自由意志を尊重してくださいます。あなたは,聖書,出版物,親,長老たちを通して矯正を受ける時,神の愛を感じ取っていますか。わたしたちがそれと知らずに「誤った歩み」をする時,愛情深く温和に再調整してくれる長老たちは,エホバの愛に倣っているのです。(ガラ 6:1)
6. 矯正によって特権を失うとしても,それが神の愛の表われと言えるのはなぜですか。
6 矯正には,助言を与える以上のことが関係します。重大な罪を犯すなら,会衆での特権を失うかもしれません。そのような矯正も神の愛の表われです。例えば,特権を失うと,個人研究や黙想や祈りを熱心に行なうことがどれほど大切かに気づくでしょう。そうした努力を払うなら,エホバとの関係が強まります。(詩 19:7)やがて,再び特権を与えられるかもしれません。排斥もエホバの愛の表われです。会衆が悪い影響を受けないよう守られるからです。(コリ一 5:6,7,11)神は罪の度合いに応じて矯正されます。排斥された人は罪の重さを認識し,悔い改めたいと思うかもしれません。(使徒 3:19)
エホバの矯正から学んだ人
7. シェブナはどんな人でしたか。どんな悪い特質を示しましたか。
7 エホバから矯正を受けた2人の人を取り上げ,矯正の大切さを考えましょう。1人はヒゼキヤ王の時代のシェブナです。もう1人は現代のグレアムという兄弟です。シェブナは「家を管理している」家令で,かなりの権限を与えられていました。ヒゼキヤの家を管理していたと思われます。(イザ 22:15)ところがシェブナは高慢になり,自分の栄光を求めました。自分のために豪華な墓を作り,「栄光の兵車」に乗りました。(イザ 22:16‐18)
8. エホバはどのようにシェブナを矯正されましたか。どんな結果になりましたか。
8 シェブナが自分の栄光を求めたため,神は彼を「公式の立場から引き降ろ[し]」,代わりにエリヤキムを家令にしました。(イザ 22:19‐21)それは,アッシリアのセナケリブ王がエルサレムを攻撃しようとしていた時のことでした。セナケリブ王はエルサレムに高官たちと大軍を送りました。ユダヤ人の士気をくじき,ヒゼキヤを脅して降伏させるためです。(王二 18:17‐25)ヒゼキヤは高官たちとの話し合いのため,エリヤキムを遣わします。2人の人がエリヤキムに同行しましたが,その1人が書記官となっていたシェブナでした。シェブナは苦々しい気持ちや憤りを抱くのではなく,より小さな責任を謙遜に受け入れたのでしょう。この記述からどんな教訓を学べますか。3つの点を取り上げます。
9‐11. (イ)シェブナの例からどんな大切な教訓を学べますか。(ロ)エホバがシェブナを扱われた方法について,あなたはどう思いますか。
9 1つ目に,シェブナが高慢になって家令の立場を失ったことから,「誇りは崩壊に先立ち,ごう慢な霊はつまずきに先立つ」という教訓を学べます。(箴 16:18)あなたは会衆での特権を与えられ,幾らか目立つ立場にいるかもしれません。自分に関して謙遜な見方を保つよう努力していますか。自分の能力や成し遂げたことに関して,エホバに栄光を帰していますか。(コリ一 4:7)使徒パウロはこう述べています。「あなた方の中のすべての人に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません。むしろ,……健全な思いを抱けるような考え方をしなさい」。(ロマ 12:3)
10 2つ目に,エホバがシェブナを強く戒めたのは,シェブナに変化する見込みがあるとお考えになったからかもしれません。(箴 3:11,12)会衆内の奉仕の特権を失った人たちにとって,大きな励みになるのではないでしょうか。怒りや憤りを抱くのではなく,矯正をエホバの愛の証拠と受け止め,新たな状況で最善を尽くして神に仕えましょう。謙遜であれば,エホバはわたしたちを変化する見込みのない者とご覧になったりはしません。(ペテロ第一 5:6,7を読む。)神は愛情深い矯正によってわたしたちを形作ってくださいます。ですから,神の手の中で形作られやすい者となりましょう。
11 3つ目に,親や長老など矯正を与える立場の人は,エホバがシェブナを扱われた方法から大切な教訓を学べます。エホバの矯正には罪に対する憎しみだけでなく,罪を犯した人に対する気遣いが表われています。あなたは,親や長老として矯正を与えなければならない時,エホバに倣い,悪は憎むものの,子どもや兄弟姉妹の良い特質に目を向けますか。(ユダ 22,23)
12‐14. (イ)神からの矯正にどう反応する人もいますか。(ロ)ある兄弟は,聖書の言葉によってどのように見方を変えることができましたか。どんな結果になりましたか。
12 残念なことに,矯正を受けてがっかりし,神と会衆から離れてしまう人もいます。(ヘブ 3:12,13)そのような人を助けることはもうできないのでしょうか。グレアムの例を考えましょう。グレアムは排斥され,後に復帰しましたが,しばらくするとクリスチャンの活動をやめてしまいました。でも1人の長老がグレアムの友になるよう努力しました。やがてグレアムはその長老に聖書研究を依頼しました。
13 その長老はこう言います。「グレアムは誇りという問題を抱えており,排斥措置にかかわった長老たちに対して批判的でした。それで,研究の際に何度か,誇りとその影響について聖書から話し合いました。グレアムは聖書という鏡に自分の姿を映し出し,このままではだめだと感じたようです。聖書には本当に大きな力があります。グレアムは,誇りという『垂木』のせいで正しい見方ができなかったことや,自分の批判的な見方に問題があることに気づきました。その後はみるみる変化しました。集会に定期的に出席し,聖書を熱心に学び,毎日祈るようになりました。家族の頭の責任も果たすようになり,妻や子どもたちはとても喜びました」。(ルカ 6:41,42。ヤコ 1:23‐25)
14 その長老はさらにこう述べています。「ある日,グレアムがこんなことを言いました。『真理を知ってから何年もたちますし,開拓奉仕をしたこともあります。でも今やっと,エホバを愛していると心から言えます』。心にしみる言葉でした。グレアムはやがて会衆のマイク係を割り当てられました。とても感謝していました。グレアムを見ていて,神の前で謙遜になって矯正を受け入れるなら,本当に豊かな祝福があると感じました」。
矯正を与える時,神とキリストに倣う
15. 矯正を与える人はどんな努力を払うべきですか。
15 上手に教えるためには,よく学ばなければなりません。(テモ一 4:15,16)他の人を矯正する権威を神から与えられている人は,神の指示に謙遜に従う必要があります。そうすれば,他の人は敬意を抱き,アドバイスや助言を受け入れやすく感じるでしょう。イエスの手本に注目しましょう。
16. イエスは矯正を与えたり教えたりする点でどんな手本を示しましたか。
16 イエスはいつもエホバに従いました。非常に難しい状況でも従いました。(マタ 26:39)また,自分の教えや知恵がエホバからのものであると述べました。(ヨハ 5:19,30)神に従い,謙遜であったイエスは,親切で思いやりのある教え手になることができました。誠実な人たちはイエスに引き寄せられました。(ルカ 4:22を読む。)打ち傷のついた葦のように傷つき,消えそうな灯心のように弱っていた人々は,イエスの優しい言葉によって元気づけられました。(マタ 12:20)使徒たちが利己的で野心的な態度を示した時にも,イエスは辛抱強さを示し,愛情深く親切に矯正しました。(マル 9:33‐37。ルカ 22:24‐27)
17. 長老たちが会衆を世話するうえで,どんな特質が役立ちますか。
17 矯正を与える立場にいる人は皆,キリストの手本に倣う必要があります。そうすることは,神とイエスに従いたいと願っていることの表われです。使徒ペテロはこう述べました。「あなた方にゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい。強いられてではなく,自ら進んで行ない,不正な利得を愛する気持ちからではなく,真剣な態度で牧しなさい。また神の相続財産である人々に対して威張る者のようにではなく,かえって群れの模範となりなさい」。(ペテ一 5:2‐4)長老たちが,エホバ神と,会衆の頭であるキリストに進んで従うなら,自分自身も会衆の成員も祝福を味わえます。(イザ 32:1,2,17,18)
18. (イ)エホバは親にどんなことを求めておられますか。(ロ)親が責任を果たせるよう,神はどのように助けてくださいますか。
18 この原則は家族にも当てはまります。聖書は家族の頭に対してこう述べています。「あなた方の子供をいら立たせることなく,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」。(エフェ 6:4)これはどれほど大切なことでしょうか。箴言 19章18節は,子どもに矯正を与えるかどうかは子どもの命にかかわる問題であると述べています。子どもに必要な矯正を与えないなら,親はエホバから責任を問われることになります。(サム一 3:12‐14)親が謙遜にエホバに祈り,聖書と聖霊の導きに頼るなら,エホバは知恵と力を与えてくださいます。(ヤコブ 1:5を読む。)
矯正を受け入れ,祝福を得る
19,20. (イ)神からの矯正を受け入れるなら,どんな祝福が得られますか。(ロ)次の記事ではどんなことを考えますか。
19 神からの矯正を受け入れ,他の人を矯正する際にエホバとイエスに倣うなら,たくさんの祝福を得られます。家族や会衆は安らぎの場となるでしょう。愛され大切にされていると感じ,安心感を抱けます。それは新しい世で味わえる祝福の前触れです。(詩 72:7)エホバからの矯正を受け入れるなら,将来に備えていることになります。神の優しい世話のもと,平和で一致した家族として永遠に生きるための備えができるのです。(イザヤ 11:9を読む。)その点を思いに留めるなら,神の矯正に対する感謝の気持ちが深まります。矯正は神の豊かな愛の証拠です。
20 次の記事では,家族や会衆で与えられる矯正についてさらに考えます。自分自身を矯正することについても学びます。また,矯正を受けて一時的につらい思いをするより悪いのはどんなことかも考えます。
「ものみの塔」(研究用)