エホバの忠節な僕から学ぶ
「忠節な者には,あなたは忠節をもって行動……されます」。―詩 18:25。
1,2. ダビデは神への忠節をどのように示しましたか。(冒頭の挿絵を参照。)
真夜中のことです。ダビデとアビシャイは,3000人の兵士が眠る陣営の中を忍び足で進んで行きます。2人は,陣営の真ん中でぐっすり眠るサウル王を見つけます。サウルはダビデを捜し出して殺すため,ユダの荒野にやって来たのです。アビシャイはダビデにこうささやきます。「どうかわたしに,[サウル]をその槍でただ一度地に刺し通させてください。わたしは彼に二度そうは致しません」。それに対し,ダビデは思いがけないことを言います。「彼を滅びに陥れてはならない。エホバの油そそがれた者に向かって手を出して,罪のないままでいられた者がだれかいるだろうか。……エホバの油そそがれた者に向かって手を出すなど,わたしには,エホバの見地からして考えられないことだ!」―サム一 26:8‐12。
2 ダビデは,神に忠節であるとはどういうことかを理解していました。サウルに危害を加えようとしなかったのは,サウルがイスラエルの油そそがれた王だったからです。エホバの忠節な僕は,エホバから任命された人を敬います。エホバはご自分の僕すべてに,忠節であることを求めておられるのです。―詩編 18:25を読む。
3. アビシャイはダビデへの忠節をどのように示しましたか。
3 アビシャイはダビデを敬った人です。幾つかの事例を考えましょう。ダビデはバテ・シバとの姦淫の罪を隠ぺいするため,アビシャイの兄弟ヨアブに命じて,バテ・シバの夫ウリヤが戦いで死ぬよう事を運びました。(サム二 11:2‐4,14,15。代一 2:16)アビシャイはそのことを知っていたかもしれませんが,神から任命された王であるダビデに敬意を示し続けました。また,軍の指導者としての権力を用いてイスラエルの王権を奪おうとすることもありませんでした。むしろ,ダビデを反逆者や他の敵たちから守りました。―サム二 10:10; 20:6; 21:15‐17。
4. (イ)ダビデはどのように神への忠節を示しましたか。(ロ)この記事では,どんな記述を調べますか。
4 ダビデは生涯エホバに忠節でした。少年のころ,フィリスティアの巨人ゴリアテが不遜にも「生ける神の戦列を嘲弄」した時,ゴリアテに立ち向かいました。(サム一 17:23,26,48‐51)王になった後,姦淫と殺人という重大な罪を犯した時も,預言者ナタンからの戒めを受け入れ,悔い改めました。(サム二 12:1‐5,13)老齢になっても,エホバの神殿の建設のため寛大に寄進するなどして,神への忠節を示し続けました。(代一 29:1‐5)重大な過ちを犯したとはいえ,神に忠節な人だったのです。(詩 51:4,10; 86:2)この記事では,ダビデ,およびダビデと同じ時代の人たちに関する記述をさらに調べ,だれに対する忠節を優先すべきか,忠節であるにはどんな特質が必要かを考えましょう。
だれに対する忠節を第一にすべきか
5. アビシャイの誤った考えから,どんな教訓を学べますか。
5 アビシャイはサウルの陣営に忍び込んだ時,忠節に関する正しい優先順位を理解していませんでした。ダビデに対する忠節心から,何としてもサウル王を殺したいと思いましたが,ダビデはそれをとどめました。ダビデは「エホバの油そそがれた者に向かって」手を上げるべきではないことを理解していたからです。(サム一 26:8‐11)この出来事から大切な教訓を学べます。忠節心を示すべき対象が幾つかある場合,聖書の原則を適用して優先順位を決定しなければならない,ということです。
6. 家族や友人に忠節心を抱くのは自然なことですが,どんなことに注意しなければなりませんか。
6 忠節は心と深い関係があります。しかし,人の心は不実です。(エレ 17:9)ですから,神に忠節な人であっても判断を誤ることがあります。例えば,親しい友人や身近な親族が悪いことを行なっていても,強い絆を断ち切りがたく感じるかもしれません。友人や親族が真理を捨てることもあります。しかし,エホバへの忠節を第一にすべきであることを忘れてはなりません。―マタイ 22:37を読む。
7. ある姉妹は難しい状況のもとで,どのように神への忠節を保ちましたか。
7 身近な親族が排斥される場合,忠節に関して難しい判断を迫られます。例えば,アン [1] という姉妹のところに排斥された母親から電話がありました。会えなくてつらいので顔を見に行きたい,ということでした。アンはその切実な願いを聞いて悲しくなり,手紙で返事をすると約束しました。しかし,手紙を書く前に聖書の原則を改めて考えました。(コリ一 5:11。ヨハ二 9‐11)アンは手紙の中で,悪行を犯して悔い改めず,家族との絆を断ち切ったのは母親自身である,ということを親切に思い起こさせました。そして,「つらい気持ちを和らげるには,エホバのもとに帰るしかないのよ」と書きました。―ヤコ 4:8。
8. 神への忠節を示すうえで,どんな特質が役立ちますか。
8 ダビデと同じ時代の人たちの忠節について調べると,神への忠節を示すのに役立つ3つの特質を学べます。謙遜さ,親切,勇気です。1つずつ考えましょう。
神に忠節であるには謙遜さが必要
9. アブネルがダビデを殺そうとしたのはなぜですか。
9 ダビデがゴリアテの首を手にしてサウル王と話した時,少なくとも2人の人がその様子を見ていました。1人はサウルの息子ヨナタンです。ヨナタンはダビデと友情の契約を結びました。もう1人は軍の長アブネルです。(サム一 17:57–18:3)後にアブネルはサウルと共に,ダビデを殺そうとしました。ダビデも,「わたしの魂を求める圧制者たちがいる」と書いています。(詩 54:3。サム一 26:1‐5)ヨナタンとアブネルの態度が大きく異なっていたのはなぜでしょうか。アブネルもヨナタンと同様,ダビデがイスラエルの王として神から選ばれたことを知っていました。ですから,もし謙遜であれば,サウルの死後,サウルの息子イシ・ボセテではなくダビデを支持して,神への忠節を示すことができたでしょう。後に,アブネルはサウル王のそばめと関係を持ちました。王座をねらっていたのかもしれません。―サム二 2:8‐10; 3:6‐11。
10. アブサロムが神に忠節でなかったのはなぜですか。
10 ダビデの息子アブサロムも,謙遜ではなかったので,神に忠節を示せませんでした。「自分のために兵車を作らせ,馬と彼の前を走る者五十人を備えさせ」ることまでしました。(サム二 15:1)また,民の忠節心を自分に向けさせようとしました。アブネルと同じようにアブサロムも,イスラエルの王としてエホバから任命されたのはダビデであることを知っていながら,ダビデを殺そうとしました。―サム二 15:13,14; 17:1‐4。
11. アブネル,アブサロム,バルクに関する聖書の記述から,どんなことを学べますか。
11 アブネルとアブサロムの例から分かるとおり,人は野心を抱くと,神に不忠節になってしまうことがあります。エホバの忠実な僕が,そのような利己的で邪悪な歩みをすることはまずないでしょう。とはいえ,この世の富や一流の仕事に対する願望が,クリスチャンに霊的に有害な影響を及ぼすことはあります。預言者エレミヤの書記官バルクは,何かの理由で,正しい見方を一時的に失ってしまいました。エホバはバルクにこう助言しました。「見よ,わたしは自分の築き上げたものを打ち壊し,自分の植えたものを根こぎにしている。実にこの全地をである。しかしあなたは,自分のために大いなることを求めつづけている。求めつづけてはならない」。(エレ 45:4,5)バルクは矯正を受け入れました。邪悪な世の終わりが近い今,わたしたちがこの警告に留意するのは本当に賢明なことです。
12. 利己的であると神に忠節を示すことができません。そのことを示すどんな例がありますか。
12 メキシコのダニエルという兄弟は,神への忠節を示すか,自分の利己的な関心事を追い求めるかを選ばなければなりませんでした。結婚したいと思っていた女性が未信者だったのです。こう言います。「わたしは開拓奉仕を始めた後も,その女性に手紙を書いていました。でも,やっと謙遜になり,経験ある長老に自分の葛藤を打ち明けました。その長老は,神に忠節であるには手紙を書くのをやめる必要がある,ということを分からせてくださいました。何度も祈り多くの涙を流し,手紙を書くのをやめました。すると宣教が楽しくなっていきました」。その後ダニエルは立派な姉妹と結婚し,今では巡回監督として奉仕しています。
神への忠節は親切を示す助けになる
13. ダビデが罪を犯した時,ナタンはどのように,神への忠節を保ちつつダビデへの忠節を示しましたか。
13 エホバに忠節であれば,他の人に忠節を示すこともできます。預言者ナタンは,神への忠節を保ちつつ,ダビデにも忠節でした。ナタンは,ダビデが姦淫を犯し,戦いでウリヤが死ぬよう画策したことを知ります。ダビデを叱責するようエホバから指示されたナタンは,それに従って勇敢に行動しました。しかし,ダビデにも忠節でした。ナタンは知恵と親切を示しつつ戒めを与えます。ダビデに罪の重大さを悟らせるため,貧しい人の羊を奪った富んだ人の例えを用いました。ダビデが富んだ人のしたことに怒りを表わした時,ナタンは「あなたがその人です!」と述べました。ダビデは自分の罪を悟りました。―サム二 12:1‐7,13。
14. どうすれば,エホバへの忠節を保ちつつ,友人や親族への忠節を示すことができますか。
14 親切であることは,忠節に関する難しい状況に対処する助けになります。例えば,仲間の兄弟姉妹の重大な悪行について知ったとします。親しい友人や身近な親族の悪行の場合は特に,その人をかばいたいと思うかもしれません。しかし,その人の悪行を隠すとしたら,神に不忠節になってしまいます。エホバへの忠節を第一にすべきなのは明らかです。ですから,ナタンのように,親切で毅然とした態度を取りましょう。長老たちの援助を求めるよう強く勧めてください。当人が道理にかなった期間内にそうしない場合,どうすべきですか。神に忠節でありたいなら,その問題について長老たちに報告するはずです。そうすれば,神に忠節を示すと共に,当人に親切を示すことになります。長老たちはその人を温和に再調整するよう努めるからです。―レビ記 5:1; ガラテア 6:1を読む。
神に忠節であるには勇気が必要
15,16. フシャイが神に忠節であるために勇気を必要としたのはなぜですか。
15 フシャイという人は,神に忠節であるために勇気を必要としました。フシャイはダビデ王の忠節な友でした。しかし,ダビデの息子アブサロムが多くの人の心を勝ち得て,エルサレムと王位を手中に収めようとした時,フシャイの忠節は試みられました。(サム二 15:13; 16:15)ダビデはエルサレムから逃げました。フシャイはどうするでしょうか。命からがら逃げる高齢の王ダビデに付いて行くでしょうか。それともアブサロムの側に寝返るでしょうか。フシャイの忠節心は揺らぎませんでした。ダビデは神から任命された王だったからです。それで,フシャイはオリーブ山に行ってダビデに会います。―サム二 15:30,32。
16 ダビデはフシャイに対し,エルサレムに戻ってアブサロムの友のふりをし,アヒトフェルの助言を覆すよう求めます。フシャイは命の危険を覚悟の上で,ダビデの指示に従い,エホバへの忠節を示しました。ダビデが祈ったとおり,アヒトフェルの助言は,勇気あるフシャイの助言によって確かに覆されました。―サム二 15:31; 17:14。
17. 忠節であるために勇気が必要なのはなぜですか。
17 わたしたちも,エホバに忠節であるために勇気を必要とします。多くのクリスチャンは,家族や職場の人や世俗の権威から圧力を受けても勇敢で確固とした態度を取り,神への忠節を示しています。1つの例を挙げましょう。太郎は幼いころから親に忠節で従順な生き方をしていました。単なる義務感からではありません。親を喜ばせたいと心から思っていたのです。しかし,親は太郎がエホバの証人と聖書を学ぶことに反対しました。集会に行くことを決意した,と親に言うのは,太郎にとって大変つらいことでした。太郎はこう言います。「両親は激しく怒り,実家に帰ることを何年も許してくれませんでした。それで,自分の決定を貫けるよう勇気を祈り求めました。今では両親の態度も幾らか和らぎ,年に何度か帰ることができます」。―箴言 29:25を読む。
18. この記事からどんなことを学びましたか。
18 わたしたちも,ダビデ,ヨナタン,ナタン,フシャイのようにエホバに忠節を示すことにより,深い満足感を味わいたいものです。不忠節だったアブネルやアブサロムの例から教訓を学びましょう。たとえ不完全で間違いをすることがあるとしても,ダビデのようにエホバに堅く付きましょう。そうすれば,エホバへの忠節が自分にとって最も大切であることを示せるのです。
^ [1](7節)一部の名前は変えてあります。
「ものみの塔」(研究用)