ゼカリヤの幻とあなた

ゼカリヤの幻とあなた

「わたし​の​もと​に​帰れ……そう​すれ​ば​わたし​も​あなた方​の​もと​に​帰ろ​う」。ゼカ 1:3

歌: 120,117

1‐3. (イ)ゼカリヤ​が​預言​を​始め​た​時,エホバ​の​民​は​どんな​状態​に​あり​まし​た​か。(ロ)エホバ​が​ご自分​の​民​に「わたし​の​もと​に​帰れ」と​言わ​れ​た​の​は​なぜ​です​か。

飛ん​で​行く​巻き物,エファ​升​の​中​に​閉じ込め​られ​た​女,こうのとり​の​よう​な​翼​を​持ち,風​に​乗っ​て​舞い上がる​2​人​の​女。預言​者​ゼカリヤ​が​見​た​興味深い​幻​です。(ゼカ 5:1,7‐9)エホバ​が​ゼカリヤ​に​そう​し​た​印象​的​な​幻​を​見せ​た​の​は​なぜ​でしょ​う​か。当時​の​イスラエル​人​は​どんな​状態​に​あり​まし​た​か。わたしたち​は​ゼカリヤ​の​幻​から​何​を​学べる​でしょ​う​か。

2 西暦​前​537​年​は,エホバ​に​献身​し​た​民​に​とっ​て​喜ばしい​年​でし​た。70​年​に​及ぶ​捕囚​が​終わり,バビロン​から​解放​さ​れ​た​民​は,熱意​に​あふれ​て​エルサレム​で​真​の​崇拝​を​回復​し​始め​まし​た。西暦​前​536​年​に​は​神殿​の​土台​が​据え​られ​まし​た。その​時​の​様子​に​つい​て,聖書​は「民​が​大声​で​喜び叫[び],その​声​は​相当​遠く​まで​聞こえ​た」と​記録​し​て​い​ます。(エズ 3:10‐13)しかし,間​も​なく​建設​計画​に​対する​反対​が​始まり,強さ​を​増し​て​いき​ます。人々​は​多く​の​困難​に​直面​し​て​弱気​に​なり,神殿​建設​を​やめ​て,自分​の​家​を​建て,畑​を​耕し​始め​まし​た。土台​が​据え​られ​て​から​16​年​たっ​て​も,建設​は​中断​し​た​まま​でし​た。神​の​民​は,自分​の​こと​を​第​一​に​する​の​で​は​なく​エホバ​の​もと​に​帰る​べき​でし​た。エホバ​は,人々​が​反対​を​恐れ​ず​に​心​を​こめ​て​ご自分​を​崇拝​する​こと​を​望ん​で​おら​れ​まし​た。

3 神​は​ご自分​の​民​に,彼ら​が​バビロン​から​解放​さ​れ​た​理由​を​思い出さ​せる​ため,西暦​前​520​年​に​預言​者​ゼカリヤ​を​遣わさ​れ​まし​た。ゼカリヤ​と​いう​名前​に​は「エホバ​は​覚え​て​くださっ​た」と​いう​意味​が​あり​ます。人々​は​エホバ​が​救出​し​て​くださっ​た​こと​を​忘れ​て​い​まし​た​が,神​は​ご自分​の​民​の​こと​を​覚え​て​おら​れ​まし​た。ゼカリヤ 1:3,4を​読む。)エホバ​は​愛情​深く​も,清い​崇拝​を​再び​確立​する​の​を​助ける​と​保証​さ​れ​まし​た。それ​と​共​に,心​の​こもっ​て​い​ない​崇拝​を​受け入れ​ない​と​いう​警告​を​お与え​に​なり​まし​た。これ​から,ゼカリヤ​に​与え​られ​た​6​番​目​と​7​番​目​の​幻​を​調べ​ます。エホバ​は​この​幻​を​通し​て,どんな​行動​を​取る​よう​人々​を​励まさ​れ​た​でしょ​う​か。わたしたち​は​どんな​教訓​を​学べ​ます​か。

盗む​者​に​対する​神​の​裁き

4. ゼカリヤ​は​6​番​目​の​幻​で​何​を​見​ます​か。巻き物​の​両面​に​文字​が​記さ​れ​て​いる​の​は​なぜ​です​か。(冒頭​の​挿絵​1​を​参照。)

4 ゼカリヤ 5​章​は​不思議​な​幻​で​始まり​ます。ゼカリヤ 5:1,2を​読む。)ゼカリヤ​は,長さ​9​㍍,幅​4.5​㍍​ほど​の​巻き物​が​飛ん​で​いる​の​を​見​ます。巻き物​は​開か​れ​て​おり,読む​こと​が​でき​ます。そこ​に​は​裁き​の​音信​が​記さ​れ​て​い​ます。(ゼカ 5:3)普通​は​巻き物​の​片面​だけ​に​文字​が​記さ​れ​ます​が,この​巻き物​は​両面​に​記さ​れ​て​い​ます。非常​に​重要​な​音信​が​記さ​れ​て​いる​の​です。

クリスチャン​は​盗み​を​一切​し​て​は​なら​ない。(5‐7​節​を​参照。)

5,6. エホバ​は​盗み​を​どう​ご覧​に​なり​ます​か。

5 ゼカリヤ 5:3,4を​読む。すべて​の​人​は​エホバ​に​対し​て​申し開き​を​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん。エホバ​の​名​を​担う​民​は​特に​そう​です。エホバ​を​愛する​人​は,どんな​形​の​盗み​も「神​の​名​を​損なう」こと​を​理解​し​て​い​ます。(箴 30:8,9)動機​や​事情​が​どの​よう​な​もの​で​あれ,盗み​を​する​人​は​自分​の​欲望​を​神​より​も​優先​し​て​おり,お金​や​物​を​重視​しすぎ​て​い​ます。神​の​律法​を​軽視​し,エホバ​と​エホバ​の​名​を​辱め​て​い​ます。

6 ゼカリヤ 5​章​3,4​節​に​は,「のろい……は​必ず​盗人​の​家​の​中​に​入り,……その​家​の​中​に​宿り,それ……を​滅ぼし尽くす」と​述べ​られ​て​い​ます。どんな​に​厳重​に​戸締まり​を​し​て​も,エホバ​の​裁き​を​免れる​こと​は​でき​ませ​ん。ひそか​な​悪行​も​必ず​明らか​に​なり​ます。盗み​を​警察​や​雇い主​や​長老​や​親​から​隠す​こと​は​でき​て​も,神​から​隠す​こと​は​でき​ませ​ん。神​は​すべて​の​盗み​を​明らか​に​され​ます。(ヘブ 4:13)「すべて​の​こと​に​おい​て」正直​で​あり​たい​と​願う​人​たち​と​の​交友​は​本当​に​さわやか​です。(ヘブ 13:18

7. どう​すれ​ば,飛ん​で​行く​巻き物​の​のろい​を​避け​られ​ます​か。

7 エホバ​は​どんな​形​の​盗み​も​不快​に​思わ​れ​ます。わたしたち​は,エホバ​の​高い​道徳​規準​に​沿っ​て​生活​する​こと​を​誇り​に​思っ​て​おり,エホバ​の​名​に​非難​を​もたらさ​ない​よう​に​行動​し​ます。そう​する​なら,神​の​律法​を​故意​に​破る​人々​に​対する​エホバ​の​裁き​を​受け​ず​に​すみ​ます。

「日​ごと​に」誓い​を​守る

8‐10. (イ)誓い​と​は​何​です​か。(ロ)ゼデキヤ​王​は​どんな​誓い​を​守り​ませ​ん​でし​た​か。

8 飛ん​で​行く​巻き物​に​は,「[神]の​名​に​おい​て​偽り​の​誓い​を​立てる​者」に​対する​警告​も​記さ​れ​て​い​ます。(ゼカ 5:4)誓い​と​は,ある​事柄​が​真実​で​ある​こと​を​確証​する​言葉,あるいは,ある​事柄​を​行なう,もしくは​行なわ​ない​と​いう​厳粛​な​約束​です。

9 エホバ​の​名​に​おい​て​誓う​の​は​非常​に​重大​な​事柄​です。エルサレム​で​治め​た​最後​の​王​ゼデキヤ​は,バビロン​の​王​に​忠節​に​従い​続ける​こと​を​エホバ​に​かけ​て​誓い​まし​た​が,それ​を​守り​ませ​ん​でし​た。その​結果,エホバ​は​ゼデキヤ​に​つい​て​次​の​よう​に​言わ​れ​まし​た。「わたし​は​生き​て​いる……その​誓い​を​軽んじ,その​契約​を​破っ​た​者​を​王​と​し​て​置い​た​その​王​の​所​で,バビロン​の​中​で​王​と​共​に​あっ​て,彼[ゼデキヤ]は​死ぬ​で​あろ​う」。(エゼ 17:16

10 神​の​名​に​おい​て​誓っ​た​ゼデキヤ​王​は,誓い​を​守る​責任​を​エホバ​に​負っ​て​い​た​に​も​かかわら​ず,バビロン​の​束縛​から​自由​に​なろ​う​と​し​て​エジプト​に​頼り​まし​た。(代​二 36:13)でも​それ​は​無駄​な​試み​でし​た。(エゼ 17:11‐15,17,18

11,12. (イ)わたしたち​が​行なう​最も​重要​な​約束​は​何​です​か。(ロ)エホバ​に​献身​し​て​いる​こと​を​毎日​の​生活​で​どの​よう​に​表わせ​ます​か。

11 エホバ​は​わたしたち​が​行なう​約束​も​聞い​て​おら​れ,わたしたち​の​誓い​を​真剣​に​受け止め​られ​ます。ですから,神​の​是認​を​得る​ため​に​は,自分​の​誓い​を​果たさ​なけれ​ば​なり​ませ​ん。(詩 76:11)わたしたち​の​約束​の​中​で​最も​重要​な​の​は,エホバ​に​献身​する​と​いう​約束​です。献身​は,どんな​こと​が​あっ​て​も​エホバ​に​仕える​と​いう​厳粛​な​誓い​です。

12 献身​の​誓い​を​どの​よう​に​果たせる​でしょ​う​か。大小​様々​な​試み​に​遭う​時,神​を「日​ごと​に」賛美​する​と​いう​誓い​を​真剣​に​受け止め​て​いる​こと​を​行動​で​示せ​ます。(詩 61:8)例えば,職場​や​学校​で​異性​に​言い寄ら​れる​時,きっぱり​と​退ける​でしょ​う​か。「[エホバ​の]道​を​楽しみ」とし,エホバ​に​仕える​こと​を​願う​人​は,そう​する​はず​です。(箴 23:26)家族​の​中​で​エホバ​に​仕え​て​いる​の​が​自分​だけ​で​ある​場合,クリスチャン​と​し​て​の​特質​を​いつも​示せる​よう,エホバ​に​助け​を​祈り​求め​ます​か。あなた​は​愛情​深い​天​の​父​に​毎日​祈り,愛​と​導き​に​対する​感謝​を​伝え​て​い​ます​か。毎日​聖書​を​読む​時間​を​取っ​て​い​ます​か。わたしたち​は​神​に​献身​し​た​時,いわば​こう​し​た​事柄​を​行なう​と​約束​し​た​の​で​は​ない​でしょ​う​か。エホバ​を​愛し,本当​に​献身​し​て​いる​なら,神​に​従い,神​を​心​から​崇拝​する​はず​です。わたしたち​の​崇拝​は​生き方​で​あり,うわべ​だけ​の​もの​で​は​あり​ませ​ん。約束​を​果たす​こと​は​自分​の​益​に​も​なり​ます。神​に​忠実​で​あれ​ば,将来,新しい​世​で​の​生活​を​楽しめ​ます。(申 10:12,13

13. ゼカリヤ​の​6​番​目​の​幻​から​何​を​学べ​ます​か。

13 ゼカリヤ​の​6​番​目​の​幻​から,エホバ​を​愛する​人​は​盗み​や​偽り​の​誓い​を​避ける​べき​で​ある​こと​を​学び​まし​た。間違い​を​犯し​た​イスラエル​人​を​エホバ​が​見捨て​られ​なかっ​た​こと​も​分かり​ます。彼ら​が​敵​に​囲ま​れ,大変​な​状況​に​あっ​た​こと​を​理解​し​て​おら​れ​た​の​です。エホバ​は​ご自分​の​約束​を​守る​だけ​で​なく,わたしたち​が​約束​を​守れる​よう​助け​て​ください​ます。間​も​なく​地​の​すべて​の​悪​が​なくなる​と​いう​希望​を​与え​て​くださっ​て​い​ます。ゼカリヤ​の​次​の​幻​を​調べる​と,その​希望​が​確か​な​もの​で​ある​こと​が​分かり​ます。

邪悪​は「自分​の​いる​べき​所​に​置か​れる」

14,15. (イ)ゼカリヤ​は​7​番​目​の​幻​で​何​を​見​ます​か。(冒頭​の​挿絵​2​を​参照。)(ロ)エファ​升​の​中​に​いる​女​は​何​を​表わし​て​い​ます​か。み使い​が​女​を​閉じ込め​た​こと​から​何​が​分かり​ます​か。

14 ゼカリヤ​は​飛ん​で​行く​巻き物​を​見​た​後,み使い​から「目​を​上げ」る​よう​に​と​言わ​れ​ます。7​番​目​の​幻​から​何​を​学べる​でしょ​う​か。ゼカリヤ​は「エファ​升」と​呼ば​れる​入れ物​が​出​て​行く​の​を​見​ます。ゼカリヤ 5:5‐8を​読む。)この​入れ物​に​は「鉛​で​でき​た​円形​の​ふた」が​あり​ます。その​ふた​が​開く​と,「ひとり​の​女[が]中​に​座っ​て」いる​の​が​見え​ます。み使い​は,その​女​が「邪悪」で​ある​と​述べ​ます。ゼカリヤ​は,女​が​入れ物​から​出​て​こ​よう​と​する​の​を​見​て​恐ろしく​なっ​た​こと​でしょ​う。み使い​は​すぐ​に​女​を​入れ物​の​中​に​押し戻し,重い​ふた​を​し​ます。この​幻​に​は​どんな​意味​が​あり​ます​か。

15 この​幻​は,エホバ​が​ご自分​の​民​の​間​の​どんな​悪​も​容認​さ​れ​ない​こと​を​際立た​せ​て​い​ます。神​は​邪悪​な​事柄​を​いわば​閉じ込め,速やか​に​取り除か​れ​ます。(コリ​一 5:13)その​こと​は,み使い​が​入れ​物​に​すぐ​鉛​の​ふた​を​し​た​こと​から​分かり​ます。

エホバ​は​崇拝​の​清さ​を​保つ​ため​の​措置​を​講じ​られ​た。(16‐18​節​を​参照。)

16. (イ)ゼカリヤ​は​エファ​升​が​どう​なる​の​を​見​ます​か。(冒頭​の​挿絵​3​を​参照。)(ロ)翼​の​ある​2​人​の​女​は​エファ​升​を​どこ​へ​持っ​て​行き​ます​か。

16 ゼカリヤ​は​次​に,こうのとり​の​よう​な​強い​翼​の​ある​2​人​の​女​を​見​ます。ゼカリヤ 5:9‐11を​読む。)この​2​人​の​女​は,入れ物​の​中​の​女​と​は​全く​異なり​ます。強い​翼​で​さっ​と​舞い降り,「邪悪」の​入っ​た​入れ物​を​持ち上げ​ます。どこ​へ​持っ​て​行く​の​でしょ​う​か。「シナル​の​地」つまり​バビロン​です。なぜ​バビロン​に​持っ​て​行く​の​でしょ​う​か。

17,18. (イ)バビロン​が「邪悪」の「いる​べき​所」と​言える​の​は​なぜ​です​か。(ロ)わたしたち​は​どんな​こと​を​決意​す​べき​です​か。

17 ゼカリヤ​の​時代​の​イスラエル​人​は,バビロン​が「邪悪」を​閉じ込める​の​に​ぴったり​の​場所​だ​と​感じ​た​こと​でしょ​う。バビロン​が​邪悪​な​場所​で​ある​こと​を​知っ​て​い​た​から​です。ゼカリヤ​や​他​の​多く​の​ユダヤ​人​は,不​道徳​や​偶像​礼拝​の​はびこる​バビロン​で​育ち,毎日,異教​の​影響​と​闘わ​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。ですから,この​幻​から​大きな​安心​感​を​得​られ​た​に​違いあり​ませ​ん。エホバ​は​ご自分​の​崇拝​を​清い​状態​に​保つ​こと​を​保証​し​て​おら​れる​の​です。

18 この​幻​は,崇拝​の​清さ​を​守る​責任​を​ユダヤ​人​に​思い起こさ​せ​まし​た。エホバ​の​民​の​中​に​悪​が​忍び込み,とどまる​こと​を​許し​て​は​なら​ない​の​です。神​の​清い​組織​に​導き入れ​られ,愛​や​保護​を​受け​て​いる​わたしたち​に​も,組織​の​清さ​を​守る​責任​が​あり​ます。あなた​も​その​責任​を​果たし​たい​と​思う​の​で​は​あり​ませ​ん​か。エホバ​の​民​の​間​に​悪​の​占める​場所​は​あり​ませ​ん。

清い​民​は​エホバ​の​誉れ​と​なる

19. ゼカリヤ​の​幻​から​どんな​こと​を​学べ​ます​か。

19 ゼカリヤ​の​6​番​目​と​7​番​目​の​幻​は,不​正直​な​行ない​を​続ける​人​に​対し​て​強い​警告​を​与え,エホバ​が​悪行​を​容認​さ​れ​ない​こと​を​教え​て​い​ます。神​を​崇拝​する​人​は,悪​を​心​から​憎ま​なけれ​ば​なり​ませ​ん。ゼカリヤ​の​幻​は,天​の​父​エホバ​の​愛情​深い​保証​と​も​なっ​て​い​ます。神​の​是認​と​保護​を​得​られる​よう​一生​懸命​に​努力​する​なら,死​に​至る​のろい​を​避け,エホバ​の​祝福​を​得る​こと​が​でき​ます。悪​の​はびこる​世​で​清さ​を​保つ​の​は​簡単​で​は​あり​ませ​ん​が,エホバ​の​助け​が​あれ​ば​可能​です。でも,神​を​恐れ​ない​人々​が​非常​に​多い​世​で,真​の​崇拝​は​これ​から​も​存続​する​の​でしょ​う​か。大​患難​が​近い​今,エホバ​が​ご自分​の​組織​を​保護​し​て​くださる​こと​を​確信​できる​の​は​なぜ​です​か。次​の​記事​で​は,そう​し​た​点​を​取り上げ​ます。