「行ないと真実とをもって」愛しましょう

「行ないと真実とをもって」愛しましょう

「言葉​や​舌​に​よら​ず,行ない​と​真実​と​を​もっ​て​愛そ​う​で​は​あり​ませ​ん​か」。ヨハ​一 3:18

歌: 72,124

1. 最高​の​形態​の​愛​と​は​何​です​か。なぜ​そう​言え​ます​か。(冒頭​の​写真​を​参照。)

正しい​原則​に​基づく​愛(アガペー)は​エホバ​から​の​贈り物​です。エホバ​は​愛​の​源​だ​から​です。(ヨハ​一 4:7)これ​は​最高​の​形態​の​愛​です。この​愛​に​は​温か​な​感情​や​愛情​が​伴う​こと​も​あり​ます。でも,アガペー​は​単なる​感情​で​は​なく,利他​的​な​行ない​に​よっ​て​示さ​れ​ます。ある​参考​文献​に​よる​と,アガペー​は「それ​が​促す​行動​に​よっ​て​のみ​知ら​れ」ます。利他​的​な​愛​を​示し合う​なら,幸福​で​有意義​な​生活​を​送れ​ます。

2,3. エホバ​は​人間​に​どの​よう​に​利他​的​な​愛​を​示し​て​こら​れ​まし​た​か。

2 エホバ​は​アダム​と​エバ​を​創造​さ​れる​前​から,人間​に​利他​的​な​愛​を​示し,地球​と​いう​住まい​を​造ら​れ​まし​た。単に​生存​し​て​いける​場所​と​し​て​で​は​なく,生活​を​十分​に​楽しめる​場所​と​し​て​造ら​れ​まし​た。ご自分​の​利益​の​ため​で​は​あり​ませ​ん。人間​の​幸せ​を​願っ​て​地球​を​造ら​れ​た​の​です。しかも,その​パラダイス​で​永遠​に​生きる​と​いう​素晴らしい​見込み​を​与え​て​ください​まし​た。

3 アダム​と​エバ​が​反逆​し​た​後,エホバ​は​最高​の​利他​的​な​愛​を​示さ​れ​まし​た。2​人​の​子孫​の​ため​に​贖い​の​取り決め​を​設け​られ​た​の​です。子孫​の​中​に,ご自分​の​愛​に​応じる​人々​が​いる​こと​を​確信​し​て​おら​れ​まし​た。(創 3:15。ヨハ​一 4:10)実際,エホバ​が​救い主​に​つい​て​約束​な​さっ​た​時,贖い​の​犠牲​は​すでに​ささげ​られ​た​も​同然​でし​た。4000​年​ほど​後,エホバ​は​非常​に​大きな​犠牲​を​払い,ご自分​の​独り子​が​人類​の​ため​に​死​を​遂げる​よう​に​され​まし​た。(ヨハ 3:16)何​と​いう​利他​的​な​愛​でしょ​う。

4. 不​完全​な​人間​で​も​利他​的​な​愛​を​示せ​ます。どんな​例​から​その​こと​が​分かり​ます​か。

4 わたしたち​は​神​の​像​に​造ら​れ​て​いる​の​で,利他​的​な​愛​を​示す​こと​が​でき​ます。不​完全​な​の​で,愛​を​示す​の​は​簡単​で​は​あり​ませ​ん​が,愛​を​示す​能力​は​あり​ます。アベル​は​自分​の​持つ​一番​良い​もの​を​ささげ​て,神​へ​の​愛​を​示し​まし​た。(創 4:3,4)ノア​は,人々​が​耳​を​傾け​なく​て​も,神​から​の​音信​を​何十​年​も​伝える​こと​に​よっ​て​利他​的​な​愛​を​示し​まし​た。(ペテ​二 2:5)アブラハム​は​息子​イサク​を​ささげる​よう​命じ​られ​た​時,強い​葛藤​が​あっ​た​はず​です​が,神​へ​の​不動​の​愛​を​示し​まし​た。(ヤコ 2:21)わたしたち​は​この​よう​な​信仰​の​人​たち​に​倣い,難しい​状況​で​も​愛​を​示し​たい​と​思い​ます。

真​の​愛​と​偽り​の​愛

5. どの​よう​に​真​の​愛​を​示せ​ます​か。

5 聖書​は,真​の​愛​が「言葉​や​舌​に​よら​ず,行ない​と​真実​と​を​もっ​て」示さ​れる​と​述べ​て​い​ます。(ヨハ​一 3:18)これ​は,言葉​で​は​愛​を​示せ​ない​と​いう​意味​でしょ​う​か。そう​で​は​あり​ませ​ん。(テサ​一 4:18)愛​が​言葉​だけ​で​終わっ​て​は​なら​ない,と​いう​意味​です。行動​が​必要​な​状況​で​は​特に​そう​です。例えば,食べる​物​や​着る​物​が​なく​て​困っ​て​いる​兄弟​姉妹​が​いる​なら,優しい​言葉​を​かける​だけ​で​は​不​十分​です。(ヤコ 2:15,16)エホバ​と​隣人​へ​の​愛​が​あれ​ば,「収穫​に​働き人​を​遣わし​て​くださる​よう」祈る​だけ​で​は​なく,一生​懸命​に​伝道​する​はず​です。(マタ 9:38

6,7. (イ)「偽善​の​ない​愛」と​は​何​です​か。(ロ)偽り​の​愛​の​例​を​挙げ​て​ください。

6 使徒​ヨハネ​は,「行ない​と​真実​と​を​もっ​て」愛さ​なけれ​ば​なら​ない​と​書き​まし​た。「偽善​の​ない​愛」を​示さ​なけれ​ば​なら​ない​の​です。(コリ​二 6:6。ロマ 12:9)いわば​仮面​を​着け​て,愛​を​示す​ふり​を​し​て​いる​なら,それ​は​真​の​愛​で​は​あり​ませ​ん。そもそも,偽善​的​な​愛​は​愛​と​は​言え​ませ​ん。無​価値​な​偽物​に​過ぎ​ない​の​です。

7 偽り​の​愛​の​例​を​考え​ましょ​う。サタン​は​エデン​の​園​で,エバ​の​最善​の​利益​を​気​に​かけ​て​いる​ふり​を​し​まし​た。利己​的​で​偽善​的​な​行動​を​し​て​い​た​の​です。(創 3:4,5)ダビデ​に​対する​アヒトフェル​の​友情​も​偽物​でし​た。自分​の​利益​の​ため​に​ダビデ​を​裏切っ​た​から​です。(サム​二 15:31)今日​で​も,会衆​を​分裂​さ​せる​背教​者​や​反対​者​は,「滑らか​な​話しぶり​や​ほめことば」を​使い​ます。愛​の​ある​ふり​を​し​ます​が,動機​は​利己​的​です。(ロマ 16:17,18

8. どんな​こと​を​自問​す​べき​です​か。

8 偽善​的​な​愛​を​示す​の​は​恥ず​べき​こと​です。神​の​特質​で​ある​自己​犠牲​的​な​愛​を​示す​ふり​を​し​て,人​を​欺い​て​いる​から​です。しかし,エホバ​を​欺く​こと​は​でき​ませ​ん。イエス​も,偽善​的​な​人々​は「最も​厳しく」罰せ​られる​と​述べ​まし​た。(マタ 24:51)エホバ​に​仕える​わたしたち​は​偽善​的​な​愛​を​示し​たい​と​は​思い​ませ​ん。こう​自問​する​の​は​良い​こと​です。「わたし​は​いつも​真​の​愛​を​示し​て​いる​だろ​う​か。利己​的​な​動機​は​ない​だろ​う​か。人​を​欺い​て​は​い​ない​だろ​う​か」。では,「偽善​の​ない​愛」を​示す​ため​の​9​つ​の​方法​を​考え​ましょ​う。

「行ない​と​真実​と​を​もっ​て」愛する​方法

9. 真​の​愛​が​あれ​ば,どの​よう​に​行動​する​はず​です​か。

9 目立た​ない​仕方​で​仕える。可能​なら「ひそか​に」つまり​目立た​ない​仕方​で,兄弟​たち​に​愛​を​示す​べき​です。マタイ 6:1‐4を​読む。)アナニア​と​サッピラ​は​そう​し​ませ​ん​でし​た。自分​たち​に​注意​を​引こ​う​と​し​て,畑​を​売っ​た​お金​の​全額​を​寄付​し​た​と​うそ​を​つき​まし​た。偽善​的​な​行動​の​結果,2​人​は​命​を​失い​まし​た。(使徒 5:1‐10)他方,真​の​愛​が​あれ​ば,自分​を​アピール​する​こと​なく,目立た​ない​仕方​で​喜ん​で​兄弟​たち​に​仕える​はず​です。例えば,統治​体​が​出版​物​の​記事​など​を​準備​する​の​を​助ける​兄弟​たち​が​い​ます。兄弟​たち​は​自分​に​注意​を​引い​たり,自分​が​どの​記事​の​準備​に​かかわっ​た​か​を​明かし​たり​し​ませ​ん。

10. どの​よう​に​他​の​人​を​敬え​ます​か。

10 他​の​人​を​敬う。(ローマ 12:10を​読む。)イエス​は​使徒​たち​の​足​を​洗い,彼ら​を​敬い​まし​た。(ヨハ 13:3‐5,12‐15)イエス​の​よう​に​他​の​人​を​敬う​に​は​謙遜​さ​が​必要​です。謙遜​さ​を​培う​に​は​大きな​努力​が​求め​られ​ます。使徒​たち​で​さえ,聖霊​を​受ける​まで​は,イエス​の​謙遜​さ​に​倣う​こと​の​大切​さ​を​十分​に​理解​でき​ませ​ん​でし​た。(ヨハ 13:7)他​の​人​を​敬う​人​は,教育​や​所有​物​や​奉仕​の​特権​の​ゆえに​自分​を​過大​評価​する​こと​は​あり​ませ​ん。(ロマ 12:3)他​の​人​が​称賛​を​受ける​場合​は​どう​でしょ​う​か。自分​も​貢献​し​た​と​か,自分​も​同じ​誉れ​を​受ける​べき​だ​と​思う​と​し​て​も,その​人​を​ねたむ​の​で​は​なく,共​に​喜び​ます。

11. 心​から​褒める​べき​な​の​は​なぜ​です​か。

11 心​から​褒める。他​の​人​を​褒める​機会​を​探す​べき​です。褒め言葉​は「築き上げる​の​に​良い」,つまり​相手​に​とっ​て​励み​と​なる​から​です。(エフェ 4:29)しかし,心​から​褒める​べき​で​あり,お世辞​を​言う​べき​で​は​あり​ませ​ん。必要​な​助言​を​差し控える​べき​で​も​あり​ませ​ん。(箴 29:5)褒め​て​お​き​ながら​陰​で​けなす​の​は,一​種​の​偽善​です。使徒​パウロ​は​他​の​人​を​褒める​際​に​真​の​愛​を​示し​まし​た。例えば,コリント​の​クリスチャン​が​努力​し​て​いる​点​に​つい​て​心​から​褒め​まし​た。(コリ​一 11:2)でも​改善​の​必要​な​点​に​つい​て​は,親切​に​はっきり​と​助言​し​まし​た。(コリ​一 11:20‐22

助け​の​必要​な​仲間​に​与える​なら,愛​と​寛大​さ​を​示せる。(12​節​を​参照。)

12. 真​の​愛​が​あれ​ば,どんな​人​に​寛大​さ​を​示し​ます​か。

12 他​の​人​を​もてなす。エホバ​は​わたしたち​に,兄弟​姉妹​に​対し​て​寛大​で​ある​よう​命じ​て​おら​れ​ます。ヨハネ​第​一 3:17を​読む。)利己​的​な​動機​で​は​なく,純粋​な​動機​で​もてなす​べき​です。こう​自問​でき​ます。「親しい​人​や​目立つ​立場​の​人​や​お返し​を​し​て​くれ​そう​な​人​を​主​に​もてなし​て​いる​だろ​う​か。見返り​を​期待​せ​ず​に​もてなし​て​いる​だろ​う​か。まだ​よく​知り合っ​て​い​ない​兄弟​姉妹​に​も​寛大​さ​を​示し​て​いる​だろ​う​か」。(ルカ 14:12‐14)兄弟​姉妹​が​思慮​に​欠け​た​決定​を​したため​に​困窮​し​て​いる​場合​や,もてなし​に​感謝​し​て​くれ​ない​場合​は​どう​でしょ​う​か。「愚痴​を​言う​こと​なく​互い​を​暖かく​もてなし​なさい」と​いう​アドバイス​を​当てはめ​ましょ​う。(ペテ​一 4:9)正しい​動機​で​与える​なら,幸福​を​味わえ​ます。(使徒 20:35

13. (イ)どんな​時,辛抱強さ​が​必要​です​か。(ロ)弱い​人​を​支える​ため​に​何​が​でき​ます​か。

13 弱い​人​を​支える。聖書​は,「弱い​者​を​支え,すべて​の​人​に​対し​て​辛抱強く​あり​なさい」と​勧め​て​い​ます。真​の​愛​が​あれ​ば,この​アドバイス​に​従う​はず​です。(テサ​一 5:14)信仰​の​弱い​人​の​中​に​は,継続​的​な​辛抱強い​援助​を​必要​と​する​人​も​い​ます。励み​と​なる​聖書​の​言葉​を​伝え​たり,宣教​を​一緒​に​行なっ​たり,時間​を​取っ​て​話​を​聞い​たり​する​必要​が​ある​でしょ​う。単に,あの​兄弟​は「強い」と​か「弱い」と​か​考える​の​で​は​なく,すべて​の​人​に​は​強い​点​と​弱い​点​が​ある,と​いう​こと​を​認める​べき​です。使徒​パウロ​も​自分​に​弱い​点​が​ある​こと​を​認め​まし​た。(コリ​二 12:9,10)わたしたち​は​皆,兄弟​姉妹​の​支え​を​必要​と​し​て​い​ます。

14. 兄弟​たち​と​の​平和​な​関係​を​保つ​ため,どんな​努力​を​払う​べき​です​か。

14 平和​な​関係​を​保つ。わたしたち​は,誤解​さ​れ​た​と​か​不当​に​扱わ​れ​た​と​感じる​時​に​も,兄弟​たち​と​の​平和​な​関係​を​保つ​ため​に​できる​限り​努力​し​ます。ローマ 12:17,18を​読む。)だれ​か​の​感情​を​傷つけ​て​しまっ​た​時​に​は,謝る​べき​です。でも,心​から​謝ら​なけれ​ば​なり​ませ​ん。「その​よう​に​感じ​させ​て​しまっ​た​の​なら,ごめんなさい」と​言う​より​も,自分​の​間違い​を​認め,「傷つける​こと​を​言っ​て​しまっ​て,ごめんなさい」と​言う​ほう​が​よい​でしょ​う。夫婦​の​間​で​平和​な​関係​を​保つ​こと​は​特に​大切​です。人前​で​は​仲​の​良い​ふり​を​し​て​い​て​も,2​人​だけ​に​なる​と​口​を​きか​なかっ​たり,ひどい​こと​を​言っ​たり,暴力​を​振るっ​たり​する​なら,真​の​愛​を​抱い​て​いる​と​は​言え​ませ​ん。

15. 本当​に​許す​と​は​どう​いう​こと​です​か。

15 進ん​で​許す。だれ​か​に​傷つけ​られ​た​時,進ん​で​許し,怒り​を​捨てる​こと​が​大切​です。その​人​が​あなた​を​傷つけ​た​こと​に​気づい​て​い​なく​て​も,進ん​で​許し​ます。「愛​の​うち​に​互い​に​忍び,結合​の​きずな​で​ある​平和​の​うち​に​霊​の​一致​を​守る​ため​真剣​に​励[む]」必要​が​あり​ます。(エフェ 4:2,3)本当​に​許す​に​は,自分​の​考え​を​コントロール​し,「根​に​持た[ない]」よう​に​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん。(コリ​一 13:4,5)怒り​や​恨み​を​抱く​なら,その​人​と​の​関係​だけ​で​は​なく,エホバ​と​の​関係​も​損なわ​れ​ます。(マタ 6:14,15)あなた​を​傷つけ​た​人​の​ため​に​祈る​こと​も,本当​に​許し​て​いる​こと​の​表われ​です。(ルカ 6:27,28

16. 奉仕​の​特権​を​与え​られ​た​時,どの​よう​に​真​の​愛​を​示せ​ます​か。

16 自分​の​益​を​求め​ない。奉仕​の​特権​が​与え​られ​た​なら,「自分​の​益​で​は​なく,他​の​人​の​益​を​求め[る]」こと​に​よっ​て,真​の​愛​を​示し​たい​もの​です。(コリ​一 10:24)例えば,大会​の​案内​係​は,他​の​出席​者​より​も​前​に​会場​に​入り​ます。多く​の​兄弟​たち​は,これ​を​自分​や​家族​の​ため​に​一番​良い​席​を​取る​チャンス​と​は​考え​ませ​ん。むしろ,担当​区画​の​中​で​みんな​が​あまり​座り​たがら​ない​席​を​選び​ます。自分​の​益​を​求め​ず,真​の​愛​を​示す​の​です。あなた​は​そう​し​た​手本​に​どの​よう​に​倣え​ます​か。

17. 重大​な​罪​を​犯し​た​人​は,真​の​愛​に​動かさ​れ​て​何​を​す​べき​です​か。

17 ひそか​な​罪​を​告白​し,やめる。重大​な​罪​を​犯し​た​クリスチャン​の​中​に​は,恥ずかしい​思い​を​し​たく​ない​と​か,他​の​人​を​がっかり​さ​せ​たく​ない​と​いう​理由​で,罪​を​隠そ​う​と​する​人​が​い​ます。(箴 28:13)しかし,それ​は​愛​の​ない​こと​です。自分​だけ​で​は​なく​他​の​人​に​も​害​を​及ぼす​から​です。神​の​霊​の​流れ​が​妨げ​られ,会衆​全体​の​平和​が​脅かさ​れ​かね​ませ​ん。(エフェ 4:30)真​の​愛​が​あれ​ば,自分​の​罪​に​つい​て​長老​たち​に​話し,援助​を​求める​はず​です。(ヤコ 5:14,15

18. 真​の​愛​を​示す​こと​は​どれ​ほど​大切​です​か。

18 愛​は​最も​貴重​な​特質​です。(コリ​一 13:13)イエス​の​追随​者​で​ある​こと​を​示す​しるし​で​あり,愛​の​源​で​ある​エホバ​に​倣っ​て​いる​こと​の​証拠​です。(エフェ 5:1,2)パウロ​は,「愛​が​なけれ​ば,何​の​価値​も​あり​ませ​ん」と​述べ​まし​た。(コリ​一 13:2)では​これ​から​も「言葉」だけ​で​は​なく,「行ない​と​真実​と​を​もっ​て」愛​を​示し​て​いき​ましょ​う。