あなたは辛抱強く待ちますか
「あなた方も辛抱し……なさい」。ヤコ 5:8
歌: 78,139
1,2. (イ)どんな時,「いつまでですか」と尋ねたくなるかもしれませんか。(ロ)昔の忠実な人々の例からどんな励みを得られますか。
「いつまでですか」。忠実な預言者イザヤとハバククはそう尋ねました。(イザ 6:11。ハバ 1:2)ダビデも詩編 13編を書いた時,「いつまでですか」と4度尋ねました。(詩 13:1,2)イエス・キリストも不信仰な人々にそう尋ねたことがあります。(マタ 17:17)わたしたちも「いつまでですか」と尋ねたくなることがあります。
2 どんな時,そのように尋ねたくなりますか。不公正を経験した時,老齢や病気でつらい時,「対処しにくい危機の時代」の生活にストレスを感じる時でしょうか。(テモ二 3:1)周りの人たちの言動にがっかりし,疲れを覚える時かもしれません。昔の忠実な人々は,「いつまでですか」と尋ねたことでエホバからとがめられたりはしませんでした。そのことを知ると安心します。
3. 難しい状況に直面する時,どんな特質が役立ちますか。
3 難しい状況に直面する時,どんな特質が役立ちますか。イエスの異父兄弟ヤコブはこう述べています。「兄弟たち,主の臨在の時まで辛抱しなさい」。(ヤコ 5:7)わたしたちは皆,辛抱する必要があります。では,辛抱強さとはどんな特質でしょうか。
辛抱強さとはどんな特質か
4,5. (イ)辛抱強さはどんな特質ですか。(ロ)ヤコブは辛抱強さについてどんなことを述べていますか。(冒頭の挿絵を参照。)
4 聖書によれば,辛抱強さは聖霊によって生み出される特質です。不完全な人間が難しい状況のもとで辛抱するには,神の助けが必要です。辛抱強さは神から与えられる特質なので,辛抱することによって神への愛を表わせます。また,他の人への愛も表わせます。辛抱すれば愛の絆は強まり,辛抱しないと弱まります。(コリ一 13:4。ガラ 5:22)辛抱強さは他の大切な特質とも関係しています。例えば,忍耐と密接に関係しています。忍耐強い人は,難しい状況に置かれても,積極的な態度で辛抱し続けます。(コロ 1:11。ヤコ 1:3,4)辛抱強さがあれば,苦しい目に遭っても仕返ししません。どんな問題にぶつかっても忠実を保てます。さらに聖書は,待つ必要があるという事実を受け入れるよう勧めています。ヤコブ 5章7,8節からその点が分かります。(読む。)
5 エホバが行動してくださることを待つ必要があるのはなぜですか。ヤコブは農夫の例えを用いています。農夫は種をまくために一生懸命働きますが,天候や作物の生長をコントロールすることはできません。時間を早めることもできません。「地の貴重な実」を辛抱強く待つ必要があります。わたしたちもエホバの約束が果たされる時を待っています。しかし,コントロールできない事柄がたくさんあります。(マル 13:32,33。使徒 1:7)ですから,農夫のように辛抱強く待つ必要があります。
6. 預言者ミカから何を学べますか。
6 今日の状況は,預言者ミカの時代の状況と似ています。当時は悪い王アハズが支配しており,犯罪や不正が広く見られました。「[人々]の手は悪事の上にある。それをうまく行なおうとする」とあるとおりです。(ミカ 7:1‐3を読む。)ミカはそのような状況を変えることはできないことを知っていました。では,どうしたでしょうか。こう述べています。「わたしは,終始エホバに目を向ける。わたしの救いの神を待ち望もう[または,辛抱強く待とう]。わたしの神は聞いてくださる」。(ミカ 7:7)わたしたちも,ミカのように辛抱強く神を「待ち望[む]」必要があります。
7. わたしたちはどんな態度で待つべきですか。なぜですか。
7 ミカのような信仰があれば,積極的な態度でエホバを待つことができます。わたしたちは,独房で処刑を待つ囚人とは異なります。囚人は仕方なく待っており,処刑の日を楽しみになどしていません。わたしたちは喜んでエホバを待っています。神がご自分の約束を果たし,最もふさわしい時に永遠の命を与えてくださることを知っているからです。わたしたちは「十分に耐え忍ぶ者,また喜んで辛抱する者」です。(コロ 1:11,12)「エホバは遅い」と不平を言いながらしぶしぶ待つなら,神に喜ばれません。(コロ 3:12)
忠実に辛抱した人たち
8. 昔の忠実な人たちのどんな点に注目できますか。
8 昔の忠実な人たちは,エホバが約束を果たされる時を辛抱強く待ちました。彼らの手本について考えると,喜んで待ちたいという気持ちが強まります。(ロマ 15:4)彼らがどれほど長く待つ必要があったか,なぜ待つことができたか,どんな祝福を受けたかに注目しましょう。
9,10. アブラハムとサラは,どれほどの期間エホバを待つ必要がありましたか。
9 アブラハムとサラの例を考えましょう。2人は「信仰と辛抱とによって約束を受け継ぐ人々」です。エホバはアブラハムを祝福し,子孫を増やす,と約束されました。「アブラハムは,辛抱した後」,この約束を与えられました。(ヘブ 6:12,15)この約束が果たされるまでには時間がかかりました。ですから,アブラハムは辛抱する必要がありました。エホバがアブラハムと結んだ契約は,西暦前1943年ニサン14日に発効しました。その日,アブラハムとサラは家の者たちと共にユーフラテス川を渡って約束の地に入りました。その後アブラハムは,西暦前1918年に息子イサクが生まれるまで25年間待たなければなりませんでした。西暦前1858年に孫のエサウとヤコブが生まれるまでには,さらに60年待つ必要がありました。(ヘブ 11:9)
10 アブラハムはどれほどの土地を受け継ぎましたか。聖書はこう述べています。「でも[エホバは]そこにおいて,相続物となる所有地を少しも彼[アブラハム]にお与えになりませんでした。そうです,足の幅ほどもです。ただ,そこを所有地として彼に,そして彼の後その胤に与えることを約束されたのですが,それはまだ彼にひとりも子供のいない時でした」。(使徒 7:5)アブラハムの子孫が約束の地を取得する国民として組織されたのは,アブラハムがユーフラテス川を渡ってから430年後のことでした。(出 12:40‐42。ガラ 3:17)
11. アブラハムが辛抱強くエホバを待つことができたのはなぜですか。辛抱した結果,どんな祝福を受けますか。
11 アブラハムが辛抱強くエホバを待つことができたのはなぜでしょうか。エホバへの信仰があったからです。(ヘブライ 11:8‐12を読む。)自分の生きている間に約束の完全な成就を見ることはできませんでしたが,喜んで待ちました。アブラハムは地上のパラダイスに復活する時,どれほど大きな喜びを味わうことでしょう。自分や自分の子孫のことが聖書の多くの部分に記されていることを知って驚くに違いありません。 * 約束のメシアに関するエホバの目的の中で自分がどれほど重要な役割を果たしたかを知り,感激することでしょう。長い間待ったかいがあった,と思うはずです。
12,13. ヨセフが辛抱する必要があったのはなぜですか。ヨセフはどんな態度を示しましたか。
12 アブラハムのひ孫ヨセフも辛抱し続けました。ヨセフは非常に不当な扱いを受けました。17歳のころ,兄たちに奴隷として売られました。後に,主人の妻をレイプしようとしたという虚偽の訴えを受けて投獄されました。(創 39:11‐20。詩 105:17,18)正しいことをしていたのにつらい目に遭い,祝福されているようには見えませんでした。しかし13年後,事態は一変します。ヨセフは釈放され,エジプトの第二の地位に就けられました。(創 41:14,37‐43。使徒 7:9,10)
13 不当な扱いを受けたヨセフは苦々しい気持ちになりましたか。エホバへの信頼を失ったでしょうか。そのようなことはありませんでした。ヨセフが辛抱強く待つことができたのはなぜでしょうか。エホバへの信仰があったからです。エホバが物事を導いておられることに気づいていました。そのことは,兄たちへの次の言葉に表われています。「恐れたりしないでください。わたしが神の地位にでもいるのでしょうか。あなた方としてはわたしに対して悪事を思い図りました。神はそれを良い事のために図られたのです。それは,今日見るとおり多くの民を生き長らえさせるためでした」。(創 50:19,20)ヨセフは,待ったかいがあったと感じたはずです。
14,15. (イ)ダビデの辛抱のどんな点が素晴らしいと思いますか。(ロ)ダビデが辛抱強く待つことができたのはなぜですか。
14 ダビデもたびたび不当に扱われました。若いころに将来のイスラエルの王としてエホバに油そそがれたにもかかわらず,自分の部族の王とされるまでに15年ほど待たなければなりませんでした。(サム二 2:3,4)その間,不忠実なサウル王から命を付けねらわれ,逃亡生活を余儀なくされたこともあります。 * 異国の地や荒野の洞くつで過ごさなければなりませんでした。やがてサウルは戦いで死にました。しかし,ダビデはイスラエル全体の王になるまでさらに7年ほど待たなければなりませんでした。(サム二 5:4,5)
15 ダビデが辛抱強く待つことができたのはなぜでしょうか。「いつまでですか」と4度尋ねた詩編の中でこう述べています。「わたしは,あなたの愛ある親切に依り頼みました。わたしの心があなたの救いを喜びますように。わたしはエホバに向かって歌います。豊かな報いをもってわたしを扱ってくださったからです」。(詩 13:5,6)ダビデはエホバが忠節な愛を示してくださることを信頼していました。救いを喜んで待ち望みました。また,エホバがそれまでどれほど豊かに報いてくださったかを思い巡らしました。待つ価値があると信じていたのです。
エホバはわたしたちにだけ待つよう求めておられるのではない。ご自分も辛抱強く待っておられる。
16,17. エホバ神とイエス・キリストは,辛抱強く待つ点でどんな手本を示しておられますか。
16 エホバはわたしたちにだけ待つよう求めておられるのではありません。ご自分も辛抱強く待っておられます。実際,待つ点で最高の手本を示しておられます。(ペテロ第二 3:9を読む。)エホバはエデンの園で提起された倫理的な問題が疑問の余地なく解決されるよう,これまで何千年も辛抱強く待ってこられました。ご自分の名が完全に神聖にされる時を辛抱強く「待ち望」んでおられるのです。わたしたちもエホバを心から「待ち望む」なら,豊かな祝福を受けることができます。(イザ 30:18)
17 イエスも辛抱強く待つ点での手本です。地上で死に至るまで忠誠を保ち,西暦33年に贖いの犠牲の価値を神に差し出しましたが,王として支配を始めたのは1914年でした。それまでずっと待ちました。(使徒 2:33‐35。ヘブ 10:12,13)また,イエスの敵すべてが完全に滅ぼされるのは,千年統治が終わってからです。(コリ一 15:25)イエスはそれまで長い間待たなければなりません。しかし,確かに待つ価値があります。
何が助けになるか
18,19. 辛抱強く待つうえで何が助けになりますか。
18 ですから,わたしたち一人一人も辛抱強く待つ必要があります。何が助けになるでしょうか。聖霊を祈り求めることです。辛抱強さは霊の実の一面だからです。(エフェ 3:16; 6:18。テサ一 5:17‐19)辛抱強く待ち続けることができるよう,エホバに助けを求めてください。
19 アブラハム,ヨセフ,ダビデにとって,エホバの約束が果たされる時を辛抱強く待つうえで何が助けになったでしょうか。エホバへの信仰と,エホバが報いてくださるという信頼です。彼らは自分のことや自分の願いだけに関心を向けたりはしませんでした。彼らの辛抱が報われたことを考えると,わたしたちも辛抱強く待とうという気持ちになります。
20. 試練に遭うとしても,どんな態度を示したいと思いますか。
20 では,試練に遭うとしても「待つ態度」を示しましょう。「エホバよ,いつまでですか」と叫びたくなることもあるでしょう。(イザ 6:11)でも,神の強力な聖霊に頼り,次のように述べたエレミヤに倣いましょう。「エホバはわたしの受け分です……それゆえに,わたしは神を待つ態度を示すのです」。(哀 3:21,24)
^ 11節 創世記の15の章には,主にアブラハムについて記されています。また,クリスチャン・ギリシャ語聖書にはアブラハムのことが70回以上出てきます。
^ 14節 サウルは支配を始めて2年少し後にエホバから退けられましたが,さらに38年間,死ぬまで王として支配しました。(サム一 13:1。使徒 13:21)
「ものみの塔」(研究用)