「神の言葉は,定めのない時に至るまで保つ」

「神の言葉は,定めのない時に至るまで保つ」

「青草​は​干からび,花​は​枯れ​た。しかし​わたしたち​の​神​の​言葉​は,定め​の​ない​時​に​至る​まで​保つ​の​で​ある」。イザ 40:8

歌: 116,115

1,2. (イ)聖書​が​なかっ​たら,わたしたち​の​人生​は​どう​なる​と​思い​ます​か。(ロ)どんな​聖書​を​入手​できる​なら,十分​に​益​を​得る​こと​が​でき​ます​か。

聖書​が​なかっ​たら,わたしたち​の​人生​は​どう​なる​でしょ​う。毎日​の​生活​に​必要​な​信頼​できる​アドバイス​が​得​られ​ませ​ん。神,命,将来​に​関する​正しい​情報​も​得​られ​ませ​ん。エホバ​が​昔,人々​に​対し​て​どの​よう​に​行動​さ​れ​た​か​も​分かり​ませ​ん。

2 うれしい​こと​に,わたしたち​は​そう​し​た​状況​に​は​あり​ませ​ん。エホバ​は​聖書​を​与え​て​ください​まし​た。また,聖書​に​収め​られ​て​いる​情報​が​永久​に​存続​する,と​約束​し​て​おら​れ​ます。ペテロ​第​一 1:24,25を​読む。)ペテロ​は​イザヤ 40​章​8​節​を​引用​し​て​い​ます。その​聖句​に​出​て​くる「神​の​言葉」は​聖書​そのもの​を​指し​て​いる​わけ​で​は​あり​ませ​ん。しかし,広い​意味​で​は​聖書​に​収め​られ​て​いる​情報​も​含ん​で​い​ます。自分​の​よく​理解​できる​言語​の​聖書​を​入手​できる​なら,聖書​から​十分​に​益​を​得る​こと​が​でき​ます。聖書​を​愛する​人​たち​は​皆​そう​感じ​て​いる​こと​でしょ​う。これ​まで​何​世紀​に​も​わたり,多く​の​人​たち​が​様々​な​困難​の​中,聖書​の​翻訳​と​頒布​の​ため​に​懸命​に​努力​し​て​き​まし​た。その​人​たち​の​願い​は​神​の​お考え​と​調和​し​て​い​まし​た。神​の​ご意志​は「あらゆる​人​が​救わ​れ​て,真理​の​正確​な​知識​に​至る​こと」だから​です。(テモ​一 2:3,4

3. この​記事​で​は​どんな​こと​を​考え​ます​か。(冒頭​の​挿絵​を​参照。)

3 この​記事​で​は,(1)言語​の​変化,(2)共通​語​に​影響​を​与え​た​政治​上​の​変化,(3)聖書​翻訳​に​対する​反対​など​の​中,聖書​が​どの​よう​に​存続​し​て​き​た​か​を​考え​ます。こう​し​た​点​を​考える​と​よい​の​は​なぜ​でしょ​う​か。聖書​が​どれ​ほど​大切​な​本​か​と​いう​認識​が​深まり​ます。わたしたち​の​益​の​ため​に​聖書​を​与え​て​くださっ​た,聖書​の​著者​エホバ​に​対する​愛​も​深まる​でしょ​う。(ミカ 4:2。ロマ 15:4

言語​の​変化

4. (イ)言語​は​時​と​共​に​どの​よう​に​変化​し​ます​か。(ロ)神​は​あらゆる​言語​の​人々​に​対し​て​公平​で​ある,と​言える​の​は​なぜ​です​か。あなた​は​その​こと​に​つい​て​どう​思い​ます​か。

4 言語​は​時​と​共​に​変化​し​ます。単語​や​表現​の​中​に​は,全く​違う​意味​に​なっ​た​もの​も​あり​ます。日本​語​に​も​その​よう​な​例​が​ある​でしょ​う。聖書​を​書く​の​に​用い​られ​た​ヘブライ​語​や​ギリシャ​語​も​同じ​です。当時​の​ヘブライ​語​や​ギリシャ​語​は,今日​と​は​かなり​異なり​ます。ですから,現代​の​ヘブライ​語​や​ギリシャ​語​を​知っ​て​いる​人​を​含め,聖書​を​理解​し​たい​と​思う​人​は,翻訳​さ​れ​た​聖書​を​読む​必要​が​あり​ます。ある​人​たち​は,聖書​を​原語​で​読む​ため​に​古代​の​ヘブライ​語​や​ギリシャ​語​を​学ぶ​べき​だ​と​考え​ます。しかし,それ​は​思っ​た​ほど​助け​に​なら​ない​か​も​しれ​ませ​ん。 * 感謝​す​べき​こと​に,聖書​の​全巻​または​一部​は​現在,3200​以上​の​言語​に​翻訳​さ​れ​て​い​ます。エホバ​が「あらゆる​国民​・​部族​・​国語」の​人々​に,聖書​から​益​を​得​て​ほしい​と​願っ​て​おら​れる​こと​は​明らか​です。啓示 14:6を​読む。)この​点​を​考える​と,愛情​深い​公平​な​神​に​いっそう​引き寄せ​られる​の​で​は​あり​ませ​ん​か。(使徒 10:34

5. ジェームズ​王​欽定​訳​に​は​どんな​特徴​が​あり​ます​か。

5 言語​の​変化​は​聖書​翻訳​に​も​影響​を​与え​ます。当初​は​よく​理解​でき​た​翻訳​で​も,やがて​意味​が​分かり​にくく​なる​こと​が​あり​ます。一例​と​し​て,英語​に​翻訳​さ​れ​た​聖書​に​つい​て​考え​ましょ​う。ジェームズ​王​欽定​訳​の​初版​が​発行​さ​れ​た​の​は​1611​年​です。この​英訳​聖書​は​多く​の​人​に​愛さ​れ,英語​そのもの​に​も​大きな​影響​を​与え​まし​た。しかし,神​の​名前​で​ある「エホバ」を​数​か所​で​用い​て​いる​だけ​です。ヘブライ​語​聖書​で​元々​神​の​名前​が​あっ​た​他​の​箇所​で​は,大​文字​の“LORD”(主)と​いう​言葉​を​用い​て​い​ます。後​の​版​で​は,クリスチャン​・​ギリシャ​語​聖書​の​幾つ​か​の​節​で​も“LORD”を​用い​て​おり,いわゆる​新約​聖書​に​も​神​の​名前​が​あっ​た​こと​を​認め​て​い​ます。

6. 「新​世界​訳​聖書」に​は​どんな​優れ​た​特色​が​あり​ます​か。

6 と​は​いえ,ジェームズ​王​欽定​訳​の​言葉遣い​の​多く​は​今​で​は​古く​なっ​て​い​ます。他​の​言語​の​初期​の​聖書​翻訳​も​そう​です。ですから,現代​語​を​用い​た「新​世界​訳​聖書」が​ある​の​は​本当​に​うれしい​こと​です。この​訳​の​全巻​または​一部​は​150​以上​の​言語​で​出版​さ​れ,世界​の​大半​の​人​たち​が​読む​こと​が​でき​ます。分かり​やすい​表現​が​用い​られ​て​いる​ため,聖書​の​メッセージ​が​心​に​響き​ます。(詩 119:97)重要​な​特色​と​し​て,聖書​中​の​正当​な​箇所​に「エホバ」と​いう​名前​を​復元​し​て​い​ます。

政治​上​の​変化

7,8. (イ)西暦​前​3​世紀​の​多く​の​ユダヤ​人​が​ヘブライ​語​聖書​を​理解​でき​なかっ​た​の​は​なぜ​です​か。(ロ)ギリシャ​語​セプトゥアギンタ​訳​と​は​どんな​聖書​です​か。

7 政治​上​の​変化​に​よっ​て,共通​語​が​変わる​こと​が​あり​ます。神​は​そう​し​た​中​で​も​人々​が​聖書​を​理解​できる​よう​に​され​まし​た。一つ​の​例​を​考え​て​み​ましょ​う。聖書​の​初め​の​39​の​書​は,イスラエル​人​つまり​ユダヤ​人​に​よっ​て​書か​れ​まし​た。当初,「神​の​神聖​な​宣言​を​託さ​れ​た」国民​です。(ロマ 3:1,2)しかし,西暦​前​3​世紀​まで​に,多く​の​ユダヤ​人​は​ヘブライ​語​を​理解​でき​なく​なり​まし​た。なぜ​でしょ​う​か。アレクサンドロス​大王​が​諸国​を​征服​し​て​ギリシャ​帝国​の​領土​を​広げ​た​ため,ギリシャ​語​が​帝国​内​の​人々​の​共通​語​に​なっ​た​から​です。(ダニ 8:5‐7,20,21)各地​に​離散​し​て​い​た​ユダヤ​人​も​例外​で​は​あり​ませ​ん。多く​の​ユダヤ​人​は​ギリシャ​語​を​話す​よう​に​なり,ヘブライ​語​聖書​を​よく​理解​でき​なく​なり​まし​た。聖書​を​理解​する​ため​に​どんな​こと​が​助け​に​なっ​た​でしょ​う​か。

8 西暦​前​3​世紀​半ば​ごろ,聖書​の​最初​の​5​つ​の​書​が​ヘブライ​語​から​ギリシャ​語​に​翻訳​さ​れ​まし​た。ヘブライ​語​聖書​の​残り​の​部分​も,西暦​前​2​世紀​まで​に​ギリシャ​語​に​翻訳​さ​れ​まし​た。この​聖書​は​ギリシャ​語​セプトゥアギンタ​訳​と​呼ば​れ​て​おり,ヘブライ​語​聖書​全巻​の​最初​の​翻訳​と​し​て​知ら​れ​て​い​ます。

9. (イ)セプトゥアギンタ​訳​や​他​の​初期​の​翻訳​は,人々​に​どんな​影響​を​与え​まし​た​か。(ロ)あなた​は​ヘブライ​語​聖書​の​どの​書​や​聖句​が​好き​です​か。

9 セプトゥアギンタ​訳​の​おかげ​で,ギリシャ​語​を​話す​ユダヤ​人​や​他​の​多く​の​人​たち​が​ヘブライ​語​聖書​を​読める​よう​に​なり​まし​た。自分​の​よく​理解​できる​言語​で​聖書​を​読ん​だり​聖書​の​朗読​を​聞い​たり​し​て,深く​感動​し​た​こと​でしょ​う。やがて,聖書​は​シリア​語​や​ゴート​語​や​ラテン​語​など,多く​の​人​が​用い​て​い​た​他​の​言語​に​も​翻訳​さ​れ​まし​た。自分​の​言語​で​聖書​を​読ん​だ​人​たち​は,わたしたち​と​同じ​よう​に,お気​に​入り​の​書​や​聖句​を​見つけ​た​でしょ​う。詩編 119:162‐165を​読む。)共通​語​が​変わっ​て​も​聖書​は​存続​し​て​き​た​の​です。

聖書​翻訳​に​対する​反対

10. ジョン​・​ウィクリフ​の​時代,聖書​を​読む​こと​が​非常​に​困難​だっ​た​の​は​なぜ​です​か。

10 一般​の​人々​が​聖書​を​読め​ない​よう​に​する​ため​に,強力​な​圧力​が​加え​られ​た​こと​も​あり​ます。しかし,多く​の​誠実​な​人​たち​は​そう​し​た​反対​に​屈し​ませ​ん​でし​た。14​世紀​の​神学​者​ジョン​・​ウィクリフ​の​例​を​取り上げ​ましょ​う。ウィクリフ​は,すべて​の​人​が​聖書​を​読める​よう​に​す​べき​だ​と​考え​まし​た。当時,英国​の​一般​の​人​たち​が​聖書​を​読む​こと​は​非常​に​困難​でし​た。なぜ​でしょ​う​か。一つ​の​理由​と​し​て,多く​の​人​は​聖書​を​買え​ませ​ん​でし​た。聖書​の​写本​は​手書き​で,とても​高価​だっ​た​から​です。もう​一つ​の​理由​と​し​て,大半​の​人​たち​は​字​が​読め​ませ​ん​でし​た。教会​で​聖書​の​朗読​を​幾らか​聞い​た​か​も​しれ​ませ​ん​が,内容​は​理解​でき​なかっ​た​こと​でしょ​う。教会​公認​の​聖書​で​ある「ウルガタ​訳」は​ラテン​語​だっ​た​から​です。中世​に​おい​て,一般​の​人​たち​は​ラテン​語​を​理解​でき​ませ​ん​でし​た。どう​すれ​ば,聖書​に​収め​られ​て​いる​貴重​な​宝​を​見いだせる​でしょ​う​か。(箴 2:1‐5

ジョン​・​ウィクリフ​や​仲間​たち​の​よう​に,あなた​も​聖書​を​あらゆる​人​に​読ん​で​ほしい​と​願っ​て​い​ます​か。(11​節​を​参照。)

11. ウィクリフ​聖書​は​人々​に​どんな​影響​を​与え​まし​た​か。

11 1382​年,後​に​ウィクリフ​聖書​と​し​て​知ら​れる​英訳​聖書​が​完成​し​まし​た。この​聖書​は​ウィクリフ​の​追随​者​たち​の​間​で​すぐ​に​愛読​さ​れる​よう​に​なり​まし​た。ロラード​派​と​呼ば​れ​た​巡回​説教​師​たち​は,聖書​に​書か​れ​て​いる​事柄​を​一般​の​人々​に​伝える​ため,英国​各地​の​村々​を​徒歩​で​旅し​まし​た。出会う​人​たち​に​ウィクリフ​聖書​を​朗読​し,手書き​の​写本​の​一部​を​渡し​まし​た。彼ら​の​努力​が​きっかけ​と​なり,人々​は​聖書​に​強い​関心​を​抱く​よう​に​なり​まし​た。

12. 聖職​者​たち​は,ウィクリフ​と​その​活動​に​どう​反応​し​まし​た​か。

12 聖職​者​たち​は​どう​反応​し​た​でしょ​う​か。ウィクリフ,ウィクリフ​聖書,ウィクリフ​の​追随​者​たち​へ​の​憎しみ​を​あらわ​に​し​まし​た。ロラード​派​の​人々​を​迫害​し,ウィクリフ​聖書​の​写本​を​必死​で​探し出し​て​は​処分​し​まし​た。すでに​亡くなっ​て​い​た​ウィクリフ​を​異端​者​と​宣言​し​まし​た。死者​を​罰する​こと​が​でき​ない​の​で,ウィクリフ​の​骨​を​掘り起こし​て​焼き,灰​を​スウィフト​川​に​捨て​まし​た。しかし​教会​は,聖書​を​読ん​で​理解​し​たい​と​いう​人々​の​願い​を​抑えつける​こと​は​でき​ませ​ん​でし​た。その​後​何​世紀​か​に​わたり,ヨーロッパ​や​世界​の​他​の​場所​で,多く​の​人​たち​が​聖書​の​翻訳​と​頒布​を​始め​まし​た。一般​の​人々​が​聖書​を​読める​よう​に​する​ため​です。

「あなた​に​自分​を​益する​こと​を​教える​者」

13. 聖書​翻訳​の​歴史​を​振り返る​と,どんな​こと​が​分かり​ます​か。どんな​信仰​が​強まり​ます​か。

13 セプトゥアギンタ​訳​や​ウィクリフ​聖書​や​ジェームズ​王​欽定​訳​など​の​翻訳​作業​が​神​の​霊感​を​受け​た​もの​で​ある,と​いう​わけ​で​は​あり​ませ​ん。と​は​いえ,聖書​翻訳​の​歴史​を​振り返る​と,エホバ​が​約束​どおり​聖書​を​存続​さ​せ​て​こら​れ​た​こと​が​分かり​ます。エホバ​は​他​の​約束​も​すべて​必ず​果たさ​れる,と​いう​信仰​が​強まる​の​で​は​あり​ませ​ん​か。(ヨシュ 23:14

14. 聖書​に​つい​て​考える​と​神​へ​の​愛​が​深まり​ます。なぜ​です​か。

14 聖書​が​これ​まで​どの​よう​に​存続​し​て​き​た​か​を​考える​と,エホバ​へ​の​愛​も​深まり​ます。 * そもそも,エホバ​が​聖書​を​与え​て​くださっ​た​の​は​なぜ​でしょ​う​か。聖書​が​存続​する​と​保証​さ​れ​た​の​は​なぜ​です​か。わたしたち​を​愛し​て​おら​れ,わたしたち​の​益​に​なる​こと​を​教え​たい​と​願っ​て​おら​れる​から​です。イザヤ 48:17,18を​読む。)その​よう​な​神​の​愛​に​つい​て​考える​と,わたしたち​も​エホバ​を​愛し,エホバ​の​命令​に​従い​たい​と​思う​はず​です。(ヨハ​一 4:19; 5:3

15. 次​の​記事​で​は​どんな​こと​を​取り上げ​ます​か。

15 聖書​を​愛する​わたしたち​は,聖書​から​最大​の​益​を​得​たい​と​願っ​て​い​ます。では,どの​よう​に​聖書​を​読め​ば​十分​に​益​を​得​られる​でしょ​う​か。宣教​で​どの​よう​に​人々​の​注意​を​聖書​に​向ける​こと​が​でき​ます​か。集会​や​大会​で​話​を​する​時,どの​よう​に​聖書​を​際立た​せる​こと​が​できる​でしょ​う​か。次​の​記事​で​は​こう​し​た​点​を​取り上げ​ます。

^ 4節 「ものみの塔」2009​年​11​月​1​日​号​の「ヘブライ​語​や​ギリシャ​語​を​学ぶ​必要​が​あり​ます​か」と​いう​記事​を​参照。

^ 14節 ぜひ​おいで​ください」と​いう​囲み​を​参照。