惜しみなく与える人は幸福

惜しみなく与える人は幸福

「受ける​より​与える​ほう​が​幸福​で​ある」。使徒 20:35

歌: 16,74

1. エホバ​が​惜しみなく​与える​方​で​ある​と​言える​の​は​なぜ​です​か。

エホバ​が​創造​を​行なう​前,ほか​に​は​だれ​も​い​ませ​ん​でし​た。でも,神​は​ご自分​の​こと​だけ​を​考え​て​おら​れ​た​わけ​で​は​あり​ませ​ん。天使​や​人間​を​造り,命​と​いう​贈り物​を​お与え​に​なり​まし​た。「幸福​な​神」エホバ​は,良い​もの​を​与える​こと​に​喜び​を​お感じ​に​なり​ます。(テモ​一 1:11。ヤコ 1:17)わたしたち​に​も​幸福​に​なっ​て​ほしい​と​思っ​て​いる​の​で,惜しみなく​与える​よう​教え​て​おら​れ​ます。(ロマ 1:20

2,3. (イ)与える​と​幸福​に​なれる​の​は​なぜ​です​か。(ロ)この​記事​で​は​どんな​こと​を​学び​ます​か。

2 人間​は​神​に​似​た​者​と​し​て​造ら​れ​た​の​で,神​の​特質​を​表わす​こと​が​でき​ます。(創 1:27)エホバ​の​手本​に​従っ​て,他​の​人​を​気遣い,惜しみなく​与える​なら,幸福​や​満足​感​を​得​られ​ます。(フィリ 2:3,4。ヤコ 1:5)わたしたち​は​不​完全​です​が,神​に​倣っ​て​惜しみなく​与える​こと​は​可能​です。

3 聖書​は​惜しみなく​与える​よう​勧め​て​い​ます。この​記事​で​は​次​の​点​を​取り上げ​ます。惜しみなく​与える​なら​神​の​祝福​を​得​られる,と​言える​の​は​なぜ​です​か。惜しみなく​与える​こと​は,神​から​与え​られ​た​務め​を​果たす​うえ​で​どの​よう​に​役立ち​ます​か。わたしたち​の​幸福​と​どんな​関係​が​ある​でしょ​う​か。惜しみなく​与え​続ける​必要​が​ある​の​は​なぜ​です​か。

神​の​祝福​を​得​られる

4,5. エホバ​と​イエス​は​惜しみなく​与える​点​で​どんな​手本​を​示さ​れ​まし​た​か。

4 エホバ​は,人間​が​ご自分​に​倣う​こと​を​望ん​で​おら​れ​ます。ですから,わたしたち​が​惜しみなく​与える​なら,エホバ​は​喜ん​で​ください​ます。(エフェ 5:1)人間​の​造り​に​つい​て​考え,美しい​自然​を​見る​と,神​が​人間​の​幸福​を​願っ​て​おら​れる​こと​が​はっきり​分かり​ます。(詩 104:24; 139:13‐16)わたしたち​が​他​の​人​を​幸せ​に​し​よう​と​努力​する​なら,エホバ​に​誉れ​を​もたらす​こと​が​でき​ます。

5 真​の​クリスチャン​は​キリスト​に​倣い​ます。キリスト​は,惜しみなく​与える​点​で​完全​な​手本​を​示し​まし​た。こう​述べ​て​い​ます。「人​の​子[は],仕え​て​もらう​ため​で​は​なく,むしろ​仕え,自分​の​魂​を,多く​の​人​と​引き換える​贖い​と​し​て​与える​ため​に​来[まし]た」。(マタ 20:28)パウロ​は​こう​勧め​まし​た。「キリスト​・​イエス​に​あっ​た​この​精神​態度​を​あなた方​の​うち​に​も​保ち​なさい。[イエス​は]自分​を​無​に​し​て​奴隷​の​形​を​取り……まし​た」。(フィリ 2:5,7)こう​自問​し​ましょ​う。「イエス​の​手本​に​今​より​も​しっかり​従える​だろ​う​か」。ペテロ​第 2:21を​読む。)

6. イエス​は​親切​な​サマリア​人​の​たとえ​話​で,どんな​こと​を​教え​まし​た​か。(冒頭​の​挿絵​を​参照。)

6 エホバ​と​イエス​の​手本​に​倣う​なら,神​の​祝福​を​得​られ​ます。人々​の​幸福​を​願い,どう​し​たら​助け​に​なれる​か​を​考え​ましょ​う。イエス​は​親切​な​サマリア​人​の​たとえ​話​の​中​で,どんな​こと​を​教え​まし​た​か。自分​と​は​異なる​背景​の​人​で​も,進ん​で​助ける​べき​だ​と​いう​こと​です。ルカ 10:29‐37を​読む。)イエス​が​この​たとえ​話​を​話し​た​の​は,ある​ユダヤ​人​に「わたし​の​隣人​と​は​いったい​だれ​でしょ​う​か」と​尋ね​られ​た​から​です。イエス​の​答え​から,神​の​祝福​を​得る​に​は,サマリア​人​の​よう​に​惜しみなく​与え​なけれ​ば​なら​ない​こと​が​分かり​ます。

7. 惜しみなく​与える​こと​は,サタン​が​主張​し​た​事柄​と​関係​が​あり​ます。なぜ​そう​言え​ます​か。

7 惜しみなく​与える​べき​別​の​理由​は,サタン​が​エデン​の​園​で​主張​し​た​事柄​と​関係​が​あり​ます。どんな​主張​でしょ​う​か。アダム​と​エバ​や​他​の​人間​すべて​は,神​へ​の​従順​より​も​自分​の​利益​を​優先​し​た​ほう​が​幸せ​に​なれる,と​いう​主張​です。エバ​は​神​の​よう​に​なろ​う​と​し​て​利己​的​に​行動​し​まし​た。アダム​は​エバ​を​喜ばせ​たい​と​いう​利己​的​な​願い​を​表わし​まし​た。(創 3:4‐6)その​結果,人類​は​大きな​苦しみ​を​味わっ​て​い​ます。利己​心​は​幸福​で​は​なく​不幸​に​つながり​ます。わたしたち​は​惜しみなく​与える​こと​に​よっ​て,神​に​従う​の​が​最善​で​ある​と​いう​確信​を​表わせ​ます。

神​から​与え​られ​た​務め​を​果たす

8. アダム​と​エバ​は​他​の​人​の​幸福​に​つい​て​考え​た​はず​です。なぜ​そう​言え​ます​か。

8 神​は​エデン​の​園​で​アダム​と​エバ​を​祝福​し,ある​命令​を​与え​まし​た。子ども​を​生ん​で,地上​全体​に​広がり,地球​を​管理​する​よう​に​と​いう​命令​です。(創 1:28)その​命令​を​聞い​た​2​人​は,他​の​人​の​幸福​に​つい​て​考え​た​はず​です。創造​者​が​創造​物​の​幸福​を​願っ​て​い​た​よう​に,アダム​と​エバ​も​これ​から​生ま​れる​子ども​たち​の​幸福​を​願っ​て​い​た​こと​でしょ​う。パラダイス​は​地上​全体​に​広がり,アダム​の​子孫​に​は​幸福​に​生きる​見込み​が​あり​まし​た。次々​に​増え​て​いく​家族​の​協力​が​求め​られる​一大​プロジェクト​だっ​た​の​です。

9. パラダイス​を​広げる​こと​が​人間​の​幸福​に​つながる​はず​だっ​た​の​は​なぜ​です​か。

9 完全​な​人々​が​パラダイス​を​広げ,エホバ​の​ご意志​を​成し遂げる​に​は,エホバ​と​密接​に​協力​する​必要​が​あり​まし​た。その​後,神​の​休み​に​入る​の​です。(ヘブ 4:11)やりがい​の​ある​わくわく​する​よう​な​プロジェクト​です。他​の​人​の​幸福​の​ため​に​自分​を​与えれ​ば,豊か​な​祝福​と​素晴らしい​満足​感​を​得​られ​た​こと​でしょ​う。

10,11. 良い​知らせ​を​伝え​て​人々​を​弟子​と​する​務め​を​どの​よう​に​果たせ​ます​か。

10 わたしたち​は,良い​知らせ​を​伝え​て​人々​を​弟子​と​する​と​いう​務め​を​神​から​与え​られ​て​い​ます。人々​の​幸福​を​心​から​願っ​て​い​なけれ​ば,この​務め​は​果たせ​ませ​ん。困難​が​あっ​て​も​この​仕事​を​続ける​に​は​正しい​動機,つまり​神​と​隣人​へ​の​愛​が​必要​です。

11 西暦​1​世紀,パウロ​は​自分​と​仲間​たち​を「神​と​共​に​働く​者」と​呼び​まし​た。王国​の​真理​と​いう​種​を​植え​て,水​を​注ぐ​役割​を​果たし​て​い​た​から​です。(コリ​一 3:6,9)わたしたち​も,良い​知らせ​を​伝える​ため​に​時間​や​お金​や​エネルギー​を​惜しみなく​与える​なら,「神​と​共​に​働く​者」に​なれ​ます。本当​に​素晴らしい​務め​です。

真理​を​理解​する​よう​人々​を​助ける​なら,大きな​喜び​を​味わえる。(12​節​を​参照。)

12,13. 人々​を​弟子​と​する​務め​に​つい​て,あなた​は​どう​感じ​て​い​ます​か。

12 宣教​の​ため​に​時間​と​エネルギー​を​惜しみなく​与える​なら,大きな​喜び​を​味わえ​ます。研究​生​が​よく​進歩​し​た​経験​を​持つ​兄弟​姉妹​に​尋ねれ​ば,宣教​が​どれ​ほど​やりがい​の​ある​仕事​か​を​話し​て​くれる​でしょ​う。誠実​な​人​が​真理​を​理解​し​て​顔​を​輝かせ,信仰​を​強め,生き方​を​変え,他​の​人​に​真理​を​伝え​始める​の​を​見る​と,本当​に​うれしく​なり​ます。イエス​も,伝道​に​遣わし​た​70​人​が​成果​を​上げ​て「喜び​ながら​帰っ​て​来[た]」時,とても​幸せ​に​感じ​まし​た。(ルカ 10:17‐21

13 世界​中​の​兄弟​姉妹​は,良い​知らせ​が​人々​の​生き方​を​変える​の​を​見​て​喜ん​で​い​ます。アンナ​と​いう​若い​独身​の​姉妹​の​例​を​考え​ましょ​う。 * アンナ​は​東​ヨーロッパ​の​必要​の​大きな​所​に​移動​し,奉仕​し​て​い​ます。こう​述べ​て​い​ます。「研究​が​たくさん​見つかり​ます。とても​楽しい​です。家​に​帰っ​て​から​も,自分​の​こと​より,研究​生​の​抱え​て​いる​問題​や​悩み​に​つい​て​考え​ます。どう​し​たら​励ませる​か,助け​に​なれる​か​を​考え​ます。『受ける​より​与える​ほう​が​幸福』と​いう​言葉​は​本当​だ​と​思い​ます」。(使徒 20:35

区域​の​すべて​の​家​を​訪問​し,良い​知らせ​に​応じる​機会​を​人々​に​差し伸べる。(14​節​を​参照。)

14. 良い​知らせ​に​耳​を​傾ける​人​が​少ない​と​し​て​も,どう​すれ​ば​宣教​で​喜び​を​得​られ​ます​か。

14 人々​が​耳​を​傾け​ない​と​し​て​も,良い​知らせ​に​応じる​機会​を​差し伸べる​こと​から​喜び​を​得​られ​ます。わたしたち​は,預言​者​エゼキエル​と​同じ​よう​な​務め​を​果たし​て​い​ます。エゼキエル​は​エホバ​から​こう​命じ​られ​まし​た。「彼ら​が​聞こ​う​が​聞く​まい​が,あなた​は​わたし​の​言葉​を​彼ら​に​話さ​なけれ​ば​なら​ない」。(エゼ 2:7。イザ 43:10)良い​知らせ​に​耳​を​傾け​ない​人​が​い​て​も,エホバ​は​わたしたち​の​努力​を​喜ん​で​ください​ます。ヘブライ 6:10を​読む。)ある​奉仕​者​は​宣教​に​つい​て​正しい​見方​を​示し,こう​述べ​て​い​ます。「わたしたち​は​植え,水​を​注ぎ​ます。あと​は​エホバ​が​人々​の​関心​を​育て​て​くださる​よう​祈り​ます」。(コリ​一 3:6

幸福​に​なれる

15. 感謝​し​ない​人​が​いる​と​し​て​も,惜しみなく​与え​続ける​べき​な​の​は​なぜ​です​か。

15 イエス​は,わたしたち​が​惜しみなく​与え​て​幸福​に​なる​こと​を​願っ​て​い​ます。惜しみなく​与える​なら,多く​の​人​は​良い​反応​を​示し​ます。イエス​は​こう​述べ​て​い​ます。「いつも​与え​なさい。そうすれば,人々​は​あなた方​に​与え​て​くれる​でしょ​う。彼ら​は​押し入れ,揺すり入れ,あふれる​ほど​に​量り​を​よく​し​て,あなた方​の​ひざ​に​注ぎ込ん​で​くれる​でしょ​う。あなた方​が​量り出し​て​いる​その​量り​で,今度​は​人々​が​あなた方​に​量り出し​て​くれる​の​です」。(ルカ 6:38)もちろん,すべて​の​人​が​感謝​する​わけ​で​は​あり​ませ​ん。でも,中​に​は​感謝​を​示し,自分​も​与え​たい​と​思う​人​も​い​ます。ですから,感謝​し​て​くれ​ない​よう​に​思え​て​も,惜しみなく​与え​続け​ましょ​う。1​つ​の​良い​行ない​が,思いがけない​結果​に​つながる​こと​も​ある​の​です。

16. どんな​動機​で​与える​べき​です​か。

16 惜しみなく​与える​人​は,見返り​を​求め​ませ​ん。イエス​も​こう​述べ​まし​た。「ごちそう​を​設ける​とき​に​は,貧しい​人,体​の​不​自由​な​人,足なえ​の​人,盲目​の​人​など​を​招き​なさい。そう​すれ​ば​あなた​は​幸い​です。彼ら​に​は​あなた​に​報いる​もの​が​何​も​ない​から​です」。(ルカ 14:13,14)聖書​に​は,「情け深い​目​を​持つ[または,気前​が​いい]者​は​祝福​さ​れる」と​あり​ます。「立場​の​低い​者​に​対し​て​思いやり​を​もっ​て​行動​する​人​は​幸い​です」と​も​述べ​られ​て​い​ます。(箴 22:9。詩 41:1)他​の​人​を​助ける​なら,大きな​喜び​を​味わえ​ます。

17. どんな​もの​を​与える​なら​幸福​に​なれ​ます​か。

17 「受ける​より​与える​ほう​が​幸福​で​ある」と​いう​イエス​の​言葉​を​引用​し​た​パウロ​は,お金​や​物​だけ​で​は​なく,励まし​や​アドバイス​や​助け​を​与える​こと​に​つい​て​も​述べ​て​い​まし​た。(使徒 20:31‐35)パウロ​は​自分​の​時間​や​エネルギー​を​与え,愛​や​気遣い​を​示し​まし​た。自分​を​与える​こと​の​大切​さ​を,言葉​と​行ない​に​よっ​て​教え​た​の​です。

18. 多く​の​研究​者​に​よる​と,他​の​人​に​与える​なら​どんな​結果​に​なり​ます​か。

18 社会​学​の​研究​者​たち​も,人​は​与える​と​幸福​に​なる​と​いう​こと​に​気づい​て​い​ます。ある​記事​に​は,「人​に​親切​に​する​と,とても​幸せ​な​気持ち​に​なる」と​述べ​られ​て​い​ます。研究​者​たち​に​よる​と,他​の​人​を​助ける​こと​に​よっ​て,人生​の「目的​や​意味​を​実感」でき​ます。「人間​が​必要​と​し​て​いる​基本​的​な​欲求​が​満たさ​れる」から​です。それ​で​専門​家​たち​は,自分​の​健康​や​幸福​の​ため​に​も​ボランティア​活動​を​行なう​こと​を​勧め​て​い​ます。こう​し​た​研究​者​たち​の​言葉​は,驚く​に​は​当たり​ませ​ん。愛情​深い​創造​者​エホバ​が,与える​なら​幸福​に​なる​と​教え​て​おら​れる​から​です。(テモ​二 3:16,17

惜しみなく​与え​続ける

19,20. あなた​は​惜しみなく​与え​たい​と​思い​ます​か。なぜ​です​か。

19 他​の​人​より​自分​を​優先​する​人​たち​に​囲ま​れ​て​いる​中​で,惜しみなく​与え​続ける​こと​は​簡単​で​は​あり​ませ​ん。でも​イエス​に​よれ​ば,最も​大切​な​おきて​は,心​と​魂​と​思い​と​力​を​こめ​て​エホバ​を​愛する​こと​と,隣人​を​自分​自身​の​よう​に​愛する​こと​です。(マル 12:28‐31)この​記事​で​考え​た​とおり,エホバ​を​愛する​人​は​エホバ​に​倣い​ます。エホバ​も​イエス​も​惜しみなく​与える​方​です。わたしたち​に​も​そう​する​よう​勧め​て​おら​れ​ます。わたしたち​の​幸福​を​願っ​て​おら​れる​から​です。神​と​隣人​に​惜しみなく​与える​よう​努力​する​なら,エホバ​を​敬い,自分​と​他​の​人​を​幸福​に​する​こと​が​でき​ます。

20 あなた​は​他​の​人,特に​兄弟​姉妹​に​自分​を​与える​よう​努力​し​て​いる​こと​でしょ​う。(ガラ 6:10)そう​し​続ける​なら,他​の​人​から​愛さ​れ,感謝​さ​れ​ます。自分​も​幸福​に​なり​ます。箴言 11​章​25​節​に​は,こう​述べ​られ​て​い​ます。「寛大​な​魂​は​自分​も​肥え,他​の​者​に​惜しみなく​水​を​注ぐ​者​は,自分​も​また​惜しみなく​水​を​注が​れる」。クリスチャン​の​生活​や​奉仕​の​中​で,惜しみなく​与え,親切​を​示す​方法​は​たくさん​あり​ます。次​の​記事​で​は​その​方法​を​幾つ​か​取り上げ​ます。

^ 13節 名前​は​変え​て​あり​ます。