研究記事21

「世の知恵」に惑わされないようにしましょう

「世の知恵」に惑わされないようにしましょう

「世の知恵は神にとっては愚かなものだからです」。コリント第一 3:19

37番の歌 聖書 ― 神の霊感によるもの

を学ぶか *

1. 聖書の教えに従うとよいのはなぜですか。

わたしたちは様々な問題に対処できます。偉大な教師エホバのおかげです。(イザ 30:20,21)エホバが聖書を通して必要なことをすべて教えてくださっているので,わたしたちは「十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となる」ことができます。(テモ二 3:17)聖書の教えに従うなら,「世の知恵」に従う人たちよりも賢くなることができます。(コリ一 3:19。詩 119:97‐100

2. この記事ではどんなことを考えますか。

2 これから考えますが,世の知恵は人の利己的な欲望に訴えます。ですから,世の人たちの考えや行動に影響されないようにするのは簡単ではありません。それで聖書はこう述べています。「気をつけなさい。もしかすると,人間の伝統にしたがい,……哲学やむなしい欺きにより,あなた方をえじきとして連れ去る者がいるかもしれません」。(コロ 2:8)この記事では現代の歴史を振り返り,2つのむなしい欺き,つまりうそが人々に受け入れられてきたいきさつを取り上げます。それぞれについて,世の知恵が愚かと言えるのはなぜか,聖書の知恵が世の提供するどんなものよりはるかに優れていると言えるのはなぜかを考えます。

性道徳に対する見方の変化

3‐4. 20世紀初めの米国では,性道徳に対する人々の見方がどのように変化しましたか。

3 米国では20世紀初めに,性道徳に対する人々の見方が大きく変化しました。それまで多くの人は,性関係は夫婦だけに許されるもので,人前で話題にすべきことではない,と考えていました。しかし,そのような規準が崩れ去り,何をしても自由という見方が広まりました。

4 “狂乱の20年代”とも呼ばれた1920年代には,非常に大きな社会変化が生じました。ある研究者は,「映画,演劇,歌,小説,広告はどれも,セックスをテーマにするようになった」と述べています。ダンスはセックスを連想させるものに,服装は慎みのないものになりました。聖書が終わりの日について予告していたように,人々はまさに「快楽を愛する者」になっていったのです。(テモ二 3:4

エホバに仕える人たちは,世の緩い道徳規準に左右されない。(5節を参照。) *

5. 1960年代以降,世の中の道徳規準はどのように変化しましたか。

5 1960年代には,結婚せずに同棲する人,同性愛行為をする人,離婚する人が増えました。様々なエンターテインメントもセックスを露骨に描写するようになりました。どんな結果になったでしょうか。ある専門家は,家庭崩壊,ひとり親家庭,心の傷,ポルノ中毒などの問題の要因として,「社会の性道徳の規準が緩んだ」ことを挙げています。エイズなどの性感染症の流行も,世の知恵の愚かさの表われです。(ペテ二 2:19

6. 多くの人は性に対してどんな見方をしていますか。

6 多くの人は性に対して,サタンの望みどおりの見方をしています。セックスも結婚も神からの贈り物です。人々がその贈り物を乱用し,価値を低めているのを見て,サタンは喜んでいるに違いありません。(エフェ 2:2)性的不道徳を犯す人は,生殖能力というエホバからの素晴らしい贈り物の価値を損なうだけでなく,永遠の命を得られなくなります。(コリ一 6:9,10

性道徳に対する聖書の見方

7‐8. 聖書には,性に対するどんな見方が記されていますか。

7 世の知恵に従う人々は,聖書の道徳規準は非現実的だと言ってあざけります。「神が人間に性的欲望を与えておきながら,それを抑えるよう命じるのはおかしい」と言うのです。このような見方は間違った考えに基づいています。人間は自分の欲望のままに行動すべきである,という考えです。聖書はそうは述べていません。人間は間違った性的欲望を制御できると教えています。人間の尊厳を認める見方です。(コロ 3:5)そして,エホバは結婚という贈り物を与え,ふさわしい仕方で性的欲望を満たせるようにしてくださいました。(コリ一 7:8,9)その枠内であれば,夫婦は不道徳行為に付きものの後悔や不安を感じることなく,セックスを楽しむことができます。

8 世の知恵とは対照的に,聖書は,性に対する健全な見方を教えています。セックスが喜びを与えることを認めています。(箴 5:18,19)しかし,こうも述べています。「あなた方一人一人が,自分の器をいかに聖化と誉れのうちに所有すべきかを知り,神を知らない諸国民のように貪欲な性欲のままに歩まないことです」。(テサ一 4:4,5

9. (ア)20世紀初めに,エホバに仕える人たちは聖書の優れた知恵に従う点で,どんな励ましを受けましたか。(イ)ヨハネ第一 2章15,16節には,どんなアドバイスが記されていますか。(ウ)ローマ 1章24‐27節にあるとおり,どんな不道徳な行ないを避けるべきですか。

9 20世紀の初め,エホバに仕える人たちは,「いっさいの道徳感覚を通り越し」た人たちのむなしい欺きに惑わされることはありませんでした。(エフェ 4:19)エホバの規準にしっかり従おうとしたのです。「ものみの塔」(英語)1926年5月15日号には,「男性も女性も,特に異性に対して,考えと行動の点で貞潔でなければならない」と述べられています。エホバに仕える人たちは世の風潮に流されることなく,聖書の優れた知恵に従いました。ヨハネ第 2:15,16を読む。)わたしたちは聖書の教えに深く感謝しています。また,道徳に関する世の知恵を退けられるよう,エホバがタイムリーな教えを与えてくださることにも感謝しています。 * ローマ 1:24‐27を読む。)

自分に対する見方の変化

10‐11. 聖書は,終わりの日についてどんなことを警告していましたか。

10 聖書は,人々が終わりの日に「自分を愛する者」になると警告していました。(テモ二 3:1,2)実際,世の中では自分を過大に評価する見方が広まっています。ある百科事典によると,1970年代には「自己啓発本が数多く出版され」ました。中には,「自分を知り,受け入れ,ありのままの自分を大切にするよう強く勧め」るものもありました。例えば,ある本はこう述べています。「最も美しく,魅力的で,価値の高い存在,つまりあなた自身を愛してください」。その本は,「自己愛という宗教」を推奨し,「ただ自分の良心に従い,自分にとって正しく好都合なことを行なう」ようにも勧めています。

11 どこかで聞いたことがある考えですか。サタンもエバに同じようなことを勧めました。そうすれば,「神のようになって善悪を知る」ことができる,と述べたのです。(創 3:5)今日,多くの人は自分を過大に評価しています。何が正しいか,何が間違いかについて,だれからも,神からさえ指図される筋合いはないと考えています。そのような考えは,特に結婚に対する見方に表われています。

クリスチャンは他の人,特に配偶者が必要としている事柄を自分のことよりも優先する。(12節を参照。) *

12. 多くの人は結婚に対してどんな見方をしていますか。

12 聖書は夫と妻に,互いを敬い,結婚の誓いを守るよう教えています。共に生きていく決意を保つよう勧め,「男はその父と母を離れて自分の妻に堅く付き,ふたりは一体となる」と述べています。(創 2:24)他方,世の知恵の影響を受けている人たちは,それとは異なる見方を推奨し,夫も妻もただ自分のことだけを考えればよいと言います。離婚に関するある本にはこう述べられています。「ある結婚式では,『2人が共に生きる限り』という伝統的な誓いの代わりに,『2人が愛し合う限り』という限定的な約束が使われている」。結婚に対するそのような軽い見方が広まったため,多くの家庭が崩壊し,多くの人が深い心の傷を負っています。結婚を軽視する世の見方が愚かであることは明らかです。

13. エホバが高慢な人を嫌われるのはなぜですか。

13 聖書には,「すべて心の高慢な者はエホバにとって忌むべきもの」と述べられています。(箴 16:5)エホバが高慢な人を嫌われるのはなぜでしょうか。一つには,自分を過度に愛する人は,サタンのような見方を持っているからです。イエスはすべてのものを創造する際に神から用いられた方です。サタンは,そのイエスが自分にひれ伏して崇拝をささげるべきだと考えたのです。(マタ 4:8,9。コロ 1:15,16)自分を重視し,過大に評価する人が,神から見て愚かであることは明らかです。

自分に対するバランスの取れた見方

14. ローマ 12章3節は,自分に対してバランスの取れた見方をすることの大切さについて,何と述べていますか。

14 聖書は,自分に対してバランスの取れた見方をするうえで役立ちます。自分をある程度愛するのは適切なことだと教えています。イエスは,「隣人を自分自身のように愛さねばならない」と述べました。この言葉から,自分の必要とする事柄に適度な注意を向けるべきであることが分かります。(マタ 19:19)しかし聖書は,他の人に優越感を抱くようにとは教えておらず,こう勧めています。「何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく,むしろ,他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ち」なさい。(フィリ 2:3。ローマ 12:3を読む。)

15. あなたは,自分に対してバランスの取れた見方をするようにという聖書のアドバイスが役立つと思いますか。なぜそう思いますか。

15 今日,世で賢いとされている人たちの多くは,自分に対してバランスの取れた見方をするようにという聖書のアドバイスをあざけります。他の人が上であると考えると,周囲から見下され利用されてしまう,と言います。しかし,サタンの世で広く見られる自己中心的な態度は,どんな結果を生み出してきたでしょうか。世の中の人を見てどう思いますか。利己的な人は幸せですか。その人の家族は幸せですか。その人は本当の友を持っていますか。神との友情を築いていますか。世の知恵に従うことと,聖書の知恵に従うことでは,どちらが良い結果を生み出しているでしょうか。

16‐17. どんなことに感謝できますか。なぜですか。

16 世で賢いとされている人のアドバイスに従うのは,道に迷っている人に道を尋ねるようなものです。イエスは当時賢いとされていた人たちについてこう述べました。「彼らは盲目の案内人なのです。それで,盲人が盲人を案内するなら,二人とも穴に落ち込むのです」。(マタ 15:14)確かに,世の知恵は神にとっては愚かなものです。

神に仕える人たちは,エホバに仕えた人生を振り返り,幸せな気持ちになる。(17節を参照。) *

17 聖書の賢いアドバイスは,「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育する」うえで,いつでも「有益」です。(テモ二 3:16)感謝すべきことに,エホバは組織を通して,わたしたちが世の知恵に惑わされないよう守ってくださっています。(エフェ 4:14)エホバの教えを学ぶなら,聖書の規準にしっかり従ううえで必要な力が得られます。エホバが聖書を通して与えてくださる確かな知恵に従って生活できるのは,本当に素晴らしいことです。

65番の歌 「これが道である」

^ 5節 この記事では,信頼できる導きの源がエホバだけであることを学びます。世の知恵に従うと悲惨な結果になり,神の言葉 聖書の知恵に従うと幸せになる,ということも学びます。

^ 9節 例えば,「若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」第1巻24‐26章,第2巻4‐5章を参照。

^ 50節 や挿: あるエホバの証人の夫婦の歩み。1960年代後半に,夫婦で伝道している。

^ 52節 や挿: 1980年代に,病気の妻を夫が世話している。娘がそばにいる。

^ 54節 や挿: 現在,高齢になった夫婦が,エホバに仕えた幸せな人生を振り返っている。大人になった娘とその家族がそばにいる。