研究記事20
虐待の被害者を慰める
「すべての慰めの神……はすべての患難においてわたしたちを慰めてくださ[る]」。コリント第二 1:3,4
88番の歌 子どもたち ― 神から託されたもの
何を学ぶか *
1‐2. (ア)人は慰めを必要としており,他の人を慰めることもできます。どんな例からそのことが分かりますか。(イ)どんな傷を負っている子どもたちがいますか。
人はだれでも慰めを必要としています。他の人を慰める素晴らしい能力も持っています。1つの例を考えましょう。小さな子どもが遊んでいて転び,ひざを擦りむいたので,泣きながらお母さんのところに走っていきます。母親は傷を治せるわけではありませんが,子どもを慰めることはできます。「どうしたの?」と聞いて,子どもの涙をぬぐい,優しい言葉をかけて抱き締めます。そして薬を塗り,ばんそうこうを貼ってあげます。すると子どもはすぐに泣きやみ,また遊び始めます。何日かすると,傷も治ります。
2 子どもは,はるかに深い傷を負うことがあります。性的虐待を受けた時がそうです。そうした虐待は1度だけのこともあれば,長年にわたって続くこともあります。いずれの場合も,子どもは心に深い傷を負います。加害者がすぐに捕まって処罰されることもありますが,処罰を免れているように見えることもあります。たとえ処罰がすぐに下されたとしても,心の傷は大人になっても消えない場合が少なくありません。
3. コリント第二 1章3,4節にあるように,エホバはどんなことを望んでおられますか。これからどんな点を考えますか。
3 子どものころに虐待を受けた兄弟姉妹が大人になってからもつらい気持ちと闘っている場合,何が助けになりますか。(コリント第二 1:3,4を読む。)エホバはご自分の大切な羊が愛され,慰められることを望んでおられます。では,次の3つの点を考えましょう。(1)子どものころに虐待を受けた人が慰めを必要としているのはなぜですか。(2)だれがそのような人の慰めになれますか。(3)どうすれば慰めになれますか。
慰めが必要なのはなぜか
4‐5. (ア)子どものころに虐待を受けた人が,かなりの年月がたった後も慰めを必要とするのはなぜですか。(イ)虐待された子どもが人を信頼できなくなるのはなぜですか。
4 子どものころに虐待を受けた人は,かなりの年月がたった後も慰めを必要とする場合があります。なぜでしょうか。その理由を理解するには,まず,子どもは大人と全く違うということを知る必要があります。子どもは虐待されると,大人とは全く異なる影響を受けるものです。幾つかの例を考えましょう。
5 子どもは,自分を育て世話してくれる人との緊密な信頼関係を築く必要があります。そのような信頼関係が築かれると,子どもは安心し,自分を愛してくれる人たちを信頼できるようになります。残念なことに,虐待が最も頻繁に生じるのは家庭です。家族や親族,家族と親しくしている人が加害者になるケースは後を絶ちません。子どもは信頼していた人に裏切られるので,かなりの年月にわたって,人を信頼できなくなります。
6. 性的虐待が残酷な行為で,子どもに大きなダメージを与えると言えるのはなぜですか。
6 無力な子どもに対する性的虐待は残酷な行為で,大きなダメージを与えます。子どもは体も心も成長途上にあり,結婚して性関係を持つことの意味をまだ理解していません。そのような子どもに性的な行為を強いると,大きなダメージを与えることになります。子どもは,性に対して正しい見方ができず,自尊心を持てず,自分と親しくなろうとする人を信頼できなくなります。
7. (ア)悪い人が,子どもを簡単にだませると考えるのはなぜですか。子どもを虐待する人はどんなうそをつくことがありますか。(イ)その結果,子どもはどう思うようになりますか。
7 子どもには,考えたり,判断したり,危険を予測して回避したりする能力がまだ十分に備わっていません。(コリ一 13:11)ですから,悪い人にとって子どもをだますのはたやすいことです。加害者は子どもに様々なうそをつきます。「全部おまえのせいだ」,「これは2人だけの秘密だよ」,「君の言うことなんか,だれも信じてくれないよ」,「大人と子どもも,好きだったらこういうことをするんだ」といったうそです。子どもはそれを信じ込み,何年もたってからうそだったことに気づきます。そして罪悪感を感じ,自分は汚れてしまった,だれかに愛されたり慰められたりする資格などない,と思うのです。
8. エホバは傷ついた人を必ず慰めてくださいます。なぜそう言えますか。
8 性的虐待を受けた人が長い間苦しむのも無理はありません。本当に邪悪な犯罪です。性的虐待が広まっていることは,今が終わりの日であることの強力な証拠です。「自然の情愛を持たない者」が増え,「邪悪な者とかたりを働く者とはいよいよ悪に進[んで]」います。(テモ二 3:1‐5,13)サタンのたくらみは実に邪悪です。多くの人がサタンを喜ばせるような行動をしているのは残念なことです。しかしエホバは,サタンや,サタンの喜ぶことをする者たちよりもはるかに強力です。サタンの策略もよくご存じです。わたしたちが経験する痛みをすべて知っておられ,必要な慰めを与えてくださいます。「すべての慰めの神……はすべての患難においてわたしたちを慰めてくださり,神によって自ら慰められているその慰めをもって,わたしたちがどんな患難にある人たちをも慰めることができるようにしてくださるのです」。(コリ二 1:3,4)このような神に仕えられるのは,本当にうれしいことです。では,エホバはだれを用いて慰めてくださいますか。
だれが慰めになれるか
9. 詩編 27編10節にあるダビデ王の言葉によると,エホバは家族に捨てられた人に対してどのように行動されますか。
9 身近な人から虐待を受けた人や,親に守ってもらえなかった人は,特に慰めを必要としています。詩編作者ダビデは,エホバがいつも慰めてくださることを知っていました。(詩編 27:10を読む。)ダビデは,家族に捨てられた人をエホバが迎えてくださることを確信していました。どのように迎えてくださいますか。ご自分に忠実に仕える人を用いてそうされます。わたしたちにとって,共にエホバを崇拝する仲間は家族のような存在です。イエスも,自分と共にエホバを崇拝する人を兄弟,姉妹,母と呼びました。(マタ 12:48‐50)
10. パウロは長老としての自分の奉仕について,何と述べましたか。
10 クリスチャン会衆は確かに家族のようです。1つの例を考えましょう。使徒パウロは勤勉で忠実な長老でした。良い手本を示し,神に導かれて,「わたしがキリストに見倣う者であるように,わたしに見倣う者となりなさい」と述べました。(コリ一 11:1)ある時には,自分が長老としてどのように奉仕したかについてこう述べました。「乳をふくませる母親が自分の子供を慈しむときのように,あなた方の中にあって物柔らかな者となりました」。(テサ一 2:7)今日,そのような長老たちは,助けの必要な人を聖書を使って慰める際,パウロのように,優しく穏やかに話します。
11. 虐待の被害者を慰めることができるのは,長老たちだけではありません。なぜそう言えますか。
11 虐待の被害者を慰めることができるのは,長老たちだけではありません。わたしたちすべてには,「互いに慰め合ってゆ[く]」務めがあります。(テサ一 4:18)特に,エホバを愛する思いやり深いクリスチャン女性は,助けを必要としている姉妹を慰めることができます。エホバ神もご自分を,子どもを慰める母親に例えておられます。(イザ 66:13)聖書には,苦しんでいる人を慰めた女性たちのことが記されています。(ヨブ 42:11)今日でも,心の痛みと闘う仲間の女性を慰めている姉妹たちがいます。エホバはそのような姉妹たちを見て,喜んでおられるに違いありません。場合によっては,1人か2人の長老が,思いやり深い姉妹に,苦しんでいる姉妹を慰めてもらえるかどうか尋ねることができるかもしれません。 *
どうすれば慰めになれるか
12. どんなことをしないよう注意すべきですか。
12 兄弟姉妹が話したくないと思っている事柄を詮索しないよう注意すべきです。(テサ一 4:11)では,当人のプライバシーを尊重しつつ,どのように助け,慰めることができるでしょうか。聖書に基づく5つの方法を考えましょう。
13. 列王第一 19章5‐8節にあるように,天使はエリヤにどんなことをしましたか。その天使に倣って,どんなことができますか。
13 相手が必要としていることを行ないましょう。預言者エリヤは自分を殺そうとする人たちから逃げていた時,すっかり意気消沈して,もう死にたいと思いました。そんな時,エホバは強力な天使をエリヤのもとに遣わしました。天使はエリヤがその時必要としていたものを与えました。温かい食べ物を差し出し,食べるよう勧めたのです。(列王第一 19:5‐8を読む。)この記述から大切なことを学べます。ちょっとした親切な行ないが大きな力になるということです。食べ物を差し入れたり,ささやかなプレゼントや,親切なメッセージを記したカードを贈ったりすることで,愛や気遣いを感じてもらえるかもしれません。つらい経験をした相手に慰めとなる言葉をかける自信がないとしても,ここに挙げたような方法で助けになることはできます。
14. エリヤについての記述から,どんなことを学べますか。
14 苦しんでいる人が安心感を抱けるようにしましょう。エリヤについての記述から別の教訓も学べます。エホバはエリヤに特別な力を与え,ホレブ山まで行けるようにされました。ホレブ山は遠く離れた所にあり,エホバが昔,ご自分の民と契約を結んだ場所でもあります。そこに着いたエリヤはほっとしたことでしょう。ここまで来ればもう安心だ,と思ったかもしれません。どんな教訓を学べますか。虐待の被害者を慰めるには,まず安心感を抱いてもらう必要があるということです。つらい思いをしている姉妹は,王国会館の補助会場よりも,家でお茶でも飲みながらリラックスして話すほうが落ち着くかもしれません。逆に,家よりも王国会館のほうがよい,という人もいます。長老たちはこうした点に配慮すべきです。
15‐16. 話をよく聞くとはどういうことですか。
15 話をよく聞きましょう。聖書はこう勧めています。「すべての人は,聞くことに速く,語ることに遅く……あるべきです」。(ヤコ 1:19)あなたは人の話をよく聞きますか。ある人は,聞くことは受け身の行為だと考えます。ただ相手の顔を見て,何も言わないことだと思うのです。でも,話をよく聞くのは,それだけのことではありません。例えば,エリヤがつらい気持ちをようやく打ち明けた時,エホバはじっと耳を傾けました。エリヤが恐怖と孤独感を味わい,自分のしたことはすべて無駄だった,と感じていることに気づきました。そして,そのような気持ちを克服できるよう親切に助けました。話を本当に聞いていたので,そうできたのです。(王一 19:9‐11,15‐18)
16 話を聞いている間,どうすれば愛を示せますか。つまり,どうすれば相手の気持ちに寄り添い,優しい思いやりを示すことができるでしょうか。相手を気遣う,短くても温かい言葉で自分の気持ちを伝えることです。こう言えるかもしれません。「つらかったでしょうね。子どもにそんなことをするなんて,ひどいですね」。相手の話をきちんと理解できているかどうかを確かめるために,「それはどういうことか,教えていただけませんか」とか,「さっき……とおっしゃいましたね。それは……という意味だと理解したんですが,合っていますか」と尋ねることができるかもしれません。そのように親切に話すなら,相手はあなたが話を真剣に聞き,きちんと分かろうとしてくれている,と思うでしょう。(コリ一 13:4,7)
17. 辛抱強さを示し,「語ることに遅く」あるべきなのはなぜですか。
17 「語ることに遅く」あることも必要です。アドバイスを与えたり,相手の考えを正そうとしたりして,話を遮ってはなりません。辛抱強く聞いてください。エリヤはエホバに気持ちを打ち明けた時,強い口調で語りました。エホバの助けによって信仰を強められた後も,また同じことを言いました。(王一 19:9,10,13,14)どんな教訓を学べますか。つらい思いをしている人は自分の気持ちを何度も話したくなる場合がある,ということです。エホバに倣い,辛抱強く耳を傾けましょう。解決策を示そうとするよりも,相手の気持ちに寄り添い,優しい思いやりを表わしてください。(ペテ一 3:8)
18. つらい思いをしている人のために,どんな祈りをささげることができますか。
18 つらい思いをしている人と一緒に,心から祈りましょう。ひどく落ち込み,エホバに祈れないでいる人がいます。祈る資格がない,と思うのかもしれません。そのような人を慰めるため,一緒に祈ることができます。祈りの中で,その人の名前を挙げ,その人が自分たちや会衆にとってどれほど大切な存在かを述べましょう。エホバがご自分の大切な羊であるその人を支え,慰めてくださるよう祈ることもできます。そのような祈りは大きな慰めになります。(ヤコ 5:16)
19. どうすれば慰めになる言葉を述べることができますか。
19 慰めになる言葉を選んでください。話す前に考えましょう。無思慮な言葉は人を傷つけ,親切な言葉は人をいやします。(箴 12:18)親切で慰めとなる言葉を見つけられるよう,エホバに祈ってください。聖書に記されているエホバご自身の言葉ほど強力なものはない,ということを忘れないようにしましょう。(ヘブ 4:12)
20. 過去のつらい経験のせいで,どう思っている人がいますか。そのような人に,どんなことを伝えることができますか。
20 過去に受けた虐待のせいで,自分は汚れている,価値がない,愛されていない,愛される資格もない,と思っている人がいます。でもそれは真実ではありません。聖書を使って,エホバがその人をとても貴重な存在と見ていることを伝え,安心させてください。(「 聖書から慰めを得る」の囲みを参照。)エホバは,落ち込んでいたダニエルをどのように力づけたでしょうか。1人の天使を通し,ご自分にとってダニエルがどれほど大切な存在かを知らせました。(ダニ 10:2,11,19)今つらい思いをしている兄弟姉妹も,エホバにとって大切な存在です。
21. 悔い改めない悪行者はすべて,どうなりますか。その時が来るまで,どんなことを行なうべきですか。
21 だれかを慰める際には,エホバがその人を愛しておられることを伝えましょう。エホバは公正の神でもあられます。虐待という邪悪な行ないは隠しおおせるものではありません。エホバは何もかも見ておられ,悔い改めない悪行者を必ず処罰されます。(民 14:18)その時が来るまでできる限りのことを行なって,虐待を受けた人に愛を表わしましょう。エホバは,サタンやサタンの世からひどい扱いを受けた人の痛みを完全に取り除いてくださいます。そのことを知ると,本当に慰められます。もう少しすれば,つらい事柄は思い出されることも心に浮かぶこともなくなるのです。(イザ 65:17)
73番の歌 心から熱烈に愛しなさい
「ものみの塔」(研究用)