研究記事31

「私たちは諦めません」

「私たちは諦めません」

「私たちは諦めません」。コリント第二 4:16

24番の歌 報いを見つめなさい!

を学ぶか *

1. 命の賞を目指す競走で大切なのはどんなことですか。

クリスチャンは命の賞を目指す競走に参加しています。競走に加わったばかりの人も,長年走ってきた人も,ゴールまで走り続けなければなりません。パウロがフィリピのクリスチャンに与えたアドバイスを読むと,最後まで走り続けるための励ましが得られます。1世紀のクリスチャンの中には,パウロの手紙を受け取った時点で,長い間エホバに仕えていた人たちがいました。彼らはよく走っていました。でもパウロは,忍耐して走り続ける必要があることを思い起こさせました。自分のように「ゴールを目指してひたすら走[り]」続けてほしいと願っていたのです。(フィリ 3:14

2. パウロがフィリピのクリスチャンに与えたアドバイスがタイムリーなものだったと言えるのはなぜですか。

2 パウロがフィリピのクリスチャンに与えたアドバイスはタイムリーなものでした。兄弟姉妹は会衆の発足当初から反対や迫害を受けてきたからです。パウロは神からの幻の中で,ある男性から「マケドニアへ渡ってきて……ください」と頼まれました。その呼び掛けに応じたパウロとシラスは,西暦50年ごろフィリピに来ました。(使徒 16:9)2人はそこでルデアという女性に会いました。ルデアは良い知らせをよく「聞[き]」,「エホバは彼女の心を大きく開[き]」ました。(使徒 16:14)ルデアと家の人たちはすぐにバプテスマを受けました。しかし,悪魔はすぐに妨害し始めました。パウロとシラスは行政官の所へ引いて行かれ,町を混乱させているという言い掛かりを付けられました。その結果,打ちたたかれ,牢屋に入れられ,その後,町を出て行くよう命じられました。(使徒 16:16‐40)2人は諦めてしまいましたか。いいえ,決して諦めませんでした。発足したばかりの会衆の兄弟姉妹はどうでしたか。彼らも頑張り続けました。パウロとシラスの手本に励まされたに違いありません。

3. パウロはどんなことを知っていましたか。この記事ではどんな点を考えますか。

3 パウロは決して諦めないつもりでした。(コリ二 4:16)競走を最後まで走り続けるには,いつもゴールを意識していなければならないことを知っていました。これからパウロの手本に注目し,大切な教訓を学びましょう。現代の忠実な兄弟姉妹の手本も取り上げます。障害を乗り越え,頑張り続けたいという気持ちが強まるでしょう。また,決して諦めない決意を貫く上で,将来への希望がどのように役立つかも考えます。

パウロの手本から学ぶ

4. パウロはどんな状況の下で熱心に伝道しましたか。

4 パウロはフィリピのクリスチャンに手紙を書いた時,どんな状況に置かれていましたか。ローマで軟禁され,自由に伝道できませんでした。それでも,訪れてくる人に伝道し,遠方の幾つもの会衆に手紙を書きました。まだまだ行うべきことがあると考えていたのです。今日でも,家から出られない多くの兄弟姉妹が,家に来る人に良い知らせを伝える努力を払っています。また,家から家の伝道で直接会えない人に手紙を書き,励みとなる聖書のメッセージを伝えています。

5. フィリピ 3章12‐14節によると,パウロがゴールに目を向け続ける上で何が役立ちましたか。

5 パウロは,自分が過去に成し遂げた事柄に慢心することも,犯した間違いのせいで落ち込んだままになることもありませんでした。「前のものに向かって身を伸ば[す]」,つまり競走を走り抜くには,「後ろのものを忘れ」る必要があると述べています。フィリピ 3:12‐14を読む。)パウロはどのようにそうしたでしょうか。第一に,パウロはユダヤ人社会で多くのことを成し遂げましたが,それを「多くのくず」と考えました。(フィリ 3:3‐8)第二に,クリスチャンを迫害していたという罪悪感にとらわれて奉仕に打ち込めない,ということはありませんでした。第三に,自分は十分に奉仕してきたのだからもう頑張らなくてもよい,とは考えませんでした。拘禁されても,打ちたたかれても,石を投げ付けられても,難船しても,食べ物や着る物がなくても,伝道を続け,多くの人を助けました。(コリ二 11:23‐27)どんなことを成し遂げてきたとしても,また,どんな苦労をしてきたとしても,エホバに仕え続けなければならないことを知っていました。私たちも同じ意識を持つ必要があります。

6. 忘れるべき「後ろのもの」には,どんなものが含まれますか。

6 どうすれば,パウロのように「後ろのものを忘れ」ることができますか。あなたは過去に犯した罪のせいで罪悪感を抱えていますか。もしそうなら,キリストの贖いの犠牲について深く学ぶのはいかがですか。贖いの素晴らしさについて学び,学んだことを思い巡らし,祈りに含めるなら,罪悪感を抱えなくてもよいことが分かり,気持ちが楽になるかもしれません。エホバにすでに許されている事柄について自分を責める必要はない,ということも分かるでしょう。パウロから別の教訓も学べます。あなたは,エホバにいっそう仕えるために,収入の良い仕事を後にしたかもしれません。もしそうなら,お金や物を得るチャンスを手放したことを後悔しないようにしましょう。そのようにして,後ろのものを忘れることができます。(民 11:4‐6。伝 7:10)「後ろのもの」の中には,エホバへの奉仕で成し遂げた事柄や乗り越えた試練も含まれるでしょう。もちろん,エホバがこれまでどのように祝福し,支えてくださったかを振り返るなら,父エホバにいっそう引き寄せられます。しかし,自己満足に陥るべきではありません。自分はもう十分に奉仕した,と考えるべきではないのです。(コリ一 15:58

命の賞を目指す競走では,いつもゴールを意識し,気を散らされないようにしなければならない。(7節を参照。)

7. コリント第一 9章24‐27節に述べられている通り,命の賞を目指す競走ではどんなことに注意する必要がありますか。

7 パウロは,「精力的に励みなさい」というイエスの言葉の意味をよく理解していました。(ルカ 13:23,24)イエスに倣い,最後まで努力する必要があることを知っていたのです。それで,クリスチャンの生き方を競走に例えました。コリント第 9:24‐27を読む。)競走の走者はゴールを目指し,気を散らされないようにします。例えば,大都市で行われるマラソンでは,店が立ち並ぶ通りを走ることがあります。そのような時,走者が店の前に立ち止まって,ショーウインドーの中の品物を見始めるようなことがあるでしょうか。競走に勝ちたいなら,そんなことはしないはずです。命の賞を目指す競走でも,気を散らされないようにしなければなりません。いつもゴールを意識し,パウロのように精力的に励むなら,賞を得ることができます。

難しい状況の下でも信仰を保つ

8. これからどんな点を考えますか。

8 私たちのペースを落とさせる3つの要因を考えましょう。期待がなかなか実現しないこと,体力が衰えること,試練が続くことです。そのような状況に置かれた人たちの例から教訓を学ぶことができます。(フィリ 3:17

9. 期待がなかなか実現しないと,どんな気持ちになるかもしれませんか。

9 がなかなか実しない。エホバが約束しておられる良い事柄を待ち望むのは自然なことです。預言者ハバククが,ユダの悪い状況を終わらせてほしいとエホバに伝えた時,エホバは「待ち続けよ」と言いました。(ハバ 2:3)私たちは,期待がなかなか実現しないと,がっかりして熱意を失ってしまうかもしれません。(格 13:12)20世紀の初めに,そのようなことがありました。当時,天に行くよう選ばれたクリスチャンは,1914年に自分たちの希望が実現することを期待していましたが,そうはなりませんでした。忠実な人たちはどうしましたか。

ロイヤル・スパッツとパール・スパッツ。1914年に天に行くという希望は実現しなかったが,その後何十年も忠実に奉仕した。(10節を参照。)

10. 期待が実現しなかった時,ある夫婦はどうしましたか。

10 ある夫婦の例に注目しましょう。ロイヤル・スパッツ兄弟は1908年,20歳の時にバプテスマを受けました。自分は間もなく天に行く,と固く信じていました。1911年に,付き合っていたパールにプロポーズした時,こう言いました。「1914年に何が起きるか知ってるよね。今のうちに結婚しよう!」 2人は結婚しました。では,1914年に希望が実現しなかった時,命の賞を目指す競走をやめてしまったでしょうか。そのようなことはありませんでした。天に行くことではなく,神の望むことを忠実に行うことに思いを向けていたからです。競走を忍耐して走ることを決意していました。ロイヤルとパールは地上での生涯を終えるまで,何十年も忠実に奉仕しました。あなたは,エホバがご自分の名を立証するつまり名誉を回復し,主権の正しさを立証し,全ての約束を果たされるのを見たいと思っているに違いありません。そうしたことは,エホバのご予定の時に必ず生じます。それまでの間,エホバに一生懸命仕えましょう。期待がなかなか実現しないからといって,手を緩めてはなりません。

アーサー・シコードは,高齢になってからもエホバに一生懸命仕えたいと願っていた。(11節を参照。)

11‐12. 体力が衰えても前進し続けられると言えるのはなぜですか。例を挙げて説明してください。

11 が衰える。文字通りの走者とは異なり,エホバへの信仰を強めるために強靱な体力が必要というわけではありません。実際,体力は衰えても,エホバに一生懸命仕えたいという願いが少しも衰えていない兄弟姉妹は大勢います。(コリ二 4:16)ベテルで55年奉仕してきたアーサー・シコード兄弟 *は,88歳で体力も衰えていました。ある時,看護師の姉妹がベッドの所に来て,兄弟の世話をしながら優しくこう話し掛けました。「兄弟はこの体を使って,エホバのためにずっと奉仕してこられたんですね」。でもシコード兄弟は過去のことばかりに目を向ける人ではありませんでした。看護師の目を見てほほ笑み,こう言いました。「そうですね。でも大切なのは,これまで何をしたかではなく,これから何をするかですよ」。

12 あなたはエホバに長年仕えてきたものの,今は健康上の理由で以前ほど奉仕できないかもしれません。でもがっかりしないでください。あなたがこれまで忠実に奉仕してきたことを,エホバはうれしく思っておられます。(ヘブ 6:10)エホバへの専心の深さはどれほど奉仕するかで決まるわけではありません。前向きな見方を保ち,体力の許す限りのことを行うことによって示されるのです。(コロ 3:23)エホバは私たちの限界をご存じであり,無理なことを要求されません。(マル 12:43,44

アナトリー・メルニクとリディヤ・メルニクは多くの困難を経験したが,忠実に奉仕し続けた。(13節を参照。)

13. 長い間信仰を保ってきたアナトリーとリディヤの経験から,どんな励みが得られますか。

13 が続く。長い間,困難や迫害を耐えてきた人もいます。例えば,アナトリー・メルニク *は12歳の時に,父親が逮捕,投獄され,シベリアに送られました。モルドバの自宅から7000㌔も離れた所です。1年後には,アナトリーと母親と祖父母もシベリアに送られました。しばらくして,別の村で開かれている集会に出席できるようになりましたが,極寒の雪の中を30㌔も歩かなければなりませんでした。やがて,アナトリーはリディヤと結婚しました。しかしその後,リディヤと1歳の娘から引き離され,刑務所で3年過ごしました。長い間,大変な状況を忍ばなければなりませんでしたが,アナトリーと家族はエホバに忠実に仕え続けました。現在82歳のアナトリーは,中央アジアのある国の支部委員会で奉仕しています。アナトリーとリディヤに倣い,これからも試練に耐え,エホバに仕えるためにできる限りのことを行いましょう。(ガラ 6:9

将来への希望を持ち続ける

14. パウロがゴールに到達するには,何が必要でしたか。

14 パウロは,自分が競走を走り抜き,ゴールに到達できると考えていました。「神から……天に招かれるという賞」を楽しみにしていました。しかし,ゴールに到達するには,「ひたすら走[る]」必要があることも知っていました。(フィリ 3:14)パウロは,フィリピのクリスチャンがゴールを目指して走り続けられるよう,興味深い例えを使って励ましました。

15. パウロがフィリピのクリスチャンを励ますため,市民権について述べたのはなぜですか。

15 パウロはフィリピのクリスチャンへの手紙の中で,天の市民権について述べました。(フィリ 3:20,脚注)なぜでしょうか。当時,ローマの市民権を持つ人はさまざまな恩恵を受けることができました。 * しかし,天に行くよう選ばれたクリスチャンは,はるかに優れた恩恵をもたらす市民権を持っていました。ローマの市民権とは比べものにならないほど貴重な市民権です。それでパウロは,フィリピのクリスチャンに,「キリストについての良い知らせにふさわしく市民として行動する」よう勧めました。(フィリ 1:27,脚注)今日でも,天に行くよう選ばれたクリスチャンは,天での永遠の命という賞を目指してひたすら走っています。

16. フィリピ 4章6,7節によると,天に行く希望を持つ人も地上で生き続ける希望を持つ人も,何をしなければなりませんか。

16 天に行く希望を持つ人も,地上のパラダイスで永遠に生きる希望を持つ人も,ゴールを目指してひたすら走らなければなりません。どんな状況に置かれていても,後ろのものを見るべきではありません。エホバへの奉仕を何ものにも妨げられないようにしましょう。(フィリ 3:16)期待がなかなか実現しないとしても,体力が衰えるとしても,長い間,困難や迫害を耐えてきたとしても,「何も心配[しない]」でください。むしろ,エホバに祈願を捧げ,願いを知っていただくようにしましょう。そうすれば,エホバは想像をはるかに超えた平和を与えてくださいます。フィリピ 4:6,7を読む。)

17. 次の記事では,どんなことを学びますか。

17 最後の直線コースを全力で駆ける走者のように,命を目指す競走のゴールを目指してひたすら走り続けましょう。体力や状況の許す限り,素晴らしい将来に向かって全力で前進し続けてください。では,どうすれば正しい方向に向かって走り続けることができますか。次の記事は,正しい優先順位を定め,「より重要なことを見極め」る上で役立ちます。(フィリ 1:9,10

139番の歌 しっかりと立つよう教えなさい

^ 5節 私たちは,どれほど長くエホバに仕えてきたとしても,クリスチャンとして進歩し続けたいと思っています。使徒パウロは兄弟姉妹に決して諦めないようにと励ましました。パウロがフィリピのクリスチャンに書いた手紙を読むと,命の賞を目指す競走を走り続けるための励ましが得られます。この記事では,パウロの言葉をどのように当てはめられるかを学びます。

^ 11節 シコード兄弟のライフ・ストーリーは,「ものみの塔」(英語)1965年6月15日号に載せられています。

^ 13節 「目ざめよ!」2004年10月22日号の「神を愛するよう幼い時から教えられた」というメルニク兄弟のライフ・ストーリーを参照。

^ 15節 フィリピはローマの植民市だったので,フィリピの住民は,ローマ市民が持っていた権利を幾つか与えられていました。ですから,フィリピのクリスチャンはパウロの例えをよく理解できました。