研究記事38

「私の所に来てください。そうすれば,爽やかにしてあげましょう」

「私の所に来てください。そうすれば,爽やかにしてあげましょう」

「疲れていて,荷を負い切れない人は皆,私の所に来てください。そうすれば,爽やかにしてあげましょう」。マタイ 11:28

84番の歌 「わたしはそう望みます」

を学ぶか *

1. マタイ 11章28‐30節にある通り,イエスはどんな約束をしましたか。

イエスは話を聞いていた大勢の人に素晴らしい約束をし,こう言いました。「私の所に来てください。そうすれば,爽やかにしてあげましょう」。マタイ 11:28‐30を読む。)気休めにそう言ったわけではありません。重い病気で苦しんでいた女性のためにイエスが何をしたかを考えましょう。

2. イエスは病気の女性のためにどんなことをしましたか。

2 この女性は切実に助けを必要としていました。病気が治ることを願って多くの医者に診てもらいましたが,12年も惨めな状態が続きました。律法によれば,この女性は汚れた人でした。(レビ 15:25)そんな時,イエスが病気を治しているという話を聞き,イエスを捜しに行きました。イエスを見つけて外衣の裾に触ると,すぐに治りました。でもイエスは病気を治しただけではなく,女性の気持ちにも寄り添いました。温かく,敬意を込めて「娘よ」と語り掛けました。女性はどんなに爽やかにされ,元気づけられたことでしょう。(ルカ 8:43‐48,脚注)

3. この記事ではどんな質問の答えを考えますか。

3 注目できるのは,この女性が自分で行動してイエスの所に行ったことです。今日でも同じです。私たちもイエスの所に行かなければなりません。もちろん,イエスの所に来る人の病気が奇跡的に癒やされるわけではありません。でもイエスは今でも,「私の所に来てください。そうすれば,爽やかにしてあげましょう」と招いています。この記事では5つの質問の答えを考えます。どうすればイエスの所に行くことができますか。イエスと「共に働く」とはどういうことですか。イエスから学べることとは何ですか。イエスが与える仕事をすると爽やかさを感じるのはなぜですか。イエスと共に働いて爽やかさを感じるため,どんなことができますか。

「私の所に来てください」

4‐5. イエスの所に行くどんな方法がありますか。

4 イエスの所に行くには,イエスが語り,行った事柄をできるだけ多く学ばなければなりません。(ルカ 1:1‐4)聖書がイエスについて伝えている事柄を学ぶのは,自分で行うべきことです。他の人に行ってもらうことはできません。イエスの所に行くには,バプテスマを受けてイエスの弟子になることも必要です。

5 イエスの所に行く別の方法は,必要なときに長老の助けを求めることです。イエスは「人々という贈り物」を用いて,羊のような人を世話しています。(エフェ 4:7,8,11。ヨハ 21:16。ペテ一 5:1‐3)自分から長老に助けを求める必要があります。自分の気持ちを伝えなくても分かってもらえる,と考えるのは現実的ではありません。長老は人の心を読めるわけではないからです。ジュリアンという兄弟はこう言っています。「体を壊してベテル奉仕を辞めることになった時,友達が『長老に話を聞いてもらったら?』と勧めてくれました。最初はそこまでしなくてもと思いましたが,お願いして本当に良かったです。エホバからの贈り物のような時間でした」。ジュリアンを助けた2人の長老のように,忠実に働く長老たちは「キリストの考え」を知るよう助けてくれます。キリストの考え方や感じ方を理解し,それに倣うよう助けるのです。(コリ一 2:16。ペテ一 2:21)長老からのそのような助けは,まさに贈り物です。

「私と共に働いて……ください」

6. 「私と共に働いて……ください」というイエスの言葉にはどんな意味がありますか。

6 「私と共に働いて」という言葉は,マタイ 11章29節の脚注では「私のくびき(てんびん棒)を負って」となっています。イエスがてんびん棒を思い浮かべていたなら,「私の下で働いてください」と言っていたのかもしれません。くびきを思い浮かべていたなら,「一緒にエホバのために働きましょう」と呼び掛けていたのでしょう。いずれにしても,イエスは働くことを勧めていました。

7. マタイ 28章18‐20節によれば,私たちにはどんな仕事が与えられていますか。どんなことを確信できますか。

7 私たちはイエスのこの呼び掛けに応じて,エホバに献身し,バプテスマを受けました。イエスは全ての人を招いており,誠実な気持ちで神に仕えようと思っている人を追い払うようなことはしません。(ヨハ 6:37,38)イエスに従う人は皆,エホバがイエスに与えた大切な仕事をします。私たちがその仕事を果たせるよう,イエスは必ず共にいて助けてくださいます。マタイ 28:18‐20を読む。)

「私から学んでください」

イエスのように他の人を爽やかにしましょう(8‐11節を参照。) *

8‐9. 謙遜な人がイエスに引き寄せられたのはなぜですか。どんな点を自問できますか。

8 謙遜な人はイエスに引き寄せられました。(マタ 19:13,14。ルカ 7:37,38)イエスとパリサイ派の人との違いを考えましょう。パリサイ派の人は冷淡で,高慢でした。(マタ 12:9‐14)イエスは温かく,謙遜でした。パリサイ派の人は野心的で,高い立場を自慢していました。イエスは野心に気を付けるよう教え,自分を立場の低い召し使いと見るよう勧めました。(マタ 23:2,6‐11)パリサイ派の人は,不安をあおり脅しつけることによって人を従わせようとしました。(ヨハ 9:13,22)イエスは親切な行いと優しい言葉によって人々が爽やかさを感じるようにしました。

9 イエスのように人に接することを心掛けていますか。こう自問してください。「私は温和で謙遜な人として知られているだろうか。地味な仕事を喜んで行い,人の役に立とうとしているだろうか。親切だろうか」。

10. イエスは共に働く仲間のためにどんな雰囲気をつくりましたか。

10 イエスは和やかで心地よい雰囲気をつくり,共に働く仲間を訓練しました。(ルカ 10:1,19‐21)弟子たちに質問するよう促したり,意見を聞こうとしたりしました。(マタ 16:13‐16)弟子たちは,良い環境で育った植物のように,良い教えをたくさん与えられて成長しました。イエスの教えを取り入れ,良い行いという実をならせました。

近づきやすく,親しみやすい人になる。

活発に,熱心に伝道する

謙遜で,勤勉に働く。 *

11. どんな自問ができますか。

11 あなたは何かの責任を任されている人ですか。そうであれば,こう自問してください。「職場や家でどんな雰囲気をつくっているだろうか。平和をつくり出しているだろうか。周りから見て質問しやすい人だろうか。喜んで意見を聞いているだろうか」。パリサイ派の人のようにならないようにしましょう。彼らは,質問されるのを嫌がり,反対意見を述べた人を迫害しました。(マル 3:1‐6。ヨハ 9:29‐34

「爽やかさを感じるでしょう」

12‐14. イエスのために働くと爽やかさを感じるのはなぜですか。

12 イエスのために働くと爽やかさを感じるのはなぜですか。いろいろな理由がありますが,3つの点を考えましょう。

13 の監たちがいます。最も優れた監督であるエホバは,感謝しない厳しい主人ではありません。私たちが行うことを高く評価してくださいます。(ヘブ 6:10)責任を果たすために必要な力を与えてくださいます。(コリ二 4:7。ガラ 6:5,脚注)王であるイエスは,手本を示して導きます。(ヨハ 13:15)私たちを世話する長老たちは,「偉大な牧者」イエスに倣うよう努めます。(ヘブ 13:20。ペテ一 5:2)親切にし,励みを与え,勇気を示しながら,私たちを教え,保護します。

14 の仲たちがいます。同じ目的で働き,愛の絆で結ばれている仲間たちです。兄弟姉妹は高潔な道徳基準を守りますが,独善的ではありません。才能があっても自慢せず,他の人が自分より上であると考えています。兄弟姉妹を単に同じ仕事をする人と見るのではなく,友と見ています。互いを愛し,仲間のために命を懸けてもよいと思っています。これほど強い絆で結ばれている人たちがほかにいるでしょうか。

15. 私たちが最高の仕事をしていると言えるのはなぜですか。

15 の仕があります。エホバについての真理を教え,悪魔のうそを暴くという仕事です。(ヨハ 8:44)サタンは,絶望感という重い荷を人に負わせようとします。エホバ神は人間の罪を許さず,人間を愛していない,と信じ込ませようとするのです。人の力を奪う,本当にひどいうそです。イエスの所に行くなら罪は許されます。エホバは全ての人を深く愛しておられます。(ロマ 8:32,38,39)エホバに頼るよう教えるなら,人々はもっと充実した生活を送れます。その点で力になれるのはうれしいことです。

イエスと共に働いて爽やかさを感じる

16. イエスと共に働くとどうなりますか。

16 イエスと共に働くとどうなりますか。生計を立てるために1日働くと,疲れ切って,気持ちがめいることがあります。一方,エホバとイエスのために働いた後は,深い満足感を覚えます。仕事の日に晩の集会に行く時は,1日の疲れを引きずったまま出席しなければならないこともあります。でも帰る時には爽やかにされ,元気づけられたと感じるものです。伝道するときや,聖書を自分で学ぶときも同じです。エネルギーは要りますが,努力して本当に良かったと感じます。

17. 何を目指して生きるか,よく考える必要があるのはなぜですか。

17 一人一人が持つエネルギーは限られているので,何を目指して生きるか,よく考えなければなりません。お金や物を手に入れるためにエネルギーを使い過ぎてしまうことがあります。ある時,裕福な若い男性がイエスのもとに来て,「永遠の命を受けるには何をしなければなりませんか」と尋ねました。その人は律法を守っていて,品行方正な生活をしていたようです。なぜなら,「マルコによる福音書」に,イエスがその人に「愛を抱い[た]」と述べられているからです。イエスはこの裕福な支配者に,「行って,持っている物を全て売り」,「それから来て,私の弟子になりなさい」と言いました。男性はイエスの後に従いたいと思いながらも,「多くの資産」を手放すつもりはありませんでした。(マル 10:17‐22)「弟子になりなさい」という招きには応じず,「富[の]奴隷」のままでいました。(マタ 6:24)あなたがこの男性だったらどうしましたか。

18. 時々,どんなことを確かめるのは良いことですか。なぜですか。

18 時々,生活の中で何を優先しているかを確かめるのは良いことです。自分のエネルギーを賢く使うためです。マークという若い男性は,こう言っています。「自分は開拓者としてシンプルな生活をしていると,ずっと思っていました。でも,お金のことや快適な暮らしのことでいつも頭がいっぱいでした。どうして生活するのがこんなに大変なのだろう,と思いました。なぜなのか,分かりました。自分のしたいことを優先し,余った時間とエネルギーでエホバに奉仕していたからです」。マークは考え方と生活を変え,エホバへの奉仕にもっと打ち込みました。こう言っています。「お金のことが心配になるときもありますが,エホバとイエスが支えてくださるので,奉仕に専念できるようになりました」。

19. 与えられた仕事をエホバの方法で行うことはなぜ大切ですか。

19 イエスと共に働いて爽やかさを感じるためにできることが3つあります。第一に,しい見をしましょう。エホバの仕事は,エホバの方法で行う必要があります。私たちは,主人であるエホバの指示の下で働いています。(ルカ 17:10)エホバの仕事を自分のやり方でしようとすると,自分がつらくなります。くびきにつながれている牛が,主人の考えに従わず,自分の行きたい方向に進もうとするなら,力を消耗し,けがをすることさえあります。一方,エホバの仕事をエホバの方法で行うなら,障害を乗り越え,自分には無理だと思っていたことができます。エホバの望むことは必ず成し遂げられるからです。(ロマ 8:31。ヨハ一 4:4

20. どんな動機でイエスと共に働くことが大切ですか。

20 第二に,しい動を持ちましょう。私たちが目指すのは,優しい父エホバを賛美することです。1世紀には,貪欲や利己心に動かされてイエスの弟子になった人がいました。そのような人はやがて喜びを失い,イエスと共に働くのをやめました。(ヨハ 6:25‐27,51,60,66。フィリ 3:18,19)他方,純粋にエホバを愛し,人々を愛してイエスの弟子になった人は,生涯中ずっとイエスと共に働きました。その人たちは,イエスと共に天で仕えるという希望を抱いていました。私たちも,正しい動機でイエスと働くなら幸福でいられます。

21. マタイ 6章31‐33節によると,エホバはどんなことをしてくださいますか。

21 第三に,しい期を持ちましょう。私たちは,自分のことを二の次にして一生懸命に働く生き方を選びました。イエスは,迫害されることを覚悟するようにと言いました。たとえ難しい状況にぶつかっても忍耐する力をエホバが与えてくださることを期待できます。忍耐すればするほど,私たちは強くなります。(ヤコ 1:2‐4)ほかにも期待できることがあります。エホバは必要な物を与え,イエスは牧者として私たちを教え導き,兄弟姉妹は励ましてくれる,ということです。マタイ 6:31‐33を読む。ヨハ 10:14。テサ一 5:11)必要な助けは全て与えられるのです。

22. 私たちは,どんなことを喜べますか。

22 イエスに病気を治してもらった女性は,その日に爽やかになりました。でも,いつまでも爽やかな気持ちでいるには,イエスの弟子になり,忠実に仕える必要がありました。この女性はそうしたでしょうか。もし,イエスの弟子になったなら,非常に大きな報いを受けたことでしょう。イエスと共に天で働くことになったからです。イエスに従うために何を手放したとしても,はるかに素晴らしいものを得たことになります。私たちも,永遠に生きるという希望を持っています。天で生きるか,地上で生きるかは人によって違いますが,「私の所に来てください」というイエスの招きに応じたことを本当にうれしく思っています。

5番の歌 キリスト ― わたしたちの手本

^ 5節 イエスは,「私の所に来てください」と言っています。この記事では,イエスの所に行くとはどういうことかを考えます。イエスと共に働くなら爽やかになるのはなぜかという点も考えます。

^ 60節 や挿: イエスはいろいろな場面で人を爽やかにした。

^ 66節 や挿: この写真の兄弟も,いろいろな場面で仲間を爽やかにしている。