研究記事40

本当の悔い改めとは何か

本当の悔い改めとは何か

「私は……罪人を悔い改めに導くために来ました」。ルカ 5:32

52番の歌 あなたの心を守りなさい

を学ぶか *

1‐2. アハブ王とマナセ王はどんな点が違っていましたか。この記事ではどんなことを考えますか。

古代の2人の王について考えてみましょう。1人はイスラエルの10部族王国を治め,もう1人はユダの2部族王国を治めていました。生きている時代は違いましたが,2人には多くの共通点がありました。どちらの王もエホバに反逆し,国民に罪を犯させました。そして,偶像崇拝や殺人の罪を犯しました。しかし,2人には違う点もありました。1人は死ぬまで邪悪なことを行い続けましたが,もう1人は悔い改めたので過去のひどい行いを許されました。この2人とは誰のことでしょうか。

2 イスラエルのアハブ王とユダのマナセ王です。この2人の違いから,悔い改めという,とても重要な点について多くのことを学べます。(使徒 17:30。ロマ 3:23)悔い改めとは何ですか。悔い改めていることをどのように示せますか。私たちはこうした点を学ぶ必要があります。罪を犯した時にはエホバに許していただきたいと思っているからです。では,この2人の王が取った行動を調べ,そこから悔い改めについて何を学べるかを考えてみましょう。そして,イエスが悔い改めについてどんなことを教えたかも考えましょう。

アハブ王の例から学べること

3. アハブはどんな王でしたか。

3 アハブはイスラエルの10部族王国の7代目の王でした。シドンの王の娘イゼベルと結婚しました。シドンはイスラエルの北にある裕福な町だったので,この結婚によってイスラエルも豊かになったかもしれません。しかし,イスラエル国民とエホバとの関係はさらに悪くなりました。イゼベルはバアルを崇拝しており,アハブを唆して,そのひどい宗教が広まるようにしました。バアル崇拝には神殿での売春や子供を犠牲にすることなどが含まれていました。イゼベルが権力を握っていた間,エホバの預言者は皆,危険にさらされていました。実際,イゼベルは多くの預言者を殺しました。(王一 18:13)アハブについても,「エホバから見てそれまでの誰よりも悪かった」と述べられています。(王一 16:30)エホバはアハブとイゼベルが行っていたことに気付いていなかったわけではありません。全てをしっかりと見ていました。それでも憐れみを示し,預言者エリヤをイスラエルの民の所に遣わして,手遅れになる前に生き方を変えるように警告しました。ところが,アハブとイゼベルは聞こうとしませんでした。

4. エホバは,アハブにどんな罰を与えると言いましたか。アハブはどう反応しましたか。

4 ついに,エホバの辛抱は終わりを迎えました。エリヤを遣わして,アハブとイゼベルにどんな罰を与えるかを伝えます。2人の家系は絶たれることになります。アハブはエリヤの言葉にショックを受けました。驚いたことに,思い上がっていたこの王は「謙遜になった」のです。(王一 21:19‐29

アハブ王は神の預言者を牢屋に入れることによって,本当に悔い改めてはいないことを示した。(5‐6節を参照。) *

5‐6. アハブが本当に悔い改めてはいなかったことは,どんなことから分かりますか。

5 アハブはその時は謙遜になったものの,その後の行動からすると,本当に悔い改めてはいませんでした。自分の国からバアル崇拝を取り除こうとはしませんでした。エホバの崇拝を広めることもしませんでした。アハブが悔い改めていなかったことは,ほかの出来事からも分かります。

6 アハブはシリアとの戦いに一緒に行くようユダのエホシャファト王を誘いました。良い王だったエホシャファトはエホバの預言者の意見を聞くよう提案しました。アハブは初めそうするのを嫌がってこう言いました。「エホバに尋ねることができる人がもう1人いますが,私はその人が嫌いです。私について良いことを預言したことがなく,悪いことばかり預言するからです」。それでも2人は預言者ミカヤの意見を聞くことにしました。案の定,ミカヤはアハブにとって悪いことを預言しました。邪悪なアハブは,悔い改めてエホバの許しを求めるどころか,ミカヤを牢屋に入れてしまいました。(王一 22:7‐9,23,27)アハブは,エホバの預言者を牢屋に入れることはできましたが,その預言が実現するのを阻むことはできませんでした。その後の戦いでアハブは命を落としました。(王一 22:34‐38

7. アハブの死後に語られた言葉から,エホバがアハブをどう見ていたことが分かりますか。

7 アハブの死後,エホバはアハブをどう見ていたかを明らかにしました。エホシャファトが無事に家に帰った時,エホバは預言者エヒウを遣わして,アハブと同盟を結んだエホシャファトを叱責しました。エヒウはこう言いました。「あなたが助けるべきなのは,い人でしょうか。愛するべきなのは,エホバを憎む人でしょうか」。(代二 19:1,2)考えてみてください。もしアハブが本当に悔い改めていたなら,エヒウはアハブのことをエホバを憎む悪い人と言ったりしなかったはずです。アハブは後悔していることをある程度示しましたが,心から悔い改めていたわけではなかったのです。

8. アハブの例から悔い改めについてどんなことを学べますか。

8 アハブの例からどんなことを学べますか。アハブは,自分の家系が絶たれるとエリヤから聞いた直後は謙遜になりました。それは良いことでした。しかし,その後の行動によって,心から悔い改めてはいなかったことが明らかになりました。ですから,悔い改めとは,一時的に悲しみを表すだけのことではありません。では,本当の悔い改めとは何かを理解するのに役立つ別の例を考えてみましょう。

マナセ王の例から学べること

9. マナセはどんな王でしたか。

9 およそ200年後,マナセがユダの王になりました。マナセはアハブよりもっと悪いことを行ったようです。「エホバから見て悪いことを大規模に行って,神を怒らせた」とあります。(代二 33:1‐9)マナセは異教の神々のために祭壇を作り,性崇拝の象徴と思われる聖木の彫刻像をエホバの聖なる神殿の中に置くことさえしました。魔術や占いや呪術を行いました。そして,「無実の人の血を大量に流し」ました。大勢の人を殺し,「自分の子たちを火で焼」いて偽の神々への犠牲にすることまでしたのです。(王二 21:6,7,10,11,16

10. エホバはマナセをどのように罰しましたか。マナセはどんな反応を示しましたか。

10 アハブと同じようにマナセも,預言者を通して与えられたエホバからの警告をかたくなに無視しました。その結果,どうなったでしょうか。「エホバはアッシリアの王の軍隊長たちを[ユダ]に差し向けた。軍隊長たちはマナセをかぎで引っ掛けて捕らえ,銅の足かせ2つをはめてバビロンへ連れていった」とあります。マナセはバビロンの牢屋の中で自分がしてきたことについてよく考えたようです。そして,「父祖たちの神の前でとてもにな[り]」ました。「エホバ神に恵みを求め」ることさえしました。マナセは「神にり続」ました。この悪い王は変化したのです。エホバを自分の神と考えるようになり,エホバに粘り強く祈りました。(代二 33:10‐13

マナセ王は間違った崇拝を取り除くために行動し,本当に悔い改めていることを示した。(11節を参照。) *

11. 歴代第二 33章15,16節からすると,マナセは本当に悔い改めていることをどのように示しましたか。

11 やがて,エホバはマナセの祈りに答えました。祈りに表れていた心の変化を見て取り,その懇願に心を動かされ,マナセを王位に復帰させました。マナセは,この機会を十分に生かして,自分が本当に悔い改めていることを示しました。アハブとは異なり,自分の行いを変化させたのです。間違った崇拝を取り除くために行動し,真の崇拝を広めました。 33:15,16を読む。)そうするには勇気や信仰が必要だったに違いありません。悔い改める前のマナセは,何十年にもわたって家族や高貴な人たちや国民に悪い影響を与えてきたからです。しかし晩年には,そうした悪い影響を取り除こうと努力しました。幼い孫のヨシヤに良い影響を与えたようです。ヨシヤは,後にとても良い王になりました。(王二 22:1,2

12. マナセの例から悔い改めについてどんなことを学べますか。

12 マナセの例から何を学べますか。マナセは謙遜になっただけではありませんでした。憐れみを求めて祈りました。生き方や行動を変えました。自分が与えた悪い影響を取り除くために一生懸命に努力しました。そして,心を込めてエホバを崇拝し,そうするようほかの人たちを助けました。マナセの例は,非常に大きな罪を犯した人にも希望を与えるものです。エホバ神が「善い方で,快く許してくださ」ることをはっきり示しています。(詩 86:5)エホバは,本当に悔い改めている人のことを許してくださるのです。

13. 悔い改めに関する大切な点をどんな例えで説明できますか。

13 マナセは罪を犯したことを後悔しただけではありませんでした。このことから,悔い改めについて大切な点を学べます。例えで考えてみましょう。ケーキ屋さんに行ってケーキを注文したとします。しかし,店員からケーキではなく,卵を渡されます。あなたはそれで満足できますか。もちろんできないでしょう。店員から,卵はケーキの主な材料だと言われたらどうでしょうか。それでも納得できないはずです。エホバは罪を犯した人に悔い改めることを求めています。その人が罪を犯したことを後悔しているなら,それは良いことです。そうした気持ちは悔い改めの重要な要素だからです。でも,それだけで十分とは言えません。ほかに何が必要でしょうか。イエスが話した感動的な例え話から多くの点を学べます。

本当に悔い改めているかどうかを見極める

好き放題の生活をした息子は本心に立ち返り,長旅をして家に帰った。(14‐15節を参照。) *

14. イエスの例え話に出てくる好き放題の生活をした息子が悔い改めていることは,まずどんな点に表れましたか。

14 イエスは,好き放題の生活をした息子に関する心温まる例え話をしました。それは,ルカ 15章11‐32節に記録されています。1人の若者が父親に反抗し,家を出て「遠い国」に旅立ちました。そして,そこで不道徳で好き放題の生活をしました。しかし,やがて生活していくのが難しくなると,自分がしてきたことについて真面目に考えるようになりました。自分が父親の家でどれほど恵まれた生活をしていたかに気付きました。イエスが述べているように,この若者は「本心に立ち返」りました。そして,家に戻り,父親の許しを求めることにしました。自分がどれほどひどいことをしてきたかに気付いたのは,とても良いことでした。しかし,それだけでは十分ではありませんでした。行動する必要があったのです。

15. イエスの例え話に出てくる息子は,本当に悔い改めていることをどのように示しましたか。

15 この若者は,自分がしてきたことに対する心からの悔い改めを示しました。長い旅をして家に帰り,父親にこう言いました。「私は天に対しても,あなたに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれるに値しません」。(ルカ 15:21)この若者の心から出た言葉には,エホバとの絆を取り戻したいという気持ちが表れていました。そして,自分の行動が父親を傷つけたことも認めました。父親との良い関係を取り戻すためには何でもしたいと思っていて,雇われ人の1人のようになる覚悟さえしていました。(ルカ 15:19)これは単なる心温まる物語ではありません。長老たちにとって,重大な罪を犯した人が本当に悔い改めているかどうかを見極める際に助けになるのです。

16. 長老たちにとって,誰かが本当に悔い改めているかどうかを見極めるのが難しいことがあるのはなぜですか。

16 長老たちにとって,重大な罪を犯した人が本当に悔い改めているかどうかを見極めるのは簡単なことではありません。なぜでしょうか。長老たちは心を読めないので,その人が心を入れ替えたかどうかを判断するには,外に現れるものに頼らざるを得ないからです。ある人が非常に重大な罪を犯した場合には,その人と話し合う長老たちは,その人が心から悔い改めていることをなかなか確信できないかもしれません。

17. (ア)悲しみを表せば本当の悔い改めを示していることになるとは限りません。どんな例からそれが分かりますか。(イ)コリント第二 7章11節によると,本当に悔い改めていることを示すためには,どんなことをする必要がありますか。

17 1つの例を考えてみましょう。1人の兄弟は何年にもわたって姦淫を繰り返してきました。助けを求めることはせず,妻にも友達にも長老たちにも隠してきましたが,ついに長老たちの知るところとなりました。証拠を示されると,兄弟は自分がしたことを認めました。とても後悔しているように見えます。でも,それで十分でしょうか。こうしたケースを扱う長老たちは,その人が悲しんでいる様子だけを見て判断することはできません。この兄弟は,たった1度判断を誤って罪を犯したのではなく,何年にもわたって罪を重ねてきました。自分から罪を告白したのではなく,誰かが長老たちに報告しました。ですから,長老たちには,この人が考え方や感じ方や行動を本当に改めたことを示す証拠が必要です。コリント第 7:11を読む。)そうした変化を遂げるにはかなりの時間がかかるはずです。ですから,恐らくその人はある程度の期間,会衆から除かれることになるでしょう。(コリ一 5:11‐13; 6:9,10

18. 排斥された人は,心から悔い改めていることをどのように示せますか。どんな結果になりますか。

18 排斥された人は,心から悔い改めていることを示したいと思っているなら,いつも集会に出席し,長老たちの助言に従って祈りや研究の良い習慣を守るでしょう。また,誘惑となる状況を避けるよう努力するでしょう。エホバとの絆を取り戻すために真剣に努力するなら,エホバは豊かに許してくださり,長老たちは会衆に戻れるよう助けてくれます。もちろん,長老たちは誰かが本当に悔い改めているかどうかを見極める際,一つとして同じケースはないことを思いに留め,それぞれを慎重に考慮します。そして,憐れみが欠けた判断をしないようにします。

19. 本当に悔い改めるとはどういうことですか。(エゼキエル 33:14‐16

19 ここまで学んできたように,本当に悔い改めるとは,犯した罪を後悔していると言うだけのことではありません。考え方や感じ方や行動を改める必要があります。悪い行いをやめ,再びエホバの基準に沿って歩む必要があるのです。エゼキエル 33:14‐16を読む。)罪を犯した人は,エホバとの絆を取り戻すことをまず一番に考えるべきです。

罪を犯した人を悔い改めに導く

20‐21. 重大な罪を犯した人をどのように助けることができますか。

20 イエスは自分の宣教の重要な一面についてこう述べました。「私は……罪人を悔い改めに導くために来ました」。(ルカ 5:32)私たちもそうすることを願っているはずです。では,親しい友達が重大な罪を犯したことを知ったなら,どうすべきでしょうか。

21 その罪を隠そうとすることは,友達を助けることには決してなりません。エホバが見ているのですから,隠し通すことなど,絶対にできません。(格 5:21,22; 28:13)その友達に,長老たちが力になりたいと思っていることを伝えましょう。もしその人が長老に罪を告白しようとしないなら,あなたがそのことを長老に知らせる必要があります。そうすることでその友達を助けたいと心から思っていることを示せます。そのままにしておくなら,その人とエホバとの絆は絶たれてしまうでしょう。

22. 次の記事ではどんなことを考えますか。

22 では,ある人が犯した罪の程度や期間を長老たちが考慮して,その人を排斥することにした場合はどうでしょうか。それは,長老たちに憐れみが欠けていたということでしょうか。次の記事では,罪を犯した人をエホバが憐れみ深く矯正することについて考えます。また,私たちがどのようにエホバに倣えるかも取り上げます。

123番の歌 牧者 ― 人々の賜物

^ 5節 本当に悔い改めるとは,犯した罪を後悔していると言うだけのことではありません。アハブ王やマナセ王,またイエスの例え話に出てくる好き放題の生活をした息子の例から,本当の悔い改めについて何を学べるでしょうか。長老たちは,重大な罪を犯した兄弟姉妹が本当に悔い改めているかどうかを見極める際に,どんな要素を考慮する必要があるでしょうか。この記事ではこうした点を考えます。

^ 60節 や挿: アハブ王が怒ってエホバの預言者ミカヤを牢屋に入れるよう護衛に命じている。

^ 62節 や挿: マナセ王が,かつて自分が神殿に置いた像を破壊するよう命じている。

^ 64節 や挿: 好き放題の生活をした息子が,長旅をして疲れ切っているものの,遠くに自分の家を見てほっとしている。