研究記事18

イエスに従うのを妨げるものがありますか

イエスに従うのを妨げるものがありますか

「私に疑いを抱かない人は幸せです」。マタイ 11:6

65番の歌 「これが道である」

を学ぶか *

1. 聖書について初めて伝えた時,どんな反応が返ってきたことがありますか。

これは真理だ,と確信した時のことを覚えていますか。聖書から学んだことは,どれも皆明快で筋が通っているように思えました。「この真理を知らせたら,みんな喜ぶに違いない」と思いました。聖書について学ぶなら,いま充実した生活を送ることができ,将来に素晴らしい希望を持てるようになる,と思ったのです。(詩 119:105)それで,自分が見つけた真理を友達や親族みんなに熱く語りました。でも,どうだったでしょうか。意外なことに,多くの人は相手にしてくれませんでした。

2‐3. イエスの時代の人々はイエスを受け入れましたか。

2 聖書のメッセージを聞こうとしない人がいても,驚くべきではありません。イエスも,当時のほとんどの人から退けられました。神の後ろ盾があることを示す奇跡を行ったにもかかわらず,退けられたのです。例えばイエスは,ラザロを復活させるという,反対者たちも否定できないような奇跡を行いました。それなのに,ユダヤ人の指導者たちはイエスがメシアであることを認めませんでした。それどころか,イエスとラザロを殺そうとさえしたのです。(ヨハ 11:47,48,53; 12:9‐11

3 ほとんどの人は,イエスがメシアであることを認めようとしませんでした。(ヨハ 5:39‐44)イエスはそのことが分かっていました。それで,バプテストのヨハネの弟子たちにこう言いました。「私に疑いを抱かない人は幸せです」。(マタ 11:2,3,6)人々がイエスを退けたのはなぜでしょうか。

4. この記事ではどんなことを考えますか。

4 この記事と次の記事では,1世紀の多くの人たちがイエスに信仰を持たなかった理由を考えます。また,現代の多くの人たちが私たちを退ける理由についても考えます。さらに重要な点として,イエスに対する強い信仰があるならイエスに従い続けることができる,ということについても学びます。

(1)イエスの生まれや育ち

多くの人たちは,イエスの生まれや育ちを理由にイエスを退けた。この点はどのように現代でも信仰の妨げとなることがあるか。(5節を参照。) *

5. イエスが予告されていたメシアであるはずはない,と考える人がいたのはなぜですか。

5 多くの人は,イエスの生まれや育ちが原因でイエスに信仰を持てませんでした。イエスが素晴らしい教師であり,幾つもの奇跡を行ったことは認めていました。しかし,彼らにとってイエスは貧しい大工の息子にすぎませんでした。それにイエスは,取るに足りないと考えられていた町ナザレの出身でした。イエスの弟子になったナタナエルも最初は,「何か良いものがナザレから出るだろうか」と言っていました。(ヨハ 1:46)ナタナエルは,イエスが住んでいたナザレに良いイメージを持っていなかったのかもしれません。あるいは,ミカ 5章2節の預言の言葉を考えたのかもしれません。その預言によれば,メシアはナザレではなくベツレヘムで生まれることになっていました。

6. イエスの時代の人々は,イエスがメシアであることをどうすれば見分けられたはずですか。

6 は何と述べているか。預言者イザヤは,イエスの敵たちが「[メシア]の家系の詳細」を知ろうとしないことを予告していました。(イザ 53:8)メシアの家系については,さまざまなことが預言されていました。時間を取ってきちんと事実を調べれば,イエスがベツレヘムで生まれたことや,ダビデ王の子孫であることが分かったはずです。(ルカ 2:4‐7)イエスは,ミカ 5章2節の預言通りの場所で生まれたのです。では,問題はどこにありましたか。事実をきちんと調べもせずに決め付けてしまったことです。それで,イエスに信仰を持つことができませんでした。

7. 現代の多くの人たちがエホバの証人を退けるのはなぜですか。

7 でも同じ状が見られるか。見られます。エホバの証人も,ほとんどの人は裕福ではありません。「教育のない普通の人」と見られています。(使徒 4:13)神学校を出ていないので,聖書について教える資格はないと思われています。また,アメリカに住んでいるエホバの証人は全体の約15%にすぎないのに,「アメリカの宗教」と言われることがあります。さらに,イエスを信じていないと言われることもあります。幾年にもわたって「共産主義者」,「アメリカのスパイ」,「過激主義者」といったレッテルを貼られてきました。こうした話を聞いた多くの人たちは,事実を知らない,あるいは受け入れようとしないために,エホバの証人を退けます。

8. 使徒 17章11節によると,現代,本当の意味で神に仕えている人たちを見分けるには,どうすればよいですか。

8 を妨げられないために何ができるか。事実を調べる必要があります。福音書を書いたルカは,そうしました。「全てのことを初めから綿密に」調べたのです。読者に,イエスについて聞いた事柄の「確かさを十分に知って」ほしいと思ったからです。(ルカ 1:1‐4)古代ベレアのユダヤ人も,ルカと同じようにしました。イエスについての良い知らせを初めて聞いた時,聞いたことがその通りかどうか,ヘブライ語聖書を調べました。使 17:11を読む。)現代でも同じように,事実を調べる必要があります。エホバの証人が教えていることと聖書が述べていることを比較することは重要です。また,現代のエホバの証人の歴史を学ぶことも大切です。“身元調査”をきちんと行うなら,偏見やうわさに惑わされることはないでしょう。

(2)イエスは人に見せるための奇跡を行おうとはしなかった

多くの人たちは,イエスが人に見せるために奇跡を行おうとしなかったことを理由にイエスを退けた。この点はどのように現代でも信仰の妨げとなることがあるか。(9‐10節を参照。) *

9. イエスが天からのしるしを見せることを拒んだ結果,どうなりましたか。

9 イエスの時代のある人たちは,イエスの素晴らしい教えだけでは満足せず,もっと多くのことを求めました。自分がメシアであることを示す「天からのしるし」を見せるようイエスに要求しました。(マタ 16:1)そうしたのは,ダニエル 7章13,14節を誤解していたからでしょう。しかし,この預言が実現する,エホバが定めた時はまだ来ていませんでした。人々はイエスの教えを聞けば,イエスがメシアであることを十分確信できたはずです。しかし,イエスが求めに応じず,奇跡を行わなかったので,イエスを退けました。(マタ 16:4

10. イエスは,イザヤがメシアについて書いたことをどのように実現させましたか。

10 は何と述べているか。預言者イザヤはメシアについてこう書きました。「彼は叫ばず,声を上げず,通りで声を発することもない」。(イザ 42:1,2)イエスは宣教を行う際,自分に注意を向けることはしませんでした。壮麗な神殿を建てることも,目立つ衣装を着ることも,仰々しい称号で呼ぶよう求めることもしませんでした。命が懸かった裁判を受けていた時も,ヘロデ王を喜ばせるために奇跡を行うことはしませんでした。(ルカ 23:8‐11)イエスは奇跡を行うこともありましたが,イエスにとって一番大切だったのは,良い知らせを伝えることでした。弟子たちに,「私はそのために来た」と言っていた通りです。(マル 1:38

11. 現代の多くの人たちは,宗教に関してどんな点に魅力を感じていますか。

11 でも同じ状が見られるか。見られます。現代の多くの人たちは,豪華な装飾が施された大聖堂や,仰々しい肩書きを持つ聖職者に心を引かれています。また,起源や意味が忘れ去られたような儀式に魅力を感じています。しかし,そうした人たちは,礼拝などに参加していても,神や神の目的についてほとんど学んでいません。一方,エホバの証人の集会に出席している人たちは,エホバが私たちに何を望んでいるかについて学んでいます。王国会館は豪華ではありませんが,清潔で機能的な造りになっています。教える立場にある人たちは,特別な服を着ることも仰々しい肩書きで呼ばれることもありません。エホバの証人が教えていることや信じていることは,聖書に基づいています。しかし,現代の多くの人たちは私たちを退けます。それは,エホバの証人の崇拝の仕方はあまりにも簡素で,教えは自分が聞きたいことではない,と思うからです。

12. ヘブライ 11章1,6節からすると,信仰を強くするためには何が必要ですか。

12 を妨げられないために何ができるか。使徒パウロは,ローマのクリスチャンにこう言いました。「信仰は聞いた事柄から生じます。キリストについての言葉を聞いて信仰を持つのです」。(ロマ 10:17)それで,信仰を強くするためには聖書を学ばなければなりません。どれほど魅力的に思えても,聖書に基づかない宗教儀式は,信仰を強めるものとはなりません。正確な知識に基づいた強い信仰が必要です。「信仰がなければ,神に喜ばれることは[ない]」からです。ヘブライ 11:1,6を読む。)ですから,天からのしるしがなくても,真理を見つけたと確信することができます。信仰を強める聖書の教えを注意深く調べるなら,確信を深め,どんな疑いも払いのけることができるのです。

(3)イエスはユダヤ人の習慣に従わなかった

多くの人たちは,イエスがユダヤ人の習慣に従わなかったことを理由にイエスを退けた。この点はどのように現代でも信仰の妨げとなることがあるか。(13節を参照。) *

13. 多くの人たちがイエスを非難したのはなぜですか。

13 イエスの時代,バプテストのヨハネの弟子たちは,イエスの弟子たちが断食をしないことに戸惑っていました。そこでイエスは,自分が生きている間は断食をする理由がない,ということを説明しました。(マタ 9:14‐17)しかし,パリサイ派をはじめ,イエスに反対する人たちは,イエスはユダヤ人の習慣や伝統に従っていない,と言ってイエスを非難しました。イエスが安息日に病気の人を癒やすのを見て,腹を立てました。(マル 3:1‐6。ヨハ 9:16)彼らは,安息日をきちんと守っていると口では言っていましたが,神殿で商売をすることには全く抵抗を感じていませんでした。そのことをイエスに指摘されると,激怒しました。(マタ 21:12,13,15)また,ナザレの会堂でイエスの話を聞いていた人たちも,激怒しました。イエスが,昔の例を引き合いに出して,その人たちの利己心や信仰のなさを暴露したからです。(ルカ 4:16,25‐30)イエスの行動が期待と違っていたので,多くの人たちはイエスを退けました。(マタ 11:16‐19

14. イエスが聖書に沿っていない人間の伝統を非難したのはなぜですか。

14 は何と述べているか。エホバは,預言者イザヤを通してこう言いました。「この民は口では私に近づくと言い,唇で私を敬うが,心は私から遠く離れている。彼らが私を畏れるのは,人間の命令を教え込まれたからにすぎない」。(イザ 29:13)イエスが聖書に沿っていない人間の伝統を非難したのは,正しいことでした。人間が作った決まりや伝統を聖書よりも重視した人たちは,エホバと,エホバがメシアとして遣わした方を退けました。

15. 現代の多くの人たちが,エホバの証人に気分を害したり,腹を立てたりするのはなぜですか。

15 でも同じ状が見られるか。見られます。エホバの証人が誕生日やクリスマスなどの聖書に沿わない習慣に加わらないと,気分を害する人が大勢います。また,エホバの証人が愛国主義的な行事に参加しなかったり,葬式に関する聖書に沿わない習慣に従わなかったりすると,腹を立てる人もいます。このような反応をする人たちは,自分の崇拝は神に喜ばれていると誠実に考えているかもしれません。しかし,聖書がはっきり教えていることよりも人間の伝統を重視するなら,神を喜ばせることはできません。(マル 7:7‐9

16. 詩編 119編97,113,163‐165節からすると,私たちは何を行い,何を避ける必要がありますか。

16 を妨げられないために何ができるか。エホバの律法と原則に対する愛を深める必要があります。 119:97,113,163‐165を読む。)エホバを愛しているなら,エホバが嫌う伝統や習慣を全て退けることでしょう。エホバへの愛を何よりも大切にします。

(4)イエスは政治に関わろうとしなかった

多くの人たちは,イエスが政治に関わろうとしなかったことを理由にイエスを退けた。この点はどのように現代でも信仰の妨げとなることがあるか。(17節を参照。) *

17. イエスの時代の多くの人たちは,どんなことを期待していたのでイエスを退けましたか。

17 イエスの時代のある人たちは,政治的な変化を求めていました。メシアがローマの圧政から解放してくれることを期待していました。それで,イエスを王にしようとしましたが,イエスはそれを拒みました。(ヨハ 6:14,15)一方,祭司をはじめとする人たちは,イエスが政治的な変化をもたらすのではないかと恐れていました。そのようにしてローマを敵に回せば,宗教指導者たちは権力を失うことになるからです。こうした政治的な思惑があったので,多くのユダヤ人はイエスを退けました。

18. 多くの人はメシアについてのどんな預言に注意を払いませんでしたか。

18 は何と述べているか。多くの預言はメシアがやがて戦士として勝利を収めることを予告していましたが,メシアが人間の罪のためにまず死ななければならない,ということも預言されていました。(イザ 53:9,12)では,多くのユダヤ人がメシアに対して間違った期待を持ったのはなぜでしょうか。目先の問題の解決とは関係のない預言には注意を払わなかったからです。(ヨハ 6:26,27

19. 現代の多くの人たちが私たちを退けるのはなぜですか。

19 でも同じ状が見られるか。見られます。現代の多くの人たちは,私たちエホバの証人が政治に関して中立を保つので,私たちを退けます。選挙で投票することを私たちに求めます。しかし,人間を支配者として選ぶなら,エホバを退けることになります。(サム一 8:4‐7)また,学校や病院を建てたり,慈善事業を行ったりすべきだと考える人もいます。そうした人たちは,私たちが世の中の問題をすぐに解決しようとするのではなく,伝道に専念しているので,私たちを退けます。

20. マタイ 7章21‐23節にあるイエスの言葉からすると,私たちはどんなことに注意を集中すべきですか。

20 を妨げられないために何ができるか。マタ 7:21‐23)私たちは,イエスから命じられた活動を行うことに注意を集中すべきです。(マタ 28:19,20)世の中の政治や社会の問題に気を散らされてはいけません。もちろん,私たちは人々を愛していて,世の中の問題を気に掛けています。とはいえ,神の王国について教え,エホバの友になるよう助けることほど隣人のためになることはない,ということを理解しています。

21. どんな決意ができますか。

21 この記事では,信仰の妨げとなり得る4つの点について考えました。それが原因で,1世紀の多くの人たちはイエスを退けました。また,現代のある人たちはイエスの弟子たちを退けています。では,私たちが注意すべきなのは,この4つだけでしょうか。そうではありません。次の記事で,さらに4つの点を考えます。イエスを退けることなく,強い信仰を保つことを決意しましょう。

64番の歌 真理に生きなさい

^ 5節 イエスは,地上で生きた人たちの中で最も偉大な教師でした。でも,当時のほとんどの人はイエスを退けました。どうしてでしょうか。この記事では,4つの理由を考えます。また,現代の多くの人たちがイエスの真の弟子たちを退ける理由についても考えます。さらに重要な点として,イエスに対する強い信仰があるならイエスに従い続けることができる,ということについても学びます。

^ 60節 や挿: フィリポがイエスと話してみるようナタナエルに勧めている。

^ 62節 や挿: イエスが良い知らせを伝えている。

^ 64節 や挿: イエスが,反対者たちの目の前で,片手がまひした男性を癒やしている。

^ 66節 や挿: イエスが1人で山に入って行く。