研究記事3

イエスの涙から学べること

イエスの涙から学べること

「イエスは涙を流した」。ヨハネ 11:35

84番の歌 「わたしはそう望みます」

を学ぶか *

1‐3. 私たちはどんな時に涙を流すことがありますか。

 あなたが最近涙を流したのはいつですか。私たちはうれしくて涙を流すこともありますが,ほとんどの場合,悲しくて涙を流します。例えば,愛する人を亡くした時がそうです。米国のロリレイ姉妹はこう言います。 * 「娘を亡くした悲しみはとても大きなものなので,この心の傷を癒やすことなどできない,と思うことがあります。この悲しみを乗り越えて生きていくことなんてできない,と思うこともありました」。

2 別の理由で涙を流すこともあります。日本で開拓奉仕をしている裕美姉妹はこう述べています。「伝道で会う人たちが無関心なので,がっかりすることがあります。時には涙ながらに,本当に真理を求めている方にお会いすることができますように,とエホバに祈ることもあります」。

3 あなたも,こうした姉妹たちと同じような気持ちになることがありますか。多くの人はあることでしょう。(ペテ一 5:9)私たちは,「喜んでエホバに仕え」たいと思っていますが,涙を流す時もあります。愛する人を亡くしたり,がっかりしたり,神への忠実を試みるような問題にぶつかったりすることがあるからです。(詩 6:6; 100:2)こうした時,どうしたらよいでしょうか。

4. この記事ではどんなことを考えますか。

4 イエスの例から学ぶことができます。イエスもつらい気持ちになったり強いストレスを感じたりして,「涙を流した」ことがあります。(ヨハ 11:35。ルカ 19:41; 22:44。ヘブ 5:7)それらの出来事からどんなことを学べるでしょうか。涙を流すようなつらい状況に直面した時,何ができるでしょうか。考えてみましょう。

友のことを考えて涙を流した

イエスに倣って,悲しんでいる人を支える。(5‐9節を参照。) *

5. ヨハネ 11章32‐36節の記録から,イエスについてどんなことが分かりますか。

5 西暦32年の冬,イエスの親友であるラザロが病気になり,死にました。(ヨハ 11:3,14)ラザロには,マリアとマルタという2人の姉妹がいて,イエスはこの3人と親しくしていました。マリアとマルタは,ラザロを亡くしたことで悲嘆に暮れていました。ラザロの死後,イエスはマリアとマルタが住んでいるベタニヤに向かいました。マルタは,イエスが来ると聞いて急いで会いに行き,「主よ,もしここにいてくださったなら,私の兄弟は死ななかったでしょう」と言いました。この時のマルタの気持ちを想像できるでしょうか。(ヨハ 11:21)そしてイエスは,マリアや人々が泣いている様子を見て,「涙を流し」ました。ヨハネ 11:32‐36を読む。)

6. イエスがこの時,涙を流したのはなぜですか。

6 イエスがこの時,涙を流したのはなぜでしょうか。「聖書に対する洞察」にはこうあります。「イエスはご自分の友ラザロが死んだため,またそのためにラザロの姉妹たちが悲嘆に暮れているのを見て,『うめき,涙を流されました』」。 * イエスは,親友のラザロが経験した苦しみについて考えたかもしれません。また,ラザロが死を目前にしてどう感じたかを想像したかもしれません。そして,マリアとマルタがラザロを亡くしてどれほど悲しんでいるかを見て,涙を流したのでしょう。あなたも,親友や家族を亡くしたことがあるなら,同じような気持ちになったに違いありません。では,この出来事から学べる点を3つ考えていきましょう。

7. イエスが友のことを考えて流した涙から,エホバについてどんなことが分かりますか。

7 エホバは私たちの気ちを分かってくださる。イエスはお父さんエホバの「本質を完全に表してい」ます。(ヘブ 1:3)ですから,イエスの涙からエホバの気持ちを読み取ることができます。(ヨハ 14:9)もしあなたが愛する人を亡くして深い悲しみを味わっているなら,エホバはそのつらい気持ちに気付いています。それだけでなく,エホバも心を痛めています。エホバはあなたの心の傷を癒やしたいと思っているのです。(詩 34:18; 147:3

8. 私たちの愛する人をイエスが復活させると確信できるのはなぜですか。

8 イエスは私たちの愛する人を復させたいと思っている。イエスは涙を流す少し前,マルタに対して,「あなたの兄弟は生き返ります」と約束しました。マルタはその言葉を信じました。(ヨハ 11:23‐27)エホバに仕えていたマルタは,何百年も前にエリヤやエリシャが死者を復活させたことを知っていたはずです。(王一 17:17‐24。王二 4:32‐37)また,イエスが人を復活させたことも聞いていたでしょう。(ルカ 7:11‐15; 8:41,42,49‐56)ですからあなたも,愛する人が復活することを確信できます。イエスが,深く悲しんでいたマリアとマルタを慰めた時に涙を流したことから,イエスが人を復活させたいとどれほど強く思っているかが伝わってきます。

9. 深く悲しんでいる人を支える点で,どのようにイエスに倣えますか。

9 たちも深く悲しんでいる人を支えることができる。イエスは,マルタやマリアと一緒に涙を流しただけでなく,2人の話に耳を傾け,優しい言葉を掛けました。私たちも同じようにすることができます。オーストラリアに住む長老のダン兄弟はこう言っています。「妻を亡くした後,私は助けてもらう必要がありました。何組かの夫婦は,私が話したいと思う時には,昼でも夜でも話を聞いてくれました。私が悲しむのをとどめたりせず,私が涙を流しても戸惑ったりしませんでした。私が身の回りのことを自分ではできないと感じる時には,車を洗ったり,買い物に行ったり,料理を作ったりしてくれました。そして,私と一緒に何度も祈ってくれました。こうした仲間は『苦難の時に頼れる』友や兄弟だ,と心から思いました」。(格 17:17

隣人のことを考えて涙を流した

10. イエスはどんな時に涙を流しましたか。(ルカ 19:36‐40

10 西暦33年ニサン9日,イエスはエルサレムに入ります。エルサレムに近づいた時,人々が集まってきてイエスを王として認め,自分の外衣をイエスの前に敷いていきました。これは非常に喜ばしい出来事でした。ルカ 19:36‐40を読む。)それで,弟子たちは次に起きたことを見て,とても驚いたことでしょう。「イエスはエルサレムの近くに来た時,それを眺めて泣き悲し[んだ]」とあります。イエスは目に涙を浮かべながら,エルサレムの人々が間もなく経験することになる恐ろしい出来事を予告しました。(ルカ 19:41‐44

11. イエスがエルサレムに住んでいる人たちのことを考えて涙を流したのはなぜですか。

11 イエスが人々から歓迎されたのに涙を流したのはなぜでしょうか。イエスは,ほとんどのユダヤ人が王国の良い知らせを退ける,ということが分かっていました。その結果,エルサレムは滅ぼされることになっており,生き残った人たちも捕らえられることになっていました。(ルカ 21:20‐24)そして,イエスの言った通り,ほとんどの人はイエスを退けました。あなたが住んでいる地域の人たちは,王国の良い知らせにどんな反応を示していますか。真理を教えようと一生懸命に努力しても,耳を傾ける人はほとんどいないかもしれません。では,イエスの涙からどんなことを学べるでしょうか。3つの点を考えてみましょう。

12. イエスが隣人のことを考えて涙を流したことから,エホバについてどんなことが分かりますか。

12 エホバは人を気っている。イエスの涙から,エホバが人々を心から気遣っていることが分かります。「神は,一人も滅ぼされることなく,全ての人が悔い改めることを望んでい」ます。(ペテ二 3:9)では,私たちは隣人への愛をどのように示すことができるでしょうか。人々の心を動かす仕方で,良い知らせを粘り強く伝えることによってです。(マタ 22:39 *

イエスに倣って,伝道の予定を調整する。(13‐14節を参照。) *

13‐14. イエスは人々への思いやりをどのように示しましたか。私たちはどうすればイエスに倣えますか。

13 イエスは伝を一に行った。イエスは,あらゆる機会に人々を教えることによって愛を示しました。(ルカ 19:47,48)そうするようイエスを動かしたのは何だったのでしょうか。それは,人々への思いやりです。ある時,あまりにも多くの人がイエスの話を聞きにやってきたため,イエスや弟子たちは「食事もできないほど」でした。(マル 3:20)またイエスは,話を聞きたいと夜にやって来た男性のためにも喜んで時間を取りました。(ヨハ 3:1,2)イエスの話を聞いた人たちのほとんどは,イエスの弟子になりませんでした。とはいえ,彼らも十分の情報を得ることができました。私たちも,全ての人に良い知らせを伝えたいと思っています。(使徒 10:42)そのためには,伝道の方法を変える必要があるかもしれません。

14 んで調する。いつも同じ時間にしか伝道しないなら,良い知らせに耳を傾ける人にはなかなか会えないかもしれません。開拓者のマティルダ姉妹はこう言います。「夫と私は,いろいろな時間に伝道するようにしています。午前中の早い時間には店や会社を訪問します。みんなが出掛けている日中の時間は,カートを使って伝道します。そして,午後や夕方以降の時間に家を訪問すると,多くの人に会うことができます」。自分にとって都合の良い時間にばかり伝道するのではなく,もっと多くの人に会えるよう進んで予定を調整しましょう。そのように努力するなら,エホバは必ず喜んでくださいます。

エホバの名のことを考えて涙を流した

イエスに倣って,つらい時にはエホバに祈願を捧げる。(15‐17節を参照。) *

15. ルカ 22章39‐44節によると,イエスが地上で過ごした最後の晩にどんなことがありましたか。

15 西暦33年ニサン14日の夜遅く,イエスはゲッセマネの庭園に行きました。そして,自分の気持ちをエホバに打ち明けました。ルカ 22:39‐44を読む。)その時イエスは,「大きな声で叫び,涙を流しながら」,「祈願を捧げ」ました。(ヘブ 5:7)どんなことを祈ったのでしょうか。エホバへの忠実を保ち,神の意志を行うための力を与えてください,と祈りました。エホバはこの真剣な祈りを聞き,イエスを強めるために天使を遣わしました。

16. イエスがゲッセマネの庭園で祈っていた時に涙を流したのはなぜですか。

16 イエスがゲッセマネの庭園で祈っていた時に涙を流したのは,神を冒瀆したと人々から見られることが非常につらかったからでしょう。またイエスは,自分にはお父さんエホバの名を立証するという非常に大きな責任があることも分かっていました。では,私たちがエホバへの忠実を試されるような問題にぶつかっている場合,イエスの涙からどんなことを学べるでしょうか。3つの点を考えてみましょう。

17. エホバがイエスの真剣な祈りに答えたことから,エホバについてどんなことが分かりますか。

17 エホバは私たちの祈を聞いてくださる。エホバは,イエスの真剣な願いを聞き入れました。それはイエスが,エホバへの忠実を保つことと,エホバの名を立証することを主に願っていたからです。私たちも,エホバへの忠実を保つことと,エホバの名を立証することを主に願っているなら,エホバは助けを求める私たちの祈りを必ず聞いてくださいます。(詩 145:18,19

18. イエスは私たちにとって気持ちを分かってくれる友達のようです。なぜそう言えますか。

18 イエスは私たちの気ちを分かってくれる。大きなストレスを感じている時などに,気持ちを分かってくれる友達から励ましてもらえると,うれしく感じるものです。自分と同じような経験をしている友達からの励ましであれば,なおのことそうでしょう。イエスは,私たちにとってまさにそのような友達です。イエスも,力や助けが必要だと感じたことがありました。イエスは私たちの弱さを分かってくれて,私たちが「必要な時に」助けを得られるようにしてくれます。(ヘブ 4:15,16)イエスは,ゲッセマネの庭園で,天使からの助けを進んで受け入れました。私たちも,エホバからの助けを進んで受け入れるようにしましょう。エホバは,出版物や動画や話を通して,また長老や兄弟姉妹を用いて助けを与えてくださいます。

19. 神への忠実が試されるような問題と闘っている場合,どうすれば力を得られますか。

19 エホバは私たちに「神からの平」を与えてくださる。エホバは,私たちをどのように力づけてくださるでしょうか。私たちは祈る時,「神からの平和」を得ることができます。「その平和は人間の理解をはるかに超えています」。(フィリ 4:6,7)この平和によって,心を穏やかにすることができ,落ち着いて考えられるようになります。ルース姉妹の場合がそうです。姉妹はこう言います。「私はさみしさと闘っています。それで,エホバから愛されていないと感じることがあります。そういう時には,すぐにエホバに気持ちを打ち明けます。祈りは,気持ちをコントロールする上で助けになっています」。姉妹の経験から分かる通り,祈るなら気持ちを穏やかにすることができるのです。

20. イエスの涙から,どんな大切な点を学びましたか。

20 イエスの涙から,大切な点を幾つも学ぶことができました。悲しんでいる友達を支えることの大切さについて考えました。また,愛する人を亡くした時には,エホバとイエスが力を与えてくださることを確信するよう教えられました。伝道したり教えたりする時には,エホバ神とイエス・キリストに倣って思いやりを示しましょう。エホバとイエスは,私たちの気持ちや弱さを分かってくださいます。そして,忍耐できるように助けたいと思っています。では,エホバの素晴らしい約束が実現する日が来るまで,この記事で学んだ点を実践していきましょう。その時,エホバは「[私たち]の目から全ての涙を拭い去」ってくださるのです。(啓 21:4

82番の歌 キリストの温和さに倣いなさい

^ イエスは,つらい気持ちになったり強いストレスを感じたりして,涙を流すことがありました。この記事では,イエスが涙を流した3つの状況を取り上げ,そこから何を学べるかを考えます。

^ 一部の名前は変えてあります。

^ 「聖書に対する洞察」第1巻197ページを参照。

^ マタイ 22章39節で「隣人」と訳されているギリシャ語は,近くに住んでいる人だけでなく,接する人全てを指します。

^ や挿: イエスは心を動かされ,マリアとマルタを慰めた。私たちも,愛する人を亡くした人を慰めることができる。

^ や挿: イエスは夜の時間にニコデモを教えた。私たちも相手にとって都合の良い時間に聖書を教える。

^ や挿: イエスはエホバに忠実でいられるよう力を求めて祈った。私たちも試練に遭う時,同じようにする必要がある。