研究記事14
「愛があれば,全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」
「あなたたちの間に愛があれば,全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」。ヨハネ 13:35
72番の歌 愛を培う
何を学ぶか a
1. 集会に初めて来た人たちはどんな感想を持ちますか。(写真も参照。)
次のような場面を想像してみてください。ある夫婦が初めて集会に出席します。王国会館でみんなに歓迎され,兄弟姉妹がお互いに愛を示しているのを見て,とても温かい気持ちになります。帰り道,妻が夫にこう言います。「楽しかったね。あんないい人たち,なかなかいないよね」。
2. どんなことが原因でエホバに仕えるのをやめてしまう人がいますか。
2 確かに,エホバの証人がお互いに示している愛は素晴らしいものです。でも,完璧な人は一人もいません。(ヨハ一 1:8)それで,兄弟姉妹と親しくなるにつれて相手の欠点や弱点も見えてくることでしょう。(ロマ 3:23)そうしたことが原因でエホバに仕えるのをやめてしまう人もいます。
3. イエスの本物の弟子は何によって見分けられますか。(ヨハネ 13:34,35)
3 この記事の主題聖句に注目してみましょう。(ヨハネ 13:34,35を読む。)イエスの本物の弟子は何によって見分けられると書かれているでしょうか。完全さではなく,愛です。さらにイエスは,「愛があれば,全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」と言いました。つまり,クリスチャンだけでなくクリスチャンではない人全ても,イエスの本物の弟子を愛によって見分けることができるということです。
4. 本物のクリスチャンが示す愛について,どんな疑問を持つかもしれませんか。
4 エホバの証人ではない人たちは次のように思うかもしれません。「愛によってイエスの本物の弟子を見分けられるってどういうことだろう。イエスはどのように使徒たちに愛を示したんだろう。イエスのような愛を示すことなんてできるんだろうか」。私たちもそうした点を考えるのは良いことです。もっと愛情深い人になり,仲間の欠点などが気になる時にも愛を示せるようになります。(エフェ 5:2)
イエスの本物の弟子が愛によって見分けられる,と言えるのはどうしてか
5. ヨハネ 15章12,13節でイエスはどんなことを教えましたか。
5 イエスの弟子たちの間に見られる愛は特別なものです。(ヨハネ 15:12,13を読む。)イエスはこう言いました。「私があなたたちを愛した通りにあなたたちが互いを愛すること,これが私のおきてです」。イエスがここで言っていたのは自己犠牲的な愛のことです。聖句の続く部分から分かる通り,それは仲間のために命を差し出すほどの強い愛です。 b
6. 聖書は愛の大切さをどのように強調していますか。
6 聖書は愛の大切さを強調しています。次のような聖句が好きだという兄弟姉妹もたくさんいます。「神は愛」。(ヨハ一 4:8)「あなたは隣人を自分自身のように愛さなければならない」。(マタ 22:39)「愛は多くの罪を覆う」。(ペテ一 4:8)「愛は決して絶えません」。(コリ一 13:8)こうした聖句から,愛を身に着けて示すことがとても大切だということがよく分かります。
7. サタンが本物の愛で結ばれた人たちのグループをつくれないのはどうしてですか。
7 次のように思う人もいます。「どれが本物の宗教なんだろう。どの宗教も自分たちは本当のことを教えていると言っているけれど,神について教えていることはばらばらだ」。サタンは,間違ったことを教える宗教をたくさんつくって,人々を混乱させています。でも,国を超えて互いに愛し合う人たちのグループをつくることはできません。それができるのはエホバだけです。本物の愛はエホバからのもので,エホバの聖なる力と祝福を受けている人たちだけがそのような愛を示せるからです。(ヨハ一 4:7)だからこそ,イエスは自己犠牲的な愛によって本物のクリスチャンを見分けられると言いました。
8-9. 多くの人はエホバの証人の愛を見てどう感じていますか。
8 イエスが言った通り,多くの人が愛によって本物のクリスチャンを見分けています。イアン兄弟の例を考えてみましょう。兄弟は家の近くの競技場で開かれた大会に初めて出席しました。その競技場には,数カ月前にスポーツの試合の観戦に行ったことがありました。兄弟はこう言います。「この大会は[その試合]とはあまりにも対照的でした。証人たちは身なりがきちんとしていて礼儀正しく,子どもたちも行儀良くしていました。……しかも,それらの人は満ち足りた平安な気持ちでいるようでした。それはわたしが切望していたものです。わたしは,その日に行なわれたどの講演も覚えていませんが,証人たちの行状には深い感銘を受けました」。 c 私たちが兄弟姉妹に親切にし,敬意を表せるのは,お互いに心から愛し合っているからです。
9 ジョン兄弟も初めてエホバの証人の集会に出席した時,同じような印象を持ちました。こう言っています。「出席しているどの人からも親しみ深さ……が感じられ,皆が聖人のように思えました。その純粋な愛を見て,これこそ真の宗教だと確信しました」。 d こうした例から,エホバの証人が本物のクリスチャンだということが分かります。
10. どんな時に本物の愛を示す必要がありますか。(脚注も参照。)
10 この記事の最初の方で考えた通り,私たちは誰も完璧ではありません。それで仲間の言動に傷つけられることがあります。 e (ヤコ 3:2)でも,そういう時は本物の愛を示すチャンスです。この点でイエスからどんなことを学べるでしょうか。(ヨハ 13:15)
イエスはどのように使徒たちに愛を示したか
11. ヤコブとヨハネはどんな良くない態度を示してしまいましたか。(挿絵も参照。)
11 イエスは弟子たちに完璧を求めることはありませんでした。弟子たちが良くない傾向を正してエホバに喜ばれる人になれるよう,優しく助けました。ある時,使徒のヤコブとヨハネは母親を通して,イエスに王国での目立った立場を求めました。(マタ 20:20,21)2人は誇りや野心を示してしまったのです。(格 16:18)
12. ほかの10人の使徒たちもどんな良くない態度を示してしまいましたか。
12 この時,良くない態度を示してしまったのは,ヤコブとヨハネだけではありませんでした。ほかの使徒たちの反応についてこう書かれています。「ほかの10人はそのことを聞くと,その2人の兄弟に対して憤った」。(マタ 20:24)使徒たちの間で激しい言葉が飛び交ったことでしょう。ヤコブとヨハネにほかの使徒たちはこう言ったかもしれません。「王国で目立った立場に就こうとするなんて,何様だと思ってるんだ。自分たちだってイエスと一緒に一生懸命働いてきたんだから,王国でいい立場に就けてもらう資格があるはずだ」。いずれにしても,この時,使徒たちは仲間への愛を示し損なってしまいました。
13. イエスは使徒たちが弱点を表した時,どうしましたか。(マタイ 20:25-28)
13 では,イエスはどうしたでしょうか。怒ったりはしませんでした。「もっと謙遜で,いつも愛を示せる人を使徒として選び直す」と言うこともありませんでした。使徒たちが本当は正しいことをしたいと思っていることが分かっていたので,辛抱強く教えました。(マタイ 20:25-28を読む。)使徒たちは誰が一番偉いかについて言い合ったことが何度もありましたが,イエスはいつも愛情深く穏やかに接しました。(マル 9:34。ルカ 22:24)
14. イエスの使徒たちが育った背景はどんなものでしたか。
14 イエスは使徒たちが育った背景を理解していました。(ヨハ 2:24,25)当時の宗教指導者たちは地位や立場を重視していました。(マタ 23:6。マタイ 23:6の注釈にある「会堂の最も良い座席」の動画も参照。)さらに,独善的な態度を取っていました。 f (ルカ 18:9-12)イエスは,使徒たちの自分や他の人に対する見方が宗教指導者たちの影響を受けていることをよく知っていました。(格 19:11)イエスは使徒たちにできる以上のことを求めたり,何か失敗した時にすぐに怒ったりはしませんでした。使徒たちの良い心に目を向け,誇りや野心を乗り越えて愛を示せるように助けました。
イエスにどのように倣えるか
15. 使徒たちの間で起きた出来事から,どんなことを学べますか。
15 このエピソードからどんなことを学べるでしょうか。ヤコブとヨハネが王国で目立った立場に就こうとしたのは間違ったことでした。でも,ほかの10人が2人に腹を立てて一致を壊してしまったのも良くありませんでした。一方,イエスは使徒たちみんなに愛情深く穏やかに接しました。確かに,仲間が失敗や間違いをすることもありますが,そういう時にどういう反応をするかが大切です。次のように考えてみてください。「自分がこんなに腹を立てているのはどうしてだろう。こういう反応をするのは,自分に何か足りないところがあるということだろうか。自分を傷つけたあの人は何か大変な問題と闘っているんだろうか。たとえ相手に落ち度があるとしても,愛を示して許すことができるだろうか」。仲間に愛情深く接するなら,イエスの本物の弟子であることを示すことができます。
16. イエスからほかにもどんなことを学べますか。
16 イエスから,仲間を理解することの大切さも学べます。(格 20:5)もちろん,私たちはイエスのように心を読むことはできません。それでも仲間の弱さを思いやることはできます。(エフェ 4:1,2。ペテ一 3:8)そうする上で,相手の背景を知ることは役立ちます。1つの例を考えてみましょう。
17. ある旅行する監督は,仲間をよく知るようにしてどんな良い結果になりましたか。
17 東アフリカで旅行する奉仕をしていたある兄弟は,気に障る言動をする兄弟にどう接したでしょうか。こう言っています。「その兄弟を避けるのではなく,もっと知るようにしました」。そうすると,生い立ちがその兄弟の性格に大きな影響を与えているということが分かりました。さらにこう言っています。「兄弟が生い立ちの影響を乗り越えるためにどれほど頑張ってきたかを知って,本当に立派だと思いました。私たちは良い友達になりました」。兄弟姉妹のことをもっとよく知るようにするなら,愛を示しやすくなるでしょう。
18. 仲間から傷つけられた時,どんなことを考えるとよいですか。(格言 26:20)
18 自分を傷つけた相手と話し合った方がいいと思うことがありますか。そういう時にも,まずは次のように考えてみましょう。「自分は事実を十分に知っているだろうか」。(格 18:13)「悪気はなかったんじゃないだろうか」。(伝 7:20)「自分も同じようなことをしてしまったことがあるだろうか」。(伝 7:21,22)「話し合いに行くと,問題がもっと大きくなってしまわないだろうか」。(格言 26:20を読む。)こうしたことを時間をかけて考えるなら,愛を示して水に流そうと思うかもしれません。
19. どんなことを努力したいと思いますか。
19 エホバの証人はグループとして,イエスの本物の弟子であることを示しています。私たちは個人としても,仲間の失敗や欠点を許し,愛を示すことによって,本物のクリスチャンであることを示せます。そうした様子を見た人たちは本物の宗教だと感じ,愛の神であるエホバを一緒に崇拝するようになるかもしれません。では,クリスチャンの特徴である愛をこれからも示していきましょう。
84番の歌 「わたしはそう望みます」
a エホバの証人がお互いに愛を示しているのを見て,聖書の真理を学びたいと思った人は大勢います。でも私たちも完璧ではないので,兄弟姉妹に愛情深く接するのを難しく感じることがあります。では,愛がとても大切なのはどうしてでしょうか。仲間の欠点や弱点が気になる時,どうすればイエスに倣って愛を示せるでしょうか。
b 塔研18.09 2:1-2を参照。
c 「ものみの塔」2012年11月1日号13-14ページの「人生はついに目的のあるものとなりました」という記事を参照。
d 「ものみの塔」2012年5月1日号18-19ページの「申し分のない生活のように思えました」という記事を参照。
e この記事で取り上げられているのは,コリント第一 6章9,10節に挙げられているような長老たちが扱う重大な罪ではありません。
f あるラビはこう言ったとされています。「世界にはアブラハムのような正しい人が少なくとも30人はいる。もし正しい人が30人いるなら,私と私の息子はそのうちの2人である。もし10人なら,私と私の息子はそのうちの2人である。もし5人なら,私と私の息子はそのうちの2人である。もし2人なら,私と私の息子がその2人である。もし1人だけなら,私がその1人である」。
「ものみの塔」(研究用)