研究記事22

「神聖な道」を歩み続ける

「神聖な道」を歩み続ける

「そこには街道ができる。『神聖な道』と呼ばれる道である」。イザヤ 35:8

26番の歌 神と歩もう

を学ぶか a

1-2. バビロンに住んでいたユダヤ人はどんな決定を下さなければいけませんでしたか。(エズラ 1:2-4

 驚くようなニュースが飛び込んできました。バビロンで70年間捕囚になっていたユダヤ人がイスラエルに戻れるというのです。エズラ 1:2-4を読む。)こんな素晴らしいことを実現できるのはエホバだけです。バビロンが捕虜を解放することはめったになかったからです。(イザ 14:4,17)でも,バビロンは征服され,新しい王がユダヤ人にイスラエルに戻ってもよいと言ったのです。それで,全てのユダヤ人,特に家族の頭は決定を下さなければいけませんでした。イスラエルに帰るか,バビロンにとどまるかです。これを決めるのは簡単なことではありませんでした。どうしてでしょうか。

2 年配の人たちは,バビロンからイスラエルまで危険な旅をするのは難しいと感じたかもしれません。また,ほとんどのユダヤ人はバビロンで生まれたので,ほかの場所で暮らしたことはありませんでした。そういう人たちにとって,イスラエルは先祖が住んでいた場所にすぎませんでした。さらに,バビロンで成功して裕福になっていた人たちもいたので,快適な家や仕事を捨てて知らない場所に行くというのは,大変だったことでしょう。

3. エホバを愛するユダヤ人がイスラエルに戻りたいと心から願っていたのはなぜですか。

3 エホバを愛するユダヤ人は,どんな犠牲を払うことになるとしても,イスラエルに帰ることには大きな価値がある,と思っていました。それは,エホバの崇拝に関係があったからです。バビロンには50以上の異教の神殿がありましたが,エホバの神殿は一つもありませんでした。モーセの律法で求められている犠牲を捧げるための祭壇も,祭司職の取り決めもありませんでした。また,異教の神々を崇拝する人たちは,ユダヤ人よりもはるかに多く,エホバのこともエホバの基準も全く気に掛けない人たちでした。それで,エホバを愛するユダヤ人は,故郷であるイスラエルに戻って清い崇拝を回復させたいと心から願っていました。

4. イスラエルに帰るユダヤ人にエホバはどんなことを約束しましたか。

4 バビロンからイスラエルまでの道のりは,4カ月かかる大変なものでした。でもエホバは,障害となるものを道から除き去ると約束しました。預言者イザヤはこう書きました。「エホバの道を整えよ! 私たちの神のために,砂漠を通る真っすぐな街道を造れ。……でこぼこの地面を平らにし,険しい土地を谷あいの平原にしなければならない」。(イザ 40:3,4)想像してみてください。砂漠に真っすぐな街道ができ,険しい土地も平らになるのです。山や谷を越えるよりもずっと歩きやすく,そこを通る人たちは速く進んでいけるでしょう。

5. バビロンとイスラエルを結ぶ比喩的な街道はどんな名前で呼ばれましたか。

5 現代,大きな道のほとんどには名前や数字が付けられています。イザヤ書に出てくる比喩的な街道にも名前があります。こう書かれています。「そこには街道ができる。『神聖な道』と呼ばれる道である。汚れた人がその道を通ることはない」。(イザ 35:8)エホバのこの約束は,当時のユダヤ人にとってどんな意味があったでしょうか。現代の私たちにとってはどうですか。

「神聖な道」 古代と現代の意味

6. この道はどんな意味で神聖でしたか。

6 「神聖な道」というのは,とても美しい名前ではないでしょうか。この道はどんな意味で神聖なのでしょうか。「汚れた人」,つまり不道徳や偶像崇拝などの罪深い行いを続ける人は,イスラエルに帰ることはできませんでした。イスラエルに戻ったユダヤ人は,「エホバ神の聖なる民」となるのです。(申 7:6)でも,だからといって,エホバ神に喜んでいただくために変化する必要がなかったわけではありませんでした。

7. 多くのユダヤ人はどんな面で変化する必要がありましたか。

7 この記事の初めの方で考えた通り,当時のユダヤ人のほとんどはバビロンで生まれました。それで,バビロニア人の考え方や基準が染み付いていたことでしょう。ユダヤ人の第1陣がイスラエルに戻ってから数十年後,エズラは外国人の女性と結婚しているユダヤ人がいることを知りました。(出 34:15,16。エズ 9:1,2)後に総督ネヘミヤは,イスラエルで生まれた子供たちがユダヤ人の言語を学んですらいないことに衝撃を受けました。(申 6:6,7。ネヘ 13:23,24)神の言葉は主にヘブライ語で記録されていたのに,その言語を理解できないとしたら,どのようにしてエホバを愛し,エホバに仕えるようになるというのでしょうか。(エズ 10:3,44)それで,ユダヤ人には大きな変化が必要でした。でも,イスラエルでは清い崇拝が回復されつつあったので,バビロンにいるよりもはるかに変化しやすかったことでしょう。(ネヘ 8:8,9

1919年以降,非常に大勢の人たちが大いなるバビロンを出て,「神聖な道」を歩み始めた。(8節を参照。)

8. 神聖な道についての記述が私たちにも関係があると言えるのはどうしてですか。(表紙の絵を参照。)

8 もしかすると,「確かに興味深い情報だけれど,はるか昔のユダヤ人の話が今の私たちとどんな関係があるんだろう」と思うかもしれません。でも,私たちも「神聖な道」を歩んでいると言えます。天に行くよう選ばれた人か「ほかの羊」かに関わりなく,私たちはこの道を歩み続ける必要があります。(ヨハ 10:16)そうするなら,今は比喩的なパラダイスで,将来は神の王国の下で幸せを味わうことができます。 b 1919年以降,非常に大勢の人たちが大いなるバビロン(世界を惑わしている間違った宗教全体)を出て,「神聖な道」を歩み始めました。あなたもその中の一人かもしれません。このように,100年ほど前にこの道は開通しました。とはいえ,整地作業は何百年も前から始まっていました。

「神聖な道」の整地作業

9. エホバはどのようにして「神聖な道」の整地作業を行いましたか。(イザヤ 57:14

9 エホバは,バビロンからイスラエルに向かうユダヤ人のために障害物を道から取り除きました。イザヤ 57:14を読む。)現代ではどうでしょうか。エホバは1919年までの数百年の間,神を畏れる人たちによって大いなるバビロンから出るための道を整えました。(イザヤ 40:3と比較。)そのおかげで,心の正しい人たちは比喩的なパラダイスでエホバに仕えることができるようになりました。では,どんな整地作業が行われたのか見てみましょう。

数百年の間,神を畏れる人たちは大いなるバビロンから出るための道を整えた。(10-11節を参照。)

10-11. 聖書が印刷され,翻訳されたことによって,聖書の知識はどのように広まっていきましたか。(挿絵も参照。)

10 15世紀の中ごろまで,聖書は手作業で書き写されていました。これにはかなり時間がかかったので,聖書は値段が高く,なかなか手に入らない本でした。でも,活版印刷機が発明されると,聖書をもっと簡単に生産できるようになり,いっそう多くの人が手に入れられるようになりました。

11 何百年にもわたって,聖書は主にラテン語でしか手に入れることができず,高い教育を受けた人しか理解することができませんでした。でも,印刷された聖書が世の中に出回るようになると,神を畏れる人たちは,聖書を多くの人が理解できる言語に翻訳する仕事にいっそう力を入れるようになりました。こうして,聖書を読む人は,教会で教えられていることと聖書が本当に教えていることを比較できるようになりました。

神を畏れる人たちは大いなるバビロンから出るための道を整えた。(12-14節を参照。) c

12-13. 19世紀に聖書を研究していた誠実な人たちは,どのようにして間違った教えを暴露しましたか。

12 を理するための助け。聖書を真剣に研究した人たちは,そこからたくさんのことを理解しました。そして,聖職者たちの怒りを買うことになるとしても,学んだことを大勢の人たちに知らせました。例えば19世紀には,大勢の誠実な人たちがパンフレットを出版し,教会で教えられていることが間違っているということを暴露しました。

13 1835年ごろ,ヘンリー・グルーは死者の状態についてのパンフレットを執筆しました。その中でグルーは,不滅性は神からの贈り物であって,生まれつき与えられるものではない,ということを聖書から説明しました。これは,多くの教会の教えが間違っていることを示すものでした。1837年,牧師であるジョージ・ストーズがこのパンフレットを列車の中で見つけます。ストーズは,これは真理だと確信し,読んだことをほかの人にも知らせたいと思いました。1842年に,「一つの問い ― 悪しき者は不滅か」という題の一連の講演を行いました。ストーズが出版した本は,チャールズ・テイズ・ラッセルという若者に大きな感化を与えました。

14. すでに整地作業が行われていたことは,ラッセル兄弟たちにとってどのように助けとなりましたか。(挿絵も参照。)

14 このようにしてすでに整地作業が行われていたことは,ラッセル兄弟や仲間たちにとってどのように助けとなったでしょうか。聖書を研究する時に,事典や索引やいろいろな翻訳の聖書を調べることができました。また,ヘンリー・グルーやジョージ・ストーズといった人たちの研究から学ぶこともできました。そして,ラッセル兄弟たちも聖書についての本やパンフレットをたくさん出版することで,整地作業に加わりました。

15. 1919年にどんな重要な出来事がありましたか。

15 1919年,エホバに仕える人たちは大いなるバビロンに捕らわれていた状態から自由になりました。その年,「忠実で思慮深い奴隷」が任命されました。(マタ 24:45-47)彼らは,開通したばかりの「神聖な道」に誠実な人たちを迎え入れました。すでに整地作業が行われていたので,この道を歩み始めた人たちは,エホバやエホバのお考えについてたくさんのことを知ることができました。(格 4:18)そして,エホバの望まれることに自分たちの生き方を合わせることもできました。もちろんエホバは,何もかも一度に変えるよう求めていたわけではありません。時間をかけて,自分に仕える人たちを少しずつ整えていきました。(「 エホバはご自分に仕える人たちを少しずつ整えてきた」の囲みを参照。)そして将来,私たちは全ての点でエホバに喜ばれることを行えるようになります。そのことを考えると,本当に楽しみではないでしょうか。(コロ 1:10

今からでも「神聖な道」を歩み始めることができる

16. 1919年以降,「神聖な道」はどのように整備されてきましたか。(イザヤ 48:17; 60:17

16 どんな道も,定期的なメンテナンスが必要です。「神聖な道」も,1919年以降整備が続けられてきました。少しでも多くの人が大いなるバビロンから出られるようにするためです。忠実で思慮深い奴隷は,この仕事を一生懸命に行っています。1921年には,関心を持つ人たちが聖書の真理を学ぶための新しい出版物が発表されました。「神の立琴」です。この本は36の言語で600万冊近く配布され,大勢の人がこの本を使って聖書を学びました。最近私たちは,「いつまでも幸せに暮らせます」という素晴らしい出版物を使って聖書レッスンをしています。終わりの時代の間ずっと,エホバは組織を通して信仰を強める食物を与えてくださっています。そのおかげで,私たちは皆「神聖な道」を歩み続けることができています。イザヤ 48:17; 60:17を読む。)

17-18. 「神聖な道」はどこに続いていますか。

17 私たちが誰かと聖書レッスンを始める時,その人は「神聖な道」に足を踏み入れることになります。この道を少しの間歩んですぐにやめてしまう人もいれば,目的地まで歩み続ける決意でいる人もいます。では,この道はどこに続いているのでしょうか。

18 天で生きる希望を持つ人たちにとって,「神聖な道」は天にある「神のパラダイス」につながっています。(啓 2:7)地上で生きる希望を持つ人たちには,千年統治の終わりに完全になるという見込みがあります。では,後ろを振り返ることなく,新しい世界へと続くこの道を最後まで歩み続けていきましょう。

107番の歌 エホバの山に来なさい

a エホバは,バビロンからイスラエルに帰る人たちが歩む道を「神聖な道」と呼びました。現代でもエホバは,ご自分に仕える人たちのために道を整えています。1919年以来,非常に大勢の人たちが大いなるバビロンから出て「神聖な道」を歩んでいます。私たちは目的地にたどり着くまで,この道を歩み続ける必要があります。

b 「イザヤの預言 ― 全人類のための光 II」56-57ページを参照。

c や挿: すでにさまざまな研究が行われていたおかげで,ラッセル兄弟たちは聖書をよく理解することができた。