研究記事 44

38番の歌 あなたの重荷をエホバにゆだねなさい

不当な扱いを受けた時に心に留めておきたいこと

不当な扱いを受けた時に心に留めておきたいこと

「悪に征されてはなりません。善によって悪を征し続けましょう」。ローマ 12:21

ポイント

不当な扱いを受けた時にどうすれば上手に対処できるかを学びます。

1-2. 私たちはどんな不当な扱いを受けることがありますか。

 イエスは,ある例え話の中で,公正に扱われることを裁判官に何度も求めたやもめについて話したことがありました。当時の人たちは不公正な扱いを受けることがよくあったので,イエスの弟子たちの多くはこの話に共感できたことでしょう。(ルカ 18:1-5)今でも同じことがいえます。私たちは誰でも不当な扱いを受けることがあるからです。

2 今の世の中では偏見や不平等や抑圧がよく見られるので,不当な扱いを受けても私たちは驚きません。(伝 5:8)でも,兄弟姉妹から不当なことをされると深く傷つくかもしれません。もちろん,反対者たちとは違い,兄弟姉妹はわざとひどいことをしようとは思っていません。でも,完璧ではないので失敗してしまうことがあります。そのような時には,反対者たちからひどい扱いを受けたイエスがどのように反応したかを考えることが役立ちます。私たちは不当な扱いをする反対者たちに対して辛抱強く接したいと思っています。そうであれば,仲間の兄弟姉妹に対してはもっとそうしたいと思うことでしょう。では,私たちが会衆の仲間やそれ以外の人からひどい扱いを受ける時,エホバはどう感じているでしょうか。

3. エホバは私たちがどんな扱いを受けているかを気に掛けている,といえるのはどうしてですか。

3 エホバは,私たちがどんな扱いを受けているかをとても気に掛けています。「エホバは公正を愛する方」です。(詩 37:28)イエスは,エホバが適切な時に「速やかに公正をもたらしてくださる」と言いました。(ルカ 18:7,8)間もなく,エホバは全ての苦しみをなくし,あらゆる不公正を正してくれます。(詩 72:1,2

4. エホバは私たちをどのように助けてくれていますか。

4 私たちは正しいことが行き渡る時代が来るまで待つ必要があります。でもそれまでの間,エホバは私たちが不公正なことを経験するとしても上手に対処できるよう助けてくれています。(ペテ二 3:13)例えば,ひどい扱いを受けた時にどうすれば良くない反応を避けられるかを教えてくれています。また,イエスの完璧な手本を聖書に残してくれています。さらに,不当な扱いを受けた時に役立つアドバイスも与えてくれました。

不当な扱いにどう反応するかに注意する

5. 不当な扱いにどう反応するかに注意する必要があるのはどうしてですか。

5 不当な扱いを受けると,深く傷ついたりつらい気持ちになったりするかもしれません。(伝 7:7)エホバに忠実に仕えたヨブやハバククもそうでした。(ヨブ 6:2,3。ハバ 1:1-3)このように感じるのは自然なことです。でも反応の仕方に注意していないと,間違ったことをしてしまうかもしれません。

6. アブサロムの例からどんなことが学べますか。(挿絵も参照。)

6 私たちは不当な扱いを受けた時,自分の力でなんとかしようとして,間違ったことをしてしまうことがあります。でも,そうするなら状況はますます悪くなってしまうでしょう。ダビデ王の息子アブサロムの場合がそうでした。アブサロムは妹のタマルが異母兄弟のアムノンにレイプされた時,激怒しました。アムノンがしたことはモーセの律法によれば死に値する罪でした。(レビ 20:17)アブサロムが怒りを感じたのは無理もないことでしたが,自分の力でなんとかしようとするべきではありませんでした。アブサロムにはそうする権限はありませんでした。(サム二 13:20-23,28,29

アブサロムは妹のタマルがひどいことをされた時,怒りに任せて行動した。(6節を参照。)


7. ある詩編作者は不公正なことを見て,どのように感じましたか。

7 不公正なことをしている人が罰を受けていないように見えると,正しいことを行うことに意味があるのだろうか,と感じるかもしれません。ある詩編作者は,悪い人たちが正しい人たちを食い物にしながら繁栄しているように思えて,「こうした悪人は気楽に暮らしている」と言いました。(詩 73:12)不公正なことを目にして心がかき乱されてしまい,エホバに仕えることの価値を見失いそうになりました。それでこう言いました。「私は事の意味を理解しようとして,思い悩んでいた」。(詩 73:14,16)さらにこう言っています。「私の足はもう少しでそれていくところだった。危うく滑るところだった」。(詩 73:2)アルベルト兄弟も似たような経験をしました。 a

8. アルベルト兄弟はひどい扱いを受けてどうなりましたか。

8 アルベルト兄弟は,会衆の基金からお金を盗んだと誤解され,非難されました。その結果,長老ではなくなり,会衆の多くの人からも誤解され,敬意を失いました。兄弟は振り返ってこう言っています。「とてもつらかったです。怒りが込み上げ,がっかりしました」。兄弟はつらい感情をそのまま持ち続け,エホバとの絆が弱くなってしまいました。そして集会や奉仕に参加しない時期が5年続きました。兄弟の例から,ひどい扱いを受けた時に怒りの気持ちを放っておくなら,どんな危険があるかがよく分かります。

イエスの手本に倣う

9. イエスはどんなひどい扱いを受けましたか。(挿絵も参照。)

9 イエスはひどい扱いに対処する点で完璧な手本を残してくれました。イエスが家族や他の人たちからどんな不当な扱いを受けたか,考えてみてください。親族から頭がおかしくなってしまったと言われました。宗教指導者たちには,悪魔の力を使って奇跡を行っていると言われました。さらに,ローマの兵士たちにあざけられ,暴力を振るわれ,殺されました。(マル 3:21,22; 14:55; 15:16-20,35-37)イエスはこのように本当にひどい扱いを受けましたが,仕返しをしたりせず,忍耐しました。この手本から何を学べるでしょうか。

イエスの完璧な手本から,ひどい扱いを受けた時にどう対処すべきかを学べる。(9-10節を参照。)


10. イエスは不当な扱いを受けた時,どうしましたか。(ペテロ第一 2:21-23

10 ペテロ第 2:21-23を読む。 b イエスが残してくれた完璧な手本は,私たちが不公正に対処する上で役立ちます。イエスは話すべき時とそうでない時を分かっていました。(マタ 26:62-64)間違ったうわさを立てられても,いちいち反応することはありませんでした。(マタ 11:19)話す時には,迫害する人たちを脅したり悪態をついたりしませんでした。イエスが自分の反応をコントロールできたのはどうしてでしょうか。「正しく裁く方に自分を委ね」ていたからです。イエスは,一番大事なのはエホバが物事をどう見ているかであることを分かっていました。そして,エホバが適切な時に不公正をなくしてくれることを信じていました。

11. 話す前にどんなことを考慮できますか。(写真も参照。)

11 イエスのように,不当な扱いを受けた時,話す前によく考えることは大切です。ちょっとしたことであれば見過ごしましょう。事態を悪化させることを言ってしまわないように黙っていることもできます。(伝 3:7。ヤコ 1:19,20)でも,ひどい扱いを受けている人を守ったり,私たちの信条や真理について正しく伝えたりするために,話す必要がある場合もあります。(使徒 6:1,2)話す時にはできるだけ穏やかに,敬意を込めて接するようにしましょう。(ペテ一 3:15 c

イエスのように,不当な扱いを受けた時,話す前によく考えることは大切。(11-12節を参照。)


12. どのようにして「正しく裁く方に自分を委ね」ることができますか。

12 イエスのように,「正しく裁く方に自分を委ね」ましょう。ほかの人から誤解されたり,ひどいことをされたりした時には,エホバが全てを分かってくれているということを思い出しましょう。そのことを確信しているなら,ひどいことをされても,やがてエホバがその問題を扱ってくださると考えることができます。全てをエホバにお任せするなら,怒りや憤りの気持ちを募らせずに済みます。そうした気持ちをそのままにしておくなら,過剰に反応したり,喜びを失ったり,エホバとの友情が壊れてしまったりするかもしれません。(詩 37:8

13. 不当な扱いを忍耐するのに,どんなことが助けになりますか。

13 もちろん,私たちはイエスの手本に完璧に倣うことはできません。自分が言ったことやしたことを,後になって後悔するときもあります。(ヤコ 3:2)時には不当な扱いをされて,体も心も大きなダメージを受けることがあります。もしそういう経験をしているなら,エホバは全てのことを知っているということを忘れないでください。不当な扱いを受けて苦しんだイエスもあなたの気持ちをよく分かってくれます。(ヘブ 4:15,16)イエスの完璧な手本に加えて,エホバは不公正にどのように対処したらいいのか,具体的なアドバイスを私たちに与えてくれています。「ローマのクリスチャンへの手紙」の2つの節から考えてみましょう。

「神の憤りに任せましょう」

14. 「神の憤りに任せ」るとはどういうことですか。(ローマ 12:19

14 ローマ 12:19を読む。使徒パウロはローマのクリスチャンに,「神の憤りに任せましょう」と勧めました。これは,問題を正すタイミングや方法はエホバの判断に任せるということです。ジョン兄弟はひどいことをされた時のことを振り返ってこう言っています。「私は自分の方法で解決したいという気持ちと闘わなければいけませんでした。でも,ローマ 12章19節のおかげでエホバを待つことができました」。

15. エホバを待つなら必ず良い結果になるといえるのはどうしてですか。

15 エホバが問題を扱ってくれるのを待つなら,必ず良い結果になります。自分の力で問題を解決しようとすると,多くの場合ストレスや挫折感を味わうことになります。エホバは私たちを助けたいと思っています。まるで,「私に任せてくれたら,後は私がなんとかするから」と言ってくれているかのようです。「私が報復する」というエホバの約束を信じているなら,エホバが一番良い方法で問題を扱ってくれるという確信を持ってエホバに任せることができます。先ほどのジョン兄弟はそうしました。こう言っています。「自分でなんとかしようとするのではなくエホバを待つなら,はるかに良い結果になります」。

「善によって悪を征服し続けましょう」

16-17. 「善によって悪を征服し続け」る上で,祈りはどのように助けになりますか。(ローマ 12:21

16 ローマ 12:21を読む。パウロは「善によって悪を征服し続けましょう」とも勧めました。山上の垂訓の中でイエスも,「敵を愛し続け,する人のために祈り続けなさい」と言っていました。(マタ 5:44)イエスはまさにそうしました。ローマの兵士に杭にくぎ付けにされた時のことを思い出すかもしれません。その時,イエスがどれほどの痛みや屈辱を味わい,理不尽に感じたかは,私たちの想像をはるかに超えています。

17 イエスは不当な扱いを受けても愛を示し,エホバに仕え続けました。ローマの兵士たちに罰が与えられることを願うのではなく,こう祈りました。「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのです」。(ルカ 23:34)私たちも,自分にひどいことをした人のために祈るなら,憤りや怒りの気持ちを静めることができます。相手に対する自分の見方も変えられるかもしれません。

18. アルベルト兄弟とジョン兄弟が問題に対処するのに,祈りはどのように助けになりましたか。

18 この記事に出てきた2人の兄弟たちにとっても,祈ることが助けになりました。アルベルト兄弟はこう言っています。「不当なことをした兄弟たちのために祈りました。怒りの気持ちを捨てられるよう助けてください,とエホバに何度もお願いしました」。兄弟は力を取り戻し,再びエホバに仕えるようになりました。ジョン兄弟はこう言います。「自分を傷つけた兄弟のために何度も祈りました。すると,兄弟に対して批判的になるのではなく,広い視野で見ることができるようになりました。また,穏やかな気持ちにもなれました」。

19. この体制が続く限り,どうすることが大切ですか。(ペテロ第一 3:8,9

19 この体制が続く限り,不当な経験をすることがあるでしょう。でもどんなときも,祈ってエホバに頼ることをやめないでください。イエスの手本に倣い,聖書のアドバイスの通りにしていきましょう。そうするなら,エホバがあなたを支え,豊かに報いてくださいます。ペテロ第 3:8,9を読む。)

60番の歌 神はあなたを強い者としてくださる

a 一部の名前は変えてあります。

b 「ペテロの第一の手紙」の2章と3章で,ペテロは1世紀のクリスチャンが経験していたことについて書いています。当時のクリスチャンの中には,自分が奴隷として仕えていた主人や信者でない夫から,ひどい扱いを受けていた人たちがいました。(ペテ一 2:18-20; 3:1-6,8,9

c jw.orgの「愛があれば平和になる」という動画を参照。