研究記事30

52番の歌 あなたの心を守りなさい

イスラエルの王たちから学べること

イスラエルの王たちから学べること

「あなたたちは再び,正しい人と悪い人,神に仕える人と仕えない人の違いを目にすることになる」。マラキ 3:18

ポイント

エホバがイスラエルの王たちのどんなところに注目していたかを学ぶと,エホバが今ご自分に仕える人たちに何を望んでいるかが分かります。

1-2. イスラエルの王たちについて聖書にはどんなことが書かれていますか。

 聖書にはイスラエルを治めた王が40人以上出てきます。 a そうした王たちが行ったことについてもありのままに記録されています。例えば,良い王でも良くないことをしたことがありました。ダビデ王がそうでした。エホバは,「私に仕えたダビデ[は]私から見て正しいことだけを行って,心を尽くして私に従った」と言いました。(王一 14:8)でも,ダビデは既婚の女性と性的不道徳を犯し,女性の夫を戦いで死なせるように仕向けたことがありました。(サム二 11:4,14,15

2 一方,エホバに忠実でなかった王たちも良いことをしたことがありました。例えばレハベアムは,エホバの目から見て「悪いことを行」いました。(代二 12:14)でも,王国が分裂して10部族が独立する時に与えられた神からの命令には従いました。また,町の防備を固めて人々のためになることをしました。(王一 12:21-24。代二 11:5-12

3. どんな疑問が湧きますか。この記事ではどんな点を考えますか。

3 ここで次のような疑問が湧きます。とても大切な点です。エホバは,良いことも悪いこともしたイスラエルの王がご自分に忠実かどうかをどんな基準で判断したのでしょうか。その答えを知るなら,エホバがたちにどんなことを望んでいるかを理解する助けになります。この記事では,エホバがイスラエルの王たちのどんな点に注目していたかを考えます。の全てがエホバに向いていたか,罪を心から悔い改めていたか,真の崇をしっかり支していたかという3つの点です。

心の全てがエホバに向いていたか

4. エホバに忠実に仕えた王とそうしなかった王にはどんな違いがありましたか。

4 を尽くしてエホバを崇拝した王たちはエホバに喜ばれました。 b 良い王だったエホシャファトは「心を尽くしてエホバに仕え」ました。(代二 22:9)また,ヨシヤについては聖書にこうあります。「ヨシヤのように……心を尽くし[て]エホバのもとに戻ろうとした王は後にも先にもいなかった」。(王二 23:25)ソロモンについてはどうでしょうか。後に悪いことをするようになった「ソロモンの心は……全てがエホバ神に向いているわけでは」ありませんでした。(王一 11:4)忠実でなかった王アビヤムについても,「彼の心は……全てがエホバ神に向いているわけではなかった」と書かれています。(王一 15:3

5. 心を尽くしてエホバに仕えるとはどういう意味ですか。

5 では,エホバに心を尽くして仕えるとはどういう意味でしょうか。心を尽くして仕える人は,形だけの崇拝で済ませるようなことはしません。エホバを深く敬って愛する気持ちからエホバに仕えます。そして生きている限りそうします。

6. どうすれば心を尽くしてエホバを愛することができますか。(格言 4:23。マタイ 5:29,30

6 どうすれば,エホバに忠実に仕えた王たちのように心を尽くしてエホバを愛することができるでしょうか。悪い影響を与えるものを避けることが必要です。例えば,息抜きをする時に不健全なものを見たり聞いたりするなら,心がエホバからそらされることがあります。良くない交友や,お金や物を愛する考え方にも注意が必要です。何かのせいでエホバへの愛が少しでも弱まっていることに気付いたなら,その影響を取り除くためにすぐに行動しましょう。 4:23,マタイ 5:29,30を読む。)

7. 悪い影響を避けることが大切なのはどうしてですか。

7 心がほかのものに傾いてしまうことがないようにしましょう。気を付けていないと,クリスチャンの活動をたくさん行っていれば悪い影響を受けることはない,と考えるようになってしまうかもしれません。こんな場面をイメージしてみてください。とても寒くて風の強い日に外にいたとします。家に帰るとすぐに暖房をつけます。でも,ドアを開けたままにしておくならどうでしょうか。冷たい空気が入ってきて,家の中は暖まりません。同じように,聖書の教えを学ぶだけではエホバとの温かい関係を保つことはできません。世の中には,冷たい「空気」のような,神を敬わない態度が広まっています。それで,良くない影響が入り込んで心がエホバからそれてしまうことがないように,いわばドアを閉める必要があります。(エフェ 2:2

罪を心から悔い改めていたか

8-9. ダビデとヒゼキヤは戒めを受けた時にどのように反応しましたか。(挿絵を参照。)

8 先ほど考えたように,ダビデ王は重大な罪を犯しました。でも預言者ナタンからその罪について指摘された時,謙遜に悔い改めました。(サム二 12:13詩編 51編の表現を見ると,心から悔い改めていたことが分かります。ナタンの目をごまかしたり罰を免れたりするために,反省したふりをしていたわけではありませんでした。(詩 51:3,4,17,表題

9 ヒゼキヤもエホバに対して罪を犯しました。聖書にはこう記録されています。「ヒゼキヤは心が傲慢になり,……神は彼とユダとエルサレムに対して憤った」。(代二 32:25)ヒゼキヤの心が高慢になったのはどうしてでしょうか。もしかすると,たくさんお金や物を持っていることや,アッシリア軍に勝利したことや,病気から奇跡的に癒やされたことで優越感を持つようになってしまったのかもしれません。ヒゼキヤ王がバビロニア人に富を見せびらかしたのも,誇りの気持ちが原因だったのかもしれません。結果として預言者イザヤから戒めを受けることになりました。(王二 20:12-18)でも,ダビデと同じようにヒゼキヤは謙遜に悔い改めました。(代二 32:26)最終的には,エホバから見て「正しいことを行い続けた」忠実な王として記録されています。(王二 18:3

ダビデ王とヒゼキヤ王が,罪を指摘されて謙遜に悔い改めている。(8-9節を参照。)


10. アマジヤ王は正された時にどう反応しましたか。

10 対照的に,ユダのアマジヤ王は正しいことを行いましたが,「心を尽くしてはい」ませんでした。(代二 25:2)どんなことをしてしまったのでしょうか。アマジヤはエホバの助けによってエドム人を打ち負かした後,エドムの神々にひれ伏しました。 c そのことをエホバの預言者に指摘されましたが,全く耳を貸さずに追い払ってしまいました。(代二 25:14-16

11. コリント第二 7章9,11節によると,エホバから許してもらうためには何をする必要がありますか。(写真も参照。)

11 どんなことを学べるでしょうか。私たちは罪を心から悔い改め,同じことを繰り返さないようできる限りのことをする必要があります。もし,ささいに思えるような点について会衆の長老たちから助言を受けたならどうでしょうか。自分はエホバから愛されていないとか,長老たちから嫌われているとは考えないでください。イスラエルの良い王たちであっても,助言や戒めを受けることがありました。(ヘブ 12:6)間違いを正された時,(1)謙遜に受け入れ,(2)必要な調整を行い,(3)心を込めてエホバへの奉仕を続けてください。犯した罪を反省して悔い改めるなら,エホバは私たちのことを許してくださいます。コリント第 7:9,11を読む。)

間違いを正された時,(1)謙遜に受け入れ,(2)必要な調整を行い,(3)心を込めてエホバへの奉仕を続けることは大切。(11節を参照。) f


真の崇拝をしっかり支持していたか

12. 忠実な王たちはどんな点で際立っていましたか。

12 エホバは真の崇拝をしっかり支持した王たちを忠実な人と見ました。そうした王たちは,国民にも同じように真の崇拝を支持するよう促しました。もちろんこれまで考えた通り欠点もありましたが,エホバだけに心を向けていました。さらに,国から偶像崇拝を除き去るために懸命に闘いました。 d

13. エホバがアハブ王を忠実でないと見なしたのはどうしてですか。

13 エホバから忠実でないと見なされた王たちについてはどうでしょうか。もちろん,その王たちの行ったこと全てが悪かったわけではありません。例えば邪悪な王アハブでさえ,いくらか謙遜になり,ナボテの殺害に関わったことを後悔しました。(王一 21:27-29)また,幾つかの町を築き,イスラエルのために戦って勝利しました。(王一 20:21,29; 22:39)でもアハブは,よく知られている通り,妻の影響を受けて間違った崇拝を広めました。この点についてアハブが悔い改めることはありませんでした。(王一 21:25,26

14. (ア)エホバがレハベアムを忠実でない王と見たのはどうしてですか。(イ)忠実でない王たちの統治にはどんな特徴がありましたか。

14 忠実でなかったレハベアム王のことも考えてみましょう。この記事で初めに触れた通り,レハベアムは統治期間中いろいろと良いことをしました。でも,王権が揺るがないものになると間違った崇拝を行うようになり,エホバの律法を捨てました。(代二 12:1)その後,真の崇拝を行うことも間違った崇拝を行うこともあり,どっち付かずの態度を取りました。(王一 14:21-24)真の崇拝からそれた王はレハベアムやアハブだけではありません。実際,忠実でなかった王たちの大多数が何らかの仕方で間違った崇拝を支持しました。確かに,良い王か悪い王かをエホバが判断する上で,しっかり真の崇拝を支持したかどうかは大切な要素でした。

15. 真の崇拝をしっかり支持することをエホバが重要と見なしているのはどうしてですか。

15 崇拝に関係することをエホバがそれほど重要と見なしていたのはどうしてでしょうか。まず,王たちには正しい崇拝を行うよう神の民を導く責任がありました。そして,間違った崇拝は必ず重大な罪や不公正などにつながります。(ホセ 4:1,2)また,イスラエルの王たちも国民もエホバに献身していました。それで,イスラエル国民が間違った崇拝に関わることは,いわば姦淫を犯すようなものでした。(エレ 3:8,9)姦淫をするなら,配偶者を最も深く傷つけることになります。同じように,エホバに献身した人が間違った崇拝に関わるなら,エホバに対して罪を犯すことになり,エホバを本当に深く悲しませてしまいます。 e申 4:23,24

16. エホバから見て正しい人と悪い人のはっきりした違いは何ですか。

16 どんなことを学べるでしょうか。私たちは間違った崇拝を避けることを決意していなければなりません。それだけでなく,真の崇拝をしっかり支持し,それに励む必要もあります。預言者マラキは,エホバから見て良い人と悪い人の違いについて,次のようにはっきりと書きました。「あなたたちは再び,正しい人と悪い人,に仕える人とえない人の違いを目にすることになる」。(マラ 3:18)それで,どんな理由であっても神に仕えるのをやめることがないようにしましょう。たとえ,間違いをする不完全な自分に落ち込むとしても,決して諦めないでください。エホバに仕えるのをやめるなら,それは重大な罪になってしまいます。

17. 心を尽くしてエホバに仕えるために,結婚相手を注意深く選ぶ必要があるのはどうしてですか。

17 マラキの言葉は,結婚を考えている独身の人が自分にふさわしい相手を選ぶ上でも助けになります。ある人に魅力的なところがあるとしても,エホバに仕えていないなら,今その人はエホバから見正しい人といえるでしょうか。(コリ二 6:14)結婚した場合,その人はエホバとの絆を強めるよう助けてくれるでしょうか。考えてみてください。ソロモン王の妻たちにも良いところがいくらかあったかもしれません。でも,異教の神を崇拝し,エホバに仕えていなかった妻たちは,徐々にソロモンの心をほかの神々に向けさせました。(王一 11:1,4

18. 親は子供たちにどんなことを教える必要がありますか。

18 親の皆さん,聖書に収められている王たちに関する記録を子供と一緒に学び,子供たちが熱い心でエホバを崇拝できるように教えてください。エホバが良い王と見るか悪い王と見るかは,その王が正しい崇拝を推し進めたかどうかに大きく懸かっていたということを理解できるように助けましょう。聖書を学ぶこと,集会や伝道に参加することなど,エホバとの絆を強める活動を何よりも優先させてください。そのようにする大切さを言葉や手本によって教えましょう。(マタ 6:33)そうしないなら,子供たちは「自分がエホバの証人なのは家の宗教だから」と考えるようになるかもしれません。そして,エホバへの崇拝を二の次にしたり全くやめてしまったりすることさえあるかもしれません。

19. エホバに仕えることをやめてしまった場合,エホバとの絆を取り戻すことはできますか。(「 あなたもエホバのもとに帰ることができます」の囲みも参照。)

19 エホバに仕えることをやめてしまった人は,もう二度とエホバとの絆を取り戻すことができないのでしょうか。いいえ。悔い改めてもう一度エホバのもとに帰ることは可能です。でも,そのためには長老たちの助けを謙遜に受け入れなければなりません。(ヤコ 5:14)再びエホバの友になるためにどんな努力を払う必要があるとしても,そうするだけの価値があるということを忘れないでください。

20. エホバに忠実に仕えた王たちに倣うなら,エホバからどう見てもらえますか。

20 イスラエルの王たちからどんなことを学べたでしょうか。大切なのは,忠実な王たちのようにエホバだけに心を向けて仕え続けることです。自分の間違いから学び,心から悔い改め,必要な調整をしましょう。これからも,唯一の真の神であるエホバへの崇拝をしっかり支持してください。エホバにしっかり付いて離れないなら,あなたもエホバから見て正しい人になれます。

57番の歌 わたしの心の黙想

a この記事で「イスラエルの王という表現は,エホバの民を治めた全ての王を指して使われています。それにはユダの2部族を治めた王も,イスラエルの10部族を治めた王も,12部族全てを治めた王も含まれます。

b の説: 聖書で「心という言葉は,人の内面全体を指して使われることがよくあります。それには,願望,考え,気質,態度,素質,動機,目標が含まれています。

c 異教の国の王たちの間では,征服した民の神々を崇拝する習慣があったようです。

d アサ王は大きな罪を犯しました。(代二 16:7,10)でも,聖書の中では良い王として記録されています。間違いを正された時,最初はそれを退けてしまいましたが,後に悔い改めた可能性があります。アサ王は間違いを犯しましたが,全体的に見ると良いところがたくさんありました。何よりも,アサはエホバだけを崇拝し,王国から偶像崇拝を取り除くために努力しました。(王一 15:11-13。代二 14:2-5

e 注目できる点として,モーセの律法の最初の2つのおきては,エホバ以外のどんなものも崇拝してはならないという内容でした。(出 20:1-6

f や挿: 若い長老が,兄弟の飲酒の習慣について心配していると伝えている。兄弟は謙遜に助言を受け入れ,必要な調整を行い,忠実に奉仕を続けている。