研究記事29

83番の歌 わたしたちには自制が必要

誘惑に負けないように用心する

誘惑に負けないように用心する

「ずっと見っていて絶えず祈り,誘に負けないようにしていなさい」。マタイ 26:41

ポイント

罪を犯すことだけでなく,それにつながる事柄を避けることの大切さについて学びます。

1-2. (ア)イエスは弟子たちにどんなことに気を付けるように教えましたか。(イ)弟子たちがイエスを見捨てて逃げてしまったのはどうしてですか。(挿絵も参照。)

 「もっとも,心は強く願っていても,肉体は弱いのです」。 aマタ 26:41後半)この言葉から,イエスが私たちの弱さを理解してくれていることが分かります。さらに,自信過剰に気を付けなければいけないということも学べます。弟子たちはこの言葉が語られた夜,イエスを見捨てることは絶対にしないと自信を持って言っていました。(マタ 26:35)そう言ったのは正しいことをしたいと思っていたからでした。でも,恐れを感じると,その決意が簡単に揺らいでしまうということに弟子たちは気付いていませんでした。それでイエスは,「ずっと見張っていて絶えず祈り,誘惑に負けないようにしていなさい」と言いました。(マタ 26:41前半

2 残念なことに,弟子たちはずっと見張っていることができませんでした。イエスが捕らえられた時,怖くなって,逃げたいという気持ちに負けました。用心していなかったので,自分たちが決してしないと言っていたことをしてしまいました。イエスのそばにとどまるのではなく,見捨ててしまったのです。(マタ 26:56

イエスは弟子たちにずっと見張っていて誘惑に負けないようにと教えたが,弟子たちはイエスを見捨ててしまった。(1-2節を参照。)


3. (ア)エホバから離れないでいるためには自信過剰に気を付ける必要があります。どうしてですか。(イ)この記事ではどんな点を考えますか。

3 私たちも自信過剰に気を付ける必要があります。もちろん私たちはエホバから決して離れないことを決意しています。それでも弱さがあり,誘惑に負けやすい傾向があります。(ロマ 5:12; 7:21-23)それで,注意していないと,間違った行いを魅力的に感じてしまうことがあるかもしれません。エホバとイエスから離れないでいるためには,罪を犯さないよう用心しているようにというイエスの教えにしっかり従う必要があります。この記事では,そうする上で役立つ点を3つ考えます。どんな分特に用心する必要があるでしょうか。どうすれば誘惑から自分の身を守れますか。いつも用心しているために何ができるでしょうか。

どんな分野で用心するか

4-5. 重大でないと思える罪にも用心する必要があるのはどうしてですか。

4 重大でないと思える罪であっても,それによってエホバとの関係が弱まることがあります。また,より大きな罪を犯すことにつながるかもしれません。

5 誰でも,良くないことをしたいという気持ちになってしまうことがあります。でも,人によって弱いところは違います。重大な罪を犯したり,汚れた行いに関わったり,この世の中の考え方にとらわれたりしないよう,それぞれが弱さと闘っています。例えば,性的不道徳の誘惑に負けないように努力している人がいます。また,マスターベーションをすることやポルノを見ることなど,汚れた行いに強く引かれる人もいます。ほかにも,人を恐れたり,自分のことを誇ったり,すぐかっとなったりしないよう闘っている人もいます。ヤコブが言っているように,「人はそれぞれ,の欲に引かれて惑わされることにより,試されるのです」。(ヤコ 1:14

6. どんなことと正直に向き合う必要がありますか。

6 あなたはどんなことがにとって一番誘惑となるかを知っていますか。自分の弱さを認めようとしなかったり,自分が悪いことをするはずはないと考えたりするのは危険です。それは自分を欺いていることになります。(ヨハ一 1:8)パウロは,「クリスチャンとして十分に資格がある」人でも用心していないなら誘惑に負けてしまうことがあると言いました。(ガラ 6:1)私たちは自分を正直に見つめて弱い分野を認める必要があります。(コリ二 13:5

7. 私たちはどんな分野に特に注意を払う必要がありますか。

7 自分にとって一番誘惑になりやすい分野を見分けることができたら,どうしますか。守りを固めましょう。聖書時代,都市の城壁の中で最も弱い所は門でした。それで,門はほかのどこよりも防備がしっかりと固められていました。同じように,自分の特に弱いと思える分野については,いっそう注意を払う必要があります。(コリ一 9:27

どうすれば誘惑から自分を守れるか

8-9. 格言 7章に出てくる若者は,どうすれば重大な罪を犯さずに済みましたか。(格言 7:8,9,13,14,21

8 どうすれば誘惑から自分を守れるでしょうか。格言 7章に出てくる若者の例から学びましょう。その若者は不道徳な女性と性的不道徳を犯しました。22節には「突然」その女性に付いていったとあります。でも,前の部分を見ると,若者が幾つかの段階を踏んで罪に近づいていったことが分かります。

9 どんなことが罪を犯すことにつながっていったでしょうか。まず,若者は晩に「[不道徳な]女性の家への曲がり角の近くを通り」ました。そして,その女性の家の方に進んでいきます。 7:8,9を読む。)さらに,女性を見てもそこから立ち去りませんでした。若者は彼女の口づけを受け入れ,女性が共食の犠牲を捧げたことについて話すのをじっと聞きました。女性はその若者に,自分が悪い人ではないと思わせようとしていたのかもしれません。 7:13,14,21を読む。)もしこの若者が罪へとつながりかねない危険を避けていたなら,誘惑に負けて罪を犯すことはなかったでしょう。

10. 私たちもどのように「格言の書」の若者のような失敗をするかもしれませんか。

10 ソロモンが書いたことは,エホバを崇拝している人の誰にでも起き得ることです。重大な罪に陥った人は後になって,何もかも「突然」に起きたとか,そんなことが起きるとは思っていなかったと言うかもしれません。でも,実際に何が起きたかを振り返ってみれば,幾つかの賢明でない行動が重大な罪につながったということに気付くでしょう。もしかすると,良くない友達と付き合っていたのかもしれません。また,自由な時間に楽しむものや遊びに行く場所がクリスチャンにふさわしくないものだったのかもしれません。オンラインの場合でも同じような危険があります。ほかにも,祈ることや聖書を読むこと,集会に出席すること,宣教に参加することをやめてしまっていたのかもしれません。「格言の書」に書かれている若者と同じように,その人が罪を犯したのは結局のところ,「突然」というわけではなかったのかもしれません。

11. 罪を犯さないようにするため,何を避ける必要がありますか。

11 どんなことを学べるでしょうか。罪を犯すことだけでなく,それにつながる行動も避ける必要があります。ソロモンも,若者と不道徳な女性についての話の直後に,「彼女が通るにさまよっていってはならない」と書いています。(格 7:25)また,「彼女からく離れていよ。彼女の家の入り口にづいてはならない」とも書きました。(格 5:3,8)罪を犯さないよう自分を守るために,罪につながる状況から遠く離れているようにしましょう。 b 他のクリスチャンにとって問題にならないような状況や活動であっても,自分にとって誘惑となることが分かっているなら,それを避ける必要があるかもしれません。(マタ 5:29,30

12. ヨブはどんなことを決意していましたか。それは誘惑から自分を守る上でどのように助けになりましたか。(ヨブ 31:1

12 罪を犯すことにつながるような状況を避けるためには,固く決意する必要があります。ヨブはまさにそうしました。ヨブは女性をみだらな目で見たりしないように,「自分の目と契約を結」びました。ヨブ 31:1を読む。)そのような強い決意を持っていたので,姦淫を犯す危険から遠く離れていることができました。私たちも誘惑につながる可能性のあるどんなことも避けるよう決意しましょう。

13. どんなことを考えるかに注意を払う必要があるのはどうしてですか。(写真も参照。)

13 私たちはどんなことを考えるかにも注意を払う必要があります。(出 20:17)良くない空想にふけっても,実際に行動に移さなければ問題ないと考える人もいます。でもそれは間違っています。良くないことについて考え続けるなら,そうしたいという気持ちが強くなっていきます。ある意味,闘わなければならない誘惑を自分でつくり出して,自分で自分の首を絞めているようなものです。もちろん,良くない考えが心に浮かぶことは誰にでもあります。重要なのは,そのようなことを考えるのをすぐにやめて,良いことを考えるよう頭を切り替えることです。そうするなら,良くない考えが強い欲望となって手に負えなくなることや,結果として重大な罪を犯してしまうことを避けられます。(フィリ 4:8。コロ 3:2。ヤコ 1:13-15

誘惑につながりかねないことは,何であっても避ける必要がある。(13節を参照。)


14. 誘惑に負けないよう自分を守るために,ほかにどんなことができますか。

14 誘惑に負けないよう自分を守るために,ほかにどんなことができるでしょうか。エホバのおきてを守ることは必ず自分のためになる,という強い確信を持つことが大切です。自分の考えや願いを神が良いと思っていることに合わせるのは大変なときもあります。でもそうするなら,心の穏やかさを味わうことができ,努力して良かったと思うことでしょう。

15. 正しいことをしたいという気持ちを強めることは,誘惑に抵抗する上でどのように助けになりますか。

15 正しいことをしたいという気持ちを強めることも大切です。「悪を憎み,善を愛」するようになるなら,正しいことをし,罪につながるような状況を避ける決意が強まります。(アモ 5:15)正しいことをしたいという気持ちがあるなら,誘惑を予期したり避けたりできなかった場合でも,ぶれないでいる助けになります。

16. クリスチャンの活動を行うことは,誘惑に負けないようにする上でどのように役立ちますか。(写真も参照。)

16 どうすれば正しいことをしたいという気持ちを強めることができるでしょうか。クリスチャンの活動にできる限り打ち込むことです。集会や宣教に参加している時には,悪いことをしたいという誘惑は感じにくくなり,エホバに喜んでもらいたいという気持ちが強くなります。(マタ 28:19,20。ヘブ 10:24,25)神の言葉を読み,研究し,じっくり思い巡らすなら,善いことを愛し,悪いことを憎む気持ちを強めることができます。(ヨシュ 1:8。詩 1:2,3; 119:97,101)イエスが弟子たちに「絶えず祈り,誘惑に負けないようにしていなさい」と言ったことを思い出してください。(マタ 26:41)天のお父さんに祈って一緒に時間を過ごすなら,エホバの助けを実感することができ,エホバに喜んでもらいたいという決意がいっそう強まります。(ヤコ 4:8

クリスチャンとしての良い習慣は誘惑を退ける助けになる。(16節を参照。) c


いつも用心している

17. ペテロにはなかなか克服できないどんな弱さがありましたか。

17 私たちが持っている弱さの中には,完全に克服できるものもあるかもしれません。一方で,闘い続けなければいけないものもあるでしょう。ペテロの場合もそうでした。ペテロは人を恐れてしまい,イエスを3度否定しました。(マタ 26:69-75)サンヘドリンの前で大胆に語った時には恐れを克服したかに思えました。(使徒 5:27-29)でも,後に「割礼を受けた人たちを恐れ」て,異国人のクリスチャンと一緒に食事をするのをやめてしまったことがありました。(ガラ 2:11,12)人を恐れる気持ちにまた負けてしまいました。もしかすると,人への恐れを完全に克服することはできなかったのかもしれません。

18. 弱さと闘う時,どんなことを覚えておくべきですか。

18 私たちも同じようなことを経験するかもしれません。自分では克服できたと思っていた弱さとまた闘わなければならなくなるかもしれません。ある兄弟はこう言っています。「10年間ポルノを見なかったので,もう大丈夫だと思っていました。でも,ふとした時にポルノを見たいという衝動に駆られることがあるので,油断できません」。兄弟は諦めませんでした。この悪い習慣と毎日闘う必要があり,もしかするとそれはこの体制が終わるまでずっと続くかもしれないということを理解するようになりました。妻や会衆の長老たちの助けもあり,兄弟はポルノから離れているために対策をさらに強化することができました。

19. 根深い弱さと闘い続けるために何ができますか。

19 根深い弱さに負けて間違ったことをしないようにするには,どうしたらいいでしょうか。「ずっと見張って……いなさい」というイエスの言葉通りにする必要があります。自分は大丈夫と思うような時でも引き続き誘惑につながりかねない状況を避けることは大切です。(コリ一 10:12)これまで自分の良くない習慣と闘うために役立ってきたことを行い続けましょう。格言 28章14節にある通り,「いつも用心している人は幸福」です。(ペテ二 3:14

いつも用心していることには大きな価値がある

20-21. (ア)いつも用心していることには大きな価値があるといえるのはどうしてですか。(イ)私たちができることを一生懸命行うなら,エホバはどんなことをしてくださいますか。(コリント第二 4:7

20 確かに,誘惑に負けないようにいつも用心することには努力するだけの価値があります。罪に伴うどんな「つかの間の快楽」も,エホバの基準に沿って生きることから来る幸せとは比べものになりません。(ヘブ 11:25。詩 19:8)私たちはエホバに従って生きることで幸せになるように造られているからです。(創 1:27)そのように努力するなら,晴れ晴れとした気持ちでいることができ,永遠に生きる見込みも持てます。(テモ一 6:12。テモ二 1:3。ユダ 20,21

21 確かに「肉体は弱い」ものです。でも,私たちには何もできないというわけではありません。エホバはいつでも私たちに必要な力を与えようとしてくださっています。コリント第 4:7を読む。)とはいえ,エホバが与えてくださるのは普通をえた力です。私たちは誘惑に負けないようにでも毎日努力する必要があります。そのようにして自分にできることを一生懸命行うなら,エホバは私たちの祈りを聞いて,必要な時に必ず普通を超えた力を与えてくださいます。(コリ一 10:13)エホバの助けがあれば,誘惑に負けないように自分をしっかり守ることができるのです。

67番の歌 日ごとにエホバに祈りなさい

a の説: イエスはマタイ 26章41節で,正しいことをしたいという気持ちを指して「心という表現を使いました。そして,「肉という表現を使って,人間は罪深くて完璧ではないので,悪いことを考えたり行ったりすることがある,ということを強調しました。それで,正しいことをしたいと強く願っていても,注意していないと誘惑に負けて良くないことをしてしまうことがあります。

c や挿: 兄弟が朝にその日の聖句を読み,お昼休みに聖書を読み,晩に週日の集会に出席している。